「 お兄さんはお隣さんにお悩み 7 」









「このお馬鹿さんが、馬鹿だ馬鹿だと思っていましたがここまで馬鹿とは思っていませんでした」
「・・・・・・すいません」

 俺は床のカーペットで正座、オーストリアはソファーの上で仁王立ち、ドイツは自分のソファから立ち上がりかけは戻りを繰り返している。

 俺たちはドイツの家のリビングルームにいた(正確に言えばドイツの愛犬たちと居候のプロイセンの家)。綺麗に整理整頓が行き届いているが、どことなく暖かみが感じられるのは沢山の犬の写真ややたら本棚を占拠しているプロイセンの日記のお陰だろう。
 忙しくも楽しく暮らしている気配は伝わるものだ。少し自分の家が恋しい。

 ベルリンの中央通りでドイツはプロイセンに電話をしに行ったと思っていたのだが、どうやら急に押し掛けたオーストリアを迎えにいっていたらしい。
 演奏会でも行くのかというかっちりしたコートでオーストリアは腰に手を当てて怒っていた。

「謝り方に誠意が足りない!このお馬鹿さんが!もう十回!」
「なんの罪もないドイツぶん殴ってすみませんでしたあああっ!」
「頭を下げる角度が甘いっ!」
「ひぃんっ!」

 食事から移動まで世話になった上に無抵抗のドイツをぶん殴った俺は反論もあるわけもない。おとなしく罵声を、いや教育的指導を受けていた。

 よくブラッシングされた犬を撫でていたドイツが遠慮がちに口を挟む。

「お、おい・・・・・・ベルリッツがおびえているからその辺りで」
「ドイツ、貴方からもびしっといっておやりなさい!」
「えっ・・・・・・えっと、フランス、いきなり殴るのは良くないぞ」
「声が小さい!」
「なんで俺が怒られる流れになるっ!?」

 かれこれ二時間ほど馬鹿馬鹿と説教されている。俺もさっきの行いが死ぬほど恥ずかしく、悔やんでいたので大人しくしていた。被害者のはずのドイツが俺とオーストリアの間でオロオロしているところだけが奇妙だけど。

「あーオーストリア、そろそろ茶の時間ではないか?もういい加減フランスを解放してやっても・・・・・・」
「む、お茶の時間ですか。仕方ありませんね・・・・・・フランス貴方もここに座りなさい」

 と、一番端っこのソファーの指さされる。こいつこそ客なのに家主の風格ありすぎだろう。
 あいたた、正座から急に立つと足が・・・・・・結局ドイツが気を遣って事なきを得てしまった。キッチンでドイツは俺用の茶を入れてた。ううむ、俺は誰に謝っていたのだろう?

 まあオーストリアからすると弟分が痛い目に遭えば気が済まないのだろうが・・・・・・結局俺はこの部屋に引きずってこられて以来ドイツと目を合わせていない。というか俺が罪悪感で避けている。

 みっともない話だ、その辺り見抜かれて馬鹿馬鹿言われているのだろう。

(フランスともあろうものが、公衆の面前で青少年に暴行とかーー本当に「俺」らしくない。これが修正されるべきことなのか?)

 それこそ悪魔に吹き込まれた戯言だと、その記憶を脳から締め出す。手元の砂時計がひやりと冷たい。

 ようやくソファーに落ち着く俺をびしりと指さすとオーストリアは説教を始める。

「ドイツ、友人は選びなさいと言ったでしょう。お陰で私の作ったクーヘンが台無しです」
「自分で叩きつけたのでは・・・・・・いや、さっきは確かに俺も驚いたが、まあフランスは疲れていて」
「そういうとこの男はつけあがるのですよ!このおバカさんが!私の菓子はそんなことをいっても帰ってこないのです!
「怒っているのは俺への行為ではなく、そっちなのか!?」
「あそこで私がフランスを蹴り倒せば同じことの繰り返しのようじゃないですか!クーヘン・・・・・・また作り直さないと」
「えーと、何に対して謝ればいいか分かんなくなってきたけど、本当にすみません」

 足の痺れがマシになり、サイドテーブルのハーブティーを口にする。カモミールだろうか、眠気を感じた。疲労が身の内から溢れて、眠りの海へと引きずり込もうとたくらむ。

「おい、部屋が準備してあるから寝ろ」

 察していたらしいドイツは客室で休めを指示する。馬鹿かこいつは、俺が謝るのが先だろう。断ろうとするが舌も動かせない・・・・・・今は従おう。

 廊下に向かうとオーストリアが声をかけた。

「フランス、私は菓子を作ります。ああ、手伝いは結構です、適当に寝ていなさい。作り終わったら話がありますから音楽室に来なさい」










 音楽室。そういうと大仰だがようはドイツの家のピアノ付き防音室のことだった。

 たまにここでプロイセンはフルートを吹いたりしているらしい。普通の部屋は防音加工などしていないから、ちょっとした音楽室ともいえる。

(でもそんなに楽器はないんだよな、オーストリア用のピアノは目立つけど)

 オーストリア用に設置しているであろうピアノは子供の練習用によくあるアップライト型のピアノだ。木目のペトロフ社のものだろう。ドイツのいえとは言え、ドイツ本人はあまり弾かないベヒシュタイン社とはいかないのだろう(高価すぎる)。
 まあお貴族様は家に帰れば自分の家の誇るベーゼンドルファーのグランドピアノでウィンナートーンと称される音色を奏でいてるのだろうけど。

 俺は爆睡直後だった、顔を洗って着替えただけだから身なりが気になる。けど客室で三時間ほど仮眠をとるとすっきりしていた。眠る前は目を覚ますときに俺が記憶を保てているか不安ではあったが、ベッドに転がれば睡魔は一瞬だった。記憶も無事で安堵する、ずっとつきまとう砂時計は離れてくれないけれど。
 九時を回っていた。オーストリアはずっとここで待っていたのだろうか?

「そこにかけていなさい」

 そういって目で端に三つ置いてある木の椅子を示す。大人しく言うことをきく、なにしろお貴族様は演奏中だ。

 オーストリアのピアノの旋律は穏やかで繊細な響きだった。聞いているだけでイギリスのこともドッペルことも忘れられるような、開けた森の奥で月を見上げているような、見事な演奏だった。さっきまで仁王立ちでソファーに突っ立っていた人物とは思えない。

 ショパンだっけ?有名なピアノソナタは中盤にさしかかっていた。

「三ヶ月で体力落ちすぎでしょう、貴方は」
「・・・・・・どこまで聞いてんの」
「興味がないのであまり聞いていませんよ、子守歌を弾いただけで眠そうな顔をしているから意外に思っただけです」
「えー、俺どんな風に見えてんのよ?」
「さあ・・・・・・妙なものにとりつかれているかのような衰弱ぶりですね」

 どきりとする事言う。演奏する手は休めず、顎で備え付きのテーブルを示される。ザッハトルテなんて三時間寝ていたとは言え作ってたのかよ・・・・・・すでに切り分け割れられ並べられている。遠慮がちに食べると素直に感想を言う。

「・・・・・・やっぱお前の菓子は美味いな」
「当然です。が、貴方が素直だと気味が悪いですね」
「どう言えば満足なんだよ?」
「元気がないと心配しているのです」

 ゲルマン人分かりにくすぎるだろ・・・・・・会話が途切れる。演奏に聴き入ると再び心の静寂が訪れる。音楽の力は偉大だ。

「あなたがそんな調子だから、みんな妙に優しくしてしまうのですよ」

 心当たりがありまくることだったので、目を丸くする。俺はそんなにいつもと違うのか。

「弱みを見せることが嫌いなくせに、二時間程度説教で大人しく爆睡するなんてフランスらしくありません。私はてっきり料理の邪魔くらいはするかと思っていました」
「俺も疲れてんだよ」
「で、ドイツには謝りましたか?」
「えっ・・・・・・ま、まだ」

 せっかく終盤まで美しく奏でられていたのに、急に酷い不協和音。お貴族様は鍵盤をぶっ叩くとつかつかと俺の元へやってきて楽譜を叩きつけた。

「お馬鹿さんが、このお馬鹿さんが。貴方から厚かましさをとったらなにが残るんですか!」
「お、お前がここへ呼ぶから後回しになってるだけで俺はちゃんとドイツに」
「気がついていないのですか?」

 首を傾げていると盛大なため息をつかれる。口を開く前にナッツのクッキーが口に放り込まれた。これは良い生産地のものを使ってやがる。

「一つ聞きます。フランス、ドイツはあなたにとって敵ですか?」
「ええ!?そりゃ二百年前くらいは色々あったけど・・・・・・敵なわけないだろ。あいつは俺とコンビで欧州連合の要で相棒だ」
「それなら相談くらい聞いておやりなさい」
「え、あいつ俺に相談なんかあったの?」
「あなたの目はただの色硝子のようですね」

 どういう意味か訪ねる前に今度はザッハトルテをつっこまれた。さらに二十五回ほど馬鹿と言われる。

「ドイツは悩みがあるようです、あなたが聞いてあげなさい」
「俺が?・・・・・・それはもちろん構わないけど」
「残念ですが今のあなたにこそ聞きたいことのようです」

 チョコレートの味は死ぬほど美味かったが、今日は少し苦い気がした。

「ああ、あなたがドイツを殴ったことはプロイセンに言っておいたので、後で彼に殴られておきなさい」
「そいつはこわい」
「クーヘンの材料費も請求します」
「えええ~?」
「あなたはあの菓子の価値を分かっていないのです!あれは焼き具合が・・・・・・!」

 再び、しばらく怒られる。そして十時を回る前にオーストリアがようやく解放してくれたので、俺は今度こそドイツの元へと歩いた。






 ドイツは書斎でビールを飲んでいた。デスクに古い形のランプ(ただし中身はLED)と万年筆や書類がきちんと置かれ、ビールの横にサンドイッチが置いてある。おお珍しい、ドイツがずぼらしてる。

 俺の来訪に慌てて隠す。生真面目さに苦笑するが、それより先に言うべきことを言った。

「ドイツ、殴って悪かった」
「いいや、お前の体調を知っていながら長く待たせて悪かった。オーストリアがさんざんやり返したしな」
「錯乱していた。けど言い訳にならない、本当に悪かった。殴られても文句は言わない」
「ん、かまわんのか?」

 鍛え上げられた腕が軽く向けられる。丸太をへし折れそうな腕だ、改めてよく俺こんな奴に殴りかかったな・・・・・・そんなことはないと分かっていても百メートルほど吹っ飛ぶ想像をしてしまう。

「う・・・・・・ちょっと心の準備を」
「冗談だ」

 安堵すると「いるか?」とビールのジョッキとサンドイッチを差し出される。書類仕事の邪魔にならない程度の距離でドイツの横に座る。なにを書いているのかと思うと家計簿だった。犬の健康診断費用やプロイセンの日記代などが微笑ましい。テディベア補修費用にはによによしてしまう。

 しかし今はオーストリアの言葉の方を優先する。

(しかしこんな俺にドイツが相談事なんてあるのかね?)

 この旅でみっともないところばかり見せているのに。

「あー、このサンドイッチ美味いな。手作りか?」
「兄さんの作りおきだ」
「え、マジで?へー、あいつもすっかり家事上手になっちゃって・・・・・・。あー、あのさ!ドイツ、なんか悩んでんの?俺に聞きたいことある?」
「えっ・・・・・・ああ、欧州連合の収支決算の円満な解決策とかな」

 はぐらかされる。ならばくだけて話やすいムードに持っていくか。

「そういうのじゃなくて、プライベート悩み~。恋してるぅ?」
「お前こそ、恋などしたことあるのか?」

 マジレスを返される。これは動揺か、純粋な疑問か。恋ねえ。

「俺はいっつでも世界にある美しいものを全部愛してるよ。けど添い遂げるような恋は諦めてる、というか恋愛に限らず最後まで続けるような関係は望めない。いや望みたいとも思わない」
「・・・・・・お前がそんなことを言うとは思わなかった」
「だって人か国かの二択だろ?気がついたら死んでるか敵対してるかのどっちじゃん」

 辛いことは好きじゃない。

 さっきのオーストリアの話を思い出す、ニ百年前の頃はドイツとの関係は険悪だった。そのために宿敵のイギリスとも手を組んだ。ドイツは統一後急速に強くなり、俺たちは身の回りの大きな変化をおそれた。海の向こうのアメリカとは意味が違うのだ。

 それでも二十一世紀の今はドイツと俺は相棒だ。欧州連合には輝かしい大儀も弱肉強食の裏もある。けれど彼と俺でなければこうはいかなかったと自負がある。

 閑話休題。

「とにかく恋なんて無理。人は一夜のあやまちだってちっちゃい頃だけ。それだってあやまちの相手が気を抜くと老後の心配してたりすると結構悲しくなっちゃうの。国相手ならお互いの国益が第一だから、敵対したら辛くなっちゃうだろ。感情も国民感情に左右されちゃうしさ」

 実際にはそういう経験はなかった。けどドッペルの言葉を思うと暗い気持ちになる。俺たちは個体だけど、個人じゃない。寂しく感じる心があることを空しく思わないとは断言できない。

(どうしてこんな心があるんだろうな)

 それこそ愛を重んじる俺らしくないけど。

「だよな・・・・・・悪い、忘れてくれ」
「オレたちを流れる時間は長い・・・・・・だから記憶を留めることは、時に辛いと思う」
「だからいいって」
「留められることは辛いのかもしれない、そう思わないか?」

 しかし、ドイツは質問を続けた。ランプの明かりだけで書斎は薄暗い。彼の青い瞳は月光に照らされ寂しい。

「フランス、時には、俺たちではなくとも、生き続けさせられることは拷問か?」
「そりゃ、全ての生が幸福なら文句はないが・・・・・・時には、な」
「自分が間違っていると思ったら、それを正すべきなのだろうか」

 変な言い方だ。まるでドイツの方が間違っている、とでも言いたげだ。実際顔色が悪く、焦点が合っていない。彼は話はしているが隣いる俺のことは眼中にないよう。

「この旅の間ずっとお前に聞きたいことがあった。けれどずっと言い出せなかった」
「・・・・・・ドイツ?」

 きっと聞くことが怖かったのだ、と万年筆が床に落ちる音。
 オーストリアの言葉。遠い目で怯えている彼。懺悔をするような微かな声。


「俺は、本来死ぬはずの兄さんを無理な形で生かしてしまっているのかもしれない」


 下心があるかもしれないという呟き。森での頼りない様子。壁の跡の見つめていた彼の涙。今までのドイツの旅がピースのように合わさる。

「お前が国の化身の生死について前後不覚になっていると聞いたときから、お前に聞いてみたかった。誰でも、俺たちでも、身近なものを失うことは辛い。しかし、兄の、プロイセンの今の生は不自然ではないだろうか」

 真面目な弟は、兄のこれからのことを考えてしまっていたのだ。
 そして生死に悩んでいるという俺に話を聞いて欲しかったのだ。

「・・・・・・なんだそれ、お前が生きててほしいからあいつが今も生き延びているってこと?」
「俺は統一してから間もない。二十世紀も色々なことがあった・・・・・・そんな時兄さんがいて、俺は安堵した。俺は自分と時間や利益をともにする存在に支えられていると」
「ははは、ないって。ないない!そんなこと出来るわけないだろ。・・・・・・できたらみんなやってる、人も国も自分の思うだけ側に置けるなんて」

 できたら・・・・・・それはきっと俺は狂う。長い時間、見守るだけの日々。その中でお気に入りをいつまでも置いておけるとしたら、誰も彼も宝の倉に鍵をかけて閉じこめてしまうだろう。志半ばの指導者を、街角で見かけた幸せな家庭を、大きな夢を見た理想家を、そのままにできていいわけがない。

「もし出来ていたとして、無理に生かされることは苦しみではないだろうか」
「絶対出来ない、出来たら俺だって悩んでない。イギリスだっていつか死んじまうんだろうって・・・・・・ほら俺の馬鹿な悩みが不可能の証明だろ!」
「あの人は勝手も負けても自分が生きた時代を、自分の死に方を悔いる人じゃないんだ」

 きっとプロイセンは志半ばで倒れても悔いはない、その一点で心が一致する。きっとその通りだ、恨んでも生き返ることを望みはしない。

「無理に生かされているなら・・・・・・兄さんは苦痛なはずだ。でも俺はずっとこの現状が続くことを願っている」
「あいつだってお前の傍にいることを望んでいる」
「兄さんは今、俺が不幸にしているのかもしれない。死後を眠らせてもらえていないのかもしれない」

 だからきっとドイツはプロイセンが、彼の感情につきあってこの世界にとどまっていると思っている。・・・・・・そしてドイツは恐れているんだ、いつか本当に置いていかれることを。相反する感情に苛まれて、今の自分の幸福に何か罪が潜んでいないか、思考の迷宮に誘われてる。

「そんなこと絶対ない、不幸でも拷問でもない」

 お前はそんなところで迷う必要なんてない。生まれて三百年もない、優秀で堅物なドイツ。まだいいだろう。
 まだ自分の身の回りにあるものを当然と無邪気でいても、いいはずだ。

「ドイツ、お前は勘違いしている」
「なにがだ・・・・・・」

 森の道で迷う子供に手を伸ばす。迷いばっかりで、間違いばっかりで、この旅で他国に頼りっぱなしの、今は微妙に存亡の危機の俺だけど、生まれて二百年少しの隣国に手を伸ばす。
 ・・・・・・仕方ないのだ、俺は森で子供が泣いているとちょっかいかけたくなる性分なのだ。北西三十四キロ先のブリテン島に住まう馬鹿野郎のせいだ。

「理由は三つ。さっき言ったように不可能だ。二つ、弟に頼られて、嫌がる兄貴なんかいねーよ。だからお前が必要としている限りプロイセンは幸せでしかない。三つ、俺がそう思ってるから・・・・・・ほら俺千年は生きてるからさ、お前達がそんな歪な関係だったら気がついているって」

 きっとこの兄弟は、本当に神様の気まぐれで今を共に生きている。俺は彼らをそう認識していた、たぶん世界のみんなも。もしかしたらそれはいつか、再び気まぐれに終わりがくることかもしれない。でもドイツの言っているような誰かの願望で無理やり延命させられているとは全く感じない。プロイセンは今を有限と感じながらも、彼自身の運命で生きている―ーそうちゃんと生きているのだ。

「・・・・・・本当に、そう感じるか?お前なら本当にこれが兄さんを苦しめているか、分かるのか?」
「ああ、絶対分かる。人生、国生千年声なめんなよ」

 本当の自信なんかない、けど当然のようにそう言った。精一杯の強がりだ、だから安心して欲しい。・・・・・・ジョッキを彼に向けると一分待たされる。しかし彼はようやく遠い目をやめて自分のジョッキを俺のものにぶつけた。澄んだガラスの音。

「しかし本来は国は誰も一人で、それそれの領域を見守るものだろう?」
「そんなこと誰が決めた。俺たちは確かにメインの存在じゃない、誰しも人の運命に過剰に干渉しないように、良い船や穏やかな背景であろうとしたい。それは当然だーーただなそれがいつも一人じゃなきゃならないなんて誰が決めた」

 ドイツは幼さが抜け始めていた、妙に老成した空気も消え始めていた。そこには明るいブロンドとブルーアイの堅物そうな青年がいるだけだった。

「でもみんなはこういう同居のようなことはまれにしか・・・・・・それも同盟関係の時くらいで。あの人は本当はもう、死んだはずで」
「千年も生きていないくせに悟ろうとするんじゃねーって・・・・・・そうだな、きっと永遠には傍にいてくれないだろう」

 固められた髪をわちゃわちゃ撫でてやる。

「でもな、きっといつか終わる時が来てもお前とプロイセンの時間は消えたりしない。そしてそれはお前達二人にとって幸福なものだ。理由は俺が愛の国で、お前より長生きのヨーロッパの古参だから」
「・・・・・・理由になってないではないか。なにを年齢とか俺たちには関係のない概念を・・・・・・だいたい恋なんかしないと言った口で何が愛の国だ」
「いやいやそれでも愛が世界一って分かるから愛の国なんだよ~。とにかくいつものお前とプロイセン見てれば分かる。あいつはお前の側にいてすっげー楽しいんだ。年の功で分かる、絶対そうだ。強いて言えばお前が悩んでる事だけが不幸っぽい要素だ。これからたまには話を聞いてやるからさ・・・・・・楽しめよ、今を」

 いつか失われるかもしれない時を謳歌して欲しい・・・・・・変だな。自分が出来ないことをこんなに望むなんて。でも本当にそう思っているから許して欲しい。

「・・・・・・本当にそう思うか?」

 肩を落とす青年に肩を組んでやる。スキンシップを肘で軽く遠ざけられるが構わないでさっきの子守歌のメロディを歌う。疲れていたのだろう、脇腹に肘を突きつけられつつ、彼がうとうとしていることが分かる。

 うとうとと机にもたれる彼を支えるとだんだんいつもの愚痴が出てきた。肩をたたいて、相槌をうってやる。

「一体、何時になったら東西の問題は解決するんだ」
「お前なら出来るって、俺が言うのも腹立つだろうけど」
「欧州連合が纏まらない」
「お前なら出来るって、俺も手伝うから」
「格差が移民が、人の心の壁が埋まらない。手を取り合うべきもの同士がお互いを恐れてしまう、本当にどうにかなるのだろうか」
「お前なら出来るって、二百年も生きていないのに諦めるなよ」

 酔っぱらいの頭を撫でてやる。・・・・・・ずっと眠れなかったんだろう。幼子のように巨漢の青年が無邪気に眠った。
 年相応な寝顔に俺こそほっとしてまった。

「・・・・・・まだいかないでくれ、兄さん」
「ばーか、大丈夫だって」

 それをこの旅で証明できればいいのだけれど。俺は半ば眠っているドイツの閉じた瞼の端に涙を見つけたけど、拭うことはしなかった。・・・・・・きっと目を覚まして、隠そうとするだろう。
 変な俺たちを理解できるのは俺たちだけかもしれない。

「ドイツ、俺きっとうまくこの旅乗り切るからさ」

 でももしかしたら、だからこそ出来ることもあるのかもしれない。気持ちを理解できるのかもしれない。
 ドッペルに、消されるかもしれないけど。でももしなんとかできたのなら希望を捨てたくない。

「お前が兄貴とうまく・・・・・・これからも楽しくやっていられるように、俺が不安くらいなら聞いてやるから元気出せ」
「兄さん・・・・・・」

 もう完全に眠っている。ぽんぽんと頭を撫でる。

「世界のお兄さんが助けてやるから、ガキは酔っぱらって寝てろ」

 聞こえたのだろうか、そういうと髪を下ろした彼は顔を緩ませた。悪夢を見た子供が温もりに安らいで眠る。悪夢にうなされた子供に毛布を取りにいってやらないとな。・・・・・・そういうのは年上の役目だろう?








 翌朝、書斎に突っ伏して寝ているとドイツが起きろと肩を揺らした。
 差し出された茶に、今日はどんなハーブティーかと、半ば見ず香りで察しようするとそれはカフェオレだった。

「フランスと言えば朝はこれだろう、俺も真似くらいはできる」

 ぴしゃりとした服装に着替えたドイツはいつもの真面目すぎる堅のように見えた。昨日泣きながら寝ていた様子は消えていた。うーん、どう接しようか。とりあえずおはようとカフェオレをありがたくいただくと尋ねる。

「そういえば、プロイセンは大丈夫なの?なんかイギリスと戦ってたみたいだけど」

 さっきまでの余裕の態度はどこへやら。ドイツはどんがらがっしゃんとトレイと本棚を巻き込んで派手に転んだ。

「ちょっとちょっと、どうしちゃったのよ?」
「ええい、触るな!・・・・・・き、昨日俺は何か言ったか?」

 耳まで赤くなり、目をそらされる。照れていると理解するまで約一分、理解して俺はいつものフランスらしく、兄貴分ぶってみることにした。

 といっても、イギリスのせいで俺の兄貴ぶりたがる方向性はおちょくりになってしまう。まあ全部あいつのせいなので許してほしい。

「えー、俺は見てないよ?ドイツがお気に入りの熊のヌイグルミがなくて寂しがってた所なんて」
「な、なんだと!?そんな寝言を・・・・・・いや、そっちだったか」

 安堵と不安と同様でドイツの心は忙しい。それを見て俺はさらにからかい、ドイツは真面目に突っ込みを入れた。こんなに楽しい朝は久しぶりでつい尻の一つも触ろうとすると腕を捻りあげられた。

「あいたたた!ちょ、痛いって!ギブギブ!」
「ええい!昨日殴られた分だ!・・・・・・全く、その内殴り返すからな」

 手を離されるとき、ふと「ありがとう」という言葉が耳を掠めた気がした。

「ふっふふー、ドイツもだんだん俺の偉大さが理解できてきたかな?」
「ガソリン代に加え、治療費と諸々も請求書に追加させてもらっても構わんと言うことだな」
「じょ、冗談だろ?」
「さて冗談か本気か、その千年以上生きた頭で考えてみることだな・・・・・・兄貴のことだが明日うちに帰ってくるらしい」
「そっか」

 イギリスのことは聞かなかった。今はこの家でゲルマン兄弟がのんびりする朝の想像でしばらく遊んでいたい。

「なにを笑っている」
「笑顔はお兄さんのデフォルトでしょ~、ああそうだ。なんか悩んだら、俺に言えよ」
「・・・・・・昨日は、本当は俺は」
「ハーブティーでもカフェオレでも、紅茶でも好きなもん淹れて、若造の悩みくらい聞いてやるよ」
「・・・・・・いや、まあいい。ふん、おまえに話すことなどないが・・・・・・申し出はせいぜい利用させてもらう」

 そんな朝日の中でもバレバレなくらい顔を真っ赤に染められるともっとおちょくりたくなる。三十秒後、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけセクハラしようとした俺にドイツの拳に直撃した。







 ベルリンからモスクワへの旅は一人旅になった。
 パリからずっと騒がしかったので、寂しくないと言えば嘘になる。しかし今までを振り返るには良い機会だった。

(たった三ヶ月の記憶、消されても仕方ないとも考えたこともあったけど、やっぱり
こんな記憶をなくしたくないな)

 一人旅はドイツには心配されたが、オーストリアはツケでモスクワまでの道のりを手配してくれた。電車の旅なのだからそんなに心配をする必要はないのだけど、ドイツの馬鹿は真剣に「血を吐かないよう胃に包帯か何か巻いた方が」と恐ろしい心配の仕方をしていた。

(ドイツ、なんか落ち着いてたな)

 若者の心が安らかなことは良いことだ・・・・・・さてまた相談に乗ってやらないとな。

 国際線を乗り継いで、ベルリンからモスクワまで鉄道で数日。ポーランドからロシアへの国境はすでに越えている。あっといい間で、百年前の移動報道を思い苦笑する。鉄道はまだまだ新しい世界だったというのに。

 全くいつでも世の中は進歩が早い。ここからは欧州連合じゃないから、パスポートの提示は必要だけど。

 視界は真っ白だった。ロシアは地中海に面した俺はやはり寒い。というか痛い。まばたきでシャーベットできそう。世界が進歩しても眼球を冷やす冷気は手で暖めるか暖房の利いた屋内に籠もるしかない。

「さっみいなあ」

 それでも便利になった乗り換えの連絡駅の一つ。ロシアが電話でフォローしてくれてなければ、もっと時間がかかっただろう。次の駅で待っているそうだから、待たせないようにしないと。
 ホームで待ちぼうけしてオーストリアが旅の楽しみにとくれた焼き菓子を小箱から取り出して食べる。ヘーゼルナッツの香りが楽しい。

(あれからドッペル出てないな)

 しかし奴から渡された砂時計は変わらず俺の手のある。
 あれからも金槌で破壊する(無傷)、川に投げ捨てる(すぐ戻ってきた)、駅に置き去りにする(足下に戻ってきたので転んだ)、などなどいろんな方法で捨てようとしてきたのだが結局は帰ってくる。

「げ」

 見れば最初は上の方に少しだけ溜まっていた砂が増えている。重力に逆らって上へ上へと白金の砂がこぼれていく。四分の一ほど溜まっている有様に冷や汗が出た。

 これが一杯になったら俺はここ三ヶ月の記憶を消されるとドッペルは言った。・・・・・・ドイツの相談に乗ると言った記憶も、消える。それではあいつとの約束を果たせない。イタリアや、スペインやプロイセン、彼らとの妙な珍道中も消える。

「もっとゆっくり増えろよ・・・・・・ん?」

 気配を感じて、砂時計を懐にしまう。雪が降っていて、周囲は白い。まるでたった一人でホームに立っているようだ。

 そんな時、彼がきた。・・・・・・予感はあった。


「・・・・・・イギリス」
「フランス」


 彼のことは見なくても、よく分かる。・・・・・・全く、プロイセンとどんな格闘をしてきたのやら。ちょっとだけ右腕が痛そうだ。

 白く霞む視界。春のロシアはまだ白い。その中でイギリスは真っ黒で分厚い防寒具を着て、同じホームに立っていた。

 変なものを手に持っていた。幸い軽い吹雪で顔が見えないのでいきなり吐血はしない。

(どうしてこいつは俺を追いかけてくるんだろう)

 そしてどうしてそれを、どこか望んでしまうんだろう。彼が俺を忘れていないことがうれしいなんて。

 何を言うべきか分からず、まずその姿の感想を言った。

「・・・・・・何だよ、その変なカッコ」
「うるせー、ロシアは寒いんだよ。お前だって同じ格好だろ」
「そうじゃなくて、手に何持ってるの」
「ロングボウ」

 百年戦争じゃあるまいしと返事をする。返事をした、会話が出来た。俺はイギリスを「克服」できた・・・・・・?

「ほら、克服できると楽だろう?」
「・・・・・・っ」

 突然悪魔がささやいた。耳元でドッペルが囁く。同化し始めているのか?と手元の砂時計を見ると三分の一の砂が貯まっていた。

(いやだ、このままこの旅やイギリスの記憶の一部を消されたくない。ドイツの相談にものってやれない)

 手先で追い払うとドッペルは素直に霞と消えた。その途端に臓器が痛み、口の中に血があふれる。彼が今ここにいることより、失うことの恐怖が先立つ。イギリスにまだ追いつかれるワケにいかないんだ。

 いつか彼と話をしないとならないことは分かっている。けど今ではない、今ではいけない。だからイギリスに帰るよう言わないと。

「こんなところまで、追いかけてくるなんて。もう少し距離離せよ」
「うっせー、俺とお前の距離は陸上でなら約三十四キロメートル。国境上なら0メートルだ。お前が逃げようが俺との距離は一切変わってねえよ」
「・・・・・・事情がある、いつかお前にも言う。だから今は何も言わないで帰ってくれ」

 イギリスはロングボウに矢を携え、俺に向けた。いや違う、俺の真横を狙っている。何度も狙われたから分かるいやな確信だ。

「腕は鈍ってないからな」

 イギリスはそういって矢を撃った。流石に矢が飛ぶ瞬間は目をつぶる。目を開くと彼はすでにそこにいなかった。

「ドイツとオーストリアに話は聞いた」

 周囲を見回すが無人のホームが孤独にあるだけだった。線路の向こうだろうか、ホームの向こうだろうか。彼の声はだんだんと遠ざかっていった。


「もう俺はお前は追わない、じゃあな・・・・・・フランス」


 そう言ってイギリスは姿を消した。白銀の世界に防寒具の黒の影すら見えない。見れば辛いのに、俺は彼がいないことを寂しく思う。

 そして俺の横三メートルきっかりにさっき放たれた矢を見つけた。アンティークな形の矢には手紙が括りつけられていた。


「矢文なんて百年戦争かっての・・・・・・言いたいことがあるなら口で言えよ」


 イギリスについて語るとき俺の口は天の邪鬼だ。きっとあいつのせいだとホームにひざを突く。懐かしく、愛おしく、俺は矢を大事に懐に抱き寄せ、手紙に触れた。




つづく




あとがき

「この世界には変な奴らがいる。
短いと数日、長いと何百年を生きて、ある日パタッと消えてしまったり、名前も人格も変わったり、どこかの誰かのふとした思いつきで突然現れたり。
この上なく変な存在なのにゆるーく普通に受け入れられてて、そして上司からはこき使われる。
これはそんな変な奴らのお話。」 ヘタリア world☆stars 第一話 一ページより

 ジャンププラスのヘタリア一巻の冒頭に国のみんなはいきなり消えたりするよ~、と書いてあった衝撃。

 久々なのでちょっと分量多めになり、ベルリン編は前後編となりました。
 ヘタリアで歴史調べるの楽しいです。でも同時にこれをすべて彼らに適用したら個人の人格とか保てないかなあと思って長くなってしまいました。

 政治も経済も文化も国民国土の気質も、一つの人物にすると大変そう。どこまでが彼らでそうでないか、考えているうちに長くなってしまいました。

 次はろっさま編です、そろそろ旅は終わりです。


間違っているかもしれない豆知識


ベルリンの壁の痕

 観光サイトによるとベルリンは四つの見所があるそうです。冷戦後の現代建築、ベルリンの壁関連施設、プロイセン時代の昔の城、さらにその頃からの博物館美術館。みたいな区分けらしいです。ていうかベルリンがプロイセンの首都だったってマジですか・・・・・・(無知)。

 ベルリンの壁の痕は今も保存されているそうです。壁の位置を白線で残したり、壁自体をアートにしたりと様々な形で東西ドイツの過去を残しているようです。時の有力者のぶっちゅーシーンもあります(友好の証です)。
 あと近くに日本から送られた桜が並木になっているようです。あまり描写できませんでしたが、ベルリンに関してはドイツ大使館サイトとニコニコ海外旅行動画のみなさんにお世話になりました。


ピアノ・・・・・・ピアノをはじめとする楽器は当然高度な技術で作られるものです。作中に出てきたベーゼンドルファーに加えて、スタインウェイ、ベヒシュタインがピアノの世界三台ブランドです。ペトロフはチェコピアノで、検索したサイトの一般家庭向けおすすめを選んでみました。
 しかし、高価ですごい技術使っていることは知っていますが「ファツィオリ・イタリア製のピアノ。三十五人の職人さんが三年の月日をかけて作ります」とか書いてあるとなんか気が遠くなる気がしてきました。


2015/08/13



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