旅の終わりから三日目。場所、ユラの屋敷。今は火事でただの廃墟になっている。

「はあ、見つからないなあ」

 じっと黒こげの床を見る。全身煤と蜘蛛の巣まみれだ。もう三日探しているが、一向に見つからない。

「……ムシがいいよな、五年もたってるのに今更探しに来るなんて」

 にゃあとシロが慰めるように鳴いた。……シロの瞳はもうエリオットの青ではない、緑の穏やかな瞳だ。
 それでも四日目も廃墟の床を這いつくばって探した。それでも見つからず、もう使われてないパンドラ本部の取調室、ヴィンセントに連れてこられた屋敷……果ては乗合馬車の忘れ物置き場まで行った。

 それでも見つからない。既に一週間が経過していた……潮時だろう。

「……やっぱり時間がすべて解決しちゃうんだな」
「にゃあん」

 叱るような声でシロはリーオの頬を舐め、リーオはレベイユを去った・・・・・・遂にエリオットのくれた眼鏡は見つからないまま。



 リーオの旅 エピローグ ~昔の本をもう一度~ 





 予鈴が鳴ってから四十五分もリーオは我慢していた。

 じっと黒板を眺めて、教科書に目を走らせる。ここは教室で周りはクラスメート。特に問題はない。しかしだんだんと不機嫌は悪化していった。

(やっぱりつまらない授業はつまらない)

 かつかつと黒板とチョークが音を奏でる。教師は無能でも有能でもなく、淡々と古典書の解釈方法を告げていく。教室の生徒たちはとくに疑問を持たず板書を写し、教科書に目を落とし、あるいは外を眺めていた。

 けれど気に入らない、そんな教え方をしても生徒はおもしろくないじゃないか。

「それでは誰かこれが分かるもの、挙手を」
「はい、先生」
「げっ!」

 先生はポーカーフェイスが苦手だ。

 ざわりとクラスの中に緊張が走った。またあいつか、いつものことよ、俺どっちが勝つか賭けようかな。
 リーオがみんなににっこり笑いかけると背後から消しゴムが飛んできた。ばちいと下敷きで防ぐ。視線だけ振り返った後ろではオッドアイの男が無表情で板書を写していた。

「き、君はだめだ」
「なぜですか、せっかく予習してきたのに」

 リーオはノートを手にして無邪気そうに首を傾げた。

 教師からみればだってもなにもない。彼は入学して一週間で教師にまつわる忌々しい噂の固まりになった謎の成人転入性だ。圧倒的知識量で泣かされた教師が続出している。

「君は大人だろう、知識の量でほかの生徒と大きな開きがある。君が答えていては不公平だ」
「それは心外です、先生。僕は事情があり、勉強を始める年齢が遅かったのです。ほら、この通り腕も片方しかありません。
 だから、この学校へこの年齢で来たのに」

 嘘は言っていない、嘘は。

「先生は生徒を年齢で差別するんですか?」
「・・・・・・・ぐぐ」
「先生、すみません。うちのマスターには後できつーく言っておきますから」

 急にヴィンセントが背後からホールドをかけてきた。これじゃ喋れない。金点蹴りをしてやろうか迷っていると、教師の方が早く感情を爆発させた。

「リーオ=ナイトレイくん! 君という奴は!」

 その時キンコンカンコーンとチャイムがなった。終わりの合図にリーオは渋い顔をしたが、教師ははっとして教室から逃亡した。
 偶然宿題がなくなった教室内ではリーオへの批判は出なかったが、また距離を取られてしまった。新しい友人を作るという目的がまた遠ざかってしまったようだ。




 授業が終わったので、寮への帰る。廊下を歩いているとヴィンセントに説教された。

「リーオ様はどうしてトラブルを起こすんですか、もみ消すのは僕なんですから自重してください」
「この五年で子供は学問に興味を持つべきだと思っているから、その信条上苦言を言いたくなるんだよ」

 オッドアイがジト目になる。

「ロッティからトラブル厳禁を厳命されてる僕の立場を考えてください」
「だいたい何でお前までラトウィッジに・・・・・・」
「 い い で す ね ? 」
「・・・・・・ごめん」

 十代の子供が集う場所に入学したヴィンセントはとてもいやそうに白い制服を着ていた。リーオと違ってラトウィッジの制服を着ることに抵抗があるらしい。
 窓を鏡代わりにしてリーオ自身の制服姿を確認するーーうん、これはヒドい年齢不相応だ。従者の苦情が増えるはずだと溜息が漏れた。

「迷惑かけてるのは分かってるけど、でも」
「・・・・・・ま、いいですよ」

 急に達観した顔になる。廊下は終わり、寮への小道に出ると秋風がざわめいていた。

「なんだよ? えらく聞き分けがいいな」
「細かいことはどうでもいいんです・・・・・・リーオは死ぬことを思いとどまってくれたんですから」
「・・・・・・」

 リーオは半年前、旅を終えてひょっこりとバスヴィルに帰ってきた。ヴィンセントと決別してから一ヶ月も経過した頃だった。

 ロッティ、ダグはとても怒っており、ギルバートは打ちひしがれてアヴィスから帰還したヴィンセントの姿に怒っていた(リリィだけは場のノリで怒っていた)。その後といったら閻魔大王もかくやというほど叱られ、一ヶ月ほどバスカヴィル本部に軟禁された。

 そして感謝された。死を思いとどまったことに。

「シャルロットたち、元気かなあ。そういえばバスカヴィルの民って初等学問くらいは義務化しても良いと思わない?」
「そんなに気になるなら引退を撤回して、学校は今度にしては」
「ぐぬぬ・・・・・・」

 その後、リーオはグレンを半分引退した。バスカヴィルの民とアンノウンに「死ねない呪い」をかけられることと引き替えに五年は完全にフリーになった。
 ちゃくちゃくと業務を引き継ぐと姿は妙に吹っ切れていて、鼻歌まで歌っていた。

 そしてなんとリーオはラトウィッジに復学してしまった。五年たっても学籍が残っていたので「最初から入学しなくていいなんてラッキーだった♪」と告げるリーオにバスカヴィルの民はぶっ倒れた。・・・・・・どうもナイトレイの墓場を離れた後の空白期間に色々な工作をしていたらしい。

「ヴィンセント、成績良すぎー。学校くる必要ないじゃん」
「ナイトレイ家には無駄に本がたくさんありましたし、パンドラに入るには一応試験があったんですよ」
「ピアノくらいしか、僕が教えられることないじゃん。つまらないー」
「連弾ならまたお引き受けしますよ」

 あんまりな顛末に耐えかねて、従者はラトウィッジ近隣に家を借りた。そしてなにを思ったのか自分も入学していた。

 結果として、謎の成人転入性・リーオとヴィンセントは同じクラスで勉学に励んでいた。面倒ごとはまとめて監視したいのは学校も同じらしい。

「いや、監視役がついてるのは分かるんだよ。でもヴィンセントなら用務員とか、特別教員とかそういう枠で付いてくるのかと」
「同じ立場じゃないとあなたのしでかすことにはついていいけないんです」

 変なところで思い切りのいい男だ。

「しかもクラスメートと遊びたいとか言ってる割に浮きまくってるし・・・・・・なんで学校なんて」
「しょうがないでしょ、エリオットの分まで学校を卒業するって決めたんだから」

 エリオット、その言葉はすでにリーオにとって禁句ではなくなっていた。

「・・・・・・ならいいですけど、なんですか、それは」
「それって」
「あなたの名前のことです」

 指さす先には教科書に書かれた名前。
 リーオ=ナイトレイ。その名前にヴィンセントはまた溜息をついた。

「何度も説明したでしょ、変かな?」
「なにもかも変です」

 ヴィンセントは意外と似合っているラトウィッジの制服を翻し、教科書を突きつけた。決闘を申し込む騎士のようでちくはぐだ。

「・・・・・・まあよく説明をごまかしてこられたってところかな。寮の横のベンチで話すから、着いてきて」

 ヴィンセントは驚かなかった、エリオットともよく利用した放課後の話に最適なベンチに招く。
 夕方前は二人で座ると影が長い。秋の日差しはとても穏やかで、昔このベンチでエリオットと語らったことを思い出す。

「この名前を名乗れる理由だけど・・・・・・ナイトレイの人たちから名前の一部を買ったんだ」
「買った・・・・・・はあ?」
「正確には家督の端っこの座というか、まあ正式に名乗ってもいいってことになったんよ。一族全滅した呪われた家名ってことで二束三文で証明書もらってさ」

 肩をすくめると枯れ葉が肩から落ちる。エリオットが聞いたら怒り狂いそうだ。

 戸惑うヴィンセントに説明を続けた。リーオ=ナイトレイというのは架空の人物に近い存在だ。リーオの名前を半分、ナイトレイの名前を半分使って、そんな誰にも知られていなかった末端の貴族がいたことにして、学校に通っている。

「そんなことがしたくなって、死ぬのをやめたんだ」

 学校に行っている間しか存在しない仮初めの存在だ。卒業後もなんとか生かしてやりたいが予定は未定。

 リーオ=バスカヴィルはバスカヴィルの長で、リーオ=ナイトレイはラトウィッジに復学した謎の貴族? だ。設定として病弱で勉強ができなかったが大人になってからも学校に憧れて、という説明を学校にはしていた。

 主人の言葉に従者は悲しげだった。

「・・・・・・そこまでするのは、やはりエリオットの為ですか?」
「うん、やっぱり自分の為に生きるつもりにはなれないんだ。僕って自分のこと好きじゃない歴史が長いし、お前なら分かるんじゃないか?」
「・・・・・・さあ」

 秋のベンチは暖かい日差しと冷たい風で何とも不思議な温度だった。

「リーオ様はエリオットの思い出の中にいて辛くないのですか?」

 また主人は死に誘われるのでないかとヴィンセントは安心と不安の狭間にいた。暖かい場所に誘いたくてできるだけ優しい笑顔を浮かべた。

「もちろん辛いさ・・・・・・でも、やっぱりエリオットには勝てなくてさ」

 そしてリーオは全てを語り始めた。


・・・・・・


「悲しみが薄れたなら、生き方で俺を覚えておいてくれ」
「エリオットの・・・・・・生き方を?」

 あの日、エリオットの亡霊と一緒にエリオットの墓を眺めて色々な話をした。

「んじゃ、従者として俺の頼みを聞けよ」
「君ってばいつも無意味に偉そうだね・・・・・・なに?」
「俺を忘れたくないから死のうとしたんだろう? なら絶対に忘れられない生き方を教えてやる。
 まず学校へ行け、ラトウィッジに戻れ」
「なに言ってるの。僕はもういい大人なんだよ。学校なんて」
「そして俺が卒業できなかった分も卒業してくれ」

 ・・・・・・そつぎょう? とリーオは足下をふらつかせ墓場の草を踏みしめた。想像もしてなかった言葉がエリオットからどんどんこぼれる。晴れの空からキャンディがこぼれるみたいに。

「あと二年で卒業だったろう。そして勉強して、たくさんの人に出会ってくれ。俺はそうできなかったから」
「・・・・・・・・・・・・」
「その剣も大切にしてくれよ? たまにナイトレイの墓の様子も見てくれるとありがたい、まあもう遠い親戚しか残ってないが血族だからな」

 エリオットはとても欲張りだった。リーオは真っ白な未来に少しだけ色が付いたと感じた。人生という白紙に目印のような言葉が色をつけていく。

「あと聖騎士物語を最後まで読んでくれ、俺は最後まで読みたかった。あの作者は遅筆だから、あと十年は生きるのを覚悟しろ。もちろんピアノも弾けよ、お前は才能があるんだから大事にしろ。本を読んでピアノを弾いて突拍子もなくてこそ、俺の知ってるお前だ。
 それとそれとな・・・・・・あれとこれと、あーあれも」

 白金の髪の少年両手の指でも数え切れないほど願いを言う。半透明に背景を透かしたその姿にリーオは別離に怯えずにはいられなかった。

「・・・・・・本当に生きてやりたいことが沢山あったんだね」
「ああ、数え切れない。山ほどあった。だから叶えてくれ・・・・・・今のお前ならできる。悲しみを乗り越えることができたから」
「・・・・・・乗り越えてなんかいないよ、薄情なだけ」
「オズ・・・・・・は死んじまったか。よかったらほかのベザリウスの一族に顔だけでも見せてくれると助かる。ベザリウスとナイトレイの和解は貴族の男としての一番最初の誓いだったから」
「エリオット、エリオット」

 リーオはすでに悟っていた。エリオットの残り時間はもうすぐだ。その淡青の瞳はどんどん透明になっていって・・・・・・。

「あとは俺の親友のことだ」
「ごめん、ごめんね、ごめんよ。僕は君を死なせた」
「幸せになってくれ・・・・・・とは言わない。そんなに割り切れないだろう。生きてくれればいい。
 ただ本当は親友が幸せなら俺も幸せだ。もし忘れられても、だ」
「忘れられるわけない。忘れたくない。ねえ、何でもするよ、アヴィスの禁忌でも犯す。
 お願いだよ、いかないで。僕だけじゃ証明できないんだ、君が確かにこの世界にいたことを」
「・・・・・・あーもう、まどろっこしいな!」

 その時エリオットは苦さと甘さの入り交じった瞳をしていた。

「お前の人生を俺にくれ! っていってんだ! 証明に俺の人生の痕跡のこしてみろ!
 呪いでもかかったと思って聞いてくれ・・・・・・『エリオット=ナイトレイの未練を果たす存在として生きる限りはリーオはエリオット=ナイトレイの存在を証明することができる』・・・・・・いいか悲しみが薄れても俺を忘れても、だ」

 死と生の呪い・・・・・・暖かな呪いの約束だった。

「・・・・・・ズルいよ。あんなに沢山何年かかると思っているの。ようは君の真似をして生きろってことでしょ」
「・・・・・・なあ、俺はお前を恨んでない。幸せを願ってる。忘れちまったってかまわない。でもお前にはそれが苦痛だろう」
「うん・・・・・・いやだよ、全てなかったことになるみたいで絶対いやだ」
「なら俺の人生やる。痛みじゃなくて生き方で俺を覚えていてくれ」
「君の人生を・・・・・・くれるって言うの?」

 エリオットは不思議なことをした。自分の墓に膝を折り、祈りを捧げた。

「呪いを掛けさせてくれ・・・・・・どうかこの誓いによってリーオに一日でも多くの良い日が訪れますように」
「エリオットのしたかったこと叶えるよ。この人生一滴残らず使う」
「俺、お前に会えて良かった」
「待ってよ。お願い、ずっとなんて言わないからもう少しだけここにいて。いやだ、いやだよ、お願い行かないで」

 ありがとう、という言葉が聞こえるとエリオットは消えていた。
 エリオット=ナイトレイと刻まれた墓だけがそこに残っている。夕焼けの陰でシロが悲しそうににゃあとないた。
 あとは泣きじゃくるリーオが墓場に立ちすくんでいるだけだった。

・・・・・・



「それは・・・・・・本当ですか?」
「まるで嘘みたいな話だろ?」

 今初めて話した。信じられないのも無理はない。
 リーオはたった今ヴィンセントにはあの旅の顛末を全てを話した。・・・・・・流石に銃で頭を撃ったこと秘密にしているが。
 「暗闇」のこと、シロのこと、エリオットの亡霊の話をヴィンセントはまだうまく飲み込めていないようだった。無理もない、リーオの願望の見せた夢と思われた方が自然だ。
 
(エリオットの義理の兄さんたち。ギルバートとヴィンセント、僕なりに大事にできればいいな)

 ちまちまと兄弟イベントを起こしているが山小屋の頃のようになかなかうまくいかない。心の中のエリオットに尋ねると彼は十分だと返してくれる。

「これからは僕はエリオットが生きていたらやっていただろうことをやっていく」
「・・・・・・だから学校なんですか?」
「生真面目な彼は学校をちゃんと卒業したかったろうから、僕が卒業する。せっかくだから同じ名字のリーオ=ナイトレイになってさ」

 幸い? 孤児のリーオには名字がなかったので、名字を追加する分にはなんとかなった(金で)。出席の問題もあるがこのままならあと二年で卒業できるだろう。教師陣は一刻も早く卒業して欲しいと学園長に嘆願しているらしいが。

「でもエリオットって結構志が高いというか、欲が深いというかーー願いを叶えても叶えても終わる気がしないんだ。バスカヴィルの寿命全部使っても足りない気がする。あの本も読みたい、この曲も弾きたいって、いくらでも浮かんできてさ」
「ーーそれは結構なことです。でもアレはエリオットの願いじゃないでしょう?」

 従者は宙を指さしてそこのいるチェインを示したーーハンプティ・ダンプティ。黒翼を除いて、唯一リーオが契約しているチェインだ。

「変だよね、あんなに憎かったハンプティと僕が契約しているなんて」

 リーオはベンチから立ち上がり、ハンプティを近くに寄せた。漆黒の瞳は常温の氷のようにエリオットの死の原因となったチェインを見つめた。ふっとその隣に半透明のレヴィが浮かんでいて「バカだな」と呆れて笑っていた。

「でもこいつと契約している限り僕はエリオットとの約束を忘れない・・・・・・そんな考えは甘いかな?」
「あなたは自分に厳しすぎます」
「エリオットを殺して、二年生かしたチェインだ・・・・・・僕にはお似合いかなっても思うんだ」
「ハンプティへの殺気が押さえ切れてませんよ・・・・・・もっと自分に甘くなってください」
「ヴィンセントにだけは言われたくないなー」

 頬を膨らませるがヴィンセントはそれ以上聞かず、自分のチェイン・死刑執行人を思い出した・・・・・・他人のことは言えないのかもしれない。

(僕がギル以外の幸福を望む日が来るなんて)

 人生は数奇だ。

「最近僕に甘くない?」
「いつ厳しかったんですか、常に激甘ですよ・・・・・・僕はなんでもいいんですよ」
「なんでもってなにが?」
「僕はあなたが幸せならいいんですから、細かいところには目を瞑ります。少なくとも今のあなたは少しでも幸福になろうとしている、それで・・・・・・僕も安心できます」
「・・・・・・ヴィンセント」

 そんな秋風の似合う穏やかな表情をするなんて、想像していなかった。日の色にオレンジ色が混じり始めて、そろそろ寮の部屋に帰りはじめる。なんだか体が軽くなった気がしてリーオは伸びをした。

「さーて、荷造りするか」
「来週からの休暇ですか? 僕も行きますよ」
「確かに僕は休暇に行くけど、お前は行きたくない場所じゃないかな」
「山小屋に戻るんじゃないんですか?」
「それは冬の休暇、秋の小休暇は別件」
「じゃあ、バスカヴィルに帰りますか。シロは随分とロッティを怒らせて、ダグに懐いているみたいです」
「うう、定期的に帰らないとシロの飼い主の座が危うい・・・・・・ううん、バスカヴィル本部でもないよ。始めていくところ」

 三日前に帰ってきた手紙の返事にリーオはいたずらっぽい笑顔を見せた。下手すると返事がないと思っていただけに、どうぞ歓迎しますという返事は純粋にうれしい。

「どこでもいいですよ、あなたの従者なんですからどこまでもついていきます」
「ヴィンセント・・・・・・」

 ちょっと感動してしまう。しかし今回だけはダメだ。
 内緒話をするような近さで手紙の差出人の名前を見せるとヴィンセントの顔色が白と赤と青に順番に染まった。信号旗みたいだ。

「僕はね、エリオットが願ったことならなんでも叶えたいんだよ。大丈夫、お前は死んだよって伝えるから」

 というわけでエイダ=ベザリウスに会ってくるよというとヴィンセントはなにもいえなくなった。ベザリウスとナイトレイの関係修復は奇妙な形だが、ようやく始まるだろう。名字をもらった甲斐があるというものだ。




 時は流れ、リーオの旅の終わりから一年が経過した。
 二人の学校生活にも慣れ、リーオは最終学年に進級した。そろそろ卒業の気配を感じて、その先をどうするか不安がよぎり始めた頃。

「エリオット、久しぶり。今回もおみやげがたくさんあるんだ」

 三ヶ月に一度、リーオは聖騎士物語を持ってエリオットの墓を訪ねる。最近は思い切って片手で何とかなるフルートを始めて、エリオットの好きそうな曲を下手なりに弾くこともある。ピアノが持ち歩けるならよかったのに。

「マスター、花はスターチスだけでよかったんですか?」

 花束の準備をしていたヴィンセントはリーオの様子がおかしいことに気がついた。

「なんです、その眼鏡」
「えーとね、昔の自分の姿をちょっと復活させようかと。伊達だよ」
「昔の姿を・・・・・・ああ、最近髪を伸ばしているのはそのせいだったんですね」

 後ろで青いリボンに括られた黒髪はヴィンセントと同じくらいになっていた。勿論前髪は世界がちゃんと見えるようにちゃんと切っている。そろっていない毛先に今度切ってやろうと自分のハサミを思い出す。

「しかし、なんで三つも伊達眼鏡を持っているんですか」
「昔かけてたのと同じやつを探したんだけど、同じモノってのはないんだね。少しでも似ているのを探してたらみっつになっちゃったんだ。似合う?」
「似合いません、マスターの瞳がよく見えないじゃないですか」
「はあ? 瞳とかどうでもいいでしょ」

 きっぱりと断ってリーオはヴィンセントが準備した携帯イスに座り、小さな声で朗読を始めた。読み上げられるは聖騎士物語最新刊。周囲はドードー鳥と梟で閉ざしているので声の大きさは気にしなくて良い。

 いつもの墓参りのスケジュールにどこかほっとしているとヴィンセントはぎょっとした。

「ちょ、ちょっとマスター!? なに泣いているんですか」
「この本はさ、昔から読んでたんだ。でも今読むと昔と印象がぜんぜん違ってさ」

 読んでいた最新刊の聖騎士物語を示すと、ヴィンセントは静かに傍らにいた。

「従者が主人より先に死んじゃう話なんだ。そして今最新刊で主人公のエドウィンが昔を思い出して泣いてる。従者のエドガーの死を思って、あの時ああしていればこうしていれば」

 今彼がここにいてくれればと嘆くエドウィンのページを開いたまま涙をこぼし続けた。

「エリオットはこのエドガーっていう従者が嫌いだった。命を投げ出して、それを恐れないって言うから、周りの気持ちを考えてないってさ。
 だから言えなかったけど、僕は結構エドガーが好きだった。エリオットのために死ねる従者になりたかったから、それを果たしたエドガーが羨ましかった」

 袖口でページにこぼれた悲しみを拭っていく。

「でもね、今は主人のエドウィンの方に感情移入しちゃったんだ。あんなに仲が良かったのに、エドガーは死んじゃった。いっそ代わりに死にたかったんだろうなって・・・・・・」

 エドガーは自分の命を惜しまなかった、その事はエドウィンを深く傷つけた。

「僕だってエリオットがエドガーと同じ事を言っていたら悲しいよ。とても簡単なことなのにどうして昔の僕はそんなことに気がつかなかったんだろうね?」

 エドガーを自分に置き換えることはできたのに、エドウィンに自分を置き換えるなんてあの頃は考えてもみなかった。

「エリオットは僕のせいで不幸になったけど・・・・・・自分の命を惜しまないで死ぬなんてことをしないですんだのはよかったのかもね。
 少しは彼を不幸にしないですんだって考えてもいいのかな?」

 ヴィンセントはリーオから本を取り上げた。

「マスターはバカですね。
 いいですか、エリオットは昔から可愛げのない腕白な子供でしたが、十四の頃から余計に元気になりました。貴方が幸せにしたからですよ」
「へ?」
「そのしばらく前エリオットは元気がありませんでした。
 世の中が分かってきたんでしょうね、ナイトレイの陰口を聴くようになったんです。だからぶすっとしていましたが、ある日やたら晴れがましい顔で廊下を歩いていました。
 独り言で白き天使の家だの従者だのと嬉しそうだったり、あんなに懐いていた兄や姉と衝突していました。
 妙だなと思っていたら笑顔で貴方を従者として連れてきた・・・・・・そんなものを幸せにした以外になんと言うんですか?」
「・・・・・・僕が?」

 主人はそんな分かりきったことが分からなかったのだ、と従者は本を返してハンカチを差し出した。大人しく頬を拭うとしばしぼんやりと宙を眺める。空にはゆっくりと雲が流れていた。

「ねえ、ヴィンセント。これから小さい頃のエリオットの話とか聞いてもいい?」
「・・・・・・大した思い出はないですよ、義理の兄弟ですから」
「お前は子供の頃から陰謀に忙しかったろうしね」
「・・・・・・ああ、でも昔こんな事がありました。理由は忘れたけれどエリオットに何かを怒ったんです、確かギルに関することで」

 ヴィンセントはエリオットの墓を見つめて、遠い過去を掘り返した。

「そうしたら急にエリオットは僕とギルの跡をついてくるようになったんです」
「なにそれ!? 詳しく聞きたい!!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 大昔の話だから記憶が曖昧なんです!!」
「思い出せ思い出せ思い出せ!!」
「やめてください~」

 もっと詳しく攻撃は激しかった。ヴィンセントは耐えきれず「墓に添える花が足りない!」と墓地の向かいの花屋へ駆けだした。

「ギルバートにも聞いてみようかな・・・・・・エリオットのこと」

 走り去る背にそんなことを思う。きっと彼とは違う答えが返ってきて新鮮だろう。



 一人きりの曖昧な時間が流れる。エリオットの墓の前には青いスターチスが揺れていた。

「もうすぐ卒業なんだ、あとたった一年。僕はまた君の生き方の目標を見つけられるかな・・・・・・」

 自分の死後もエリオットがいた証が残ることを・・・・・・・・自分の裁量を越えたことだ。これからも大変だ、なにしろグレンと兼任でもある。学校という枠がなくなることは不安だ。

「エリオット、僕は君として生きる。それはきっと償いじゃなくて自分の為だ・・・・・・でも今はちょっとめげそう」

 あの騒ぎでなくした眼鏡も見つからなかったしさ、と愚痴る。その瞬間、薄墨を落としたように景色が揺れた。

 あっという間に目の前の風景が変化した、墓場から真っ白な空間へ。

 目の前に大きな絵画のキャンバスが現れる。タイトルは「人生」。

 キャンバスには過去や現在が描かれていて、その先に真っ白な未来がある。過去は途中までずっと真っ黒である瞬間からカラフルになっていた。
 けれど暗い過去より、今は白紙の未来が怖かった。グレンという道を描いても、あっという間に白く広く世界は広がった。その可能性の洪水に大切なモノをなくしていくことが怖かった。

 けれど。

 ・・・・・・「ビビってんじゃねーよ、お前はいつでもけろっと未来を選んでたじゃねーか。俺の従者になった時みたいに」・・・・・・

 そんな幻の声がした。

 エリオットが絵筆を取った。リーオの未来の遥か先に薄い青でエリオットを描く。ここに向かってくれ、と。

 そんな資格はないと言いたかった。けれど口を開くと、白昼夢を見ていたのだと気がつく。

「・・・・・・エリオット?」

 確かに声が聞こえたと思っていたのに。

 ・・・・・・ふと墓石の上にきらりと光があった。

「え・・・・・・うそ?」

 そこにあったのはどうしても見つけられなかったもの。エリオットがリーオにくれた伊達眼鏡だった。

 恐る恐る触れる。さっきの眼鏡たちと間違えているだけでないか、とそっと両手で持ち上げるとそれはボロボロだった。片方のレンズはないし、フレームはかなり錆びている。持ち上げた重力だけで片方のツルはパキンと折れた。

 ボロボロであの頃の面影は見る影もない。けれど確かにリーオの眼鏡だった。朽ちる前に間に合ったのだ。

「・・・・・・っ!」

 頬から熱いモノがこぼれて、墓石に落ちて弾けた。

 歳月は残酷だ。幸せな記憶も悲しい過去さえ、過ぎ去っていく。だから自分で上書きしていこう。エリオットの友達だったリーオは彼の記憶を頼りに、自分のキャンバスにエリオットを刻む。

 けれどエリオットと出会わなければリーオは決してそうしなかっただろう。それでいい。

「ありがとう、卒業後もなんとかやっていくよ」

 そうして未来に微笑んで、数分後従者に呼ばれて振り返ったリーオは眼鏡姿だった。

「ねえヴィンセント、帰りに眼鏡の修理屋によっていこう。



おわり


後書き

 学生エンドです。

 ちょっと前に書いたヴィンセント誕生日話はこの物語の数年先に当たります。
 ヴィンセントの思い出話はメモリアルファンブックから。

 これを書くために、今までのリーオの小説を読み返しました。長かったような、短かったような。
 最後にリーオが出会ったのは奇跡です。

 おつきあいいただき、ありがとうございました。
 たまにヴァニタスものが書きたくなる七花より。

2016/10/25



おまけ「主従の再会」


かつかつと踵を鳴らして、リーオは従者の待つ部屋に辿り着いた。

(さて、観念してヴィンセントに会うか)

とても、気が進まない。
なにしろとても酷いことをしたのだ。ブン殴られても甘んじて受け入れる。なにしろロッティには往復ビンタをくらい、ダグには発明品をけしかけられた。

ヴィンセントならもっと許せないと思っているだろう。

(従者今度こそやめちゃうだろうなあ)

今更惜しくなるなんて。

(けど・・・・・・文句なんて言えるわけない)

扉を開けるとソファにヴィンセントとギルバート。ギルバートはオロオロと弟とリーオを見返していた。ヴィンセントの顔は見えない。あの時以来、初めての再会の彼は他人のようで胸が痛む。

目の前に立つのだが、俯いているのでいつまでも再会できない。ぎこちなく話しかける言葉を探す。

「おい、ヴィンセント? 調子でも悪いのか……とにかく、言いたいことがある。わるか」
「……マスター?」
「ヴィンセント? 聞いてるのか、許してくれとは言わない。けど酷いことをして悪かった。お前にもアンノウンにも」
「リーオさま?」
「……うん? 僕だけど?」

ヴィンセントはようやく顔を上げるとリーオの頬にペタペタと触った。その柔らかさ、温度、その生気を確認して……その瞬間、オッドアイから大粒の涙が零れ落ちた。


「……うわああああああああぁっん!」
「ヴィンセント!? ちょ、苦しいって」
「生きてる……生きてる生きてる生きてる……うわあああああぁっん!」
「…………」

その彼らしからぬ感情豊かな泣き声は、殴られるよりリーオの胸に突き刺さった。


 おわり


 仕返しの意図なく仕返ししました。

 アンノウンはちゃんと仕返しして、アヴィスの闇見学ツアーをしてリーオはトラウマが一つ増えました。