たとえ時が流れても



夏から秋へ移り変わる頃、ヴィンセントは不機嫌になる。というか、慣れないイベントにいつまでも慣れない。ある意味では面映い。

「ヴィンセント、はい、マスターからの誕生日プレゼント」
「ノックくらいしてください……もううんざりです」
「お前が僕の部屋に入る時ノックの一つもしないのに僕がするわけないだろ、いつも忍び込んでくる奴の台詞か。ほら、贈ったものを見もしないで失礼な従者だな」

見るも無残なぐったり具合だ。自室のベッドに突っ伏して、焼け過ぎた炭みたいに灰になっている。そしてその隣には中身がいっぱいの紙袋がある。

紙袋いっぱいにしているのは誕生日の贈り物だった。送り主はギルバートはもちろん、バスカヴィルの民はヴィンセントに親しいので大体贈り物をしてくれていた。なので、リーオも仕事を終わらせて渡しにきたのだがこの有様とは。

(性格って面倒なものだなあ)

自分が嫌いな男にはなかなかの苦行だったらしい。

「マスターこそ何してるんですか? そのカバンと服装は旅ですか? 旅行なら当然従者を連れて行きますよね」
「いきなり復活するな。いいからまずはプレゼントを開けろ。安くはなかったんだから」
「はーい……マスターって意外と僕のこと見てますよね」

白いリボンを解いた箱の中から出てきたのは紺に金色で縁取ったペン。なくした万年筆と同じものを名前入りで贈るとは、意外だ。困ってたろう、という主人は結構照れていた。

「ありがとうございます、では僕も旅行の準備に入ってきます」
「いや、今回はお前はついてくるな」
「えー、どうしてですか? 従者には言えないようなどこかいかがわしいところへでも行くんですか。マスターもお年頃で従者も嬉しいです」

からかい百パーセントで主人を見下ろすと、リーオは一瞬頬を赤らめたが、すぐにため息をつく。

「あのな、僕は今からミス・エイダに会いに行くんだ……お前は来たらマズイんじゃないか?」

ヴィンセントはプレゼントを床に落とした。






秋だというのに、ここには春の気配がする。常に日向の光がさす常春の国。ミス・エイダ・ベザリウスの住む場所はそんな場所だった。

馬車の窓から見える白い花々にリーオは笑みを零した。

「こんにちは、ミス・エイダ!」
「久しぶり、待ってたわ! 」

元気な女性がこちらに気がついてブンブンと手を振った。

「リーオくん、今日は遊びに来たの? それとも前の続き?」

ミス・エイダ・ベザリウスは館から供も連れず、ヒールのない靴で馬車から降りるリーオの元へ小走りでやってきた。
服は無地の既製品で動きやすく、髪はくるりとまとめただけ。庭仕事をしていたのか麦の帽子をかぶっていて、かつて貴族の社交界では見られなかったラフな姿だ。

「今日はナイトレイとベザリウスの交流だよ! 走らなくていいって」

馬車からこちらも手を振る。エイダは変わらず美しく健康的で学生の頃を思い出す。
彼女はきっとモテるんだろうなあと、馬車から降りたリーオはカバンから書類を取り出した。

「ナイトレイの土地の交易品を持ってきたんだ。前みたいに買い取ってお店に並べてもらえれば助かるんだけど。まけとくから、ね?」
「わあ、ナイトレイのお菓子は前回領民さんたちにとっても好評だったのよ」
「それは良かった、前回は持ってきすぎたかと思ってたから」
「まけとかなくても、これなら正規の卸値を払います……それよりもうすぐお茶なのよ、寄っていって」

ほら、と優しい手に誘われてリーオはエイダの庭に入る。館の規模は小振りで貴族らしくはないがエイダらしくはあった。しかし広い庭園はどんな貴族のものにも劣るまい。

この庭園を訪れるのはこれで五回目だ。エイダ・ベザリウスの庭は無理に派手な花を置かず地元の花を使っているので植物も元気が良さそうだ。有能な女領主はこんな所でも間違わない。

(いつも綺麗な庭だな)

いつもの道の果てのガーデンチェアに座り、それを揺らしながら素直に見惚れる。この土地を七年でここまで美しく活性化させたのは彼女の尽力だ。

ミス・エイダは今はベザリウスの土地の辺境のこの土地だけを相続して、女領主をやっている。みんな彼女には荷が重いと止めたのだが、何かせずにはいられなかったのだろう。悲しみに耐えて退院し、無理をして学校を卒業して、勧められた見合い話を全て断った。

(見合いはやっぱりヴィンセントのせいなのかな)

そしてこの土地で試行錯誤を繰り返した……グレンの役目に没頭したリーオには痛いほど想像がつく心境だった。痛みは時に人を何かに没頭させる、全てを忘れるために。

世界崩壊の後、彼女は大切な存在をほとんど失った。疎遠だった父親ザイ、やっと再開できた兄オズ、いつも慈しんでくれた伯父オスカー、みんな死んでしまった。エイダはベザリウスに最後の生き残りだ。オズ以外は死体も確認して、エイダは一人で葬儀を取り仕切った。

彼女から失われた死者たちの中には本当は生きているエイダの想い人もいる。本当は生きていてリーオの従者をしている……けどそれはリーオは手を出してはいけない話だ。

(ヴィンセントの言うことももっともだ、普通に幸せになって欲しい気持ちも分かる……けど、たまに分からなくなる)

ヴィンセントにはギルバートがいる。エイダには未来がある。それぞれに生きがいがあるのだから無理に二人の道が交わる必要はない。けれど、

「待たせて、ごめんね」

ぎくりとして振り向くと一人だけ雇っているメイドを連れたエイダが笑っていた。対照的に笑わないメイドは二人分のお茶と菓子のワゴンを持っている。……怪しい人物と思われているらしい。

「お邪魔しています……あ、交易品を使ってくれたんだ」
「エイダ様のご配慮です」

白い皿の上の綺麗に美しく切られた果物に花が飛ぶ。穏やかに微笑むエイダには領主の風格のようなものが感じられ、七年の歳月を感じずにはいられない。

「ナイトレイとベザリウスに長き友愛を」
「どうか、世界が平穏でありますように」

二人のお茶会の始まりの祈りの言葉だった。

去っていくメイドに手を振って、二人はしばし舌鼓を打つ。この庭で採れたハーブティーも、ナイトレイの果物も、あのメイドが作ったケーキもどれも美味しかった。

簡単な近況報告を終えるとふとエイダは遠い目をした。

「……不思議だね、お兄ちゃんとエリオットくんの誓いを私とリーオくんが叶えているなんて」
「大したことはできてないけどね。初めはナイトレイの土地に行った時にミス・エイダとコンタクトを取らないと……って足を向けただけだった」

ベザリウスとナイトレイの和解。あの夢のようなお茶会で交わされた願い。それを何かの形に残したいという衝動でリーオが始めたことだった。

リーオとエイダの間には遺恨はないが、それでも二人にはある種のシンパシーがあった。この相手とならオズとエリオットの話が気兼ねなくできる。
初めは話をしているだけだったが、あの誓いを叶えたいという思いからナイトレイの交易品をベザリウスの土地で買ってもらうことが増えていた。

「よかったよ、僕にもまだエリオットのためにできることがあって」
「グレン・バスカヴィルさんが何を言ってるの……頼りにしてるわ、世界の守護者さん」
「はは、本来はそういう役目だもんね。頑張るよ」
「私はこの小さな土地を守るので精一杯だから、世界を守って貰えるなら本当に助かるわ。もちろん交易も」
「エリオットが見たらどんな顔をするんだろうね」
「うーん、きっと喜ぶんじゃないかなあ?」
「仏頂面でね」
「戸惑いもするだろうけど……あ、お兄ちゃんはとっても笑顔だと思うわ!」
「オズくんはさらに盛り上げてくれそうだねー」

昔話をしているだけより、小さな貿易をしているほうがベザリウスとナイトレイの和解になるだろう。最近はリーオの手を借りず直接ナイトレイの領民に使いを出すほど品質が良かったらしい。几帳面なのは領主だけではなかったらしい。

「ねえ、リーオくん」
「なあに? 交易品なら品によっては増やす事は今からでも」
「本当はヴィンセントさまって生きてるでしょ?」

ハーブティーを吹き出しかけた。グッとこらえた自分を褒めたい。

「……いいや、ミス・エイダ、ヴィンセントは死んだんだ。僕の眼の前で、お兄さんをかばって死んだんだよ。悲しいけど、これは本当のことなんだ」

エイダのエメラルド色の瞳から目線を逸らし、漆黒の瞳が迫真の演技で告げる。次に目線を下げて、悲しげな空気を装う。……ばれなければいいが。

「ギルってね、嘘が下手なの」
「ギルバートは……そのあれから気が沈みがちだから挙動不審に見えたんだよ。ヴィンセントはアヴィスに呑み込まれたんだ、二度と帰ってこれない」

ある意味では実際にそのアヴィスに行く役目を与えたリーオの心は揺れた。しかし、引いたのはエイダが先だった。

「じゃあそういうことしてあげる」
「……?」
「だって、私が知っても仕方のないことだもの」
「ミス・エイダ?」

そんな苦しい顔をするなんて。

「私、ヴィンセントさまを好きだったの。大好きだった……私に見せていた姿は半分以上偽りだとしても、今でも好き」
「……そこまで想われて、ヴィンセントは幸せ者だよ」
「でもね、もし本当は生きていたとしても、一体何が私にできるのかなっても思うんだ。私には好きな気持ちしかなかったのに幸せになんかできたのかなあって」

かちゃり。エイダはソーサーにカップを置いて、揺らめくハーブティーを見ていた。彼女が学生の頃のように見えて、リーオは自分もその頃に戻ったように錯覚した。オズもエリオットもいた、夢のようなあの頃……。

「ヴィンセントさまを好きだったけど、それは私が言うのもなんだけど夢中過ぎて、相手のことが見えてなかった……今はこう思う。永遠に近く生きるバスカヴィルの民のヴィンセントさまと私が一緒にいたら、幸せにしてあげられるとしても本当に短い間なんだって」
「……」
「リーオくんから見ても私はあっという間にいってしまうのかもね、そんな私にはあの人に何もできる事なんかなかったんじゃないかって考えてしまう」
「……そんなことないよ」

ヴィンセントは何度もこっそり彼女の様子を見にきている。

「それにね、ヴィンセントさまの事だけじゃなくて……七年も経つと色んなことをだんだん忘れていく気がして」

お兄ちゃんを、おじ様を、お父様を、ヴィンセントさまを。

「もう一晩中泣かなくなった。悪夢で目をさますことが少なくなった。楽だけど……苦しい」

大河の中の泡のように愛情も過去になっていく。

「……たまに、自分が怖くなる。こんなに薄情だったのかって」

あの頃の「エイダ」をどんどん失っていくみたいで、恐ろしい。

成長は古いものをなくして新しくしていくことだ。失った事が辛すぎて領主の仕事に没頭した。けれどその日々はエイダの痛みを忘却させていった。

辛い過去が歳月と共に薄れていくのは人ととして当然の事だ。悲しみを忘れなかったら人は狂うだろう。けれど当然だから苦しいのだ……どんな価値のあるものも時間が奪っていくようで。

まるでお前の苦しみも愛も時間が全て無に帰してしまうのだと世界に通告されているようで……痛いほど理解できた。

だからリーオは反論した。

「そんな事はないよ、ミス・エイダ」
「……どうして?」
「今の貴女の生き方が証明だよ。ベザリウスの地方領主なんて昔の君なら選ばなかった道だ。
その道を歩いているのはどうして?」

完全に予想外だったらしく、額に触れて思い出す。どうしてここでなければならなかった? どうして選んだ? ……どうしてこんなに頑張った?

「……ここは、昔お父様とお母様がよく来た場所だって聞いてて……それにお兄ちゃんとおじ様も何度も連れて来てもらって……そんな思い出の場所だから」
「遊びに来るだけではダメだった?」
「……みんなを、これ以上失いたく、なかったから」

ここならば何もこれ以上失わないと思えたから。

「なら貴女の生き方に刻まれてるはずだよ……悲しみ続けていないからって全てを忘れたなんて悲しい事言わないで」

きっと逝ってしまったみんなは悲しむよと自分がかつて大暴れした事を噛み締めて言った。
彼女が泣いているように見えて慌てたがそれは錯覚だった。

「生き方にみんなが刻まれている、か。優しいけど厳しい事を言うね……」
「そうかもね。でも生き方なら、記憶より長く残って、僕が死んだ後でも残ると信じたい」
「……なんだかリーオくん、凄く大人になったみたい」
「……なんてね、エリオットの受け売りだよ」
「エリオットくんが……そっか」

言ってくれてありがとう、と彼女は子供のように笑った。

「僕もそう思ったよ、笑うたびに薄情になっていく気がした。苦しくないことが苦しかった……でもエリオットならこう言うんだ。笑って思い出してくれる方がいいって」

そうして二杯目のお茶がさめると、リーオは帰還の準備を始めた。長居はしないと決めていた……これ以上話すとヴィンセントの事を話してしまいそうだと思う前に。

「リーオくん、待って待って」
「え、忘れ物でもしたかな?」
「これをギルに届けて欲しいの」

馬車に足をかけて、振り返るとエイダは小さなプレゼントを両手で差し出していた。エメラルド色の小箱に金色のリボンは可愛らしく……彼女本人のようだ。

「三日前だけど……確かヴィンセントさまの誕生日だったの。だからギルに届けて欲しい」
「……いいの? ギルバートで」

本人でなくても、と喉元まで出かけてしまう。

「ギルならわかってくれるわ……リーオくんが貰ってくれるならそれもいいけれど」
「まさか……ちゃんと届けるよ」

本人に、とは言えなかった。

「リーオくん、私ね、結婚しないの」
「……あいつの為に?」
「いいえ、まだ恋をしてる自分のためよ。……けどもしかしたらいつか好きな人ができてしまうかもしれない。歳月が心を変えてしまうかもしれない」

エイダは遠い空を見上げた。それが結婚式の誓いのようにリーオには見えた。

「だから決めたの、自分の生き方にヴィンセントさまが刻まれるようにこれからも生きようって……さっき教えてくれたみたいに」
「……ミス・エイダは強いね」
「リーオくんこそ、エリオットくんのことをそう思ってるんでしょ?」

もちろん、とリーオは微笑んだ。似た者同士たちはしばし笑いあう。

馬車からいつもより長く手を振るとリーオはエリオットを思い出した。小さな事だけど、きっとベザリウスとナイトレイの和解はこれからも上手くいくだろう……。





ヴィンセントは隣町の宿屋で落ち着きなく部屋をうろうろしていた。落ち着きのなさが子犬を思わせて、リーオは控えめに肩をすくめた。

「ただいま」
「……随分遅かったですね、マスター」
「睨むなよ、嫉妬か?」
「マスターのそばにいられないことが寂しいんです……彼女は元気でしたか」

どうせ元気でしょうね、あの女はと遠い目をする。

これも相思相愛の形というやつか、と呆れた。リーオはヴィンセントに「手を出せ」と言ってエイダのプレゼントを手のひらにそっと置いた。

「もうマスターからは貰いましたよ?」
「ミス・エイダからの誕生日プレゼントだよ」

ヴィンセントが真っ青になった。

「バラしちゃった」
「ま、マスター!? なんてことを!」
「……なんてね、嘘」

一瞬迷ったのは本当だけど。

「ギルバートに渡せって言われたんだ、墓前に添えて欲しいって意味だったと思う。……だから受けとれよ、お前が」
「……僕に、もらう資格はありませんよ」
「それを苦しんで受け取るのが、これからも僕に嘘をつかせる代金だ」
「……リーオさま」
「悪い、僕も少し嘘に疲れてたみたいだ……取引くらいしてくれないと本当に口が滑りそうだ」

ゴロンとベットに横になるとエリオットの事を思い出した。
エリオットはエイダが苦手だった、でも嫌いだったわけではない。エリオットはヴィンセントが好きだった、義理の兄弟以上の情があった。ただヴィンセントはずっと拒絶していた、その理由は分かるようなわからないような。

そんな二人に挟まれるなんてあの頃のリーオは想像すらしていなかっただろう。くすくすと笑うと不気味がられた。

「マスター、見てください」
「プレゼントの中身まで報告しなくても……あ」

エイダの贈り物は二つの小さな指輪だった。確かに指輪とは意味深だ。
けれどそれは細くて頼りなくて結婚用とかそういうものは連想させない。強いて言えば恋人同士で町でちょっと背伸びしたような指輪だった。

ヴィンセントは困ったようにリーオの目の前に示した。指輪にはそれぞれ紅い石と金色の石が付いていた……ヴィンセントのオッドアイの色にそっくりだった。本当によくこんなペアリング見つけてきたなという程、そっくりな色だった。

ヴィンセントはしばし迷うとそれを胸ポケットにしまった……指に通す気はないのだろう。けれど鎖を通して、身につけろくらいは後で言ってみよう。

「リーオさま、頼みがあります。エイダ・ベザリウスに会いに行く時に誕生日プレゼントを渡してください」
「いいとも、僕からってことにしておくよ。毎年サンタクロースか、大変だ」
「いいえ、一度だけで結構です」

僕だって名乗り出そうになってしまいますから、とヴィンセントは儚い表情をした。

(……エリオット、僕これで良かったんだよね? ……うん、よかったんだよ。同じ所でぐるぐる悩むのを君は好きじゃなったもんね)

こうして歳月の中に変わらないものを残すべくエイダとヴィンセントは生きていくのだろう。リーオはそう納得すると旅の疲れを癒す眠りに落ちた。自分も遥か未来にもエリオットがいた事を生きた証に刻めるように祈りながら。



おわり


あとがき


エイダは結婚するとしたら十年くらいかかりそうだなあと思ってます。行き遅れたっていいじゃない。

本編ラストあたりのエイダとヴィンセントの輪るピングドラムの桃香を思い出します。圧倒的母性で殴れ!的な。
ただヴィンセントはエイダと会わなくなった後、そんなに歪まなかったのはその悲しみを分かち合える存在(ギルやリーオ)がいたからなのかなと。



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