袋小路のパラドックス





 最初の記憶はつまらない喧嘩。
 パーティで口げんかをして「お前なんか二度とかもみたくねえ!」と言われて「ふーんだ、じゃあお望み通り帰るよ、ばーいばい!」と出ていった。確か雪の降る寒い夜だった。
 次の記憶は銃声。
 腹からこぼれる赤い血が真っ白な雪を汚していく。とっさに傷口を押さえると今度は足、背中、肩と撃たれ倒れた。ぼうっとした記憶の中でトラックにずるずると運び込まれた気がする。視界の端を横切るパーティ会場に姉や妹、そして彼でなくてよかったと妙に安心した。身じろぎをすると首筋に何度も注射針を打ち込まれ、完全に意識がなくなった。
 最後の記憶は病院のベッドの上。
 泣いて抱きつく妹と泣きながら説明する姉。どうやら自分は一ヶ月行方不明となり、ずいぶん心配をかけたらしい。その後もあちこちの国が無事でよかったと何度も顔を見に来た。そして最後にプロイセンがやってきて、真っ白な顔で触れて「本当だ、生きてる」と何度も繰り返した。


 ここ半年ほどロシアは新しい習慣が身に付きつつあった。仕事が終わると何かを待つ。職場から外に出ると周りをきょろきょろと見渡す。そして少し「だれか」を待つ。
「うーん・・・・・・あ」
 来た。いつもより遅れたが何かあったのだろうか?
 その気配がやってくると帰り道を歩く。地下鉄とバスを乗り継ぎ、街外れのアパートにたどり着く。この家は交通の便が悪いけど部屋が広くて、庭が共同で使えるところが気に入っている。気配はロシアが足を止めるとぴたりと止まった。
 いつものように家に帰る姿を見届けたら、そのまま帰るのだろう。
「・・・・・・むー」
 まっすぐ家に帰らずに近くの細い路地を歩く。さして治安に問題はないが街灯がなく明かりが少ない。どんどんと人気がなくなる。
「ふふっ」
 愉快になる。張り付いてきた気配が慌てている。
「いらっしゃい」
 路地裏では昔から小さな屋台がやっていて夜遅くまで串焼きを売っている。馴染みの老夫婦に久しぶりと微笑むとおすすめを教えられる。そうして馴染みに挨拶を終えるとさっと生け垣に身を隠した。
 突然消えたロシアに尾行していた気配は姿を隠すことを止めた。
「・・・・・・おい、どこいった!?」
「プロイセンくん、つーかまえたっ☆」
 にゅっと闇から出てきた骨太の腕に銀髪の男はあっけなく捕まった。
「げげ! ・・・・・・てめ、離せロシア!」
 追ってきた気配はプロイセンだった・・・・・・ここ半年彼はロシアの仕事帰りを尾行している。理由は分かっているのでいい加減姿くらいを見せてほしい。
 さっきまで無言の尾行はどこへやら。ぎゃーぎゃーと文句を言っている口に彼の分の串焼きを詰める(この為に二人分買ったのだ)。
「むぐむぐ!? あちぃよ、ばかシロクマっ!」
「なーにが離せなの、君ときたらずーっと僕の後ろにくっついてるんだもん。半年も気付かないフリをしてた僕に感謝してほしいね」
「いつ気が付いて・・・・・・いいから、ちゃんとまっすぐ家に帰れ」
「ボディガードのつもりなの? ドイツくん以外に君がそんなに心配性だなんて知らなかったよ」
「いいから早く部屋に入れ・・・・・・ぎゃあああああっ!?」
 正面からの腕力勝負ではロシアにはかなわない。プロイセンはずるずるとアパートへ引きずられていった。


 一年前ロシアは誘拐され、一ヶ月行方不明だった。
 犯人たちは三十人を越えるといわれたが実際には五人しか捕まっていない。そしてその五人はみんな取り調べの前に自殺してしまい、真相は闇の中。
 分かったことは彼らは古くからある不老不死を研究する組織ということ。その組織は国の化身のような特殊な存在を捕まえて研究材料としていた。そのため特殊な存在を無力化する薬物の知識に長けていた。そして彼らは捕らえた対象を実験材料としか思っておらず、場合によってはかなり残酷な実験を行う。国の化身を切り刻んで薬付けにした挙げ句に殺害し、蘇った国に個人としての人格と記憶を消滅させた噂すらある。
(僕はぜんぜん覚えてないけど、だから身代金とか政治的要求はなかったんだよね。本当にただ行方不明だったから姉さんとベラルーシが三ヶ月は離してくれなかった)
 ロシアには捕まっていた間の記憶はない。直前の記憶からすると麻酔薬を大量に注射されてそのまま意識が消えたのだろう。
 聞いた話では上司や危機感を覚えた国たちの必死の捜索の末、一ヶ月後に組織のアジトは発見されたらしい。ほとんどの組織のメンバーは逃亡しており、地下室のベッドで複数のチューブで薬物を流し込まれているロシアだけが発見された。


 アパートに誰かを招くのは久しぶりだ。明かりを灯すと簡素な家具といくつかのチェブラーシカのグッズの姿が露わにある。せっかくだから今夜はプロイセンにこのぬいぐるみの制作秘話の話でも自慢しよう。
「ただいま、もう疲れたよぅ」
「・・・・・・そりゃ、ご苦労なこって。じゃ、俺様はこれで」
「今帰ったら夜遊びに出かけてやる、久しぶりにぱーっとお酒飲んで朝まで路地裏でごろごろするんだ」
「やめろっ!」
 あまりの剣幕にロシアの方が驚いた。プロイセンはマフラーをたぐり寄せると、諭すようにまっすぐに赤い目を向けた。
「いいか、お前は無防備すぎる。時間が経ったからってまた狙われねー保証はない。たった十一ヶ月前なんだ、警戒しすぎるくらいが丁度いい」
「それじゃ地下室に籠もってるくらいしかできないよ、そんなの僕死んじゃう」
「極端な例を出すな、そもそも俺様になんの用なんだ?」
「それはこっちの台詞だよ、僕の後ろを半年もつけ回して問いつめられる日がこないと思ってたの?」
「・・・・・・ちっ、ガキは大人しく日が暮れたら家に帰れってんだ」
 ばれてないと思っていたらしい。そういう抜けている所は彼らしい。
「僕にどうしろって? ずっと病室で護衛をつけてるなんて無理だよ。もう仕事だって再開したし、たまにはバーで遅くまで飲んでたい。一度誘拐されたらそんなこともできないの?」
「・・・・・・どうしても行きたいなら、俺が」
「完全に危険じゃない場所なんてないよ、生きてる限りね。そんなこと言い出したら本当になにも出来なくなっちゃうでしょ・・・・・・まるで誘拐された僕の方が悪いみたいだね」
「そんなわけあるか、そんなつもりじゃ!」
 しまった、言い過ぎた。かなりマズイ組織に拉致されたのでかなり心配をかけた。ずっと眠っていたロシアより一ヶ月探した周囲の方が傷ついていることは姉と妹の態度で痛感している。犬猿の仲のアメリカですら再会時は「やった、生きてたんだぞ!」と全力でハグをされ(首がもげるかと思った)、イギリスですら見舞いの炭化スコーンを「か、勘違いするなよ! これは俺の(以下略)」と寄越したのだ(それはそれで有難い地獄だった)。
「ごめん、今のは意地悪な言い方だったね。でもボディガードをしてくれるなら、こっそりなんてやめてよ。バーに行く代わりに君と夜お喋りできなじゃない」
「俺様はお前の行動を制限するつもりはない」
「前みたいに普通に接してよ。喧嘩したり、雑談したり・・・・・・まるで無視されてるみたいで気分が良くない」
「・・・・・・別に俺たちは元々そんなもんだろ」
 やはり純粋に罪悪感なのだ。口喧嘩の後に拉致されたことで苦しんでいるだけなのだ。
(嫌いじゃなくなったなんて、勘違いしちゃだめだ)
 この半年、プロイセンの気配と一緒に帰った。そのせいで昔ドイツ騎士団だった頃の彼に恋をしたことを思い出した。それは自覚さえない淡い初恋で歴史の流れで埋もれてしまうものだったけれど、傍に気配を感じ続ければだんだんと芽を出し、今は蕾くらいになっている。花を咲かせてはいけないと自制したくて、こうして直接顔を合わせたのだ。
「ねえ、君は僕が嫌いなんでしょ? もう解放されていいんじゃない、僕は大丈夫だよ」
早く蕾を枯らしてほしい。どうせ未来はない、表せば嫌悪しかない無駄なものだと突きつけてほしい。どんな花を咲かせるか楽しみになる前にハサミで切断して楽にしてほしい。
「俺はお前が嫌いじゃない」
「……変な所で本当に義理堅いね」
「嘘じゃねえ、嫌いなんてのは……ただの言葉の綾だ」
本当は好意を持っているなんて勘違いしてはいけない。ロシアは心に期待を封じる重い鍵をかけた。


 最初の記憶は雪の中に残された血塗れのマフラー。
 「二度と顔も見たくない」という自分の言葉に「違う、そんなつもりじゃ」と誰にも聞こえない反論をした。血が滴るマフラーを抱えて血の痕を辿るとタイヤの痕のあたりで途切れていた。
 次の記憶はホテルのベッドでの目覚め。
 異国の地で警察の押し掛け手伝いをするのももう一ヶ月近い。狂信的な組織に囚われていると知ってから悪夢が一層酷くなり、あまり寝ていない。浅い眠りがさめた後の日課は自分たちは人間ではない、国は死んだりしないと何度も自分に言い聞かせることだった。一ヶ月目にかかってきた電話の相手はロシアの上司が組織した奪還部隊の連絡員。やっと見つかった、けれど意識が戻らない。目の前が真っ白になった。
 最後の記憶は地下室の再会。
 地下室でロシアはこれでもかというくらいの数十の点滴のチューブが体中に差し込まれていた。怒りで力任せに引き抜こうとすると医師に止められ、頬に触れて冷たさと硬さに身が凍った。頭にこびり付いた血の痕に複数の傷跡を見つけ、ぶつける宛のない殺意を抑えるのがやっとだった。大量に見つかった実験のメモに吐き気を覚えながら、数日後に身体切断や性的暴行を示唆する実験が予定されていて血の気が引いた。その時カバンの底の小箱を一度捨てた。



 いくらなんでもこの沈黙は重すぎる。なにかと思いついたロシアは玄関でカバンとコートを放り投げた。
「おい、ちゃんとしろ! 仕事道具の管理も仕事の一部でだな」
「片づけは君がしてね。そうそう部屋もそろそろ掃除しようと思ってたんだあ」
「俺様は帰りの飛行機が……おい!?」
ぽいぽいとネクタイやベルトや靴下を廊下に放り捨てて歩く。後ろでプロイセンが片端から拾っている姿にほくそ笑むとロシアは適当にシャツのボタンを楽にするとそのまま寝室のベッド寝転がった。挙げ句スマートフォンで動画サイトまで見出したからプロイセンは爆発した。
「そんなだらしない生活すんなー!」
「君が遊んでくれないからいけないんじゃない」
 几帳面をちくちくする作戦は成功した。案の定プロイセンは落としていった全てのものを拾って追いかけてきた。床にアパートの鍵まで投げ捨てるのでプロイセンはとっさに拾った。
「うふふ、またプロイセンくんつかまえた☆」 
「てっめハメたのかよ!」
 同時に後ろのドアが鍵の音とともに閉まる。遠隔操作リモコンをもつロシアと重い鍵の音に戦慄する。
「僕なりのセキュリティだよ、どうせ来るならたまにはうちに上がっていってよ。これじゃ感謝することも怒ることもできないじゃない」
「こんな鍵に意味あるのかよ・・・・・・両方必要ない、お前はいつも通りのんきに暮らしてろ」
 一度それが失われたと思ったときに比べれば、毎日国境を越えることなんてそよ風だ。地下室で血の気を失って蝋人形のようになっていた姿を忘れたことはない。
 腹いせにごろごろして動画を見ているとスマートフォンを没収された。プロイセンは抱えていたコートやカバンを寝室のデスクに置くとハンガーを探し始めた。シワを伸ばしながら説教を始める。
「そんなに疲れてるなら、せめて寝間着に着替えろ。そのまま寝るとかえって疲れるぞ。寝るなら少しだけでも腹に何か入れて、シャワーを浴びてからだ」
「もう疲れた。上司はこき使うし、ストーカーに帰り道は制限されるし」
「誰がストーカーだ。そのまま寝るとシワになってスパルタ上司に怒られるぞ」
「面倒だなあ・・・・・・アイロンかけてー、ご飯作ってー、一緒にお風呂入ってー」
「ガキみてえなこというな」
 まあ元々は気まずい空気を壊す作戦だ。ロシアもシワになるのはいやなので、渋々ベッドの上でシャツを脱ぐ。春なので下は何も着ていない。上半身裸になって、上半身だけベッドの上で起きあがるとズボンに手をかける。
「・・・・・・どうかしたの?」
「お、お前、なんでそんな簡単に・・・・・・しかもよりによってベッドの上で」
プロイセンはなぜか目を見開いて硬直している。頬が赤い、風邪だろうか。
「なにが簡単? あ、ほっぺた熱いよ、毎晩尾行してるから風邪ひいたんじゃない?」
「よ、寄るな……飯作ってくる! お前はさっさと服を着ろ!」
 全力疾走で逃げられる。しかし特殊合金の鍵がかかっているので開かない。抜けてるなあとキーリモコンを持ったまま半裸のままプロイセンの背中に軽く抱きついた。
「そんなに心配してくれるならさ、話し相手になってよ」
「……お前、上着」
「こっそり帰っていかないで一緒に話してくれれば夜に遊びに行かなくても・・・・・・」
「服着ろバカ!!」
 グーパンチが頭を直撃した。随分几帳面だなあとリモコンを渡しすと首まで真っ赤になってコートを投げつけられた。
なにをそんなに怒っているのかちっとも心当たりがないロシアは首を傾げたが、とりあえずクローゼットからルームウェアを取り出す。キッチンから良い香りがしてくると帰っていないのだとほっとした。そうだ、客用の寝間着も出しておかないと。


 結局プロイセンは夕飯を作り、アイロンもかけてくれた。しかし一緒のシャワーだけは断固拒否した。その反応予想通りだったがその次は理解不能だ。
「一緒は冗談だよ、僕の家そんなに広くないもん。ただ君もシャワーくらい浴びた方が」
「朝浴びたからいい!」
「一緒じゃなくっていいって言ってるでしょ!」
「俺様は夜シャワー浴びると死ぬんだ!」
「嘘つき、同居時代にいくらでも入ってたでしょ!」
「うるさい、だって、そこでいつも・・・・・・お、お前が」
「僕がどうしたの?」
「とにかく断る!」
 なにがそんなに譲れないのか分からない。色々反論を考えているとぽつりと頬を水分が伝う。久しぶりに口げんかをしていると随分懐かしくなってしまった。
「なんで、泣いてんだよ・・・・・・?」
「だって懐かしくて・・・・・・君と喧嘩するなんて本当に久しぶりだから。尾行に気づくまでは誘拐をきっかけに縁を切られたのかなって思ってた」
「・・・・・・誤解させたんなら悪かった。そういう意図はない」
「じゃあ、一緒に寝てくれるよね?」
「どうしてそうなる!?」
 ふと姉のことを思いだした。こういう時は目線を下にして、少し目を伏せて・・・・・・。
「一人で寂しいんだ、傍にいて・・・・・・お願い、後で何でもするから」
 プロイセンは急に静かになった。なぜか関節が固まってマネキンのようになってる。大人しくなったのでベッドに手を引いても文句を言わない。きっと兄的な気持ちを呼び起こすことに成功したのだ。お揃いのナイトキャップを被せると並んで眠る。・・・・・・ちょっと残念だが、このベッドは姉や妹のことを考慮してトリプルベッドだ。だから大柄な男二人でも離れても眠れる。
「ふふ、一緒だとあったかいね」
「・・・・・・はっ!? ちょ、なんで一緒に寝てんだよ!?」
「え、僕のお願いきいてくれたんでしょ?」
 プロイセンは本気で意識が飛んでいた。ベッドを降りようとするとロシアの腕が本気の怪力で止めてくる。あげく腰に抱きつかれるからあちこちに支障が出た。
「無理無理無理無理だって! お前本気で分かってないのかよっ!?」
「言われてもないこと分かるわけないでしょ、なにが問題なの!?」
 意味不明なことを喚いているプロイセンは抵抗したが、十分後ようやく添い寝を承諾した。
「ロシア、添い寝する代わりに一つ要求を呑め」
「なぁに?」
「なんでもするは誰にも言うな、危険だ。あとデカいんだから下から見上げるな、もっと危険だ。マフラーにでも添えるな、臨海レベルの危機だ」
「別にいいけど・・・・・・ちょっとした言葉の綾でしょ?」
「全て危険だ、どうしても言いたければ安全な俺様だけにしろ」
 なにが危険で安全なのか基準がよく分からないが、一緒に寝てくれるならいいか。並んでベッドに正座して日本に習った二人で指切りをする。
 ぎしりと巨大ベッドが軋む。とても広くて腕を伸ばしても相手に触れることはない。大きな海で泳ぐクジラになってみたいだ、と一人の時にはない連想をする。
「おい、頭を見てもいいか?」
 こっちから近づく前にプロイセンの方が近づいてきた。真剣な赤い瞳に月明かりが反射して、一瞬別人のように見えた。
「そんなのいちいち許可いらないよ」
 本当に頭にだけ触れてくる。びくびくと壊れものを扱うようで苦笑してしまう。そうだ、病院にいた頃彼はある事をよく心配していた。
「前も言ったけど、僕はレイプなんてされてないよ。身体に切り刻まれた痕もないし、本当に薬物実験だけされたんだと思う。人間には劇薬でも僕たちにも無効なものをね」
「・・・・・・本当にそう思うか?」
「起きた時の実感だけじゃ信じてくれないでしょ? だからちゃんと病院に通って半年も調べたんだよ、これ以上は検査できないくらいにね」
 再会したときから疑われている。ロシアだってバカではない。普通は性的対象にならない自分のような大男だって狂信的な団体なら儀式や実験と称して性的暴行を加えられておかしくはない。薬物で意識をなくしていればなおさらだ。
 上司に相談して半年も身体を検査した。三ヶ月は護衛付きの入院生活でもう三ヶ月は護衛付きの病院通いで姉と妹と一緒だった。いたれりつくせりだ。そして複数の医師の診断結果、首をすげ替えれていない限り、ロシアに物理的及び性的な危害は加えられていないと判断された。
 自分の身体的な感覚と同じでほっとした。そしてその半年の診断生活が終わった頃に、プロイセンが護衛と称した尾行を始めた。
「きっと僕のお腹を開いたり、怪しい儀式する前に上司に見つかっちゃったんだ。僕は効かないお薬を打たれただけで、それ自体は許せないけど、一ヶ月眠っていただけだよ」
「拉致される前に何発も銃で撃たれただろ。それに見つかったお前の頭に金属で殴られた痕が」
 余計なことを言ったと口を塞ぐ姿にロシアは冷ややかな視線を返した。
「なにそれ・・・・・・初耳なんだけど?」
「お前が知る必要はない・・・・・・本当に眠っているか確かめられたんだろ。お前の馬鹿力が怖くてな・・・・・・反吐が出る」
 プラチナブロンドを器用な指が探る。傷痕が残ってない確かめているらしい。綺麗さっぱり治っていると何度も確かめてようやく解放される頃には十分がたった。終わる頃にはロシアは真っ赤になっていた。
「・・・・・・君ってたまに、無意識に恥ずかしいよね」
「おい」
 こちらから胸あたりに抱きつく。思ったより暖かくない、雪国に順応したロシアの方が体温が高いのだ。
「・・・・・・そんなに寂しいのかよ」
 彼の心臓の音がする。おずおずと背中に回された腕が優しい。まるで愛されてるみたいだ。
(違う)
 好きか嫌いかは関係ない。口げんかの直後に一ヶ月誘拐されれば誰だって気に病むだろう。しかも狂信的な組織の実験材料になっていたのだ。
「変なところで優しいよね」
「俺は優しくねえ、いい加減離せ」
 いっそ残酷だ。嫌っているならもう少し無関心でいるか・・・・・・いっそ何事もなかったようにしてくれればいいのに。
「ねえ、寒いからもっとくっついて寝ようよ」
「嘘付け、今春だろ・・・・・・本当に勘弁してくれ」
 どうせ義務感でだけ傍にいるのもきっと短い間だ。今も昔も好きなのはロシアだけ、初恋など掘り返さないでほしかった。
 罪悪感があるなら今だけでも恋人の真似事をしてもいいだろうとロシアはプロイセンの腕に頭を置く。拒否されないことが嬉しくて安心すると徐々に眠りに落ちていった。
「・・・・・・ん?」
 ちゃらりと金属の音がした気がした。


 甘い声に浅い眠りから覚める。もっと近くまでいけばきっと甘い香りがするだろう。ほら、襟元や裾の奥にはこんなに柔らかくて良い香りが・・・・・・。
「プロイセンくん・・・・・・?」
 自分の名前に正気に返った。邪な感情のまま寝間着に忍び込んだ指先を慌てて引き抜く・・・・・・眠ったロシアからベッドから飛び降りて離れた。熱くなっている頭と別の部分に洗面所にいく。
(あいつ、俺が襲いかかるとか思わねーのかよ)
 頭から水道の水を浴びて、無防備さに呆れた。半年見てつくづく思ったのだがロシアは好意を向けられることに鈍いらしい。悪意にはすぐ反応するくせに、好意を向けられると不思議そうにして気が付かないのだ。あんなに好かれたがってるくせにとんだマッチポンプだ。
 まあ、完全に恋愛対象外として安全認定されているのだろう。肩が落ちかけるが首を横に振る。そういうのはもういいのだ。
「ロシア・・・・・・寝てるか?」
 寝室に帰ると丸まって毛布を抱いていた。軽く頬を摘むがむにゃむにゃと寝言が出てきた。もう一度頭を確認すると傷がないことに安堵する、理屈では知っているのだが自覚以上にトラウマになっているらしい。
(本当に寂しいのかもな、姉ちゃんたちも帰っちまったし・・・・・・確かに俺に遠慮して夜にどこにも寄れないし)
 顔以外隠れるように毛布を掛けるとちゃらりとプロイセンの胸元の鎖が音を立てた。ステンレスの鎖の先にはプラチナの指輪が二つぶら下がっている。小さな琥珀が埋め込まれた日常生活に困らないデザイン。
(こいつのせいで、あんなこと言っちまった)
 かちゃかちゃと指輪が揺れる。他人のせいにするなと抗議されたのかもしれない。
 あの日はとても緊張していた。数年前に好きだと自覚してからはかなり焦った。ロシアの自覚より周囲は彼に関心を持っているし、好意も抱いている。ベラルーシに以外は無防備と言っていい彼を早く独占してしまいたかった。
 だから人間の真似をして同じデザインの指輪を作った。関わりがあるようにバルト海産の琥珀まで探した。しかし、当然気持ちが受け入れられるとは限らない。これまで一緒にしたことと言えば口げんかと悪巧みくらいだ。今までのような気軽にな会話すら出来なくなるかもしれない怯えがかえっていつもより冷たい言葉を生んでしまった。その直後にロシアは消えてしまった。指輪が出来て、カバンの底でいつ取り出すか悩んでいた矢先だった。
 話せば誰もプロイセンを責めないだろう。ロシアでさえ。だから誰にも話さない。
(このまま生きてればいいから・・・・・・もういい)
 数度死を感じたせいか本気でそう思っていた。
「ロシアが無事ならいいんだ」
 そう、無事なら何でもいい。もう一つのカバンの奥から金属の鎖を取り出す・・・・・・猛獣用の特殊合金の手錠だ。流石にロシアでも破壊は出来ない。試しに眠っているロシアの手首の片方だけつけるとサイズはぴったりだった。・・・・・・これが試せたなら、今日ロシアの家に招かれてよかった。
 鎖のもう片方を自分の腕につけると暗い征服欲が内側でうごめいた。本当に最後の手段だ。犯罪行為だと自覚はある。それでもまた何かあるくらいなら、誰も目の届かない所に隠してしまえばいいというのが本音だ。
 だからずっと監視している。拉致した組織は逆説的にロシアを物理的に拘束する方法をプロイセンに教えてしまった。けれどそれはあれほど憎んだ連中と同じ事をすることだ。それにきっとそんな生活はロシアの人格を蝕むだろう。ひまわりを見ても笑わなくなるかもしれない。
(大丈夫だ、ロシアはバカじゃない。隙は多いが、それは強さに自信があるからだ。本当に危険と判断しなけば守るために閉じこめる必要はない・・・・・・)
 愛することはやめた。だから影から守ることだけに専念する。だから閉じこめて自分だけの存在でいてもらうのは夢の中でいい。




 国は物理的には滅多に死なないとしても、個人として死ぬことはある。体制や国民、そして狂気的な実験のせいで記憶や人格にダメージが残ることはある。ロシアという国の化身はいてもそれは知っている「ロシア」ではなくなっていたかもしれないのだ。
 けれどこの世界から完全に危険が消えることはない。たった一年だ。もしもう一度捕らえた存在を捕まえようとすれば自宅の中にいても無駄だろう。組織とはそういうものだ。それに半年見ていて痛感したがロシアと隙が多すぎる。
(こんなに綺麗な寝顔なのにな)
 家族以外には自分が愛されることはないと信じていることがロシアの無防備さに繋がっていると気がついたのは皮肉にもこの半年のことだった。眠るロシアの頬に触れる。温かい、もう一度この温もりが失われることを防げるなら悪魔にだってなれるだろう。
(いっそこのまま麻酔で眠らせて、地下室に閉じこめてしまえば) 
 首を横に振る。最後の手段だとさっき自制したばかりだ。自制・・・・・・それにしてもロシアときたら! 気軽にベッドの上で半裸になる、そのまま抱きついてくる、一緒に風呂に入ろうとする・・・・・・全く自分でなければ絶対襲いかかっている。下からの「なんでもするから」は本当に危ない、史上稀に見る理性的な性格でよかった。まあ大抵の悪漢は自分で撃退できるのでその辺りが雑なのかもしれない。
 白金の髪がミルク色の肌にかかる。とても綺麗な色合いに本人だけが気がついていない。マフラーをはずしている姿が珍しくなんとなく首筋を撫でていると不意に襟の中に指が入ってしまう、完全なる非故意の事故だ。全く、無邪気に甘えている姿を勘違いされることを起きたらそれとなく教えてやらねば。例えば笑顔がかわいいとか、スキンシップが多すぎるとか、笑い声が綺麗だとか注意するに越したことはない。
 がしゃんという金属音にはっとして、手錠をかけたままだったことに気がついた。慌てて鍵を取り出して、カバンの奥にしまった。自分の腕の方を解除していて、無意識に繋がりを求めてしまったのかと理性に自信がなくなってきた。そんなはずはない、その感情は捨てたはずだ。
(もしかしたら、ロシアにとって一番危険なのは・・・・・・)
 結論が出る前にプロイセンは眠りに落ちた。夢の中で二人のロシアがいた。
 片方は閉じこめた地下室でロシアが泣いている。これでもう大丈夫、完全に安全だ。あとはここで心を壊さない方法だけを考えていけばいい。
 もう片方はロシアが琥珀の指輪をはめて傍で笑っていた。青空のひまわり畑をの中を笑顔で二人で歩く。これ以上ない幸福だ。けれど今では叶えないと決めたものだ。
 どちらも夢だ。このまま影から守って、閉じこめる衝動も愛を告げる欲望も抑えたまま自分が朽ちていくことを待つだけ。自分の寿命に陰りがあることに、今だけは感謝した。



おわり



おまけ「姉と妹から見て」


「姉さんと・・・・・・とベラルーシ!?」
「ロシアちゃん、逃げないで。ベラちゃんは今日はお泊まりにきただけだから」
「周辺警護に来ました兄さん! ところでこの結婚式場カタログについての意見を・・・・・・ん、なぜ貴様がいる?」
「・・・・・・俺様がいちゃわりーかよ」
「ロシアちゃん、どうしてプロイセンちゃんがここにいるのかしら?」
「うーん、まあボディガードってことで一日一ユーロでバイトしたいらしいんだ(話し合いの結果、隠れての護衛はなしになった、なおドイツへの報告つき)」
「はあ? 貴様の護衛など兄さんには必要ない、帰れ」
「いや必要だろ。こいつと来たら服は脱ぎっばなしにするし、すぐジャンクフードばっかり食べるし、夜中まで本読んで寝坊するし」
「あらあら、ロシアちゃんは随分お世話になったのね」
「そんなことないよ、姉さん。プロイセンくんが特別に潔癖性なんだ。片付けるつもりでも服を脱いだ傍からカゴに入れちゃんだもん、シャツとか下着とか」
「なんだと貴様、兄さんの服を拝借していいのは私だけだと知らないのか!?」
「盗ってねーよ、お前もすんな! 潔癖性じゃねーよ、ただ汗の成分はその日の健康バロメーターを分析する上で重要な要素で」
「えっ、なにそれ初耳なんだけど」
「成分・・・・・・分析?」
「・・・・・・プロイセンちゃん」
「なんだその目! 一日中見てるわけじゃないから他の方法で安全を確認してだな」
「まあいいや(慣れた)。もうすぐ郵便屋さんが来るから、玄関で待ってよっと」
「てめ、このシロクマ、待て、簡単に笑うなよ! いいか、サインをしてあまり声をかけるな。あともっと着ろ、これは布が薄すぎる。顔も見せる必要はない、このマスクをかぶれ!」
「プロイセンくん、いい加減にしてよー!(でも慣れた)」
「なんだあの重度の束縛男みたいな態度は、姉さん?」
「・・・・・・」
「姉さん、その手帳は・・・・・・ひっ」
「ロシアちゃん、たまに慣れなくてもいいことに慣れちゃうのよね〜」

 数十年ぶりにウクライナの黒革の手帳に新たにプロイセンの名前が追加された。




 こうして身内の潜在的危険としてブラックリスト入りしました。ロシアさんの正しいセコムはウク姉だと信じてます。

 本当は「報酬はいらない」だったのですが、それではあんまりだといういことで少しだけお金払ったらよけいに可哀想な人みたいになってしまった・・・・・・。




あとがき

 前回と違って設定暗めですが、こういうのも好きです。まあ、なりきれないヘタレヤンデレだった気もしますが・・・・・・。

 露受け詰め小説の一つだったのですが長すぎるで独立しました。いつか監禁ネタはまたちゃんと書きたいです。多分告白グッドエンドと監禁メリーバッドくらいに分岐してるんだろうな〜(プーは何事もないノーマルエンド希望)。

 ロシアは頑丈なのでダメージ強めにしてしまいかえって可哀想な感じになりがちです。「戦車が倒せる? ならもっと口径の大きな銃にしよう」みたいなノリで本当にすまんな・・・・・・(逆に現在のプロイセンは滅多に怪我させられないです)。

 無自覚で誘惑するロシアと自分は自制心ある!欲望に負けない!(過信により大敗)とテンパるプロイセンの普露がかけて本人は面白かったです。



2018/06/28