※「 リーオは山に隠居中です 5」のつづきみたいな話です。
「 リーオはちょっと旅行中です 1 」
がたがたと車輪が音を立てる度に中身も揺れた。リーオとヴィンセントとシロは買い物かごの中身のように揺れて、ひっくり返らないようしっかりとしたイスに掴まっていた。
「こんなに揺れるとは思わなかった、せめて乗り合い馬車じゃなくてよかったよ」
「マスターは焦りすぎです、僕らはともかく籠の中のシロが怪我するかもしれませんよ」
目の前のため息を無視して、早馬の馬車はもう二度と乗らないとリーオは強く決意した。目の前で発車するのにつられて乗ったのは愚かだった、もう二度とこの揺れはごめんだ。内蔵すべてが一致したような胸やけがする。
「で、何を企んでいるんですか?」
「シロ、籠の中で窮屈じゃない?ちょっとヴィンセント、馬車の中でくらい出してていいでしょ」
「逃げても責任持ちませんよ、町の中に逃げ込んで見つからなくて困るのはマスターです」
「まあ、それもそうか」
可哀想に思って首輪も紐もつけていなかったが、あれは山の奥深くの話。町に出て人に出る方に進めば猫一匹迷ったら見つけられない。シロだって帰れないだろう。
「にゃー?」
美しい青の瞳が不思議そうに見上げる。愛おしそうに目を合わせてリーオは囁いた。
「・・・・・・次の町で首輪と紐を買うよ、それなら馬車の中では自由になれるよ」
籠の中でシロがみーみーと鳴いている、悪いことをしたが今外に出すとかえって危険なのでぐっとこらえる。間違えても落とさないように片腕で籠をしっかり抱え直すと小窓を覗く。晴れと曇りの中間のような穏やかな陽光が地平線の新緑を照らしている。もうすっかり春だ。
「どこに行くんですか?このままでは次の町の先の行く先が決まりませんよ」
「だからちょっと馴染みの古本屋に行きたいだけだって」
「どこの本屋ですか」
「・・・・・・レベイユとか色々」
「そんなところまで行くんですか、病み上がりなんですよ病み上がりなんですよ」
「二回も言わなくても身体は労わるって。――あ、せっかくだからラトウィッジも寄っていくかな」
「なんです、そこ?」
「貴族だったのに知らないの?エリオットと僕がいってた貴族の学校の名前だよ」
「マスターとエリオットが通っていた学校!?・・・・・・ほ、本気ですか?」
「最初にあちこち行くって言ったでしょ、なんだよ今更文句でもあるの?」
「いっぱいあります、文句だけで丘が作れるくらいには」
「一生胸にしまっててくれ」
世にも嫌そうなヴィンセントは馬車の中でもけろりと平衡を保っていた。彼はどんなに急いでも襟一つ乱れない、そういう才能だろう。忌々しいが籠を渡すか検討した方がいいかもしれない。
「質問に答えてください、なにをたくらんでいるんですか?」
「ちょっと母校に寄って行くだけだって、なんの不都合があるんだよ」
それは質問に答えたとはいえない。従者は身を乗り出し、しかし一端引き、最終的に主人に向かって嫌みにため息をついた。リーオは小さく肩をすくめて、胸の中でごめんと言った。分かってはいたが、心配されているのだ。
母校ラトウィッジにはエリオットとの思い出が詰まっている。そしてリーオはエリオットのことを思うだけで、いつも自分を責め、傷つけてきた。
(ちょっと前の僕を知っていれば、心配しない方が異常か)
それに一番難儀していたのはヴィンセントなので、リーオも強くは言えない。しばしの会話の空白の後、ポツリとした呟きが一番堪えた。
「エリオットのことで、一番苦しむのは結局マスターじゃないですか」
責める様な、おびえるような、小さな声。――彼の言葉には一理ある、しかしこれは譲れないことのだ。
リーオは従者の視線が痛いことは諦めて、籠を差しだし、うまく揺れに耐えるコツを聞き出すことに専念した。ラトウィッジにつくまでには大分マシになるだろう。
忘れるほど昔ではない、けれども外門をくぐり、入り口のアーチをくぐる頃にはラトウィッジはもう懐かしい場所になっていた。
いつも帰る場所ではなくなるほど時間が流れていた、その事がリーオにはショックだった。もうここは過去の場所なのだ。
(ついこの間まで僕の通う場所だと思っていたのに)
なにもかも過去になっていくペースが速い。ついていけそうにない。しかし立ち止まってばかりもいられない。豪華な回廊を足早に急ぎ、空元気を演出する。
「さて、本を探すぞー。シロ、今は人がいないから走っていいよ」
「みー!」
「ちょっと待ってください、なんのことですか。僕はなにも聞かされてませんよ」
「あれ言ってなかったっけ?」
「一言たりとも聞いていません!」
半眼での恨み言に肩をすくめる。確かに自分は言葉が足りないかもしれない。
ひさびさの母校は貴族の休暇予定を聞いていたおかげで、教師や用務員をのぞくとほぼ無人だった。生徒で残っているのは宿題やスポーツの練習で忙しい。
リーオは指を立て、くるくると回すと最終的にある方角を指さした。その先には図書館がある。
「昔学校の図書館で本をなくしたんだ、それを思い出したから探しにきた。ほら、これで見事に筋が通っているでしょ」
「筋は、一応だけ通りますが・・・・・・なんで今更」
一応というのが引っかかるが無視する。
「えー、僕さ、色々あって急に学校辞めちゃったじゃない。だから取りに行くタイミングなくしてちゃってさ」
「・・・・・・そうかもしれませんが」
「ほらこんなシンプルな世界の真理はなかなかないよ。忘れ物をがあった、だから取りに来た、どこにも疑念の入り込む余地はないじゃない」
「だから何で今更」と小言が飛び出る前に、職員に借りた鍵で図書館の錠を解く。ここは懐かしい母校で、リーオは筋金入りの読書家だった。目をつぶってもここに来ることなんて、朝のミルクを飲み干すように簡単だ。キィと軽やかな音を立てて観音開きのオークの扉が開き、ふわりとかすめる紙の香りが昔のままでほっとした。
(本は僕の一番で唯一の友人だった、エリオットが現れるまでは)
少し前はその「友人」を目にするだけで吐いていたものだが、自分の身体は大丈夫だった。多少は改善したらしくほっとする。なんの変哲もない図書館で安心しただろうと振り返ると従者は絶望した面もちで立ちすくんでいた。
「なんだよ、そんなハルマゲドンさいごのしんぱんがきたみたいな顔して」
「・・・・・・こ、ここのどこで、マスターは本をなくされたんですか?」
「さあ、ずいぶん昔の事だから忘れたよ。まあがんばれば見つかるって」
春の日差しのように穏やかに微笑むリーオの向こうには広大な空間と無限に思える本棚が秩序立って広がっていた。ヴィンセントは砂浜に落ちた真珠を捜し当てるために一生を棒に振った男の話を思い出し、額をたていて絶望を振り払った。
「めっちゃくちゃ広いじゃないですか!なくした本を見つけるなんて無理ですよ!人間はがんばっても空は飛べないんですよ!」
「図書館で大声出すなよ、大げさなやつだなー」
確かこのあたりだったと指差すとヴィンセントは無言で探し始めた。その足元をシロが無音で行き来する、変わらず賢い猫で図書館では騒がない。
人間みたいだ・・・・・・猫なのに。
(本当に・・・・・・不思議な子)
黒い瞳に金色の光を載せて、しばしリーオは静かにシロを視線で縫い付けた。視線に猫が振り返る頃にはヴィンセントの隣の棚を本を眺め始めたが。
本を探索中のはずの従者はタイトルをきいてこない、彼は一体どうやって見つける気なんだろう。これは付き合うというポーズなのか、それとも無言の抗議なのか。
(まあ一人で探すつもりだったから、その方が良いんだけど)
本当はなくしたというよりも、持っていた本をここにこっそり置いていたという方が事実には近い。だから撤去されていない限りすぐに見つかるのだが、悲しいかな撤去されている確率が一番高い。目当てを探してダメだったら、すぐに帰ろう。
(でも)
少し従者と話してみたい気持ちを沸いてきた、リーオは心当たりよりもずれた場所から探し始めた。共同作業は本音を聞きだすための手軽な方法の一つだ。しばらく作業のふりを続ける。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「にゃ?」
本を探し始めて一時間、だんだん目当ての本棚に近づいてきたリーオは隣でタイトルをぼんやりみているヴィンセントからなにか言いたげな気配を感じた。しばらくすると意外な台詞が聞こえた。
「・・・・・・マスターは僕をどう思っているんですか?」
「は?・・・・・・まあ、目障りにならない程度に不幸になって欲しくないなあと思ってるよ」
正直に告げると、かなり複雑そうだった。
「なんか意外と優しいんですね」
「僕は積極的に人の嫌うには向いてないんだよ、関心の方が持たない。嫌う前に忘れていくんだ」
「まあちっとも嬉しくありませんが、つまりどうでもいいってことでしょう?こんなにマスターに尽くしている従者を他人扱いですか」
イジケたヴィンセントの様子に、さすがにリーオは思案した。どう伝えたものかと額に指を当て、本たちの海から手を放し、窓から空を見上げた。雲の流れとともにリーオは思索し、妄想し、経験を思い出し、自分の感情をどう形にすれば彼に伝わるかを模索した。
しかし結論として、結局いつも通りの足りない言葉を直接ぶつけることしかできなかった。最低限の誠実さと自分の器用具合を考えるとそれが最適だろう。
「そうだね、お前の言うとおりだ。ヴィンセントが従者で僕が主人って関係は、僕にとってどうでもいいものだ。お前がそうしたいっていうからそうしてるけど、結構めんどくさい」
「・・・・・・ちょっとくらい惜しんでくださいよ、僕は有能ですよ?」
「なんで惜しむ?僕が便利な暮らしや安定した生活に執着がないことはお前がよく知ってるだろう。僕は死なない程度に生きれればいいし、それくらいならどうにかできる」
それはお前だってそうだろう?というと彼は言葉に詰まった。
お互いに欲がないというのか、欲を持つには色々なことがありすぎた。何にせよリーオにとってヴィンセントに尽くされることは手放せないほどものではない。しかし彼がしょげているのは本意ではない。
「ヴィンセント、僕はお前をどうでもいい他人だなんて思ってないよ。――お前からすると複雑かもしれないけど、僕にとってヴィンセントが何かっていうなら、何よりエリオットの兄さんってことだ。本音を言えば僕に付き合わずどこかで、ギルバートお兄さんやミス・エイダと適当に幸せになって欲しいよ」
でもお前はそんな事に耐えられないしこの気持ちは重荷だろう、と何か言い返そうとした従者を遮る。幸せになるために日々を生きる、それはリーオやヴィンセントのように挫折した経験の持ち主を怯えさせてしまう。
誰かを無邪気に信じて裏切られた瞬間自分がまともでなくなり、正気を失うのではと恐れるのだ。誰も傷つけないために、自分も他人も信じない。例えそれが生を味気なくさせても、それが精一杯なのだ。
「僕とエリオットは、血もつながってないんですよ」
「それは関係ない、エリオットが僕にお前を家族と語った事があることが一番大切なんだ。
さて、次に僕はお前に恩がある。エリオットの最後を看取ってくれた、その最後の言葉を僕に伝えてくれた。
それはお前がたまたまそうしなければ出来なかったことだ、有り難かったよ。今でも感謝している」
「・・・・・・僕は、グレンを利用したかっただけで」
「三番目に、エリオットの死をとても悲しんでた。怒ってナイトレイ公爵を殺すくらい――そういう態度じゃなきゃ、ろくに知らないお前をあんなに信用しなかったろうな」
つまらない手品の種を見せた気分でいるとヴィンセントは黙っていた。リーオは意外に思い、肩をすくめてウインクしてみた。オッドアイが驚いて、晴天の空色を映した。子供のような真っ正直な顔で、リーオの方が驚いた。
「・・・・・・ところでタイトルはなんですか、ずっと聞いていないんですが?」
「ずっと聞いてこなかったじゃない、いいって僕が無くしたんだから。こういうのは自分でしか分かりにくいし」
心当たりのある本棚を撫で、表紙を指先でなぞる。歩くと山形の背表紙の形を一つ一つ、人差し指がスキップしていく。薄く彫られた文字を読み上げ、確か右の三番目の本棚の下から四列目十番目くらい・・・・・・。
「あ、あったあった。これだよ『騎士の心得~初級編~』、買ったはいいけど・・・・・エリ、オットの前で読むのは照れてさ」
「マスターが騎士ですか・・・・・・失礼ですが意外です」
「だよね、自分でも思う。エリオットがそういう本が好きでさ、分からない知識を補填しようとしたんだよ」
「なら、別に照れなくてもいいのでは?」
「だって僕は彼のそういう本をとても愛好するところをからかってたからさ、よく知っておきたい気持ちはばれたくなくてさ。・・・・・・自室に置くのも、わざとらしいし」
「・・・・・・そうですか、何にしろ見つかったなら帰りましょう」
ヴィンセントはまだ何か言いたげだったが、無言だった。リーオは自覚していないが、泣きそうな顔をしていた上に目の焦点が合っていない。――彼にはやはり早すぎるのだ、エリオットと通った学校など。
「この本さ、レベイユで買ったんだ。あの本屋まだあるかな」
そこあたりで書き置き一つして、従者から行方をくらまさねばならない。
彼は勘がよく、リーオよりも足が速い。撒くのは気の重い話だとリーオは見つけた本の角をこんと額に軽くぶつけた。
つづく
あとがき
ゆーもああるぶんしょうをめざして、たっせいできたのかどうか。
全く持って謎である。
2015/03/08