ノーマル姉と魔王様に挟まれてバグるカッツ


※ノーマルな姉上とモデル身長の姉上と吉法師姉上が三人バラバラに存在しているカルデア。
※英霊の座がインターネット。



 魔王の信長はがっかりしてノウム・カルデアの廊下を歩いていた。手には食堂の戦利品が抱えられているが、目的を果たせずかえってむなしい。

「なんであやつはああも頑ななのだ……ん?」

 踏まれることに一定の需要がありそうな鋭いヒールが止まる。

「なんて僕は無能なんだ……限定のやきそばパンどころか、コロッケパンもカレーパンも買えないなんて。やはり僕は無力だ……頼んでもらったのにごめんなさい、姉上……あそこでバーサーカーの腕が当たらなければ……うっうっ」

 廊下の向こうで弟の信勝がふらついて歩いている。涙まで滲ませて手にはなぜか大量のコッペパンを持っている。俯いて全く前を見ていないのでこっちには気付かない。

「買い出しもろくにできない信勝をどうかお許しください、姉上……」
「なんか知らんが許すぞ」
「ふえ!?」

 姉は弟の進路を塞いだ。ぼいんと胸のあたりではね飛ばされ信勝(164cm)は吹き飛んだ。三メートル先で頭から床に落ちる弟の姿にいくらでかくてもあんな弾力ある? と自分の乳に思わず手をやる魔王(180cmくらい)。脳が揺れた衝撃でふらつく頭を何とか起こすと信勝は仰天した。

「あ、姉上!? す、すみません、前を見ておらず……あと今のバスケットボールのダンクみたいな感触を考えるに……ごめんなさい、切腹します!」
「せんでいい。ところでどうした、カツアゲか?」

 幼少期のせいで姉の頭の中は弟が泣くイコールカツアゲの図式が出来ていた。

「僕には過ぎた幸せでしたー! もう生涯に悔いはありません!」
「乳魔神的思考はやめい、コッペパンでは腹は切れんぞ」

 コッペパンを腹に当てる無茶苦茶な弟に魔王は散らばったコッペパンを三つ拾ってあげた。ビニールに包まれた大量のコッペパンに魔王は見覚えがあった。食堂でエミヤとブーディカがバスケットで売っているパンだ。人気があり、よく売りきれるが、味のついていないコッペパンは最後まで残っていることが多い。

「なんじゃ小遣いを巻き上げられたのかと思ったら、昼飯が買えなかっただけか」
「ぼ、僕だって別にいつもいじめられてた訳じゃないです! 九歳までですし、帰り道の三回に一回くらいでした! あと僕は乳魔神ではありません、父上とは違うんです!」
「きゃんきゃんうるさい。人の乳をいつも凝視してるくせに今更なにを恥じらう? 父上は全く恥じておらんかったぞ」
「僕は乳が好きなんじゃなくて姉上が好きなんです! ぺったんこの姉上もロケットの姉上も姉上です! ゆく河の姉上は絶えずして、しかも元の姉上にあらずですよ!」
「それ滅んどるじゃろ、そーゆーの乳魔神の方がマシなんじゃぞ」

 ぺったんことか小さい方の姉が聞いたらへし切りが飛びそうな発言をしている。なんだかんだコッペパンを集めて、立ち上がらせてくれる大きな姉に信勝は緊張した。

(僕の知らない姉上)

 カルデアには姉が三人いる。信勝のよく知る姉、少年のような姉、そしてあらゆる意味で大きな姉だ。そして二十歳少しで死んだ信勝には目の前の姉がもっとも知らない姉となる。

(この姉上のことはほとんど知らない、失礼のないようにしないと)

 いきなり顔面から乳で吹き飛ばされてそれ以上失礼もないが、信勝はマントの位置がずれてないか留め金を確認した。拾ってもらったコッペパンもきれいにエコバック(茶々が作ってくれた)に入れる。子供の頃に冊子を床にぶちまけ姉が拾ってくれたことを思い出し、やはり大きくても姉は姉だとほっとする。

「ありがとうございます」
「うむ……腹が減ったなら、これを食え」
「や、焼きそばパン!?」

 食堂ですぐ売り切れる筆頭商品だ。元々小さい信長(便宜上そう呼ぶ)が信勝に買いに行かせたパンでもある。そして飢えたサーヴァントの軍団を前に信勝を敗北させたパンでもある。

「もう我には不要なものじゃ、食え」
「よ、よかった……これで明日も生きていけます」
「大げさじゃな、なんならカレーパンもやろう」
「こ、こんなに……ありがとうございます、今度お礼になんでもします!」

 姉がからむと問題発言の多い弟だった。

「ほう……なんでも?」
「はい、パンでも命でもお好きなように! もちろん、パンがなくてもいつでも僕はそういたしますが」

 あまり意味のない恩返しかもしれない。

 じっと魔王信長は遠い過去に亡くした弟をのぞき込む。大きな姉とも仲良くしたい下心も若干含まれていたが信勝は基本的に姉の役に立ちたかった。

「我のためならなんでもすると言うたな、二言はないか」
「はい、もちろんです! この身は全て姉上のものですから!」

 この言葉を信勝は深く後悔することになる。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 まだパンを届けに行こうとした信勝の襟首を魔王信長は押しとどめた。通りすがりの坂本龍馬に「信長にパンを渡せ」とエコバックを押しつけると不思議そうな顔をされたが引き受けた。万一にもつまみ食いをするような男ではあるまい。

(姉上、勝手に出てきて怒ってないかな。でも姉上の言ってることだし、でも姉上が……ああこんがらがってきた)

 一人のはずだった最愛の姉と姉の間で葛藤する日がくるとは思わなかった。小さい姉の怒り顔を想像しておろおろする信勝は魔王にずるずると引きられて見覚えのない部屋に連れ込まれた。

 ぱちんと明かりがつくと部屋は魔王と信勝の二人きりだった。

「大きな姉上、ここは?」
「元は倉庫じゃ、たまに使っておる」

 確かにそこは倉庫だった。部屋は広く、あまり物が置いていない。三つのワードローブのハンガーに様々な服が掛かり、大きな鏡が二つある。中央には大きな紅いソファの前に黄金のドクロが飾られている黒いテーブルがある。

「カルデアはサーヴァントが多くて部屋不足と聞いたのですが」
「うむ、実は前にうっかり異界を開いて空間ゆがめ……いや、我が寄越せと言ったら快く渡しただけのことよ」
「流石姉上! ランダム効果のカリスマBーですね!」
「うむ、くれぐれも口外するなよ、部屋の平等とかダ・ヴィンチがうるさいからな。ほんと小遣いを減らされると面倒だし」

 寝ぼけてうっかり炎上空間に接続したことを隠す魔王と深く考えない弟。魔王は大股でワードローブに近づく。なにをするんだろうと信勝がとてとてと後ろに続く。すると魔王は振り返ってハンガーに掛かった服を押しつけた。

「ではこれを着ろ」

 それは赤いマントと黒い軍服だった。

「えっとこれは……ノーマル姉上の服?」
「その言い方だと我があぶのーまるというやつみたいではないか」
「姉上はいつもスペシャルですよ!」

 言葉が通じない弟に魔王は半眼になった。一番知る姉が愛用している「帝都」という場所の服だ。黒い軍服に赤いマントと帽子。刀や飾りやブーツも揃えている。わざわざ作ったのだろうか。

「小さき我は小憎らしくてな。可愛らしいから近こうよれといっても逃げる。好きなパンまで買ってやったのに自分に侍らされるのはいやだといいおる」

 どうやらさっきのパンは元々小さな姉のものだったらしい。

「最近の若いもんの考えはわからぬ。可愛がってやると言ってるのに真顔で逃げるか銃撃戦じゃ。色々着せて写真を撮りたいだけなのに」
「大きな姉上は小さな姉上の写真を撮りたいのですか?」
「そうじゃ。色々譲歩しているのじゃが本人はちっとも近よらぬ。ちょっと黄金ドクロの首輪とかつけたいだけなのにケチだ。我はあそこまでケチではない。あやつはもっともケチな信長に違いない」

 なるほど。信長本人は承諾するまい。

「だからこれを来てお前が小さい我の代わりをしろ。元服前は似ていると言われておったお主なら、それなりに似るだろう」
「つまり僕が小さな姉上の格好をして写真を大きな姉上に撮られる……?」

 それは礼ではなくご褒美なのでは。

「そうじゃ、じゃねりっく我といったところか」
「ジェネリック姉上……!?」

 ときめく響きだ。

「連呼するな」
「でも僕なんかが……ジェネリック姉上になれるのでしょうか?」
「外見が似てるなら今回はそれでいい。じぇねりっくとはそういうもんじゃ」
「そ、そっか……?」

 自分が姉の代わりになるとは思えないが信勝は外見にだけは自信があった。子供の頃から姉と似ていると言われるなら顔はいいに決まっている。

 しかし一つ気になることがある。

「えっと……ノーマルな姉上には内緒でお願いしたいのですが」

 姉に指図するなど図々しいが別の姉が怒るとなると気になる。ブレないはずの優先順位が混乱した。どちらの姉を優先するか迷う日が来るとは、カルデアは妙な場所だ。

「まあバレるとうるさかろうな。ところでなんじゃ、やはり我はアブノーマルといいたいのか?」
「い、いえ、ちょっと年齢とか、大きさとか……」
「でかいとは乳か」
「ち、違います! 身長とか、領土とか!」
「やはり乳魔神は遺伝か」
「だから僕は父上とは違います~!」

 ぎゃあぎゃあとこだわる弟が魔王は面倒になって鋭く言った。

「いいからさっさと着ろ!」
「本当に……小さい姉上には内緒でお願いしますね」

 信勝は意外とさっさと着替え始めた。マントとベルトをぽいぽいとソファに放る。しかし上着の前をあけると真紅の瞳からの視線が気になる。

「あの……仕切りとか、隠れる場所とかありませんか?」
「我は気にせんぞ」
「その、恥ずかしながら貧弱なので……着替えに集中できません」
「ではドアを見ているからくれぐれも丁寧に着替えよ。この前勉強した、こすぷれはくおりてぃだ肝要だと……だから着替えに集中しろ」
「すみません、それ誰に教わったか名前を教えて欲しいのですが。ちょっと小型爆弾を……」
「ええい、我は待つのは好かんと知っておろう! 早くしろ! あと三分で着替えよ!」

 視線がなくなったので信勝はあわてて服をばさばさと脱ぎ捨てる。中のワイシャツはそのままで(どうせ大差はない)軍服の上下を着て、マントを羽織る。姉のブーツを履くのは意外と難しい。あとは帽子と飾りと……。

「えっと……姉上、終わりました!」
「……」

 もう七分経っていたが魔王は特に怒らなかった。

 着替えた弟は色が反転したようだった。赤いマントに黒い軍服。飾りや靴は違うが細かな差異だ。赤いマントを着た弟はちゃんとマントの緑の飾り紐の結び目も再現していた。

 やはり似ている。
 年を取っても自分たちは似ていったのだろうか。

「……思ったより似合うではではないか」

 そういうと花が咲くように笑う。きっとその無防備な笑顔だけは似ることはないのだろう。

「えへへ……ち、ちなみにこの服は小さな姉上の着たものだったり?」
「いや、QPから作った」

 肩を落とす弟は表情以外はなかなか再現度が高かった。その顔も髪も見た目は似ているのに性格は反対と言われた頃と変わらず……もちろんこの過去はあの信長のもので自分にとっては無数の過去の一つでしかない。

 そう。魔王にとってこの信勝はあまたの信勝の一人だった。しかもとびきり『珍しい信勝』だ。

「うーんとこうして……これでいかがでしょうか」

 マントの裾の位置を鏡で確認すると信勝はぐるりと横に一回転回った。

「もうちょっと胸を張れ、あと腕を組め……いつもの服よりいいかもしれんぞ」
「そうですか? 軍服が赤から黒に変わってようにしか見えませんが」

 服装自体は色違い程度の違いしか感じられない。姉が着れば何より美しいが他が着ればただの服だ。鏡の中の自分は覇者のオーラはちっともなくて落胆する。

「あとは髪じゃ、真っ直ぐにしてやるからじっとせい」
「えっ?」

 しゅるしゅると髪を束ねた紐が解かれる。束ねた髪が広がり、ブラシで真っ直ぐに延ばされていく。

「なんじゃ我に似せるというておるだろう、動くな」
「え、え、え~~~?」

 首に指が触れると身体が飛び跳ねた。気まぐれに伸ばした髪を一束三つ編みにて大笑いしている。魔王は今更人形遊びに目覚めたらしい。魔王らしいのはその人形が人間ということか。

「もっと楽しそうにしろ。いつも言っておるように我といれば幸せでないのか?」

 近寄れば喜ぶと思ったのにぎくしゃくする弟に少しがっかりする。

「そ、それ以上に恐れ多くて、これ姉上は楽しいでしょうか?」
「楽しくなければしとらん。うむ、お前は我より髪が硬いな」

 元々信勝はストレートの髪質なので信長の髪型を真似るのは時間はかからない。変わっていく鏡の中に姉の面影を見て心臓が跳ねる。

(本物の姉上みたいだ)

 顔におしろいが塗られて少しだけ紅を塗られる。帽子をかぶせて完成。今更恥ずかしくなってきた。

「それでこれからなにを……」
「今度はこれを持って笑って見せよ、ポーズはこの写真と同じにしろ」

 魔王はいつのまにか値段の高そうなカメラを持っていた。

 どんと大きなパンダのぬいぐるみを渡される。よし笑えと言われ、カシャカシャと予告なくシャッターを切られると笑顔がひきつった。

「なぜ緊張する? カメラで魂はぬかれんぞ」
「すみません、表情の指定もお願いできますか」
「もう一人の我らしければそれでいい、にかっと笑え、にかっと」

 他にも色々な動物のぬいぐるみを持たされてポーズを取った。ようやくノってきた信勝は内心苦笑した。

(これは確かに小さい姉上はさせないし、怒るだろうなあ)

 本当に人形遊びだ。大きな姉はライオンのぬいぐるみを持たせて上目使いのポーズを指定してくる。赤い絨毯の上で膝立ちで。小さな姉にやらせたら間違いなく怒るので信勝の方が適役だ。

 それからも様々なポーズを忠実にこなした。すると魔王は言った。

「なんじゃお前、本当に女みたいではないか?」
「女みたいって姉上が似せたんじゃないですか」

 急に無言になった魔王はさっきまでの活気が消えた。

「……姉上?」
「もういい、近こうよれ。茶を用意してある、獅子の人形を持ったまま我の横で茶を飲め」

 突然姉は信勝の手を引っ張った。赤いソファで大きくなった姉の横に遠慮がちに座る。すると肩と首に手を回されて、がっちり身体を寄せて……。

「ああああ、姉上!? まずいです、頭に、頭の後ろにすごい弾力が!!」
「後頭部だけ許す、他は許さん」
「限界! 限界です! 僕の霊基が消滅しちゃいます!」
「うるさい、こうやって小さい我を侍らせたかったのに叶わん……少しは我らしくしろ。大体再会した時に触ろうとした乳魔神のくせに今更、襲いかかっても筋力DではBには勝てんぞ」
「そういう問題じゃないです! あとあれは乳じゃなくて~!」

 泣き喚くと魔王は肩をくっつけることで妥協した。信勝は内心小さい姉と泣き落としの方法が同じで驚いた。

「全く我を妥協させるなど、お前も魔王の血筋よな」
「今のは夢……夢」
「いいから小さい我らしくせんか」

 頬をつねられて信勝はようやく趣旨を思い出した。

(小さな姉上らしくしないと、ええっと姉上って侍る時どうするんだろう?)

 しかし姉は侍られる側で侍る姿はイメージできない。

「わ、わはは……第六天魔王じゃー」
「想像以上に似ないな」

 今日で一番深刻にがっかりされた。信勝なりの決死の演技を披露するが全て似てないと言われる。めげずにチャレンジを続ける信勝に魔王はふっと笑った。

「あ、今の似てました!?」
「もういい、似てなくて逆に笑えた。ほれ、ちこうよれ」

 肘を絡めて信勝の頭を肩に乗せる。身長差でちょうどよく肩に収まる。

「あがががががががが!?」
「壊れたからくりか、侍れと言ったんじゃ。これくらいはよれ、パンの恩を忘れたか」

 姉と身体が軽く触れるなんて普段の信勝なら頭が沸騰しているが、今は別の事が頭から離れなかった……子供の頃の匂いとも若い頃の匂いとも違う。
 大きな姉は気配こそまがまがしいが清潔にしている。それなのに血と硝煙の匂いがした。

(この姉上は僕の知らない姉上。これから魔王になる姉上じゃなくて、もう魔王となった姉上なんだ)

 信勝が道を開いた故に見ることができなかった。嬉しいのに寂しい。この姉は歴史の向こうで信勝はその道を記録でしか知ることはできない。

「なんじゃ、また泣いて。我は何もしとらんぞ」
「いえ……その、姉上はとても遠くへいってしまったと……」
「また妙なことを、横におるだろう」
「そ、そうですよね! 僕、おかしいですよね」

 袖で涙を拭う。姉にだけは嫌われたくない。こうして死後会えただけで幸せなはずだ。

「……お前は面白いな」

 ぐいと手ぬぐいが目元に押し当てられる。魔王は弟の涙を拭うとじっとその顔を見下ろした。この信勝はとても珍しい。

「自分で拭くので、大丈夫です。よくわかりませんが姉上が面白いと思ってくださったなら、僕はうれしいです」
「我は世辞は言わん、まあ気を遣わんとまではいわないが」
「でも僕が突拍子もなく泣くのってなにか面白いですか?」
「不思議だからな、退屈せんしどうしてだろうと思う。別にいじめではないぞ」

 幼少期弟と遊んでいると母からよくそういう疑惑を受けた。魔王でもちょっとは気にしていた(ただ茶釜を爆破した寺にうっかり置いてきたのでいじめ疑惑自体は仕方ない面もある)。

「姉上が僕をいじめたことなんかないです、逆にいつも助けてくれたじゃないですか」

 ようやく大人しくなったお人形、もとい弟に気をよくした魔王は囁いた。

「今日は面白かった、明日もおいで」
「は、はい! もちろんです! ……あ、でも、小さな姉上にバレないようにしないと」
「いいではないか、帰らなくて……小さい我に嫌われているのだろう?」
「……え?」

 足下がぐらりとゆれた。

「でなかれば欲張りの我が手元から話して、雑用で遠ざけたりするものか」
「……姉上が、僕を嫌い?」
「いらないと思われいるなら我の元へこい、だって嫌いなやつが傍にいるなんてうっとうしいからな」
「……」

 うっとうしいとはよく言われている。心当たりしかない信勝はなにも言えなかった。

「明日もおいで、お前といると我は愉快だ。そういう我と一緒にいる方がお互いいいのではないか?」




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「信勝、どこをほっつき歩いておったんじゃ。茶々が心配しとったぞ」

 信勝が夜になってこっそり金の茶室を覗くと後ろから声をかけられた。小さい方の姉だ。信長は寝る前らしくマントと帽子を外して足下もスリッパだ。

「姉上! すみません、えっと……ちょっとシュミレーターで訓練を」

 我が弟ながらアドリブが下手だと信長は呆れた。珍しく激戦のパンが届けられたと思ったら、いつまでも帰ってこない。かつてない事態で部屋をうろうろする信長に沖田は「気になるなら迎えに行けばいいじゃないですか」とか気楽にいっていた。

「嘘が下手じゃな」
「ぼ、僕が姉上に嘘なんて……つきました。すみません。本当はキッチンにいました、パンをもらう代わりに皿洗いをしていたんです」
「……なるほど、どうりでコッペパン以外が届くと思った」

 信勝の演技はうまくいった。事実を絡めた嘘はバレにくい。それに長年信長の弟をやっているので小さな嘘ならつける。

「まあキッチンの連中なら大丈夫じゃろ」
「あ! 姉上、もしかして僕を心配して……!?」
「しとらんわ! ええい、やっと戻ってきたと思ったらうっとうしいんじゃお前は!」

 がしっと腕にしがみついてくる信勝をいつものように振り払う。また第二のしがみつきがくるかと信長は身構えたが、いつもならそのままくっついてくる信勝は逆に身を引いていった。

「……?」
「……すみません、僕がいるとうっとうしいですよね」

 そのまま信勝は自室へ帰っていった。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 約束の時間ぴったりにやってきた信勝に魔王に笑顔を向けた。

「やはり来たか、どれ今日の衣装はどうするか」
「僕が姉上の招待に応じないわけないですよ」
「己の丁度いい場所に収まればいい、分かっているではないか」
「……はい、信勝は姉上の助けになれることが一番幸せです」

 この姉は信勝を必要としてくれる。着せかえ人形として飽きるまでは傍にいよう。その間はあまり小さな姉には近寄らないようにする。

(姉上もうっとうしい僕がいないとその分気楽なはず……大きな姉上が飽きるまで、ここにいよう。ほんのちょっとのことだし)

 今では姉が増えてしまったが、明治維新で再会した姉は小さな信長だけだ。もちろん、この魔王のような姉もその可能性を持っているのだろうが。

「今日は姿を変えてみよ、我と同じように紅い髪をした仮面をつけた姿じゃ。しゅみえれたあとやらで見かけたぞ」

 第三再臨のことだろうか。姿を変えるのはまだ慣れていないができないことではない。

「少し時間がかかりますができます。ただ髪が紅くなるとノーマル……小さな姉上と姿が違ってしまうのでは?」
「かまわぬ、今日は我と似たお前をいじくってみたい」

 今日は何を着せられるのだろう。でも姿がいくつかあってよかった。少しでも長く飽きられず必要としてもらえる。何度か失敗したが金の光と共に信勝は紅い髪と黒い仮面を付けた姿に変わる。

「これでよろしいでしょうか?」
「うむ、よいぞ。前に見かけたときに思った、どの我よりもお前は我と同じ髪の色をしている。魔王の最果てなどお主が見ることもなかったのに……不思議と同じ炎の気配がする」
「そ、そうなんですか? 本当に姉上と同じなら嬉しいです」

 魔王は楽しそうに信勝の後ろに回ると髪を縛るひもをさっさと解いた。はらりと広がる紅の髪は炎が揺れる様に似ていた。ふと一房弟の髪を手に取ると熱くはないがどこか火の熱を感じる。

 魔王の髪と同じだ。確かに二人は姉弟なのだ。

「ああ、この仮面ははずせ」
「でもこれがないと僕、かなり逆に童顔が目立つので」

 遠慮なく弟から仮面をはぎ取ると若い頃の自分がそこにいるようだった。紅の色、黒い衣装、まるで魔王のまま若返った自分がいるようだ。

「色々着替えさせるのに邪魔だ、ああその服も脱げ。マントに全身黒タイツとか微妙じゃ」
「姉上が言いますか!?」

 信勝を気にせず魔王は衣装の選んだ。昨日は姉の服とぬいぐるみですんだが、今日はどんな服を着せられるのだろう。奴隷の衣装でもかまわないが、女性の服だと着方がわかりにくい。

「とりあえずこれを着ろ」
「こ、これですか……」

 二十一世紀風ゴシックロリータの服だった。紺の生地に白いレースと黒いレースが組み合わさっている。スカート丈は膝下十五センチ。靴は十センチの厚底の編み上げブーツだった。

 これは大変だ……女装は平気だが着る方法がわからない。

「昨日と趣向を変えて、当世風にしてみた。これを着たら我に給仕をしろ」
「が、がんばります!」

 主になんども質問される予定の英霊の座が。

 魔王は今日は目隠し用の仕切りを用意してくれたので服を抱えて隠れる。洋服なので構造は分かったがパニエというのがよくわからない。スカートって勝手に膨らむんじゃないのか? なんどもスカートの膨らまし方を尋ねると英霊の座から「そういうのうちの仕事じゃないんで」とチャンネルを切られた。

 それでもなんとか「完成」した。

 エプロンをつけると割と完璧だった。鏡の中では真紅の髪のゴスロリメイドが立っている。髪をほどいた信勝がパーテーションから出てくると魔王の機嫌は悪かった。

「お待たせしました!」
「待たせ過ぎじゃ、暇だから我が茶を淹れてしまった」

 しかも紅茶ではなく、抹茶を点てられている。

「えええっ!? ……のろまですみません」
「許さん、さっさと横で茶を飲め。飲んだら写真じゃ」

 申し訳なさで抹茶の味はさっぱり分からなかった。

 それから信勝は色んな服を着た。清朝風の真っ赤なチャイナドレス、やたら丈の短いセーラー服、黒いガーターベルトつきのナース服、黒縁眼鏡の女性書店員風の衣装、なぜか骨盤あたりまで背中があいたセーター……。

「なんじゃ違和感がないぞ。やはり女みたいではないか」
「お、お役に立てていればなによりです……」

 姉上至上主義でブーストをかけてきたが二十着目となると大分疲れてきた。
 デジカメをもつ魔王は少し遠い目をしていた。

 二十以上の服を着て、三十種類以上のポーズを取った信勝は和風メイド服を着る前に力つきた。こんなに着替えが疲れるものだとは知らなかった。

「姉上、すみません、水を、水を一杯だけ……」
「ん、疲れたか。よいよい、休め」

 床でのたうっている弟を魔王はひょいと肩に持ち上げた。真っ赤になってなにか喚いている弟の声は無視して、ちょこんとソファに座らせる。

「なんだ衣装が元の黒タイツに戻っておるぞ」
「これはタイツでは……すみません、この格好が一番楽なので」

 英霊によっては衣装だけで霊基が変わる者もいる。意外と着替えは魔力消費が激しい。

 疲れた信勝に魔王は今度は抹茶ラテを淹れてくれた。なにをしにきたのだろう。写真で忙しかったとはいえメイドになったのに給仕をしてない。食べている市松模様のクッキーも全て大きな姉が用意してくれた。くつろいでいる。

(本当に遊びに来たのか僕は!? こ、このままじゃこの姉上にも嫌われてしまう……!)

 休んだら全力で給仕をしなければ。顔が情けなく歪みそうできょろきょろとテーブルを見回した。

「あ、あの、僕の仮面はどこでしょうか?」
「……こうしておればよかったのかもしれん」
「やっぱり仮面がないと僕はどうも落ち着かなくて」

 魔王はテーブルの下の手を伸ばす信勝の背を後ろから抱きしめた。

「お前は死んだことにして、女のフリをさせればバレなかったかもしれない。そうすれば命はとらんですんだやもしれぬ。……確かにその姿より少し背は伸びていたが誤魔化せないことはなかった。
 間の抜けた事よ、あの頃は寺に閉じ込めることしか思いつかなんだ」

 突然ふられた過去の話。背中の感触に顔を赤らめることすら忘れて、弟は首を横に振った。

「いえ、僕は……尾張の統治には邪魔ですから」
「臣下の一人を夫役にでもすればいい目くらまし兼世話役になったろう。
 そうか、女のフリをさせればよかったのか、あはは、ははははは!」

 唐突に笑い声を上げるとぴたりと止め、魔王は遠い目をした。ぎゅうとより強く抱きしめられて信勝は逃げようとしたが首と腹をしっかり押さえられてほとんど動けない。

「我としたことがとんだ盲点だったわ」
「……?」

 妙な気がした。少し腕の力が緩んだ隙に信勝は姉を振り返った。

「あの……もしかして姉上は僕が死んで悲しかったのですか?」

 言ってすぐ首を信勝は横に振る。そんなはずはないのだから早く否定してほしい。

「仮にも二度謀反を起こした僕にそんなはずないですよね。しかも僕なんか無能で馬鹿でなんの価値もないのに。でも誤解しそうになりますよ、僕の命を惜しんでくれたみたいで……あはは、自分で言ってて変ですね。僕の死なんて姉上にはどうでもいいことなのに」

 弟は「勿論お前などいらない、当たり前だ」という言葉を待った。悲しくはない、当然のことだ。

「……誠にお前は我を逆立てるのが得意よな」

 魔王は信勝の首を締め上げて、宙に吊り下げた。ソファから立つと弟の足がぶらんと揺れた。

「あね、うえ……僕は何を失敗したのでしょうか?」
「……本気で言っているのか?」

 魔王の刀が炎を纏って信勝の腹にかすめる。姉にならいつだって殺されていい。ただ死ぬ理由が知りたかった。

(ごめん、亀くん、僕、あんまり姉上の役に立てなかった……)

 恩人の顔を思い浮かべる。信勝の身体からだらりと力が抜けた。

「いいえ、僕なんかに姉上の考えが分かるわけありませんよね。どうぞ、お気のすむようにしてください……」
「……もうよい」

 落とされたのが床でなくソファだったのことを信勝はただの幸運だと思った。真実は魔王は弟を痛めつけたくなくて柔らかい場所に離した。もちろん口に出さなので伝わらない。

(なるほど、可憐な我はこうしてこいつとズレていったのか)

 そして魔王は別に理由で口に出さなかった。呼吸が戻って、ごほごほと咳をする弟の背に思わず手が延びるが魔王は止めた。

「そうだな、後悔した……我ならもっとうまくやれた、弟一人生かすことなど簡単にできたはずだ」

 地方大名の一人にすぎなかったこの身が日の本の大半を掌握し、将軍さえ意のままにした。その力があると最初から知っていればきっと。

「……姉上なら僕に思いつかない策を思いつきますもんね。でも僕なんかをそんなに気に懸ける必要ありませんよ。性別なんてくだらないことですがあの時代は大名家の火種のもと、災いの芽は後腐れなく摘んでおくに越したことないです」

 死んでしまった自分を摘んでしまえばいい災いの芽と言い切る。

 弟の話はある種の正論だ。戦乱の世に情など無用ということだ。だから自分の死にはなんの問題もないという態度が、どう料理してやろうかという思考に魔王を傾けていく。

「だから死んだことにして、という話をしておったのに」
「確かに寺より死んだことにしたなら、火種もマシやもしれませんね。でもそこまで手間をかける価値はないですよ」

 自分を殺した方が早い。信勝の頭にはいっさい弟を手に掛けたことが姉を苦しめたという事実は浮かばないようだ。

「お主は頑固じゃな、そういうところは母上に似てる」
「そ、そうですか? 僕なんかに特に通すべき我なんでないのですが……で、どうしてお怒りになったんですか?」
「……」

 全然分かってない。魔王は小さくため息をついた。

「……仮面をつけようとしたのでムカついた、我は外しているほうが好きじゃ」
「なぁんだ、そうだったんですね! やっと分かりました」

 絞め殺されかけて花のように無邪気に笑う。その首に指の跡があることに魔王の胸が痛むことなどあり得ないと切って捨てている。誰よりも姉を愛する弟は自分への愛だけは存在自体を否定していた。

 歯がゆい。きっとこの歯がゆさは今まではあの軍服を着た「小さな自分」だけのものだった。しかし魔王にも少しずつ彼女の気持ちが分かりつつあった。

 信勝は全てきれいに終わったと思い、散らばったクッションを片づけていた。

「それではこれからはずっと外しておきますね」
「ノーマル我に同情してきたぞ、酷い男じゃないか、お前」
「え、ええ!? なんでですか!?」

 魔王はふと柔らかい表情になって信勝の頭を撫でた。

「今日はもういい……明日また、必ずおいで」
「はい、勿論。僕はいつでも姉上のお側に少しでもお役に立つように……」
「……小さい我の所に帰るのは止めぬか?」
「……え?」

 いいじゃないか。
 魔王はそういって信勝の耳元で囁いた

「今言っただろう、お前は酷い男だと。だからあやつはお前が嫌いなのだ。同じ「信長」である我の言葉を疑うのか」
「で、でも……それは……もう帰らない、なんて」
「小さい我と我は違う。お前を嫌ったり、うっとうしがったりせぬ。珍しくて面白いからな。望まれた場所にいる方が幸せだ」
「……小さい姉上に直接嫌いと言われたわけでは」
「では聞いてくるがいい、お前が嫌いかどうか」

 どうせ怖くて聞けやしない。
 そう確信して魔王は珍しく優しく笑った。
 珍しくて面白くて……かわいい弟だ。

「明日も同じ時間においで……我はお前がいると楽しい。適材適所とはいい言葉ではないか?」




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 信勝は明日も来るだろう。
 上機嫌の魔王が衣装部屋からでると声をかけられた。

「お前、どういうつもりなんだ?」
「誰だ……なんだ若造の我か」
「誰が若造だ」

 声をかけてきたのは織田吉法師だった。数多くの信長の中でも性別不詳だ。

「昨日からあいつの信勝となんかしてるだろ、何を企んでるんだ?」
「あいつとは小さく可憐な我のことか?」
「本人に言ったら怒るだろうけどな、俺たちとは違う最初にカルデアにきた小さい信長のことだよ」

 少し話をしよう。
 そういって魔王は吉法師を連れて行った。
 そこは人のいない休憩スペース。ソファと自販機がある。

「ほれ、飲むがいい」
「……ありがとよ」

 小さなグレーのソファに腰掛けた吉法師に渡されたのは抹茶ラテだった。そこの自販機で買ったらしい。なんと奢り。
 同じ抹茶ラテの紙コップをもった魔王はガラスのテーブルを挟んだ向かいのソファに座った。
 友好的な魔王に吉法師は意外な気持ちだった。

「さて信勝のことだが、お前はどう思っている?」
「どうって……弟だが俺の弟じゃないって感じだな。「信長」の弟は「信勝」だが俺にとってのあいつは弟本人じゃない。よく似た別人だ。まあ他人っていうにはちょっと近しすぎるがな」
「ふむ、お前と我では存在が異なるか……我は魔王信長。数多の信長の可能性を束ねたもの。だから我にとってはあの信勝は数多の信勝の一人。唯一ではないが一人の弟ではあるのだ。たとえ可能性の話だとしてもな」
「話を逸らすなよ、俺はなにを企んでると聞いたんだ」

 煙に巻かれまいと一歩踏む混む。だが魔王は怒らす、キャラメルビスケットを一枚食べて抹茶ラテを流し込んだ。

「何も企んではいない。ただ珍しいと思っただけだ」
「珍しい?」
「信勝はどの世界でも我が原因で死ぬ。お前の世界でもそうだろう。我はカルデアで信勝に再会した時こう言った、恨むがいいと……だがあいつは我を恨んでいないらしい。そこがとても珍しい、唯一といっていい性質を持っているらしい」
「唯一?」
「だって殺されたのにあいつ、「信長」を本心からちっとも恨んでないのだぞ?」

 魔王は足を組み替えて空になった紙コップを少し恨みがましく見た。

「断言するが信長を恨まない信勝はあいつだけだぞ。そしてだからこそあやつはカルデアにいるのだ。他の信勝はそうではない……濃い薄いの差はあれど信長を恨んでいる。例え謀反を起こしたのは本人であろうとも殺されるのだ、それが普通だろう?」
「それは……そうだな。あの信勝は特殊だ、だからカルデアにいる」

 吉法師は弟を思い浮かべた。あの弟は……おそらく自分を恨んで死んだ。

「数多の弟たちを殺し恨まれてきた。だからあやつに出会って思った、我を恨なまぬなどなんて珍しい可能性だと。そして昨日から接する内に思った。珍しいだけではなく面白いと。小さき我の元で使い走りをするには惜しい」
「……その話だけ聞いてるとお前、あの信勝を誘拐するつもりみたいだな」
「別に誘拐などせん、元よりカルデアでは不可能だしな……だがちょっと本気をだしてみる気にはなった」

 吉法師がごくりと唾を飲み込むと魔王は奇妙なほど優しい笑みを浮かべた。

「是非もなかろう、何しろ我は珍しくて面白いものが好きだからな」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 朝、目を覚ます。信勝は何もする気になれず午後の時間までベッドにもたれていた。

 そして昼になると金の茶室にいく。姉がいた。いつものように話しかけれる。

「おう信勝、いつものパンを買ってこい」
「……」
「……信勝?」
「姉上は……僕を……」

 嫌いですか?
 喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。

「いえ、なんでもないです。焼きそばパンとコロッケパンですよね、買ってきます」

 何事もなかったように信勝は微笑んだ。
 笑顔の仮面に本心を隠して。
 ……怖くて、どうしても言えなかった。

「……なんじゃ、あいつ?」





 結局信勝は来た。必要とされる場所に。
 だから約束の時間に魔王の衣装部屋の前で立っている。

(……聞けなかった)

 いや、聞くまでもない。きっと嫌いなのだ。いつも傍にいるとまとわりついてうっとうしいと言われている。

(それに大きな姉上の方が僕より小さな姉上のことを知っているに決まっている)

 だから魔王の傍にいた方がいい。「珍しくて面白い」と言ってくれている。信勝だって自分がいて楽しんでくれる方が嬉しい。

(だってどちらも姉上だから)

 唯一の姉が複数になったことにはまだ戸惑うけど。
 最愛の姉のためになることをするのが信勝の至上の喜びだ。




 考え込んでいる内に約束の時間を五分過ぎてしまった。

「姉上! すみません……時間に遅れて……」
「おお、来たか」

 信勝はドアを開けたポーズで硬直した。魔王はいつものマントと黒い鎧を脱いで真っ黒なガウンを着ていた。胸元が大きく開いており、豊かで白い胸の谷間が露わになっている。

「ん? 時間を過ぎていたのか? 新しい家具を買ってな、あれこれ位置を変えていたら時間を忘れておったわ」

 魔王はかなり広いベッドに座っていた。真っ白なシーツの上に真っ赤な枕と掛け布団が敷かれている。彼女が足を組み替えるとちらりと膝と太股が覗いた。

 きわどすぎる。正気に戻った信勝は慌ててドアを閉めた。誰も通っていなかったと思うがこんな姉を人前にさらせない。

「あ、ああああ、姉上、どうして……?」
「この格好か? なに、お前が着替えている姿を見ているうちに我も着替えてみたくなっただけよ」
「そ、そんなに露出しなくても……」
「そんなに露出しているか? 胸元のあいたワンピースみたいなもんじゃ。カルデアにはもっときわどい普段着の女がいくらでもおろう?」
「それは……そうかもしれませんが」

 たしかにガウンということで無防備な印象になっているが胸元の露出が目立つくらいでそんなにきわどくないのかもしれない。日頃の指先すら見えないマントと鎧に比べると肌が出ているが普通と言われると普通だ。ガウンの裾から白い足が覗いて、眩しさに目を逸らすがそれだって膝から下だけだ。長袖だし、膝丈のガウンはカルデアでは低露出とも言える。裸足の足のあまりの白さに心音があがったしまったがそれはただくつろいでいるから裸足なだけで……。

 魔王は信勝に手招きをすると軽く肩を伸ばした。ベッドに座る姉に近寄るのはなんとなくはばかられたが力で叶うはずもないので大人しく信勝はベッドの横に立った。魔王の胸元から思いっきり目を逸らして。

「お前の着替えを見て、この服を試してみたがなかなか悪くないぞ。肩が窮屈ではないし、通気性がよくて心地よい」
「は、はい。姉上に合う服が見つかり僕も嬉しいです」
「どこを見ている? ……ああ、乳魔神のお前には乳が見えすぎておるか」
「い、いいえ!!?? そ、それより今日の衣装はどこですか!!??」
「変なとこだけ父上に似たのう、お前は……ああ、今日の衣装はそこじゃ。髪は赤くしておけ」

 慌ててパーテーションの中に逃げ込む。そこには最初の日と同じ、小さな信長の軍服とマントが畳んで置かれていた。それに着替えると再臨を忘れていたと髪を赤くした。

「うむ、赤い髪でもよく似合っておる……よし、これで完成だ」
「もご!?」

 着替えて戻ってくるなり魔王は信勝の首に手を伸ばした。がちゃりと黄金ドクロの首輪がはまる。首輪には金色の鎖がちゃらりとついていた。

 魔王が鎖をひっぱると信勝は子犬のように前に転がった。

「よしよし、かわいいぞ。小さき我につけて欲しかったがあいつ撃ってくるからな」
「こ、これが僕……?」

 ベッドの前には大きな丸い姿見がある。鏡の中の自分は小さい姉が大きな姉に屈服して支配されているようだった。

(これが倒錯的ってやつなのか……?)

 ちょっとうっとりしてしまった。
 魔王は上機嫌になり、わしわしと信勝の頭を大型犬のように撫でた。

「よしよし」
「あ、ありがとうございます……?」
「今はわんと言え」
「わ、わん……?」

 言うと犬耳のカチューシャをつけられる。すっと手を差し出されるとその手にそっと手を重ねる。魔王はうんうんと頷いた。

「よし、今からお前は我の犬だ。ずっとここにいるのだぞ」
「は、はい……え?」

 今日は犬プレイかと納得していた信勝は不安になった。ずっととはどういう意味だろう。夕方くらいまでだろうか。

「あの姉上、お昼には小さい姉上にパンを買いにいかなくといけなくて……」
「おお、そうだ。我の犬になったのだ。こっちにおいで」
「あの……あ、あひゃひゃひゃひゃっ!?」

 ソファに連れられ、腹を思いっきり撫でられる。死ぬほどくすぐったい。信勝が腹がよじれて痛そうにしていると魔王は顔を曇らせた。

「なんじゃ、犬の動画のようにいかぬな」
「す、すみません、めちゃくちゃくすぐったくて……」
「よい、本物の犬ではないからな。心配するな、我は飼い犬を粗末に扱ったりせぬ。うまいものを食べさせるし、可愛がるためにあれこれする。そして寝るときは一緒だ」
「プレイの話ですよね?」

 プレイという言葉になぜか魔王は不満そうだった。ずるずるとベッドに引きずられる信勝は犬らしくするにはどうしたらいいか英霊の座に聞いて「サポート対象外です」と断られていた。

 ベッドにごろんと転がる。信勝は困った。猫の動画ならここで丸くなるところだが犬は分からない。

「プレイとは遊びのことだろう? 我は遊びでお前を飼い犬にするのではない」
「いえ、姉上。プレイとはこういう風にわざと犬のフリをしたりすることですよ。まあ、ごっこ遊びと言えばそうなのですが」
「む、そうか? まあよい、これからずっとここで我の犬として暮らしてくれればよい」
「……姉上?」

 魔王は悲しげに見えた。

「お前は珍しい……得難い弟なのだ、信勝。お前はそれを考えたことがあるか?」
「僕が……?」
「我は数多の信長の集合体。その信長たちにはみな信勝という弟がいた。そしてほとんどの場合、「信勝」は「信長」を恨んで死ぬのだ。……我しか知らぬことだがほとんどの信長は弟を殺したことを後悔する。だから、本来は殺すべきお前の妻や子供を生かした。男児くらいはいくらなんでも殺せと言う家臣の声を無視してな」
「僕に……僕なんかにそんな価値は」
「恨まれても殺した後悔は消えなかった。だがお前は我を恨んでおらぬ……それが我には得難い宝のように思える」

 数多の弟の恨みの声を退けて「姉上」と笑みを浮かべる弟は奇跡としか思えなかった。

 魔王はぎゅうとその胸に弟の頭を抱いた。信勝は赤面しかけるが、話の内容に逆に蒼白になる。

「僕が宝? 誤解です。姉上はなにか勘違いをされています」

 自分は誰よりも馬鹿で無能だ。価値なんてあるはずがない。

「よいのだ、お前はそうして自分を憎んだままで。だってそんな風に死んだのだ。死後の世界でそれを変える必要がどこにある? すべては今更だ。変えたかったら生きてる内に我が何もできなかったことがすべて。全部終わった話なのにお前の自己嫌悪を我は変えたいとは思わぬ。……それも全部、愛でよう」

 魔王はぎゅっと信勝の首輪の鎖を引っ張った。たまらずベッドに信勝は倒れる。その上に魔王が四つん這いで多い被さった。真紅の髪がさらさらと頬に落ちてきて信勝は混乱した。

「あ、あ、あ、姉上~!?」
「どうせここは死後の世界。現世のルールなど問題にはならぬ。一度試しに肌でも合わせてみるか?」
「お、お戯れを……僕たちは姉弟! 姉弟ですから駄目です!」
「なんじゃ、乳をちらつかせれば簡単だと思ったのに」
「だから僕は父上とは違います!」

 想定よりインセストタブーが硬い。戯れでも一度寝てしまえばこの真面目な少年はあの小さな実の姉の顔を二度とまともに見れまい。そうすればずっと手元に置いておけるいいアイデアだと思ったのだが。
 一つアテが外れた魔王はじっと弟の身体を見下ろして、一カ所に注目した。

「そうだ、喰ってみるのもいいか」
「……食べる?」

 べろりと頬をなめる仕草は肉食獣を連想させた。

「そうだ、右腕と左腕とどっちがいい」
「そ、それはもちろん……姉上のお好きな……方を……」
「二度と勝手なことができない方がいい、両方がいいか」

 頭の中で小さな姉が「やめろ!」と叫び続けている。

「それがいい。どうせカルデアが終わればお前にはもう会えない。それならば喰ってしまう方が……」
「あ、姉上、やはり僕は……!」
「ここかぁっ! 信勝、お主パンを買うのに何時間かかって……!」
 ドアが蹴り飛ばされてただの金属の板になる。
 そして小さい信長は魔王に喰われかけている弟の姿を見た。

「……あ?」

 小さい信長は一瞬で激怒した表情に変わった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 巨大な連射式火縄銃を向けて、信長は本気で引き金に手をかけた。

「なにうちの領土に手を出しとるんじゃ、気でも狂ったか?」
「可愛がってやろうとしただけじゃ、ちょっとかじるくらいよかろう?」

 腕を食いちぎろうとしたのを隠す気のない魔王もまた火縄銃を周囲に顕現させた。

「この領土侵犯犯が! 今すぐ離れろ……ほら、信勝! こっちへくるんじゃ!」
「いくな、信勝。これからも我を楽しませよ」
「姉上、え、え、えっと……僕は姉上に……あれ?」

 信勝は魔王の腕と胸に挟まれてじたばたともがいた。小さい信長は早足で信勝の右手を取ってドアの方へ引く。しかし大きな魔王は左手を掴んでしまった。

「さっさと帰るぞ。このわしは危険じゃ」
「ここにいろ。我に何でもするというたろう?」

 右手を小さい信長に、左手を大きな信長にしっかりつかまれる。両側から引っ張れて肩の付け根が痛い。

「えっと、姉上、僕は……えっと、姉上! あねうえ……」

 あれ? どうすればいいのだっけ?

 信勝の足はどちらにも進もうとしてかえってもつれてしまった。まさか弟に抵抗されるとは思わなかった小さい信長は目を丸くした。

「は? まさか信勝、わしの言うことがきけんと申すか?」
「そんな! 僕が姉上の言うことはなんでも」
「信勝、いくでない。なんでもすると言ったであろう。まさか我に偽りを申したというのか?」
「嘘ではないです! 僕が姉上に嘘なんて……」

 姉と姉が火花を散らせ始めた。

「あ? なんじゃお前、手を離せ」
「あ? 小さくてきこえんかったぞ」

(どうしよう!?)

 前門の姉、後門の姉。
 言っていることが真逆。

(姉上と姉上の言ってることが違うなんて、ど、どうすれば!?)

 パラドックスが起きている。姉至上主義と単純な行動原理で動く信勝だがそれ故に混乱も深い。目を回しているうちにも姉と姉の対立は深まっていく。

「ほら、今日は一緒にメシ食ってやるからさっさと歩け」
「いいや、我と茶を飲め」
「はい、姉上。えっと、はい、姉上!?」
「信勝……まさかそっちにつく気か?」

 やっと弟が迷っていることに気がついた小さい信長は愕然とした。そんな! 弟が呼んで来ないなんて!

「いいからこい! 今日は特別に将棋もさしてやるから!」
「信勝、行く必要はない、我が先に約束した。小さき我は引っ込んでおれ、だいたい将棋とか古くさい。今はオセロとやらがナウうんじゃ」
「オセロは別にナウくないし! おっさんか!」
「ぼ、僕の為に喧嘩しないでください~!」

 まさか人生でこんな台詞を使う日が来るとは。

 筋力Bに両側から引っ張られて全身がみしみしと音を立て始めた。死ぬほど痛い。しかしいっそこのまま胴体が千切れた方が楽なのではと不穏な考えが頭をよぎる。

「そもそも寝返られて驚くとか武将としてみっともない。待遇のいい方に寝返るなど当たり前、安土桃山なめておるのか」
「この十六世紀脳が! 今は二十一世紀だっつーに!」
「ああああああ! 第一再臨と第三再臨に分裂したい~~~!」

 パニックの信勝は物理的危機的状況で掴んだ服が裂けはじめる。それだけでなく肩の辺りが本当にみしみし言い始める。

「……こら、本当に胴体が裂ける、お前が手を離せ。何をいって取り込んだ?」
「なにもしとらん、この信勝だぞ? 我ら信長が声をかければほいほいついてくるに決まってる……お前が手を離せ、拾ったものも奪ったものも自分のもの。戦国常識じゃぞ」
「いいから、離せ」
「いつだって奪う方より奪われる方が悪い。無能は罪だ。戦国常識がなってない……お前が嫌うから我に目を付けられたのではないか」
「……お前、こいつに嫌いとかいったのか?」
「お主がいつもうっとうしそうにいらんといってたから拾っただけのこと」
「貴様……!」

 がん! と信長の火縄銃が魔王に向かって火を吹いた。信勝が真っ青になるが魔王の方も十を顕現させて弾を弾いた。がんがん! ともう一度信長が撃つと魔王も銃を構えた。

「やめてくださいーーー!」

 弟の嘆き一つで止める姉たちではない。今度は魔王が三丁の銃を宙に顕現させて信長に連射した。その一発が信長の白い頬につうと一滴の血を滴らせた。

「ぶっ殺す」
「ほう、言うたな?」

 もはや言葉は不要と信長と魔王はお互いに銃を向けた。連写式火縄が火を灯す。すさまじい音とともに大量の銃弾がカルデアの壁に穴をあけていく。ソファやベッド、信勝が着た衣装達もボロボロになっていく。

 信長は顕現させた種子島を一斉に撃つと連射式火縄銃を振りかぶり、魔王に殴りかかった。予測していた魔王は同じく連射式火縄銃で受け、腰の刀を抜いて信長に斬りかかった。ひゅっと信長の額をすれすれで魔王の刀は帽子を貫く。

 そこで信長も刀を抜き、首めがけて斬りかかる。しかし魔王はなんと素手の腕でそれを受け止める。魔力だろう、ガウンはすでになくいつもの黒い鎧をまとっている。それでも腕の骨の一つは切断したと信長は刀に力をこめるが近距離を逆手に取られてもう一方の腕に細い首を絞めあげられてしまう。

「がっ、は……っ!」
「ステータスの腕力は同じだが、リーチはこちらが長い。近さが仇になったな……いつもより冷静さがない、飼い犬に逃げられて動揺したか?」
「こ、のっ……!」
「おっと」

 信長の手から刀をたたき落とすと魔王は首を絞めたまま信長を宙づりにした。

「や、やめてください! 姉上! このままじゃ姉上が……もうやめてください!」

 飛び出してきた信勝は魔王の腰にしがみつき、そう叫んだ。小さな信長の顔色はいつもより白くなっている。

「どうすればいいですか!? どうしたら止めてくれますか!?」
「ふむ……それではこれからずっとこの部屋で生活せよ。我の物になれ。もう犬などとはいわぬ、かわいい弟として愛でてやろう」
「わ……わかりました」
「ああ、そうだ……もうこの小さい我とは会うな」
「それは……」
「いつもうっとうしいと言われているだろう? どうせお前が嫌いなんだ、なにを迷うことがある?」

 信勝は迷ったがすぐ決断した。
 信長の周りにはいつだって沢山の人が集まってくる。自分がいなくても姉にはなんの支障もない。
 だから迷ったのは……それでも傍にいたかった自分が寂しかっただけだ。

「はい、わかり……」
「ふざ……けるな……!」

 信長は足で魔王の刀の奪い、魔力をこめて飛ばした。刃は首を絞めている魔王の腕を刺した。刺した勢いで信長の腹にも切っ先が刺さったが痛みは無視する。痛みで緩んで手から逃れ、奪った刀を振ると魔王は一歩後ろに下がった。

「侮るな、お前にかばわれるほど落ちぶれてはおらぬ……っ!」
「姉上、傷が!」
「……やれやれ、これでは我が悪役ではないか」

 魔王は不満そうに腕の傷を見下ろした。なにがいけなかったのだろう。不満を持つ家臣をもっといい条件でこちらに引き込むのは常識だと思っていたのだが……。

「信勝、先に帰れ。わしの心配はいらぬ」
「できません!」
「この……このわしは危険じゃと言うておるだろ!」
「あー、ちょっと待て。すとっぷ。うむ、こういう時はすとっぷというのだったな」

 姉弟喧嘩を始めそうな間に魔王が入る。中々なびかない敵方の家臣がいたら条件を変えるのも手だ。なびきそうな方に誘導すればいい。
「ちと言い過ぎた。流石に二度と会うなは言い過ぎた……妥協しよう、昼はその小さき我のためにパンを買いに行ってもいい」
「それのどこか妥協じゃ!」
「なんの問題がある? お前は昼のパンを買いに行くやつが欲しいだけだろう?」
「な、こっの」
「それとも他に理由があるのか? 信勝になにかやらせたいことがあるのか? ……それとも理由がなくても傍に置きたいと思っているのか?」

 魔王は内心、自画自賛していた。この強情な信長は絶対に「信勝に傍にいて欲しい」などと言わない。例え内心がどうあれ口には出せまい。パンの他にも使い走りの理由をあれこれつけようとするだろうがそれを一つ一つ潰していけばいい。

(簡単なことよ、我は傍におれと口に出すことになんの抵抗もない)

 人は結局、好きだと言われている方になびく。

 信勝は小さい姉が好きだ。好きだからこそ好いた相手に不快な思いはしてほしくない。日頃うっとうしいと言われてもめげないのは他に「姉」がいないからだ。

 それが今は「傍にいると楽しい」という「姉」が現れた。信勝は最終的には傍にいてほしいという「信長」の方になびくだろう。信長がそれを口に出せない限り、必ず勝てる。

「そいつが……」
「ん? なんだ? 何を買いに行かせる? かふぇおれか、まかろんか」
「信勝自身がわしの傍にいることを望んでおるではないか……!」
「……それは我でもよかろう? 同じ「信長」なのだからな。なあ、信勝?」

 二つの視線が信勝に集まった。信勝はびくりと肩を震わせて二人の姉の顔を交互に見た。

「姉上……」

 それはどちらのことだったのか。

「信勝……」
「なあ信勝……どちらの傍にいたい?」

 いつもうっとうしいという昔から一番よく知る姉
 面白いから傍にいろと言ってくれた知らない姉。

 どちらにいくべきなのだろう?

(僕にとっての姉上は……)

 両方の手をもう一度姉たちが握る。……どちらかを選ぶなんて自分には恐れ多いことだ。
 けれど。
 とにかく決めなければ、決めなければ……決める!

「……姉上、ごめんなさい!」

 信勝は大きな姉の手をふりほどいて小さな姉の元へ走った。小さな信長は半ば抱きしめるように弟を受け止めた。

「よ、よし……では帰るぞ!」
「大きな姉上、ごめんなさい! 写真の続きはまたきますのでその時に!」

 小さい信長はずっこけた。

「ちょ、どういうことだ!?」
「え? だって大きな姉上が僕でこすぷ……いえ、遊びたいと仰ってくれたので」
「このわしは危険じゃといっておるだろう!」
「小さい姉上のパンは毎日必ず買ってきますので……その、大きい姉上も遠からず遊びに飽きてしまうと思うのですぐ元通りですよ」
「だから危険だと言っておるじゃろ!」
「危険なのは知っています。責任は僕が取りますのでお気になさらないでください。絶対に姉上には迷惑がかからないようにいたしますので……例え一時のことでも僕を気に入ったと言ってくれたのです。その気持ちにはどんな危険があっても応えたいのです」
「な、な、な」

 小さい信長の開いた口が塞がらない姿に魔王はにやあと笑った。信勝の珍しさにしか目がいっていなかった。しかし信勝が絡むとこうも動揺する小さい自分を見れることには今気付いた。

「その、大きな姉上、また明日同じ時間でいいですか?」
「ああ、信勝。今日のところはここまでにしておこう。明日はもっと笑えるものを用意しておくから、また遊びにおいで」
「ふざけるなー!」

 勝利の笑みを浮かべる魔王を背に小さい信長は信勝を引きずって帰って行った。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 一時間後、信長の自室にて信長と信勝が向かい合っていた。

「だから! お前は何が不満なんじゃ! 思っていることははっきり言え!」
「だからさっきから言ってるじゃないですか~、不満なんてありませんよ!」

 二人は将棋盤を挟んで、それぞれテーブルのイスに座って将棋を指している。出された飲み物がミルクティーで信勝は驚いた。口に出したことはないが自分の好物だ。もちろん、姉がそんなことを気にかけるわけないので偶然だろうが。

「なにが不満じゃ、さっさと言え。あとこの飛車はもらうぞ」
「だから不満なんてあるわけないじゃないですか。僕は姉上のお傍にいればそれだけで幸せなんです」
「……」
「あ、この歩、いただきますね」

 「姉上」のお傍。それはかつて一つだった。しかし最近増えてしまうという異常事態が起きている。……それに「姉上のお傍」は増えても「信勝の隣」は一つなのだ。

「不満がないなら、なぜあいつのところへいく。あいつは危険だと前に教えただろう」
「それはだって、あの方も「姉上」じゃありませんか」

 少しだけ胸が痛んだ。

「……お前の姉上はわしじゃろ」
「? ……えっと、すみません。姉上は心配してくださったのですよね。僕が食べられないか。でも大きな姉上もさっきのは冗談だと言っていましたし、もう大丈夫ですよ」
「わしが小さいみたいに言うな、危ないもんは危ない」
「だって……あの姉上は僕がいて楽しいと言ってくれたのです」

 信勝は気弱そうに、けれど強い意志を秘めた目で姉を正面から見た。遠く、憧れをみる眼差しで。

「姉上にはそんなことないでしょう? それは当然のことです、あなたは偉大な人だから僕のような卑小な者がいて気持ちが左右されるはずがない。僕がいてもいなくても姉上にはなんの影響もない」
「……」

 信勝は迷った。大きな姉は「数多の信勝の中で自分を恨まない信勝はお前だけだ」と言った。それを目の前の姉に告げていいものか。……長考して黙る。

「でも偶然、本当に偶然あの姉上は僕がいて本当に楽しいと言ってくれたのです。だからやっぱりお役に立ちたいのです。……姉上は僕といてもちっとも楽しくないでしょう? それは僕に何の才能もないから当然です」
「……わしは」
「姉上、僕は姉上のことが大好きです。僕だけ、僕だけ姉上が好きならそれでいいんです。好きでいさせてもらえて、時々お傍に置いてもらえればそれで幸せなんです。
 好いてほしいとか、一緒にいて楽しんでほしいとか大それたことは望みません。ただ……ほんの一時でも「姉上」が「僕がいて楽しい」と思ってくださるなら、食べられてもいいんです」
「……」

 信長は喉まで出かけた言葉を飲み込んでもっと「自分らしい」言葉を選びなおした。

「ああ、そうだ。わしはお前がいてもちっとも楽しくない」

 そう言った信長は魔王らしい不敵な笑みをたたえていた。
 そんな何者にも縛られない姉の姿に弟は見惚れた。

「はい、知っております」
「ただ……お前がいないと昼のパンを買うやつがいなくて困る。面倒なんじゃ、他のやつを探すのは」
「はい、大きな姉上のところに行くのはパンに支障がないようにしますね」
「……他にも色々困る。部屋の掃除や備品を壊したときのダ・ヴィンチちゃんへの報告や夕食の時の席取りや……お前にやってもらわんと困ることが多い」
「はい、姉上のお傍にがんばります……あ、金将とりますね」
「こ、この……信勝、夕食は食べていけ。食堂からこの部屋へ運ばせよう」
「え、いいんですか!?」
「ただの気まぐれじゃ」

 その日の将棋は珍しく信長が負けた。夕食はコロッケを乗せたカレーライスだった。

「あと誤解するな」
「はい?」
「奴はああ言ったが……お前を嫌いと思ったことはない」




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 三日後のこと。カルデアの食堂の外れのテーブル席でのこと。

「まさかお前の方から呼び出されるとは思わんかったぞ」
「正直、呼びたくはなかったがな」

 テーブルに向かい合わせで小さい信長と大きい信長が座っていた。テーブルの上にはグリーンティーと高級な練りきりが置かれている。一応、もう一度殴り合いにならないようにと好物を用意した小さい信長の配慮だ。なにしろお互いに「自分」だ。好物くらいは分かる。

「話というのは信勝のことか? 心配するな、しばらくは喰ったりせぬ」

 信勝が魔王の部屋に遊びに行くことは続いていた。それを苦々しくおもわぬ自分ではあるまいと魔王は信長の澄まし顔をみた。

「危険なことはさせておらんだろうな?」
「楽しく「遊んで」いるさ。あの日は少々はいてんしょんが過ぎた。喰うのはカルデアが終わる日までとっておくさ」

 ばっちり信長のコスプレをさせていることは伏せる。

 実のところ信勝「で」遊んでいる魔王だったがその辺はまだばれていないので伏せておく。信勝だって役に立つことに喜んでいるのだし、笑顔をかわいく思っているのも嘘ではない。

「結局、お前は信勝をどう思っているんじゃ?」
「なんじゃ、やぶから棒に」
「だってどうでもいいやつが何をしていようとどうでもよかろう? 我となにをして遊んでいても構わぬではないか」

 どうせこの信長は素直になれない。想っていても手放したくないとはいえないのだ。それが過去故か、姉弟の関係故か、他の理由か。そこまで細かいことは魔王にも分からないが、弱点には違いないのでそこはつついておく。

「小さき我よ、お前には関係ないだろう? なぜ邪魔をする」
「関係ないじゃと?」
「ああ、どうして信勝が我のものではいけないのか、言ってみよ」
「知れたこと」
「ほう、なにが?」
「わしは信勝のことを誰よりも愛しておる」
「ぶっ!?」

 魔王は飲んでいたグリーンティーを吐き出し、テーブルに突っ伏し、その勢いのあまりテーブルクロスをずるずると引きずって床に膝を突いてしまった。

「あ、あ、愛ってお前……」

 らしくないのにもほどがある。なんとかテーブルに這い上がる魔王の姿に信長は少し溜飲が下がった。

「……それはどういう意味で?」
「意味? そのままの意味じゃ」

 堂々と愛を語ってけろっとしている小さい自分に魔王の方が照れる。信勝の前では傍にいろの一言も言わなかったのになぜ。

「いや、姉弟とか家族とか男女とか、そのどのあたりの……」
「そんなもん分からん。分かる前にあいつはわしの人生から消えてしまった」
「……」

 信長の概念集合体である魔王にはその痛みが記録としてじわりと伝わった。

「まあ、強いていえばかわいい弟だと想っておる。誰よりも大切なわしの家族だ。ちょっと掛け金が狂えば男女というのもなくはなかったかもな?」
「……まあ、たしかにかわいいが」
「お前は言ったな。あの信勝は殺されてもわしを慕うたった一人の弟だと。その信勝を亡くしたわしの気持ちはそれこそこのわしにしかわからんさ」

 平然と告げられる言葉に魔王の目は丸くなったままだった。遠い目をする信長は過去を見ていた。

「信勝と再会した時、奇跡だと思った。自分の不手際で死なせた弟が昔のままの姿で現れた。しかし、奇跡はそこで終わらなかった。あいつはわしの為に死んだと、わしをちっとも恨んでおらぬと言い放ったのだ……あいつが死んで二十五年、ずっと恨んでいると思っていたのにけろりとひっくり返された」

 魔王は自分を恨まない信勝を珍しいと言った。しかし信長だって信勝が本当は姉を恨んでいなかったと知ったのは死後、カルデアでの日々でのことだった。本当に青天の霹靂だったのだ。

「ならなぜそれを信勝にはいわん? 先日それを言えばあやつ取り返すのなど簡単だったのに」
「言えるか。あいつは魔王になれるとわしを信じてその命を捨てたのだ。そのわしが家族に執着する姿などどうして見せられる?」

 魔王になれると信じてその命を捨てた。
 それなのに信長がごく当たり前の人の弱さを持っていたら。
 だとしたら信勝はなんのために死んだのか。

「わしにはな、人の弱さはいらんのだ。人間らしさは自分から捨てた。特に未練もなかった……どうせあいつはもうどこにもいなかったのだから使う機会もない」
「……」
「わしは魔王であればいい、あいつの前ではな。だから誰よりもかわいい弟だと思っているなど永遠に教えるつもりはない。それは人間の気持ちだ、魔王には必要ない」
「……我がバラさぬとでも?」
「貴様が言わぬと知っておるからこうして話しているのんじゃ、わしの秘密が握れて愉快じゃと思っておるじゃろ?」

 図星を指された魔王の顔ににやりと信長は笑った。自分のことは自分が一番知っている。

「ま、バラしてもいい。どうせ信勝は信じない。わしが自分の口で言わぬ限りな」
「……どうだかの」
「本当にいっても構わぬぞ、あいつは自分の価値を信じない。わしの弟であるがゆえにそう歪んだ。他人から何を言われても聞く耳持たんさ」
「……言わぬ」
「ほう、なぜ?」
「言ったら、信勝で遊べなくなるではないか」

 考えてみれば魔王には損しかない。せっかく信勝と遊ぶのが楽しくなってきたのに台無しになる。二人の関係にゆらぎがあるからそこにつけこめたのだ。

「そうか、ならいい……わけではないな。貴様、信勝を喰らいたいというのは本気か?」
「一応、本気だ。我はあやつを奇跡だと思っている。カルデアの夢で終わるにはあまりに惜しい。世界が救われたらあやつもう召還されまい。されたとしてもカルデアの記憶は失われる。……ならば無窮の彼方へ連れ去ってしまうのになんの問題がある」
「……気に入ったものを喰いたがるのはわしの悪い癖じゃからな」
「別に今すぐ喰うわけではない。このこそばゆいカルデアの日々が終わる時でいい。その面影の欠片だけでも残しておきたい」
「……それは断る」

 それを決めるのは信勝だ。
 そう魔王が反論する前に信長は席を立ち、テーブルによりかかって魔王の瞳を見下ろした。

「あいつとの思い出はカルデアとともに消える。けれどそれがなんじゃというのじゃ? 人の一生と何が違う? 終わりがあるから人の生は美しい。……あいつがもう一度現れた時にわしが言ったことじゃ。お前だって本質はそうじゃろ……今は珍しさに目がくらんでいるだけじゃ」

 あの時永遠の子供時代を望んだ弟を一蹴した。終わるから美しいものがあると姉の顔で諭した。

「わしはな、もう一度顔を見せてしかも恨んでいない、幼き頃と同じように慕っていると言われただけであいつには全てもらったんじゃよ。あとはあいつの前では弟の夢見た魔王で居続けるのみ。姉の優しさなどわしらの間には必要ない」

 そういうことがしたければ生きてる間にするべきで。
 できなかった時点でそれはもう叶えるべきではないのだ。

「のう、でかいわし、あいつの前でだけは何者にも揺るがぬ魔王でありたいと貴様だって内心思っているのではないか?」
「……我にとっては信勝はお前ほど思い出があるわけではない。お前の記憶はあるが先日会ったばかりというのも事実だ」
「そうじゃ、お前にとっては数多の信勝の一つがあいつなんじゃろ。だがわしにはあいつ一人だ。だから貴様に貸すことはあっても、渡すことはない」
「勝手なことよな」
「自分で一番分かっているじゃろ? ま、わしの弱点一つ掴んだんじゃ。しばらくはそれで満足しろ……信勝に怪我だけはさせるなよ」

 魔王が何も反論しなかったので。
 信長は満足して、席を立って去っていった。

「……あれでよかったのか?」

 そしてパーテーションの影からぬっと吉法師が現れた。大喧嘩になるだろうとこっそり控えていたのだ。

 吉法師が空になった向かいの席に座ると魔王は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。一度目を閉じ、頭を左右に揺らし、ふっと口元を緩めた。

「あは、あははははははははは!」

 そして大声で笑い出したので吉法師の方が目を丸くした。

「な、なんだ、あやつ、あ、愛しておるって八十年代か!」
「でかい俺、その台詞はもうあらゆる方面でギリギリだぞ。八十年代って何世紀のだよ?」
「あははははは! だってあやつ、真面目な顔で愛しておるだの、信勝の前でだけは魔王でいたいとか、笑わずにおられるか!」
「そこまで笑うか」

 そうして魔王は十分間ずっと爆笑していた。吉法師としては食堂を破壊するレベルの大喧嘩を覚悟していたのでほっとする。我ながら損な役回りだ。

「あははは、ははは……なんか気が抜けてしもうた」
「そりゃあれだけ笑えばな」
「だってのう……まさか誰よりも愛しておるとか言うとか思わんだろ」
「まあ、それは俺も驚いたけどな。お前を諦めさせるための嘘って感じもしなかったし」
「……愛のう」

 自分の人生には縁が薄かった言葉だ。

「とりあえず保留するか……少し面白そうだし」
「それはどっちが?」
「両方ともだ」

 そういって魔王は残ったグリーンティーを飲み干した。




おわり?




あとがき

 一年以上前から2/3はできていたのですが、そこでずっと止まっていたので完成させれて嬉しいです。

 魔王さまと小さい信長に挟まれてパニクるカッツの話は縁があったらまた書きたいです。

 ずっと「ノッブとカッツは気持ちが通じてほしい!」と思って色々小説を書いていたので今回は「気持ちが通じないままでも、それはそれで一つの幸せの関係」という二人を書いてみました。


Q カッツはノッブのコスプレしたまま帰ったけどバレなかったの?


A バレる直前に再臨して水着になって誤魔化しました



2022/05/14



魔王様

信勝のことはかわいい半分、ペット半分な気持ち。

マイルームの信勝宛のボイスから察するに魔王様は信勝には普通は恨まれるものだと思っているのだろう。


ノッブ

明治維新で信勝に言ったとおり、永遠を望むことはない。

姉としての優しさも持ってるのでたまに寝てるカッツの頭を膝に載せたりする(が、見せる気はないので起きるとぽいする)


カッツ

今回は「信勝が言いそうなヒドい台詞ランキングBEST3」を使えて満足です(「姉上は僕が死んで悲しかったのですか?(絶対そんなことはないと思ってる)」)



余談

今回、一年以上姉vs姉のところで止まった話をなんとか書き上げようとしたら想像以上に大変でした。途中で止まった話を完成させてるのは1から書くより大変なときがあり、それが今回でした。
そんなときの味方の本を読み返してながらだったのでなんとか書けました。やはり間があくと辛いですねー。引用は参考の本です。

引用
ライティングの哲学〜書けない悩みのための執筆論〜 断念の文章術より

しかし、次のことは認めなくてはならない。実のところ、自分に対する要求水準の上昇は、執筆に対する高い意識がもたらすのではなく、ただ〈完成させることを引き延ばす〉という病の一つの症状にすぎないのだ。
「これだけ時間をかけてしまったのだから、並大抵のレベルでは満足すまい」といった心持ちが湧いてくれば、延期と要求水準の上昇の間で悪循環が形成され、完成はますます遠のいてしまうだろう。