月明かりが恐ろしい


柔らかな光は、頭の奥の何かを透かしてしまう、気付かせてしまう


何かを、取ってはいけない何かを、剥ぎ取ってしまう














あなたへの月 6
















「 絶対、ない!そんなことが、起きるはずがないんだ・・・! 」



「 生きている、絶対、絶対だ!コンラートは・・・・・・ 」 



「 嘘だ、嘘だ、あいつが、あいつが・・・・・・嘘だ! 」



「 信じない、ぼくは絶対に信じない・・・・・・! 」





















泣きわめいて後悔したのはずいぶん後になってのことだった。

何を言ったのかはあまり覚えていない。特に何を言ったわけではなかったのかもしれない、ただ感情のままに泣きわめいて言葉らしい言葉なんて言っていなかったのかもしれない。さっきまで涙のせいでぐちゃぐちゃになっていた頬にはたくさんの跡が残っているけれど、もう乾いている。

ただ分かったのは、疲れ切ってもう何も言う気力もなくなった頃にはすっかり夜は更けて、窓の外には冴え渡った漆黒の空をやわらかく照らす月の姿が見えていた。か細い、満月とは全く違う三日月。

ヴォルフラムは静かに視線だけを掠めると、そらすことはなく目を閉じた。月の見えない位置まで行って、隠れる。気が付けば毛布を抱いてベッドにうずくまっていた。子供の頃に戻ったような錯覚を引き起こしたが、隣にいるのは次兄ではなく、双黒の大賢者でかえって今の状況を思い知らされた。

でも、村田はずっと側にいたのだろうが?さっきからずいぶん時間がたったというのに。


「落ち着いた?」


村田は目覚めたときと変わらずヴォルフラムのベッドの横にいた。喚くだけ喚いたせいか、遠いところで漂っていたヴォルフラムの意識は落ち着いた声に急に引き戻される。我ながら泣き腫らした目をしているだろうなとぼんやりと感じたが特に隠そうとも思わない。
軍人にしては隙だらけな自分だけど、人一倍弱みを見せることが嫌いだ。なのに、今ばかりは指一本動かす気にもなれない。

ベッドの上で毛布を抱いてうずくまっているヴォルフラムには、全てを流しきってしまったように何の感情も浮かんでいない。村田は膨大な過去の記憶の中でこういう風景を見たことが何度かあったなと、もう一枚の毛布をヴォルフラムの肩にかけた。

ずっと心の奥にしまっていた感情ほど、本人が思っていた以上に膨大で一度溢れ出してしまえば止まらない。そして、他の感情をすべて洗い流して、しばらくは何も感情も浮かばなくなってしまうことになる。それが辛い事実を胸の内に秘めていたのならなおのことだ。

でも、時間がたつと基本的な欲求から戻ってくる。飢えや渇き、そして眠りが疲れを癒しにやってくる。できれば、眠りの前に何か取った方がいいなと判断した村田は腰を上げると明るくなにも詮索しないような態度を装った。



「・・・・・・何か持ってこようか?大分時間もたったし、何か食べる?」

「・・・・・・いらない」

「じゃあ、喉が渇いていない?眠る前に何か胃に入れた方がいいよ」

「・・・・・・飲みたくない」



はあと村田は溜息をついた。会ってほんのわずかな、ほとんど知らない相手だった。そのせいか、いまいちどこで強く出てどこに触れてはいけないのかよくわからない・・・・・・それに、彼の容姿は否応にも蓄積された記憶の元凶のことを思い出させる。彼に会ってから会話などする暇もなかったが、正直それとなく避けていた。


「・・・・・・・・・・・・すまない、本当になにも欲しくないんだ」


おやと思った。やわらかい反応。それなら、会話も弾むかもしれない。


「いいよ、無理に食べるとかえって毒だからね。多分しばらくしたら眠くなると思うからそれまでに何か欲しかったら言ってごらん」

「・・・怒らないのか?」

「怒る?ぼろぼろになっているひとに怒るほど、ぼくは怒りっぽいほうじゃないよ」

「・・・・・・大賢者に一臣下の看病などさせて、怒らないのか?」

「ぼくはあんまりその称号は好きじゃないんで、気にされたほうがいやかな」


目を丸くしているフォンビーレフェルト卿を見て村田は笑った。この方がいい、結構頑ななのにこちらが驚くほどあっさりと感情をあらわにする時は全く記憶の彼方にいる『彼』を思い出さない。むしろ、もっとも似ていない気さえする。くるくると心のままに、無防備に動く表情は『彼』には縁遠い。

ヴォルフラムの戸惑いに村田は気をよくすると、船酔いするなら外の空気を吸った方がいいと窓枠に手を伸ばす。と、その途中で白い手に遮られる。訝しく、振り返ると村田はぎょっとした。

ヴォルフラムが今度はなんの表情も浮かべずに、かたかたと震えて村田の手を掴んでいる。


「どうしたの?ここは船倉の部屋じゃないから、窓を開けても海水が入ったりしないよ」

「別にいい。今は酔っていない、窓は開けなくていい」

「・・・・・・窓を開けて欲しくないの?」

「別に、そういうわけじゃない。ただ、月を見たくないだけだ。」


月?村田は疑問符を浮かべた。月を見たくない、ただそれだけのために真っ青になって震えているのか?

窓には何も外の景色を遮るものはない。窓を開けたところでここから見える外の風景はさして変わらないだろう。それなのに、月明かりに直接触れることを恐れているようだ。

健康な人間が数秒で病人になってしまうような極端な現象は村田に引っかかった。ヴォルフラムに毛布をかけ直しながら、ヴォルフラムの表情を見て少し迷う。表情が失せきった様子に村田はさっき看病していたときに感じて「大した意味はないだろう、後で聞けばいいことだ」と放っていた、小さな疑惑が大きくなるのを感じた。


「ひとつ聞きたいことがあるんだ、いいかい?」

「・・・・・・べつにいいが?なんだ、ユーリのことか?」

「違うよ、君のことだ。君には何かの魔力による処置、守護か何かを受けている?」


金色の髪が否定の意味で左右に振られた。それは予想した返答だったので、村田は驚かなかった。唐突な質問に少しだけ戸惑うような表情が表情の失せたヴォルフラムに戻ってきて、村田は少し安心すると続けた。


「じゃあ、誰かに恨まれるとか敵対するものから、魔力によって遠隔的に攻撃・・・・・・呪いを受けるような心当たりは?」

「なんの話だ、そんな覚えはない。確かに、ぼくたち三兄弟がユーリの側近を多く占めることを快く思わないものもいるが大したことはない。純血魔族派にはユーリの政策を・・・・・・快く思わないものいるが、純血魔族のぼくを呪ったりするほどのものではないと思う」


いつでも守られて囲われて、本当のことを知らなかった。そのことを思い知らされたばかりで国内の政情を説明するのは後ろめたい気がしたが、「知らない」と子供っぽいことなど余計に言えるわけもない。自分の認識がそこまで間違ってもいない事柄だと言い聞かせて、話す。
故郷からの叔父の手紙にユーリの政策を快く思っていないような内容を思い出すと、どうしても気落ちする。しかし、叔父の自分への愛情は絶対といってもいいほどで呪うなど考えられたものではない。


「なんの話だ、ぼくが呪われているとでも言うのか?ぼくは恨まれる心当たりなどない」

「でも、今の君の様子は普通じゃなかった」

「くどい、ただ気分が悪かっただけだ・・・・・・なんだ、そのぼくはそんな風に見えるのか?

「・・・わざとじゃなかったんだけどね、さっきも君が倒れている間も気分が悪いんじゃないかと思って窓を開けたんだ。そしたら、君が急に苦しみだして・・・驚いて、窓を締めると急に苦しまなくなった。悪夢でも見てたら、ごめん」


躊躇いを見せながらも村田ははっきりした口調で告げた。「悪夢」。その単語にヴォルフラムの脳裏に忘れていた光景がよみがえった。


誰かを追いかけていた。でも誰もが「その人に会っちゃいけない」と遮って会いに行けなかった。
「会いたい」というと、泣いたり不快をあらわにしたり、冷たく一笑したりして誰ひとり「誰か」の元に連れて行ってくれなかった。
それでも自分では、会いに行けなかった。それが一番、嫌だった気がする。
それが苦しくて、何も聞きたくないと泣いていた気がする。


あれは、悪夢だったのか?窓を開いたから、月の光がほんの少しだけ近づいたから、あれを見た?


「その時感じたんだ、君から強い魔力の気配を。ぼくは魔力はないけれど強い魔力の気配ぐらいは察することは出来る・・・そして、今も君から強い魔力を感じた。偶然だと思うかい?」

「だから、ぼくが誰かから呪われていると・・・?」

「苦しそうだったから、守護の類じゃないとは思った。けど、こんな人間の領域で魔力が感じられる理由が他に思い当た足らない。
それでも、可能性の低い話なんだ。魔力によって呪われているならこんな魔力に従う要素が少ない人間の土地ではほとんど効力がないはずなんだ。それなのに、君をこんな風に苦しませるほどのことなんて普通は出来ない。かといって、法力と魔力を勘違いするとも思えなから法力によるものでもない。それなら、ぼくはなにも感じ取れないはずだから」


村田は真剣そのもので、冗談のように感じていたヴォルフラムは急に寒気がした。彼の言っていることは、間違ってはいない。だから、余計に冗談じゃないと思い知らされる。


「それに、奇妙なんだ。月と魔力に関係はない、それなのに君が月が月を見たくないと思うときに強い魔力が発せられる理由が分からない。月の力で魔力が増減するようなことはないから、君が嫌いだとしても何で月に反応するのか・・・」


いいながら村田はカーテンのないベッドの側の窓を手近にあった真新しいシーツで覆った。窓の端にあった、金具に白く厚い布を押し当てながら村田はヴォルフラムの顔色を確認した。人形のように白かった頬に差す赤みは月が隠れたせいなのか・・・たったこれだけのことで、ここまで?


「いつ頃から、そんなに月が嫌いだったの?子供の頃から?」

「そんなの覚えては・・・でも、そういえば昔はこんなに嫌いでもなかったような。別に好きと言うわけではなかったが、見るのもいやというわけじゃなかったような・・・・・・?」


疑問を持つと、奇妙に覚えた。月のことを考えるだけで今は何もかも忘れてしまうように身が震えるというのに、かつては気にもとめていなかった?確かに、以前は特に月が好きではなかったが、気にしてもいなかっただけで積極的に避けるようなことはなかった。平気で見上げてもいたと思う。

一体、いつから?いつからこうなった?・・・・・・そうだ、そんなに昔の話じゃない。
確か母上が魔王の頃はここまでじゃなかった。そうだ、一番新しい月への、特に満月に対するはっきりした拒絶は、確か・・・・・・


「そうだ、ユーリだ。ユーリと会ってからだ、月が怖くなったのは」

「渋谷が?」


「怖くなった。」口に出して初めて理解した、嫌いだったんじゃない。怖かったのだ。

月が嫌いだと感じた。その記憶はまだ新しく、ユーリが戴冠式の最中に地球へ帰ってしまった時だった。空に浮かぶ満月を見て、嫌な気がした。あの時は月を見上げたくないと思うくらいだったか・・・?

次は・・・魔剣を探していたヴァン・ダー・ヴィ−ア島でだった気がする。ユーリたちが魔剣を目指して山頂へ向かっている間に船酔いと登山で疲れ切ってしまった自分は宿をとり、疲れた体を休めているときに窓から昇少し欠けた月が視界の端に触れ、急に見てはいけないもののように感じて、カーテンを固く閉ざした。
その次は・・・・・・そうだスヴェレラだ。あの時は、砂漠で遮るものがテントの天幕しかなくて大きな砂丘の陰に隠れて砂漠の煌々と照る月を避けていた気がする。ヒルドヤードでは・・・?

ヴォルフラムが記憶のままに村田に語る内容は曖昧だったが、村田は静かに耳を傾けていた。内容が飛び飛びにはなっていたが、ちゃんと順序よく話している。ちゃんと理解できる、その分疑問も増えるけれど、ありがたい。几帳面なんだろうな、と場違いなことまで思う。

しかし、ヴォルフラムは喋っていくほどに、血の気の失せた表情をしていくのを感じ取ると話を止めた。


「 いいよ、もういいから、十分だよ」

「・・・・・・でも」

「いいから」


疲れているせいかヴォルフラムは素直に寝台に寝かされた。毛布を直されながら、静か瞳で村田を見上げて「何か分かったか?」と小さな声で尋ねる。


「正直、よく分からない。でも、魔力の呪いではないと思う。人間の土地であるほど、君の月への拒絶は強いみたいだから」


そういえば、そうだ。眞魔国では、月に対してあまりここまで思うことは・・・・・・最後にコンラートにあったときだけだった。

「最後」という単語に首を強く振って否定する。生きている、死ぬはずがない。アルノルドからも、地球からも帰ってきた。ぼくの元へじゃなかったかもしれないけれど、返ってきてくれた。大丈夫、だ。

幼い頃だって、いつもコンラートはぼくのところに帰ってきて・・・・・・


「・・・・・・?」


その先を思い出せずに、眉をひそめると村田が「もう寝た方がいい」と更にシーツをもう一枚掛けてきた。


「眞魔国に返ったら、術者に相談するんだ。命に関わることではないと思うけれど、何か会ってからじゃ遅い」


頷くとヴォルフラムは目を閉じた・・・・・・と、まだ、ベッドの隣で村田が見ている。少し気恥ずかしく思うと「もう大丈夫だ」と追い払おうとした時に村田は言った。


「大丈夫だよ、きっと君のお兄さんは無事だよ」

「・・・・・・なんだ、いきなり」

「根拠はないんだけれどね、ただの勘」


でも、一途に兄の帰りを待っている容姿は『彼』にそっくりなヴォルフラムは、不思議と記憶のはじまりのいつも『彼』を待っていたひとに似ている気がした。その人は『彼』に文句も沢山言っていたけれど、それでも何より『彼』の帰りを心待ちにしていた。『彼』に誰よりも必要として欲しかった、漆黒が誰よりもふさわしかった人・・・。

『彼』も絶対に帰ってきた。誰よりも『彼』を慕っていた、漆黒の髪と瞳を持つ弟のところへ。弟が、自ら「彼」の元を去るまで。


「でも、大丈夫だよ・・・きっと、ウェラー卿は君の元へ帰ってくる」

「・・・・・・当たり前だ」


「君の元へ」。その言葉が嬉しかったのが恥ずかしくてヴォルフラムは頭までシーツを被って、表情を隠した。暖かなシーツの温もりに身を隠して、もう一度上着の内ポケットを探った。そこにある、確かな感触。薄いけれど、丸い曲線の感触を持つ、見慣れた飾りボタン。
ヴォルフラムは少しだけ安心して、そのボタンをしっかりと握りしめた。






当たり前だ、コンラートは絶対無事だ。


帰ってくる、かならず。ぼくの元へ。




















































これは何かの罰なのだろうか・・・・・・?







「・・・・・・コンラート?」








大シマロンの軍服に身を包んだ、雪降る闘技場のコンラートはまるで別人のようだった。

































......to be continued......



















2008/01/28