はじめは、こっちからだった。彼の秘密を知って、秘密にしていたことが許せなくて、泣きわめいて罵倒して、離れた。
・・・・・・本当は、最初から許していた。いや、そもそも怒ってやったことじゃない。本当は、ぼくが彼にとって信じるに値しない相手だと知ったときからの、幼い自分なりの決別だった。もう無邪気に彼を慕うことはできない、だからぼくにとっては彼を解放するための儀式のようなものだった。


ふたつめは彼からだった。盲目でも全てを見渡していた彼女を失っ彼は抜け殻のようで、そんな彼をどうしていいか分からないうちに、ぼくのことなんか忘れて見知らぬ世界に行ってしまった。


みっつめも彼からだった。最愛の主君を得て、もう二度と眞魔国を離れることはないと確信していた彼が突然に生死不明になった。飾りボタンを胸に忍ばせて不安をなだめいる日々の中、彼は大シマロン側として再び姿を現した。誰にも、とっくの昔に兄弟の縁を切った自分にも、なにも告げずに。



いつだってなにも告げずに置いて行かれて許せない、と思いながらも実は内心最初から許していた。きっと帰ってきてくれる、どこかでそう思っていたから。実際、彼の方から離れた時は二回とも帰ってきてくれた。
 

今は、今は確かに側に、目の届く場所にいる。


その一方で次こそは、どうすればいいか分からないままだった。
















言葉に出来ない 前編













コンラートがユーリとのランニングの後に再び魔王の寝室を訪れて、寝起きが極端に悪い弟を長年培ってきた経験で手早く起こすことは、ユーリの寝室にヴォルフラムが一緒に眠るようになってからの毎朝前魔王に似た元王子を怒らせる習慣となっていた。

軽く汗をかいた後のユーリと共に湯浴みをする前に起こしておかないとヴォルフラムは『朝食までに身支度が調えられないから、仕方ない』。そう言って訳知りのコンラートにヴォルフラムは「嘘つけ!」と、からかうことを止めない次兄の本音を見透かして怒鳴り、余計その思惑にはまってしまうこともまた習慣のようなものだった。

今日もその習慣通りだった。よく手入れされた魔王の寝室の扉は、その巨大さに関わらずきしむ音ひとつさせない。

無音で弟が眠る寝室に足を踏み込んだコンラートの前でまだ毛布がベッドの上でまるまっていた。
まだ布団をかぶって寝ているな、とコンラートは微笑を浮かべた。この時間にヴォルフラムが起きているかは五分五分といったところで、未だ微睡んでいることもあれば体を起こして寝ぼけ眼を擦っているときもある。

今日は前者なのだろうか、今日は微睡むヴォルフラムの柔らかな金髪を撫でられるなとコンラートはまた弟を怒らせそうなことを考えるとベッドに座って話しかけた。


「ヴォルフラム・・・まだ寝ているのか?」


寝ていると確信して、コンラートは柔らかな感触を予想してまるくなった毛布に手を上した。と、同時に頭のどこかでおかしいという声がした。何かがおかしい、でもなんだろう・・・?

その声は正しかったらしく、よく手入れされた毛布は空虚な手応えだけをコンラートの手に伝えた。いない?毛布をめくると、高級羽毛の大きな枕が鎮座しているだけで弟の姿はどこにもない。よく見ると毛布の中には無造作に脱ぎ捨てられた繊細な作りのネグリジェがくしゃくしゃになっていた。

そうだ、今日は「ぐぐぴぐぐぴ」といういびきが聞こえなかった。だからおかしいと思ったのか。おかしいと思っていたが、気が付かなかった。ユーリと走った後はヴォルフラムを起こすことが、いつの間にか当然のように思っていた。

枕元に着替えとして置いていた、ヴォルフラムの紺碧の軍服はなかった。ブーツも見あたらない。コンラートが帰ってくる前に目を覚まして着替えて、もうすでに出ていったしまったのだろう。


(・・・・・・なんだかつまらない、な)


「寂しい」と認めるのは何となく憚られて、コンラートがベッドの上でまだかすかに温かい毛布に触れているとコンコンとドアを叩く音がした。「ユーリか?」と思って振り返ると、盆に湯気を立てた紅茶のカップをのせたメイドが驚いた顔をしていた。


「・・・コンラートさま?あの、ヴォルフラムさまは?」

「もう起きて行っちゃったみたいだよ、わざわざヴォルフラムのためにお茶を入れて来てくれたのか?」


寝起きの悪い弟は目を覚ますために朝のお茶を飲むことがある。その事かとコンラートが彼女には微笑みかけると、彼女はあわてて首を振った。


「いえ、先ほどヴォルフラムさまが目を覚まされて「今日は朝食はいらない」と仰っていたので、てっきりお茶をご所望なのかと・・・・・・」

「ヴォルフが?せっかく珍しく早起きしたのに・・・」

「そうですか・・・困りましたね、せっかくツェリさまがヴォルフラムさまにと入れてくださったのに」

「母上が?・・・ああ、母上は今日血盟城に着くって言ってたっけ」


前魔王が寝起きの悪い息子にと煎れてくれたであろう紅茶が冷めていく姿に顔なじみのメイドはどうしようかとうろたえていた。どこにいるかわからないヴォルフラムに温かいままの紅茶を届けることは無理だが、このままツェリに返すことも気が進まないのだろう。

その時コンラートはひとつのアイデアが湧いた。悪いこととは思わない・・・いつものようにここにいない、彼が悪い。

盆に上に手を伸ばすと、かぐわしい香りが漂うカップを手に取った。「あ」という顔をしているメイドの前でコンラートはそれを一気に飲み干すと、いつもの微笑の彼女に向けた。とても、いい香りだった。


「朝早くからご苦労だったね、母上には後で俺から言っておくよ。ヴォルフラムにはまた後で母上にお茶を入れてもらえばいいし、もらっておくよ」

「は、はぁ・・・」


もらった後に「もらっておくよ」も何もという気もしたが・・・・それに関してはそれほど思うことはなかったが、コンラートの笑顔が妙に強張っているような気がしてメイドは首をかしげた。まるで、なにか辛いことでもあったようだ。そんなはずはないが。

不思議そうな顔をしたメイドを残して、コンラートはそのままいつも以上に笑顔を、ただし強張っている笑顔を振りまいて、最後には走りながら魔王の寝室を後にした。























ヴォルフラムは、結局宣言通り朝食の席には姿を現さなかった。
そして、コンラートも朝食の席を断った。ヴォルフラムを探していたせいだった。

もしかして何か急用があって城を離れたのかと思って、中庭に出て厩を見てもヴォルフラム愛用の白馬はいた。白馬はこっちに向いて「どうかしたの?」とでも言いたげな顔をしていただけだったし、城中のビーレフェルトのものに聞いてもそれらしい話はなかった。ヴォルフラムがどこかという話をしても、驚いたように首をかしげるだけだった。

なにかあったのかと心配そうに尋ね返されるとコンラートはそのしぐさに何かを見透かされる気がして「なんでもない」と否定した。きっと、珍しく早起きしたから朝の散歩でもしているのだろうと半ば自分自身に説明していた。



「・・・ふう」



執務室の扉の前でコンラートは溜め息をついた。気が付けばすでに結構な時間が経っていて、ユーリはとっくに朝食を終わらせて執務に就いているだろう。もうヴォルフラムもそっちにいるかもしれない。結局見つけることができなかった。
気重に扉を開けるとヴォルフラムはいなかった。ユーリ、グウェンダル・・・ギュンターはいない。書類を取りにでも行っているのだろうか?


「おはようございます、へい・・・」

「あ、コンラッド!?どこ行ってたんだよ、朝はあとで朝食の席でまたって言ってたじゃん!?」


いつものように「陛下じゃないだろ、名付け親」のフレーズに繋がる台詞を吐く前にユーリの声はコンラートにはじけて飛んできた。朝食の咳に無断で欠席していたことによほど驚いていたのだろう、なぜかコンラートをまるで宝物かを見つけたようにきらきらした目で見ている。心なしかちょっと潤んで熱っぽいような瞳のような・・・?


「心配してたんだぞ、コンラッドが朝食にこないなんてどうしたんだろうって」

「すみません、ちょっと気になることがありまして中庭の方に出ていて・・・」

「中庭だと!?」


急に会話に入ってきたとんでもなく驚きと畏怖に溢れた声は兄であるグウェンダルのものだった。振り返ったコンラートは驚いて目を見開いた。冷静沈着な兄がなぜすぐ下の弟が中庭に出ていたことでそんなに声を荒げるほどうろたえるのか?いつも眉間に刻まれた皺がまるで何かにおびえておののいているような表情のせいでよけに深くなっている。口元に手を当てていて、心なしか青ざめている。

しばしの間震えを押さえ込んでいた兄は何か決意をしたようにいつも定位置になっている執務机の下から何かを取り出すと小走りにコンラートに近づくと手にしていたなにか桃色のものをぎゅうとコンラートの首に押しあてた。


「うわっ、ど、どうしたんだ、グウェン?これは・・・マフラー?」

「中庭など・・・なぜ中庭になど行った!?」

「ちょっと用事が・・・」

「用事・・・だと?」


グウェンダルは今度こそ真っ青になった。コンラートはぐるぐる首に巻かれたマフラーの間からうまく息ができずに少し目眩がしたが、グウェンダルはそれにはかまわず今度はコンラートの両手に桃色のミトン(白いポンポン付き)をはめさせる。


「そんな・・・どんな重要事項があって、そんな酷いことをさせられていたのだ!?」

「い、いやそうじゃなくてちょっと用が・・・」

「まだ今は冬なのだぞ、寒かっただろう・・・そんな体が冷えるようなことをしていたら病気になって死んでしまうかもしれないのだぞ!?」


今度は桃色の毛糸のケープを出してコンラートの肩にかける。それにしてもぴったりだ。もしかして俺用に編んでいてくれていたのだろうか?


「い、いや、俺軍人だからそんなことで病気になったり死んだりは、まず・・・」

「ちょっと顔色を見せてみろ・・・ほら少し顔色が悪い!もう病気になってしまったのかもしれない・・・何ということだ」


それは単に窓から朝の日差しがコンラートの顔をいつもより白っぱく照らしているだけのような気がコンラートはしたが、グウェンダルは手にした少し編み目がばらばらな桃色のマフラーをよりぎゅううと巻き付けた。息ができない・・・。


「ちょ、グウェ、息が・・・」

「いいか、コンラート。何も言うな。今はとにかく休むんだ、部屋に戻って暖炉に火をくべて毛布をかぶってベットの周りをかわいいあみぐるみたんで囲んで・・・」

「やめろよ、グウェンダル!コンラッドいやがってるだろ!!」


いきなりの兄の強烈な愛情表現に圧倒されるコンラートに救いの声のように名付け子の声が聞こえた。つかつかと近づくとユーリはぐいっとグウェンダルから腹巻きまで巻かれすっかり「あったか桃色」になったコンラートを取り上げた。


「何をする!コンラートは重病だぞ、そんなに急に動かしでもしたら・・・!」

「何いってんだよ!コンラッドはこんなこと望んでないよ!!」


俺いつ重病になったんだろう・・・?というコンラートの疑問に答える声はなく、ユーリはコンラートをぎゅうと子供のように抱きしめるとその背をかばうようにグウェンダルに向けた。


「コンラッドはまず朝食だって、食べてなかったんだからな!それから剣の稽古しないと!」

「え、ユーリ、俺は簡単にすませましたから、朝食は・・・それに剣の稽古は執務の後に」

「何いってんだよ、コンラッドの方がずーっと大切だよ」


漆黒の潤んだ目でそんなに熱っぽく見つめられると思わず従いそうになるが、それだけではなくユーリはコンラートの手をぎゅっと握った。


「国政の重要さはわかってるつもりだよ・・・でも、おれにとってはコンラッドがいつでも楽しく幸せにしていられることが一番大事なんだ。そうした方がきっと執務もはかどると思うし」

「い、いえ、でも・・・」

「コンラッドおれに剣の稽古つけるの好きだろ?おれ知ってるんだからな、コンラッドがいつも稽古つけてるときすごく楽しそうなこと」

「はあ・・・まあ、一応剣士ですから」


ばれていたことをはっきり言われるとちょっと照れるが、照れる間もユーリは与えてくれなかった。


「だから、今日はコンラッドのため一日剣の稽古。あ、もちろん食事してからだからな。朝食テキトーなんて不健康のもとだぞ。たくさん食べてたくさん動いて、今日はコンラッドの楽しいことだけしよう!」

「え、いや、でも執務が・・・」

「何を言っている!?コンラートは今日は部屋で絶対安静だ!」

「い、いや俺はユーリの護衛・・・」

「何いってんだよ、コンラッドを部屋の中に一日中閉じこめたらその方が病気になっちゃうよ!」

「何だと・・・!」

「何だよ・・・!」

「・・・・・・な、なんなんだ?」


名付け子と兄からあまりに急に愛されまくったコンラートは桃色にまみれてわけがわからなかった。名付け子や兄が自分を嫌っていたなどとは思っていないが、急にこんなに強烈に愛される理由がわからない。
ヒートアップしていく二人の声にケンカになりかねないと止めようと、口の周りを取り囲んだマフラーを何とかほどこうとするコンラートの横で扉が開く音がした。書類を持ったギュンターと母のツェリが立っていた。

執務室の有様に驚いたのか呆れたのか、ギュンターは書類を取り落としてユーリとグウェンダルの横で床に倒れているコンラートを助け起こした。


「なんですか、この有様は・・・は!陛下、グウェンダル!コンラートに何をしたのです!・・・ああ、すっかり桃色になってしまって」

「(やっとほどけた・・・)ギュンター、助かった。ありが・・・」

「まったく!コンラートに何かあったらどうするというのです。私の大切な生徒に」

「ギュ、ギュンター・・・・・?」

「まったく・・・私と陛下の「名付け親が生徒なら、私は陛下と親戚!?」計画が」

「・・・・・・」


一瞬だけ温まった師弟の絆が再び急速に冷えた。全身につけられた桃色の編み物をそっと外して、ユーリとグウェンダルの怒号の横ですこしうつろになっているコンラートに今度は甘い香りときらきらした金髪がくっついた。今度母上か・・・でもいつもとこれは変わらないかも。


「コンラート!あたくしの息子、もう今日はますますいつもより男前・・・あら?この香り・・・・・・。
コンラート、あなたあたくしの美香蘭を使ったの?」

「美香蘭!?」


聞き捨てならないことを聞いた。それじゃあ、これは・・・。


「母上、じゃあ、これは・・・」

「もしかして、あたくしがヴォルフに入れてあげたお茶を飲んじゃったの?」


母はその美しい唇にあっさり恐ろしい事実を告げた。

曰く、ヴォルフラムからの手紙にいつものように婚約者との進展がないことに悩んでいることがかかれていた。そのために美香蘭の香料の入った紅茶を入れて寝起きの悪い末っ子に届けさせたということ。

コンラートはうなだれた。勝手に飲んで悪いとは朝は思わなかったが、今は痛切に感じた。ヒートアップしていくユーリとグウェンダルの口論とギュンターの「コンラート、ところで陛下のキャッチボール私もあなたに成り代わって・・・もとい参加したいのですが?」という台詞を横で聞いていると余計に。それにしても、美香蘭の効果とはいえ、これがユーリたちの俺に対していたいている感情の発露なんだろうか・・・?

ツェリはあまり悪びれず、口元につと指先を当てて、その計画を説明した。


「だってかわいい息子が思い悩んでいるのに放って置く母親がいて?
それに、この美香蘭は以前陛下が使っていたものと違って効果は低くて、特に魔力の強いものにしか効果がないし、効果も一日だけなのよ。
陛下の愛を確かめたいと強く願っているヴォルフにぴったりでしょ?朝から陛下の愛を確かめる息子を喜ぶ姿が目に浮かぶようだと思って、こっそりヴォルフのお茶をそれにしたの」

「母上・・・だからって本人に無断で。それに、グウェンやギュンターにも効いてるじゃないですか」

「美香蘭の香りはその香りがする相手に抱いている感情をそのままに、つまりその時相手をどういう風に思っているか・・・それを隠すことができなくなる香りなのよ。照れ屋さんの陛下にもぴったり!
でも、ヴォルフが陛下の愛を確かめられなかったのは残念だったけど・・・コンラートは?いないの?だれかあなたをどう思っているか気になって仕方がないひとは?」


計画が失敗しても新たな愛を2番目の息子に期待したのか、母はちっとも残念そうではなかった。一瞬、コンラートの脳裏によぎった人物はいたがその人物にコンラートは沈黙した。押し黙った息子に「誰を思いだしの?」を目を輝かせている母の方に振り返れない。豊かにこぼれたその金色の髪がコンラートを責めるようにきらきらと光っていた。

その時、がちゃりと扉を開く音がした。軽いが確かに軍用のブーツのかかとの音が騒がしい執務室の喧噪を注意を一瞬だけ集めた。どう言い訳すればいいのか、そもそもなにを言い訳しようとしていたのかよくわからなかったコンラートも救いを求めるようにその方向を向いた。

ヴォルフラムだった。いつもの紺碧の軍服を身につけて、心なしか元気がないように見える。

湖底の碧の瞳が驚いたように執務室を一周する・・・とコンラートでピタリと止まった。碧色の瞳と銀を散らした薄茶の瞳が互いをその仲に映して、そのままそれなかった。
コンラートの脳裏にはさっきのツェリの言葉が蘇った。魔力の強いものには効果がある、その香りを持つものの感情を隠せなくなる・・・・・・。期待と恐れがコンラートを縛って、動きを拘束した。


だから、先に動いたのはヴォルフラムの方だった。コンラートから急に顔を両手で隠して、そらしたヴォルフラムは再び扉を押すとそのまま走って、立ち去ってしまった。























続く






 





30000リクエストSSです。水風さんのリクエスト「うっかり間違えて美香蘭を使っちゃった次男でコンプ」です。うっかりというよりすねてうっかりな次男になりました・・・。

・・・すいません、水風さん。今回はあんまりコンプじゃないです。でも、美香蘭を使うなら陛下や長男に愛されまくる次男を書きたい!と思っていたので・・・前編は結構ギャグっぽくなってしまいました。でも、基本はせつなくシリアスを目指しています。(ほんとです)

後編は三月中にはお目にかけるつもりです。待たせてすいません!

なお、このSSは水風さんのみお持ち帰りOKです。




2008/03/12