※ 流血表現注意。

 

 




「 お兄さんはお隣さんにお悩み 11 」









※ 流血表現注意。


「 お兄さんはお隣さんにお悩み 11 」


 死のう。

 その方がマシな失言だった。船を飛び降りるのに躊躇はなかった。
 叩きつけられたのはドーバー海峡。海水が重く優しく苦悩多き現世から遠ざけてくれる。

 ・・・・・・「おい、どこいったワイン野郎!?」・・・・・・

 大きな水音と聞き覚えのある声が聞こえた気がする、が無視する。
 だんだんと激しくなる呼吸困難と海水の流れ。遠のく意識の端に揺らめく月光がちらついている。白き両岸をつなぐ海底へと墜ちていく。

(恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい)

 一番弱みを見せたくない相手に懇願してしまった。あいつの理解不能の表情がとどめだった。

 ずっと俺をいじめてきたあのドッペルゲンガーはどこにいったんだ。今すぐ俺を殺してくれ。
 夜の海に落ちるなんて自殺行為だ。けれど普通には俺は死なないからよく考えると一時凌ぎにしかならないぞ。

 やばい、何も考えてなかった死にたい・・・・・・とようやく妙な様子に気がつく。
 冷たくない。そもそも水もなく、黒い空間だけが広がっている。それなのに落下速度は緩やかで羽毛のようなペースで落ちていく。

 しかしすぐにどうでもよくなる。

(死にたい死にたい死にたい)

 イギリスっぽい言葉が脳内を錯綜している。目を耳を心を閉じていないと、すぐにさっきのバカな自分の言葉を思い出してしまう。

 ーー「ちょっとは×××なれたと思っ×××に・・・・・・こ××××野郎!」ーー


(・・・・・・あれ?)

 なんだ今の記憶は? と手を伸ばすとそこは底だった。
 いつの間にか足が着いている。しかし海底には見えなかった。黒い空間で砂にまみれて倒れていた。
 上体を起こして見回すと俺の足首程度の高さまで白金の砂がある以外何もない。新月の夜のように光源がないくせに指先から地平までくっきりと見える。

 静けさが頭を空っぽにしていく・・・・・・羞恥が薄れると海上に置いてきたイギリスのことを思い出す。
 あいつまさか追いかけてきたりしてないよな? それはなくても保安庁に電話くらいは。

「友達は言ってなるものじゃなくて、いつの間にかなってるもんだぞ?」
「ぐぎぃっ!?」

 いきなり黒歴史をえぐられた。
 悶えて違う違うんだと空中に釈明を始めるとドッペルゲンガーに蹴飛ばされ、顔の半分が砂に埋もれた。

「今世紀最大レベルの寒さを見たんだが、主にお前が」
「やめろ、やめてくれ」
「青春の殴り合いのつもり? 自分のビジュアル年齢考慮してないの? あんなに動いておっさんだから腰痛になるぞ、イギリスより年齢がアレなんだから、若者に合わせるなよ」
「おっさんじゃないもん!」
「「俺と友達になれ、この馬鹿イギリス」」
「うわああん」

 黒歴史の一番尖ったところをリピートしてくるから泣き崩れる。

「友達になれ? イギリスにイギリスにイギリスに? なんで言ったのなんで言ったのなんで言ったの? ねえどんな気持ちねえどんな気持ち?」

 いじめどころじゃない。言葉の刃がダイヤモンドカッターレベルだ。殺人だ。

「恥ずかしがらずにお兄さんに言ってみなさい。
 そうだ作文にしよう「フランスはなぜイギリスに友達になってほしいか五百文字以内で答えなさい」。
 提出先バッキンガム宮殿。公開範囲欧州全土」
「冗談でもやめて。死ぬマジで死ぬ、吐血する」
「個人的には「友達になってよイギリスくん!」じゃなくて「友達になれ」って言葉のチョイスが痛々しいザベストかな。
 なぜそこで命令形なんだ? 素直になれない大人が中途半端な意地を張ってるみたいだぞ?」

 口先で人を殺せるタイプだ。
 最早虐殺、ジェノサイドだ。カウンセラーを呼んでくれ死んでしまう。

「命令形から友人になりたいとかどんだけ自信ないの。どんちゃん騒ぎがないとどうしたらいいか分からないタイプなの?
 どうせ断られるだろうからダメ元で命令口調でいっておけとかいう計算が逆に惨めで、通販で買ったけど使い勝手が悪くて捨てられた雨の日の家電みたいだし・・・・・・」
「貴様には人の心がないのかっ!」
「・・・・・・」

 本当に粗大ゴミを見る目で見てやがる! 人の心は期待できない。

「きっと断られるぞ。
 醒めた目であり得ない、気持ちは嬉しいんだけどみたいな他人行儀な感じで「友達にはなりたくない」」
「ぎゃああああああああっ!?」

 トドメをさしてきた。
 苦痛で砂の上を魚のようにぴちぴちとのたうつ。
 睨むと彼は肩をすくめて底意地悪く佇んでいた。なんとなく歴史上俺がどや顔してた時の相手の気持ちはこんなんだろうなーと自虐的な気持ちまで芽生える。

「・・・・・・もうほっといてくれ、このまま魚の餌になりたい」
「これが仮にも自分と同じカテゴリーであるという事実が重石となって心臓が押しつぶされそうだ」
「自分を貶めてまで俺を追いつめようとするな」
「だって友達になっての後に逃げるとか、最悪じゃん」
「違うもん! 理由はないけど本心じゃないの!
 イギリスなんかもう知らない! もうどちら様っていいたい心境だよ!
 てかもう出てくんな!」

 拳を回避された挙げ句柔道の要領でぽいっと転ばされた。
 あれ、俺ってこいつには触れられないのでは? と振り返るとドッペルは優しく微笑んでいた。

 そしてアイスブルーの瞳に光をたたえると俺の額に触れた。

「どうせ自分が恥ずかしくて死んでしまいたいなら、未来を教えてやるよ」

 意味不明の言葉に電撃を受けたように俺の身体が跳ねた。
 世界は切り替わり、映像が流れ込んだ。どくりと見知らぬ記憶が内側で脈打った。古傷を開かれたように正体不明の悲しみが全身を荒れ狂う。

「これが最後のチャンスだ、未来へ生かせ」

 そしてヴィジョンが脳内に打ち込まれ、体中から噴水のように溢れだした。


・・・・・・


 ーー数百年後ーー
 ーーあるいは数十年後ーー
 ーーもしかしたら、数年後かもしれないーー

 そんな未来の断片。

 全力で走ってきた俺は病室の扉を強引に開いた。
 白い部屋、白いカーテン、白いベッド。そこで二人の兄に看病されている彼がいたーー彼の兄は三人、その内の一人はもうこの世界にはいない。

「何だよ、ワイン野郎・・・・・・一週間前、さよならしたのにまた来ちまったのか」
「坊ちゃん」
「ばぁか・・・・・・カッコつけのくせにいつも締まらない奴」
「坊ちゃん」

 ループ再生のように繰り返す。
 ベッドに横たわるイギリスに近づいても二人の兄は何の反応も示さなかった。
 日頃の不仲なんて嘘のよう。一人はやせ細った彼の左手をじっと握り、もう一人は熟練の医師のように点滴の成分の確認をしては、まじないの薬草を交換し続けていた。
 例え明日まで保たなくても一秒でも長く弟をこの世界につなぎ止めておけるように。

 そんな二人に囲まれたイギリスは井戸水のように薄く澄んだ笑みでいつものように皮肉った。

「クソ髭・・・・・・全く、フランスは俺の何だったのか。
 腐れ縁、隣人、好敵手、もしかしたら兄は四人だったのか。
 何度も考えたんだ、でもしっくりこねえんだよなあ」
「理不尽だ、受け入れられない」

 二人の兄は何も言わない。
 一週間前に綺麗に笑って今までありがとうと今生の別れを言ったくせに、あっさり未練むき出しで帰ってきた俺と慰めも咎めもしない。

 それは、きっと理解しているから。

「イギリスが・・・・・・もう死ぬなんて!」

 イギリスの死がもう覆らないことを。

 世界はまた大きく変わった。地球は氷の季節を迎え、寒さと食糧危機にふるえていた。この星だけでは人類は耐えられない、それが結論だった。
 そして大きな試みが始まった。人類は月や火星への移住が頼み。もしくは氷河期を免れる赤道付近に新たなコロニーを作っている。

「だからって、こんな初期に」
「・・・・・・俺が一番悔しいさ」

 その変化にそれぞれの土地に根ざした俺たちはついていけなかった。何人かの国が消え、新しいコミュニティにふさわしい化身が現れた。
 それまでの歴史が長い化身は消えるのは自然の摂理だった。

「なんでだよ。
 産業革命で世界に大きな影響を与えたんだろう?
 資本主義って言葉が生まれたんだろ?
 下水の衛生と近代農業で寿命を伸ばしたんだろう?
 有名な探偵小説まで作るから俺の家でも怪盗が生まれて・・・・・・そんな影響力があってなんで」

 理由や推測はいくらでもあった。まとめればそれだけの影響力があるから新しい化身たちの一部となったという現実。
 大きな概念だからこそ変化に耐えられないという救いない事実。書類一つで死ぬなら、人が新天地に向かっても消える。

「アメリカとカナダがいたら泣いていたぞ」
「宇宙に新しい人類コロニーを作るのは大変なんだ。余計なことを言うなよ、ちゃんと手紙は書いた。
 ・・・・・・カナダはともかく、アメリカはもう俺の知ってるあいつとは違う存在なのかもしれないけどな」

 緑の瞳が一瞬だけ苦しみを露わにする。しかしそれはすぐに自嘲に隠された。

「・・・・・・歴史の変化の鍵になって変化していく、つまり俺なりに頑張ったってことだ。そして変化についていけず同化しきれない部分の俺は消滅する」

 この時代まで存在をつなげられたこと自体が俺も彼も希有なのだろう。短命の国家たちが羨む幸運だと理解はしている。

「・・・・・・お前の博物館はこんな時に為に過去を保存してきたんじゃないのかよ!」
「どう思うと俺は明日までに死ぬ」

 そして薄藍の空はもう明日を始めている。
 二人の兄から初めて動揺が漏れた。カーテンの隙間から見える空は薄く朝日がさしている。
 二人の兄は片方は子供のように泣き、もう一人は厳しい表情になったーーイギリスの死まで後少し。

「悔しいな、お前より長生きしてやりたかった。
 子供の頃からお前に負けるかって気持ちで俺は強さを身につけたのに」

 彼の皮膚は冷めたミルクのように白く、空いた右手をとれば陶器のカップのように冷たい。

(どうして、なんで、こんな)

 かつて凶弾で彼が死んだ時と同じ。これからはイギリスと喧嘩も会話も何もできなくなるーーそれが死。
 そしてこれは肉体の仮の死ではなく本当の概念としての死。

 泣き叫びたいのに「もう手遅れだ」と冷静に通告されているように声帯一つすら動かない。
 そのくせ痛みで気が狂いそうだ。腕、足、頭、体の内側全て、痛くない場所なんてない。

 人間じゃないのにどうしてこんな当然の別れが辛いだろう。

「悪い・・・・・・でも」
「うっせえよ! 死ぬなこのエセ紳士!」
「でも・・・・・・楽しかった」

 石膏のような脆く白い指が俺に延びる。しかし指先は力なくシーツの上に落ちた。

「約束破っちまってごめんな、せっかく友達になったのに」

 そしてイギリスはこの世界から退場した。

 俺の好きな草原色の瞳は閉じられることなく、取り残された俺の姿を映していた。そして瞳ごとその存在にヒビが入り、肉体全体に亀裂が走った。ひび割れては透明になり、残滓すら崩壊は免れない。

 朝を待たずイギリスの遺体は完全に消滅し、空っぽのベッドには静かな朝日がそっと忍び込んで空白を強調した。

 そうして俺の隣人は真の死を迎えた。それでおしまい。
 二人の兄たちは泣いたが、俺は泣かなかった。

 ・・・・・・

 震えている俺にドッペルゲンガーは告げる。

「悲しいな、せっかく友達になってもこんなエンディングだ」
「・・・・・・これが、俺の未来?」
「さあ? まだあるぞ」
「まだ・・・・・・ってどういう意味だ?」

 疑問に返る答えはない。
 受け入れることも拒むことも出来ぬまま、再び世界は切り替わった。

 ・・・・・・

 乾いた音を立てて、高価な紙をイギリスに渡す。
 手で梳いた紙に熟練の文字の書き手が美とシンプルさを追求した文字。美しい宣告書だった。

「こんな紙切れ一枚で終わりとはな」

 興味深そうに書類を取る手は弱々しい。彼の周囲だけが少しずつ色が褪せて消えつつある。
 軽薄に笑うフリをする。俺はポケットの中に手を突っ込みながら、何気ない様子を装った。

「そっか? 俺たちらしいだろ」
「ま、違いねえな」

 壮年の紳士が穏やかに笑った。
 書類には彼の上司のサインも他のいくつかの国の指導者のサインもあった。フランスの指導者のサインもある。

 「イギリスはこの決定を持って解体する」ーーそれは目の前の彼が消滅することを通告する書類だった。人の歴史で俺たちは始まる、利害の一致で滅びるならふさわしい。

「フランスに書類を届けられるとはな。喧嘩ばっかりしてきた因果か」
「どれだけ昔の話だよ、お前は・・・・・・有能な仕事相手だったよ」

 ともだち、という単語を飲み込む。彼とは随分いろんな事をした、そのどれもが代替不可能な思い出だった。

 書類から目を離したグリーンアイが静謐な光で俺を見て「ああ、長い旅だった」とでも言いたげに目を閉じた。椅子に座った陶器の人形のようで無機物じみている。
 実際月光の揺らめきと供に身体は透け、金魚鉢が日に翳されたように明滅を繰り返す・・・・・・消滅が近いのだ。

 そのまま向かい合って五分間沈黙が続く。
 絨毯で音を消して、そっと俺は立ち上がる。

「そうだな、でも俺は」

 イギリスはごぼりと血を吐いた。
 左の肋骨からちっぽけな刃が深く吹き刺さっていた。俺は彼の胸にナイフを突き立てて、手首の返しで確かな心臓を抉る手応えを感じる。

 ナイフを引き抜けば「なぜ」という目が椅子から倒れていく。そこに憎しみも悲しみもないことが苛立たしい。

「・・・・・・そんな目で見るな、俺とお前は元々こういう間柄だっただろう」

 心臓から裂けた流血は水たまりを作るが、落ちた先が赤いカーペットだったせいかそんなに派手ではなかった。
 仕事に疲れて眠っているようにも見えるイギリスは胸を押さえて立ち上がろうとするが、もともと弱りきった身体では無駄だった。

「フランス・・・・・・どうしてだ?」
「この後、上司やら兄さんたちと最後の晩餐で消える予定だったんだろう? その時間を潰してやった、ざまあみろ」
「なぜだ? どうせ俺はもう」
「何もかも諦めた顔しやがって、そんな風に諦めたふりばっかり上手くなるなら・・・・・・!」

 裏切り者の仇敵を憎んで死ねばいい。
 暗い感情を込めてイギリスの側にしゃがみ、シャーレを覗く研究者のように月明かりに濡れた彼の最後を観察した。

(ほら、どんな風に俺を憎む?)

 既に懐かしい、あの争いの日々のように。

「・・・・・・バカな友達がいるせいで、最後まで予定が狂ちまった」

 けれど彼はただ友人に「しょうがないな」と弱々しく微笑んだだけだった。腕から力が抜け、血塗られたナイフが血だまりにばしゃりと落ちる。

「なんでだ・・・・・・何故俺を憎まない、呪わない!? 最後くらいそっとしておいてくれって恨めよ!」
「そう言われたってなあ・・・・・・兄さんたちがちゃんと恨むだろうし、こういうのもありかなって」

 小さく肩をすくめたイギリスは雨の国らしく、少しずつ濡れていた。なんで屋内で雨が降っているのか分からなかった。
 頬からこぼれているものが濡らしていた。カーペットには血と涙が染み込んでいく。

「刺してまで俺を腑抜けさせたくないとか、こういう風に感情的になっちまうなら国同士で友達なんてならない方がよかったかもな・・・・・・でも俺は、たのし、か・・・・・・」

 最後まで告げることなくイギリスは死んだ。
 あとは身勝手な加害者が泣きわめいて、血だらけになってその遺体をすがった。付着した彼の血液は消滅を始め、凶器のナイフは月光だけを反射していた。

「坊ちゃん、ごめん、許して、嘘だ・・・・・・せめて謝らせて」

 数分後、揺する身体も虚空に砕け散った。
 そして部屋には一人きりになった愚者の慟哭と解体通知の書類だけ残った。

 ・・・・・・

 たくさんイギリスが俺より先に死ぬ風景を見た。

 平和の求めて会談し信じ合えた直後死んだ。
 戦争中に荒みきった俺と彼が殺し合い、銃撃戦の最後に彼を撃ち殺す。
 ある平和な朝に目が覚めると彼が死んだという知らせが訪れる。
 世界が滅びると確定し、懸命に共に人々を助けてその中でいつの間にか死んでいた。

 そして。
 次は。
 ・・・・・・。

 いったいいくつその光景を見ただろう。
 十? 二十? いや百は越えていた。
 シチュエーションは毎回異なる。けれど全ての別れに共通していることがある。
 それは俺は悲しくて気が狂いそうになること。そしてイギリスは俺を友人と呼んだ後去っていくこと。

「こういう未来だ。
 むしろ同じ日に死ぬなんて、人間だってなかなかない。
 俺たちなら絶対にあり得ないさ」

 もう視たくない、やめてくれ。
 あいつが死ぬところなんて見たくない。それだけで馬鹿な旅を続けてきたんだ。
 ドッペルゲンガーに懇願すれば、冷たい瞳で慈悲深く微笑まれた。

 そして「最後だ」と彼の死を見ないですむ未来のヴィジョンに浸食された。

 ・・・・・・



        つづく


  2016/05/26

 


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