ユラの屋敷に行く数日前のこと。エリオットがやけに絡んできた。

「なにぐだぐだ考えてんだよ」
「はあ? 僕は本読んでるだけだけど」
「いーや、お前は悩むとそうして本を逆さにしてるんだ」
「・・・・・・げ」

 本当だ、逆さで全く読めない。読んでいないことがばれてしまった。

「ずっと悩んでるだろ。相談しろよ、俺たちは主従だろ」
「・・・・・・僕にだって悩みの一つや二つあるさ、君は従者のプライベートを認められない横暴な主人なのかい?」
「いいや、今回のは放っておけないほど深刻だ。見れば分かる・・・・・・何を思い詰めてるんだよ」

 エリオットが本を取り上げる。読んでいなかった僕は無精無精目を合わせた。水色、空色、どちらに形容しても通じそうな鮮やかな青い瞳に僕が映っている。

「どうしても言えないのか」
「エリオット、僕だって君に、いや君だからこそ言いたくないことの一つや二つあるんだよ」
「ふん、へそ曲がりめ・・・・・・でもお前、変わったな」
「は?」
「前はそんな風に正直に気持ちを話してくれなかっただろ、なんでも「君には関係ない」ってさ。
 ほかにも色々変わったけど・・・・・・二年も一緒にいると昔のリーオも懐かしいもんだ」
「君だって・・・・・・この二年で変わったよ。多少は大人になったし、家族のことも・・・・・・あとオズ君っていう友達も出来たし」
「ああああいつは友達なんかじゃねー!」
「一緒にベザリウスとナイトレイの関係改善していこうって誓いあってたじゃない・・・・・・僕もお払い箱かな、君の友達」

 卑屈ぶるとごんと拳が振ってくる。目の前に星が飛んだ。

「お前、そういう自分にやなことばっかり起きるって想定するところは変わってねえな」
「いたた・・・・・・僕だってこの二年で世間ってものを前より知ったんだよ。孤児の僕と大貴族のオズ君ならオズ君の方が友達に丁度いいでしょ。性格だって結構気が合うと思うよ、君たち」

 今日の僕はおかしい。更に卑屈ぶって甘えている。まるでこれからイヤなことが起きると知っているみたいにビクビクしてエリオットに不安を紛らわせようとしているーーどうすればいいかわからないと口に出すことも出来ないのに。

「数年すれば、君はナイトレイの主になる。その時従者の僕より、頼りになる同じ立場のオズ君の方がきっと一緒にいて楽しいよ」
「ばっかだな、お前」

 すぱっと不安を斬られた。
 そして優雅に笑ったーー「どんなに時間がたっても変わらないものがあるんだよ、そんなことで不安になるな」と珍しく優しく言った。





リーオはちょっと旅行中です 7 ~そして彼は優雅に笑った~







 塀を越えて、沢山の石を通り過ぎる。自分の影は霞のように軽かったが、それでも全力疾走をすると息が切れた。

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」

 途中で出現したハンプティは七体。
 その全てをナイトレイの鍵で斬り落としてきた。

 チェインの力を鍵に乗せるのは初めてだが、五年前のオズワルドの真似だが思いの外うまくいった。代わりに足下がおぼつかなくなってしまったけれど。

「はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・くそ」

 さっき大量の傷を癒し、チェインを使った。たいした距離を走っているわけでもないのに息が切れる。
 まるで何年もかけてここへ歩いてきたような・・・・・・。

 そして、その場所にリーオ=バスカヴィルは止まった。周囲にハンプティの影がないことを確認すると、ようやく挨拶ができた。

「……はっ、はっ、はっ」

 冷静なつもりだった、けれど声は疲労ではない理由でがたがたと揺れていた。

 初めてくる場所。
 来る資格がないと避けてきた場所。
 「リーオ」の死に場所。


【 エリオット・ナイトレイ、ここに眠る。 】


 墓石に刻印された文字はシンプルだった。
 刻まれた日時に気が遠くなる。こんなに昔のことだっだのか。少し色あせた墓石は風や雨や太陽の光に晒され歳月を連想させた。

「……エリオット、久しぶり」

 体は氷のように冷静で、心は春の嵐のようだった。
 記憶の引き出しが風でどんどん引き出しをあけていく。封印した風景に目がくらんで足下が崩れた。

 ……おい、お前そこで何をしてる……

 初めて会った時は大喧嘩をした。でもエリオットは何度も会いに来てくれた。

 ……お前、俺の従者になれ……

 そして主従になり、彼はすぐ死んだ……その事は無責任に悪夢として意識の底に沈めた。
 エリオットとの学校生活は楽しかった。
 授業に出て、本を読んで、ピアノを弾いた。ただの友人ではなく、従者という彼を守る職務はリーオに別の喜びを与えてくれた。

 ・・・・・・リーオ、俺はそんなに頼りないか。
 ジェームズのことだって何か話してくれれば力になれたのかもしれないのに。
 お前は俺の従者なんじゃないのかよ! ・・・・・・

 楽しい思い出と兄弟の死体が積み重なって増えていく。日々は美しく、歪んでいた。
 白き天使の家の兄弟たち何人も原因不明で死んだ。エリオットと学校に通って楽しかった。

「シロ」

 シロはエリオットの墓石の上にじっと座っていた。不思議と死者に対する不敬を感じさせない。まるでそこが正当な場所であるかのよう。

「……行儀が悪いよ。そこはたった十六歳で理不尽に命を亡くした人の眠ってるんだ、足をおいていい場所じゃない」

 もはやシロを猫と見なさない話し方だった。

「君が僕の山小屋にきて随分時間がたったね。僕は楽しかった・・・・・・それすらグレンの身に仕組まれてた?
 またハンプティ・ダンプティが忍び寄って、守るために後ろから張り付いてたの? どうしてそんなに僕を守るの、僕の大切なものみんな踏みにじって」
「・・・・・・みぃ」
「もう一度言う、君がエリオットでないならそこから降りて」

 シロは墓石に座ったままだった。
 リーオ=バスカヴィルはエリオットの墓に歩を進めた。名前、享年、没年、彼を偲ぶ言葉・・・・・・そこに刻まれた文字を一つ一つ目を通すが頭に入ってこない。

 「十六歳のリーオ」は運んでいるうちにパニックから抜け出し、今は頭上一メートルの位置でぴたりと浮かんで無言で浮かんでいた。

 指先は強ばって、どうしても白と青の花束を置けない。
 見上げると「リーオ」は落ち着かない様子だった。シロをちらりと見ては首を横に振った。

「「リーオ」」

 と、リーオ=バスカヴィルは昔の自分に語りかけた。まるで本当にそっちが自分自身だとでも言いたげに親しい語り口で。

「申し訳ないけど、ちょっと待ってて。シロはもしかしたら・・・・・・」
『そいつがあの時の奴で、また追いかけてきただけだろう。エリオットの姿で惑わすつもりなんだ、グレンを守るとか訳の分からない理由で・・・・・・あれはエリオット、のはず、が・・・・・・』

 十六歳の自分は落ち着かなくシロを見つめては目をそらしていた。バスカヴィルの長は花束をそっと墓石の横一メートルに置いた。・・・・・・やはりまだ墓参りは出来ない。

「ハンプティ・ダンプティはエリオットと契約していた。シロも普通の猫じゃない行動があった。
 もし死後もエリオットを巻き込んでるんなら放っておけない」
『やっぱりエリオットを忘れたんだ。未来の方が大事になったんだ』

 「十六歳のリーオ」は懇願するようにの真っ黒なコートの袖を引っ張った。数年前チェインの事故で臓器をぶちまけた時にも感じたことがないほど激しく胸が痛んだ。

『それが本音なんだ。もう新しい居場所があるんだ・・・・・・過去を、僕を捨てるんだ』
「・・・・・・違うよ」
『もう・・・・・・十六の頃の誓いなんて』
「僕はそのためにここに死にに来た!」

 十六歳の漆黒の瞳はもう一人の自分を鏡写しにした。

「なにそれ・・・・・・殺されない時間稼ぎ? 今までの迷いを僕が知らないとでも?」
「『昔の僕』、君は過去なんかじゃない。今も僕の心は十六歳のままだ。
 君は一番大切なものなんだ。あの時誓ったろう?」
『もうその頃の悲しみも苦しみも消えかけているくせに!』

 反論する前に白い影がリーオ=バスカヴィルと「リーオ」の間に飛び込んだ。

「しゃーっ!」
「シロ……っ!」

 威嚇の声とともにシロは黒いコートから離れ、白い制服姿の側に寄った。

『……エリオット?』

 「十六歳のリーオ」は迷子の子供が母を見つけたような表情を浮かべた。

 半透明のエリオット=ナイトレイは「リーオ」の前に浮かんでいた。彼もラトウィッジの制服のまま、過去のリーオと今のリーオを硬い表情で交互に見る。

 それはあり得ない光景だった。学生服のエリオットとリーオが並んでいるなんて。

「やっぱり君はエリオットなんだね」
「・・・・・・オ!」

 エリオットは大きく口を動かしたがかすれた音しか聞こえない。まだ声は出せないのか。その仕草の一つ一つが本当にエリオットそのままで・・・・・・ハンプティの幻影とは切り捨てられない。

「お・・・・・・そん・・・・・・ろっ!」
「アヴィスの導き? それともハンプティの記憶を操る力の一環? まあいいや・・・・・・最悪だけど、せっかくだ。
 鬱陶しい告白をするね、僕は君に出会って初めて生きていると実感できたんだ。それまで心が死んでいることすら気がつかなかった。
 だから君の為に死にたかった、でも失敗した」
「……ばかっ、やろ!」

 ついにエリオットは喋ることができた。

「俺はお前に死んでほしくなんかない」
『・・・・・・嘘、本当にエリオット?』
「こんなこと止めろ!」
「・・・・・・君は、偽物のエリオットじゃないみたいだね」

 「リーオ」はエリオットの言葉にびくりと身を震わせたが、リーオ=バスカヴィルは驚いていないようだった。
 ようやく声が出たエリオットは白い制服の胸元を苦しそうに押さえて「リーオ」の気持ちを否定する。

「あんな別れ方になって、罪悪感を持つなって言う気はない。けど俺はリーオにどんな形でもいいから生きて欲しい」
「・・・・・・」
『エリオット・・・・・・でも僕は君を死なせたんだ、罪があるんだ。・・・・・・君のために生きていこうとようやく思えたのに』
「頼む、未来を生きてくれ」

 そんなこと。

「・・・・・・「リーオ」、おいで。君の言うとおりだ、それはハンプティ・ダンプティの仕業だ。グレンを生かすために僕らを騙そうとしているんだ」

 リーオ=バスカヴィルは過去の自分をエリオットから引きはがした。

『でも・・・・・・この目は間違いなくエリオットの目・・・・・・偽物とは』
「本当にエリオットだったらなんだって言うんだ!」

 闇夜で光を見つけたように「エリオット」へふらふらと近付く「リーオ」の手首を跡になるほど強く握る。半透明の幽霊のような手だったが、ちゃんと手に取ることができる。 

「君だってまさかエリオットが本気で僕に死ねって思ってる訳じゃないだろう? 彼の気持ちに反するだろうことは僕が一番知ってる」
『エリオットの為じゃない? ・・・・・・じゃあ、なんでお前は僕に殺されてくれるんだ?』

 漆黒の瞳が伊達めがね越しに見上げる。エリオットが間に入ろうとしてくるが振り払う。墓と花束から余計に離れる。

「決まってる、君の為だ。
 エリオットの従者だった頃の僕のためだ」
『・・・・・・従者としての僕』
「僕が跡を追って死んだらエリオットが悲しむなんて誰でも分かる。最初から承知の上だ」
『僕はエリオットの為に生きたかった・・・・・・でもエリオットから否定されたら』
「かった!? されたから!?
 言葉には気をつけろ、過去なんかじゃない。
 リーオ=バスカヴィルは贖罪の為に生きた! それに成功したから、もうこの世に用はない。それが「リーオ」の定義付けだ!」

 どんなに笑顔を作っても、心は血を流し続けている。それが「リーオ」の望みだった。そうである限り、バスカヴィルの長でも十六歳の誓いのままのはずだった。

『分からない・・・・・・でもエリオットはその事を責めている。彼の気持ちを否定するなんて・・・・・・でも僕は彼のことをずっと助けて生きたかった』

 制服姿のエリオットを一瞥してリーオ=バスカヴィルは「リーオ」の手を優しく握った。触れると腕が凍り付いて亀裂が走ったが構わない。

「「リーオ」、その気持ちは永遠に変わらないよ。
 今は生きていて辛くてたまらない、生きてても意味がない。使命が終わって、彼を死なせた罰を終わったから僕は死ぬんだ。
 生きることは償いだ、それ自体が喜びになるなんて「リーオ」にはあり得ない。
 理由もないのにエリオットがいない世界で生きられるなんてあり得ない!」

 嘘だった。

「ヴィンセントもギルバートもシャルロットもダグもリリィも! 協力してくれる人間のみんなも関係ない! 僕はエリオットの為に生きられればいいんだ!」

 そんなの嘘だ。

(そんなこと不可能だ、もう気が狂うほど悲しんでない。あれからも楽しいことは嬉しいことはちゃんとあった)

 そう認めた・・・・・・ずっと認めたくなかった。
 悲しみで自暴自棄になれない。もうエリオットの死を目の当たりにした頃の激しい喪失感はずいぶん和らいでいた。

(僕はエリオットがしてくれたように、誰かの力になりたかった)

 だが悲しんだままの心で、誰が救える?
 エリオットは未来を信じていたから、手を差し伸べられたリーオはその手を取った。嘘でないと思えたから。
 だから悲しみは隠していたつもりだった。

(僕は世界の尊さを証明したかった)

 けれど尊さを証明する度に傷が癒えていていく。誰かを守れれば嬉しかった。

 自分と似た少年の姿に救われたと同時に足下をすくわれた・・・・・・もう一人で立てて、誰かを助けることができた。悲しみに暮れた「リーオ」はいつの間にか消えていた。思い出深い日記帳が新しいものに取り替えられるみたいに。

 エリオットがしてくれたことを真似る度、リーオ=バスカヴィルは十六歳の頃世界の全てだった感情を失っていく。セピアに色あせていく。

「他はどうでもいい。エリオット、君に出会ったから生きてこれた」

 「リーオ」を背に庇い、エリオットに告げる。彼から距離を取った分、エリオットの墓は遠くなっていた。花束は墓石の上ではなく、横で風に揺れていた。

「俺の話を聞け! ヴィンセントに伝えたろう、俺はお前に謝りたかった。そして生きて幸せになって欲しい、そんなの当然だろう?」

 否定を重ねられた「リーオ」がびくりと懐に抱きついてきた。エリオットはあくまでこの「十六歳のリーオ」ではなくリーオ=バスカヴィルに言葉をかける。

「ねえ、エリオット。一つ尋ねていいかな」
「死ぬな、お前は俺の大切な従者なんだ」
「君は色々言って僕を生かそうとしてるけど、じゃあずっと側にいてくれるの? そんなことが可能なの?」
「・・・・・・それは、それとこれとは」
「やっぱり、君は生き返ったわけでも、帰ってきたわけでもない! ・・・・・・君はただ、今僕を引き留めるこの時だけ存在している影なんだ!」

 ナイトレイの鍵で宙を一閃するとエリオットの墓の側に浮かんでいたハンプティが悲鳴を上げて地に落ちた。そうするとエリオットの姿はちかちかと点滅した。

「君は僕の知ってるエリオットじゃない、ハンプティが生み出した幻影だ」
「俺は、幻じゃない! ハンプティは関係しているが、本当にエリオット=ナイトレイなんだ! ・・・・・・シロのこと見てきただろう? お前を守りたかった」
「シロはなんなの? あの小さくてかわいい猫もハンプティの化けた姿だったとでも言うの」

 山小屋の小さな思い出が罪深い色に見えた。しかしエリオットは即座に否定した。

「まさか、違うさ。
 そんなのお前がすぐに気がつくだろ。ハンプティ・ダンプティがお前に引き寄せられたのは事実だ。けれど無意識に拒絶していたから、近づけなかった。
 だからこのチェインは考えた、力を思い切り小さくして何かと契約すれば近づけるって。そんな時に死にかけた猫が山に捨てられた」
「動物と契約ね・・・・・・契約の声はにゃあかな? たまにいるよね、そういう妙な契約をするチェインって」
「シロがずっと俺だったわけじゃない、傷が回復してからはほとんどただの猫だった・・・・・・ただお前が危険なときだけハンプティが俺の記憶を再現して、お前を助けようと」
「ハンプティの場合は契約者の分散の応用ってことかな・・・・・・ふざけやがって!」

 黒き剣を地面に突き立てて、後ろに飛んでいたハンプティ真っ二つにする。エリオットの墓の近くのハンプティにもとどめを刺そうかとする。しかしエリオットまで苦しみはじめていたので手が止まった。

「よくも、よくも今まで僕の側にぬけぬけと・・・・・・エリオットを殺しておいて、天使の家の兄弟を喰い散らかしておいて」
「やめ・・・・・・姿が保てな・・・・・・」
「挙げ句こんな風にエリオットの姿を利用するなんて」
「俺は本物だ! 生きていたわけでも、幽霊でもないけど、記憶と心は一緒に学校に行ってたときのままだ・・・・・・確かに本当はこんな風に出てこれる訳じゃないかった。
 でもお前が死にそうになることを俺もこいつも放っておくことはできない!」

 エリオットの影がなにかを必死に身振りしたが、音の一つも立てられない。けれどリーオ=バスカヴィルの心をかき乱すには十分で叫びはどんどんヒステリックになった・・・・・・いや、必死に嘘をついた。

「つまり、君は僕が生きるって決めたらまた消えるんでしょ」
「・・・・・・リーオ、俺は死んだんだ。今の俺の気持ちは確かにエリオット=ナイトレイのものだけど、記憶から再現したものにすぎない」
「エリオット、君は勘違いしてる。僕は君が原因で死ぬけど、君の為じゃない。そんな美しい理由じゃない」

 背にかばった「リーオ」がびくりと震えた。

「エリオットに出会って命を懸けてもやり抜きたいことが出来たんだ。それがとても嬉しかった。
 生まれて初めて、生まれてきて良かったって思えた! だから誓った、何をしても、誰を殺しても、僕が死んでも君を絶対死なせないって!」

 独りよがりの身勝手な誓い。潔癖なエリオットは知ったら軽蔑していたかもしれない。
 それでもこの世界で一番大切なものはエリオットのために何でもするという誓いだった。

「そのはずだーーこの先になにがあってもそれと同じくらい大切なものがリーオにたった一つでもできるもんか!」

 必死に嘘をつく。けれど嘘だけではない。その誓いがどんなに生きる力を自分にくれたか。世界と自分を初めて肯定できた。

「結局僕は君に縋ることしかできなかったってことかな。
 それより大切なものが出来るかもしれない未来なんていらない」
「・・・・・・そう思うなら」

 もしそうなら、心の中でさえ過去になって、終わったことになってしまう。

「そう思うなら、もう未来に大切なものが出来たってことだろう! それが生きていけるってことじゃないのかよ! なんで死ぬんだよ!?」
「それじゃまるで、君の代わりなんていくらでもいるみたいじゃないか!」
「・・・・・・な」
「エリオットじゃなくてもよかったみたいじゃないか。話しかけてくれれば、優しくしてくれれば誰でもよかったみたいじゃないか。居場所があればなんでも良かったみたいじゃないか!?
 ただ縋る場所としか見なしていなかったみたいじゃないか・・・・・・そんなの認めない、エリオットの代わりなんているもんか!」

 独善的で思い込みの激しい感情、それがあの頃のリーオを一番生かした。死んだはずの樹木が再び緑に色づく奇跡のように。

「……俺は、それでも生きて欲しいんだ」
「君は幻だろう、エリオットじゃない。これから側にいてくれるわけでもない・・・・・・僕にどうしろって?
 嬉しかった、暗闇が僕を殺しに来てくれて。裏切り者って、昔の自分を過去にするなら、だんだんと色あせていくならその前に殺してくれるって現れて」

 エリオットは喋らない、呆然としていた。水色の瞳の中で絶対に過去を過去のまま保存するため懸命に今をもがく姿がゆらゆらと揺れた。

 リーオ=バスカヴィルは「十六歳のリーオ」の腕を掴むと膝を折り、神に罪を告白するように祈りの姿勢をとった。

『僕は、過去なんかじゃない。グレンになったって、僕はただの思い出なんかなじゃない』
「なら殺せ、早く! エリオットにかまうな」
『エリオットがいない世界で僕が、リーオが生きていけるなんて嫌だ! でもエリオットの声が、声が』
「君が好きだよ。今の僕よりずっと……彼が世界の全てで僕には十分だった。だからそうでなくなりつつある僕を殺してくれ・・・・・・」

 一番美しいと思ったものが、ただ過ぎ去っていくくらいなら。

「ほら、殺して」
『それでも・・・・・・エリオットが否定するなら、出来ない』
「・・・・・・リーオ」

 視界の端でエリオットが安堵した表情を浮かべた。

『僕は、エリオットのために生きたい君の感情だから、エリオットが望まないなら出来ないんだ!』
「・・・・・・ならもういい、自分でやる」
「リーオ!?」

 かちりと銃が音を立てた。真っ黒な口径の大きめの拳銃。黒翼三体は撃ちやすいサイズになって、主の手の中に収まった。

「やめろっ・・・・・・頼むから止めてくれ」

 これで頭を撃ち抜けばいい。頭を打ち抜くことで黒翼の力を利用して全身をズタズタに引裂き、流石に死ぬ。

「勘だけど、この十六歳の僕がいなくなったら僕はもう君のために自殺できないんだ。それがタイムリミットだ」

 銃口は火のように熱い。こめかみに押し当てれば皮膚がじわじわと焼け始める。

「立ち直ってなにが悪い。それは当然だ、お前がちゃんと今を生きてきた証だ!」
「立ち直ってたまるもんか。君に否定されても構わない……完全に過去になるくらいなら」
「……」
「君を二度も死なせて……このまま救われてしまうなら、僕は!」

 銃口はこめかみ。指先は撃鉄。生命は風前の灯火。
 引き金を引けば、グレンの魂だけを保存して「リーオ」の生はここで終わる。

 エリオットの表情が歪む。せめて彼に微笑んだ。

「・・・・・・それは俺の為じゃないだろう!」

 きっとエリオットはずっとその言葉を言いたくなかったのだろう。
 だからちゃんと、考えてきた結論を答える。

「そうだ、エリオットの為じゃない・・・・・・一番大切な思い出をなくしたくない自分の為だ!」


 がぁん!


 ・・・・・・音は以外とあっけなかった。
 そしてリーオ=バスカヴィルは頭から血をこぼして倒れた。芝生にどさりと落ちた身体は予想以上に軽い音を立てた。

「リーオ・・・・・・嘘だ」

 エリオットの影が絶望を映した。エリオットの影から飛び出したシロが倒れたバスカヴィルの主に駆けよった。
 血が流れる頬をシロの舌がなめる・・・・・生きているはずがない。

「・・・・・・うそ」
『生きてる・・・・・・?』

 けれどリーオ=バスカヴィルは生きていてた。証拠に繋がっている「リーオ」が消えていない。

 銃弾は確かに発射されていた。
 けれど弾丸は発射されず内側で爆発して、シリンダーの内側を熱で歪めている。
 リーオは衝撃でこめかみから耳にかけてざっくりと血を流しているが、他は無傷だった。

 それだけ。

「……不発?」

 チェインの力を変遷させた武器はリーオの思い通りになる。何度か練習もした、問題もなかった。

 それなのに、なぜ?

(ああ、そうか)

 よく見ると銃はおかしな形をしていた。
 いろいろなパーツが足りていない。あちこち歪んでいるし、銃弾も妙な形だ。こんな銃身じゃ銃弾が発射できるはずもない。

 ・・・・・・リーオは無意識にいつも連れているジャバウォック、梟、ドードー鳥を武器に変えたつもりだった。

 ジャバウォックはヴィンセントとの決闘とアンノウンとのやり取りでダメージが大きい。
 梟とドードー鳥はさっきのレヴィとの諍いでそれぞれ負傷している。
 さっきは三体使ってハンプティ・ダンプティをたくさん撃ち落とした・・・・・・黒翼とはいえ消耗していないはずがない。

 それを形にするから歪む。・・・・・・いや。

(ヴィンセントが、アンノウンが、レヴィが。
 エリオットとハンプティまで。
 僕を生かそうとする存在が、まだ僕を止めようとしている・・・・・・?)

 なんだそれは。馬鹿馬鹿しい。
 下らない妄想だ。ただの偶然だ。

『あの日の誓いを忘れないで』

 十六歳の自分が叫ぶ。まだその感情を宿したまま一緒に死んで、と。
 エリオットの影が見つめる。その瞳にはある種の覚悟が宿っていた。

 あとはリーオ=バスカヴィルの気持ち一つだった。

「僕は・・・・・・」

 次ならはずさない。
 念じれば、忠実なチェインたちは小さいが欠けていない完璧な形の形に変化した。シリンダーを回し、銃弾を確かめる。

 これなら撃てる。今度は完璧。すぐ死ねる。
 もう一度こめかみに押し当て引き金に指をかける。

(ヴィンセント、アンノウン、ギルバート、シャルロット、ダグ、リリィ、ミセス・フィン、ミス・シャロン、ミスター・レイム、バスカヴィルのみんな、人間のみんな・・・・・・みんな、みんな)

 みんなに。
 もう二度と会えないなんて嫌だ。
 今までずっと助け合ってきたのに、これからどんな未来を歩むのか見たいのに。

「くそっ・・・・・・畜生」

 引き金の指が震える。封じていた感情がぼたりぼたりと塩辛い液体となり頬から大地へと落ちた。

(エリオットだけがいればいいリーオでいたかった)

 けど、どんどん大切な人は増えた。
 初めて書き終えた猫の皮表紙の日誌を新しいものにするみたいに全ては去っていく。心の中にも永遠はない。

(そんな薄情さ認められるものか。救ってくれた人を忘れていくことを自分に許しちゃだめだ)

 去っていくことを止められないなら、存在することを止めるしかない。

「・・・・・・だめだ」

 けれど、撃てない。あれが最後のチャンスだった。
 あれで心のどこがが死んでしまった。過去になって引き出しに仕舞込まれてしまった。
 

「・・・・・・どうして、もう一度撃たなかったんだ?」

 エリオットが喋った。責めるでも嘆くでもない、落ち着いた声だった。

「・・・・・・どうしてだろうね、僕にも分からない」
『どうして、さっきまで!』

 「十六歳のリーオ」が詰め寄った。黙って横に首を振る。

「多分・・・・・・僕は今ので残ってた感情を使い果たしたんだ。エリオットが死んだ後に、一緒にやってきたみんなを好きだったり嫌いだったりしたこと忘れてたのに、思い出してしまった・・・・・・ごめん、ただのリーオ」

 空っぽの目で過去の自分に懺悔する。「十六歳のリーオ」は悲鳴を上げた。その腕を刃にして目の前の無惨な未来へ降り下ろす。

 しかし、その前エリオットが立ちふさがった。

「やめろ、リーオ」

 身動きがとれるはずもいない。怯えた十六歳のリーオの目線にエリオットがしゃがむ。

『・・・・・・僕は、僕は、誰かに選ばれたことが嬉しかった。その誰かのために生きられる、それが本当に幸せで・・・・・・その為に死にたかった』
「リーオ、俺はエドガーが嫌いだ」
『・・・・・・そうだね、君はそういうやつだよ』

 十六歳のままのエリオットは「リーオ」の肩を抱きしめて、親友にこっそりと気持ちを打ち明けた。

「でもありがとう・・・・・・友達が死んだ後も俺を忘れないためにこんなに必死で・・・・・・存外嬉しい」

 暗闇は泣いた。赤子のように。
 その光景を見て、リーオは銃を手放した。がちゃんと芝生に転がったそれはすぐにアヴィスへと帰った。

「ごめんね、リーオ。
 僕、エリオットの為だけに生きられなかったよ」

 そしてリーオは心臓に生えた暗闇の根を引き抜いた。
 灰に帰っていく過去の自分は最後のエリオットの腕の中で優雅に泣いた。





 気がつくと白い猫がマントをよじ登っていた。
 シロは心配そうにリーオの頬を舐めていた・・・・・・その姿は純粋に可愛くて、同じくらい申し訳ないものだった。

「どうしたの?」
「・・・・・・お前は、俺にはもったいない従者だったよ」

 いつまでもエリオットがうずくまっているから、傍によって覗くと「リーオ」が消えた場所を見て泣いていた。こちらの視線に慌てて目元を拭う。

 そういって彼は出会った頃のように無邪気に笑った。

「リーオ、言っただろ、どんなに時間が経っても変わらないものがあるって」
「・・・・・・僕の気持ちは違ったよ。ジャックやオズワルドみたいにはなれなかった」

 ばーかと拳骨が降ってくる。すり抜けてしまうけど、胸が暖かい。

「心配すんな、ここから始まるんだよ・・・・・・改めて、久しぶりだな、リーオ」
「エリオット・・・・・・僕を軽蔑してないの?」
「お前本っ当に馬鹿だな。まだまだ生きなきゃその馬鹿さ加減はかわんねーな」
「だって馬鹿なことばっかりしてきた」
「お前が大馬鹿野郎だってのは最初っから知ってる・・・・・・お、晴れてきたな」

 気がつけば空は灰色の隙間から空色を見せていた。自分の心を反映しているみたいで、リーオはなんだか恥ずかしかった。・・・・・・すっきりしていた。

「だいたいお前はさ、俺を忘れたくないっていってんのにちぐはぐなんだ。今のお前ときたら本は読まない、ピアノは弾かない、キレて暴れたりしないいい指導者みたいなのに、必死に楽しまないように心を殺してる。
 俺と一緒にいた頃と全然違うじゃねーか・・・・・・大事に思ってくれる割には全然違う生き方しやがって」

 それこそ忘れられてるみたいでシロの影で切なかったぞと振り返る、その姿はさっきより儚くなっていた。

「・・・・・・どうせすぐ消えちゃうんでしょ」
「まあな・・・・・・でもそいつは違うぜ?」
「みー」

 じたばたとマントをよじ登っているシロ。ハンプティとの契約は折を見て解除してやらねばならないだろう。エリオットの二の舞にだけはしたくない。

「シロ、いろいろごめんね。ねえ・・・・・・エリオットはいつ頃、またいなくなっちゃうの?」

 夕方くらい、と告げられる。時計はもう三時を過ぎていた。

「エリオット、君は本当にひどい主人だよ・・・・・・君がいなくなってから本当に辛かった。何をしても生きてても意味がなかった。従者をこんなに苦しめて最悪の主人だよ」
「悪い、俺はお前がその気持ちから抜け初めて嬉しいぞ」
「お願い、行かないで。どんな形でもいいから傍にいて」
「悪い」
「友達の一生のお願い」
「・・・・・・無理なんだ、分かってるだろう」

 無くしたはずの涙がこぼれては墓場に吸い込まれていく。

「ごめんね、なにから謝ったらいいのか分からないけど、ごめん、エリオット」
「そんなのはあの時俺に椅子を投げつけたことだけで十分だ」
「・・・・・・これから僕はなんの為に生きればいいんだろう?」

 自然と口をついて出た。今はレヴィやジーリィへの怒りも、オズやアリスの無念を見たときの使命感も消えていた。
 目の前の今しか見えない、真っ白な未来だけがリーオの前にあった。

「なんでもいいから思いつかないか」
「なんにも、頭が真っ白だ」
「じゃあ、あの山小屋に帰ったら?」
「・・・・・・ヴィンセントに謝ろうかな、ひどい目に遭わせたし」

 オッドアイの回想に罪悪感が染みる。エリオットはそうかと笑った。

「俺も今のお前と友達になりたかったよ、昔も今もどっちも大好きだ」
「よくそんな恥ずかしいこと言えるね」
「てめっ!? そんな水差すことばっかり言いやがって! ・・・・・・本当出会った頃からなんにも変わってねえよ、無駄な心配ばっかりしやがって」
「僕はどんどん自分がだめになっていくと思ってたよ」
「馬鹿、ばーか、馬鹿リーオ」

 そして花束を指さして、とりあえずそれを置いてくれと決まり悪そうに言った。リーオはせめて優雅に笑って、涙をこぼしながらそれをエリオットの墓の上に供えた。

「これで、終わりなんだね」
「馬鹿、始まりだ・・・・・・俺を忘れたくないって、リーオのその誓いは変わっていないって証明する方法を、俺が教えてやるよ」

 びっくりしていると優雅な笑みに抱きしめられた。・・・・・・そうして、そんな風にリーオの未来の真っ白なキャンバスはエリオットに最初の色を乗せられた。


 こうしてリーオは、償いでも使命でもない、たった一つの人生を真っ白に歩み始めた。



終わり →エピローグ




あとがき

最終回です、ここで終わりです。が、その後はエピローグで。

BGMは「ジャバヲッキー・ジャバヲッカ」と「人間ってそんなものね」で。

それでは次回、ヴィンセントまた帰ってきますエピローグにて。



 2016/07/17


おまけ設定

「エリオット(シロ)」

 ハンプティ・ダンプティがグレン(リーオ)の守護をするために猫に契約して、こっそり傍にいた存在。エリオットに強制契約解除をされたので、五年間はアヴィスの隅の方にいた。

 エリオットはメイン契約者だった+二年の長期契約者だったので、ハンプティに記憶が残っている。契約時からの記憶でこのエリオットはリーオと過ごした二年間の記憶が朧気にあるだけである。本来は記録の一部でしか無く、今回のようにグレンの危機に対して有効な方法として、生きていた頃のエリオットを再現した。今回は無理をしたので、エリオットの記憶はこれで消滅する。

 エリオットは魂の一部がハンプティに残ったままであり、まれに夢うつつに、シロを通してリーオの生活を見守っていた。それもこの旅で終わりである。

 シロ自体はただの猫に戻ることができる。


「リーオ(十六歳)」

 エリオットを失った悲しみから立ち直りつつあるリーオの罪悪感と戸惑いの具現。グレンの力の一部が感情を持って分離した存在。

 本人は一生悲しむつもりだったが、やはり時間が経てば鮮烈さは失われた。そのため鮮烈さを保った状態での死を解決策として、手始めにリーオを重度の病にした。

 本来はすぐ消える儚い存在だったのだが、リーオがその姿にかつての自分の生き甲斐を見いだしたので力を与えた。

 やっぱりエリオットの従者なので本人に否定されたら、折れてしまった。


「旅の理由」

 結局、リーオは潔癖性なんだろうという物語でした。けど大切な何かの前ではだれでも潔癖なものだと思います。

 悲しみもいろいろあって、
 あんなに辛かったのにいつの間にか傷が癒えていることが悲しい、まるでなかったことになったみたいだ
 というものもあるかなと思っています。

 あんなに世界の全てだと思っていたのに、ある日ほかに大事なものができるという。それは幸福になってしまった本人が時に自分を責めてしまうかもしれない。

 同時にリーオは世界の尊さを証明したり、みんなと協力したり、誰かを助けられたら、その過程で悲しいだけはなくなります。

 ある日愕然とします、まだなんとか辛い気持ちがある。けどだんだん薄れてる。エリオットを死なせたという気持ちもあります。悲しみと罪悪感で死ねなくなるのはそう遠い日ではなさそうだ。

 だったら最後に賭をしよう・・・・・・それがリーオの旅の理由です。