あの月に、誓った。
















あなたへの月 10













寝室に戻って素足のまま立っているヴォルフラムの姿を見つけて、最後に走り寄ってきたのは叔父から家庭教師を引き受けている彼女だった。



「ヴォルフラム殿下、昨日は一体どこにいらしたのですか!?」

「・・・・・・」



純血魔族特有の完璧な美貌を疲労と安堵に染めた彼女はヴォルフラムを抱きしめた。されるがままのヴォルフラムは無感動に「しんぱいさせた」とその袖を掴んで心でわびた。



「・・・・・・ごめんなさい」

「私たち昨日は一晩中必死に殿下を探していたんですよ!でも、どこにもいらっしゃらなくて。
コンラート殿下も見つからないと聞いて、もうこれは誘拐かと思って・・・!」

「・・・・・・の?」

「殿下・・・?」



他にも聞きたいことはあった。誘拐というのは次兄と自分がということなのか、それとも違う意味なのか・・・・・・彼女の態度はただ心配と疲労の色が濃くはっきりとは分からなかった。

でも、その前聞きたいことがあった。



「あにうえはにんげんなの?」

「・・・・・・え?」

「コンラートあにうえはにんげんのちをひいているの?」

「・・・・・・ど、どこでそれを」



急に安堵したその顔を蒼白に染めて彼女は一歩退いた。ヴォルフラムはその態度を見て、次兄の言葉が真実であることを思い知らされた・・・・・・彼女はほとんど次兄に合うこともなかったのに。



(ぼくはしらなかったのに)

「だれが、それを・・・・・・まさか、フォンビーレフェルト卿が?」



彼女は何故叔父のことを言っているのだろう?叔父のことなど一言も言っていないのに。
勘違いをしている彼女を正そうと、いつもは必要以上に大きな声を発するくせ、今は凍ったようにうまく動く動かない唇を温めるように動かした。あにうえは、あにうえはを口の中だけでかすんで消える声を少しづつ大きくする。3回目にはかすれた音が、かすかに零れた。



「あにうえが、いってた」

「グウェンダル殿下が!?」



ヴォルフラムは首を振って小さく「コンラートあにうえが」と言った。そう、彼は自分で告げたのだ。ずっと隠していたことを。ヴォルフラムが気付くまいとしていた秘密を。


それなのに、どうして鍵は解けないのだろう。

もう隠す必要も、気付かない必要も無いのに。

もう、苦しくないはずなのに、息をする度に身体の芯が体を揺さぶって立っていられない。


解いて自由になったはずの心の奥には暗い穴が空いたようで、うまく鍵の中身を出せない。逆に暗く鍵ごと沈んでいくようだ。もがいて溺れている自分をどこか他人事のように眺めて、ヴォルフラムはどうにかその自分を助けるために彼女を見返した。そこに答えがあるかはわからなかったけれど、他になにに尋ねればいいのか分からない。

彼女は硬直したまま、何も言わなかった。ただ、どうしても解けない疑問を前にしたヴォルフラムは、ふと彼女の態度に気が付いたことがあった。



「・・・・・・ちっちゃいあにうえが、ぼくをゆうかいしたとおもった?」

「!・・・わ、私は別に!」



いっそそうだったらどれほどよかったか。

引きつった彼女の双眸と数秒見つめ合った。そして、ヴォルフラムは意識が遠のくことをやけに冷静に受け止めていた。やけに全てが遠い。朝日も、彼女も、足下の感覚も、コンラートの優しい手も、全てがぐにゃりと歪む。

それを最後にヴォルフラムは絨毯の上に小さな音を立てて倒れた。天井が視界を横切ると遠くに彼女の悲鳴を聞いた気がした。

そのまま、ヴォルフラムは数日間目を覚まさなかった。





















母が知らなかったはずはない。長兄だって、彼の師であるギュンターだって、叔父や、彼女でさえ・・・そして、コンラート自身が知らなかったはずはない。つまり、ヴォルフラム以外には周知の事実だったということだった。


(ちっちゃあにうえ、コンラートあにうえ、コンラートはぼくにだけかくしていた)


人間の血を引いている・・・眞魔国においても人間はいくらか暮らしている。いずれも眉をひそめられ、短い寿命の中でさっさと朽ち果ててしまえばいいと言われる存在だった。それでも人間の難民をいくらか直轄領と辺境に住まわせている母の前ではその口は閉ざされていた。

ヴォルフラムにとって人間は不安の象徴だった。人間の噂を聞けば戦が起こり、誰かがいってしまう。父はヴォルフラムが物心つく前に人間との戦で帰らぬ人となっていた。叔父や長兄でさえ人間が現れると行ってしまう。次兄が軍に入ったときは次は彼の番なのかと怯えていた。

汚らわしい、恐ろしい、自分たち魔族を滅ぼそうとする人間・・・・・・その血が兄に流れている。

その事実はヴォルフラムにとって不思議なものだった。あのやさしいコンラートには恐ろしい人間の要素が一致しない。記憶の中をいくら探しても魔族とちっとも変わらない、いや誰より優しくて強かったコンラートの中にヴォルフラムは恐ろしいものを思い出せなかった。いつも駄々をこねるヴォルフラムをあやして抱き上げてくれた、暗闇を怖がるヴォルフラムの手を繋いで寝室まで連れて行ってくれた、本当は父を追って早く行かなければならなかったのに、本当は暗闇が怖くないわけではなかったのにわがままばかり言うヴォルフラムの側にいてくれた。

大好きだった。



「・・・・・・え、あにうえ・・・・・・あに」

「殿下?」

「・・・・・・あ」



淡い夢から覚めたヴォルフラムの前に美しい声が響いた。ここ何日も聞いている声・・・家庭教師の彼女の声。倒れた後寝込んでからずっと聞いている。
もう何日経っただろう、一週間は経ったろうか・・・。



「大丈夫ですか?」

「・・・・・・うん」



心配でたまらないといった表情が見下ろしている。ヴォルフラムが倒れていから、家庭教師の彼女はずっとヴォルフラムに付きっきりだった。今までは冷静な仮面をつけていたはずの彼女はここ最近はまるで感情を隠そうとしない。倒れた後もうまく起き上がることが出来ないヴォルフラムにとってそれは思わぬ驚きだった。



「ははうえは?」

「陛下はシュトッフェル閣下に呼ばれて・・・どうしても外せない用件と言うことで。でもすぐに帰ってくると仰ってましたから大丈夫ですよ。それにグウェンダル殿下がもうすぐいらっしゃるそうです」



心配しないでと撫でてくる手は優しい。優しいから、申し訳なく思ってしまう。次兄の手と違いばかり思い出してしますから。

顔を枕にうずめて寝台の上で身じろぎして、柔らかなシーツにくすぐられる。その感触が好きなヴォルフラムはふいにその感触をコンラートが好きだったことを思い出した。ヴォルフラムが寝台で待っているとコンラートはそのとなりで今のヴォルフラムと同じことした。
意識していなくとも、 次兄の好むものを好むようになったのかもしれない、今までは気が付かなかった。いや、気が付く必要がなかった。ヴォルフラムにとってはそれは意識の必要がないほど自然なことだった。今はもう自然ではなかった。

大好きなコンラート。たまにヴォルフラムがしつこく旅立つ彼を引き留めると「おれがいなくても、みんなヴォルフラムが大好きだよ」と言って行ってしまい、悲しかった気がする。あなただからなのだと、伝わらなかったことを確認させられるからだったのかもしれない。



「・・・・・・・は?」

「はい?何ですか、殿下?お腹が減りましたか?それともそろそろ外に出ますか?医者は散歩ぐらいならもう大丈夫だって・・・あ、そうです!ツェリさまがこの前新しい花を」

「コンラートあにうえは、どうしてる・・・?」



「ちっちゃいあにうえ」とは呼ばなかった。そのまま彼を兄と呼ぶことは腹立たしい、というよりはひどく空虚で今までの自分をなぞることはしたくなかった。
でも、名前を口に出すとそれはとてもいとしいものに思えた。



「またたびにいったの?こんどはいつかえってくるの?」

「さ、さあ・・・私には。でも、今は血盟城にいらっしゃらないかと・・・」

「そうなの、じゃあしばらくはむりかな・・・」

「あの殿下、まさかコンラート殿下に、その・・・・・・お会いになるつもりですか?」



どうしてそのことで彼女がうろたえるのか、よく分からなかった。一度笑顔の仮面を取り外した彼女はうまく感情が隠せなくなっていた。青ざめた頬が強張っている、そういえば彼女は次兄に会うといつも怯えていた気がする・・・・・・コンラートが人間の血を引いているからなのか。



「あう、っていうか・・・・・・」



会いたいのか・・・ヴォルフラムもよく分からなかった。もう一度会っても今までのように再会は出来ないだろう。 コンラートが自ら自分の手を離した、そしてそれから会いに来ることも手紙をくれることもなかった。


もう手は届かないのかもしれない。


生まれたばかりの記憶などあるはずないが、コンラートがヴォルフラムを抱き上げた時のことをヴォルフラムに覚えていた。

抱き上げてくれたコンラートは所在ないように不安の色を濃く浮かべて見下ろしていたけれど、うまく動かない手足をばたつかせると抱きしめてくれた。でも、その眼の奥に寂しげな光を見つけて、今度は何とか笑って欲しくてもごもごと唇を動かせた。うまく動かなかったせいか、それでも薄茶色の瞳はどこか寂しげたった。

その日からヴォルフラムはコンラートを悲しませることを怖がってきた気がする。どんなに言葉を投げかけても、寂しげな光は消えなかったけどそれ以上増えることもなかった。何をしても変わらないそれを、せめて増えることはないことで慰めていた。

それでも、大好きだと何とか態度や言葉で伝えると別の柔らかな光が銀色の光彩に浮かんだ気がしてもっと伝えようとしてコンラートを困らせた。困らせてもヴォルフラムは続けた。好きだ、好きだとうんざりさせるほど伝えたかった。
いつか、それを続ければいつか、その悲しみを消せると・・・!

今では笑い話にもならない。
生まれて初めて自嘲するヴォルフラムに彼女は気が付いていないようだった。決然とした声で急にヴォルフラムに近づくと、ギョッとして退いたヴォルフラムに彼女は更に詰め寄った。



「駄目です、ヴォルフラム殿下はコンラート殿下には会ってはなりません。少なくとも何年かは駄目です」

「な、なんでおまえにそんなこといわれなくちゃ・・・」

「お願いします約束してください。コンラート殿下にはしばらく会ったりしない、と」

「・・・・・・べ、べつにあってもあわなくもぼくのかってでしょ!?」

「そういうわけにはいきません、コンラート殿下に会ってはなりません!」

「なんでだ!ぼくがだれにあおうとおまえにはかんけいないだろう!」

「関係あります!ええ!あ、あるんです、だから私は・・・・・・!」



彼女の声には最後は涙が混じっていた。急に抱きしめられて呆然としたヴォルフラムは寄せられた頬に湿り気を見つけて戸惑った。柔らかな香りのする肩で耳元に彼女の哀願が囁かれた。

彼女が叔父に家庭教師を頼まれた理由は表向きはギュンターが多忙だったが、本当の目的はコンラートとヴォルフラムを引き離すためだったこと。

ヴォルフラムはコンラートの側に育つことをビーレフェルトの一族は快く思っていなかったが、母の目を気にしてなかなか引き離せなかったこと。

いつか人間の血を引くものの元など自ら離れていくだろうと、放っておいたが一向に離れる様子がないことを焦り手を打って彼女を送ったこと。

次兄を強く慕うヴォルフラムの心情を考慮して本当は少しずつ距離を離していくつもりだったが、コンラートが自ら人間の血を引いていることを告げたのでこれからははっきりと断絶させていくことに叔父が決めたこと。

足下が崩れていくヴォルフラムの髪を彼女は何度も梳いた。そして、懇願した。



「お願いします、ヴォルフラム殿下がコンラート殿下を慕っていることは分かっています。でも、だからこそ、ずっととは言いません、でも何年か・・・お願いします、このままではコンラート殿下はビーレフェルトを敵に回してしまいます」

「・・・・・・うそ」



そんな馬鹿な。














制止する彼女を振り切ってヴォルフラムは白鳩便を飛ばしてビーレフェルトの叔父に尋ねた。コンラート会ってはいけないなど嘘だと言って欲しかった。

そんなことはないはず、コンラートは成人の儀の時に魔族として生きることを誓ったはずだ。「魔族として生きる」と以前に聞いたときはよく意味が分からず説明をせがんだが、コンラートが悲しげな目をするとヴォルフラムは黙るしかなかった。今は分かる。だから、そんなことはないはずだ。

「休みなさい」という医者から逃げ回って、眠たい目を必死にこすって眠らずにヴォルフラムは叔父からの返事を待った。そして、三日後に待ちに待った手紙をヴォルフラムは喜んで開いた。けれども、そこには勿論そうだ、人間となど会ってはいけない、そしてこれもいい機会だからビーレフェルトに戻るように、近いうちに迎えに行く、とだけ記されていた。

彼女の言ったことは真実だった。

気付かなかった自分がおろかだったのだろう。重要な貴族たちの会議に長兄は呼ばれることはあっても、次兄は名を呼ぶことさえはばかれる雰囲気があった。母はコンラートを誰かに会わせることをためらっていたし、グウェンダルは苦々しげにしかし大切そうにコンラート見ているのにいつも最後は遠ざかったしまう。臣下たち、大貴族の冷たい視線・・・・・・コンラートが人間なら全ての出来事が符合する。ヴォルフラムはその全てに気付くまいとしていただけだ。

母や兄、ギュンターはそうではないようだったが、ほとんどのヴォルフラムを好きだといってくれる人たちはコンラートが好きではない。それどころか嫌っている。ヴォルフラムを見舞いに来た叔父などは寝込んでいる甥を見てコンラートを罵っていた。その言葉が甥を心配しているだけではないことに、すでにヴォルフラムは気が付いしまった。

ヴォルフラムにやさしかった世界は彼にはやさしくない。だからこそ、コンラートの悲しみは消えなかった。どんなにヴォルフラムが願おうとも。


















満月の夜、ヴォルフラムは血盟城の廊下を歩いていた。ぺたぺた・・・と足音を消すために裸足になった足が冷たい音を立てていた。そして、その音はある場所でぴたりと止まった。



「・・・・・・・・・・・・」



ヴォルフラムはその扉を見た。あの日コンラートと眠った、母の作った隠し部屋。そこにコンラートは父と共にいた。そっと手を当てると、扉の中の談笑が伝わってくる。
目を閉じるとコンラートが笑っている顔が浮かんできて、怒りで頬が紅潮した。何が楽しいのか、自分に勝手に出自を告げて勝手に置いていって、勝手にいなくなって・・・・・・帰ってきた。



(やっとかえってきた・・・)



ほうと息を吐いた。手の平を胸において勝手に騒ぐ心臓を押さえつけた。ヴォルフラムがコンラートに彼の出自を告げた日からコンラートはもう1年以上血盟城に帰ってこなかった。母は大いに嘆き、長兄の眉間の皺はより深くなった。

叔父から手紙を受け取った後もヴォルフラムは母と長兄にコンラートに会ってはいけないかを尋ねた。母はそんなことはないと言い、長兄は無言だった。
安心した直後にビーレフェルトに連れて帰ろうとする叔父にも再びコンラートに会ってはいけないと言われて、逃げ出した。先に何とかコンラートを呼び戻そうと手紙を書く母に母の兄であるシュトッフェルの会話を聞いた。

連れ戻そうとするツェリにシュトッフェルはコンラート自ら離れたものを呼び戻す必要はないと冷笑していた。母はそれを聞いてもコンラートに手紙を書いていたが、その口調からコンラート自身が帰城を望んでいないことがわかった。


その時ヴォルフラムはコンラートが帰ることを望んでいないことを知った。
思えば、当然かもしれない。ここはコンラートに冷たい世界だ。


その後、叔父に捕まってそのときばかりはビーレフェルトに連れ戻された。叔父からもコンラートがヴォルフラムのことを考えて離れたのだから、お前のためだからとなだめられて、口をきこうとしない甥を宥めた。

ヴォルフラムは結局母に願って血盟城に戻った。しかし、戻ってきてからまるで腫れ物を扱うかのような母の態度にヴォルフラムはコンラートに帰還の予定がないことを悟った。 その後、ヴォルフラムには何度もビーレフェルトから迎えが来たがその度に母や長兄の後ろに隠れて、何とかやり過ごしてきた。

扉の向こうで大きな笑い声が響いた瞬間ヴォルフラムはビクリと扉から退いた。向こう側に聞こえるはずもないが小さく息を殺して、扉から目を背けた。窓の方を向くときれいな満月が浮かんでいた。

1年前にはあの月がどこか遠いところを旅しているコンラートに繋がっていると感じられてそれだけで嬉しかった。それなのにいまは扉ひとつ隔てられているだけなのにこんなに遠い。



「コンラートあにうえ・・・どうしたいんだろう」



ヴォルフラムにはコンラートの真意が分からなかった。コンラートがヴォルフラムに出自を告げたとき、彼は涙を流していないことが不思議なほど寂しげだった。その寂しさの理由が分からなかった。ヴォルフラムと共にいると辛いからしつこく次兄を血盟城に引き留めるヴォルフラムをようやく振り切れるから・・・と卑屈な考えも浮かんだが、寂しい理由にはならない気がする。ヴォルフラムから離れることが寂しかったから・・・?と希望も持ったが全然帰ってこないのはどうしてだろう。

手の平には白い豪奢な花が一輪握られていた。「麗しのヴォルフラム」。1年前にふさぎ込む末の息子の為に母が改良した花だった。コンラートに渡すつもりだったわけではないが、何かのきっかけにならないかと持ってきてしまっていた。

真実を知りたいのに、知ることへの戸惑いを押さえることが出来ないヴォルフラムは額を扉にくっつけたままうなだれた。そうしていると、ダンヒーリーとコンラートの声が聞こえてきた。



「・・・・・・そういえば、いいのか?本当にこのまま行って」

「なにがですか、父上?」

「弟に会って行かなくていいのか?」

「・・・・・・ヴォルフラムに?」



ヴォルフラムはビクリと震えた。ヴォルフラム。コンラートの声にそう呼ばれたのはもう遠い昔のことのように思えた。



「そうだろう、グウェンダルに言われても聞き入れなかったそうだな?」

「言ったでしょう、前にヴォルフラムに言ったって・・・おれの血筋のことを」

「だからなんだって言うんだ、本当は会いたいんだろう?それなのにこのまま行くのか、ツェリが泣いていたぞ」

「しかないでしょう!もうヴォルフラムは知っているんだから、おれには会ってはくれませんよ」



ひどいひどいひどい!まってたのに、ずっとずっとずっとまってたのに!拳を扉に叩き付けようと振り上げた。



「だからってお前たちが兄弟であることは変わらないだろう、そのことに囚われて弟を捨てるつもりか?」

「そんなつもりじゃ・・・いいでしょう!人間の血を引く兄なんて、純血魔族のヴォルフラムの為にはならないんだから!おれだってもういいんです・・・疲れました、ヴァルトラーナに憎まれることも、純血魔族の弟を利用して城に留まろうとしていると思われていることも」



ヴォルフラムの背筋が冷や水を浴びたように縮こまった。振り下ろそうとしていたてがぴたりと止まる。



「・・・・・・お前を守ってやれなかったのはすまないと思っている、でもそれじゃあお前の弟があまりに哀れだろう」

「哀れ?そんなことないですよ、ヴォルフラムには母上だってグウェンダルだっている。眞魔国中の誰からも愛されていますよ。おれは必要ない、おれは邪魔になるだけなんです!!」



ヴォルフラムの足が床を蹴った。耳にダンヒーリーの声が聞こえた気がしたが、全てから耳を塞いでヴォルフラムはその部屋の扉から逃げ出した。

どこまで走ったろう、ゆらりとゆれる視界にヴォルフラムは1年前を思い出した。あの時はコンラートを目指して走ったのに、今はどこに向かっているのだろう。
考え事をしたせいか、足がもつれて転んだ。受け止めてくれる人がいないことにヴォルフラムがまた涙を浮かべると優しい気配に気が付いた。

頬を石の床にくっつけたまま視線だけ上げると満月が浮かんでいた。満月があれば次兄に繋がっていると信じて寂しくなかったこと、寂しさを紛らわせていたことを思い出すが、それでも寂しいままのヴォルフラムは泣いた。



「あにうえ・・・ひっく、うっ、うーーーーっ!」



なにに悲しめばいいのかも分からない。



(コンラートあにうえはぼくのせいできずついてた)


誰より守りたかったのに、一番傷つけて。


(ちっちゃいあにうえはぼくといたせいでひどいことをいわれた)


必死でのばしていた手は全然届いていなかった。


(ぼくがあにうえがいちばんすきだって、ぜんぜんしんじてなかった)


彼の代わりなんて、どこにもいなかったのに。




「・・・・っく、えっく・・・・・・」



ようやく収まった嗚咽に肩で息をすると、ヴォルフラムは涙を飲み込んで地に伏した手に力を込めた。そして、まだ光を投げかける満月に手を伸ばした。


もう間違えない。だから、もう間違えない「自分」が欲しい。
彼の悲しみを消せるなんてもう思わない。でももう彼を傷つけたくない、それだけはもういやだ。

でも、ぼくは彼が大好きでからきっといつか彼を求めてしまうだろう。
だから、これからは・・・・・・・・・全部忘れるから。

それだけがぼくにできること。これからはあの月に全部渡して、あの場所に全部を閉じこめるから。
だから、もう大丈夫だから・・・これで、これでせめてこの国から去ることだけはやめて。
どこにもいなくなることだけは・・・・・・お願いだから、だからその為になら・・・・・・。












火を纏った魔力がヴォルフラムの小さな身体を取り囲むと、コンラートと過ごした記憶全てを包んでその身の内の奥深くに沈んでいった。




















朝がまだ明けるか明けないかという時間にコンラートは歩いていた。まだ年幼い第二王子は朝が早いが、こんな時間に起きていることは珍しかった。彼にしては珍しく憔悴した様子で、右頬をおさえて片手に白い豪奢な花を持って歩いていた。白い花は時間が経ちすぎているせいか、しおれて床の方を向いていた。

コンラートが沈んでいく満月を見るために足を止めると、暗がりに立っていた小さな人影が浮かび上がった。目をこらすと、わずかに上った太陽の光が人影の金髪を反射して光った。



「・・・・・・ヴォルフラム?」

「・・・・・・」

「扉の前にこの花が落ちてて・・・母上が教えてくれたんだ、これがお前の花だって」

「・・・・・・・・・げんめ」

「?なに?・・・・・その、この花、もしかしてお前が・・・・・・」

「近寄るな!人間め!」



ヴォルフラムはコンラートが差し出した「麗しのヴォルフラム」を叩き落とした。薄茶の瞳が見開かれる瞬間を確認して、ヴォルフラムは続けた。



「ヴォルフラ・・・・・・」

「触るな、人間!お前なんか兄じゃない!」







大丈夫だから。







「汚らわしい人間の手で触れるな!!」








ずっと、あなたを守るから。






















































弟の嗚咽を聞いた気がして、コンラートは腕の中の弟を見下ろした。



「ヴォルフ?」



泣いているのかと頬に視線を下ろすと涙の跡はなかった。雪でも解けて間違えたのだろう、息をつくと雪の中で眠り続ける弟をそっと抱き上げる。少し重くなった、自分が知らない間に色々なことがあったのだろう。自分の知っている弟の記憶はあの日を境に急速に少なくなっていったのだから、当たり前なのだけど。

・・・・・・本当に大きくなった、異国に遁走した兄を追ってくるほどに。もっとも、慣れない人間の国で疲れてきっていたのだろう、言うだけ言って倒れて兄に運ばれてしまうところはまだまだ幼いけれど。ああ、あの日から兄とは認められていなかったっけ。

今でも思い出す。兄とは認めないと言われたあの日の前の夜、父から初めて頬を叩かれた。剣の稽古で怪我をしたことなどいくらでもあったが怒りで頬を打たれたのは初めてだった。どうしてそんなことを言う、そんなことを言ったらきっと弟は悲しむと言われて、頑固に「違う違う」と言い張る自分をダンヒーリーは一晩中懇々と宥め、責め続けた。

結局眠れずに朝方部屋を出ると目の前に置かれた花に「もしかして」と心が逸った。母から送られた手紙に添えられていた押し花とそっくりだった。これが弟の花だから見に来て欲しいと母が暗に言っていることは知っていたが、こんなところで出会うと思っていなかった。

でも、一瞬だけ期待してしまった俺と1年ぶりに顔を合わせたヴォルフラムは決して自分を兄とは呼ばず、人間の手で触るなと強く睨み付けた。

それから、嫌う弟の表情の影に俺への親しみと気遣いが漏れていることに気づくまで俺はお前の目を真っ直ぐに見ることも出来なかった。なんてお前は知らないだろうな。

お前は正しかった。人間の混血と純血魔族、その違いが全ては思わないけれど俺と離れたことでお前は人間と仲がいいと陰口を叩かれることもなくなった。きっとお前は知らないだろうけど。そうなって俺がどれだけ安堵したか。


深く眠り続けるヴォルフラムの頭を胸に寄せ、しっかりと抱き上げた。宿を見上げるユーリたちの息づかいが、血盟城でのように聞こえた気がした。あの場所にヴォルフラムを返さないといけない。

ここにいちゃいけない、ユーリたちの元へ帰さないと・・・でも、迎えに来てくれて嬉しかった。本当に。

お前はずっと変わらず優しいままだから。だから、もう俺にかまうべきじゃない。こっちに来てはいけない。


お前を想う人は沢山いるから、だから、どうか俺のいない場所で幸せに。



















to...be...continued......


















反転アトガキ


正直まとめきれていない部分がありますが、一応この話で「ヴォルフが何故コンラートを嫌うのか」の謎は判明しました・・・・・・つもりです。 はい、分かりにくいことのこのうえないですよね・・・・。

最後の次男のセリフに「何だとテメー!」と思っていただけると幸いです(え)。


つぎで終わりです・・・。






2008/06/15