やさしい呪文









「ユーリっ、毒女シリーズ、最新刊持って来たよ!読んで。」                                                                   「よーし、お父さんが読んでやるからな!」                                                                            「ふん、ユーリの読解力など、グレタ以下じゃないか。僕に任せておけ」                                                           「ヴォ〜ル〜フ〜ラ〜ム〜?」                                                                                  「も〜、子供のキョウイク方針の相違で喧嘩しちゃ駄目なんだよ!仲良く1ページ交代で読みなさい!」                                           「・・・お、おう」                                                                                           「わ、分かった・・・」

グレタを挟んでユーリとヴォルフラムがソファーに腰掛け、グレタの膝の上に広げられた本を両側から交代で音読する。

「・・・その時、真っ暗な森をさまよっていたアニシナの首筋に、木の上からぽとん、と落ちてきたものがあった。それは、しっこ」                            
「・・・(挿絵ページ)」                                                                                       「くのいち、ご(違った!)・・・いちごだった。『おやこれは伝説の黒いスイトロウベリッ、ではありませんか』毒女はその珍しい果実を・・・」

ルールは1ページ交代と決まっているので、文の途中だろうと、挿絵だけのページだろうと容赦なく担当交代。ヘンな所で文が切れてしまっても、大好きな『お父様』達に挟まれて、グレタはご機嫌だ。

「いたっ・・・」                                                                                            ユーリが本のページをめくろうとした手をぱっと引っ込めた。紙で指を切ってしまったのだ。                                                 「おい、大丈夫か?」                                                                                        「ユーリ、血が出てるよ!痛い?」                                                                                「あー、大丈夫大丈夫。ちょっとドジッちゃっただけだから。舐めときゃ治るって」                                                       「・・・あ、そうだ!グレタがおまじないしてあげよっか」

グレタはそう言うと、ユーリの指をぎゅうっと握った。                                                                      「イタイの、イタイの、飛んでいけ〜!」

(ああ、その呪文は・・・)                                                                                     ヴォルフラムはその「おまじない」に聞き覚えがあった。しかし、それはグレタが唱えたところで、効きはしないものなのだ。

それはもう、ずっと昔の事。                                                                                    まだ幼かったヴォルフラムは母と一緒に血盟城で暮らしていた。長男であるグウェンダルは王都の血盟城と父方の領地ヴォルテールとを行き来しながら、将来の為の勉強に忙しい毎日だ。そんな中でヴォルフラムが最も楽しみにしているのは、次男のコンラートが帰ってくることだった。コンラートは父親と旅に出ていることが多く、長いときには数ヶ月もの間会えないこともあるが、城にいる間は、よくヴォルフラムと遊んでくれた。

「ヴォルフラムー!いらっしゃい!」

母親のうれしそうな呼び声に、回廊に出てみれば、そこには久しぶりに見る兄の姿があった。

「ちっちゃいあにうえ!?お帰りなさい!」                                                                            「ただいま、ヴォルフラム。・・・あれ、またちょっと大きくなった?」                                                              「うん!」                                                                                              「あ、ほら。埃っぽいから、抱っこは着替えてからしてあげるよ。後でおいで?お土産もあるから」                                              「はぁい!すぐに行くから、あにうえも急いでお着替えしてね?」

コンラートが血盟城で使っている部屋は、本館ではなく少し離れた古い離宮にあった。幼いヴォルフラムには、この兄の複雑な事情を理解することなど出来ず、周囲の大人たちも特に何も言わなかったので、ヴォルフラムは「こういう静かな部屋が好きなんだよ」という本人の説明を鵜呑みにしていた。

それからの日々は、ヴォルフラムにとって、とても楽しいものだった。                                                             朝、目が覚めて食堂に行けば、そこには大好きな「ちっちゃいあにうえ」がいて、おはようの挨拶をしてくれるし、その後に離宮を訪ねていけば、「ちっちゃいあにうえ」はいくらでも遊んでくれた。庭に出たいと言えば、おもちゃの剣でまじめに剣術を教えてくれたし、母も「午後のお茶」だの「服の仕立て」だの、何かと用事を作っては「ちっちゃいあにうえ」を呼んでくれた。

だから、気付かなかった。                                                                                     「ちっちゃいあにうえのところに行きたい」と言う度に、世話係の侍女がどこか困ったような顔をすることに。                                       離宮に行くときには、なんだかいつもより多目の侍女が付いてきて、付かず離れずの場所からじっと何かを「見張って」いることに。

その日は母の私室で午後のお茶を楽しんでいた。母が侍女も下がらせてしまったので、室内は本当に身内だけ。そしてとうとう母も「ちょっと待っててね?」と席を外してしまった。

(うわあ、ちっちゃいあにうえとふたりっきりだ!!)

珍しい状況に興奮したヴォルフラムは、思い切って兄に言ってみた。                                                             「ちっちゃいあにうえ〜。お膝に乗ってもいい?」                                                                         「えっ!?・・・いいよ、おいで」                                                                                 人目があると恥ずかしくて言い出せなかったお願いをしてみると、兄はちょっと驚いた顔をした後で、やさしく笑って手を伸ばしてくれた。                        
「よいしょっと。・・・へへ」                                                                                    ヴォルフラムが兄の膝に登ろうとした、その瞬間。

がたん。

ごつん!

急に扉の向こうで音がした。驚いたヴォルフラムが急いで兄の膝から降りようとして・・・テーブルに頭をぶつけてしまったのだ。

「あにうえ〜、痛いよぉ」                                                                                      「ヴォルフラムっ、大丈夫!?ほら、見せてごらん?」

扉の音は、外を人が通っただけのものだったらしく、誰も部屋には入ってこない。                                                      コンラートは泣き出しそうな弟の頭を撫でながら、無意識に『おまじない』を口にしていた。

「イタイの、イタイの、飛んでいけー」                                                                               「・・・あれ?もう痛くないよ?」

気付けば、ヴォルフラムはコンラートの膝にしっかりと乗せられて、頭を撫でられていた。これはヴォルフラムの希望通りの状況である。                        
(うわあ、あにうえってすごい!剣もとっても強いのに、魔力も強いんだ!すぐにケガ治ったもん)

それからヴォルフラムは事あるごとにコンラートに『おまじない』をねだった。遊んでいて転ぶなど、この頃の幼子にとっては毎日の事だ。いつも兄の呪文はヴォルフラムの怪我をあっという間に治してくれた。

そして、楽しかった日々が終わり。コンラートは再び父親に呼び出されて、旅に出て行った。そして、次に戻ってきたときには、コンラートは独りではなかった。もう何十年も血盟城に足を踏み入れることも無かったコンラートの父親・・・ダンヒーリー・ウェラー・・・と共にやってきたのだ。ヴォルフラムは、この時初めて「ちっちゃいあにうえ」の父親を見たのだが・・・。

「ちっちゃいあにうえの父上って、よぼよぼのおじいさんだったね」

こどもながらの素直さで口にした台詞に返された母の言葉は、彼が「人間」であるという事実。

「にんげん?・・・でも、そうしたら、ちっちゃいあにうえは・・・」                                                                 「そう。俺は魔族であると同時に・・・人間でもあるんだ」                                                                   「・・・そんな」

幼いヴォルフラムの耳には、兄の口調がひどく平坦に響いた。まるでそんな事は重要ではない、といわんばかりに。                                   
もっと、きちんと説明して欲しくて見上げた兄は、窓の外ばかり見つめており、決して自分の方に目を向けてはくれなかった。

だが。

このときのヴォルフラムは、兄が「温血」であることの意味を本当に理解してはいなかった。

ひそひそひそ。                                                                                           今日も聞こえてきた。話しているのは侍女達か、警護の兵か。あるいは貴族の誰かか。                                                  「よく、平気で血盟城に・・・は・・・・混血のくせに・・・」                                                                     「殿下とは・・・ご一緒させないほうが・・・兄とはいえ・・・混血・・・」                                                            「早くどこかへ行ってしまえば・・・混血風情が・・・」

大好きな「ちっちゃいあにうえ」に、人間の血が流れていると知ってしまった日から。                                                    ヴォルフラムの耳にやたらと「混血」という言葉が聞こえるようになった。もちろん、まだ幼いヴォルフラムに直接そんな話をするものはいない。いままで耳に入っても気にもしなかった1つの言葉が、急に意味をもってしまっただけだ。

(混血、混血、混血・・・。でも、ちっちゃいあにうえは!確かに父親は人間かもしれないけれど、あにうえは魔族だ!!)                                 
一生懸命に心の耳をふさぐヴォルフラム。それなのに、彼は聞いてしまったのだ。自分の世話係の、やさしい侍女たちが話しているのを。

「いくら陛下のお子様とはいえ・・・魔力もないんじゃあ、どうしようもありませんわよねえ」                                                 「だって、コンラート殿下は混血なんですもの。もう父親も死んだことだし、さっさとどこかへ・・・」 

「ちがうよっ!!」                                                                                          「まあ!ヴォルフラム様、まだ起きて・・・」                                                                           「ちがうよ!ちっちゃいあにうえ、魔力あるもん!」

ヴォルフラムは書き物机の上に置いてあったペーパーナイフを手に取ると、自分の手の甲に力いっぱい突きさした。

「っ!?・・・ヴォルフラム様!」                                                                                  「は、早く侍医を!」

慌てる世話係たちを、ヴォルフラムは涙をこらえて睨みつけた。

「いいもん!大丈夫だもん!・・・ちっちゃいあにうえがすぐに治してくれるんだから!」

独りで走り出したヴォルフラムを、あわててふたりの侍女が追いかけた。

「あにうえ!ちっちゃいあにうえ!!」                                                                               「・・・ヴォルフラム?どうしたの、こんな時間に?・・・その手!!」                                                             ヴォルフラムは血に染まった手のひらをコンラートに差し出した。                                                                「あにうえ、あにうえ!早く治して!いつもみたいに治して!!あにうえ、治せるよね!?」                                                あわてて離宮まで走ってきた侍女たちが、開け放したままの扉の向こうからコンラートを見ている。ひとりは冷ややかに、ひとりは非難がましく。                   
コンラートは、何があったのかを悟った。

「ヴォルフラム。これは自分でやったの?」                                                                            「・・・あにうえ?」                                                                                         「正直に言いなさい」                                                                                        「うん。・・・でも!」                                                                                         「もうこんな事してはいけないよ。いいね。・・・さ、早く『殿下』を医務室に」

ヴォルフラムはそのまま侍女達に引き渡された。

あにうえが「おまじない」してくれない?・・・『殿下』って、ぼくの事?・・・どうしておこるの?

それはヴォルフラムが、生まれて初めて「裏切られた」と感じた瞬間だった。

その日から。やさしい呪文は効力を失ったままだ。

グレタが小さな指で、ユーリの傷を握り締めて、効くはずの無い「おまじない」を唱えている。

「イタイのイタイの、飛んでいけーっ!!・・・どう、治った?」                                                                  最後に可愛らしくポイッと何かを放りなげる真似をして、グレタが期待に満ちた目でユーリの傷を確かめる。

(ああ、そんな人間の呪文、効くはずがないのに・・・) 

「陛下!お怪我なされたと聞いて来たのですが」                                                                        兵が気を利かせて連絡したのだろう。ギーゼラが急いでやって来た。                                                             「あっ、ぎーぜらー」                                                                                        「悪いっ、ギーゼラさん!そんな大げさなことじゃないんだよ、ちょっと紙で切っちゃっただけで。もうグレタのおまじないのおかげで、ホラ!」

ユーリが血のあとの残る指を立てて見せた。

(傷が・・・消えている!?)

「まあ、姫様、お手柄でしたわね。・・・でも、あまり不用意に他人の血液に触っては駄目ですよ?血液から感染する病もありますから」                        
「はぁ〜い」

ヴォルフラムは戻っていくギーゼラを引き止めて、小声で話しかけた。                                                             「ギーゼラ!ちょっと訊ねるが・・・なぜ、グレタの呪文で、傷が治るんだ?グレタは人間で・・・」                                             ギーゼラはくすっと笑うと、出来の悪い生徒を優しく諭すように囁いた。                                                            「あら、治癒魔術の基本は相手の治癒力を高めることですよ?一方的に他人を癒すにはかなりの魔力が必要となります。陛下の事ですもの、姫様にかわいらしく『おまじない』なんてされれば、小さな傷くらい、ご自分で癒されてしまいますわ。ご自覚はないでしょうけどね」

・・・そうか。

・・・それなら、あの頃の呪文は

・・・僕には本当に効いていたんだ。

ぼんやりと幼い頃を思い出していたヴォルフラムの耳に、婚約者と愛娘の会話が流れ込んできた。

「ユーリ、もう痛くない?」                                                                                     「もちろん!グレタ、ありがとうな!」                                                                               「えへへ。おかあさまに教えてもらったおまじないだよ」                                                                     「よく効いたよ。・・・なあ、ヴォルフ。ヴォルフってば!」                                                                   「あ?ああ、なんだ?」                                                                                       「お前も少しくらいの怪我だったら、『おまじない』してもらえよな!」

かあぁっとヴォルフラムの顔が朱に染まる。

「だ、誰がコンラートに『おまじない』などっ・・・!!」                                                                      「はあ?誰もコンラッドのことなんて言ってねぇじゃん。・・・なんでコンラッドがここに出・・・」                                                「う、うるさいじゃりっ!!」

顔を赤らめた自称婚約者が魔王陛下を追い掛け回す、血盟城のいつもの風景。


ただ、その理由がいつもと少し違っていることは、本人以外には分からない。























前壁様のサイト「真昼の夢」の10000HITフリーSSでした。

これはすばらしきコンプですよ!!三男が照れている理由が次男を思っているからなのですから素敵です。わーい。

前壁さんありがとうございました。