超高校級の幸× 14





 

α+β 1

 

闇と静寂と夢と――。
その中でボクはぼんやりと無意識に精神を沈めていた。

眠りと似ているのに違う、暗いまどろみの沼で息もできずに死体のまま虚空を見上げている――そんな錯覚から抜けられず、時間の経過も感覚も忘れてボクはただその闇と静寂に琥珀の虫のように時間ごと縫いとめられていた。


(……これは、夢?……いや現実?)


判別がつかない。いや、違う。ずっとそうだったのかもしれない。

あの島の出来事は全て現実同然の夢だったのだから、きっとその境界はそんなに簡単には引けない。だからここは夢でもあり、現実でもあるんだ――。

その中で夢だけが急に姿を消した。だからボクは目を覚ます、飛び込んできた《現実》は変わらぬ手錠と誰もいない法廷。


「……何が、あったんだっけ……?」


いやだな、思い出すにも時間が掛かるなんて、ボクはどこまでのろまなんだろう。

でもどうしてもうまく思い出せない。ならばせめて今自分がどうしているのか、それを確認しようを目をしっかりと見開いた。

目の前には裁判官席、そうだボクは二回目のジャバウォックの生活で二度目の裁判を受けたんだっけ。身体を見下ろすとボクは前と変わらず木の椅子に座っていて、両手両足が拘束されていた。

そのまま眠っていた?……いや、それ以前になにがあったんだ……?


「……ウサミ?……七海さん?」


そんなに長い間でもないのに彼女たちがいないと姿を探してしまう。でもいない。
からっぽの裁判場にボクの声が大げさに響いた。無音の空間だ。だれもいないのか?……思い出せ、なにがあったんだ。

……いや覚えている、ボクが《ボク》から体を奪われた。そして七海さんとウサミを弾劾した、ボクはそれを見ていた。

あれは、確かに《絶望》だった。超高校級の絶望である《ボク》が、ボクの肉体を奪って――。


「おはよう。今は昼過ぎだけどね、《君》の目を覚ますまで丸一日かかったよ」

「え……?」


さっきまで誰もいなかった裁判官席から声がして慌てて見上げると、さっきまでなかった人影がそこに立っていた。

それはボクだった、寸分違わない姿のボク。服装すら完全に同じだった。ただ七海さんが着ていたような黒衣の裁判服をコートの変わりに方にぞんざいに引っ掛けているところだけだが違う。

そいつが……いつか見た罪木さんの表情のような一片の希望もない《絶望》の表情で穏やかにボクを見下ろしている。その表情は、この世で一番ボクが憎んでいるもの……。


「ボク、いや、お前は《超高校級の絶望》……?」

「不本意ながら、そう言われているみたいだね」


あいつみたいでいやだけどと芝居掛かった仕草で肩をすくめるそいつに掴みかかりたかったけれど、手枷足枷の囚われの身が厭わしい。

絶望に堕ちた存在なんて、ましてやそれがボクだなんて殺しても飽きたらない。だというのに喉元を締め上げようともがく手すら届きそうにない。


「この絶望が、今すぐ殺してやるっ!…………ちっ」


あの六人のうちの五人を殺そうとした時はもっと淡々と冷酷に皆殺しの計画を錬れたのに、今のボクは短絡的な殺意に脳髄が焦げた。

無理に裁判官席に近づこうとして、床に椅子ごと落ちる。手足は全く自由にならない、手枷は腕力だけで外れる物じゃない。
くそ、腕力でどうにもならないならいっそ手足なんて引き千切れればいいのに!そうしたらあそこの絶望をこの首だけで噛み殺してやる……!

そんなボクのことは空気のように無視して《そいつ》はマイペースにあごに手を当てて考え込むそうな仕草をした。


「殺すって無理だよ、この《ボク》はただの三次元ホログラムでしかないんだから。殺しもなにも実体がない、君が実体の方だから……一応言っとくけどボクを殺すために舌は噛まないでね、スタンガンを使うとまた一日掛かっちゃうから。……あはは、君が考えてる事なんて分かるよ。
なにせボクのことだからね――ボク、いや君――ややこしいからやっぱり君の事は《君》と便座上呼ばせてもらうね」

「……七海さんとウサミはどうした?」

「希望更正プログラム……七海さんとウサミはプログラム大本にバクがあると申請して、今はメンテナンスとしてスリープしてもらってる。デリートはしてない、というかできない。
今の未来創造プロジェクトの管理者権限はバグを起こしたプログラムがメンテナンスで空席になっているから、例外的に被検体ではあるけれどこの島で唯一生身の人間として生きている人間であるボクが代理となっている。
だけどボクはあの二人には手出しはできない。創立者の日向創がそう決めたんだ、あの二人は構成しているのはプログラムでも仲間で人間だから根幹をいじるような事はしてはいけないってさ。
まあシステムの大本をいじったらさすがに駄目だろうけど、そこまでする気も時間もないし」


未来創造プロジェクト……記憶の奥から自分のものなのに他人のもののように観察していた記憶から引っ張り出した単語はさっき聞いたばかりのものだった。

そこで七海さんは告発――と言っていいのか分からないが――されて倒れたような……彼女がプログラムだから?だからなにかシステム上の操作で彼女が動作できなくなってしまったのか……。


(今までボクがあっていた彼女は、ただのホログラムだったのか?そういえばこの二回目のジャバウォック島で七海さんにはっきり直接接触したのって……この裁判場で平手打ちされたときだけ、だったような)


考えて、止める。そんなことは問題じゃない。
それはウサミが綿とフェルトと高度なチップで出来ているけれど、精神は人間とさして変わらないのと同じだ。たいした問題じゃない。

問題は目の前の超高校級の絶望の方だ。


「管理者権限?おまえが?……この島自体が巨大な機械だって話のことか、それを乗っ取ったのか?そんなものを絶望が乗っ取るなんて最悪だね。こんな島全体のサイズの機械を使ったプロジェクトを乗っ取る……いや待って……日向クンが、そのプロジェクトの創立者?」

「質問責めだね。ま、仕方ないか。事情が分かってるボクでもこうして自分と話すなんていうのは面食らうもんだよ。
……さて何から話したものかな?……んー、君に決めてもらおうかな、何が知りたい?」

「七海さんとウサミは無事なのか?」

「さっきもいったでしょ、管理者権限でもあの二人にはタッチできない仕組みになってる。この島で生きている人間は《ボク》だけだから、その権限は一時的にボクが持っている」

「なら、どうしてボクは今お前と話せているんだ。さっきはまるでボクを乗っ取ったみたいに……ボクとお前は同じ《狛枝凪斗》じゃないのか?」

「いいや、ボクたちは《狛枝凪斗》だ。……乗っ取られたのはお互いイーブンだと思って欲しいな、感覚としてはボクも君に乗っ取られたような感触なんだし。……君もボクの《ヒナタハジメ》の手紙は喜んでもらえたようで何よりだよ」


あれもお前の罠だったのかと罵ろうとしてやめる、意味がない。それより考えろ、どうしてこいつはそんな事をした。そして何をしてその管理者権限を乗っ取ったんだ?


「まず君がそこに肉体を持って座っているのに目の前にボクがいる理由だけど、これは君が《七海千秋》というアバターホログラフィーに会っていた理由とだいたい同じだよ。
この姿は君のコロシアイのアバターのグラフィックデータからこの姿を使ってる、わざわざ数年後のボクのアバターを作るのも馬鹿馬鹿しいしね。結構リアルでしょ、この技術はすごいね。さすが今まで七海さんが実体と錯覚していただけあるよ。ボク自身もゲームの中ならともかくさ」


ゲーム、そうだあのコロシアイ修学旅行はゲーム世界の出来事だとさっきこいつは七海さんと話していた。あの非現実的な出来事は現実ではない……。


「ま、幸いボクは高校入学からあんまり外見は変わってないし、これくらい横着は許して欲しいなあ」

「あの、ジャバウォック島が、ゲームだったのは……本当なのか?」

「うん、ゲームというか新世界プログラムって言うバーチャルセラピーだかなんだかっていうものだったんだ。
おおまかに超高校級の絶望たちを更正させる為に少々記憶をいじるプログラムさ、七海さんとウサミはそこでボクたち超高校級の絶望を監視する役割をもつアルターエゴという知的プログラムだった」

「……本当にそんな事ができるなんて、にわかには信じられない」

「信じられない事が多かったのはその修学旅行で慣れたんじゃないかな?まあ、最後まで聞きなよ。
自分と話すなんてありえないことが起きてるのは、君の脳の記憶をつかさどる海馬から《コロシアイのボクがまだ思い出していない超高校級の絶望としてのボク》をこの島という巨大な人工知能を経由して仮想人格として話している状態だから。
すごいコンピュータを使ってるからどうにかなってると思えばおおむねそれであってるよ。
本来は別人格ってわけじゃないのに自分が自分と話しているなんてシュールな状況だけど、こればっかりは受け入れてもらうしかないね。一日かけても成功するかは我ながらさっきまで半信半疑だったよ」

「……さっきのは何だ、ボクがボクに乗取られるなんてふざけた真似を」

「あ、そこなんだ?日向創とクラスメイトたちのことは良いの?」

「…………」


日向クンのことなんかどうでもいい、言いかけてさっきのこいつの言葉がよみがえる。


『日向創はすでに死んでいる』


目の前にはそれを確定させるかのように「真実ノート」置かれていた。そこには日向クンとはじめ、ボクが処刑されているか悩んだ四人の名前もその死とともに記載されていた。

そしてさっきここがゲーム世界であのコロシアイの死は絶対の死ではないと告げられたばかりなのに他の死んだ九人の名前も死とともにはっきりと記載されていた。


「それが気になるの?その十四人が死んでいることは想定してたじゃないか?」

「……してたさ、だから別に……。ここは、まだゲーム世界なのか?」

「いやここは簡単にゲームと言い切れない世界だよ、でも現実とも言いがたい。いわば2,5次元って感じかな?
まずさっきまでボクが使っていて君が今使っている君の身体、これはリアルである本物。この島で唯一《生きている肉体を持った人間》で、どこかで本体が眠ってゲーム世界にいたりしない。記憶が飛んだ分希望ヶ峰学園に入学直後よりは成長している部分もあるかもしれねいけどおおむね一緒だよ。
でも、完全に現実、生身の状態かというとそうじゃない。身体は大まかに生身のままだけど脳に干渉をしている装置が君の頭にはついている。
それで五感のうち主に視覚がゲーム世界のものに準じて、記憶を移行して円滑に意識を目覚めさせるように……ん?……おやおや、さすがに黙っててはくれないか」


ボクの姿をしたそいつが振り返った先は傍聴席だった。さっきと同じように幽霊のようなノイズが中に走ると機械音が耳障りな音を立てて、七海さんとウサミが宙から出現した。

二人はかなり焦った様子で、ボクを見つけるとほっとしたように表情を緩ませると裁判官席の《そいつ》を睨み付けた。


「狛枝クン、耳を貸さないで!その人の言っていることは絶望の囁き!希望なんかじゃない、何も聞かないで!」

「あれ?進入に成功したの?困った人、いやプログラムさんたちだなあ。ボクとしては君たちとは穏便にことをすませたいんだけど」

「だめ…だめでち……だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめ」

絶叫する七海さんと焦点の合わない目でぶつぶつと小声になっていくウサミ。明らかに様子がおかしい。二人の方へと行きたいが、拘束椅子の鎖が邪魔をする。

くそ、傍聴席ほんの数歩。これがなければすぐなのに……!


「二人に何をしたんだ!所詮は絶望が!」

「……その絶望がボクなら、君自身も絶望だって分かってるのかい?」


ずきりと痛い言葉、何気ない口調なのに絶望が侵食しようと肺を圧迫して息が詰まる……駄目だ、飲み込まれてはならない。七海さんとウサミを助けないと……。


「……そうだ、ボク自身には記憶はない。《現在》では確定した過去のことかもしれないど、今のボクは、「入学したばかりの記憶とコロシアイの記憶しかない」ボクにとってはまだそれは「未来のこと」だから……だからまだ間に合う。
超高校級の絶望を放っておけない!君、ボクを含めてそうだけど……ボクはまだ絶望していない!だから君は眠ってろ!いや殺してやる!……七海さん、ウサミ!」

「おっと《バグが認められる希望更正プログラムはクリーン後まで記憶が不安定な被験者・狛枝凪斗への接触は管理者権限にて禁止》するよ……もうばれてるのに懲りないなあ。
これから一番君たちが見たくなかった事が起きるっていうのに……自分から絶望しにくるなんて絶望的だね!あは、あはははははははははは!」


そいつが歪んだ笑いをすると七海さんは目を見開き、ウサミはがたがたと震え始めた。


「二人に何をする気だ」

「嘘つきには騙されている人への暴露が適度な罰だと思わない?それ以上はボクはなにもしないよ、その二人にはね。
あくまでボクが用があるのは《コロシアイをした君》だけで、君だってボクのやりたいことを望んでいると思うよ?」

「……何を言いたいんだ」

「……まさか、あなたは」

「だ、だめでち!それはだめでち!やめてくだちゃい!」

「もうボクにばれている自体で手遅れだってわかっているだろうに……ま、君たちがしたことは絶望で希望を塗りたくるとんでもない嘘だけどこんなゴミクズ一つ騙すのに抵抗ないのは分かる気がするよ。ボクも「本人」だしね」

「私もウサミちゃんも狛枝クンのことをそんな風に思ってない!……許してなんて、欲しくない!」


許すよ、という言葉に傍聴席の七海さんが裁きの場のと仕切りの柵を越えようとした。しかし透明な壁があるように彼女はそこから先には入れない。

何を彼女がボクに対してしたのか、それをどうして許して欲しくないのか。それは未だに分からないけど、とても苦しそうだったからボクは二人に駆け寄ろうとしてまた叶わず……上から響く声に耳を傾けてしまった。


「ねえ、真実を知りたくないの?」


だってそれは……ボクが二度目の目覚めから望んでいた事だったから。

だから後ろで聞こえた二人の悲鳴がボクの声を少し小さくしたけれども、ボクはそいつに答えてしまった。


「君は本当のことが知りたいじゃないの?」

「それは……知りたいさ」

「やめて!やめて!狛枝クン!やめて!」

「だめでち、ダメ、ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメ……狛枝クン…」


「何を知りたい?」

「……ゲームの上かもしれないけど、あの後何があったのかが知りたい。ゲームの上でも現実の上でも」

「どうしてゲーム上だけでなくあの十四人は死んで、ここにはボクらだけが生きているかって事が?」

「……そうだよ、それが知りたい」


そう言った途端ウサミの声が虚ろなすすり泣きに変わった。さらに七海さんの声が悲鳴に変わっていたけれど、ボクはそう言い切った。


「……そうだね、それでこそボクだ。記憶に干渉されているから、あちこち別人になっているかと思ったけど、やっぱりボクだ。でもだからこそ」


そいつは薄く微笑むと、ぽんと手を叩いた。まるでいいアイデアが浮かんだとばかりに。


「いい事を思いついたよ……ここで本当のことを教えてもいい。でも君はボクだからね、そうはしない」

「は……はあ?!」

「ボクにはわかる、ボクが君の条件下でボクが言うことをそう素直に信じない……日向創のボクの精神分析にはなかなか的確なことが書いてあったよ。『狛枝凪斗は自分で見たものしか信じない、それは本人が自覚しているより遥かに大きな猜疑心である』……それに倣ってみるよ。
それに……ちょっとだけどボクもやってみたくなったんだ、皆でやった《学級裁判》の真似事がね」


そういうと裁判官席の上で機械音がした、何かを操作したらしい。ごとんと大きなものが動く重苦しい音がする。


「裁判官がいなくなったので管理者から宣言するよ、この『この裁判はここで終わりにする』……今のボクは七海さんたち以上にシステム上の仮想人格に近いから真実ノートのシステムには絶対書けない……でも今君は信じられなかっただろう?
だったら自分の目で確かめた方がいいさ、嘘だ本当だの水掛合戦はやりたくないからね」


超高級級の絶望が芝居がかった仕草で指をならすと、照明が灯った。足元が照らされて視界が広がっていく。
見ればじゃらりという音が聞こえて振り返るとボクを拘束していた鎖がバラバラと短くなって千切れ零れていっていた。


「……ほら、今終わったよ?管理者権限ってすごいね。
そして君をこの裁判場から出す、それから君にこの島を自由に見てもらう。学級裁判でいう事件の捜査タイムってわけさ。お題は「七海さんとウサミはどうして重大な規約違反をしたのか」、そして一番君が気になっている「ゲーム世界で君が死んだ後なにが起きたのか」……うん、これなら面白そうだね!」

「所詮はボクだね……モノクマよりつまらないよ」

「おや最近はつまらないとよく言われるね、まあボクだし仕方ないか。えっと、捜査に当たって君の脳の五感への干渉を邪魔にならないように終了させておくよ。
そして君の自由意志で帰ってきてもらってボクの望むように決断してもらう……これは君という《被験者》に与えられた管理者と言えどもほとんどタッチできない最優先にして不可侵の権利だ、安心していいよ」

「自由にって……そんな事言われてそれこそボクが信じると思うのか」

「いいさ、どうせ君はボクの望んだ君に行ってほしい場所に行って何もかも納得してここへ帰ってくる。
理由としては……まずは何しろそんなに広い島じゃないからね、行った事のない場所に行ってみるといいよ、案内もつける」

「……条件がある」

「なんだい?」

「七海さんとウサミをここにいさせろ、お前が何かしないか信用できない。もし帰ってきたとき二人がいなかったら、ボクはここを立ち去る……ボクには干渉できないんだろう?」

「……随分懐いちゃったね、我ながら。いいよ、了解だ。その方が余計残酷だと思うけど。
あとは一応一日という制限時間をつける、それ以上帰ってこなかったら「医療担当権限で裁判場の救護室のベッドに来てもらう」……ほらなにしろショックで倒れちゃうかもしれないしさ。
まあ大丈夫だと思うよ、君はボクだからさ」


信頼していると穏やかに告げられ、そして宣言された。それを合図にボクは走り出す。


「……やめて、狛枝クン……行っちゃダメだよ……」

「…………ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」


助けたいとさっきまで心底思っていた。その二つの声を振り切るように、早く早く逃げた。


「すぐにわかると思うよ……ここに帰ってボクの判断を仰ぐのが一番、いや唯一の希望だって……いってらっしゃい」


超高校級の絶望の見送りがいやに響くことも振り切るように、走った。

 


【 裁判2 強制終了 】

 

 

 

「君たちが、案内するわけか……」 


枷をはずされ裁判場から出されて、出口へと向かうボクの行く先には見知った影たちがいくつも待っていた。


「コマエダクン、マッテマシタ」
「メンテナンスチュウノフタリニカワッテ、アンナイシマス」
「イッタコトノナイダイニトショカントメモリアルパークマデゴアンナイシマス」
「ゴキボウガアレバ、ホカニモゴアンナイシマス」


ボクを待っていたのは「ロボットの」モノミたち、この島の細かい作業をこなすここ数日をともに作業した彼女たちだった。
……やはりプログラムの性質が違うんだろう、彼女たちとモノミもウサミも姿が重ならない。

彼女たちはただのロジックに従うシンプルな機械だった、ウサミのように不合理な行動などしないのだろう。だから、あの管理者権限をもつ《ボク》が案内役と監視役としてよこしたのだろう。


「モノミ」


自分でも驚くほど乾いた声、そして返ってくるのは規則正しい声たち。
……モノミでもウサミでもない、単調な返答。


「ナンデスカ?」
「ナンデスカ?」
「ナンデスカ?」

「……君たちは、あいつ……管理者権限を持っている存在に言われればボクに偽の情報を教えるかい?あと良かったらもう少し聞き取りやすく話せないかな?」

「ニセノジョウホウ?」
「アリエマセン」
「ニセノジョウホウヲヒケンタイニオシエルコトハデキマセン」
「アリエマセン…オンセイヲシュウセイシマス…被験者ノ自由ナ意思決定ハ未来創造プロジェクトノ存在意義デス。ソレヲ妨害スル事ハシステムノ根幹に反シマス」
「唯一、被験者ノ多ク二観察デキル記憶ノ齟齬ニヨッテ脳障害ガ悪化スルト認メラレタ場合ノミ医療担当ガ曖昧ナ表現ヲ行ウ事ガ許サレテイマス」
「コレハプロジェクト責任者日向創ト初代医療開発責任者罪木蜜柑ガ厳格ニ決定シタコトデス」
「ソレハ管理者ニモ不可侵ノ被験者ノ最優先ノ権利デス」
「ダカラ心配イリマセン」

「……一応納得したよ」


日向クンの名前だけでなく罪木さんの名前まで出てきた。彼女もやはり……死んでいるのか?そんな大それた役職についているみたいなのに?

何によって?未来機関が処刑した?でもそんな人たちが島一つ巨大コンピュータにするようなプロジェクトを任せられたのか……?


「……え?」


考えているうちにボクの足は建物の扉を潜り抜けて外に辿り着いた、しかしそこはボクの知っている風景と異なっていた。

ここに来るまでの記憶は曖昧だけど、この建物の扉に手をかけたときの記憶はある。その時の鮮やかな南国の青い空の色が重苦しい灰色へと変わっていた。

天候が変わった?一日経過したというし……いや違う。
なんというか完全な別物になったという印象だった。


(そういえば、さっきの絶望のボクの言葉は)


『でも、完全に現実、生身の状態かというとそうじゃない。身体は大まかに生身のままだけど脳に干渉をしている装置が君の頭にはついている。
それで五感のうち主に視覚がゲーム世界のものに準じて、記憶を移行して円滑に意識を目覚めさせるように……』
『えっと、捜査に当たって君の脳の五感への干渉を邪魔にならないように終了させておくよ』

視覚に干渉していた。それがなくなったって事なのか?
それが本当なら、これが本当のジャバウォック島の姿なのか?


「モノミ、ボクの視覚干渉はなくなったのかな……」


あの南国の青い空は全て偽者だった?あの世界がゲーム世界だったように?


「ハイ、管理者通達二ヨリ視覚聴覚干渉ハ終了シマシタ」
「狛枝クンハ記憶齟齬ガ十分ニ回復シタノデ、脳ニ負担ノカカル視覚ト聴覚ノ干渉ハ終リマシタ」
「狛枝クン、回復オメデトウ!」
「オメデトウ!オメデトウ!」
「ゲーム世界ノ記憶ニ視覚情報ヲアワセル必要ナクナッタ!」

「空が、灰色なのは……どうして?」

「人類史上最悪の絶望的事件ノ後遺症!」
「環境汚染ハマダノコッテル!デモソトニデルノハモウ大丈夫!」
「メッタニ晴レナイ!レア!」

「環境汚染……それすら見せたくなかったのか」


さっきまで心配でたまらなかった二人に苛つく。
このロボットたちにもいらいらする。ほんの一日前まで親しみを感じてさえいた声なのに、彼女たちは命令に従っているだけなのに、声を荒げてしまう。


「じゃあ、さっさとボクを管理者が連れて行きたがっているところへ連れて行けよ!第二図書館でも何でもまずは一番近い場所に、ボクがまだ行ったことのない場所……そうだ立ち入り禁止区域に!」


あいつは言っていた。日向クンを騙って窓際のメッセージでボクを立ち入り禁止区域に誘い出したと。

どうやったか曖昧だが、あいつも最初から七海さんとウサミの権限を奪えたわけでは無さそうだった。なら、それを知る事でボクがあいつから権限を奪える可能性もあるかもしれない……!


「一番近イ場所!」
「キットメモリアルパーク!」
「コッチコッチ狛枝クン!」
「スグソコスグソコ!」
「歩イテチョット、走ッテスグ!」

「じゃあ走るよ。言われなくても、すぐ行くさ!」


ロボットのモノミたちにちょろちょろ手を引かれたり、足を引っ張られる中ボクは走った。

走っていくうちに気がつく、森が、木が、草が、ボクがそうだと思っていたものよりも遥かに本数が少なく弱弱しい。それはただ視覚情報が修正されていただけで絶望たちが起こした事件から自然はまだ回復していないのだ。

微かに聞こえていた鳥の声すら、ただの聴覚への干渉だったことを示すように生き物の気配がほとんど無い。


「絶望的だね……」

「ツイタ!ツイタ!狛枝クン!」
「メモリアルパーク!」
「ワタシタチハオ掃除シテイナイ!ナナミトウサミノオ仕事!」
「第二図書館ノオ隣!図書館ニモスグイケル!」


そこにあったのは古ぼけた建物だった。二階程度の高さだろうか、コンクリートの愛想のない外観で中央の扉らしき場所の横に石版で《第二図書館》と刻まれている。


そして、その横には――。


「…………っ!」

 

丁寧な清掃を受けていると一目で分かる、一つ一つその前に小さな花束が飾られていた――十四の精緻な細工をされた墓石を囲む花の庭園があった。

 

 

 

 

 


――どれくらい、島を探索していただろうか?
はっきりと分からないまま――ボクは裁判所に帰っていた。

他に帰る場所が無いから……絶望のあいつの宣言どおりに。

そして、絶望はにこやかに迎えてくれた。


「やあ、おかえり。早くもなく遅くもなく、良い帰りだね。
この島を捜査して、君が信じるに足る真実は見つかった?あの後何があったのかは分かったかな?」

「…………」


もう……分かってはいた。

日向クンたちが死んでいる証拠も、ボクが一人生き残っている理由も……いやなくらいはっきりしていた。


(七海さんとウサミは……?)


ゆらりと人影が視界の端で揺らめいた。


「狛枝クン」


傍聴席で七海さんがウサミを抱きかかえて精気の抜けた表情で立っている。人形を抱きかかえているようで、幼く見える容貌が余計に子供のように見えた。


「……知ってしまったんだね」

「君のリクエスト通り、その二人はただの傍聴人としてそこにいてもらってるよ。
ボクは彼女たちがどんなノイズを撒き散らしても干渉しない、まあウサミの方はもうできそうにないけど」


その言葉をどう思ったのか七海さんは笑顔をボクに向けて作った、それは壊れた人形のように作り物めいてどこかひび割れていた。腕の中のウサミはピクリとも動かない。


「狛枝クン、ウサミちゃんが返事をしてくれなくなっちゃった」

「……ウサミは壊れたの?」


さっきまでの半狂乱の様子と打って変わり、七海さんはとても静かだった。首を小さく横に振る。


「わからない……ううん、きっと私がウサミちゃんを壊してしまったんだよ。ウサミちゃんは反対してたのに私が楽園ゲームに巻き込んでしまった。
私が君の部屋にノートを置いたときから、いやそれよりずっと前に私はおかしくなり始めてたの……どうして私が壊れないのかな、私が先におかしくなったのに」


どうしてこんな事になったのか分からないと泣き笑う。皮肉な事に今が一番彼女は機械らしかった。人間が作った、人間ではありえない「きれいな人間」だった。

そして人形らしく彼女はそのまま沈黙した。腕の中にいるあんなに口煩かったウサミはピクリともしない……二人ともただのホログラムだからと内心で言い聞かせて、それに対してだから大丈夫という声とだったらどうしたという声が胸の中で交錯して腹の底に沈んで、上から聞こえる不愉快な声と一緒にボクの臓器を冷たく刺した。


「それで一番知りたいであろう《どうしてあの十四人は死んだのか》、《どうしてボクだけが生き延びているのか》、それに対しての推理と納得できる証拠はこの島で見つかったかい?」

「……見つかったよ」


推理は……ある。
証拠も……あった。

視覚と聴覚に干渉を受けないで、自由にこの島を数時間見渡しただけですぐに推察できる事だった。反対に考えれば彼女たちはそれを必死に隠すためにあれほどボクの行動を監視していたのだ。

だって、真実は……シンプルだから。
そして、真実は残酷だから……。

時には、だれかの心を壊してしまうほどに。


「証拠はあったよ、立ち入り禁止区域の第二図書館と……十四人分の墓と……七海さんとウサミの部屋とボクの自室で見つけた」

「では、君の推理を。証言を」


開いてみればあっけないほどシンプルな回答編だった。

強いて言えば、その中で異常なのはやはりボクだけだった。
ボクの才能や人生そのままに異様で悪趣味でシンプルだった。

ボクの頭が壊れそうなほど……いやとっくに壊れているのだろう。
だって、ボクは目の前のこいつのように、見ていない未来で超高校級の絶望になったのだから……。


「ボクの推理は……この世界はボクの知っている世界じゃないってことだよ」

「それは、どういう意味で?」


疑問ではなく、確認の意味での質問だろう。確信に満ちた静かな声で《ボク》は続きを促してくる。


だって、墓はとても丁寧に手入れされていたけれどすでに古くなった痕跡が隠せていなくて。
第二図書館の未来創造プロジェクトの概要書の日付はボクの希望ヶ峰学園への入学の年の五十年も先で。
ボクの部屋に置いたままの日向クンのノートには、視覚干渉を受けない状態見返してみれば異様なまでに古ぼけていた。

そしてノートの最後の一ページをはみ出してしまうまでびっしりと絶望は終わり、世界は平和になったのに目覚めないボクのことをどうすればいいかわからないと書いてあったんだから……!


「この世界……この時代は、ボクが生きていた時代から数十年、最低でも五十年以上過ぎている……。
だから死因が何か知らないけど、もう皆……天寿を全うしてたとしても皆この世にはいない!
プログラムの七海さんとウサミを除いて!そして皆死んだ今頃になってボクが目を覚ましたっ!」

「うん、それが正解。よくできました」


ぱちぱちぱち、ぱちぱちぱち。

軽い拍手の音が裁判官席から鳴り響く。

いっそ否定して欲しいというボクの希望に見向きもせず、絶望であるボクは満足しているらしく邪気の無い晴れやかな笑みが浮かべて賞賛の拍手をしばらく止めなかった。


「コングラッチュレイション、ここはキリのいいことにボクがジャバウォック島で新世界プログラムにかけられてから丁度100年後の未来の世界だ」


後ろから小さく聞こえた声は……「ごめんなさい」。そして許さないで欲しいという懺悔。


「《ボクたちの幸運》がボクに選んだ汚染がなくなって人類の絶望的事件は傷跡を癒し、ボクの罪は時効にすらなっている……そんな生温い恵まれた未来の世界なんだよ。ボクらの知っている世界なんてもうとっくに終わったんだよ!」


だから、君は、ボクは、狛枝凪斗はこの島で、世界で、いつもみたいにたった一人なんだよと絶望はからからと空笑いをした。

 


つづく

 

 

 

あとがき

一新してα+βとなりました。同じ人間が二人いるというカオスです(苦笑)。

絶望時代の狛枝は0話で唯一登場しているのと、資料集などにある「狛枝は絶望堕ちした苗木」という言葉から「コロシアイで希望に妄信的に固執する狛枝がもっと狂信的になると、超高校級の絶望の狛枝になるのだろう」というイメージで書いています。

0話から口調はほぼ変わっていないと判断してます。皆様のイメージではどんななのでしょうね?


2014/02/10


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