「へっくしっ!あーさみっ!」

 春とはいえ海上で数日過ごすと寒い。分かってはいるのだがイギリスは船内ではなく、空の見えるデッキでずっと過ごしていた。海で見る青空も夕焼けも星空も、みな陸地とは違う色がついていた。

(まあ、昔海ばっかりだった時代を思い出すからだけかもな)

 つまりはセンチメンタルになっているだけ、しかしそれで世界が新鮮で美しいものに見えるなら感傷とはすばらしいではないか。毛布を三枚かぶりながら一人ぼっちで自分のアイデアを自画自賛する、ここの所調子が出なかったのだ、大目に見てほしい。

「それもこれもあのクソ髭のせいだ」

 といってもイギリスもフランスがいないせいで無意味なことをしているのだから、あまり人のことはいない。しかし棚上げにして、やはりあの髭のせいだといつものように文句をいうとなぜか安心した。

 そして不意に記憶からこぼれて思い出す出来事、数ヶ月間のことだっけ? 確か世界会議の後のバーへの直行コースでのことだ。



…………


 いつものようにばーか!まゆげ!とくだらないやり取りをしていた――のだが、なんだか調子が出ず、夕暮れの空を見上げた。なぜか過去のことばかり思い出され、胸がしくしくと悲しみを訴えた。
大航海時代、沢山の王と女王、産業革命、先の大戦……たちどまって無言で突っ立っていたのに待っていたフランス。

 不思議そうな彼に尋ねた――実の所、彼にはずっとしてみたい質問があったのだ。

「なんで俺たち人間の形してんだろうな?」
「ははは、お前いつからそんな高尚なこと考えるようになったんだ」

 高尚か、否定はしない。

「我々はどこから来てどこへ行くのか、は国境問わず人間がいつも持ち続ける思想だ。なら俺たちがそう思うのは自然なことじゃないか」
「おうおう、引用なんて百年早い。そういうのは哲学者がちゃんと考えてくれるさ、俺たちより優秀に、俺たちのここでな」

 額を指さしてくる、とんとんと軽い音。目の前で金髪の男が夕闇に陰射されていた。そのせいか表情はうまく見えない。

「でも今ここにいる意味を問い続けるばかりなんて愚かだと思わないか?」

 彼はきっと、その事を考えたくないと昔苦く経験しているのだ。苦い顔をしている、見えずともそう確信した。

「なら」

 額の指は払わずに、頬に触れた。人差し指と中指の先、触れた頬は冷えていた。もう寒い時間だ、だから彼に質問するのはこれが最後だ。

「お前は一度もそう思った事がないほど、賢明だったのか?」
「・・・・・・坊ちゃん、冷えてきた。帰ろうよ」

 それ以上はお互い何もいわず、藍色の空に明かりが灯り始めた街へと帰った。


 …………


 今の空の色は、海の上でだけど、その時の色に似ている気がした。--そんなセンチメンタルな思い出。けれどすっかり避けられている今は暗い海で見上げる星々の様に手の届かない確かなことのように思えた。
 ……彼がいないとさびしい、と思うにはあまりに身近すぎた。ただかつてない寒さを感じる……フランスのいない世界はとても静かだ。
 
「さっみいなあ・・・・・・ん?」

 そういえばあの後に急に彼は避け始めたのではなかったっけ? まあ、それは関係ないか。









「 お兄さんはお隣さんにお悩みです 9 」













「紅茶といえばイギリスくん、と言われてるのは僕は不服だなあ。僕の家の消費量もそんなに変わらないのに」

 ぷうと頬を膨らませつつも鮮やかな一連の動作はロシア紅茶の伝統的な淹れ方。銀色の装置の表面のひまわりの模様が美しい。ロシア長年愛用のサモワールの中心の穴には木炭が放られ、雪解け水が注がれる。火が灯ると上蓋が閉じられ、紅茶を入れたケトルが置かれる。

 それはいいんだけど。

「ロシアー、俺もう包丁持つ手が震えてきてるんだけど・・・・・・ほら皮を剥くペースに陰りがさ」

 熟練した動作にはつい見惚れたが、大量の果物に囲まれた現状は腑に落ちない。

「神様、なぜ俺は大量の果物を剥いては刻み、剥いては刻みを二時間続けてるのでしょうか?」
「そんなの冬の準備に決まってるじゃない。ジャムを作らないとロシアの冬が越せないよ」
「モスクワもペテルブルクも春だったじゃん。マジでお兄さんは地球のどのあたりで籠三つ分の果物刻んでるの? しかもさっきスマートフォン見たら、GPSがモスクワの駅前だったんだけど!?さっき雪原の真ん中だったじゃん!」
「あー!? フランス君、ここの皮の剥き方分厚い! これじゃジャムが減っちゃうよ。この前お姉ちゃんとベラルーシが大量消費して帰ったから追加しなきゃならないのに」
「はいはい、兄弟姉妹で仲良くて良かったねっと……んで、おれはこれをどんなレシピ煮ればいいの? ちゃんとお前等の流儀にあわせるからさ」
「フランス君のそういう料理に妥協しない姿勢好きー。観光料割り引きするね」
「そういうとこだけイタリアといいドイツと一緒でさ。金勘定ばっかり」
「大人だもん、ただ働きなんてしないよ。ギブアンドテイクでしょ?」

 世界の真理がきっぱり告げられ、パリにおいてきた口座の残高が忍ばれる。くっそ、そんな時だけ英語なんて使っちゃってさ。

 指定通り果物一キロに砂糖一キロでことこと煮ていく。終わると鍋をガラス瓶に傾けを繰り返す。なんとなく無言で二人で詰めて封をしていく作業が妙に心地いい、自宅でよくやるのだ。ブルーベリーは真っ青、赤いベリー類は濃い赤や明るい赤がルビーのよう。森で採ってきたという果物三籠は十個のガラス瓶のジャム、ロシアではヴァレーニエ、は美しく光っている。

「はい、大人の喜びこと労働分のご褒美。お茶の時間だよ。元気になって良かったね」
「へ?」
「さっきは永久凍土みたいな顔してるから、考えるより手を動かした方がいいかな~って」

 アメジスト色の瞳が甘やかすように優しい、もしやベラルーシってこんな気持ちなんだろうか?と品のいいカップを受け取る。サモワールは随分前に火をつけたから普通蒸発してるはずなのだが、上のケトルは丁度良い濃さ。魔法だろうかとサモワールの下のコックをひねるとこれまた丁度いい熱湯が濃く淹れられた紅茶に注がれていく。

「あったかいなー。さすが伝統の知恵」
「この前、お姉ちゃんやベラルーシもそんなこと言ってたよ。サモワールを家族で囲むと幸せな気持ちになれるよね」

 曰く、姉はパンとピロシキを持ってきて妹は菓子を持ってきてくれた、だからお茶とジャムと食事をがんばったとのこと。妹苦手じゃなかった?と訪ねると姉が一緒ならなんとか・・・・・・と青い顔。なんだかんだと一緒にいることは幸せなんだなあと眉毛四兄弟を思い出す。
 こいつ意外と姉妹に距離が出来たらイギリスみたいにわーわー泣きわめくんじゃないだろうかと不穏な思考。

「んー、何か失礼なこと考えてない?」
「いやいやいや、何も欧州に紅茶が伝来したのも昔だなあと」
「君たちは海から伝わったんだっけ、僕は大陸経由だから不思議な感じ」

 白木のテーブルに白い皿が二つ。俺の皿の上には三つの小振りのスプーンが並んで金色に光っている。手前から砂糖の欠片、赤いジャム、はちみつ。ロシアのロシアンティーはこういうものらしい、備え付けた砂糖の欠片を口に含みながら飲む。しかし、日本とイギリスではなぜロシアンティーが違うイメージなんだろう?島国だから?
 あ、やっぱりイギリスの淹れたやつとは違う感じ。アイスティーに不機嫌になるイギリスならどんな風に飲むんだろう?と俺は伝統に則って茶を飲む。

「中国君と・・・・・・いや中国君に昔教えてもらったんだ」
「そっか、俺たちはオランダやポルトガル経由かな」

 あまりモンゴルの事は思い出したくないのだろう。器の中身を飲み干すスピードが上がってる。

「もう伝統で実用じゃないんだけどね、リプトンのティーバックが主流だし、こんな時イギリス君にはやられたなあって感じるよ」
「そんなあいつもアメリカには合理主義ばっかりで~とかいうんだよね、お前が震源地だろうっつの」
「サモワールも廃れちゃったもんね、電気ケトルのせいとは言わないけどさ。ティファールのせいとは」
「う、うちの企業悪くないもん」

 まあ昔だってやむえずやっていただけのこと。それがいつの間にか習慣となり、技術の進歩とともに手順の多い面倒なものとなり、やがて実生活とは切り離された伝統として保管されていく。

「さてジャムも出来たし、お茶も飲んだし、未来の話をしようか」
「未来?」

 ロシアがテーブルに広げたのは世界地図だった。これからどこへ行くか考えよう、ということらしい。そういえば逃げるの必要はないので東へ東へと逃げる必要もない。

 オーロラみようよー、とロシアの指先はロシアの北のエリアをゆらゆらと動き……急に横に逸れてヨーロッパの端の島国を指差した。呼吸が十秒きっかり止まる。隣の自分の家を直視も出来ない。

「……そんな変な形の島、どうでもいいだろ」
「君が今でもうじうじしてる元凶ってイギリス君なんだよね?」

 がたがたと窓を風が殴る。静かだったのにまた吹雪だろうか。まるで俺たちの心を反映しているように天候は荒れていく。

「それってどうやって逃げるものなの? 君はイギリス君本人から逃げてきたみたいだけど、なんか無駄な気がするんだ」
「・・・・・・」
「だって、君さっき倒れたじゃない。彼がもう追ってこないって分かってもそれなら意味ないよ」







 三時間前のことだ。
 俺はドッペルゲンガーとロシアの対決?を見て、安心と呆然と共にロシアのダーチャに到着した。

 そして玄関から室内へと歩を進めると、即座に血を吐いて倒れた。

「フランス君?――ちょっとどうしたのっ?」

 珍しく動揺した声、絨毯を血で汚したことを謝ろうとしたが声がでない。身体を揺する手の温かさが苦しい、僅かな振動でまた内臓から液体が溢れてくる。--またなのか。

(なんでこんな事ばかり繰り返すんだ、結局迷惑かけちまうし、弱みばっかり見せて)

 脆くなった、弱くなった。脆弱になったーードイツがああも俺に気を遣ったのは、性格だけでなく俺自身がそう見えたからなのか。

 返事をしない俺をロシアはソファに運び、茶を淹れてくれた。木造の暖かい内装の天井を見上げながら、返事が出来たのは三十分後だった。

「ごめん、また迷惑かけちまった」
「・・・・・・君、そんなに悪かったの? 血なんて吐くなら最初に言ってよ、だったら僕も観光なんて」
「俺が悪い、お前は悪くない」
「・・・・・・変なところで、お姉ちゃんみたいだね、君」

 ロシアはそれ以上は追求しなかった。そしてようやく動けるようになり、さっきの血の後の始末をしようとしたら軽くはたかれた。そして問答無用でジャム作りに連行されて、今に至る。
 こっそり絨毯を確認すると魔法のように消えていた。一リットルは血だまりが出来ていたはずなのだが。

「もう一度聞くけど、なんで言ってくれなかったの。正直あのまま死んじゃうかと思ったよ。・・・・・・フランス国家が通常なのに君に異変が起きるなんて」

 地図上のイギリスを指差したままドッペルみたいな事をいう。でも真剣に心配されている。

「・・・・・・ロシア、俺どんなだった?」
「顔が真っ白で唇は真っ青、身体も冷たくて、そんな事はないと知っていても死んじゃうかと思った」
「さっき俺の幻影みたって言っただろ? 俺も見ちゃってさ・・・・・・もしあれがドッペルゲンガーなら、俺死んじまうのかなあ」
「・・・・・・そんなの、迷信だよ。僕たちは滅多に死んだりしない」

 恐ろしかっただろう。俺たちは死が嫌いだ、人間にはあっという間に置いて逝かれるけど、だからこそ置いて逝かれない対象の化身の死は慣れない。

「でもさ、突然消えたりするじゃん。建国したと思ったら消えたり人格変わったり基盤となって新しくなったり・・・・・・俺もそうなのかも」
「だから、死なないって」
「変だよな、国のみんなはなんとか暮らしてて今は戦乱も少ない。俺は彼らの鏡の一つなのに、ヨーロッパを離れて遠くまできちまった。隣の奴がいつか死ぬのがいやだとか、意味不明な理由で」
「フランス君は消えたりなんかしないよ」
「どうしたらこの旅が終わるのか、ちっとも分からない。いっそ・・・・・・あいつの言うとおり消えちまった方がいいのかな」

 ドイツ、悪い……と思った瞬間、ばしん!と視界が吹き飛んだ、椅子から床に叩きつけられる。痛みというよりはひりひりした。
 
「そんな弱気な君なんて嫌いだよ、さっき僕に自分たちに自由はあるって言ってた強気はどうしたの?フランス君はいつも自分が一番で当然って顔してる図々しい人でしょ」

 傲慢でない俺は見るに耐えない、と悲しい声音。平手で殴られたと気がつく、が起き上がる気力もない。

「ぼろぼろのときもこんなのはポーズだって余裕ぶる人でしょ……君はまるで自分が嫌いみたいだ」
「ははは……俺ってやなやつだったんだな」

(そうかもしれない、俺は今の自分がそんなに好きじゃない)

 そもそもどうして少し前まではあんなに自分が好きだったんだろうなあ。

 襟首を掴まれ片手で宙に持ち上げられる。借りたセーターが伸びてしまうと場違いな心配をするとソファに投げつけられた。けほと咳をするが今度は血は炸裂しなかった。
 ひゅっと喉元に手刀の切っ先がめり込んだ。動くなということらしい。

「帰ることも行くことも苦しさを覚える元凶ってイギリス君なんだよね?」

 なんとも言葉を紡ぐ術が見つからず、目を伏せて肯定した。かけられた言葉は意外なほど落ち着いていた。焦る熱も軽蔑の冷たさもない。ただ静かに答えを求めていた。

「イギリス君って君にとって何なの? 国を吐血させる新兵器?」
「イタリアにも聞かれた、でも分からない」
「今まで彼が死ぬと思ったことなかったの? 殺してやろうって思ったことないの?」
「・・・・・・あるさ、いくらでも」

 けれど、この旅で気がついたことがある。

「でもさ、どこか本気じゃなかった。あいつは死なないで、永遠に北西で目障りなことばっかりしてると思ってた」
「・・・・・・」
「あいつに初めて会ったのは、本当にガキの頃でさ。すぐに可愛くなくなって、目障りになって強くなって、時には俺を追い越しかけて。
 正直あいつについて真面目に考えた事がない。空気や水を何故必要か、空が青くて夕方が赤いのは何故なのか、そんな感じ。考えることといえば次どうやったら倒せるか、どうやったら出し抜けるか、どうやったら置いて行かれないか。あいつは俺の絶対の障壁だった」
「だった、なら今は?」
「何を言っても違う気がして、お隣さんくらいありのままにしか捉えられないんだ。百年戦争の時も大航海時代も、ナポ公の時も二十世紀も・・・・・・あいつは負けたことがないんだ。馬鹿みたいな理由だけど、あいつの歴史自体が俺にはなにか・・・・・・絶対に揺るぎないものだと」

 イギリス、イングランドという国は負けたことがない。間接的に、諦めて、内側で、実質負けの形をとったことはある。けれど本土を侵されたことはなく、苦境でも意地で膝をつかなかった。イギリスは決して消えない、俺がぶん殴ろうと孤立しようともっと大きな争いの真ん中にいても――それを間近に見て確かなものだと信じてしまってた。

「だから消える可能性なんて連想させただけで信じられなかった。俺が殺しても死なないことがイギリスの定義……だった」

 だがそれは錯覚だ――そんな連想をさせただけでひどい裏切りだと思った。決して倒れない敵、死なない隣人、それが俺のイギリスという存在の定義だった。
 それを否定したあいつが許せない。俺から長い時間の流れの中で、確かなものを奪った。

「俺はあいつが分からなくなった。いつか死んじまうなんて思わせた、それだけで俺にとってあいつは別人だった」
「殴ったら死ぬかもしれないからいやになった、て酷いね。僕もイギリス君が好きじゃないけどさ、あんまりだと思うよ。たくさん参考にしてきたりもしたくせに」
「近隣の影響を上手く取り入れて、成長することが国家の生存条件の一つだ」
「でも、君にとって彼は兄弟じゃないんだ」
「はっ、あいつなんざ願い下げだよ……千年近く前召使いにしてやろうと思って諦めたんだよ」

 違いすぎるから別の道を歩んだんだから。ロシアは向けた指先を引き、俺の拘束を解いた。

「ヨーロッパなんてめんどくさいもんさ、誰が兄弟とかフィーリングで違うなら絶対違うの」
「僕とお姉ちゃんとベラはそうなのになあ」
「違うもんは違うの、文化が政府か国民か、何が化けた姿か分からないんだから」
「・・・・・・僕のどこがロシアで、君のどこがフランスなんだろうね。ちゃんと僕はこの国の化けた身らしいかな。
 ロシア、意味はルーシの国、僕には兄弟がいる。でもねルーシの源であるルーシはお姉ちゃんのキエフにある。ベラルーシは白ルーシって意味だし、僕たちはそれで兄弟なんだ。でもね歴史の解釈によっては僕らは兄弟姉妹じゃないんだ」
「は?……でも、もうお前等は長い間そうだったろ」

 なら関係ないだろうと起き上がる。ロシアは空中に指で自分たちの国名を書いた。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ。
 そして学説を唱え始める。曰く、こういう歴史の流れでは同じ文化圏と言える、こういう流れでは兄弟国とは言えない。肩をすくめて、彼は苦笑した。

「君の言うとおり、今更って感じなんだ。僕ら兄弟だと思っていた時間の方が長いんだし、別の子を本当の兄弟だよっていわれてもぴんとこないよ。お姉ちゃんから教わったコサックキックはこれからもいじめっ子ぼこぼこりんだし」
「物騒な兄弟愛だね」
「いじめっこ後ろからぼこぼこぼこりん♪」
「怖いから歌うのやめて!」
「文句ならこの歌作った日本君にいってよ~」

 真上から見下ろす威圧的な姿勢のままで、とてもリラックスした表情がちぐはぐ。

「僕たちは人から見れば永遠に近い、だから初めてあった子は万能と間違うこともあるんだ。君もある?」
「・・・・・・あるな、最近ならずっと若いなんていいですねって美人の嫁さん持ちの兵士に言われた」
「国の守護者にはなれないし、そんな力もない。でも一般人とも違う。そしていつの世も世界は普通の人たちが回してる。僕たちの出番じゃない。出来ることは、見てること、そしてたまにお手伝いするだけ」

 後は自分の国の人々を世界で一番愛することだけ。

「だからすごい存在みたいに言われると不思議。きっと国の化身なんだろうなっては思うけど、誰かに教えてもらったわけじゃないし」
「気がついたらこんなでなんとなくそうしてるだけだしなあ、そうなんだろうって。俺らの正体なんてどんな説ならぴったりなのやら」
「1、実はファンタジーの生物説。2、実は宇宙人のスパイロボ説。3、ただのジョーク説」
「2はなんかヤダー、1もちょっと違うような」
「じゃあ3で」
「それはさすがにないでしょ」
「そうかなあ、誰かのジョークが形になっただけと言われた方がぴぴっとくる気もするよ。ニューヨークにいるアジア人が本やジョークサイトを見て思いついた、とかが案外元ネタだったりして」
「ははは、やたら具体的な思いつきだな」
「うふふ、でも元の出自なんて僕にはその程度のものだ。お姉ちゃんとベラルーシはボクの兄弟なんだよ、間違ってるかもしれないけど」

 生まれた以上その先は自由だ……いい加減で無力で、見守るだけの俺たちだから、どう思うかの自由だけはある。

「僕からみればイギリス君と君だって兄弟と言えばそうだし、他人と言えばそう見えるよ。君が感じたことをどう決めることだ。お隣同士で喧嘩もして、でもしょっちゅう行き来があって言葉も似ていたり」
「・・・・・・近いからって大げさだよ」
「僕は姉さんとベラルーシが好きだよ。三人であったかく暮らしたい、流れ次第で敵になるかもしれなくても、その願いが嘘だとは思わない」

 通り過ぎた時間は帰らない。過去は積み重なって、現在となり、鎖を引きずるように俺たちを未来へと引っ張っていく。

「ただ、あくまでもしもの例えだけど、僕らがエスニックジョークなら、僕たちは自国だけでは成立しない」
「え、なんで?」
「だってその手のジョークやことわざは自国だけは生まれないでしょ。他国に住んだり、いろんな人種が混じったり、そういう中で「この国の人たちってこうだね」と思って始まる。文化の摩擦ってやつ? 自分だけでは成立しない国民性の再発見とでもいうのかなーー誰かが誰かが折り重なって新しい共通点が見える」

 俺が見ているロシア、ロシアが見ている俺。
 イギリスが見たフランス、フランスが見たイギリス。
 そんなものが折り重なって、出来るもの。自己と他者で成立するもの。そこから広がるイメージ。

「自国自身のイメージと他国からのイメージ、それで僕たちはできている・・・・・・かもね」
「・・・・・・エスニックジョーク説が真実ならな」

 まあそんな事は絶対ないだろうと二人で笑う、人がそんなこと言い出すより昔からいたしと。おかしくておかしくて、涙がこぼれる。そしてイギリスは俺にとってもっとも身近な他者だ。

「自分の家と周りの家のイメージで出来てるなんて、そんなんだったら俺の一部絶対あいつじゃん。その説は却下」
「うーん、僕もそれはいやかな。でもそれだよ」
「なにが?」

 自分からは逃げられないと極北の男は笑う。ソファから起こされ、もう一杯のお茶を差し出される。

「君は結局イギリス君本人じゃなくて、君の中の彼のイメージから逃げたいんでしょってこと。でもそれは不可能だ、宇宙に逃げても逃げられない」





 そして会話は自然と立ち消えになった。ぼんやりとこれからの行き先を決める地図を見下ろす。

「ねえ、僕がなんとかしてあげるよ」
「はは、慰めてでもくれるのか?」

 朝焼けのような紫の瞳から光が消える。ロシアはじいと何もない宙を。
 いやーー宙に浮かぶもう一人の俺を確かに見ていた。

「君は邪魔だよ、もう一人のフランスくん」
「……っ!?」

 自分と同じ声の声なき悲鳴。曇った窓に文字を書く気軽さで宙に出現したもう一人の俺の姿をなぞった。次の瞬間ドッペルを霜が覆い、全身が白く凍り付いた。さっきの人知れぬ笑みのまま奴は氷像となった。

「ロ、ロシア、やっぱりお前そいつが見えているのか。いや、そうじゃない、お前どうやって!?」
「黙ってて、すぐ終わるから」

 砕け散る分身の姿に棒立ちになった。すると警戒した表情の分身がロシアの傍らに再生された。奴は首を軽く叩いて、霜を取り除いている。
 ロシアと言えばサモワールに霜がついてご立腹のようだった。頬を膨らませる程度だが。

「相変わらず、不思議な奴だな。これは「フランス」の問題だ。お前が関わることじゃないだろう?」
「やだなあ、友人は選びなさいって格言があるでしょ?君とこっちのフランスくんなら僕は君の方がイヤだよ」
「俺とこいつはほぼ同じだ。選んでもらうほど異なる存在じゃ・・・・・・うわ!?」
「えー。そんな複雑な話じゃないよ。迷っている程度の矛盾も飲み込めないような面白味もない存在に成り下がってほしくない、ってだけ」

 霜の刃が放たれる。昔は君たちに結構憧れてたんだよ、一応はヨーロッパの大国なんでしょ。そんな世間話をするように氷で部屋全体を閉ざしていた。ドッペルゲンガーは飛んで逃げようとするが、ダーチャ自体が白く凍りそれ自体が結界のようになっているらしく、天井から弾かれ果たせない。

 再び天井に逃げようとして弾かれたそいつの足をロシアは掴んだ。

「君が現れなくてもどうにかなるよ。臆病な予防策なんて、僕の目の前で許すと思う?」
「・・・・・・お前に予想外の力があったことは認める。けど俺の本体はヨーロッパにある。フランスにある。
 その陰だけ消しても、無意味だ。俺はそいつに苦悩する限り現れる防御システムだ。必要とされる限り現れる。一時的に消しても無駄だ」
「無駄かどうかは君の決めることじゃないよ」

 はにかんだ柔らかな笑みをロシアは浮かべる。その両腕から白い蛇が延びている。やがてそれは氷の牙や鱗を持ち東洋の龍の姿になる。鋭い牙にドッペルは再び一歩退き――俺にその足を掴まれた。
 ドッペルゲンガーを慌てたが負けずに捕まえる、倒すなら今が千載一遇!

「・・・・・・はなせ!」
「う、うっさい!このままやられちまえ」
「ちょっと二人でちょろちょろ動かないでよ、まとめてやっちゃいそうだ」

 氷の声に逃げる影の足を必死に掴む。
 すると奴はアイスブルーの瞳に怒りをにじませて、俺の額に触れた。瞬間、世界が真っ黒に塗りつぶされるーー。

(しまった、逆にやられる!)

 しかし、やられなかった。ダーチャが映る視界が真っ暗になる。ロシアもあいつも自分自身さえ見えない。
 代わりに聞こえてきたのは自分の声、そっくりの声。

「さて、俺はお前にとってそんなに悪い存在だろうか?」
「悲しみなんて、自分の分だけで十分だろ」
「死ねっていってるわけじゃない、辛いことは忘れるべきだ。生き物として」

 自分の心の声だったのかもしれない、自分の矛盾を責める自責の声。

「耐えられないんだったら、辛いんだったら、忘れちまえばいいだろう。なんで拒むんだ」
「お前は勝手だ、俺はお前が自分に何の迷いもなければ作り出されなかった」
「いい加減にしろ、自分でそう思っているだろう」

 イギリスの事なんて、いくつか記憶から消して、血を吐いたり馬鹿な旅をしたりすることなんてなくしてしまえばいい!

「それでも」
「それでも、辛いだけじゃないなら、捨てたらだめなんだ!」

 その痛みがあったから、俺は。





 ……気がつくとロシアが俺を守っていた。背に俺を庇い、ドッペルゲンガーが冷めた顔で見下ろしている。

「じゃあね、つまらない方のフランス君。ダスビダーニャ」
「俺は陰だ。水面に映った月に石を投げてもすぐ戻る」

 警告はロシアではなく俺に向けられている。氷の龍は牙を剥くと凍り付いたもう一人の自分を噛み砕き共に消滅した。

(そうだ)

 俺が俺から逃げられない、なら。






 客間はブリザードの後だというのに何事もないようだった。

「・・・・・・ロシア、今のはどうやって?」
「んー? ただの悪霊払いのおまじないだよ。恋占いとかの親戚」

 あんな物騒な恋占いあったら世界の軍事バランスが滅茶苦茶だ。

「あんなのに心乱されちゃだめだよ、君は不確定要素に打ち勝つ化身の先駆になるんでしょ」
「…………お前って優しいようで手厳しいよな」

 覇王のようだった彼は、無邪気に笑う。不思議で苛烈な戦いの後だというのに当然のように再びソファに腰掛け、ペンと地図を手に取った。

「どうする?このままシベリア鉄道に乗ってユーラシアの東まで連れていってもいいよ。でもアメリカ君の方へは行かない方がいいと思う。もう追ってないって言っても、君をイギリス君の方へ連れていくかもしれない」
「俺あんまり事態についていけてないんだけど……それは大いにありうるな、中国か日本なら中国を下る方が安心かな」
「えーっと誰だっけ?アメリカ君の上の方の彼もイギリス君に連絡しそう。アジアから海を迂回して南極とかどう?」
「俺には寒すぎるよ」
「えー、オーロラ見てないのに。あっちでもみれるよ、ペンギンも」
「すねんなって。オーロラは俺も残念なんだよ」
「昔は不吉の予兆と思っていたけど、科学現象とわかるとただ綺麗なだけなんだよね」
「見たかった!・・・・・・あのさロシア」
「うん」

 ロシアはきっと気がついている。

「俺、自分の家に、フランスに帰るよ」
「そう言うと思ってた」

 はーとこれ見よがしにがっかりされる。

「なんで?せっかく一緒に計画立ててたのに」
「ドーヴァー海峡上でイギリスが待ってる」

 封筒に入れたままのイギリスの手紙を見せる。そこにはチケットが入っている、どうやらあの馬鹿は船を借りて海上で待っているらしい。これはフランスのカレーから行く専用クルーズチケットということらしい。

「しばらくすれば諦めて帰るでしょ。イギリス君は子供じゃないんだよ?」

 森の切り株に座って遊んでいたイングランド。あの頃はいつか俺に下る可愛い子供だと思っていた。

「うん、手紙に書いてあった。一週間待って来なかったらちゃんと自分の家に帰るって」
「ならなぜ戻るの?こんなことで帰るなら、どうして君はここまでやってきたの?」

 ここまで何のために逃げてきた?

「ちょっと回り道を」

 そして世界で一番俺が素晴らしいと信じた笑みを再現し、優雅に礼をする。

「きっとあいつは大人だからちゃんと帰るんだと思う。無駄なことをして健康を損なったり、意地を張って俺に負い目を感じないように行動するんだろう」

 ロングボウを射る姿は過去のもの。あいつの今の弓を持つ姿はぎこちなかった。

「・・・・・・でもな、想像するとムカつくんだ。あいつがそんな大人な行動する前に俺が喧嘩相手くらいしてやる」

 そう彼は俺の中では森の意地っ張りな子供のままなのだ……もう今しばらくは。

「とっくに大人のあいつをガキ扱いするのは、お隣さんの俺の特権なんだよ」





…………

 彼が去った後、ロシアは宙に視線を送り、親しげな眼差しを向けた。

「冬将軍君、急に色々ごめんね。フランス君をモスクワ駅前で出してあげてくれないかな?」
「…………」
「ありがとう……ん、そうだね、オーロラは残念だったよ。君に色んな力まで借りたのに。でもあとで埋め合わせてもらうつもりだし、お辞儀までされちゃったしね。それにさ!やっぱりフランス君は図々しい方が好きなんだ」

 北を統べる将軍はゆらりとゆれ、仕方なさそうに首を縦に振った。そんな彼にもう一度サモワールのケトルに茶葉を放る、彼は飲めはしないが敬意と感謝は示すことは出来る。

「ここに来たのは久しぶりだね、フランス君は僕のって思ってたみたいだけど……まったく地中海沿岸の国を冬将軍のダーチャに招くことになるなんてね」

 まあここはオーロラが良く見えるから仕方ない、とロシアは雪解け水をサモワールに注いだ。










つづく












あとがき


 エスニックジョークって絶対国がひとつだと生まれないよね。っていう、今更なお話。私はひまさんの目を通した世界を見て、さらになんやら妄想しているんだなあと思い。しかし、ひまさんも誰かの考えたエスニックジョークをみたりしてまた……とかいろいろ考えちゃった。

 ロシアの紅茶消費量(一人当たり)はイギリスの次くらいだってなんかのランキングでみたことある。
 サモワールがティファールにとって変わられたかは、ロシアのサイトは分からなかったのであいまいです。でも焦げないフライパンを発明した釣りの好きなフランス人が作ったティファールはフランス企業で、今はグループセブの傘下に入ってます。


 詰め込み気味ですみません、そんな複雑なものを書いているつもりはないのですが……つめつめ書き→テンポ悪いから色々カット→直す→足りない、足す→元の量→絶望→……を繰り返した結果。だいたい入れなおして、書き直したころにもういいのか悪いのかよく分からなくなってきたので、お許しください。

 あと竹林にさらっと「人間が彼らの時間軸に合わせたら、めちゃくちゃになった発狂しちゃうんじゃないかなあ」って書いてあってうっわああああ!ってなった。

 それでは次は永遠のラスボス殴りにいきます。

 

 2016/01/07






トップへ