「 泣き虫エイダとヴィンセント 」



 えーん・・・・・・。
 うえーん。うええーん。

(うるさいな)

 耳障りな泣き声。寝返りを打ったヴィンセントは不快に眉を寄せた。一体誰だこんな時間に大きな声で・・・・・・。

 目が覚めた瞬間。ヴィンセントは赤と金のワインレッドを見開いてその人の姿をハッキリと網膜に焼いた。彼女とはもう二度と会うはずがない。そのはずだ。

 けれど彼女は目の前にいた。

「エイダ・ベザリウス・・・・・・?」
「うっく・・・・・・えっぐ」

 緑の瞳に肩のあたりでばっさり切ったブロンド。いいや、切ったじゃない。切られた髪だった。切ったのはヴィンセントだった。
 みっともない泣き顔は間違いない。ヴィンセントに奇妙な縁のある女性・エイダ・ベザリウスだった。なぜこんなところに?

「う、うえええーん!」

 しかも赤子のように泣きわめいている。彼女は感情の上下が激しかった。けれどこんな風に無防備に泣くのは始めて見た。

 見ればあちこち解れのあるドレスを着ている。どこか見覚えがある気がする。そして緑の瞳からぼろぼろと涙をこぼしていた。赤ん坊のような無防備な泣き顔を隠そうともしない。

(というか何を泣いているんだ?)

 状況がさっぱりわからない。一通り涙を流すとエイダははっとヴィンセントを見た。見開いた目の美しさに押し黙る。数秒見つめあうが、エイダはまた喚き声でヴィンセントの鼓膜を直撃した。

「ヴィンセント様のばかあっ!えーん、うえーん!」
「なに言ってるんだ。どうしてここにいる?」

 あまりの事態に苦情も引っ込んだ。しかもそんな赤ん坊みたいに泣きわめいて。

「ヴィンセント様のクズ男!わーん!弄ばれて捨てられた~!」
「ちょっと、何を人聞きの悪い喚いてるの」

 罵ったことならあるが、そんなことまでは彼女にはしていない。その前に恐れをなして逃亡したことは一片の曇りもない事実だ。
 彼女の前に行く。正気か二本の指を立てて、何本に見えるか尋ねてみる。しかし、えぐえぐ泣くばかりでこっちの話なんか聞いちゃいない。

(彼女は最初から最後まで僕の話なんか聞かないやつだった)

 最初から最後まで。だから、もう彼女には会わないはずだ。

「ヴィンセント様のダメ男!世界を滅ぼすなら一言ぐらい相談してくれてよかったじゃないですか~」
「はあ?」
「あんな穴だらけの計画、リーオくんに丸投げだけのダメダメ計画じゃないですか~!えーん!」
「いや、本当に大丈夫?」

 そんなこと知ってったっけ?いろいろツッコミたいが、ツッコミどころが多すぎてどこからつっこめばいいのか分からない。

「案の定あっさり不幸になってしまったじゃないですか!バカバカバカ、ヴィンセントさまの大馬鹿~!!」
「は?」

 不幸になった?と言われ、首を傾げる。
 エイダは我が意を得たりと泣いたまま、胸を張った。

「だって今日はギルと喧嘩して落ち込んでるじゃないですか。次に会えるのは数年先なのに」

 ギルバートは出発前に部屋に訪れたが、ヴィンセントは会わなかった。

「リーオくんにもそれで呆れられたじゃないですか。謹慎処分になったんでしょう」

 それで荒れていると「頭を冷やせ」とジャバウォックをけしかけられた。そして丁重に優雅な客室暮らし。

「それで自分の人生は間違いだったんじゃないかとうだうだ部屋に引きこもってたじゃないですか!」
「・・・・・・」

 その通りだった。

「やっぱり私がいないと不幸になってしまうんじゃないですか、だから幸せを教えてみせるって言ったのに。死んだとかバレバレの嘘までギルにつかせて」
「・・・・・・」
「うわーん!ヴィンセント様のマヌケ男~!」
「・・・・・・うるさいな」
「不幸にならないでください、幸せになってください。・・・・・・そんなのヴィンセント様には無理そうだってわかってました。だからずっと一緒にいるって」
「もういい」
「え?」
「僕は不幸なんかじゃない」

 エメラルドグリーンの瞳がぱちくりとヴィンセントを写した。頼りないけれど、諦めた気配は消えていた。

「でもでも・・・・・・自分が幸せになっちゃダメって思ってませんか?」
「・・・・・・まあそういうのは苦手なのは本当だけど」
「どうせ自分はダメなやつだとか、こっそり自分だけ我慢すればいいんだとか。悲劇のヒーロー気取りになってませんか?」

 お前に何が分かるんだ。大して知りもしないで、何様だ。お前は僕の何なんだ。
 そんな風に言おうと思えば言えた。けれど何も言わないでヴィンセントははっきりと彼女の目をまっすぐ見た。緑色の瞳はジャックによく似ている。けれど、最初に見たときほどジャックを印象付けはしなかった。

(お気楽で、馬鹿そうで、めげないエイダ・ベザリウスの瞳の色だ)

「いいや、君がどこかで誰かとのんびり暮らしていられる程度には不幸じゃない」

 告げれば、彼女のまとう空気は一瞬で変わった。先ほどまでの涙はぴたりと消える。

「今はアヴィスの底で喋り相手もいて、意外と面白いよ。幸せになったとかは・・・・・・よく分からないけど」
「・・・・・・不幸じゃないん、ですか?」

 いつか幸せになってくれますか?と祈りのような声。

「でもお前が、あなたが。・・・・・・エイダ・ベザリウスが文句ばっかりいうなら幸せになれる時はなろうとするよ」

 そして、そうですか、と彼女は風のように微笑んだ。









 ごんと頭から火花が散った。痛みに目が覚めた。
 見れば、真夜中のようだった。落ちた床の上からヴィンセントはベッドに這い上がった。枕元のランプをつけると窓の向こうは夜明け前のように見えた。

 エイダ・べザリウスもこの空の向こうで眠っているのだろうか。

「変な夢」

 彼女とはあれから一度も会っていないのに。あの時から十年以上は経過している。ただの人間である彼女が最後にサブリエで別れた時の姿のままなわけはない。

 ではこの夢は自分自身の幸福になりたい願望だったのだろうか。

 普通に考えればそうなんだろう。けれどヴィンセントには、彼女が酷く怒っていたことが本当に思えてならなかった。泣いていたのに彼女は怒っていたのだ。

(夢の中でも、変な女だ)

 最近ようやく結婚したらしいと風の噂で聞いた。婚き遅れるかと冷や汗をかかせてくれた。ギルバートには待っていると何度も忠告された。
 まあでも、自分にだって誰かに遠くで幸せになって欲しい気持ちになることもある。それだけだ。

 自分は今不幸だろうか?・・・・・・そんなことはない、今目に映る星空は美しい。目に映るものを美しくなんてかつては考えもしなった。
 自分は今幸せだろうか?エイダ・ベザリウスに怒られない程度には、あの日彼女が幸せを教えてやるというのを拒んだ意味があるくらいには。・・・・・・アヴィスの核との日々は意外なほど楽しいものだ。この世界を嫌ってそこに逃げ込んでいるのか悩んだこともある。けれど両方を行き交う今の生き方はヴィンセントを穏やかにしていた。
 それが彼女の言う「幸せ」かは分からない。

 ただ一言だけ、夢の中の彼女へ反論しておく。

「・・・・・・僕は、不幸じゃないからな」

 そうでないときっと彼女は夢枕に立たれそうだ。それだけは勘弁だ。

 ヴィンセントはとりあえず今日をよい日として迎えようと主人のお茶を入れるためにベッドを立った。窓の外では朝日が薔薇色に空を染めていた。





おわり



あとがき

 エイダはこんなに口悪くないのは分かってます。ヴィンセントの夢の中だからですよ~。

 あんだけエイダは「ヴィンセント幸せにする、やったんぜ!」って言ってたので不満だったろうな~と。これで不幸になられたら夢枕にたってやる!みたいなイメージがヴィンセントの中には植え付けられてる、気がしました。

2015/07/14