魔法使いのパンケーキ


 小さな頃は姉の手は魔法の手だと思っていた。ありきたりな材料で夢みたいなおいしい料理が飛び出してくる。だから姉のことは魔法使いだと信じていた時期がある。

(あ・・・・・・いい匂い)

 寝ぼけ眼のロシアがキッチンに入ると胃を刺激させる香りが鼻をくすぐった。プロイセンはオレンジのエプロンをつけてキッチンに立っていた。

 休日の朝、ロシアの家にプロイセンは泊まりに来ていた。少し寝起きの悪いロシアはかなり早起きのプロイセンの朝の寝顔を見たことがない。時計は七時半、休みなのにご苦労なことだ。
 なにかを焼くフライパンの音、泡立て器がボウルとぶつかるかすかな音。スキニージーンズに黒いセーターという上着を着ればそのまま外に出られそうなきっちりしたカジュアルさだ。よく延びる素材の部屋着で顔を水洗いしただけのロシアにはまだ寝癖がある。

「おはよう、プロイセン君。いつも早起きだね」
「おはよう、七時すぎてんぞ。休みの日だからって気を抜きすぎるな」

 窓ガラスに顔を映して寝癖を直すロシアはむっとした。ちょっとからかってみよう。

「僕と君じゃ疲れが違うんだよ・・・・・・昨日の君が激しいししつこいからじゃない。腰が痛いよ」
「な、ななな・・・・・・あ、朝から何言ってんだ!?!?」

 泡立て器とボウルを落としかけたプロイセンは初な少年のようで昨夜の野獣の面影がない。休みは三日あるのに来た日にあそこまでがっつかなくていいだろうに・・・・・・でもまんざらでもないロシアは恋人の腰に抱きつくとちくちくする硬い髪に頬をすり寄せた。

「忘れてた、おはよう、今日も愛してるよ」
「・・・・・・ふ、フライパンの火がまだ」
「昨日あれだけしたのに今からまだするつもりなの、夜までダメだからね・・・・・・君は言ってくれないの?」
「昼はいいだろ・・・・・・お、おおお・・・・・・俺も好きだ。あ、あい、あいし・・・・・・」
「あ、バター焦げてる、消すね」
「聞け! ・・・・・・お前やフランスみたいに口が砂糖でできてねえんだ、好きだが限界なんだよ!」
「・・・・・・じゃあ諦める」

 代わりにコンロの火を消したロシアが頬に軽くおはようのキスをすると口にスイート要素のないプロイセンが唇にキスをしてきた・・・・・・かすかにコーヒーの香りがする。ブラックだったのだろう、純粋な挽いた豆の香りがする。

「ほんとだ、甘くない・・・・・・でも好き」
「や、やめろおお・・・・・・他人の理性を試すな、お前はあっちで座ってろ」

 確かにこのままだとキッチンで襲われることになりそうなのでロシアはおとなしくテーブルのイスに座った。白木のテーブルにはクリーム色のクロスがかけてある。準備はほとんど終わっていた。

(なにを作ってるのかな・・・・・・あ、パンケーキだ。アメリカくんみたい)

 彼のパンケーキは何度も食べたことがある。うきうきとその完成を眺める。

 薄めに焼いたきつね色のパンケーキがターコイズブルーの皿の上に二枚半分重なって、あざやかなグリーンサラダが添えられる。かけられたドレッシングはクルミの香りが。真っ白でなくて青い皿というのがまた食欲をそそる。
 パンケーキとクルミドレッシングの香りが混じって胃袋が食事を求める・・・・・・盛られた料理を見たロシアがこっそりフォークを握ったことを誰が責められるだろう?

「こら、まだ完成してないんだぞ」
「ひどいー、こんなの目の前に置かれたら食べたいに決まってるじゃない!」
「待てって!」

 料理中のプロイセンが責めた。パンケーキを取り上げるとその皿にチーズと木苺のソースをかけたヨーグルトを乗せた小皿を加える。几帳面な彼らしく栄養満点。

「きっちり出来たら食わせてやるから、お前は飲み物でも準備して待ってろ」
「むー・・・・・・ごめん」
「分かればいい」

 ロシアも行儀が悪かったと諦めて、大人しくテーブルにナイフやフォークの準備をする。今日は寒いから暖かいレモネードと紅茶を添える。
 他に飲み物は・・・・・・ベランダに出てプランターから冬に強いカモミールをたくさん摘んでくる。お湯を沸かしてハーブティーを作り、余った花をオレンジの花瓶に飾る。派手な花瓶だが白い素朴な花ならこれくらいがぴったりだ。

「カモミール・ティーだよ、君も好きでしょ」
「ああ、香りが好きだ」

 実のところ、プロイセンはロシアからたまにそういう香りがするので弟の家で栽培して飲んでいる。ロシアの国花は二つ、ひまわりとカモミール。ひまわりは北アメリカ大陸から持ち込まれるまでなかったのだから、カモミールの方がロシアとのつきあいは長い。

「あれ?」
「ん? なんだ」

 パンケーキに違和感を感じる。
 朝食にプロイセンのパンケーキを食べるのは初めてではない。早起きの彼のレパートリーの一つだ。

 ロシアがフォークでパンケーキをつつくとオレンジソースを準備中のプロイセンが怒った・・・・・・視界の端のそれも彼らしくない。

「どうしたの? これいつもの君のじゃない、こんなにふわふわじゃなかったでしょ。卵を沢山入れて膨らましたんだね、君はどっしりしてる方が好きだし得意でしょ」
「いただきますも言わずに文句とはいい度胸だな」
「そのソースも君らしくない、果物はイチゴの方が好きなくせにらしくない!」
「それはお前が・・・・・・!」
「うん、なに?」
「・・・・・・なんでもない」

 なんでもあるのだ。ロシアがごめんと言って座っているとなぜかしゅんとした様子のプロイセンは無言で朝食を仕上げる。泡立てた卵白の弾力を利用したふわふわの白いパンケーキに鮮やかなオレンジソースが絡まる。きっとおいしいだろう。だからこそロシアは少し照れてしまった。

「あのね、さっきも言ったけど僕は君を愛してるよ」
「なんだ、突然」
「だからフランスくんのパンケーキが一番おいしいねって言ったことは許してくれない?」
「別にそんなこと気にしてねえ・・・・・・許すとかじゃないだろ、あの野郎料理の腕だけは確かだからな」

 ロシアはパンケーキの味が半分しか分からなかった。些細なことがこんなにこそばゆくてうまく言葉が出てこないなんて知らなかった。



 話は一週間前。
 世界会議の後の交流パーティー。イタリアやフランスはその自慢の腕を振る舞った。そこでアメリカの発案でパンケーキをそれぞれのスタイルで作ることになった。

「お兄さんはクレープの方が本場なんだけどね〜」

 少し不満そうだったがなんだかんだフランスは自分流のパンケーキを作った。卵を多めにして弾力のある薄いパンケーキを八枚重ねて、独自のオレンジのソースをかける。イタリアは生地にチーズを加えてナッツとバナナを添えていた。・・・・・・その横で本場アメリカがレインボーパンケーキを作っていたがそれはスルーする(イギリスとカナダは見ていた)。

 そしてロシアはフランスの料理が大好きだった。当然、フランスのパンケーキのテーブルに真っ先に座って待っていた。

「わあ、フランスくんのパンケーキおいしい!」
「はっはっは〜、ロシア、お前のそういう正直なところお兄さんは好きだよ」

 実際それは今まで食べた中で一番おいしいパンケーキだった。生地がしゅっと口で溶けて、フォークとナイフがが進む。控えめな甘さにソースの強烈な甘酸っぱさが鮮やかだ。二口目も新鮮さが失われない、薄く作って八枚をあっさりナイフで切れるところも楽しい。

 即興でありながら計算されたレシピだ。そんなフランスらしい料理がロシアは昔あこがれだった。

「ねえ、もう一皿もらっていい?」
「おい、いいとも。じゃんじゃん食って大きくなれ、若者よ。・・・・・・なあロシアは俺のパンケーキが一番うまいよな?」

 ちらっとイタリアを振り返ったフランス。ライバル意識があるらしい。だからロシアは正直な感想を言った。

「うん、フランスくんのパンケーキが今まで食べたパンケーキで一番おいしい! 世界一だよ!」

 がちゃーんとイタリアのテーブルにいたプロイセンが皿を落とした。その後彼は無言でフランスの席に訪れ、五皿を食べた。料理中の様子を獲物を狙う狩人のように睨みつけているのでフランスがなにやら囁くと真っ赤になってなにか喚いていた。

 ちっとも意味の分からないロシアはレインボーパンケーキを完成させたアメリカと珍しく仲良く談笑した。「あんなに食べると太っちゃいそうだねえ、食後のピロシキが入らないよ」「そうだな、あれじゃ贅肉がついちゃうぞ! 食後のマックがMサイズになっちゃうよ」と会話すると、なぜか会場から苦笑いをされた。



 プロイセンは朝食のパンケーキを口に運ぶ・・・・・・ダメだ。やはりあの時の味には負ける。あの生地の弾力、口の中で溶ける感触、オレンジソースの鮮烈さとかすかな甘さ。全てがフランスのパンケーキに届かない。

・・・・・・「お前ね、俺に料理でまともにかなうわけないでしょ。そんなことで嫉妬するなんて器が狭くて、お兄さんロシアが気の毒〜・・・・・・そんなことで愛を量るなんて破局の種だぞ?」・・・・・・

 はきょく。脳裏にフランスの言葉がよみがえって味が分からなくなる。あの後、数日の掃除と雑用を引き受けることで泊まりで特訓をした。フランスは嫌みったらしかったが約束の三日ちゃんと厳しく指導した。

 だからプロイセンのパンケーキの味はその辺のカフェより上ではあるのだが師匠にはかなわない・・・・・・ロシアは申し訳なさそうに食べている。さっさとサラダやヨーグルトを食べて、カモミール茶を飲み。

神妙にパンケーキを食べる。ちっとも笑顔じゃないことにいらついてしまう。

「もっと味わって食えよ」
「とってもおいしいよ」
「嘘つくな」
「どう言えばいいのかな、なんだか舞い上がっちゃってろくな言葉が出てきそうにないよ」
「はあ?」

 なぜか頬を染めて窓の外を見る。一枚目のパンケーキを食べると手をもじもじとさせている。

「あのね、僕はフランスくんの料理の腕がすごいねっていっただけだよ。その、なんていえばいいのかな、君が好きなんだけどそれとこれは別というか・・・・・・ああもう、恥ずかしいよ! プロイセンくんのバカ!」
「ばかってなんだ! 俺はかっこいいだろ!?」
「・・・・・・あほかっこいいよ」
「ふん」

 いつもおいしいおいしいと笑っていたロシア。幸せそうに料理を食べるので勘違いしていた。もともと些細な料理でもおいしいおいしいと食べる男なのに手料理を食べて笑ってもらえるのが自分だけと錯覚していた。

 それは浮気性とかではなくただ素朴なだけだ。何度食べた料理でも感激できるよい意味での幼さを保てているのだ。そんな所も好きだった。

(分かってる、的外れな嫉妬だ・・・・・・いや嫉妬でもない)

 落胆だ。二人で過ごすときのおいしいという笑顔がずっと昔から自分だけのものじゃないと痛感しただけ。ロシアがわあとすぐ感激するのは昔からのことだ。

「ねえねえ」

 初めてあった頃からそうだった。家族と暮らしているのに友達がほしいと寂しがっていた変な国。一人で平気なドイツ騎士団には不可解だった・・・・・・それが今は味覚のことすら気になるというのだから未来は分からない。

「プロイセンくん、こっちみてよ」
「うっせえ、なんだ・・・・・・って近い近い!?」

 考え込んでいてロシアの接近に気がつかなかった。椅子から立って真横からじっと見ている。よく見るとフォークの先にはオレンジソースのしみこんだ少し冷めたパンケーキが刺さっている。

「なんだよ、まずいって言いたいのか・・・・・・勘違いすんな、俺は純粋に料理の腕前があいつに負けてるみたいで屈辱感がな、決してお前がどうこう言うんじゃなくて」
「いいから、あーん」
「なんだそれ、俺の皿にも・・・・・・もが!?」

 無理矢理詰め込まれた。じっとロシアが見つめているのでゆっくり噛む。夕焼けの空の瞳を見つられているとなんだか違う味がした。生地はふわっとしてオレンジが太陽を感じさせる。

(あれ?)

 さっき食べていたのにもっと色鮮やかな味。驚いているプロイセンにロシアは今度はプロイセンの皿のパンケーキに手を伸ばした。

「はい、あーん」

 通常のプロイセンはそんな子供っぽいと断るのだが、ペースを掴まれてロシアの言うとおりパンケーキを食べる。半分ほど食べるととてもおいしかった。あの時のフランスの味に負けたと今度は感じなかった。

 なんだか体の内側がぽかぽかと暖かくて、ぼうっとしていとロシアがまた何かを持って立っていた。

「お昼食べようと思ってた冷製スープ・・・・・・あーん」
「んぐ・・・・・・」

 うまい。それだけでなく体の中に花が咲いたような高揚感。ロシアの白い手が白パンに見えてくる。

(うまそうだ)

 なにがだろう?

「この前作ったジャム、はい、あーん」

「昨日のピロシキの残り、はい、あーん」

「キッチンにあったバナナ、はい、あーん」

 もはや最後は手料理でも何でもないが、プロイセンはおいしいと感じた。それだけでなく体に春がきたようなくすぐったい喜びが満ちている。そういえばロシアの料理を食べているときはこんな感情を味わったような・・・・・・。

「ん・・・・・・?」

 口を開けているのに食事がこない。


「やっぱり・・・・・・君もなの?」
「ん、なにが?」

 また無意識に口を開けて待っていたプロイセンはとっさに顔を背けた。そんな彼にロシアは更に照れた。

「だから・・・・・・僕はそういう気持ちで君の料理を食べてるってことだよ! あー、恥ずかしい!」
「どういう意味だ?」
「どんな味がした?」
「なんか・・・・・・全部うまくて、体ん中に花が咲いたみたいな・・・・・・春が来たっていうか、なに食っても春っていうか」
「だから僕はそういう気持ちで・・・・・・だから君はなにも悩むこと・・・・・・だめー! 恥ずかしい、外行く!」
「な、なんでだ!? ・・・・・・こら待て!」
「プロイセンくんのバカ、セクハラ野郎!」
「バカって言った方がバカだー!」

 やたら足の速いロシアを捕まえるまで十五分。まだ冬で寒いのに帰り道はぽかぽかと暖かかった。その間に体の中の春は少し薄れていた。

(なんだったんだ?)

 けれど昼ご飯にもう一度ロシアがあーんとするとやっと意味が分かってプロイセンは恥ずかしさで悶絶した。床に転がってごろごろと悶えると朝のロシアの同じ気持ちという言葉を思い出してさらに恥ずかしい。

・・・・・・「お前ね、どんな絶品な料理でも愛する人の傍で食べるものにはかなわないんだよ? その価値が分からないなんてとんだ脳筋だねえ」・・・・・・

 最初から愛されていた、それだけ。

 フランスの説教まで蘇ってきてますます恥ずかしかった。けれどさらに恥ずかしいことにロシアの手をずっと強く握っていた。昼下がりはずっとそうやってソファで片寄せて、冬の終わりを窓から眺めていた。

 かすかに優しいカモミールの香りがして、プロイセンは夕方までロシアの肩で眠り、また恥ずかしさで悶絶する羽目になった。




 後日、世界会議の後の交流パーティーにて。
 またパンケーキを作っていたイタリアとフランス。ロシアはフランスのテーブルで昔彼に習ったテーブルマナーに倣ってパンケーキを食べた。

「やっぱりフランスくんのパンケーキが一番おいしいよ」

 フランスはあははと笑うとちらっとプロイセンを見た。そしてロシアは少しいたずらっぽく後ろを振り返った。隠れていたつもりのプロイセンの苺みたいな瞳が驚いた。

「でもプロイセンくんのパンケーキが世界一好きだよ」

 プロイセンは恥ずかしさで逃亡した。ロシアも耳まで赤くなってテーブルクロスの下に隠れてしまった。

「やっぱり・・・・・・プロイセンくんも魔法使いなんだ」

 かつて姉は魔法ですばらしい料理を作っていると信じていた。けれど大人になって自分で作るとこれはただの技術だと知った。魔法なんかない。でも知った、やっぱり魔法のようなものだ。

(僕も魔法使いになれるかな、好きな人が笑ってくれる魔法)

 もう使えているとは知らないロシアだった。



 フランスはそんな二人をこいつら何歳だっけ・・・・・・と眺めていた。

「お兄さんつかれたー」

 人をダシにしてイチャつくなよとため息をつくフランスの後ろを虹色のパンケーキ(人工着色料)を掲げたアメリカが通った。今回も一番人気は俺のパンケーキだね! と自信満々に言われるとフランスは目を背けた。






おわり


ふろの日、おめでとう!

今回の話の為に各国のパンケーキを検索したのですが、そんなにその国!ってのはなさそうでした。

フランス兄ちゃんのパンケーキは関西にあるフランスのパンケーキ屋さんをモデルにしてます。ナイフで四枚サックり切れる。


2019/02/06