月明かりが、ただやさしかった


















あなたへの月  エピローグ





















静かな夜だ、とコンラートは血盟城の廊下を歩いた。柔らかな月明かりは幼い頃は、忙しい母の代わりに寄り添って眠ってくれた思い出がある。だから、月は好きだ。特に明るい満月は・・・・・・あのとき、ヴォルフラムに拒絶される前は。



(・・・・・・まだ、ヴォルフラムとは一言も言葉を交わしていない)



コンラートは眞魔国に戻っていた。正直帰れるとは思っていなかった。大シマロンへ渡ったこと、それ自体は大罪とされても仕方がない。魔王の取りなしがあったとて、未だに一部のものをのぞくものたちからのコンラートへの不審の念はぬぐいがたかった。魔王陛下の護衛を未だ務めていることには反対の声が絶えない。
それ自体は仕方がない、むしろ自分がやったことにすれば軽い罰だろう。ただ、そのことでユーリや兄や師にまで悪い噂が立つのは正直辛かった。


そのせいかコンラートは眞魔国にかえって以来ヴォルフラムと言葉を交わしていなかった。


仕方がない一度は彼の手を振り払って眞魔国に帰ることを拒絶した。ついに、憎まれたのかもしれない。いつも勝手に彼の手を放したり、つかんだりして、振り回していた。愛想を尽かされるのも自然だろう。このまま、距離をとられてもそれはかえってお互いのためなのだろう。それに、聖砂国ではユーリのためとはいえ彼の命を自ら危険にさらした。ヴォルフラムの命をかける提案に彼が冷静な態度で乗ったときは反対はコンラート自身が動揺した。彼を失うことにはならなかったけれど、彼とのつながりを決定的に切ったと感じた。問いつめるユーリにはヴォルフラムはなぜか嘘をついた、コンラートに命を預けたなどと一時のことでもユーリに知られたくなかったのか、コンラートに対する断絶の合図だったのかもしれない。

それでも、コンラートの心の奥の正直なコンラートは寂しがっていた。せめて、謝りたかった、たくさん、言い切れないくらい。あのとき伸ばされた手をつかみたかったと過去を振り返っていた。

歩いた先にコンラートは血盟城のはずれのその部屋の前に立った。自分が幼い日々のいくつかを過ごしたその部屋がほとんどそのままで現在も残っている。昔は隠し部屋で、来るのも一苦労だったが今はただのはずれの部屋だ。



(いくつになっても、つい来てしまう場所というのは変わらないな)



たとえば混血と罵られたとき、兄とうまく話せなかったとき、幼いヴォルフラムから逃げようとしたときにこの部屋に来ていた。そして、今弟が遠のいてしまったことでまた訪れている。

言いつけたまま大シマロンに渡ってしまい側付きの彼女には申し訳ないことをした。さぞ、要領を得ない命令だったろう。せめてヴォルフラムの部屋が変わって、いつもヴォルフラムがユーリと一緒に眠る魔王の寝室のカーテンが変わっていればいいのだけれど。

扉にふれるとほこり一つない。きれいなものだ。さすがに取り壊されてはいない、あのときは動転して城の一部を破壊するなどととんでもないことを口走ってしまった。倉庫になっているのだろうか?
いや、でもあのあと失踪したものの命などを真に受けてはいないだろうから、そのままか・・・・・・

コンラートは扉に手をかけると、そのまま開いた。やはり、そのままだ。その事実にやはり安堵する。変わらないものもある、調度品はすこし変わってしまったが概ねそのままだ。そして、なにより大きな窓からは血盟城で一番月が美しく・・・・・・



「・・・・・・・ヴォルフ?」

「・・・・・・・コンラート?」



そして、その窓の前でヴォルフラムがたたずんでいた。















久しぶりに顔を向き合ったコンラートの第一声は「大丈夫か」だった。満月ももう近いのに、この場所にいて大丈夫かということらしい。ヴォルフラムには自覚がなかったが、あの月の夜の出来事は相当コンラートのトラウマになっているらしい。そう知ると気まずい気がする。

ヴォルフラムはふいとコンラートから目をそらすと夜空の少し足りないけれど満月までもう少しの月に視線を戻した。手にしている紙にもう一度正確にその姿を写す、できるだけその美しさを残しておけるように。



「ヴォルフ、何をしているんだ・・・絵?」

「月の絵を描いているんだ。これだけじゃないぞ、ずっと描いている。満月の絵もあるぞ」



ほらとヴォルフラムが指さす先には布をかけられたたくさんの額縁があった。コンラートがその布をのぞくとたしかにそこには月のある夜空が絵がかれているものばかりだった。消えそうに細い月のはかなさ、満月のやさしい月明かり、写実的に描かれた絵が何十枚ヴォルフラムの足下に置かれていた。

呆然とその絵を見ては見返し、また見ては見返しを続けているコンラートの隣でヴォルフラムはこっそりほほえんだ。全部、彼のための絵だ。見せるために描いたわけではないけれどやはり見てもらえるとうれしい。この部屋から見える月を全部残しておきたいと、彼と二度と見ることはないかと思っていたせいかこんな量になってしまっていた。



「全く、お前が帰ってこないから、こんなに描く羽目になった。描きすぎて場所に困るからぼくの部屋もだんだん狭くなってきた」

「お前の部屋?」

「・・・・・・この部屋だ、知っているだろう?ギュンターの陰謀で」

「部屋を変えていなかったのか!?
だって、お前この部屋をあんなにいやがって・・・・・・満月のことも大嫌いだって」



ヴォルフラムは筆を止めると首を振った。驚きに目を見開くコンラートの顔に手を伸ばすと静かにその薄茶の中の銀色の星を見た。今度は星の絵を描いてもいいかもしれない。



「そのことも、ほかのことも・・・・・・言いたいことがあるんだ、たくさん」



言い切れないくらい。言葉にできないことも含めてとても伝えきれないかもしれない。だからこそ、帰ってきた彼にどう接すればいいのかわからないまま、また日々がすぎてしまった。その代わりに絵を描き続けていたのかもしれない。が、あまりに個人的すぎて絵一つでとても理解できるものではないのかもしれない。

それでも、言いたいことが、伝えたいことがたくさんあった。

でも、まずは彼がここにいる喜びを伝えよう。ずっと、ずっと、ずっと、待っていたんだ。



「ちっちゃいあにうえ、ぼくはずっと待っていたんだ。大好きなまんまるなお月様と一緒にずっとずっとずっとコンラート兄上を待っていたんだ」



こんな風に話せる日がまた来てよかった。もう一度、意外と早く会えた彼はいつもどこか遠くて、彼に会えたうれしさと一線を引かれている寂しさでいつもかたくなな態度かそうでなければ何事もなかったような態度をとった。正直、自分が意外と器用だと感じることもあった。



「大好きだ、満月は。コンラートに似ているから、大好きだ」

「ヴォルフラム・・・?」



コンラートはヴォルフラムに抱きしめられていた。抱きしめられた背中にコンラートは両手をヴォルフラムの背の上の宙で彷徨わせる。



「でも、俺はお前を振り払って、一度は命を危険に・・・・・・」



ヴォルフラムは少しためらうときっぱりと首を振った。ユーリのためだった、それもある。それが一番だ。しかし、彼と同じ場所にたてることはヴォルフラムにとって喜びだった。いつでもかばうように抱きかかえられて歩いた時を思い出せばユーリに彼がした決断を知られたくはなかった。彼のためでもあれば、自分のためでもユーリのためでもある。



「それも、これも、言いたいことがあるんだ・・・・・・でもとても言い切れそうにない」



だから、また、時々でいいから、この部屋で一緒に月を見て欲しい。すこしづつ、話すから。うまく話せないかもしれないけれど、できるだけ。血盟城で一番明るい月明かりの下で。

コンラートは迷ったが、しかしおずおずとヴォルフラムの背中に手を回した。ためらいがちだった指先がぎゅとヴォルフラムを抱きしめた。



「そうだな、俺も、俺もヴォルフラムに言いたいことがあるんだ。話しきれないくらい、たくさん」



だから、またここで一緒に眠ろう、そう言うコンラートにヴォルフラムは頷くとコンラートの顔を見上げた。月明かりに照らされたコンラートは戸惑いはあったが、寂しげではない微笑を浮かべていた。










月明かりの下でヴォルフラムは確かにコンラートが帰ってきたことを、静かに心に焼き付けた。






























FIN and FIN






















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