ヴァンパイアクイーンと王子様 1






 昔々、王子様がいました。そこそこの王国のそこそこの政治をする王様のそこそこのお妃との間に生まれた赤ん坊は適当に祝福を受けてこの世に生を受けました。

 なぜ王子様なのに適当な祝福なのかというと、その王子は六人目の王子だったからです。子供が生まれるのはめでたい事ですが六回目となるとまたかという感情が人々にも混じります。

「俺は好きで六番目なんじゃない、父上の跡も継げない。誰にも期待されてない。ただの運なのに世の中は不公平だ」

 これが戦国時代とか、兄たちが病気でバタバタと死ぬとか、一大事があれば王子様もそんなことは言わなかったかもしれません。けれど周辺は平和ばかりでなくとも戦争とは無縁でしたし、予防接種があるので王子様はいつまでも六番目の王子のままです。

 不満はすくすく大きくなり、王になりたい、人に認められない感情は王子様の人格の一部となりました。

「あんな奴らより俺の方が王にふさわしいのに」

 そんなことばかり言うので三番目の王子様にはイジメられました。けれど一番目の王子が諌めてくれたので、そんなに長くは続きませんでした。

 二番目の王子は言いました。「何が不満なんだ、王子という恵まれた立場に生まれておいて。私たちは兄上をお助けすればいいんだ、不満なら出家しろ」。

「俺の方が王にふさわしい! 名のある人間になれないなんて生きてる意味がない。お前みたいに二番目でいい顔して処世術を決め込んでる奴に何を言われたって心に響くもんか」

 何がそこまで王子様を駆り立てるのかは誰にも分かりません。分かっているのは王子様の心はずっと変わらないことだけ。

 使う機会もないのに彼はめげずに王様の勉強に励み身体を鍛え続けました。五人の兄達は呆れていましたが、もう十六になる弟にこれ以上何も言いません。

そしてある日、絶望した王様が言いました。

「滅びの予言書が見つかった。北の山に住まう吸血鬼の女王が近々世界を滅ぼしてしまうらしい。女王を倒したものには王の位を譲っても構わない」

次々発見される予言書と予言者。そして謎の災害の連続で市民の反乱まで起きて、平凡な王は疲れてそう言いました。北の山に人間の天敵である吸血鬼の女王が住む、子供だけが信じるおとぎ話です。
 本当は王様だっておとぎ話の悪役にすがるしかない程平凡な男だったのです。

 常識的な王が言った言葉で本気ではない。そんな事は分かっていましたが、それでも六番目の王子様はにやりと笑いました。





 王子は荒野をさまよっていた。水も食料も少なく、栄養状態もよくない。けれどその青い瞳だけは前進だけを見つめていた。
 城を飛び出してもう一週間。

「くそ、遠いな北の山ってのは……」

 六番目の王子とはいえ供のひとりもいないとはどういうことか。まあ北の山と聞けば大半の人間は逃げ出す。吸血鬼の伝説は信じていなくても、だ。
 それにしても根性がなさすぎる。自分が王になったら根こそぎクビにして人事改革をしてやる。

 王子様ーーヴィクターはぐいぐいっとスカイクロウの陸移動モードのハンドルを回した。もはや彼の生まれた王の都は遥か百数キロ先でもはや引き返せない。ここまできたことに後悔などないヴィクターは速度をアップさせようとハンドルを強引に切る。
 この空陸両用移動車は貴重な大戦前の遺物だ。間違えて壊してしまえば危険地帯で立ち往生なのだがヴィクターは遠慮がない。

「もう一週間だ、早く進んでくれ。せめて北の山の麓まで」

 独り言も増えてしまった。それもこの悲惨な風景のせいだと自分が写るほど近くフロントグラスに顔を近づける・・・・・・簡素な旅装だが、綺麗な少年だった。黒髪は艶やかで、青い瞳は宝石のようだ。少年より少女向きの容姿を本人は気に入っていなかった。

 北の山の麓の手前に当たる北の荒野に入ったのは三日前。窓から見える荒野の有様は悲惨そのものだった。あらゆる動植物は風化した死体か、環境に適応して化け物になっている。大地も灰のような色で生気がない。

 つまり危険な場所なので、スカイクロウから出られぬまま丸三日を過ごしていた。座席以外にも寝る場所があるのは幸いだが、気がめげる。

「早く進め、女王を殺さなきゃならないんだよ!」

 気合いを入れ直すが、さすがのヴィクターも周囲に恐ろしい形の植物や動物が見えて落ち着かない。植物は赤い体液から触手を伸ばし、動物は地面を這いずりながら喚き散らす。ヴィクターの身を守るものと言ったらスカイクロウの装甲だけだ。
 北の荒野は死の荒野。子供でも知っている。モンスターと言っても遜色ない化け物の群れに混じっていると理性が擦り切れてくる。

 もっとも大抵の人間は一日で気が狂うのだが、ヴィクター程図太いと三日でようやく疲労が溜まる程度だった。けれどやはり限界が近い。

(さすがに疲れたな)

 意地っ張りな第六王子はようやく認めた。旅を初めてもう一週間になる。食料や生活品は節約すれば残り一週間分はあるが、その先の補給にアテはない。そしてヴィクターにはここで引き返すという選択肢は頭の中にない。

「?」

 がたん、とスカイクロウが揺れた。

 左を見ると赤紫の触手が車体を持ち上げようとしていた。その奥には牙を持つ三メートル近い化け花がじわじわと近づいてきている。

(一部枯れてる、俺を食って肥料にしようってか)

 確認している間にもどんどん触手は増えて、スカイクロウを絡めとった。視界の上昇にようやくあの化け花が装甲を高い場所から投げ落とすことでヴィクターを引きずり出そうとしていると理解した。

 一瞬、あの触手に引きずられ、化け花になぶられて殺されることを想像した。少年の白磁の肌が赤紫の触手に生えた緑色の棘でずだずたにされる恐怖が・・・・・・。

「お前みたいな雑魚にかまってられるか!」

 恐怖を覚える暇はなかった。絡めとられていない部分から巨大な刃が飛んだ。本来は低空飛行で邪魔な枝葉を切り払う為のものだが、攻撃に適していないわけではない。

 刃が絡まる触手の半分を切り払う。拘束がゆるんだ隙に車体を引き離し、後方に設置している銃から化け花に弾丸を放つ。黒い液体をまき散らすそれはまだあきらめず、触手を再度のばしてくる。

「このっ、無駄に知恵を付けやがって!」

 スカイクロウの走行に必要なホイール部分に絡み着いてくる。仕方なくヴィクターは外につながる窓を開いた。汚染された大気に一瞬で肺と目が焼ける痛み。けれど構っていられない。

「地獄に帰れ!」

 がががががっ! と小型機関銃の音が鳴り響く。化け花は黒い液体を幹に近い部分からまき散らし、人間には聞き取れない悲鳴を上げた。ヴィクターは異常そのものの光景に吐き気を覚えたが、腕を止めないことに集中した。大きな銃を支えるにはこの両手は頼りない。

 ようやく化け物を倒したと確信して、窓を閉めるとようやく安息が訪れた。今更外気に触れたダメージで咳がでる。うっかりこぼれた涙を拭い(汚染大気の影響だ、たぶん)ほうっと操縦席に座る。

 これでしばらく安心だ・・・・・・と思ったのだが。

「え・・・・・・夜?」

 その時、ヴィクターは夜が来たのだと思った。さっき朝がきたはずだが、何しろ空が真っ黒だ。北の荒野の空はずっと重苦しい灰色だが、それでも昼に闇にはならない。

 じいと見つめると信じられない事実が判明した・・・・・・夜の闇ではない、それは生物の黒い翼だった。巨大な翼は操縦席の視界いっぱいに広がっていた・・・・・・それはコウモリだった。巨大すぎて生き物とは認識できないだけ。

 しかしなんて美しいコウモリだろう。
 強い生き物なのだろう。さっきの化け花やヴィクターとは違う、余裕というものが見える。そしてこちらをじっくりと観察していることから知性があるのだと伺わせる。

 戦ってはいけない。あれは強大すぎる。本能の警告。
 それでも力なき少年は力ある存在に見とれずにはいられなかった。

(逃げなきゃ、にげ・・・・・・)

 キィと小さな鳴き声がドア越しに聞こえた。スカイクロウはちゃんと閉ざしてある。なのにヴィクターは口と耳から血をこぼして倒れた。

(超音波・・・・・・?)

 パァン! とスカイクロウの全ての窓が割れた。そこにのぞく瞳は鮮血の赤だ。見られていると認識した時点で、ようやく死にかけていることに気がついた。

 じっと見つめる瞳も美しい。その視線の下でヴィクターは爪の先から滲む血を睨んだ。

「こんなところで・・・・・・死んでたまるか」

 血とともに漏れたのはそんな切実で平凡な言葉。食うつもりなのかと思ったらその価値もないらしく、瞳は離れていった。

 大コウモリは何か変わったものの中身がつまらない人間だと知り、スカイクロウごとぽいと捨てた。もう一度魔力を集めさっさとこのゴミを粉々にしてしまおう。いつもの散歩道をいつものように綺麗に・・・・・・。

「お前、先代の使い魔か?」

 そして恐怖に震えた。何だ今の声は。大コウモリはヴィクターが先ほど見とれた以上にその声に魅了された。

(・・・・・・だれ?)

 気がつけば小さな影が大コウモリの翼の端に立っていた。派手な服を着ているのだろう、この距離からでもきらきらとした反射が見える。

 小さな影は大コウモリとスカイクロウから放り出されたヴィクターの間に立つと大コウモリを指さした。

(・・・・・・ヤメテヤメテヤメテ・・・・・・!)


 悲鳴のような地響きが聞こえる。少し、あの偉大なコウモリの鳴き声に似ている気がした。

 ・・・・・・気がつけば真っ暗だった空はもとの灰色の空に戻っていた。そして全身が超音波で引き裂かれたヴィクターは血だらけで荒野に転がった。汚染された大気が傷を焼いたがもう痛覚もないので気にならない。

 死にたくないと、死にかけた体を呪った。
 ふいに小さな影が側にいることに気がついた。どうやら少女らしく、白い手をヴィクターの心臓の上に当てていた。

「・・・・・・だ、れ?」
「・・・・・・」

 なんて綺麗な人だろう。
 真紅の巻き毛と澄んだ碧眼。神の祝福を得た彫刻家が魂と引き換えに刻み上げたような美しい少女。鮮やかな金と真紅の衣装。

 いいや人ではない。何度も肖像画で確認したその姿は。

(吸血鬼の女王、フロリゲン・フランケンシュタイン・・・・・・!)

 吸血鬼の女王は人間とはかけ離れた美しさだった。女王は聞き取れない小さな言葉をつぶやくと一言だけ聞こえる言葉をはいた。

「仕方ないな」

 大動脈から血を抜く音が響きわたった。

 女王の細い牙がヴィクターの首に突き刺さった。そして五秒後、彼の体内から血液は消え去った。

 たった一滴の血液さえ自分には残らないだろう、とヴィクターの理性が分析するとそこで意識は途絶えた。






 突然「王の命で吸血鬼の女王を退治して参ります!」と飛び出した王子様に王家も市民も議会も唖然としました。

 吸血鬼の伝説を信じているからではありません、北の山は死の荒野を抜けた先のこれまた死の山脈を越えた先の、生きては帰れぬ場所だからです。

「俺は挑戦して生きたいんだ! 必ず女王を倒してくる! そうしたら王にしてください父上!」

一番目の真面目な王子は自殺願望かと突き進む王子様を必死に止めました。けれど王子様の乗った「スカイクロウ」という無動力飛空車はこの国で一番早い乗り物です。陸海空と乗れる優れもので一人だけで操れる、王の宝の一つ。

王子様はスカイクロウの中でニヤリと笑う姿を最後に荒野の彼方へ消えて行きました。

 お願い考え直してと叫ぶ母親の声も置き去りにして。





つづく



2016/11/27