夫婦ごっこ8〜大切なものは目には見えない〜





目次

「お前の死はわしのせいか?」
「聖杯よ、姉上を助けて」
姉の願い
弟は姉の愛が見えない







【「お前の死はわしのせいか?」】





「お前が死んだのはわしのせいのなのか?」



 信長の言葉に信勝は目を丸くした。信じられない言葉だった。強い姉らしくない彼女の頬を流れている涙と同じくらい信じられない。



「は、はあ!? 何を言い出すのですか!? あ、姉上のせいって、そんなわけないじゃないですか! 僕が死んだのは姉上にはなんの関係もないことです!」



 とにかく信勝は否定した。何一つ事実と一致していない。なぜそんな突拍子もないことを姉が言い出したのか全く理解できない。



 けれど「なんの関係もない」という言葉は姉の胸に棘として刺さった。



「だが言っておっただろう。ずっとわしの味方だったと、わしに敵対する者たちを焚き付けて自分ごと殺したと。つまりお前の死の原因はわしだろう?」

「そ、それはそうですが……言い方がおかしいです。姉上のせいなんてそれじゃ姉上が悪いみたいじゃないですか! と、とにかく、これで拭いてください」



 信勝は胸の内ポケットから濡れていないハンカチを取り出して信長の頬の涙を拭った。信長は強く自分を押さえていた。これがアンデルセンの宝具の力なのか。涙が流れるだけではなく、感情が胸の内側で暴れている。凍った心を溶かすという涙だからか?



(なんじゃこれ、ずっと押さえていたものが暴れているような……ずっと押さえていた? 何を?)



 信勝に隠していた感情があるとでもいうのか?



 余談ではあるが。

 アンデルセンの宝具「雪の女王」の効果の一つである、少女・ゲルダの涙は信長が信勝に再会した時点から効力を発揮している。効果は「凍った心を溶かす」。ひいては歪んだ心や封じた感情を解き放つ。だからずっと心が壊れて「聞こえない」信勝にも信長の声は聞こえるようになった。だからこそ信勝は自分が怖くなった。



 そして信長の封じてきた感情にも少しずつ影響を与えていた。信勝には言うまいと決めていた感情が少しずつ溶けて外へ漏れていた。



 弟に一方的に頬を拭われているので姉はハンカチをひったくり、顔を背けると自分で拭いた。



「あ、あの、どうして泣いているのですか? まさか、僕のせいなのですか?」

「……涙は仕様だそうじゃ、気にするな」

「し、仕様って……何の?」

「うるさい、気にするなと言ったら気にするな。わしが泣いてるくらいどうでもいいだろう」

「そんなことできません!」



 信勝は信長の周りをうろうろと周り、オロオロと姉の周りで手をばたつかせた。その右手首を見て、信長は少し冷静さを取り戻した。



(わしは何を言い出しておるんじゃ、今更……ここに来た目的を思い出せ)



「姉上?」

「……じっとしろ」



 信長は信勝の右手首をしっかり掴んだ。自分の右手首からカルデアの繋がりであるリボンを一本解く。残りは二本。ここにはいない子供の信勝に一本、さっき出会った大人の信勝に二本使ってしまった。幸いアンデルセンは多めに予備を持たせたのでちゃんと二人分残っている。



 信勝の右手首にピンク色のリボンを三重に巻き、固く結んだ。信勝はぽかんとしていたが信長はその姿にほっとした。これで帰れるはずだ。



「姉上、これは一体?」

「……カルデアの救援じゃ。これでお前はカルデアに繋がった。お前が心の核ならこれで帰れる」



 ぐすっと涙混じりにくぐもって信長は話す。うまく話せなくて顔を逸らす。信勝救出の仕様とはいえ姉にも恥ずかしい気持ちはある。



 信勝はきょとんと手首のリボンを見下ろした。



「カルデアの救援? 心の核? こ、これがですか?」

「そうじゃ、心の中で呼びかけてみろ、応答があるはずじゃ」



 信勝はしっかり巻かれたリボンをじっと見下ろした。自分みたいな無能のためにもったいないと思うが、亀を呼んでくれた卑弥呼のことを思い出し、マスターなら自分を見捨ることはないと思い直す。



(……亀くん)



 助けてくれたのに酷いことを言ってしまった。正直もう合わせる顔がない。けれどカルデアに帰れるならちゃんと謝らなければ。



(あれ……?)



 なんだか自分は間違いを犯した気がする。



……「いい加減、気付いてください。信勝殿が自分をどんなに憎んでいても、世界は周りの人々は憎んでいるとは限らないのです。あなたを好きな人はたくさんいるのです……それを「誰からも愛されていない」「誰からも必要とされていない」とあなた自らに否定されることが相手にとってどんなに辛いことか分かりますか?」……



 亀は言った。もしも信勝を愛する者がいたら信勝自身に否定されることがどんなに辛いか信勝は理解していないと。



(姉上に関係ないって言って本当によかったのか? でも本当に関係ないし……)



 頭痛がする。おかしい。今はその言葉は何も関係ないはずなのに。



「アンデルセン、おい、アンデルセン、応答しろ」



 姉がじっとリボンを見てそれに話しかける。弟はどう思念を送ればいいか分からなかったが自分なりに目を閉じて、リボンを額に当てる。



「おい、聞こえておるんじゃろ! 返事せんか! 解析しろ、こいつは今度こそ信勝の心の核なのか……!」



……「ーーーーーーーーーーーーーーー!」……

……「ーーーーーーー」……

……「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー! ーーーーーーーー。ーーーーーーーーーーーーーーー!!」……



 なにか声が二人に聞こえた。だが大量のノイズが内容をかき消してしまった。信長は眉を顰めた。



「なんじゃ? ……聖杯の影響か?」

「おーい! 返事をしろ、おーい!?」



 信勝も声を張り上げるがまた大量のノイズにかき消されてしまう。信長の背中に冷たいものが滑り落ちる。ここまでリボンさえ結んでいれば通信が途切れることなんてなかったのに。



 もう一度信長が声を上げる直前にノイズに妨害されたアンデルセンの声が聞こえた。ノイズに対抗するような大音量だった。



……「そいつが心の核で間違いない! だがーーーーーーーーーーーーーー。ーーーーーーーーー! ーーーーーーーーーーー。……とにかく、しばらく二人ともそこを動くな!」……



 そこで通信はブツっと切れた。























「待てと言われれば仕方ないですね。ささ、姉上、僕の上にお座りください!」

「いらんわ! 立て!」



 一方的にカルデアの通信が切れて、取り残された信長と信勝は海で通信を待つことにした。流石に動くのは危険なので小波の上で姉弟で並んで立つ。



 すると信勝は姉に会えたせいかハイになり、海に四つ這いになり、椅子になるから座ってくれと願った。即座に拒否した信長は弟に怒鳴ると腰の刀を抜いた。



「アホなことしとらんでお前も刀を抜け、アンデルセンがああ言っていたからにはいつ危険が来るかわからん」

「すみません、姉上。僕、ここに来るまでに刀も銃もなくしてしまって……」

「はあ? 全く信勝は……まあ、あの状況から生きておっただけで十分か。一応これを持て」



 信長は宙に火縄銃を顕現させると信勝に渡した。信長のそばを離れたら消えてしまう武器だがないよりはマシだ。信勝は恐る恐る慣れない武器を持つと一応構えた。



「えいっ、えいっ!」

「持ち方違うし……まあ、信勝は火縄銃を使う経験はなかったからな。お前はわしの後ろで身を守っておれ。自衛で十分、戦力としては最初から当てにしておらん」



 当てにしていないと言われて信勝はしゅんとしおれた。それには気づかず信長は周囲をまた伺った。子供の信勝の姿はない。この世界だから存在できる信勝の心の切れ端と言われていた……もう消えてしまったのだろろうか。



(せっかく、聞こえる信勝じゃったのに)



「そ、そんな〜姉上〜! ……その大丈夫ですか?」

「何がじゃ?」

「……まだ、泣いていらっしゃるから」



 信長の頬にはまだ細い涙が流れている。信勝に再会した時ほど多くはなく、だいぶ量は減っていたがそれでも止まることはない。



「説明したじゃろ。これはアンデルセンの宝具の副作用。聖杯の中で行方のしれないお前を見つけるために因果を捻じ曲げ、都合のいい現象を起こさせる宝具の効力の代償じゃ……まあ正直、わしだって多少恥ずかしいが力を得るためには是非もない。実際こうしてお前も見つかっているしな」

「だ、だからって強い姉上に涙を流させるなんて……どんな宝具ですか、それ?」

「奴の力は物語で対象を強化するもの。なんでも魔に囚われた少年を少女が救出する物語らしい。そのラストで少女が少年と見つけて……あー、感動で涙を流すんじゃったかな。そういう話らしいからしゃーない」



 本当は「少年の凍った心を少女の涙が溶かす」というラストだったのだがなぜか信長は照れが出て本当のあらすじを隠した。確かに恥ずかしいし、水分不足な気がするがこうして信勝の心の核まで辿り着けたのだ。カルデアとアンデルセンには感謝している。



 信勝は体のあちこちを探したがもう乾いたハンカチは見つからない。姉は強い人だから涙なんて見たことないので、宝具の力と分かっていても落ち着かない。最初に涙を拭ったハンカチはもう涙で濡れてしまった。



(あれ?)



 そういえば姉の涙を一度だけ見たことがあったような。信勝は記憶を探るがその光景の切れ端は見つからなかった。気のせいだろう、姉はすごい人だから涙なんて弱い弟が流すようなもの流さない。



「姉上、その……僕のせいでごめんなさい。こんな危険な場所まで来てもらうなんて」

「ふん、今後はもう少し身を守ることに気をつけろ。まあ、あの状況は多少仕方な……」

「本当は僕なんか助けたくなかったのに、マスターの命令で仕方なかったんですよね」

「……は?」



 信長は弟の言うことが理解できなかった。信勝は笑顔で続ける。



「え? だって僕を助けると決めたのはマスターでしょう? 多分、ダ・ヴィンチの解析で姉上が救出に最適だと分析されたのですよね。だから渋々、命令で仕方なく、そんな涙が出る宝具の力まで受けて僕を探してくださったのでしょう? だって姉上が聖杯の泥という危険を冒してまで自主的に僕を助けるはずないですし」

「……」



 信長は。

 誰の命令でもなく、溶けた弟の姿を見て、制止の声も無視して聖杯の泥の中に飛び込んだ。

 信勝が大切だったから。



「姉上?」



 そしてそれは何一つ目の前の信勝に伝わっていなかったのだ。



(……わし、今まで何してたんじゃろ)



 心が傷ついたのだと信長は自覚した。今、頬を流れる涙は宝具の副作用だろうか。



 夫婦を始めようと言ってから、信勝とずっと共同生活を続けてきた。夫婦という関係は二人の人間のもっとも強い繋がりだと思ったからだ。二人の部屋も用意して寝食をともにした。そういうものを弟に与えれば大切に思っていることが伝わると信じていた。



 だが無駄だった。自分はどこで間違えただろう。



 なぜか自分を殺した明智光秀を思い出した。帝都で自分を殺したのは天下を取るためではないと知って仰天した。多少失態で殴りつけたことはあったが、有能だから評価していた。だから能力に応じて十分な国と土地を与えた。それで家臣として評価していると伝わっていると思っていた。



 だが再会した光秀は国のことも土地のことも言わなかった。ただこう言った。秀吉に向けるように言葉と笑顔を向けてほしかったと。



「……さっきの話に戻るが」

「姉上?」



 信長は信勝のマントの襟元を掴んで、鼻先が触れるほど顔を寄せた。信長の心の中がマグマが煮えるように感情が暴れていた。涙のせいだろうか、感情が抑えられない。



「お前の死はわしのせいか?」

「ま、また、その変な話ですか? 姉上、おかしいです。僕の死は……ただつまらない僕が死んだというだけです。姉上には関係ない些事です」

「だがお前が自分が死ぬように自ら差し向けたのは、わしが原因だろう?」

「やはり言い方がおかしいです! そんな姉上のせいみたいな……僕はただ姉上を女だからと馬鹿にする奴らを皆殺しにしてやりたかった、そんな奴らを集める僕も燃やしてしまいたかっただけなんです!」

「それがわしのせいだというておる!」

「違います! 姉上のせいじゃない! 僕はただ僕のために死んだんです!」



 平行線だ。信長は一呼吸して、少し信勝から顔を離した。



「それでは言い方を変えよう。信勝、お前は生前にわしが一度でも「お前が必要だ」といえば自ら死を選ばなかったのではないか?」

「そ、それは」



 咄嗟に嘘がつけなかった。信勝は目を斜め下に逸らし、言葉が止まった。図星かと信長は言葉を続けた。



「わしが一言だけでも「そばにいてくれ」と言えば生きる道を選んだのではないか?」

「それは……そんな嘘つかれても意味がありません。姉上は馬鹿な僕なんかいらないじゃないですか。だって僕は無能で姉上みたいな英雄じゃないから」



 信長の手が信勝のマントを締め上げる。信勝はぐっと呻いて息ができなくなった。



「いつわしがそんなことを言った? 一度でも言ったか? お前が勝手にわしの心の内を決めつけているだけではないか……わしは言ってない。信勝がいらないなど言った覚えはない! 言うはずがない!」



 信長の瞳に悲しい光がよぎったことに信勝は気がついた。それは信勝に聖杯が作った母の幻を思い出させた。



……「そんなの……お前を愛していたからに決まっているではありませんか」……



 幻の映画館の母はずっと信勝の死に苦しんでいた。愛していたから失って喪失を埋められなかったと。



(あれ……?)



……もしかして、母と同じように……

……姉も自分を愛していたのか?……



(そんな馬鹿な……だったら僕は今まで姉上の何を見ていたんだ)



 信勝の内側にガラスを割ったようなヒビが入った。

 それなら死んだことで大切な人を苦しめただけではないか。

 なら自分の人生の意味はなんだったのだ?



(違う、僕なんかを姉上が愛するはずがない。姉上はすごくて僕は無能なんだから……再会した時だって、いつも通りで……あ、あ)



……「悪いな、信勝……あの時、わしがお前を追い詰めてしもうた。何もかもを奪い、寺に閉じ込めれば命くらいは奪わんですんだかもしれん」……



 そうだ。

 最初から答えは出ていた。

 自分の死は姉のためだと告げた時に苦しい顔で姉はそう言ったのだ。



……「い、いやだなあ! 優秀な姉上が家を継ぐのは当然のことだったんですよ!」……



 けど自分はどうして彼女がそんな表情になるのかさっぱり分からず、自分の死は当然だと言った。



 自分はずっと彼女が伝えたかったことを理解しなかったのでは?



(姉上)



 姉に手を伸ばす。今度こそ心を受け止めるために。



 けれど信勝の心は記憶を愛情の証拠として認めなかった。心の奥の自分が叫ぶ。そんなはずない、身の程知らず、こんな無能な弟を偉大な姉が愛したことなどあるはずがない。きっと子供の頃の思い出だって記憶にすら留めてくれていない。

 自惚れるな! そんなはずない! そんなはずはないのだ……!



(僕は姉上の一番の理解者だ! だから姉上がどう思うか僕が一番知っている!)



 自分はどこか、壊れているのではないだろうか?



「どうして死んだ? なぜわしを置いていった? 死を当然に思うほどわしはお前に冷酷に接していたのか?」



 初めて弟の目には姉はとても弱々しく見えた。



「置いていくって……姉上にはたくさん仲間がいたではないですか。弟だって僕以外にもたくさんいました。家臣だってたくさんいた。それに茶々から聞きました。後に天下をとった男が家臣にいたと。三河の同盟者は後に一つの時代を築いたって。権六だってずっと……だから僕一人いなくても姉上はずっと幸せだったに決まって」



 とても寒そうに見えて信勝は恐る恐る信長の腕に触れた。触れた腕は冷えていた。



「うるさい、うるさい。そいつらはお前じゃない。お前の代わりにはなれない。なんで分からんのじゃ」



 信勝はずっと自分の死はすぐに忘れられたと信じていた。

 けれど信長は信勝の代わりはどこにもいなかったと否定を続ける。



「姉上……僕は少しでもあなたに幸せになって欲しくて」

「わしの為か? わしの為だというのか? ……わしのせいなのか?」



 信勝の脳裏に沖田の声が蘇る。



……「あんな偉そうにしてますが、ノッブだって傷つかないわけじゃないんですよ」……



 どうして気付かなかったのだろう。

 姉は強い人だけど、傷つかない訳じゃないのだ。



 姉はすごいという言葉にどこか甘えていた。

 自分は弱くて姉は強い。だから自分は傷つくことはあっても姉はそんなことはないのだと決めつけていた。

 すごいすごいと祭り上げて心のない最強者として扱う。



 それはとても酷いことなのではないか。



「いいえ」

「……信勝?」



 信勝は両腕を伸ばして信長の両肩を掴み、まっすぐに姉の紅い瞳を見つめた。



「僕の死はあなたの為なんかじゃありません。僕はただ死にたいから死んだんです。つまりただの自殺だったのです。姉上を巻き込んですみませんでした」

「……なんだ、いきなり」



 自分の死が彼女のためだなんて酷い言葉、二度と言わない。

 自分の人生の意味など、彼女の悲しませるものなら無意味だ。



 弟は真剣に表情を作り、嘘をついた。



「僕はただ臆病だったんです。だから戦ばかりの戦国の世に生きるのがイヤだった。自殺したいくせに死ぬのが怖くて、踏ん切りをつけるために負けると分かった姉上との戦を起こしました。稲生の戦いで流れ矢に当たって死ねればよかったんですが……ずるずると生き延びたせいで姉上にいらぬ負担をかけてしまいました。

 いいですか、僕はただ死にたいから死んだんです。姉上には何も関係ありません。織田の後継者の事がなくたってその内崖から身を投げてました」

「今更、そんな嘘ついて何になる?」

「姉上。僕の死は僕のせいです。僕のために僕は死んだんです。けっしてあなたの為じゃない……絶対にあなたのせいじゃない!」



 あなたの為はあなたのせい。

 そういう風に姉の心には聞こえていたのだ。



「黙れ! ……明治維新で再会した時にいうたではないか。ずっとわしの味方だったと!」

「違います、あれは……全部嘘です」

「あの言葉が嘘なんてそれこそ嘘だ」

「証明できますか? 証拠だって全部僕の言葉しかない……あの時、僕はおかしくなっていたんです」



 必死で演技をしながら。

 本当に彼女の為になにかしているのは今が始めてではないかと思った。



「魔神柱という初めて見る人外の力に酔ってありもしないことを言っていった。その後のことだってそうです。たまたま姉上の縁でまた呼び出されて、また蘇ったことに浮かれてそれが本当のように振る舞ってしまった……でもそれは全部うそ」

「黙れ! いい加減にしろ! ……証拠ならある」



 信長の目に鋭い光が宿った。



「お前の宝具だ。わしの為に死ぬのがお前の宝具ではないか。わしだけにバカみたいな力を残して塵になるのが信勝の宝具ではないか……馬鹿馬鹿しい茶番を」

「あれは……」



 それは今更変えられない。

 信勝は必死に宝具が姉に関係ない理由を探した。けれど信長を納得させられそうなものは見つけられない。



「それはっ……でも違うんです。姉上の為じゃない、姉上のせいじゃない。違う、違うんです。あなたは関係ない。全部僕のせいなんです、全部僕自身のために……!」

「……もういい。お前の下手な嘘は聞きたくない」



 信長の手がぐっと信勝の胸を押して、掴んだ両肩から手のひらが離れた。



 これじゃダメだ。

 今更、嘘だなんて信じてもらえない。



(どうすれば。姉上に苦しんでほしくない。僕なんかのせいで悲しい思いをしてほしくない。でも今更嘘なんて言って信じられるわけない。どうしよう、どうしよう、どうしよう……あ)



 そうだ。

 聖杯に願えば。



「信勝……なんだそれは?」



 信勝の足には黒い光を放つ銀色の鎖があった。見下ろすとさっき亀と海を泳いでいた時に巻きついていたものだと分かる。聖杯の束縛だ。



 この世界はバラバラになった信勝の心。

 本心から聖杯による願いの成就を拒絶したから信勝の心は逃げることができていた。

 汚れた聖杯になど願えないと心から拒絶していた。



 けれど叶えたい願いが生まれ、それを自分では叶えられないと絶望することで拒絶をやめてしまった。汚れた聖杯でも構わないと思ってしまった。



 鎖は増えていった。足だけではなく、腕、腰、首と信勝の全身に鎖が巻きつく。



「馬鹿者、さっさと逃げよ! ……おいっ!」



 信勝は鎖に巻かれて海に引き摺り込まれ、海中からさざなみの向こうに信長の姿を見た。姉は鎖に阻まれながらも海に突っ込んで弟の腕を掴んでいた。



 信勝は助けようとする姉に静かに首を横に振った。信長は諦めず、刀で数本鎖を切断するが数が多くて追いつかない。今度は弟の手首のリボンを握り、カルデアに救援を求めた。

 けれどリボンは鎖に絡め取られて、半ばで千切れてしまった。



(姉上、馬鹿な弟ですみませんでした。でも今度こそあなたを助けてみせます)



 信勝は姉に薄く微笑んだ。そして掴まれていた手を振り払った。



「ふざけるな……信勝!」



 全身に鎖を巻き付けて信勝は海の底へ消えた。



















【「聖杯よ、姉上を助けて」】









……「そうだ、最初から願えばよかったんだ。万能の願望機を前にして逃げてばかりで、おかしなやつ」……



 信勝は最初に目覚めた場所に戻ってきていた。暗闇だけの空間で聖杯だけが濁った光を放っている。いや、聖杯ではない?



「……お前、誰?」



 信勝が起き上がると目の前に線の細い少年が立っていた。半透明で幽霊のようだが濁った光を纏っている。



 自分がかつて着ていた時代と同じような着物と袴を着ている。十五歳ほどだろうか。二十にはなっていまい。幼さの残る優しげな顔立ちには全てを憎んだような表情が浮かんでいる。



 少しだけ、かつての自分と似ていると信勝は思った。



「そうか……お前、あの時代で聖杯に願ったやつか」



 カルデアの作戦前にダ・ヴィンチちゃんが全員に伝えていた。この戦国時代の特異点の聖杯は乱世に心を痛めた少年が「全ての人が願いを叶えてほしい」と使ったことで汚れた聖杯になり暴走した。その果てに同化してしまったのだろう。



 「聖杯」は歪んだ笑みを浮かべた。元が優しげな風貌だからか信勝にはそれが悲しく映った。



……「聖杯は今、僕そのものだ。聖杯に飲み込まれた時点で力の主導権は僕にある。だが姿形にとらわれる事はない。僕は願いを叶える力がある。だから願いを言え。お前は少し変わった願いを持っているが……別に汚らわしい人間の願いなどどれも変わりない。どいつもこいつも自分の都合しか考えないで自滅する愚かな生き物だ……どうせお前だってそうなんだろう?」……



「……」



 信勝は思い出した。聖杯に願った少年は乱世に心を痛め「全ての人の願いを叶えて」と願い、その果てに人は争い世界は地獄と化した。その有様に絶望した少年は聖杯の泥の中に身を投げた。



(僕も、姉上がいなかったら、こんな感じだったかな)



 自分も乱世が嫌いだった。争いばかりする人間が、時代が嫌いだった。



 信勝は立ち上がる。すると全身からじゃらという音がした。見ると銀色の鎖が全身に何本も絡みついていた。身じろぎすると足にも何本も絡んで転びそうになる。



 聖杯の少年はふらついた信勝の顎を掴み、語りかける。



……「もう逃げられない。お前は妙なやつだった。願いが二つもある上に叶えることを心から拒絶した。だが欲深い事に新しい願いができたようだな。その鎖はお前自身、叶えたいという願いに縛られたお前そのもの。何から逃げられても自分からは逃げられない。

 馬鹿なやつ、せっかく願いを叶えると言ってるのにここまで逃げ回るなんて……自分のことしか考えない醜い人間のくせに」……



「醜いか……うん、そうだな」



 姉の涙のことを思い出す。確かに自分のことしか考えていなかった。信勝は「聖杯」に手を伸ばした。



「……うん。僕って馬鹿なんだ」



 信勝の足が聖杯の少年に近づく。今度こそこれで姉を救えるはず。



「だから、今度こそ……聖杯よ、姉上を助けて。僕のせいで生まれた苦しみを全て消してあげてください」



 信勝は膝をついて聖杯の少年に祈りを捧げた。



……「随分と曖昧な願いだな。そこまで曖昧だとこちらで詳細を決めるが、いいか?」……



 これは汚れた聖杯だと信勝に残った理性が躊躇した。しかし、姉の苦しみを無かったことにしたい感情のほうが勝り、願いを続けた。



「姉上に危害さえ加えなければ……僕は馬鹿だからきっとお前が考えたほうがいい。僕に関する苦しみを記憶から消してくれればそれでいいのです。あと彼女を外に出してあげてください。元々聖杯の泥に飲まれたのは僕だけ、死ぬのは僕だけでいい」



……「強欲だな。だがいい。お前の願いを叶えよう。また約束してやろう。お前の姉には傷一つつけない、外にだって出してやる」……



「ありがとう」



 そうして信勝は聖杯の少年の手を握るために手を伸ばした。







……待って!……







 どんと誰かが信勝を突き飛ばした。

 信勝と聖杯の間に割り込んだ声は幼いものだった。



「……?」



 転んで見上げるとそれは子供の自分だった。

 周囲を見渡すと聖杯の少年は消えていた。どこかに連れ去られたらしい。



 それは信勝には預かり知れぬことだったが、信長が連れていた信勝が切り捨てた心の一部である子供の信勝だった。

 こいつの仕業かと自分に似た存在に信勝は冷たい声を浴びせた。



「誰だ、お前?」



 子供は両手を広げて、通せんぼをするように信勝に立ち塞がった。

 走ってきたのだろうか、肩で息をしている。





……いっちゃだめ……



「邪魔するな、僕が姉上にできるのはこれだけなんだ」





 子供は聖杯とは違う暖かい光を纏っていた。その光に触れて信勝の鎖が一本だけ消える。





……「君」は姉上を助けたいんだよね? なら見落としている事があると思う……



「……見落としていること?」





 子供の信勝はそっと自分の手を右胸に当てた。心臓の位置だ。





……胸がが少し温かい。感じない? 姉上が僕に何かを想っている……



「僕は何も感じない」



……無視しないで、姉上の気持ちなんだよ。君は、ぼくは心が壊れてずっと見えなかった……





 心が壊れて、という言葉に信勝は黙ってしまう。予感はしていた。なんだか自分の心はどこか欠けている。姉が話している時、時々不自然に言葉が「聞こえなかった」。





……ねえ、なんで聖杯のところに戻ってきたの?……



「僕が姉上を苦しめるからだ」



……どうして苦しむの?……





 それを考えると信勝の脳裏は真っ黒に塗りつぶされた。苦しくて何も考えられない。





……姉上に直接言われたの? 君がいなくなって欲しいって……



「言われてないけど、僕のせいで辛そうだった」



……どうして姉上は辛いの?……



「それは……それは?」



……分からないんじゃない? 考えることを拒否してるんじゃない?……





 図星だった。自分なんかが大切な姉を苦しめた。人生を賭けた自分の死は無駄だった。その悲しみで頭が一杯になり、甘い聖杯の誘惑に縋った。



 だから「どうして信長は悲しんでいるのか」を全く掘り下げていなかった。





……理由が分からないのにどうして姉上の苦しみを消してあげられるの? 分かってるでしょ、僕は姉上の理解者なんかじゃない。一番肝心なところが分かってない……



「う、うるさい……うるさい!」



……「ぼく」のダメなとこだよ。ぼくなんかって思ってるから短絡的になる。ぼくなんかが考えることに大した価値はないって考えることを投げ出す。結局、姉上に向き合わないで逃げてる……



「いいんだ、聖杯に願えば全部解決するんだ」



……どうして? 姉上に確かめたの? 君は姉上に■■■■■って分かってないんでしょ?……





 また「聞こえない」。やはり自分はどこかおかしいのか。いや、いつからおかしくなった?





「お前が何を言っているか分からない! 僕はただ……僕さえいなければ姉上は幸せになれるから」



……どうして、君がいないと姉上が■■になれない可能性を無視するの?……



「だって姉上はいつも人に囲まれていて、僕なんかいなくても……」



……それは君の決めつけ。ぼくの心の歪み。お願い、一度自分の痛みは横に置いて……





 子供は宙に浮かび、信勝の顔に触れんばかりに近づいた。咄嗟に動けず、額と額が触れる。





……ただ思い出して、ただそのまま、姉上の言葉だけを……





 子供の声が厳しく暖かい。だから信勝はさっきの姉の言葉を思い出した。





……「うるさい、うるさい。そいつらはお前じゃない。お前の代わりにはなれない。なんで分からんのじゃ」……



 

 姉はそう言っていた。信勝の代わりはいないと。





「そんなはずはない、僕なんかいなくても……」



……君の自分なんかって気持ちより、姉上自身の言葉を思い出して……





 信勝の頬にわずかに残るゲルダの涙の力により。

 信勝は「聞こえなかった」声を思い出した。





……「好きじゃよ、信勝。誰よりもというにはわしは年をとりすぎたがの」……





 もう二月ほど前のこと。姉の子供のことを話してくれた時に言ってくれた言葉。信勝はすぐ姉の気まぐれの言葉だと決めつけた。それは……亀の言っていたことではないか。





……「いつわしがそんなことを言った? 一度でも言ったか? お前が勝手にわしがそう思っていると決めつけているだけではないか……わしは言ってない。信勝がいらないなど言った覚えはない! 言うはずがない!」……





 なぜ聖杯に縋ったのだろう。なぜ自分さえ犠牲にすれば丸く収まると思ったのだろう。信長は一言だってそんなことは言ってないのに。





(僕……どこかおかしい? なんだか頭の中がどこか、壊れているような?)





 頭痛がする。信勝がしゃがみ込んで頭を抑えると子供は安堵した笑みを浮かべた。





……よかった……





 信勝を縛っている鎖が少し緩んだ。鎖自体が半分ほど消える。自分に疑問を持ったことで聖杯との繋がりが薄まっている。





……今度は切り捨てないで……



「え……?」



 信勝は驚いた。子供の信勝が胸に抱きついていた。子供は微笑むと信勝の右手の千切れたリボンをそっと握った。



……ぼくもずっと僕が消えればいいと思っていた。■■■■■と願いさえしなければこんなに苦しくないって思ってた。……けどもしかしたら、この願いを捨てたから姉上の声さえ聞こえなくなったじゃないかな……



「僕が……姉上の声が聞こえない?」





 そこで二人の言葉が止まる。



 鎖が伸びてきて子供の信勝の喉に巻きついていた。鎖は濁った光を帯びていた。





……「貴様、どこから入ってきた?」……





 聖杯の少年はそう言って鎖で子供の首を締め上げた。





……ぐっ……見つかっちゃった……





 吊り下げられた形になった子供は苦しい表情で手足が宙でじたばた舞う。なんとか喉を締める鎖に手を伸ばすがびくともしない。



「やめろ!」



 信勝は咄嗟に聖杯の少年を突き飛ばした。しかし信勝の腕は少年の体をすり抜けてしまう。機嫌を損ねたのか「聖杯」は更に子供の首が締め上げる。



……「なぜまた願いを叶えることを迷う? お前はおかしい。本当は誰よりも歪んだ願いを持っているくせに。だからあの場でお前を選んだのだ」……



「僕の願いが……一番歪んでる?」



 助けようと手を伸ばすと子供は弱々しい手つきで信勝の手を弾いた。



……逃げて。ぼくのことは捨てていって。どうせこの空間でしか存在できない……



……「帰る必要などない。ここでお前の願いは全て叶う」……



……聖杯なんていらないよ、君が心から願えばここから逃げられる……





「僕は……僕は……どうしたら」



 信勝の足は止まってしまった。子供の自分を見捨てられないことだけではない。自分が姉を苦しめると知ってしまったから聖杯を諦められない。しかし子供の指摘通り、聖杯に願えば姉を救えるか分からない。



 だって何が姉の救いになるのか分からないのだ。





(どうすれば、何が正解なんだ? 姉上ならどう考える?)





 迷っている間に信勝の首にも鎖が巻き付いた。信勝がもがくとそれは消えたが聖杯の少年に左手首を掴まれた。逃げようとすると冷たい言葉を浴びせられて凍りついた。



……「ぐずぐず鬱陶しい! どうせお前も誰も幸せにできないくせに! 不幸を振り撒く醜い人間のくせに!」……



 足が凍る。その通りだ。一番大切な人を助けるつもりで苦しませた。死んだぐらいじゃなんの力にもなれなかった。



……「お前にはどうせ何もできない! だから聖杯に願うしかないんだ! 弱い自分に今更何かできるなんて錯覚だ!」……



 そうだ。自分は無力で、姉の苦しみにさえ気づけなかった最低の人間だ。聖杯に願う以外に何ができるだろう。



「僕の、願いは……」



 吊り下げられた子供は、締め上げられた喉でまだ信勝に話しかけていた。



……大丈夫、大丈夫だから、願っちゃダメ。姉上のところに帰って……



……「お前なんかどこにも帰る資格なんてない! ただ乱世に嘆く民草と同じ! 役立たずの仏像に願うように聖杯に願うしかないんだ! ……逆に聞くが、お前に他に何ができる? その姉とやらに自分が何かできることがあると思っているのか?」……



 信勝は動けなくなってしまった。姉のところへ帰る? 聖杯の少年のいう通りそんな資格あるのだろうか?



(どうすれば。さっき子供の僕が言っていた。僕の気持ちで推測するんじゃなくて姉上の言葉をそのまま思い出せって。それは……あれ? 嘘……思い出せない?)



 そんな。ほんのさっきのこと。あれは大切なことのはず。信勝は必死に思い出した。それなのに思い出すたびに墨で塗りつぶされるように記憶が消えていく。必死に掴もうと手を伸ばしても細かい砂が指の間から溢れるように消えていく。



「ごめんなさい、姉上……僕は僕はおかしいことすら気付かなかった!」



 だから大事なことも分からないのだ。

 みっともなく涙が溢れる。やっぱりこんな自分なんか大嫌いだ。



「……信勝っ!!」



 大きな衝撃音がした。



 ガラスが割れるような音がして、闇の一部が割れる。上の方へ顔を上げるとその向こうに灰色の空が見えた。



 その向こうに信長が立っていた。



「姉、上?」



 信長が跳躍する。さらにガラスが砕ける音がして、バリンという音が響くと空間の闇が少し薄くなった。



 信長が闇の空間に落ちてくる。落ちた勢いで信長は聖杯の少年に、第六天魔王の炎を乗せた刀で右肩に斬撃を加えた。聖杯の少年の動きが止まると返す刀で今度は腹を斬る。



……「ぐっ、貴様!」……



 効いたのだろう。聖杯の少年は斬られた肩を抑えて一歩下がった。もう一度斬りつけようとすると闇を放って阻まれる。



 仕方なく信長は信勝の姿を見つけると駆け寄る。



「このたわけ! 勝手なことばかり言って行方をくらましおって!」

「姉上、どうやってここに?」

「そのリボン、結んでやったんじゃ、感謝せよ」



 信勝の右手首に巻かれたリボンは淡い光を放っていた。千切れてしまっていたが、おそらくカルデアが姉をここに導いてくれたのだ。



 聖杯の少年は斬られた肩に手を当てて、信長を睨んだ。



……「貴様は招いていない! それなのに、おのれ、おのれ、オノレ!」……



「ぐっ……動けん、だと」

「姉上!」



 聖杯の少年から強風にも似た暗い波が放たれる。信勝は無傷だったが、信長は顔と肩に傷がつき、膝をついた。



……「この空間で僕に敵うと思うな。どうせお前の弟は聖杯への願いを捨てられない。そうだ、今ならそいつを置いていけばお前だけは無事に帰してやるぞ?」……



「黙れ、いくぞ、信勝」

「姉上、僕は……いけません」



 おそらく逃げられない。信勝の全身は大量の鎖が巻きついて動けない。つまり信勝は心底から聖杯を拒絶できていない。



「どうしてお前はそうなんじゃ!」

「姉上だけなら逃げられます、どうか」

「うつけもの!」



 信長は刃を振るうが鎖を数本しか切断できなかった。姉は逃るべきだ。けれど弟の手をしっかり握る姉の手を振り解くこともできない。信長は信勝を庇うように一歩前に出た。その姉をさらに弟は庇うように前に出る。



……「なんだ、お前たち、人間のくせに」……



 二人の様子が聖杯の少年はひどく気に障ったようだった。



……「獣より醜い人間のくせにまるで……お前たちだって本性は自分のことしか考えない汚らわしい存在に決まっている。願いを叶えたのに殺し合った民たちのように……英霊? カルデア? それだって自分のために決まっている。ああ、そうだ……」……



 聖杯は子供の信勝を二人の目の前にぶら下げた。もう意識はないのだろう。顔色は真っ白で鎖が巻き付いた首が折れているように曲がっている。



「やめろよ……僕は」

「お前、どうしてここに……願望機が、余計な知恵ばかりつけおって」



……「お前の姉もこんな風に死んでしまうぞ? イヤなら願え。元々そのためにここにきたのではないか。ああ、そうだ。もっとシンプルにしよう。お前が願えば姉だけは助けてやる。無傷で外に出したいと言っていたではないか」……



「信勝、聞くな。こいつは願いを叶えることで汚れ続ける聖杯。願わせるのが目的だ……信勝?」

「……」



 よせと姉が弟に目配せした。弟は変わらず動けない。



……「まあそれだけでは不満だからまたここにきたのだろう。ならそれを願えばいいのに迷い続けて……ああ、そうだな。ここまできたならそこの女でもいい。汚れたニンゲンの願いなどどれも一緒だ。ニンゲンは全て本性は同じ、願うほど汚れ、聖杯は泥を吐く」……



「はっ、元々わしに聖杯にかける願いなどないわ。信勝、何を考えているかは分からんが……堪えろ。帰れば他に方法があるはずだ」



 本当の願いは分かっている。

 信長に幸せになってほしい。だがやり方が分からない。何が姉の幸せなのかも分からない。

 そのくせどこかでこれが姉を救える最後のチャンスではと思う心を捨てることができない。



……「さあ願え。姉と弟、どちらでもいい。どちらも汚いニンゲン。叶えるほど泥は満ちる」……



 聖杯の闇はもはや姉弟を握り潰すほど迫っていた。

 もう逃げられない。自分どころか姉まで巻き込んで、何をしたかったのだ。



 これは迷っていた責任だと弟は自分を責めた。

 だから信勝は昔の願いを口にした。



「僕は……ずっと姉上と子供の頃のように過ごしたかったっ! 叶えてくれ、だから姉上は帰してくれ!」

「わしに願いなど……ないっ!」



 姉弟がそう口にすると世界がぐるりと入れ替わった。



















【姉の願い】







……「わしに願いなどない!」……





「……?」



 信勝は海の中で目を覚ました。一人だった。起き上がり周囲を伺ったが姉の姿は見当たらない。



(どうなったんだ、聖杯は? 姉上は無事なのか? 僕と姉上のどちらの願いが叶ったんだ?)



 聖杯の泥で信長に何かあったかもしれない。そう思うと信勝は小走りに海を探すがどこまでも海があるだけだった。



 姉の姿ない……いや、声が聞こえる。







『進めーっ!!』







 たくさんの馬のいななきと共に姉の声がした。たくさんの馬とたくさんの人が崖から落ちていく。信勝は確かにまだ海にいるのに、すぐそばにそんな光景があった。



『怯むな! 敵将の首を打ち取れ!』



 姉は鎧と兜をつけ、抜き身の刀を下げて馬に乗っていた。そうして多くの兵を率いていた。



「姉上……?」



 信勝はふらりと信長に近寄った。生身なら馬に蹴り殺されても不思議ではないが、じっとしていられなかった。姉を乗せた馬に触れるとすうっと手がすり抜けた。



「うわ……!?」



 信勝は何にも触れられず、馬たちと共に崖から落ちていった。















(……え?)





 そこで風景が切り替わる。今度はどこかの館の廊下だった。そこを兜を脱いだ姉と鎧を着た柴田勝家が早足で歩いでいる。信長は面倒そうな顔をしていた。



『いい加減にしろ、権六。うまくいったんじゃからうだうだ言うな』

『確かにうまくいきましたが、あのやり方はあまりにも危険すぎます。今後はこのようなことはなされぬと誓うまでわしは小言を言い続けますぞ』



 信勝はそこで気づいた。これは英霊の信長ではない。今の姉は少女の姿をしているがこの「姉」は二十を過ぎた大人だ。いや、もっと歳をとっているような?



『勝ったのになんで小言を言われんとならんのだ……げっ』



 そこで信長は足を止めた。廊下の向こうから誰かが走ってくる。姉はすぐそれが誰かわかったらしく、さらに面倒そうなのにどこか嬉しそうな顔になる。生前の姉らしく表情は極めて薄いがそれでもわかった。



『姉上っ!』



 駆け寄ったのは「信勝」だった。今の英霊となった十代半ばの姿の信勝と違い、二十を過ぎた死んだ頃に似ている。いや、これはもう少し歳をとっているような……相変わらず女顔で童顔だが、それなりに貫禄が出ている。こうして一歩引いてみるとやはり自分は姉にそっくりだった。



『姉上、権六に聞きましたよっ! 馬ごと崖から落ちるなんて無茶がすぎます! 死んだらどうするんですかっ!?』

『……信勝、なんで家で寝てるはずのお前がここにおるんじゃ?』

『権六が文をくれたんですよ! ああもう、本当にどこも怪我してないんですよね!? 僕がどんなに心配したか分かりますか!?』

『権六、お前……』



 信長はじろりと勝家を睨んだが、勝家はボソリと『こうすることが一番信長様には効きますから』とだけ言って目を逸らした。



『姉上、聞いておりますか!? 姉上に何かあったら信勝は生きてはいけません!』

『あーもう! 聞いておる! いいじゃろ、今川には勝ったんじゃから!!』



 先ほどと同じくその姉にも触れられない、幽霊のような信勝はピクリとその言葉に反応した。



(今川? ……桶狭間の戦いの今川義元のことか?)



 それはもう信勝が死んでいた頃の話だ。確か桶狭間の戦いの二年前には死んだ。どうしてここに死んだはずの自分がいる?



 その「信勝」は一通り姉に言いたいことを言うとスッと頭を下げた。



『色々言いたいことはありますが……姉上、勝利おめでとうございます。でも無茶はしないでください。

 あの日、僕が元服した日に僕に言ってくれたではないですか。ずっとそばにいろ、僕は姉上に必要な人間だと、強く指切りを……だ、だから僕なりに頑張っているのです! これからも姉上のお役に立つために。それなのに姉上が死んじゃったら、僕……僕……』

『ええい、二十歳過ぎてるのに子供みたいに泣くな! 全く……お前ときたらいつまでも子供で困る。はいはい、これからは無茶はしないさ。元々戦う前に勝つのがわしのやり方じゃ……心配させたな』



 その時、信長は笑った。とても薄い笑みで角度によっては分からないかもしれない。それでもあの頃、いつもどこか遠くを見ていた姉からすると信じられない表情の豊かさだった。



『信長様にはやはり信勝様が一番の薬ですな』



 勝家の呟きがこぼれるとまた風景が切り替わった。













 そこから風景は年月を重ねて切り替わっていった。信長は桶狭間の戦いの後も快進撃を続けた。都に上り、将軍を擁立し、朝廷と渡り合い、浅井長政に裏切られ、武田信玄と戦った。



 そして姉のそばにはいつも「存在しなかったはず」の信勝がいた。信勝は戦いは相変わらず苦手だったが、いつも後ろを守り、裏方の仕事を積み重ね、時には戦馬にたち、常に姉を支えていた。



 例えば、初めての都に姉に連れてこられて感動していた。



『あね……兄上! ここが本当に都なんですね!』

『信勝、呼び方にいい加減慣れろ。ああ、そういえばお前は初めてだったか? ほれ、せっかくだから京の菓子を食っていけ。これはサルがこの前見つけてきた店の菓子なんじゃが』

『こんな美しいものが菓子!? こ、これが都の文化……またあの男なんですね。いや、羽柴がかなり使える男だというのは僕も理解しているんですが、姉上があいつにばかり笑うのは僕は正直つら……』

『だからその呼び方はやめいと言っとるじゃろ!』



 信勝は兄上呼びに慣れることができず、人前ではできるだけ呼ばないようになっていった。











 例えば、都の大きな館の宴が開催されていた。弟は部屋の影から姉の指さす先をじっと観察していた。



『ほれ、あれが足利義昭、わしが後ろ盾になってやった将軍じゃ』

『あれが室町将軍……なんだか思ったより頼りなさそうな男ですね。大丈夫なんですか?』

『見る目があるではないか。そう、あいつ自身は大した男ではない。わしはあいつの将軍の地位を利用できればそれでいい。室町幕府にはまだ利用価値があるからな。じゃが、気位だけは高くてな。時々面倒なんじゃが、かといって他の大名と同じ扱いにするのも難しくてな……光秀にお守りをさせている間は大丈夫じゃと思うが』

『結局あの明智という男を朝倉から引き抜いたんですね。いや、僕も有能な男だとは思いますが……ぐぬぬ』

『なんでお前はわしが家臣を増やすたびに落ち込むんじゃ。わしは才ある者を有用する。光秀は朝倉で眠らせておくには惜しい男よ。それは回り回ってお前にだって益があるだろうに、なんで一々落ち込むんじゃ』

『だって僕には才がないから、どんなに研鑽を積んでも最初から才あるもにには敵わない。いつか僕は姉上にはいらなく……姉上〜、なんで怒るんですか!?』



 信勝は信勝になりに努力していたが、信長の元には戦国を生き抜く才能が粒揃いで集まる。生まれ持った才能を磨き続けるものたちに埋めようがない差を感じて落ち込むことが増えた。それでも日頃の研鑽は惜しまないあたりは生真面目な弟に姉は悩んでいた。













 ある日、弟は急ぎの文に馬を急がせていた。



『権六! あねう、兄上はご無事か!? まさか浅井長政が裏切るなんて……』

『信勝様、お早いですな。大丈夫です。信長様は裏切りを知ると即座に反転し、先ほど安全な場所まで逃げ延びました。後ろをサルに任せた甲斐がありました。しかし、まさか浅井が裏切るとは』

『あいつ、市を娶っておいて……昔からそうだ。姉上の見ているものが大きすぎて、ついていけないやつが出てしまう。なんで姉上がすごいって分からないんだ……いくぞ、ここから立て直す!』



 その後、消耗した織田軍を立て直すために信勝は奮闘した。ようやく姉と再会した時は泣いた。









 そんな風に歴史には存在しないはずの信勝のいる風景が次々と通り過ぎていった。



(これは……なんなんだ?)



 呆然と信勝はその世界に触れることもできず、ただ見ることしかできなかった。











 ある日、都の信長の屋敷で信勝が化粧を落としていた。



『姉上、なんて無茶させるんですか〜。僕を身代わりに立てるなんてバレたらどうするんですか』

『ええい、三十も過ぎてめそめそ泣くな。都で馬に乗って街を歩いただけじゃろ。わしも忙しくて疲れとったんじゃ、顔が似てるんじゃからたまにはサボらせろ。実際誰にもバレんかったしええじゃろ』

『通行人からジロジロ見られましたよ。昔からの家臣たちにはバレていましたって』

『そこは勝手を分かってる連中じゃからよかろう。実はわしが女ではないかと噂が流れてな。わしはまあバレてもいいんじゃが、権六もうるさいし、お前を出せばただの女と見まごう美形じゃと誤魔化せるかと思ってな』



 信勝は突然しゅんと萎れた顔になった。



『僕が美形なんて……いいんでしょうか。お役に立てれば嬉しいですけど、僕なんかが姉上の身代わりなんてちゃんとできたのかな……あいたっ』

『うつけ。どうしてお前はそういちいち落ち込むのだ。……信勝はよくやっておる。お前がいつも後ろで働いているからわしも自由に動ける。時を惜しんで努力している弟を姉が知らんと思ったか』

『でも……僕、分かるんです。姉上の家臣たちはどんどん強者揃いになってるって。僕じゃいくら努力しても能力では敵わない奴がいくらでもいる。わかってるんです、姉上は天才だけど僕は凡人だって』



 信長は軽く小突いた手を開き、弟の頭を撫でた。



『天才とか凡人とか分からん、しょうがないじゃろ』

『でも僕は本当に平凡で……もう姉上の家臣たちには敵わない。僕なんかそばにいたら足手まといではありませんか?』

『うつけ』



 いきなり信勝の肩に信長は頭を乗せた。基本的に無表情の姉が安らいだ笑みを浮かべている。



『わしにはこうして落ち着く場所がお前のそば以外ないのじゃ、是非もなかろ』













 聖杯が信勝の願いを叶えたのだろうか?



(これは、僕の無意識の願望? ……でも、なにか違うような)



 確かにあの後も共に生きられたらと思ったこともある。けれどあの時「ずっと子供の頃でいたい」と願いを直接聖杯にいった。それなのにこんな願望の方を引っ張り出して叶えるなんてことがあるのだろうか?



 でも確かに夢のような光景だ。いや、夢にさえ見れなかった程かもしれない。













『すごい! これが安土の城なのですね! なんて美しい……この上なく姉上にふさわしいです!』

『ははは、もっと褒めよ。わしも安土城にはこだわったからな』



 もう信長は四十半ばも過ぎたろうか。その隣にもうすぐ四十半ばになる信勝がいる。



 その割に若く見える姉弟は安土城の部屋で政治にまつわる話をしている。当然護衛はいるが部屋の中には二人きりだ。華やかな調度品に飾られた広い部屋で唐物の香が焚かれている。



『この者の恩賞はこんなところかと。こちらの者にはこの程度の方が丁度いいと思います……あと都へ送る書状をしたためてきましたので内容のご確認を』

『ふむ、ま、これでよかろう……信勝、もうしばらくゆっくりしていけ』



 信長がそういうと二人は並んで窓からの風景を眺めた。もう夕方で茜色の空に細い雲が流れている。



『時々、お前がいなかったらどうなっていただろうと思うことがある』

『僕ごときがいなくても姉上はきっと変わりませんよ。こうして天下人まであと一歩、まさしくその才は本物です。僕なりに精進してはいるのですが……努力するほど僕は本物にはなれないと痛感しています』

『はあ、いっそその言葉がわしへの嫌味だとか、当て擦りならわしも楽なのだが、お前ときたら本気で言っておるんじゃからな』

『姉上の家臣たちはすごい。僕と違って彼らは本物だと分かってしまうのです。特に姉上の左右の腕である羽柴と明智の実力は抜きん出ています。特に羽柴はあんなに身分が低かったのにあんなに実力をつけて……あいつを見ていると武士だの農民だのバカバカしくなります。姉上に馴れ馴れしいのは気に入りませんが』

『わしは才あるものを評価する。サルとキンカンはできるからな』

『そう、ですよね』

『お前の言うことを否定はせん、信勝には特異な才はない。だがわしは信勝には才がなくてもいい』

『それはどうして?』



 姉は弟の頬を軽くつねる……ように見せかけて頬に触れた。



『だって戦う理由が分からなくなるじゃろ』

『理由?』

『わしも武士ということかの。守るべきものがないと……どうしたらいいか分からん』

『僕が……姉上の戦う理由?』



 信勝の目からポロと一粒の涙が落ちて、風に流れて消えた。信長はそれを見て口を尖らせた。



『ええい、いい歳して泣くな……是非もなかろ、尾張でお前がわしを待っておらねばどこへ帰ればいいのか分からんのじゃ』

『姉上、僕は絶対最後まであなたにお仕えします』

『最後とかいうな。それに……時々夢をみる』

『夢?』

『お前がいない夢だ。妙に現実感があって……こちらが夢ではないかと思うほどだ。そこでわしはいつも後悔していた』



 信長は非常に珍しく不安を顔に浮かべた。













 その光景を見て信勝は違和感を持った。



(なんだろう、やっぱりこれは僕の願いじゃない気がする)



 夢みたいな光景だ。だが想像もできなかった世界だ。自分が姉と共に戦国の駆けて、支え合っていくなんて。



(もしかして聖杯の罠なのか? 僕や姉上を苦しめようとしている?)



 あれが歪んだ聖杯だと思い出す。縋ってしまったがあれは元々魔なるもの。聖杯の少年だって人間なんてみんな汚らわしいと言っていたではないか。



 逃げたほうがいいのかと周囲を見渡す。そこで信勝の風景はまた切り替わった。















 次の光景は炎の中だった。荒れ狂う炎の中、姉は叫んでした。その腕の中には血まみれの弟が抱かれていた。



「信勝! 信勝! しっかりせよ! 目を開けよ! 大丈夫じゃ、もうすぐ医者を」

「信長様! 信勝様は心の臓を何度も何度も刺されております。生きているはずがない……とうに死んでおります!」



 そう信長に告げたのは蘭丸Xと呼ばれたサーヴァントにそっくりな少年だった。その言葉に信長はびくりと肩が跳ね、ゆっくりと振り返った。その姉の顔は髪こそ紅ではなく漆黒だが、魔王と呼ばれた姉のもう一つの姿にそっくりだった。



「蘭丸……誰がやった?」

「明智光秀です。この本能寺を焼いているのも、周囲を兵で取り囲んでいるのも明智。これは謀反です……信勝様は真っ先に気づいて、我こそは信長と叫んで敵に囲まれて斬り殺されました。信長様を逃がそうと身代わりになったのです」



 蘭丸は主人のらしくない動揺に平静を保とうとしていた。この説明はもう三度目だ。それなのに信長はどうしても信勝の死を理解しようとしない。何物も恐れぬ乱世の英雄に相応しい主人の動揺した姿と周囲を囲む炎に蘭丸は焦っていた。



 しかし、今度こそ信長は理解した。



「そうか……信勝はわしの身代わりになって死んだのか」



 信長はもう目を覚さない信勝の頬にこびりついた血を着物の袖で拭い、わずかに開いている虚ろな目をそっと閉じた。触れるとすでに冷たくなり始めている。



「本当に……死んだんじゃな」

「信長様、もう周囲は炎と兵に囲まれておりますが、急ぎ裏手に回ればまだ逃げられます! それに……」

「それに?」

「……信勝様の遺言です。信勝様の首を信長様の首として、明智に差し出すようにと。お二人は瓜二つ。そしてこの炎です、顔の細かい違いは火傷で誤魔化せます。そうすれば明智は目的を果たしたと錯覚して兵を引く。その間に信長様は逃げられると信勝様はおっしゃって亡くなりました」

「信勝が……そんなことを言ったのか」

「信勝様の忠義は本物です! どうかその意志を汲んでここは生き延びましょう!」



 信長は高笑いをした。その腕に信勝の死体を抱いたまま蘭丸に振り返る。



「蘭丸、お前は逃げよ」

「……信長様?」

「わしはいかぬ。ここで腹を切って死ぬ。信勝を置いてはいけぬ」

「そんな……!」

「光秀の腕は知っておる。どうあってもわしだけは逃げられんよ。あやつはわしと信勝の顔が瓜二つなことだって知っておる……それに数多のニンゲンを殺してきて今更だが、どうしてもわしは弟だけは置いていけぬのだ」



 信長は振り返り、弱々しく微笑んだ。その頬には一筋の涙が流れていた。



「いけ。すまんな。わしは天下人と呼ばれたようじゃが……実際はただの姉だった。光秀の目的はわしじゃ。お前はまだ逃げられる、逃げよ」

「信長様……いいえ! 蘭丸はせめて、せめて信勝様を殺した奴らを一人でも道連れに!」



 蘭丸は槍と刀を持って部屋から飛び出していった。



「……すまんな、可成」



 言って信長は腰から短刀を抜いた。信勝の死体をそっと床に置くと上半身の着物を片方脱いだ。このまま切腹するつもりだろう。



「馬鹿な弟じゃ……どうしてお前を置いて逃げられる? あげく代わりにお前の首を差し出せだと? どうしてそんなことができると思われとるんじゃ、わしは……わしはわしなりにお前を大切にしてきたつもりだったんじゃが結局最後まで分からんかったか」



 もう返事をしない信勝に語りかける。周囲の炎は勢いを増している。信長は自害のために刃を自分に向けて……ふと何かに気付いた。



「なにかおかしい……?」



 信長はじっと信勝の死体を見つめた。弟はこんなに歳をとっていただろうか。こんな姿を見たことは「自分」はなかったのではないか。



「そうじゃ、こんな記憶はない。この信勝は……全ては嘘。だって信勝は二十歳過ぎてすぐわしが殺した。四十過ぎた姿なんてみたことない。これはわしの夢……ずっと一緒にいたなんて……ただの都合のいい夢だ」



 信勝の死体の周囲にノイズが走る。モニターに異常が起きたように姿が曖昧になっていき、最後にヒビが入る。ガラスが砕けるように光が弾けると信勝の姿は変化した。



 そこに倒れていたのは二十歳を過ぎて少しの信勝の死体だった。白装束で小刀で腹を一文字に切り、真っ赤な血の花を咲かせている。口元に小さな笑みを浮かべたまま目を閉じて事切れている。



 信長は知っている。それこそ姉に殺された弟の本当の死に姿。



 信長は頬に触れて自分の涙に触れるとさらに自嘲した。



「これも嘘じゃ。わしは信勝が死んだ時、涙なんて流さなかった。己の心さえ優しい姉のものと、ヒトのものと偽っておったのか……はは」



 信長は高笑いをした。泣き叫ぶより悲しい姿だった。幸せな記憶を思い出す。信勝と共に都に渡り、戦場を駆けて、安土城で共に語らった。それは全て嘘なのだ。



「あははははっ! そうじゃ! これは全部嘘、都合のいい妄想じゃ! 信勝はわしが殺したではないか! それを忘れて己を慰めるようにこんな夢を見るなんて信勝への最大の侮辱じゃ!」



 信長は小刀を腹にわずかに刺し、それすら虚しくなりこう言った。



「……もういい、聖杯、全て終わらせよ」



 信長は小刀を放り捨てると虚ろな目で肩を落とした。すると炎の中から聖杯の少年が光を纏って現れた。



……「承知した」……



 聖杯の少年が信長の首を絞める。姉は目を閉じて眠るように死を受け入れる。



「やめろ!」



 触れられないのは理解していたがそれでも信勝は姉に手を伸ばした。



「姉上! 姉上! 僕はここにいます!」



 しかし信長に触れる直前で手が止まった。



 信勝の周りにヌッと黒いものが現れ、温かく細長い舌が首に巻き付いた。大きな生き物がいる、そう認識した瞬間にばくんと全身を飲み込まれた。



……「やめておけ、それ以上はプライベートだ」……



 聞き覚えのある声がして、信勝の意識は途絶えた。























【弟は姉の愛が見えない】









 信勝は再び暗闇の中で目を覚ました。動けない。生温かい。それになんだかぬるっとする。



「姉上……ここは?」



……「ん? ようやく目を覚ましたか」……



 信勝は慌てて姉を探した。しかし全く動けない。ぬめっとして温かく、どことなく周囲はピンク色のような……というかここはさっきの大きな生き物の胃袋では。



(た、食べられた!?)



 何が起きているかさっぱりだが巨大生物に飲み込まれた記憶はある。じたばたしていると声が脳内に直接響いた。



……「暴れるな、胃が荒れる。ああもう、聖杯から距離も取れたし、出すか」……



 吐き出すような音がして信勝は水の中に落ちた。慌てて顔を上げるとぬうっと大蛇が覗き込んでくる。それは十メートルはある漆黒の巨大な蛇だった。



「お前は一体、う、うわ!? 離せ!」



……「お前が取り込まれそうだったから飲み込んでやったんだ。胃の中に隠してここまで走ったんだ、少しは感謝しろ」……



 大蛇は信勝のマントを咥えると器用にそのまま頭の上に乗せた。信勝が呆然としているとそのまま大蛇は水の中を進んでいく。



……「あんまり動くと落ちるぞ」……



「その声……ゴルゴーンか?」



 姿は違うがその声は間違いなくゴルゴーンのものだった。彼女はこんな大蛇ではなかったが、時々二人で話していたので信勝には分かる。



……「そうだ、説明の手間がはぶけて助かるな」……



「どうしてお前がここに? それにその姿はどうした?」



……「カルデアの救援だ。私とお前の縁を使って、私の影だけを聖杯の泥の中に送り込んでいる。長くはもたんがタイミングは良かった……私としてはあの場で、多少話していたくらいでお前と一番縁が深いとは意外だったがな」……



「カルデアが……マスターが僕なんかのために」



 ぎゅっと右手首の千切れたリボンを握る。姉のことがあったとはいえ助けてくれたのに手を跳ね除けるようなことをしてしまった。



 ゴルゴーンは器用に尻尾の先で信勝の頭をこづいた。



……「僕なんかというな、お前がそれを言うとろくなことにならん。……まあ

本当に一番縁が深いのは霊基から関わりのある卑弥呼だったのだがあいつは信長を助けにいくことになったからな」……



「卑弥呼が姉上を?」



……「ああ、お前より聖杯の闇に深く囚われたらしくてな。縁が浅くても無理に自分の影を飛ばせるのはあいつくらいだ。そう心配するな、私がいくより卑弥呼の方が救出に向いてる」……



 ゴルゴーンは状況を説明した。

 カルデアは聖杯の泥に入った信勝と信長を救出しようとしたが、信長が信勝にリボンを巻いた時点で突然位置を見失った。アンデルセンを仲介してなんとか通信だけでも飛ばすがそれも遮られる。再度スキャンすると二人に聖杯が近づいている。



 聖杯が信勝を逃すまいとしているのだろうとダ・ヴィンチちゃんがジャミングの解除プログラムを即興で作り、中継のアンデルセンはてんてこまい。



 そうしてようやく信長に通信が繋がると信勝が突然海の底へ消えたと言う。



……「だがお前は一度そのリボンを結んだからなんとか位置がわかった」……



「これか、千切れたのに?」



……「よく見ろ、千切れた先に数本糸が残っているだろう?」……



 信勝は右手首のリボンを頭の上にかざしてみた。確かに切れ端の先に数本の糸がきらりと光を放っている。



 ゴルゴーンは説明は続けた。ダ・ヴィンチちゃんの聖杯のジャミング解除により、信長は信勝を閉じ込めた空間に侵入できた。だがそこで外に出そうとした瞬間信勝から断絶された。信勝の心を溶かして作った空間では信勝からの拒絶があればうまくいかない。



「そんな……僕のせいなのか?」



……「まあ、ある意味そうだな」……



「なら、今からでも……」



 信勝はリボンに意識を集中して、姉と一緒に帰りたいと願った。



 けれど願うと同時にあの黒い鎖が現れて信勝の両手両足に絡みつく。するとリボンは光を失った。



「そんな、どうして」



……「心から帰りたいと願っていない……本当は聖杯に未練があるのだろう?」……



 信勝は巻きつく鎖を捨てようとしたがかえって増えてしまう。



「それは……そうだけど、でも駄目だってことが分かってないわけじゃ」



……「深く絡めとられて理性だけではダメらしい。わずかでも未練があると帰れないとはやっかいだな」……



 そこで会話が途切れる。大蛇の上で信勝は姉のことを思った。卑弥呼を信頼しないわけではないが無事かどうか気にかかる。



「なあ」



……「なんだ?」……



「どこへ向かっているんだ?」



……「お前の脱出方法がある場所だ」……



「そうなんだ、すごいな、カルデアは……なあ」



……「なんだ、何回も」……



「前も聞いたがお前は辛くないのか、殺した姉たちがいるカルデアにいて……いっそ姉たちの目の前からいなくなった方がいいと思ってしまったことはないのか」



 ゴルゴーンは少し黙ったが落ち着いた声で返事をした。



……「いくらでもあるさ」……



「……そうか」



……「だが、私は自分では姉上たちの前からいなくならない」……



「どうして?」



……「それは私の気持ちで姉上たちの気持ちではないからな、どちらを優先するか考えるまでもない」……



「姉上の気持ち……僕の気持ち」



 さっき子供の自分に言われたことを思い出した。





……姉上に直接言われたの? 君がいなくなって欲しいって……





 自分はずっと自分と姉の気持ちを混同してたのではないか。

 本当に理解するには「考える」必要があるのでは。



……「姉上たちはいつも言う、メドゥーサ、いいからこっちへおいで、と……いくら怪物に変貌したからといって姉上たちを殺した罪は消えない。だからこそ、自分の罪悪感より姉上たちのその言葉を選ぶ」……



「姉上の……言葉」



 子供の姿をした自分のことを思い出す。自分の罪悪感より、姉自身の声を思い出せと言っていた。



「僕は……正直、姉上が何を考えているのか分からないんだ。姉上はすごくて、僕なんかではその真意が分からない。姉上自身、あまり分かりやすい言葉を好まないから……難しくて」



……「さっきの光景が答えだろう?」……



 信勝が首を傾げた。今度はゴルゴーンの言っていることが分からない。



「どういう意味だ? さっきの光景って……あれは聖杯が僕の願いを叶えたんだろう? 夢にも見たことないくらい夢みたいな光景だったけど最後が酷くて……例え偽物でも姉上が可哀想だった」



「聖杯が発動した時、カルデアはお前たちを守った。自分の願いの中にいたら、最後に願いを台無しにされる時に心を壊されて取り込まれる。だからこっちから咄嗟に姉弟で互い違いに願いの中に放り出したのさ」



「? ……言ってる意味がよく分からない」



……「あとこれはあくまで私個人の感想だが、カルデアの食堂で見たお前の姉はお前を必要としているように見えたぞ。一緒にいて楽しそうだった」……



「ええ? それは……気のせいじゃ?」



 客観的意見を述べたのに受け入れない。ゴルゴーンはため息をついた。いや、大蛇なので無理だが似た仕草をした。



……「まあ、プライバシーとしては守られたのかもしれんな」……



「おい、それはどういう意味……」



「ついたぞ」



 ゴルゴーンが進行を止めると黒い空間に小さな光が舞い降りた。手のひらほどの光でわずかに青い。信勝が手を伸ばす前にゴルゴーンは再び信勝のマントを口に加えた。



 静かに水の中に下ろされた信勝が見上げるとゴルゴーンは体が透けていた。



……「降りろ。もう私は消える時間らしい。元々この空間ではそう長くは保たん……できれば帰ってこい。たまの話し相手がいなくてはちとつまらんからな」……



「……ありがとう」



 まだ心からの帰還を願えてない。それでも信勝はゴルゴーンの言葉を聞くと自然にそう口にしていた。大蛇の姿なのにゴルゴーンは微笑んだと分かった。



……「あとな、考えても仕方ないことを考えるな」……



「え?」



……「私は分からん。姉上を殺した私が姉上のそばにいていいのか。いくら望まれてもそんなことが許されていいのか……だがきっと答えはでないのだろう。はっきりした答えがでない問題の方が世の中多いのさ」……



「……でも、姉上は辛そうで」



……「だが、お前の気持ちが理解できないわけではない。私だって割り切れたことなどないのだからな。私は殺した方で、お前は殺された方だが、それでも親しい人の死が関わることほど割り切れない。何度だってもっと何かいい方法がなかったのか考えてしまう。だが……そう考えてしまうことも諦めろ」……



「もう僕のせいで姉上を苦しめたくないんだ。だから聖杯を諦められない。例え歪んでいても……どうしよう、何が正解なんだ?」



 消える寸前、ゴルゴーンは指差すように大蛇の頭を向けた。



……「自分で探してこい。あとな、割り切れないものを割り切ろうとするな。どうせ無理だからな」……



 示した先には青い光がキラキラと舞っていた。

















 ゴルゴーンが消えると信勝は一礼して青い光の元へ走った。



「これは……絵本?」



 卑弥呼の占いのラッキーアイテムは絵本という結果を思い出す。



 それはキラキラと光る絵本だった。青い鳥のイラストが描かれていて、真ん中に大きなブルーの付箋が貼られている。付箋にはこう書いてあった。





『遺憾なことに時間がないので俺の作品ではないが、時間がないので姉弟揃って宝具をかけてやる。

 お前はその根強い自殺願望がある限りそこから出られん。とにかく自分が死ねばいい、死ねば願いが叶うという卑下しているのか尊大なのか分からん心がある限り聖杯から逃れられん。若い時期の激しい死に様も考えものだな。

 だがこの本の結果と同じさ、最初から持っているんだ。だからどこを探しても見つからない。まあ、この本を読め、それで俺の宝具は発動する。そして帰れるはずだ。



 H・C・アンデルセン



 P.S. 人魚姫が悪さをしたようだがそれはすまない』





 なんだか酷いことを言われている気がしたが信勝は絵本を開いた。青い鳥というタイトルでメーテルリンクという作者が書いたらしい。



 それはこんな話だった。







『幸せの青い鳥 あらすじ』





 あるところにチルチルとミチルという仲のいい兄妹がいました。二人は貧しく、お金持ちを羨んで暮らしていました。



 ある日、二人の前に老いた魔女が現れて幸せの青い鳥を探せと言います。魔女はダイヤモンドのついた帽子を渡し、恐る恐るチルチルがそれを回すと世界は一変します。ダイヤモンドを回すと魔法の力が使えるのです。



 青い鳥を探すためにチルチルとミチルは旅に出ました。思い出の国、夢の国、未来の国。どこでも青い鳥はたくさんいました。けれど二人が捕まえるとすぐにその青さを失い、黒く変色して死んでしまいます。



 結局二人は青い鳥を捕まえることができず、がっかりして家に帰ります。するとチルチルとミチルは驚きました。自分たちの部屋の鳥籠に青い鳥がいるではありませんか!



 最初から自分たちの部屋に青い鳥はいたのです。





おしまい







「なんだこの変な話、最初から青い鳥が自分の部屋にいたら分かるに決まってるじゃないか。そんなバカなことあるわけないだろ」



 つい真剣に読んでしまった分、信勝は結末にがっかりした。作者は結末を投げてしまったのではないか。こんな話がなんの力になるんだろうと最後のページを閉じる。





……ほんと、バカだね、僕は。自信があるのかないのか……





「うわ!?」



 絵本を閉じた途端ボンと音がして、絵本が人の姿に変わる。



 それはさっき聖杯に囚われた子供の信勝だった。いや、さっきより少し成長している。さっきは三歳くらいだったが六歳くらいに背が伸びている。さっきと同じ着物と袴を着て、なぜか胸に青い鳥を模したバッチをつけている。



「お前、無事だったのか! よかった……いや、正直今でもお前が何者なのか僕にはさっぱりなんだけど」



……僕も流石に死んだと思って走馬灯とか見えてたんだけど、青い髪のサーヴァントに助けられたんだ。なんでも僕はその人の力で生まれたから闇の中から掬いあげられたんだって。もうだいぶ疲れたし、お前しかできないことがあるって僕をスカウトしたんだってさ……



「えっと……カルデアがお前を助けたってことなのか?」



……大体そう。ついでにその人の力で役割を与えられてパワーアップした。おかげで背が伸びて頭もスッキリしてきた。さあ行こうか、じゃあ行こうか「僕」……



「え? どこへ?」



 子供は少し照れたように自分の胸の青い鳥のバッジを掲げた。



……僕が青い鳥だ。だから決まってるだろ、君が姉上を幸せにする方法がある場所だよ。全ては最初から君の中にある。青い鳥が最初から自分の部屋にいたみたいに……

















続く


















あとがき





 七花は「夫婦ごっこは10話で終わらせる」縛りを地面に放り捨てた!!(不可能だと理解した)



 あと何話になるか分かんなくなってきましたがお付き合いいただけると幸いです(^^)。



 一度、「もしも生前の信勝が、信長と一緒に戦国時代を駆け抜けたらどんな風か」を書いてみたかったので満足です(ラストが悲惨ですがカッツならああすると思った)



 次はほとんど書けてるので来週か再来週にはアップできると思います。元々1話のものを長くて2話に分割したので(^_^;)。



 次回は信勝の愛情受信機能の破損を修復する話になります。自分では前例のないことをやるので楽しみ?です。



 ところでミコケルと水着バーゲスト引けました、イエーイ! なんとミコケル奇跡の2枚抜きしたんだぜ。







2023/08/20







余談



聖杯の少年



 ボスキャラなのでちゃんとキャラ設定考えた。



 本来の聖杯的には「全ての人の願いを(リソースの範囲で)叶える」をやって存分に汚れたので役目を終えてる。だが、少年が最後にもう一度願ったので聖杯の力の主導権は少年にある。



 戦国時代の日本のどこかの大名家の嫡男。十五歳になったばかり。臆病で心優しくちょっと世間知らず。勉強は好きだが戦で人を殺すのが嫌い。陰で貧しい人に食べ物とかあげてた。父は嫡男に厳しく、母は気弱な人だった。こんな時代に生まれたくなかったと影でよく泣いていた。



 信勝に最強の姉がいなかったらこんなだったかもしれない。



 うっかり聖杯を拾って「みんなを幸せにして」と願ったら地獄絵図になったのが運の尽き。人間の醜さをたっぷり味わって絶望して、聖杯の泥に身を投げ、聖杯そのものになった。父は家臣たちを殺そうとして殺され、母は領民を殺して少年に刺されて死にました。他の家族も全滅。



 聖杯になった今は「人間は汚い生き物、自分のことしか考えない、こんな醜い生き物もっと苦しめばいい」とそれを証明しようとしている。なので、織田姉弟が自分よりも相手を大切にしている姿を見ると「そんなはずはない、人間は自分のことしか考えない汚い生き物だ、醜い本性をだせ」と感情的になってかえって手際が甘くなっている。また絶望と万能感で思考が幼くなっており、行動にも矛盾が多い。



 信勝のことを選んだのは自分に似ているから、またその願いが人を不幸にするものだったから。







※聖杯が選んだ信勝の願い



 二つに分裂している。その両方が信長か周囲の人を不幸にする。



 大人の信勝の願いは「姉の記憶から自分の記憶を全て消すこと」。カルデアの信勝の願いは大体これと同じ。自分が原因で姉が苦しむなら自分を消せばというせっかち。自分が姉が苦しませているのは分かっているがなぜ苦しむのかは別にわかっていない。



 これが叶うと信長はストレートに家族から愛された記憶が完全になくなり、今より少し冷たく乾いた性格になる。信勝本人は証拠隠滅のために消滅する。信長本人は信勝を忘れるのでもう悲しみようがないが、周囲の人々は覚えているので変わってしまった信長と消えてしまった信勝の二つの喪失に悲しむことになる。あと信長はのんびりした記憶や安心した記憶が減り、イライラすることが増え、寝つきが悪くなる。

 信勝本人はいいことしたと思って満足して消えます。



 子供の信勝の願いは「自分を最強の姉に相応しい最強の弟にする、それで今度こそ姉に愛してもらえる」。これが叶うと現在のただの優秀な凡人である信勝は消えて、天才の別人に変化します。信長からすればまた弟が死んだのと同じなので喪失の痛みでまた苦しみます。しかも初対面の自称弟が周囲をうろうろするので余計思い出して苦しみます。

 信勝本人は今度こそ愛してもらえると信じて安らかに眠ります。



 もっとちゃんと叶えろよって感じですが汚れた聖杯なんてこんなもんです、はい。









『〜もしも信勝があの時死ななかったら〜』





 死後に信勝と再会して、憎まれていなかったと知った信長が心の奥に封じていた願い。



 この世界の信勝は鉄でできた心を持つと思われている信長の大きな弱みだと見なされていた。それほど信長は信勝を甘やかし、特別扱いしていた。

 なので沢山賄賂が送られていたのだが、いつもは穏やかなのに、姉に絡めて不正をしようとすると信勝が刃物を振り回して襲いかかってくるので「あいつは姉と同じ、いやもっとやばいやつだ」とだんだんそういう連中からはかえって避けられるようになった。

 戦でも頑張ったが基本的に後方支援(信長があまり危険なことをさせなかった)。