秋葉原デート
※色々あって過去のわだかまりを乗り越えて、一年ぐらいお付き合いしてるカツノブ。
【秋葉原待ち合わせ】
202×年、どこかの特異点から繋がった秋葉原の歩行者天国で信長は腕時計を見て顔をしかめていた。春の日差しは駅前の桜を照らしていた。
「姉上~! お待たせしました!」
「おお、やっときたか、って往来で姉上連呼するでない!」
どたばた走ってくる信勝ににやける顔を抑えて手を振る。カルデアではもうバレているから仕方ないが、デートにきているのに往来でいつものように姉上姉上と叫ばれると困る。
「三分の遅刻じゃ、どうしてくれる?」
「姉上の貴重のお時間をすみません! 命でも何でも持って行ってください!」
べしっと信長の掌が信勝の額を打つ。仰け反って額を押さえながら涙を滲ませる弟にため息をつく。
「そういうのかえって安直だからやめい。あと今日はあまり姉上と連呼するな、わしらが近親相姦していると宣伝しているようなものじゃ」
「僕に姉上と呼ぶななんて、それこそ僕には無理です~」
「大声で呼ぶなといっとるんじゃ、声を小さくしろ」
「うう、努力します……ところで僕、服変じゃないですか? データベースのライブラリからランダムで選んだだけなのですが」
いつもと気分を変えようと言うことで二人とも二十一世紀の日本の服装をしている。信勝は淡いブルーのワイシャツとカーキのズボンを着ている。一方信長はデニムのスカートと白いTシャツの上に真紅のジャケットを着て、真っ黒なサングラスをかけている。魔力で外観をいじっているだけだが二人とも往来に馴染んでいる。
「デートって逢い引きのことでしたっけ? 図書館の本は読んだんですが、僕、うまくできるか分からなくて……姉上の貴重な時間を無駄にしないか心配で心配で心配で心配で心配で心配で、あんまり寝てなくて」
「深く考えるな、連れだって飯食って買い物すればいいだけじゃ」
「あの……それじゃいつもと同じじゃないですか?」
一理ある。二人は幼少期は同じ屋根の下で姉弟睦まじく暮らし、カルデアに来てからほぼ一緒。現在は週の半分は同じ部屋で寝食を共にして夫婦の真似事をしている。マスターから聞いたデートというものはこれから知り合う二人がお互いを知っていくものらしく、信長と信勝ではかなり今更感がある。
「まあこれもごっこ遊びの一環じゃ、一度は二十一世紀コスプレを楽しんでおけ。しかしランダムとは意外だな、お前は選び出すとあれだこれだといつも時間がかかるのに」
「実は掃除したら台所が爆発しちゃって……それで急いで」
「なんで料理以外でも爆発しとんじゃ!?」
他ではちょっと形が悪いくらいの信勝の料理は愛がこもるとろくな事にならない。最近の信勝の料理事件は「そうだ、姉上はキャラメールソース好きでしたよね!」とガスコンロに砂糖を一袋つっこむというものだった(炎上した)。
「ごめんなさい! 落ち着こうと掃除していたら気がついたらアイスピックでガスタンクに穴が~」
「うーわ、家に帰るの憂鬱になってきた……帰ったら一人で掃除しろ。ほれいくぞ、お前と話しているとデートどころか往来で漫才して一日終わる」
少しはデートらしいことをしようと信勝の腕を自分の腕にからめて目的の店へ引っ張る。一応予習はしている、デートとは逢い引きのこと。昨日雑誌で二十一世紀風の逢い引きの定番行動は調べたのだ。
「ほら、お前が遅れたからわしの予約した店に先に……」
「だ、だめですこんなの!」
なぜか信勝は組んだ腕にじたばたと抵抗した。
「は? なにが」
「だって、姉上のち……お胸が当たってます!」
当たっているというのは肘の先に少し右胸が当たっていることか。当たっているというか掠めた程度だ。わーわーと赤面する信勝に信長は心底呆れた。
「乳って……さんざん直に揉んどいて、今更」
「わ~! 姉上だめです! 通行人に近親相姦がバレます!」
「近親相姦の話はするなっちゅーとるじゃろ!」
本日一番の大声で信長は問答無用で弟を叩き倒した。もうすでに往来の人々はかなり足を止めていたので信長は信勝の口を塞ぐと力付くで移動した。
【メイド喫茶】
信長が選んだメイド喫茶はクラシックなスタイルの店だった。濃い茶の木製テーブルに真っ白なテーブルクロスが掛かって、アニメソングのピアノ曲がかかっている。
来店した二人に紺の膝丈ワンピースにフリルの純白のエプロンのメイドが優雅に頭を下げる。
「おかえりなさいませ、お嬢様、ご主人様」
「うむ、苦しゅうない。愛想よく歓待を受けるというのは楽しいもんじゃ」
「あの女、姉上に色目を使いやがって……」
姉弟で全く違う感想を抱きつつ、二人は予約した窓側の席に座った。店は五階なので通りの桜がよく見える。
「お嬢様、ご注文はどうなさいますか?」
「ふむ、それではオムライスと抹茶ラテと苺パフェを頼む」
「……じゃあ僕もそれで」
メイド店員は営業スマイルの裏でもの珍しく窓辺の二人を見ていた。カップルの来店で片方から嫉妬の目を向けられる事はあるが男から呪詛の視線を向けられたのは初めてだ。
「あんな女に頼まなくても……給仕くらい僕がいつでもしますよ」
「そういうのから時々離れろ、おちおち二人で外で飯も食えぬ。こういう場所はカルデアからいつでも来れるものではないのだぞ」
「それは……分かってますよ」
しゅんと下を向く。元々信勝は子供の頃から嫉妬深い。一年間の夫婦ごっこで最近はかなりストレートに嫉妬をみせる。その変化が内心嬉しいことを信長はポーカーフェイスで隠していた。
「貴重な機会だと分かっているのですが……さっき歩いている時も老若男女からの大量の姉上への目線が気になって気になって」
「それは半分ぐらいお前宛じゃろ」
というか半分以上は往来で近親相姦だの姉上だの大声で言ったことが原因だ。
「そんなわけないでしょう、僕なんか道ばたの石と同じですよ。見る価値ないです」
「なんじゃ、わしに似ていると言われたその顔に石という気か?」
「え、それは……うっ、確かに昔はよく似てるって……そ、そうなのか?」
信勝が窓に自分の顔を窓に映していると注文したオムライスがやってきた。メイドは完璧な営業スマイルでケチャップを構えた。
「お嬢様、ご主人様、なにをお描きしましょうか?」
「……なにを言ってるんですか?」
「オムライスに文字や絵を描いてもらえるんじゃ、お前も何か考えておけ」
信長は猫の絵を頼んだ。猫のイラストを見せると「かしこまりました」と鮮やかな手つきでケチャップで猫が描かれていく。
「……すごい!」
ずっと顔をしかめていた信勝はぱあっと顔を輝かせてオムレツの上でケチャップが踊る姿に釘付けになった。二匹の猫が並んでいるオムライスが完成する頃にはメイドへの眼差しが尊敬のそれへと変わっていた。その眼差しの変化にメイドは「当たり前だ、こちとら壁サー二年やったんだぜ」と内心高笑いした。
「ご主人様はなににいたしますか?」
「えっと……じゃあ、あねう」
テーブル下から脛に信長の蹴りが飛んできた。
「うっ……じゃあ、織田信長で」
「かしこまりました~☆」
営業スマイルの向こうで「画数多っ、男ってみんな織田信長好きだよね~」と思いつつ、腕に覚えのある店員は洒落た字体でオムライスに「織田信長」と漢字でちゃんと書いた。さらに深くなった信勝の尊敬の眼差しに「私じゃなかったらひらがなだったぜ、よかったな変で顔のいい男」と少しスキップして店員は去っていった。
「どうしたらこんなものが作れるんでしょう?」
「ようやくお前にも楽しさが分かってきたではないか。ほら冷めるからさっさと食べるぞ」
もうすでに食べ始めている信長に信勝はぶんぶんと首を横に振った。
「こんな綺麗なのにもったいないです」
「あたたかいうちに食わぬ方がもったいないじゃろ……ま、写真でも撮っておけ」
信勝は慌ててデジタルカメラを鞄から取り出すとオムライスを連写した。二十枚以上撮っている姿ににやにやしている信長ははっと「しまった、自分の分を撮り忘れた」と食べる手を止めた。オムライスはすでに半分になっていた。
「ううっ……あ、おいしい!」
悲しそうにオムライスを崩した信勝は食べるすぐ笑顔になった。春の日差しがその横顔を柔らかく照らしたのでスプーンを止めて信長はしばらく見つめた。……少し口づけしたくなったので自分の頭も春だなと窓から桜並木へ視線を移す。
「あ、姉上、ついてますよ」
ハンカチで頬のケチャップを拭われる。こういうところは子供の頃と同じですねと無邪気に顔が近づく。
「おいしかったんですね、分かりますよ。いつも姉上はおいしいものは慌てて食べるんですから」
そう微笑んでまた近寄ると「花も姉上が好きなんですね」と信長の前髪から桜の花びらをとった……かなり今更だが弟は魔性の男だと思う。
会計を済ませる信勝に土産物を見てくると少し信長が離れる。目当てのものが売り切れていたので、肩すかしで信長の目が丸くなった。
「……は?」
信勝がさっきのメイド店員と話していた。一瞬固まったがすぐ冷静になる。信勝は手に小さなノートとペンを持って、熱心にメイドに話している。メイドの方は営業スマイルは止めて戸惑いを顔に浮かべているがそれなりに話に応えていた。
なるほど。さっき感動したからサインでももらっているのだろう。信勝が浮気などありえない、長尾景虎が酒をやめられないのと同じだ。それならこの一年あんなに大騒ぎになるはずがない。正直三回くらい世界大戦をやった心境だ(二度とやりたくない)。
ありえない、ないのだが……なんだこの少女マンガみたいな心臓の痛み。
(まさか嫉妬してる? ……いやいやいや、ないない。わし織田信長ぞ?)
この世の贅も欲も知り尽くした第六天魔王が嫉妬などあり得ない。過去にどれだけ美男美女を献上されたと思ってる。いくら好きだからってちょっと信勝が女と話しているくらいでまさか。十代女子でも嫉妬しないシチュエーションだ。せめて全裸の美女を十人侍らせてないと……。
ありえない感情を振り払うとメイドと話している信勝に近づく。
「おーい、のぶか……」
「危ない!」
陶器の割れる大きな音がした。メイドに被さって信勝が床に倒れる。そしてその頭に丸い花瓶が直撃して砕け散った。荷物を積みすぎた不安定な棚から大きな壷がメイドに向けて落ちたのだ。
「いててっ……大丈夫ですか!?」
メイドを押し倒した形の信勝の頭から破片と一筋の血が落ちる。
「あ、ありがとう……というかあなたの方が血が」
「僕は大丈夫です、それより手は大丈夫ですか!?」
「う、うん、あなたのお陰で……手?」
厚い陶器が直撃した割に元気そうな美少年にかばわれて内心慌てたメイドは両手を握られてさらに赤面した。信勝はメイドの手や腕に怪我がないかもう一度確認するとようやく胸をなで下ろした。
「よかった、手も腕も無事だ。これからもちゃんと絵が描けそうです」
「絵って……そんなことで庇ってくれたの?」
「そんなこととはなんですか!? いいですかあなたの絵は姉上に……」
「……いつまでやっておる」
首根っこを掴んでべりっと手を握ったままの信勝とメイドをはがす。
「娘、無事か?」
ひっとメイドは呼吸を止めた。美しい少女が地獄のような眼差しを向けている。表情は心配してくれているのに本能は「五体バラバラにされて殺される、東京湾で魚の餌になる」とアラートを鳴らしている。
「え、ええ、お連れ様のお陰で傷一つなく」
「そうか、ではさっさといくぞ」
「姉上?」
「お前の頭の方が心配だ、出るぞ」
未練がましくメモ帳を持っている信勝を引きずって信長は店を去った。
余談だが。
そのメイド店員はその次のコミックマーケットで二年ぶりの参戦を果たした。顔見知りのサークル主から「あら久しぶり! それにしても今まで絶対金髪しか描かなかったあなたがどうして黒髪本を?」「と……突然神が降りてきて」「ハピエン主義だったのに根深い嫉妬ネタとか、変化のきっかけとかある?」「る、ルーヴル美術館かな?」という会話をしたとかしなかったとか。
【魔王も人の子】
メイド喫茶のあるビルから出ると小さな公園に移動した。問答無用で信長は信勝をベンチに座らせると頭の怪我を確認した。
「姉上、ひょっとして怒っていますか?」
「なんの話だ、じっとしろ」
「一応サーヴァントですから壷くらいはどうもないですよ……あいた!」
「動くな、破片が残っていたらどうする。ああもう見えぬ、髪をほどけ」
後頭部が思ったより痛いので従う。無言の時間が流れていく間、信勝は姉はやはり怒っていると感じた。信長は言いたいことを言い出せないようだ。
(なにしちゃったかな、また僕なんかとか言っちゃったっけ。姉上を悲しませるようなこと、最近は口に出すの減ったと思ったのに)
一年の付き合いで一つ学んだことがある。信長は信勝が大切で、信勝が自分を傷つけたり貶めたりすることは悲しませることだ。その時初めて姉は強いから、自分には価値がないから、彼女にそういう感情はないと決めつけていた身勝手な自分を知った。
当時は出会ったことそのものが間違っていたのかと悩んだが、とにかく今は内心では思っても口に出さないように気をつけていた。無論長年の自己否定感は健在で、言わないだけで精一杯だが……無言を幸いにさっきの出来事を反芻する。
(壷が直撃して自分を大切にしていないように見えたのか?)
でも自分ならともかく下手するとあの店員は打ち所が悪くて死んでいた可能性がある。いやその前か? オムライスの写真を撮ったのがまずかったのか? そういえば姉は写真を撮っていなかった。しかし……。
(わしに限って、あり得ぬ、あり得ぬ……こ、こんなしょうもない感情ごときに)
一方信長は混乱していた。まだ信勝が見知らぬ女の手を握っていた光景が忘れられず、どす黒い感情が沸いてくる。どうみてもただの人助けにすぎない光景になぜ第六天魔王が小娘みたいにいやだいやだと脳内が騒がしいのだ。
「姉上、あの」
魔王なんだから嫉妬はいい。これでも欲界の王だ。しかしシチュエーションがしょぼすぎる。あんなことで嫉妬しては挨拶をするくらいの沖田ともそのうち決闘をする羽目になる。この織田信長にそんなみみっちい感情があるはずない。さっきのはあれは完全な不意打ちだったからだ。しかも信勝のやつ、人にはとやかく言うくせに自分は遠慮なく距離をつめるから……。
「その、髪の毛痛いです」
はっと気がつくと信勝の頭はカラスの巣のようにぼさぼさに荒れ果てていた。怪我自体はさっきまでこぶと切り傷があったがもう治っている。サーヴァントの力ならそれが普通だ。
「……悪い、頭は直しておいてくれ。わしはつかれた」
「はい……え?」
信長はベンチの隣に座ると信勝の肩に頭を乗せた。あたたかい、その温もりにようやく嫉妬が和らぐ。
(魔王に小娘の気持ちを味あわせるとか、やはり魔王の弟か)
信勝は少し頬を染めるときょろきょろと周囲を伺った。公園は人は多くないが、子連れの集団が五メートルほど先にいる。
「いいんでしょうか」
「なんじゃ家ではいつもしとるじゃろ」
「そうですけど、ここは外ですから近親相姦がバレたら」
「いちいちその単語を口に出すな、姉上とか言わなければばれぬ……お前も触りたければ好きにしろ、いつもそうしろと言っとるじゃろ」
信勝はしばらく両手を宙でうろうろさせていた。その様子に肩でも抱くか、なにもできないかじっと観察する。最終的に信勝はもたれている側の信長の右手を両手で握った。あまりに微笑ましい行為に頬が緩んだ。
(この手はわしのものじゃ)
しばらくすると信長の機嫌がよくなったので、信勝はほっとした。
【同人書店】
しかしである。
(わし、そこまでこいつのこと好きなのか?)
いや好きなのは分かっている。好意がなければ近親相姦などしていない。
いや好意というには生やさしい、一緒に地獄に連れて行きたいほど好きだから姉弟で夫婦の真似事などしている。いくらこの身がエーテル体で、サーヴァントという死後を生きる身であっても実の姉弟であることをちっとも気に病まないわけではない。たまに地獄で母に呪われる要素が増えたなとも思う(たぶん母は地獄にはいないからセーフ)。
「姉上、地図はこっちですよ」
「ん、そうか。今日はよく間違えるな」
「お疲れですか? 今日はもう帰りましょうか」
「いいや、次があるかわからぬ、お前の行きたい場所にも行きたい」
信勝ははっとして、少し顔を伏せた。……カルデアと異星の神の戦いは終局へと向かっていた。こんな平和な特異点の名残で二人歩ける日がもうこなくても不思議はない。
(英霊の座に帰ったらカルデアの記憶は消える。僕たちが過ごした時間もリセットされる。いつまで姉上と一緒にいられるのかな)
そんなことを考えることが増えた。元よりカルデアの出来事は夢のようなものだ。信勝に至っては英霊の座に居場所があるかも曖昧だ。もしまたどこかで同じ場所に召還されたとしてもそれはカルデアのような共同戦線の場ではなく、聖杯戦争のような敵の立場の可能性は高い。
もちろん、今のような死後少しでも分かりあえた記憶が残っているはずもない。
「なんじゃ、思っていることがあるなら言うてみよ」
「いえ、いつまでも姉上とこうしていられたらいいなあと」
ありがちなことを言ってしまったが姉は楽しそうだ。
「終わりのことでも考えたか」
「……なんで分かるんですか」
「わしも似たようなことを考えていたからな。人の頃と同じよ、一度しかない生だから今は眩しい」
明治維新と同じ事を言う。信長がまた腕を組んだので信勝が飛び上がったが今回は姉上も近親相姦も言わなかったので許す。
「一人で落ち込むな、わしだって寂しいんじゃ」
「……僕に気を遣わなくていいですよ、是非もないんでしょう?」
「わしに心がないと思っておらぬか? 寂しいさ、カルデアのことが失われるのは。茶々や勝蔵、沖田や坂本やマスターやカルデアのうるさい連中も全て終わればそこで記憶は全てなくなる。数年かけたカルデアの記憶もマスターやマシュの心に残るくらいであろう」
「……」
「泣くな、泣くなら家でわしの腕の中で泣け。お前のことが一番寂しいよ」
「……僕が?」
「ああ、お前は座に帰れるかわからんし、帰れてもその時はわしがお前のことを歯牙にもかけんと思っているお前に戻るのだからな」
分かりあえぬまま死んだのだから、死んだ後もそのままが妥当。けれどもそれを寂しく思わぬにはカルデアはあまりにやさしい場所だった。
「……なくなりませんよ」
「ほう?」
「僕たちが消えても、僕たちが過ごした時間はきっとなくなりません……僕や姉上が忘れてもなくなるわけじゃないです。今僕がとっても幸せなことも確かにあったことなんです」
「……そうか」
少し泣いていたが。
信長は前より少しだけ強くなった信勝の頭を撫でた。
こうして信勝の行きたい場所についたわけだが。
「……って、なんでわしコーナーなんじゃ」
織田信長というカテゴリの棚になぜか織田姉弟は立っていた。「戦国の世に花咲く愛!」というポップの下で見覚えのある名前が掛け合わされている。なぜこんなに日本人は戦国武将が好きなのか。五百年近くたっているのにそんなにネタがないのか。
「そもそも僕、この棚が解釈違いなんですよね。だいたい姉上が男なのがおかしいですし、木っ端武将風情が姉上と交際しているのがさらにおかしいですし、たまに姉上が女性の本もあるのですがそれはそれとして許せないです。まあ姉上が男なのはもう異世界の話だと思っているので書店に火を放たずにすんでいるのですが……」
「それだけ持って言っても説得力がないぞ」
ばさばさとカートに薄い本が積まれていく。
「こ、これは僕が検閲して、図書館に納めるという紫式部殿との約束が……」
一つ目のカゴが溢れたのでもう一つのカゴに新しく同人誌(織田信長関連)を積んでいく。これは刑部姫が言っていたナマモノなんとかでは。同人誌に関してはルルハワでだいたい学んでいるが自分の本がコーナーを作っていると面白いような微妙なような。なになに今回の書店の推しは武田信玄×織田信長? えー、あいつー?
「ま、まあ、個人の妄想は自由ですよね! 姉上が恐れ多くて男体化してしまうのも分からないではないです。そうだ、グッズコーナーにも偵察を……あ、あともう一つ買いたいものがありまして!」
「わしネタのいじられるのは江戸時代から慣れておる。好きなだけ見てこい、わしはもう少しこの棚を見ておる」
そのコーナーの織田信長本は受け率が圧倒的に高かった。なぜ。大抵が透明カバーがついていて中身が見れないが端っこに処分本のコーナーがあり、自分の名前を見つけて少し立ち読みする。なになに武田と織田と上杉が……。
「姉上~、お待たせしました。あれ?」
「しばし待て! 武田のが越後のとわしを天秤に掛けておる! ええい武田め、わしにあれほど言わせてなぜ迷う!? 越後のやつのツンデレアプローチなんかはねつけんか!」
熱中してBL本(本人出演)を立ち読みする姉の姿に弟はどさどさと大量の黒いビニール袋を落とした。
「……です」
「なぜじゃ!? わしの恋文をもらってなぜ迷う!? 武田のやつはこれだから……信勝?」
「やっぱり僕以外の人がいいんじゃないですか~! 浮気です!」
「ちょ、これは男で別軸だからセーフ……というか読みもんじゃし!」
「うわーん! 姉上の色天魔王!」
泣きわめく信勝が書店と飛び出したので袋を拾って信長は追いかけた。しかし本を持ったままだったので扉で「未精算品です」とアラームがなり、レジに連行された。
余談だが。
信長が立ち読みした三角関係本は結局武田信玄は上杉謙信を選び、失恋した織田信長はより一層天下をとることに熱中していくというオチだった。後日「わしが当て馬とか解釈違いじゃ~」とそれでも自室で本を読み返す信長の横で「じゃあ読まなきゃいいじゃないですか……捨てましょうよ、ねえ?」と信勝はメジェド神的な目をしていたとかなんとか。
【ケルベロスも食わない】
「おい、いつまで怒っておる? これは絵じゃとわかっとらんのか?」
秋葉原の歩行者天国を早足で離れていく信勝を信長は追いかける。元々足は信長の方が早いが十センチ以上の身長差がある上に、大量の信勝の荷物を持ち、本気で逃げられると手間取る。
ダッシュで追いつくと信勝の肩を掴んで、強引に振り返らせる。
「おい、聞け。お前って奴は嫉妬するにも相手を選べ」
「……すよ」
「いいか、わしも怒っておる。こんなことで疑われるのは……というかこれ二次元ってやつじゃろ」
振り返った信勝の顔は泣いていた。
「どうせ僕は二次元以下ですよ!!」
二次元という言葉に秋葉原通行人の足が止まり、弟の泣き顔に信長も足が止まる。信勝は日頃押さえている劣等感のまま自己否定の言葉を吐き続けた。
「僕が無価値なことは分かってますよ! 僕は馬鹿で無能、あなたは凄い、誰もがあなたの元に集まる。釣り合い以前に僕にはなんの重みもない。
この付き合いだって姉上の戯れだってわかってます! ……今二次元とか絵とか言ってましたよね? その絵の人物には誰かが想いを込める価値があったんです、僕にはそんな人いない! だって僕には価値がないから!」
姉の目が丸くなっていっても止められなかった。理性で押さえていた「自分は生まれてこなかった方がいい無価値な存在だ」という感情が雪解け水のように吹き出して、止まらない。
(だめだ、こんなこといっちゃ)
信長を悲しませるとやっとわかったのに。とっても楽しい一日だったのに。自分で台無しにしている。
「僕なんか生まれなきゃよかったんです、あなたは余計悪く言われた、僕がいたせいで! 母上だってそうです。僕はずっと足手まといで、せめて僕に力があればお役に立てたのに本当に馬鹿で無能で……カルデアに来ても僕があなたに一番相応しくなくて……それでも、それでも……姉上がそばにいいといってくれる間だけでも僕はおそばに……」
「信勝」
信長は信勝の顎を掴んで鼻が触れるほど近づけた。涙が数滴信長の頬に落ちる。愛する二次元がカップルを破局させたと胸を痛めていた通行人は「あ、キスして仲直りするんだ」と胸をなで下ろした。
「歯ぁ食いしばれ」
信長の右ストレートが信勝の頬に突き刺さった。三メートル吹き飛んで路上に転がって気絶する信勝に通行人たちの心境は地獄へ堕ちた。
【正しいことをしたいわけじゃない】
ようやくカルデアまでへ帰ってきた。信長は失神した信勝を担いだままレイシフトを行い、管制室から出ると信勝は目を覚ました。レイシフトの際に服装はいつもの軍服に二人とも戻っている。
「う、うわー……ノッブ、どしたの?」
廊下でマスター・藤丸立夏はぎょっとした。信勝の目は虚ろになり、信長に両肩に抱きついたまま引きずられている。藤丸がそっと聞き耳を立てると「ごめんなさい」「捨てないでください」「死にたい」だけを呻くようになっている。
「こやつ、勘違いで浮気とかなんとかいいおってな」
「ノッブ、浮気したの!?」
「ちゃうわ! 二次元じゃしこいつの暴走じゃ」
二次元という言葉に廊下の向こうで刑部姫と黒髭は通信大戦中の携帯ゲーム機を落とした。
「とにかくわしらの問題じゃ、口出しするな」
マスターだけでなく、なぜか申し訳なさそうな刑部姫と黒髭からも目線がくるが、それどころではない。
「いつまで泣いておる」
二人用の自室の引き戸を開けて、ようやく大量の荷物を床に放る。リビングの三人掛けのソファに抱えていた信勝を転がすとようやくまともな声が聞こえた。
「……ごめんなさい」
ソファから上体を起こして、泣きはらした目を伏せて頭を下げてくる。ソファの前で仁王立ちして腕を組む信長はただ聞き返した。
「なぜ謝る?」
「姉上がいやがること、いっぱい言ったから……」
この一年で姉に愛されていることはなんとか感じられるようになった。だから自分を否定することは彼女を傷つけることだ。無力な自分が嫌いで仕方なかったまま死んだ信勝がその感情を完全に消すことはできなくても、口に出さないことくらいはできたのに。
「僕、やっぱりおかしいんです。せっかく姉上と一緒の楽しい一日だったのに……自分で台無しにした」
「……」
最近回数の減っていた自己否定の殻にこもろうとする。信長はソファの隣に座ると信勝の襟首を掴んだ。弟の口元から血がにじんでいる、手応えからして歯が二本は折れているはずだ。すぐ治療した方がいいとは知っていたが、そのまま顔を寄せて唇に噛みついた。
「好きじゃ」
「……どうして?」
「お前が自分をどう思っているかは忘れろ、わしの気持ちを聞け。好きじゃ、お前が好きじゃ」
ソファに押し倒して何度もキスをした。血の味がする。触れるだけ、噛みつくように……ふと思いついて耳に噛みつくと信勝がびくっと震えた。今日嫉妬したことを思い出して、少しいい気味だと意地の悪い連想が浮かぶ。
「あ、あの、姉上」
「好きじゃ、お前は?」
「知っているでしょう……ずっと僕は姉上だけをお慕いしております。今更言うまでもない」
折れた奥歯のあたりの頬をつつくとうっと黙った。自分たちには言葉が足りない、そう学んだというのに。
「日々を怠るな、相手の気持ちなど口に出さんとわからんのだ」
「あなたが……大好きです」
おずおずと信勝の方から口付けすると信長は柔らかく笑った。
「なら、もうよい」
信長は信勝の頭を胸に抱き寄せた。髪を撫でる手に仲直りの合図だと涙が止まる。
「……怒ってないんですか?」
「ああ、だってお前、前ならなにも言わずに笑って誤魔化していただろう」
気持ちを殺して、影で一人で自分を否定していたはずだ。
「それより今の方がいい、わしも言いたいことが言える。遠慮なく殴れたしな……まだ痛いか?」
「痛くない……いいや、やっぱり痛いです。多分奥歯が折れています」
「ならもう十分だ、あとで一緒に婦長に怒られるか」
「どうして怒らないんですか? 全部僕が悪いのに」
「もうおあいこじゃ、それでもわからんなら今夜閨で教えてやる」
さすがに腫れている頬に軽くキスをするともう一度「好きじゃ」と言った。時代とはいえ……生きているうちは自分たちはあまりに言葉が足りなかった。せめて死後会えたなら、拙くていいから言葉だけは伝えたい。
その夜はナイチンゲール婦長に二人とも夜通し怒られた。医務室で朝まで正座させられて、とても閨の愛を囁くことなどできなかったが子供の頃に寺に忍び込んで怒られたことを思い出し、信長も信勝も背中に隠して一緒にガッツポーズをした。
数日後。
「おかえりなさいませ、姉上! いえ、お嬢様!」
「げ……なにやっとんじゃ」
自室に帰ると信勝がケチャップを構えて笑顔で待っていた。どう考えてもメイド服だった。しかもこの前のメイド喫茶の制服と瓜二つだ。同人誌だけにしては多いと思っていたが、こんなものを買っていたとは。
「いや~、あの店員にケチャップのコツを聞いててよかったです。秋葉原ってすごいですね、男性用のメイド服がすぐ見つかりました」
「信勝、お前そのオムライス、まさか作って……?」
ケチャップと反対の手には綺麗なオムライスの皿はある。自室がまた爆破された可能性に青くなる信長に信勝は「ぶー!」とぷるぷる首を横にする。あざとい。
「料理長につくってもらったんですよ」
エミヤのことだ。名を聞かれたときに「名乗るほどのものじゃない、無銘の英霊さ」と言ったせいで信勝は「生前はきっと不遇な境遇で、それでもさぞ名のある料理人だったのだろう」と誤解して今でも(余計な)気を遣って料理長と呼んでいる。
「つーかあいつは料理長じゃないと教えたじゃろ」
「そんなことより、姉上、なにをかきますか? 絵ですか、文字ですか? 好きなものを描きます、練習したから大丈夫です。だからあの姉上に色目をつかう店にはもういかなくていいですよね?」
「お前の似顔絵でも描いておけ」
その一言でさっきまでのハイテンションが消え、真っ赤な顔でケチャップで絵を描き始める。キッチンが爆破されてないことを確認すると安心して信長はリビングのソファに座った。
ほどなくオムライスが運ばれてきた。ケチャップの信勝の顔はほどほどに似ていた。しかし食べるたびに「あうっ」とか「ひゃんっ」とか「も、もうだめ……」とか聞こえてくるのはどういうことか。オムライスを食べているだけのはずなのに生娘を犯している気分だ(初夜なんて大分前なのに)。
「なかなかよかった、次は信勝の全身の絵にしろ」
「そ、そんなぁ」
「ん? なにが恥ずかしい、いうてみよ?」
「……姉上、最近意地悪です」
皿を下げるとなぜかぐったりした信勝をソファで膝に乗せ、信長は先日のことを回想した。
「しかし、信勝、運が良かったな。自分をボロカスに言うならともかく、別れるとかいったらえらいことになることだった」
「不吉なことを言わないでください、言霊ってあるんですよ。そもそも僕が言うわけないじゃないですか」
「言ったら両手足を波旬の火で焼いて、全身を鉄杭で指して、炎上空間でわしの部屋に飾る剥製にしておった」
自分だけのものにするために。生前に常にそうだったわけではないが、信長が信勝に惚れることは大体そういうところに着地した。
「そ、そんな、姉上……」
目が本気の恐ろしい魔王だったが魔王の弟は両手をぎゅっとあわせて、目を潤ませた。
「どうしてそんなに優しいんですか!? そんなの嬉しいに決まってるじゃないですか、ずっとおそばに置いてくれるなんて!」
「いやー、やっぱりお前大概じゃのう」
「もう、僕、本気にしちゃいますよ! 本当だったらいいのに!」
「どこまでもおかしいやつじゃ」
信長は信勝に触れるだけのキスをした。恐ろしい姉と頭のおかしい弟。悔しいけれど自分たちはとてもお似合いなのだろう。
おわり
あとがき
脳内でカツノブの笑いあり涙あり修羅場ありの連載が完結ので後日談だけ書きました。
サ終までにこれくらい分かり合ってくれてたらなとう願望。色々ありますが、ようは(恋愛的な意味でなくても)愛していることがお互いに伝わればだいたいハッピーエンドなんじゃないかな……。
六月の新章楽しみですね! ……六章……七章の次は最終章……間章を挟んで三年くらいなら2023年くらいまで? ……ぐだぐだイベントは一年に一度……あと三回+一回くらいなら四回くらい? う、うそや……あと十回あるやろ……つら、つら(ネガティブなのでまだ六章やってないのにFGOサービス終了におびえている)。
ううっ、もう奈須きのこ原稿おとしてくれ……(普通に新章を喜べ)。色彩の「永遠などすこしもほしくはない」にほし〜!ってなっちゃう。
謎の設定
ノッブ
カッツのことを愛してなかったらノッブがつきあってくれるわけないので地獄の炎のように愛してます。積極的にやりたいわけではないが、最悪「なくすくらいなら焼いて食べればいいか」とは思ってる(カルデア存続期間中くらいは大丈夫なはず)。
最近こいつほんとあざといなと気がついた。
カッツ
悲しい過去のせいで姉の愛情を受信する機能が破損していたが、現在は大分回復して姉が自分を愛していることが実感できるようになった。その分感情が表に出やすくなっている。が、元々かなり感情を抑える方なので出るときは噴出みたいになる。
2021/04/08