織田姉弟、喧嘩する






「姉上の馬鹿!」
「うっさいわ、傷に響く」

 姉の鋭い視線に信勝はぐっと押し黙った。ノウム・カルデアの医療室、その前の廊下のベンチに信長は座っていた。その前に立っている信勝の表情は暗い。姉の左肩には三角巾が巻かれ、包帯が巻かれた右手をつっている。

「お前がぼうっとしてるのが悪いんじゃ、反省しろ」

 遡ること一時間前、微小特異点に二人はレイシフトしていた。

 メンバーは姉弟の他にマスター、マシュ、沖田と龍馬がいた。今回の特異点は本当に小さく、すぐに原因も見つかった。あとは数時間滞在して帰る程度のものだったのだが……不意をついて敵に見つかった。

 建物ほどもある巨竜。信勝は逃げ遅れて巨大な牙で抉られる。そのはずだったのだが寸の所で信長は間に入り、引き替えに右腕を巨竜に食われた。

 お陰で信勝は無傷だったのだが……。

「どうして……僕なんかをかばうんですか」
「ただの気まぐれじゃ。そもそも防御力が違う、お前なら胴体泣き別れておったかもしれん」
「僕の胴体と姉上の腕じゃ釣り合いがとれるわけないじゃないですか!」

 姉弟が向き合うベンチの両隣で沖田と龍馬が立っている。二人は時折視線を合わせて、苦笑いをした。さっきからこの調子で帰りにくい。それに信勝が信長に反抗するのはとても珍しい。

「たかが腕一つでぎゃあぎゃあうるさい、いい加減お前は部屋に帰れ」
「たかがじゃありません! 僕のせいで怪我をした姉上を放っておけるわけないじゃないですか!」
「平和ボケも大概にしろ。腕の一つや二つ、サーヴァントならすぐ治る。こんな怪我どうでもいいのにしつこい!」
「どうでもいいって……どうしてですか? 姉上はどうして、どうしてそんな言い方……」

 頭の中で悲しみがスパークして信勝は頭よりも先に身体が動いた。

 ぽかと間の抜けた音がする。信勝の弱々しい握った手が信長の左肩にぶつかった。

「……は?」

 弟からぶたれた。ほぼ威力はなかったが人生の初の事態に姉は思考が真っ白になった。

「そんなこという、あ、姉上なんて……き、き、き……嫌いですっ! 姉上なんて大嫌いですっ!」

 涙をためて弟はそう言った。嫌い。さらに大嫌い。その言葉を理解する前に身体が動いた。

「う……うっさいわ!」

 信長の左ストレートが直撃した信勝は吹き飛んで壁に叩きつけられた。倒れた弟が立ち上がれない姿にはっと我に返る。慌てて信長は弟の方へ駆け寄った。

「おい、のぶか……」

 しかしその前に沖田が割って入った。

「ちょっとノッブ、いくらなんでも弱いものいじめは見逃せませんよ!」

 なんとか立ち上がった信勝は「弱いものいじめ」という言葉が胸に突き刺さり、再び倒れた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 それから信長と信勝は三日口を利いていない。
 信長はいっさい弟の顔を見ず、信勝は荷物をまとめて黄金の茶室から出ていった。

「もうあんなやつ知らん」
「僕のせいで……でもあの時の姉上は間違ってる」
 そうして無視のしあいが始まった。

 しかし。

「ちょっとノッブ、なんですか急に横に座って」
「いやいや、今日は席が混んでいてな。沖田の横くらいしかあいとらんわ」

 食堂の席は半分以上空いている。沖田の席から少し遠く、斜め向こうの席で信勝が蕎麦をすすっている。五秒ほど瞬きを止めてその様子を見ると信長は目を背けて食事を始めた。

 一分後信勝もこちらに気がついたらしく何度も視線を向けてくる。一方信長は唐揚げ定食から一切視線を逸らさず沖田に適当な話題を降ってくる。

 ちっとも目を合わさない姉に弟は肩を落として食堂を去っていった。

「いやいや沖田さんを挟んでなにしてるんですか、この姉弟は」
「え? あいついたの? ちっとも気付かんかったわ~」

 とんだ白々しい天魔王である。



 茶室の前で黒いマントが揺れている。その姿にいつものようにお竜をつれた龍馬は声をかけた。

「やあ信長公の弟さん、戻ってきたんだね」
「な、なんだお前!? べ、別に僕は戻ってきてない!」

 五分以上茶室の扉に張り付いていては説得力がない。ちょうど信勝の位置からは最近テレビを占拠してパズルゲームばかりしている信長がいる。……彼女に限って視線に気付いていないはずがないのだが。

「いいから入って入って、姉弟喧嘩はよくないよ。もう信長公だって気にしてないさ」
「こ、こら、押すな!」
「おい、リョーマ、こいつ妙に力強い、いやしつこいぞ」

 肩の骨が砕けないようにお竜が手加減しているお陰で信勝はしぶとくドアノブにしがみついていた。あの場に居合わせた龍馬は妙な使命感があった。姉弟喧嘩はしない方がいい。……かつて自分が強い姉にくっついた泣き虫の弟だったからかもしれない。

「大丈夫、謝ってしまえばすぐ元通りだよ……こういうのは弟の方から折れる方が無難だよ?」
「お、お前が僕の何を知ってるんだ!? これはちょっと忘れ物をしただけだ!」

 そういってちびノブの整備品(スパナ)を持ち出して一目散に逃げていった。なにがいけなかったんだろうと龍馬は顎に手を当てた。これでも姉を慕う弟の気持ちは割と分かるつもりなのだが。

「あー、負けたわ、ちっ……なんかうるさいのがきたせいで。いやなにも聞こえとらんが」

 信長はコントローラーを投げると空のコーラのペットボトルをべきぃと握りつぶした。




「「あ」」

 そんな日々で不意に廊下で真正面ではち合わせた。信長は沖田と一緒、信勝は一人だった。

「あ……姉上」

 信勝は目が隠れるよう帽子のつばをさげる。信長はようやく謝る気になったかと腕を組んでふんと顔を逸らした。

 しかし少しににやけた信長の顔を見ることなく下を向いたまま信勝は姉の横を小走りで逃げていく。

「あいた!?」

 横を通り抜ける前に信勝は転んだ。つまづいたのではなく信長が弟のマントの端を思いっきり掴んだせいだ。床で赤くなった鼻頭を涙目で押さえる信勝に沖田の方が反応した。

「ちょっとノッブ、これじゃいじめです! 弱いものいじめは……」
「う、うりゅさい! この前といい、誰が弱いものだ!」
「え、えーと……いや、それは、ほら、レアリティとかとかATKとかそういう問題で……」

 庇った相手から苦情が来て沖田の方が当惑する。信勝がよろと立ち上がると仏頂面の信長が口を開いた。

「おい……信勝」
「なんですか……?」
「……最近ちっとも見かけんが飯はちゃんと食っとるのか?」

 毎日自分の横で見てるだろーがという言葉を沖田はなんとか飲み込んだ。これで仲直りすればこれ以上巻き込まれずにすむ。

「別にサーヴァントに食事は必要ありません。霊体化していればどうってことないです」
「は? そういう問題ではなかろう」

 なぜか食事をしている程度のことを隠す信勝だった。信長のせいで毎日食事風景の見ている沖田はツッコミを精一杯耐えた。こういう姉弟喧嘩は少しの会話の糸口でぐだぐだに解決するはず……。

「ちゃんと食え。そんなことだからいざという時に転んだりするんじゃ」
「今のは姉上が引っ張ったからですよ」
「い、今のはノーカンじゃ。お前が逃げるから……」
「そんなことより、姉上こそ、その腕の方は治療されましたか?」
「そんなことこそどうでもいいわ! お前はまず日頃の健康管理が……」
「そんなことってどういうことですか! 姉上の健康状態以上に大切ことなんてこの世にありません!」

 姉弟はお互いそっぽを向いていたが言い合ううちに少しずつ互いの方を向き、最終的に真正面で言い合いを始めた。少し離れて廊下の壁で沖田は傍観した。

 もう少しで終わる。耐えろ。姉弟ケンカが弟観察に信長にパーテーション代わりにされる日々も終わる。いいからさっさと終わってくれ。

「かけ蕎麦いっぱいで腹が膨れるか! 来い、そんなに食わないなら茶室に菓子があまっとるから……」
「離してください! 大食らいの姉上の菓子をもらえません!」
「お、大食らいまでいかんわ馬鹿たれ! ああもう……聞き分けのない奴は嫌いじゃ!」

 嫌い。売り言葉に買い言葉。言った信長も深く考えてはいない。しかしその言葉に真に受けた信勝は目を見開き、涙が滲む前に姉から顔を背けた。

「そんなの知ってます! 昔から僕は姉上の牛追いかけっこで足手まといでしたから!」
「勝手に終わらせるな! なにを考えているかわからん、もっとわかりやすく生きろ!」
「いい加減マントを離してください! どうしてご自分の怪我をどうでもいいって……姉上の馬鹿! 嫌いならほっといてください!」

 とっさに信勝は再臨を水着にかえてマントを消し、信長の手から逃れた。そうして今度こそ信勝は走り去っていった。

「ちょっとノッブ、追いかけてくださいよ。これじゃ終わらないじゃないですか」
「……誰が馬鹿じゃ。お前こそ馬鹿じゃし阿呆だし、き、嫌いとか……」
「おーい?」

 姉は滅多にない弟の「馬鹿!」から三日前の「嫌い」「大嫌い」を思い出し、想定外に凹んでいた。沖田は肩を落とす……意地っ張りはそっくりな姉弟であった。




 かくして姉弟のにらみ合い、もとい覗き合いは続いた。間に挟まれることの多い茶室のメンバーは時に呆れ、時に苦笑し、時に心底迷惑がった。もっとも間に挟まれることが多い沖田が一度キレたので斉藤が仲裁に入る羽目になった。

 結局そんな状態が一週間続いた。

 信長は一週間茶室でテレビゲームをしている。連鎖が組めるパズルゲームが気に入り、連鎖スコアの自己更新を続けている。

(まだ来ん……おかしいな)

 信勝が謝りに来ない。なにがあっても弟は最後は泣いて姉の元へ帰る。それは昔からのお約束のようなものだった。絶対に来ると確信して、ゲームでもして待つかと思ってもう一週間がたった。

「???」

 まさか来ない、なんてはずはないのだが。




 いい加減口を開いたのは一番付き合いの長い沖田だった。

「ノッブ、いい加減信勝くんと仲直りしてくださいよ」
「よっし! 今度こそ五十連鎖じゃ!」
「電源切られたいんですか?」

 大正風袴姿でゲーム中の信長の横に座る。魔王陛下はこの一週間茶室のテレビを占拠している。見たいテレビがあるメンバーは何度か文句を言ったが止めると火縄銃を向けてくるので独占は続いている。

「電源はやめろ! ……信勝? 誰じゃ、そんなやつは知らん」

 信長はかなりだるだるらしく黒い軍服ではなく赤いバスターTシャツに青いジャージのズボンをはいている。周囲にはコーラの瓶とポテトチップスの袋が散らばっている。堕落しきった有様に沖田の目がどんどん冷たくなっていく。

「荒むくらいならさっさと仲直りすればいいじゃないですか」
「別に荒んどらん……大体なんだあいつ、スズメみたいな量しか食わん。だから竜なんぞに不意などうたれるんじゃ。昔からあまり食べんし、そのくせ寝込むと数日起きぬ。いや、そんなやつはしらんが」

 昼食のサンドイッチ一つ残しただけで随分な言いようだ。結局また沖田の横で昼食の様子を盗み見ていたので沖田だって知っている。

「誰かは知らんが昔から体力がなさすぎる。足は遅いしすぐ転ぶ。臆病なくせに妙なところで無茶するし、なにをしでかすかわからん」
「知らない人の健康事情についてとても詳しいですね」

 沖田の冷たい目線にそっぽを向く。信長はそのままパズルゲームの連鎖スコアを上げ続けている。

「えいっ」
「こ、こら! 今、三日ぶりの新スコアが……!」

 神速の右手がコントローラーを取り上げる。流石に近距離の速度で沖田には敵わないので信長は得意の口八丁を繰り出す。しかしその前に沖田の左手が信長の顔にぺしっと一枚の封筒を張り付けた。

「はっきり言います。茶室の雰囲気が気まずいので仲直りするか、即刻茶室を出ていってください」
「気まずい~? そんな神経の細い奴ここにはおらんわ」
「これは茶室のメンバーの総意です、全員分のサインもあります」

 信長が渋々封筒を開くと本当に全員分の名前があった。便せんの内容は「織田信長に対する抗議書 即刻テレビの独占をやめろ。もはや数人で宝具を撃つこともいとわない。火曜日のドラマが見たかった。」だ。

(やべ、謀反直前じゃん)

 謀反ケージ、もといヘイトがたまっている。テレビを奪ったのはまずかったか。確かにこの一週間ゲームを止められると追い払っていたが……。

「正直、今のノッブは博打に負けてうだうだ言ってるダーオカよりうざいです」
「そ、そこまで酷くいないわ! ……そもそも仲直りしてこないのは信勝の方じゃ。ほら悪くない、わし無罪」

 沖田が残像が見える速度でコントローラーを移動させるので信長は諦めてダメになると評判のクッションに身を沈めた。横向きになると細かいビーズがさらさら流れていく音がする。

「あいつが謝りにくれば……別に許してやらんでもないのに」
「謝りにこないって信勝くんですか?」
「いつもは二日もすれば向こうから悪かったと言ってくるのに遅すぎる。あいつ病気でもしておるんじゃないか?」
「謝るっていうか、ノッブの腕の話はおいといて謝るのはノッブの方でしょ。壁までぶっ飛ばすとかオーバーキルですよ」
「わしがあいつに謝るとかそれこそ天変地異じゃろ。過去に一度も例がないわ。やったら不吉なことが起きる」

 謎の自信で断言する。ちなみに巨竜に切断された右腕は二日で奇麗に元に戻った。サーヴァント様々である。

「それはノッブがいつも正しいとかじゃなくて、自分が悪い時も謝らないで信勝さんが先に折れてくるだけでしょう」
「うるさい。おかしい……あいつにこんなに堪え性があるなんて異常事態じゃ。ほとんど一日も保たんで泣きついてくるのに」
「そもそもそれって信勝さんがいくつ時の話ですか?」
「十の時じゃが?」

 あまりに真顔で話すので沖田は本気で呆れた。

「……信勝さんの精神年齢、流石にその倍はあるでしょう。同じノリで謝ってきませんよ、普通」
「な、なんじゃと!?」

 この魔王やはりだたのうつけなのでは。




 しゅっしゅと小刀で竹を削っていく。竹のしなやかな繊維は慣れぬ手には時々跳ね返ってくるから手に力を入れすぎてはいけない。最初は切りすぎてダメにしてばかりだったが少しずつうまくなった。今度こそ奇麗に……。

「のーぶ勝くん! 今日は元気かな!」
「うわあっ!?」

 元気よく肩を叩かれて人差し指を切りかけた。

「あ、危なかった……卑弥呼、いきなり叩くなよ!?」
「お、今日は元気だね。昨日はしおしおに暗かったからよかった」

 信勝が振り返ると卑弥呼がおにぎりをのせたトレーを持って立っている。ここはカルデアのはずれの倉庫の中だ。卑弥呼はほっとした。昨日の信勝は乾燥剤をまいたわかめのようだった。

 茶室を出た信勝は日用品の倉庫の隅で寝泊まりしていた。茶室を出た当初は「僕なんかのせいで姉上が怪我するなんて」「しかも逆らうなんて」「なんで生きてるんだっけ?」と夜な夜なつぶやき、倉庫の闇を濃くしていた。

 数日後卑弥呼が発見した時は重い闇をまとっていたのでエネミーと見間違い卑弥呼パンチで祓ってしまった。

「また食事を持ってきたのか、悪かったな。置いておいてくれれば食べるから……げぇっ!?」
「そういってこの前放置しておにぎりダメにしたの誰? 作ってくれたエミヤ料理長は泣いてるわよ!」
「わ、悪かった! だからまた口に詰め込むのは止めてくれ!」

 前回は三つまとめてだったので医務室に運ばれた。大人しく手を止めておにぎりを食べ始めた信勝に卑弥呼はにかっと笑う。そして彼がさっきまで手に持っていたものに気がついた。

「これなぁに?」
「なにって……見て分からないのか?」

 卑弥呼の時代には存在しなかった図面のコピーと竹と小刀が倉庫の隅に転がっている。仕方ないから英霊の座に訊くかと卑弥呼が思う前に答えが返ってきた。

「へえ、これは風車だね」
「ひょえ?」

 卑弥呼が振り返るといつの間にか龍馬が立っていた。お竜もいる。彼はさっきまで信勝が削っていた竹を持っていた。

「ま、またお前か……どうして」
「いやあ、姉を慕う弟の身としてはあまり他人事とは思えなくてね」
「……姉を慕う弟?」
「そうだよ、姉を持つ弟は意外と身近にいるものさ」

 心を閉ざし気味の信勝にも妙に警戒心を抱かせない笑顔を向けられてつい数歩の距離を詰められる。

「へえ、君もお姉ちゃんがいるの?」
「そうだよ、邪馬台国の女王・卑弥呼。強い姉にいつもくっついてる弟だったんだ」
「お竜さんもいるからな。リョーマの姉ちゃんへの鬼手紙は昔からだかな」
「そんな鬼電みたいに言わなくても」

 隙を見つけて逃げようとする信勝の襟首を卑弥呼がひっつかむ。

 会話を聞きながら信勝は英霊の座から龍馬の情報を取り出す。坂本龍馬。維新の英雄。日本初の海軍の創設者。ざっとそんな知識を得る。

 その中に「日本における知名度は織田信長と同格」というものがあってむっともするが、今の状況では別のところに落ち込む……姉を持つ弟でも自分とはちっとも違う弟だ。

(いいな、僕がこいつだったら姉上も弟がいてよかったって思ったかもしれない。維新なんだかしらないが英雄と呼ばれたなら、こいつの姉は弟がいて嬉しかっただろう)

 くだらない空想だが同じ姉を持つ弟と言われると考えてしまった。本来の英霊とまがいものの自分を比べても仕方ないが……自分がちゃんとした英霊なら姉だって怪我をすることもなかったはずだ。

「……なにしにきた?」

 信勝が逃げるのを止めたので龍馬は口を開いた。

「思い出しちゃったんだ。姉さんと喧嘩した僕が町の外で一夜を明かして、翌日大泣きした姉さんに見つけてもらったことを」

 帰れなくなった夜の野原の隅で早く姉の元に帰りたかった風景を今でも鮮明に思い出せる。




「あのですねえ、こういう時は年上から折れるものですよ。グーパンで壁に叩きつけたんだからノッブが謝るべきでしょう」
「トドメを刺したのはお前じゃがな」
「なんの話です?」

 沖田のありがたい説教を両腕で耳をふさいで聴かない第六天魔王。おかしい。これではまるで自分に否があるようではないか。

(あいつが悪いんじゃ。紙装甲のくせに竜の口の前で転んだりするから。こっちが折れたらますます気をつけんようになるかもしれん……それに絶対あいつが悪い)

 あれで「大嫌い」と言うなんて必ず絶対永遠不変未来永劫に否は向こうにある。大体今回の件に好きも嫌いも関係ないのになぜ大嫌いなのだ。そもそもサンドイッチもろくに食べきれないで大体昔から(以下愚痴モノローグが続く)。

 まだ沖田がガミガミ怒っていたのでつい揚げ足を取る。

「沖田、自分がお前末っ子属性だからって信勝に肩入れするのであろう」
「は?」
「なるほどなるほど、確かに土方も斉藤も兄のようなものじゃろ。さすが人斬りサーの姫、末っ子属性か。しかしそれをヒトの家にまで当てはめるのは……」
「なにいってるんですか、このノッブは。そもそも斉藤さんは私より年下ですよ」

 しまった。現在の見た目に惑われた。信長が答えに窮していると沖田も少し気まずげに視線を横にずらした。

「まあ確かに……実家には姉さんが二人いましたが」
「それじゃ! やっぱり自分の話を他人にあてはめとるだけじゃろ! よって折れるのは年下、つまり信勝でいい!」
「それこそ関係ないでしょ、いい加減にしてください! この距離ならノッブに団子の串刺さりますからね!」
「うー、こわ。やっぱ人斬りサーの姫だわ。わしみたいな生まれつきのセレブ大名には理解不能じゃ……のう、土方、お主だって年下が折れるべきだと思わんか?」
「……俺か?」

 唐突に話を振られた土方は部屋の向こうで将棋中だった。対戦相手は斉藤でどうも負けているのは土方らしい。

「うんうん、分かるぞ。貴様だってこのじゃじゃ馬と長年の付き合いで年下が譲るべきと思っているはず……姉も兄も下姉弟に色々面倒を」
「俺は十人兄弟姉妹の末の子だが?」
「なんじゃと!? う、裏切り者(?)め……じゃあもう斉藤でいい! お前だって下の兄弟の一人や二人……」
「あー、その、はじめちゃんも正真正銘の末っ子なので」
「名前が一なのに!?」
「一月生まれなんで……」

 関わりたくない一心の斉藤の言葉に信長はよろめいた。

「なん……じゃと?」

 この茶室、実は末っ子しかいない?




 しょりしょりしょり。

 倉庫の隅で信勝と龍馬が竹を小刀で細く削っている。卑弥呼とお竜は参加せず、横で見学している。

「あ」

 また竹を切りすぎてしまい、信勝は肩を落とした。

「ていうかなんでお前もやってるんだよ」
「風車なんて懐かしくてね。子供の頃を思い出すよ、以蔵さん覚えてるかな」

 風車。木の棒に風が吹くとくるくる回る回る細工を取り付けた玩具。日本にやってきたのは平安時代と言われている。

「この前といい、お前なにをしたいんだ」
「言っただろう、僕も姉さんが好きな弟だった。だから姉弟喧嘩が続いてると気になるんだよ」

 にこにこ笑いながらも自分より手際よく竹を削っていく龍馬に信勝はむっとした。

「ふん、お前が自分の姉をどう思おうが知ったことじゃない……姉上をそのあたりの人間と一緒にするな」
「そうだね、乙女姉さんは普通の人で信長公とじゃ比較できない。まあ僕を相撲で泣くまで叩きのめしたり、女ってことを隠して相撲大会で男を何人を投げ飛ばしたりはしてたくらいだよ」
「……姉上が凡人と同じじゃないのは当然だが、そこだけは似ているかもしれないな」
「え、そこで納得しちゃうの?」

 弟二人が謎の納得をしている横で一人納得していない姉一人。なんとなくイノシシと殴り合って何事もなく帰ってきた時に「ええ、姉上はご無事だと思っておりました」と言った弟の声が蘇る。

「こうして風車を作っているのは信長公のためかな?」
「……関係ないだろ」
「え、信勝くん、信長ちゃんと喧嘩してたの?」

 信勝は口をつぐんだが、龍馬が喧嘩の顛末を話すと卑弥呼は首を傾げた。

「えー、なんで信勝くんが怒るのかわかんない」
「なんでだよ」
「だって弟が怪我しそうになったらお姉ちゃんは助けるでしょ」
「姉上が僕なんかのせいで怪我していい訳ないだろ!」
「なんでよー、お姉ちゃんは弟を守るものでしょ」
「お前のうちと一緒にするな! ちょ、やめろ、頭蓋骨が砕ける……!」
「まあまあ、まあまあ」

 卑弥呼が軽くこづく感覚で頭に手をおくと信勝がもがき苦しみ始めた。龍馬は風車を作る手を止めて助け船を出した。

「僕は弟さんの気持ちも分かるよ。自分が原因で姉さんが怪我したらありがとうなんて言えない。なんてことしてしまったんだって塞ぎ込むかもしれない」
「……」

 信勝はきれいに内心を言い当てられて見まいとしていた龍馬の顔を一度振り返ってしまった。

 えー? と卑弥呼は首を傾げる。まさか自分と違うはずの存在に理解されるとは思わず信勝は目を見開いた。姉と弟だから……なのだろうか。

「……やっぱり僕は姉上の迷惑なんだろうか」
「まさか」

 そんな存在をかばって腕など失わない。怪我をした後も気遣って先に部屋に帰らせようとしない。けれど龍馬も気付かなかった。かつて姉が弟の痛みを自分の痛みと同じように感じていると分からなかった。

「僕は子供の頃、泣き虫で武道も苦手だった。そんな僕を姉さんはいつも叱ったり、傍で色んなことを教えてくれた。それなのに僕は弱いままよく申し訳なく思ってた」
「……お前になにが分かる」

 子供の頃は少し似た姉弟だったのかもしれない。強い姉にくっついてばかりの泣き虫の弟。けれど大人になれば龍馬は英雄になり、信勝は最後まで足手まといの弟だった。今の気持ちなんて分かるはずがない……。

「分かるよ、怪我をさせて顔を見ると辛くなったんだろう? 挽回するまで姉さんのところには帰らないと思ってたり」
「な……なんで知ってる?」

 また心を読まれた。一周回って不気味になってきた信勝の顔に龍馬はまたやってしまったかと苦笑した。生前からこうしてなにを考えているか分からないと距離をとられがちだ。

「経験者は語るってやつだよ。後から意地を張らないでもっと早く謝っとけば姉さんを悩ませずにすんでよかったって後悔したのさ。だから多分弟さんも後悔するよ」
「お前に僕の未来まで分かるもんか!」
「あ、なんかでそれ当たりそう……うーん、託宣がここまで」
「お前がいうと本当に当たりそうだから止めてくれ!」

 卑弥呼がこめかみに手を当てて目を閉じると信勝も冷や汗をかいた。

「……お前の姉はどうして悩んだんだ?」
「ん、僕の姉さんのことかい?」
「だから、その、言っただろう……早く謝らなくて悩ませたって」
「そりゃ、姉さんも早く仲直りしたかったからだよ。姉は姉で弟に素直になりにくい時があるんだよ」
「……やっぱりお前の姉と姉上は全然違う。姉上は仲直りなんて望んでない。僕がいなくなっても特に変わらないさ。いつだって他にいくらでも周りに人はいるんだから」

 けろっと言い放つ龍馬にぷいと信勝はそっぽ向いた。気が付くと風車を信勝は一つも作り終えられず、龍馬は二つ作り終えていた。

「そもそも僕なんかのことであのすごい姉上が悩むはずないだろ。昔からそんなつまらないことで悩んだことないんだからな!」
「……」

 現在進行形で悩んでるだろとは表情にも出さない龍馬であった。




 結局、信勝は今日も風車を完成させられなかった。

 落ち込む姿にその横で一ダース風車を作った龍馬は首を傾げた。この程度の細工ならちびノブのメンテナンスをできる信勝ならとっくに完成させているはずだが……完成というところで力が入りすぎて失敗を繰り返している。

「信勝くん、これができなかったからってまだ茶室に帰らないつもり?」

 見よう見まねで卑弥呼も一つ風車を完成させていた。赤い羽を信勝の前に掲げる。結構うまい。

「もうあたしが作ったこれ持っていきなよ」

 三人は廊下を並んで歩いている。お竜は龍馬のそばに寄ったり、周囲を旋回したりしていた。

「自分で作らないと駄目なんだ……というかなんだこれ」
「なにって寝袋だけど。かわいいわよね~、この生き物」

 なぜか信勝はシャチの着ぐるみを着ていた。デフォルメされてかわいらしい作りをしてるがなぜか牙だけは妙なリアリティがある。ちょうどシャチの口の部分から顔を出している信勝は作り物の牙がぎらりと光る度に妙な汗が出た。

「いや、寝袋のあまりがこれしかないみたいでね。すごいよね、着たまま歩けるなんて」
「……なんかその魚、うまそうだな」
「ちょっと! お竜さん待って!」

「倉庫の床で寝るのはいい加減に止めろ」と二人は信勝をカルデアの自室に両脇を掴んで倉庫から連れ出した。信勝は抵抗した。自室には姉の私物がいくつか置いてあり、万一取りに来たところにはち合わせしたくない。

 強情さに匙を投げた二人は龍馬の部屋で寝袋で寝ることで妥協した。卑弥呼も気軽に誘ってきたが一応女性なので断った。そして寝袋がシャチデザインしかないので信勝が着たまま運ぶ羽目になってる。

「もこもこするし歩きにくい。こんな変な姿、姉上にだけは見られたくない……あっ」
「……あ?」

 またばったり信長と信勝は廊下ではち合わせた。信長の横には仏頂面の沖田がいる。そして信長も妙な着ぐるみを着ている。

「「ペンギン?」」

 指さした卑弥呼と龍馬の声がハモる。

「ええい指さすな! ……ほっとけ」

 なぜか魔王はペンギンの着ぐるみを着ていた。

 信長はついに今夜のドラマをみたい一派から茶室を追い出された。さらに荒んだ生活をしたせいで自室がペットボトルで埋まって寝る場所もない。

 仕方なく今夜は沖田の部屋に寝袋で寝ることになったのだが寝袋が着ぐるみペンギンデザインしかなかったのだ。

「なんじゃお前、変な格好しおって」
「み、見ないでください~!」

 信長はびしっと信勝を指さした。といっても着ぐるみのせいでペンギンの右フリッパー(ペンギンの翼のこと)を向けたようにしか見えないが。

「いや、着ぐるみはノッブもでしょ」
「海のギャング気取りとは遅くきた思春期のつもりか。ふん、シャチなど海にばっかり潜ってペンギンの人気にはほど遠いというに、なぜシャチなど選んだ。どこまでも愚かな弟よ」
「シャチに恨みでもあるんですか?」

 姉(ペンギン)は弟(シャチ)に謎の海洋生物マウントをとった。また信勝は立ち去ろうとしたが着ぐるみが邪魔でその場でじたばたすることしかできない。

 多分これが素直に仲直りできない姉だ。卑弥呼と龍馬は互いに目配せした。これは周囲の仲裁で仲直りするチャンスかもしれない。

「こんばんは、信長公。今日は弟さんと少し話してね。えっと……」
「やっほー、信長ちゃん! ねえねえ、信長ちゃん、これ好きなの? あたし今日初めて見よう見まねで作ったんだけど」

 龍馬が探るより卑弥呼が距離を近づける方が早かった。風車を眼前にした信長は首を傾げた。

「風車?」
「そうそう、今日は三人でこれ作ってたんだ」

 さっさと他の人間と仲良くしてる弟に姉は表情に出さずいらっとした。こっちはイライラしているというのに。ペンギンの足が地面をげしげし蹴り始める。

「これ息を吹きかけるとくるくる回っておもしろいわよね、信長ちゃんが好きそう」
「いや、別にわしは好きじゃない。風車が好きなのは……」
「好きじゃない……?」

 シャチの口の中で信勝は虚を突かれた顔をした。かつて姉は風車を手にしたとき楽しそうで……そうか、とっくに過去の話だったのだ。

「おい、勝手にどこに行く」
「……姉上の進路のおじゃまかと」

 シャチの尾から生えた弟の足を姉のフリッパーが妨げる。

「言われてもないことを勝手に決めつけるな。お前の悪い癖じゃ、こっちからすると考えてもないことを妄想されて不愉快極まりない」
「……不愉快なら尚更早く退散しますから手をどけてください」
「不愉快なのは別におまえ自身のことじゃ……あーもう! めんどくさい! この際言うがお前なぜさっさと謝りにこん!?」

 もう一度フリッパーをびしっと向ける。ペンギンのくちばしの下で信長の眉がきりきりと上がっていく。

「謝るもなにも……謝るようなことなんにもないですよ」

 大切な人を怪我させて謝ってすむ問題ではないと信勝は顔を背けた。今でも目の前で姉の腕が血だらけになった光景を鮮明に思い出せる。

「話すことなどなにもない……じゃと?」

 一週間前の「大嫌い」という言葉が胸に黒いシミのようによみがえる。

「もういい。お前に期待したわしがうつけだったわ」
「……僕に期待?」
「ああ、そして期待はずれじゃった……そいつらと好きにいつまでも遊んでおるといいわ」
「待ってください、僕になにを……別にこの二人とは遊んでいた訳じゃ」
「もういいといっておる、しつこい奴は嫌いじゃ」

 嫌いという言葉に信勝の足が止まる。信長の足が速くなり、沖田が追う。

「ちょっとノッブ! いい加減にしてください!」

 そういって姉弟はまたすれ違って、離れていった。

「あれ、もしかして……あたしのせいだったり?」

 風車を持つ卑弥呼の頬を汗が一筋伝った。





 信勝たちと離れたあと信長は沖田と喧嘩になった。

「いい加減にしてください! この、ノッブの駄目姉ちゃん!」
「お前の姉ちゃんになった覚えはないわ!」

 こうして沖田の部屋に泊まる話はなしになった。

 そして信長が茶々の部屋を訪れた。ペンギンの寝袋は肩に担いでいる。

「茶々、すまんが床でいいんで一泊……」
「茶々は叔母上がさっさと謝ればいいと思う~」
「まだ何も言ってないじゃが!?」
「ま! 茶々はどうでもいいけど! やっと叔母上が出て行ってくれたから茶室で火サスが見れるし!」
「もっと叔母を気にしてええんじゃぞ?」
「叔父と叔母の喧嘩を気にする姪って微妙~、ドロドロしてまるで火サスだし。ていうかそのぬいぐるみ激かわなんですけど!」

 ペンギンは気に入られたようで助かった。沖田との攻防の末信長はぼろぼろになっていた。帽子は吹き飛び、髪はぼさぼさ、そしてなぜかマントに三本も団子の串が刺さっている。明らかに先週信勝を庇ったときの怪我の五倍ダメージを受けている。

「くそ、あの人斬り足ばっかり速いくせに……頸動脈食いちぎってやるんじゃった」
「茶々グロいの嫌いー」

 茶々はこっそりため息をつく。姉弟喧嘩が長引いているのは知っている。しかしそんなに苦労するならさっさと頭の一つでも撫でればいいだろうに。自分の妹たちに比べれば叔父なんてチョロい。なにしろ菓子も贈り物もなしでいい、安上がりだ。

「別に茶室で寝てもよかったが、あの茶室には末っ子しかおらんからわしには肌が合わん」

 別に全員がそうというわけではないのだが新撰組が全員末っ子という事実はわりと衝撃だった。信長自身混じりっけのない長子ではないのだが三姉妹の長姉の茶々の顔を見たくなった。

「ま、床くらい好きに使っていいし……叔母上」
「……なんじゃ、わしは悪いくないから謝らんぞ」
「大体の喧嘩はどっちが悪いじゃないでしょ、特に兄弟姉妹の喧嘩なんて。どっちが先に折れてうやむやにするかだけ、自分から折れるのが早いってわかった方が大人だし」
「……ぐう」

 超現実的な長姉の意見にぐうの音も出ない(出た)。

「そもそもなんで喧嘩なんかしたわけ? 叔父上が叔母上に反論すること自体レアなんですけど」
「……あいつが悪いんじゃ」

 信長はそこは譲らなかった。そして一週間前の出来事をぽつぽつと語った。

「なにそれ、ただのハズい話だし」
「ハズいってなんじゃ」
「ようは叔母上はこういいたいんでしょ。叔父上が怪我しなくてすんだのになんで怒るんだって」
「それ以外になにがあるんじゃ」
「叔父上は叔母上が自分の怪我なんかどうでもいいいとかいうからキレてるだけだし……ま、叔母上はわかんないんだろうけど」
「……は?」

 ようやく信勝がなにを意固地になっているのか理解した信長は言いよどんだ。本当にさっぱり気が付かなかった。否。なぜ怒るのかという気持ちで頭がいっぱいなままで他のことがなにも入らなかった。

「まさかと思うがあいつ、まさかわしに怒っておるのか……本気で?」

 脳内で「信勝 怒る 解決」で検索するがなにもヒットしない。拗ねること駄々をこねることはあったが、本気で怒ったことなどなかった。

「叔母上、昔と同じやり方してるなら止める方が無難かも」
「な、なぜじゃ」
「下の兄弟姉妹なんて、姉がやったことなにも覚えてないことの方が多いし! びっくりするくらいこの前喜んだこととか忘れられるのが上兄弟姉妹の宿命なのよね」
「……べ、別に昔のことなんぞ忘れた」
「茶々は全部叔母上の好きにすればいいと思う、めんどいし。ま! どうなっても茶々は知らないけど!」



 そのまま茶々の部屋に泊めてもらった。照明をオフにすると床の上にペンギンの寝袋が何度もごろごろと寝返りを打つ。眠れない。

(まさか……あいつ、本気で謝りに来ないつもりなのか?)

 ようやくそこに辿り着く。太陽が東から登るように、喧嘩の終わりはいつも弟の泣き声混じりの謝罪。世界はそう言う風にできている。はず、だった。

(そんな馬鹿な……信勝のくせに本気で怒るとか!)

 ありえない。人理の崩壊だ。宇宙の法則が乱れている。ゲームをしていたのは横で見ているうちに謝ってくるだろうと……どうすればいいかさっぱりだ。

 結局信長は脳内検索を夜明け前まで続ける羽目になった。





 一日が過ぎ、また倉庫の隅で信勝は風車を作っていた。

「お前、また来たのか」
「僕の部屋からいなくなったから気になってね」

 後ろで龍馬が風車を持って立っている。本当に気配なく現れるので心臓に悪い。泊めてもらって黙って出て行くことが多少後ろめたい信勝は帰れと言えなかった。

 珍しく今日はお竜がいない。卑弥呼もいないので龍馬と信勝の二人きりだ。

「おい、横に座るな」
「じゃあこっちで……風車を作るのが思いの外楽しくてね」

 そういって向かいに座る。本物の英霊のくせに意外と子供っぽい。龍馬がもう慣れた手つきで一つ完成させる横で信勝はまた完成直前に壊してしまう。どうして……卑弥呼だって昨日完成させていたのに。

「昨日の話だけど……もしかして信長公のこと怒ってるのかな?」
「なんだ、藪から棒に」
「本人とはいえ、大事な姉さんが怪我したことをどうでもいいって言われて許せなかったとか」
「……違う」

 信勝は作り始めた風車の棒の部分をぎゅっと握りしめた。

「お前だって見てただろ。僕が間抜けだったから姉上は怪我をしたんだ。怒ってるわけじゃない……ただ姉上が怪我をどうでもいいっていうなら僕が傍にいる限り怪我するってことだから……」

 情けなくて手に力がこもる。すると細い竹はまたぼきりとおれた。

「じゃあどうして風車を作ってるんだい? 仲直りのためじゃないのかな」
「違う。これはお礼だ。あの時姉上が助けてくれたことへの。どんな原因であれ姉上が僕を助けてくれたんだから……ただ昨日、好きじゃないっていってからもう止めた方がいいかもな」
「……」
「ちゃんとした英霊のお前から見たら馬鹿みたいだろう。姉上が怪我をしたのは僕のせいだし、作ろうとしたものは昔好きなだけのものだった……全部駄目だった、失敗したんだ」

 信勝の手は止まっている。泣いているのかと龍馬がそっと視線を移動させると泣いてはいなかった。ただ風車を作る手が止まったままだ。

「誰だって失敗することはあるよ」
「……」
「君は英霊は失敗しないと思ってるようだけど、それは違う。大抵英霊は誰よりも失敗を繰り返して英霊になったんだ……ああ、もちろん信長公はのぞいてだけど」

 そこが地雷であることは心得ている龍馬だったが信勝は文句を言わずじっと話を聴いている。倉庫の壁に背を預けて立て膝の上に頬を乗せてじっと赤い瞳を龍馬に向けている。

「名を馳せた英霊ほど失敗を繰り返した上になにかを成し遂げる。失敗から学んでこそ成功は実るんだ。君は失敗してもうだめだって思ってるかもしれないけど、そこで立ち止まっちゃ駄目だ。一つも失敗しないで目的を成し遂げることはできない」
「……お前も失敗したことがあるのか?」
「僕? 僕の人生は失敗の方が多いんじゃないかなあ。もちろん成し遂げたこともあるけど、今でもあの時ああしておけばと後悔することはあるよ」
「そんななんでもなさそうな顔をしているくせに」
「いやいや、これは元からそういう顔なんだよ。あはは、昔からよく言われた。なにを考えているか分からないって、大したことは考えてないんだけどね」
「……変な奴」

 自分とは違う混じりけない英雄のくせに後悔することの方が多いなんて妙なことを言う。それでも嘘だと思えないのは後悔と言ったときの目が悲しそうだったからだろうか。

 龍馬は立ち上がって帽子をかぶった。今日完成させた風車は二本。それをじっと見ると一つを信勝に差し出した。

「あげるよ、これを信長公に持っていきなよ。もう一つはお竜さんにお土産にするから」
「い、いらない……自分で作らないと意味がないだろ」
「一度や二度の失敗でくじけるな……僕の姉さんの言葉だよ。こんなに後悔している弟さんなら同じことは起きない、起こさせない、次からそう行動すればいい。じゃあね、お竜さんを待たせてるから」
「……」
「心配はしないよ。僕だってもう少し死ぬのが遅かったら、傍にいる時間が長ければ少しでも姉さんの傍にいただろうから。……姉さんと一緒にいられる時間を大切に」

 反論が喉まで出るが信勝はなにも口にせず、龍馬の白い制服姿を見送った。倉庫で一人きりに戻ると信勝は赤い風車をじっと見下ろした。

 一度や二度の失敗でくじけるな。
 それは信勝もかつて姉に言われた言葉だった。姉にとってはどこの弟も同じようなものなのだろうか。




 非常に珍しく黄金の茶室には誰もいなかった。巨大特異点でも発生しているのだろうか。

「なんじゃ……いつもうるさいくせに」

 急に広くなった部屋で信長は遠慮なくゲームの続きを再開した。なんとなく気に入ったペンギンの着ぐるみを着たまま、ペンギンのクチバシから肩をだしてコントローラーを握る。時々ゲームの手を止めて、ペンギン形態で茶室の端から端へ転がってみたりした。

 今日も信勝はやってこない。ずっとそうだ。茶室の前で龍馬に声をかけられた一回きりだ。昔から変わらなかったことが変わると調子が狂う。

 茶々の言葉を思い出す。上兄弟姉妹の想いなんて下兄弟姉妹はちっとも覚えていないものだ。それが年齢差というものだ。そうなのだろうか……そうなのだろう。だっていつまでもこないのだから。

「……だる」

 ゲームを再開する。今度は着ぐるみのフリッパーに手を入れたままで器用に十字キーを操る。あんのじょう連鎖スコアは悪化していく。

 部屋には誰も来ない。ピコピコとゲームの音が響く部屋の静寂がいやに身にしみる。

「……やっぱりあいつが悪い」

 一週間前に信勝に言われた嫌いという言葉が蘇る。

 真に受けたわけではないけれど長い間信勝には嫌われていると思っていた。二十五年近く弟は姉を憎んだまま死んだのだと思って生きてきた。二度謀反を起こされ、切腹を命じたから当然だ。
 「後はお任せします、姉上」という言葉になにかを感じない訳ではなかったが……恨んでいるに決まっていると本能寺で死ぬ時までそれを疑ったことはない。

 それが死後になって突然「本当はいつでも味方だった」と言い始めた。傍にいた子供の頃が一番幸せだったと永遠を願った。とんだどんでん返しだ。

(死んだ後になって言いたい放題いいおって)

 過去の事実を並べれば弟は自分を憎んでいる方が自然だ。だから今の弟の言葉だけが本当はずっと姉を慕っていたという証拠になる。その口で嫌いと言われたから……思ったより意固地になってしまった。

 時折全て本能寺で炎に飲まれる時に見た夢ではないかと思う。だって殺してしまった兄弟が本心では慕っていたなんていかにも願望だ。死んだ年齢を考えるとあの時代では老人手前といったところか。その年になって急に過去を悔いる連中も多かった。あの時ああしていればこうしていればとどうしようもないことろ願い始めるのだ。

(わしはそうなるものかと思っていたのに)

 本当はずっと大好きな姉だったと。
 信勝に否定されれば。
 本当にただの後悔が見せた夢ではないか。

 やっぱり年下が譲るべきだ。昔と同じと思ってなにが悪い。昔と同じ声で姉上と呼び、同じ顔で笑う方が悪い。いつもやかましいこの部屋はらしくなく静かで……。

「……しゃーないか」

 ようやく信長は立ち上がった。




 信長は倉庫の扉の前に立っていた。
 手にしたメモは卑弥呼のもの。時々信勝と話しているから尋ねたらあっさり居場所を教えてくれた。

「……どこにおるかと思ったら」

 倉庫に入って並んだ高い棚の列を横切って信勝の姿を探す。

 いた。一番奥の列の前から三番目の棚の前にシャチの寝袋のセビレにもたれて信勝が眠っている。なぜか周囲に赤い折り紙と竹の棒が大量に散らばっていた。

「のんきに眠りおって」

 頬をつつくと「うう」と呻く。悪い夢でも見ているのだろうか。久々にゆっくり眺めた弟の顔は童顔もあって幼い。

 まるで昔と同じだ。

「……お前は昔と変わったのか?」

 沖田や茶々に言われるまでもなく。
 本当は全部昔の話だ。
 今同じなわけがない。

「わしも年をとったのかの」

 弟が昔そのままだと錯覚するなんて。
 いてほしいと願っているようだ。

 昔との違いを探して信勝の寝顔を見ているうちに信長もシャチの寝袋にもたれてそのまま眠りに落ちていった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 むかしむかし。

 信長と信勝がお互いにまだ十にもならなかった頃のこと。姉弟は喧嘩をした。理由は記憶に残らないほど些細なことだった。

「姉上、ぼくがわるかったです。だから口をきいてください~!」

 七つになったばかりの弟が廊下の向こうから走ってくる。庭の見える廊下の縁側で足をぶらつかせていた信長はため息を付く。昼餉を終えた後の喧嘩だったのに夕方になる前に謝ってくる弟に姉は呆れた。

「さすがに堪え性がなさすぎるのではないか?」
「姉上姉上、ごめんなさいごめんなさい……うわ~ん!」

 信長は手を止めて大粒の涙をこぼして横に立っている信勝に向き直った。姉が振り返ると信勝はぱっと顔を明るくして左腕にしがみついてくる。

「おい、はなせ。まだ許すといっておらんぞ」
「いやです姉上、また一緒に木にのぼりましょう、お話を聞かせてください。ぼく、ぼく……うう~!」
「なんでもかんでも泣けばすむと思うな」

 着物の裾が濡れていく。死んでも離すまいとする弟の温もりにすっと濡れた頬に触れる……まあとっくに怒りは消えていたのだ。

「……ほれ」

 風にあわせて回る赤い風羽。信勝は泣くことも忘れてその赤い風車に見惚れた。前の季節に父の土産物の風車を信勝はとても気に入り、寝るときも離さないほどだった。

「好きじゃったろ、いるか?」
「は……はい! 大好きです! 姉上、覚えていてくれたんですね!」
「まあな」
「ありがとうございます! 死ぬまで大切にします!」

 いつも弟は大げさだ。慣れぬ細工仕事で肩が凝った。しかし信勝が目を輝かせているとどうでもいいことと思える。

「こんな簡単なもので安上がりなやつだな」
「えへへ、この風車、仲直りのしるしですね……そうだ、僕も作って今度姉上にあげますね!」
「おお、そうじゃな。また喧嘩したら降伏の証にもってこい」
「もう姉上とケンカなんか絶対しませんよ! 不吉なこというのやめてください~!」

 そんな話をしている内に夕餉の時間になった。




 結局今日も姉弟一緒に寝ることになった。例によって母には渋い顔をした。しかし泣く信勝には母も弱かった。

「姉上、姉上、ぼくたちずっと一緒ですよね。だって姉弟ですから」

 寝室一つに姉弟二人に並べられた布団。弟はさっそく自分の布団を抜け出して姉の布団に潜り込んできた。信長も慣れているのでこらと信勝の頬を引っ張ると入れてやった。

「はは、どうだか。まずお前の泣き虫がなおらんとちとうるさいのう」
「お、大人になったらなおりますよ! 姉上はすごいから、きっとぼくもすごい弟になれるはず……姉上がお話しすることもきっと大人になればぜんぶ分かるようになります!」

 その頃の弟は。
 大人になれば願いは叶うと無邪気に信じていた。
 未来に自分の才能と現実に失望するとしても。
 今はこんなに姉弟仲がいいのだからこれからもずっとそうなのだと未来を信じ切っていた。

「お前が大人なあ、どんなになるやら想像もつかんわ」
「なります! 姉上がいてよかったと思える弟になります。きっとこんなに役に立つっておもってくれ……むにゃ」
「役に立つって……ん、寝たか?」

 役に立つなんて。
 こうして元気な顔を見せてくれればそれでいいのに。
 例え少しずつ信長の耳からヒトの声の意味が分からなくなり。
 その顔も声もぼやけていくとしても。

「むにゃ……あねうえ」
「まったく……いつまでもお前は変りそうにないな」

 姉は眠る弟の頭を撫で、そのまま眠った。



 結局、弟は願った凄い大人にはなれず、自分を見限った。
 姉もヒトの声の意味が薄れていき、自分とは違う人種だと弟から距離を置いた。

 姉弟は目まぐるしい現実の前に互いを見失っていった。
 どんなに愛していても自分の気持ちは自分にとっては当たり前だからわざわざ口に出さなくなった。
 だから最後は相手の気持ちが分からなくなった。

 そんなどこにでもある家族のすれ違い。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「……え!……姉上!」
「……ん?」

 目を開けると信勝があわてた顔で信長の肩を揺すっている。どうやらいつのまにか眠っていたらしい。

「どうしたんですか、こんなところで眠っているなんて」

 さっきまで見た夢は半分忘れていた。いや忘れようがないかもしれない。だってそれは自分の過去なのだから。

「……わしを起こすなんて生意気になりおって」
「なにいってるんですか、姉上は寝起きが悪いからよく起こしているじゃないですか」

 生意気な口答え。寝起きが悪い自分より早くなった目覚め。自分より大きな手の平。……なるほど昔と変わってしまった。

「こんな所で寝ていたら風邪を引いてしまいます。寝るなら早く自分のお部屋に……」
「……うっさいのう」

 仕方がないではないか。

 昔のままでいたいと願って現れたくせに全然昔と違うことばかりいう。永遠の子供時代とか、誰よりも理解しているマウントとか、駄目な家臣さえいなければずっと仲のいい姉弟のはずだったとか。正月の枕投げやラスベガスにまで現れて。

 全然子供の頃のただ泣き虫であどけない弟と違う。幼い弟はこんな変人ではなかった。……それなのに姉上という呼び方と表情はちっとも変わっていない。

(変わってないのか、変わったのかわからんやつ)

 だから錯覚させる信勝が悪い。昔のまま謝るのを待っていても仕方ないのだ。そのくせ待ちぼうけさせたのだからさらに悪い。悪いったら悪い。信長ときたら沖田にも茶々にも説教されてさんざんで……。

「のぶか……」
「ここは寒いんだからせめてこれ着ててください!」

 頭か頬に触れようと伸びた手からくるりと逃れ、信勝は姉をシャチの寝袋につっこんだ。顔の部分に当たるシャチの口から出た信長の顔は割と無だった。

「……ぬくい、せまい」
「ぬくくて大変結構です。昔から寝相でよく風邪を引くんですから」
「サーヴァントだっつーに。昔ってそれも十くらいまでの話じゃ」
「それでも心配はします……それでは」

 そそくさと立ち去る信勝。几帳面なので倉庫の床を散らかしたままなのは気になるが、倉庫を出たら入り口を見張って姉が出て行くタイミングを見計ろう。

「信勝、待て」

 信長が止める。しかし姉はその先の言葉を見つけられなかった。ずっと喧嘩の時は弟の涙の謝罪で仲直りしてきたのだ。今更どうしたらいい。

「……」

 しかし信勝は立ち止まった。龍馬に渡された風車をベルトに刺したままだ。誰にでも失敗することはある。一度や二度の失敗でくじけてはいけない。そんな自分の気持ちなど知るはずない本物の英雄の言葉が足を止める。

「あ、あの、姉上……!」

 信勝は振り返り姉の元へ戻った。着ぐるみからでて追いかけようとしていた信長が目を丸くしていると風車が差し出された。

「あ、あのこれ、もう好きではないと言ってましたが、姉上昔集めていましたよね?」
「……」

 弟は覚えていた。そして信長は思いだした。集めていたのは弟が好きだったからだ。好きなのは渡した時の弟の嬉しそうな顔だった。

「その、僕が自分で作れればよかったんですが何度も失敗してしまって……本当に今更ですが、ありがとうございます」
「……ありがとう?」
「一週間前助けていただいて。……その、僕のことなんか忘れていたでしょうが、怪我をしてまで助けてくれたのです。せめてこれをお礼に……その、忘れたでしょうが、喧嘩をしたときは持ってこいと仰ってたんですよ」

 姉はいつも人に囲まれて笑っている。この一週間一度だってつまらない英霊もどきの信勝のことなんか思い出さなかったに決まってる。

「……昔のことを覚えていたのか」
「はい」
「……そうか」

 信勝は昔のことをちゃんと覚えていた。いくつかむかつくことを言った気がしたが忘れられていないだけで全て帳消しにできる。

「それと……本当にごめんなさい。僕がまた……足手まといになったから、酷い怪我をさせてしまって」

 目端に涙をにじませたかと思うとすぐ大粒の涙に変わる。幼い頃ならそのまま泣き声に変わるそれを信勝は袖でこすり、俯くことで隠す。そういう大人になっていた。

「せっかく英霊になれたのに……姉上を傷つけてしまった。もう一緒に戦う資格なんてない」
「そんなもの、別に」

 また会えたのだから資格などいらない。そう口にしかけて、さすがにらしくないと黙っているうちに信勝は言った。

「もう一度だけ、チャンスをくれませんか?」
「チャンス?」
「また姉上と戦いに行かせてください。二度は絶対にしません。もう二度とあなたを怪我させたりしません……一度の失敗でくじけるなとかつて姉上は仰いました」
「……お前なあ」

 そんな急に人は変わらない。英霊だって同じだ。信勝は戦いの時に無理をしている。攻撃は鈍いし、足も遅い。もともと英霊になる逸話を持っていないのにこんな場所にいるからだ。

「……お前、痛かったか?」
「え?」

 こんな危険な場所までついてきてしまった。信長をどこまでも追いかけるから突然竜にかじられる世界に連れてきてしまった。

「わしが怪我をして、胸が痛んだのか?」
「そりゃそうですよ! 自分が怪我した方が……ずっとずっと痛くありませんでした」
「そうか……そうだな」

 なら自分たちはただ同じ気持ちだっただけだ。だからこそ姉の流血を見た信勝の方が痛みが大きかった。

「よし、帰るぞ。さっさとしろ」
「姉上?」

 シャチの寝袋から抜け出す。立ち上がると姉は弟の手を引いた。

「ああ、さっきのな。また共にいくのはかまわん。もう転ぶなよ。また助けるから」
「だ、だからそれはやめてくださいって……!」
「うるさい、お前が慎重になればいいだけだろう。わしの行動に指図する気か……このわしがチャンスをやるのだ、ものにせよ」
「でも、でも~!」

 ぐちゃぐちゃいう弟に信長はなぜか微笑み、ふと思い出して懐のものを差し出した。

 信勝の眼前に差し出されたそれは赤い風車だった。

「もらった、やる」

 購買で無理を言ってすぐ作ってもらったのは内緒だ。

「あ、ありがとうございます……その、やっぱり今は好きではないから集めていないのですか?」
「今でも好きだぞ」


……「わあ! ありがとうございます姉上!」


 渡した時の信勝の笑顔が好きだった。……まあ今は狐に摘ままれたような顔しかしてないが。

「……? あ、あの、僕は嬉しいです。いつも姉上にもらえるの大好きだったから……」
「さあ帰ろう、もう随分遅い時間だ……最近茶室の連中が生意気での。ちと手伝え」
「は、はい……信勝はいつだって姉上の味方ですから!」
「ははは……そうか、そうか」

 こうしてごめんもすまんもなく。
 深く話すこともなく。
 よくあることとして姉弟喧嘩はうやむやに終わった。




 その夜、茶室の中のペンギンとシャチが占拠した。

「うっはははは! よくもわしを追い出したな! 食らえ!」
「姉上を追い出すなど無礼千万! えいえいっ!」
「なんです、このうっとうしい攻撃……」

 沖田は部屋の角で頭を抱えた。茶室をヒトサイズのペンギンとシャチが転がっている。二人ともそれ以上なにをするわけでもないのだが狭いので邪魔極まりない。

「リョーマ、やはりあの鳥と魚はたべられるんじゃないか?」
「待ってお竜さん、あれは綿だから!」

 数日間信長を追い出した復讐だとかで着ぐるみが端からごろごろするので茶室のメンバーは辟易した。止めると火縄銃とちびノブで攻撃してくるし、かわいいペンギンとシャチのデザインは攻撃意欲を下げる。卑弥呼はまた呑気に笑い、茶々はまたハズいしと肩をすくめた。

 ごろごろ攻撃にうんざりして茶室を出ると沖田と龍馬が鉢合わせした。まさかこういう風に仲直りしてくるとはと沖田は呆れ、龍馬は曖昧に微笑んだ。

「こんな風に反動が来るなんて、やっぱり姉弟喧嘩はしない方がいいねえ」
「お~の~れ、ノッブ……ま、ゲームしてふてくされてるよりはマシですかね」

 そう言った沖田はいくぶん柔らかい笑顔だった。




おわり










あとがき



 ノッブは実はコミュ障なんじゃないの? と不意に思った。それで本能寺が燃えた気がする。思っただけで伝えていない、でもなぜか本人は伝えたつもり同然のケースが多い。

 本人がちっとも気にしてないだけでコミュニケーションが得意なわけではないんだろうなあ(コハと史実をみつつ)。

「二人をくっつけて書かない姉弟話ならあまり照れがでない」と思っていたが別にそんなことはなかった。十分恥ずかしい。

 途中で詰まったときに「そうだシャチVSペンギン! シャチVSペンギンで大抵のことは解決する!」となってる名残が残っており、狂気を感じる。セビレとフリッパーの戦いは描けませんでした……。



今回のノッブ

 今まで(十二才くらいまで)の謝られ方(仲直り方法)しか知らないので割と動揺した。年とるとそもそも喧嘩することがなくなっちゃうきょうだいもいるよね。

 弟に嫌いと言われると当然憎まれ恨まれていると思ってた年月が圧倒的に長いので結構ぐさっとくる。


今回のカッツ

 今までノッブ以外の姉に全く興味がなかったが卑弥呼と龍馬の話から「そうか、どこの姉も男を投げ飛ばすし、気が強いものなんだ」と世界認識が歪む。

 いつでも人に囲まれて陽気な姉を見かけては落ち込んで去っていくので、信勝がいないと探すときの姉の顔は知らない。


坂本乙女(とめ)

 龍馬の三番目の姉。文武両道で気が強く、泣き虫の龍馬の姉であり師でもあった。龍馬は生涯多くの手紙を書いたが姉の乙女に当てたものが一番多い。実物は高知県立坂本龍馬記念館や京都国立博物館他諸々にある。

 日本史でシスコンっていったら龍馬だろうというのがFGO前からの歴史認識でした。姉想いと呼ぶかシスコンと呼ぶかは個人の趣味。

 今回は「この新撰組末っ子しかいない!?」とか茶々の長姉はつらいよとかきょうだいネタを出せてよかった。きょうだいネタはまた機会があったらやりたい。