姉の心、弟知らず
脳天気なにやけ顔につい表情が硬くなってしまった。
「ついに僕も実装されましたー!」
「信勝くん、おめでとー!」
カルデアにファンファーレが鳴り響いた。花吹雪が目の前で炸裂して信長はげんなりした。マスター・藤丸立香がクラッカーを鳴らしている横で弟はにこにこしている。
「まあ、前からちょくちょくいたし特に新鮮味はないのう」
「三年越しの念願なのにつれないです~。そうだアイス食べましょう、姉上アイス!」
「ええいひっつくな! うっとうしいんじゃお前は!」
「めでたいね、ノッブ」
楽しそうな藤丸と弟から数歩離れる。マントを翻らせた信長の後をカルガモの行進のごとく信勝がついていく。実際同じようなものだ。あっちは親子でこっちは弟だが……。
ついにカルデアにやってきた織田信勝、本来は英霊となる器の霊基は持っていない。だが魔神柱の縁や帝都の聖杯の影響で信長の周囲で消えたり、現れたりする影のような存在だった。
「? ……へんなノッブ」
気がつくと消えている弟に信長は時折寂しげに見えたのだがなにか不満があるようだ。藤丸は不思議そうに信長を観察した。長年信勝はカルデアに出たり入ったりする、幻のような存在だったが邪馬台国の出来事からなんと英霊として登録された。……喜ぶと思っていたのだが。
「ノッブ、今日はどうしたの?」
「なにもないぞ、まあこいつにひっつかれて疲れているが」
「姉上~、なぜですか? やっぱり僕がいるとお邪魔ですか!?」
確かに前からうっとうしそうだったが、いつもの余裕がない。腕に寄りかかられた信長が腕を乱暴に振り払うと信勝は尻餅をついた。
「だからひっつくなというに!」
「ノッブ、やりすぎ!」
「あいたた……マスターは黙ってろよ、姉上は昔から元気な人なんだ」
「……いきなり来たくせに、マスターに向かって偉そうじゃの」
「す、すみません……おい、悪かったな」
ものすごく不満そうに謝られると藤丸の方が困惑する。今日はなぜか不機嫌な最愛の姉に信勝は首を傾げるとぽんと手を打った。
「姉上、今日はなんの日か知ってますか? ハロウィンという西洋から日の本に輸入されて、なんだか混ざってしっちゃかめっちゃかになった祭りが近いそうです」
「ハロウィン? ああ、毎年城の上に城を突き刺すあれな」
「なんですかそれ? ……はい、だからプレゼントです!」
懐から差し出されたのはパンプキンオレンジの二つのカップケーキだった。信勝の手作りなのだろう、不揃いで焼き色がまばらだ。一つはさっきの信長が突き飛ばしたことで潰れている。
「信勝くんが自分で作ったの?」
「ま、まあな! 料理なんかしたことなかったが、台所で習ったら初めてだけどなんとかなった。それでその、南蛮趣味のものは姉上がお好きかと思って」
「今は菓子を食ったばかりだ」
あとで食べるつもりで手で退けると信勝はきょとんとする。
「ああ、すみません、こんな形の悪いものを!」
といって、カップケーキは信勝の手でゴミ箱に捨てられてしまった。迷いも作った苦労も何一つなく投げ捨てた。
「ごめんなさい、三度目にやっと完成したことに浮かれてしまいました! ちゃんとしたものを買ってくるべきでした!」
「信勝くん、なにも捨てなくても……」
電光石火の行動に止める暇もなかった。せっかく作ったのにと信勝を制止しようとした藤丸の横を魔王がすり抜けた。
(ノッブのそんな顔、始めてみた)
ぱぁんと平手打ちの音が炸裂した。信長に平手で打たれた信勝は特に傷ついた様子はなく、ただ驚いていた。
「えっと……姉上、すみません?」
理由はさっぱり分からないが信勝はとりあえず謝った。その時滅多にないことに信長は傷ついて、しかし信勝はちっとも気がついていないことにマスターは分かった。
「捨てろと誰がいうた、早合点をするな!」
「お気に召すかと思いましたが姉上にはもう見慣れたものでしたよね。僕は本当に無能で馬鹿で……申し訳ないです」
涙目の弟の頬が赤く腫れている様に苛立ちに火を注いだ。その涙はどうせ頬の痛みのせいではない。
「信勝、そもそもお前は……がはっ!?」
「なに食べ物を無駄にしてんですか、ノッブ!?」
突然現れた沖田のキックが信長のわき腹を突き刺した。ぐはー! と飛んでいく魔王に追撃をかける新撰組。ばーかクラス相性があるわ! と知るか! といつもの喧嘩になっていく。
「姉上、僕も加勢します! ……ぐえっ!?」
「信勝くん、ちょっと今はいかないで」
マスターに伸ばした髪を捕まれて信勝は立ち止まった……指先はちょっとだけ焦げた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「えっ、ノッブが怪しげな薬物を作るように命じた信勝くんが失敗したんで粛正してたんじゃないんですか?」
「わしマフィアとかじゃなくて戦国大名だから! これだから人斬りサーの姫は……うわ、その姿勢から蹴るな!」
場所が変わってトレーニングルーム。逆立ち片腕立て伏せをしている沖田の横で信長はそれを眺めていた。いつものように沖田と取っ組み合いをしているとなぜかトレーニングルームに連行された。
信勝とマスターはいつのまにやら消えていた。
(マスターに気を遣わせてしまったかの)
絶対についてくると思っていたので助かった。実のところ、あそこで割って入った沖田にも感謝していた。
「正直助かった」
「は?」
「たいしたことでもないのに平手打ちはやりすぎだった、お前が絡んでくれたから往復にしないですんだよ」
「どうしたんですか、ノッブのお礼なんて気持ち悪いですよ」
ディスったのに彼女らしくなくベンチにぼうっともたれている。ひゅっと逆立ちを解除して立つと、一人分あけて沖田は信長の隣に座った。
「ノッブって信勝くんのこと嫌いなんですか?」
「は? ……いや、別に」
「でも彼が召還されてから機嫌悪そうですよ、まぶたの上とかひきつって狛犬みたいな顔」
「その目は節穴じゃな、いつものキュートな第六天魔王じゃろ」
いつもならもっとふざけてみせるはずだ。信長から放り投げられたスポーツドリンクを受け取ると沖田は彼女と弟に関しての記憶を掘り起こす。
「嫌いなら、そういえばいいじゃないですか」
「は? 別に……なんでそんな必要がある」
「二度謀反されたならそういう気持ちになってもおかしくないんじゃないですか? 憎んでいるとか、二度と顔を出すなとか」
帽子の下で切りそろえた黒髪の下で目が丸くなる。考えたこともないらしい。
「信勝くんはノッブから片時も離れたくないでしょうが、ある程度いうことはきくでしょう。本気で「謀反人が目障りだ、二度と顔を見せるな」っていえば彼は近づかないと思いますよ。まあ影からは覗いてるでしょうが」
「……どうだか、昔から人の話をきかん」
「ノッブは本気で思ってるならいうでしょ、お前なんか嫌いだって」
意地悪人斬りめと睨むと桜の花のような笑顔で返してくる。
「嫌いではない」
「じゃあ、好き?」
「女子会か。……さあな、血縁なんてそんなこと深く考えんさ」
「じゃあどうでもいい?」
観念して信長はため息をついた。まさか沖田になだめられるとはヤキが回ったものだ。
「信勝がカルデアに召還されて、正直戸惑っておる」
「でも……結構前から顔を出してたじゃないですか。その時のノッブはこんなじゃなかったですよ」
「あれは消えることが約束された夢のようなものだ。どんなにくっついても振り返れば終わる賑やかな白昼夢。いつ消えるか分からないこそ昔のように接した……それが今は「本当」にここにおる」
だからざわつく。弟の召還は彼が夢や幻ではなく、はっきりした実体を持つことになった。それもまだ気兼ねなく話していた死より若い少年の姿でうろうろしている。
「あやつはな、笑って死んだんじゃ。わしの役に立てて嬉しいと……織田の臣下を殺し、自分が腹を斬ることなんてものの数ではないと」
青年の頃に死んだ信勝の笑顔には死の恐怖どころか、迷いさえなかった。妙な話、恐怖すらした。……時間をかけて作ったくせに捨てられた菓子は弟の命に見えた。
「子供の頃は信勝を可愛がったさ。姉上姉上とくっついて、頭を撫でればすぐ笑った。話をもっと聞かせてとせがんできたから夢を語った。いじめられたら助けたし、川辺で菓子を一緒に食った。
……そうしたらある日、わしが素晴らしいかよく分かったから殺して役に立ててくれと言われた」
夢など語るではなかったと悔いた。織田の後継者の火種はあれどもあんな形で失うつもりではなかった。
「わしが信勝のいうように本当に万能ならどうして弟一人生かすことができなかったのか、死んだ後は色々考えたもんじゃ」
「……」
「だがそれをよいと言えない自分にも苛立った」
信長には複雑だが、信勝の死は幸せとは言えなくても本人には満足いくものだったのだ。
「一人の人間が誰かの才に惚れ込んで命を捧げる。わしはそういう生き方をよいといってきた。戦場で誉れある死は名誉、ぼんやり生きるより何かに懸けて死ぬ方が好ましいと。時代もあるが、そういう人生は満足なものだろうと……だが信勝だけはどうもそれでよかったといえんのじゃ」
一生何もなさなくていいからどこかで生きていればそれでよかった。そんな平凡な後悔ばかり感じていた。
「……つまりノッブは昔みたいに信勝くんを子供の頃みたいに可愛がりたいけど我慢してると」
「そんな不気味なこと思っとらん、元服前でもあるまいしいい大人相手に」
「昔みたいに接するとまた自分のために死ぬような気がして、迷うんでしょ」
「……」
そうなのかもしれない。最初から死が約束されている幻の時と違って、人とは違うサーヴァントといえども消滅を選ぶことができる。暴走する信勝を想像するのは容易い。
「まあノッブの気持ちも分かりますよ。新撰組でも色々ありましたから、もしかつての仲間たちカルデアで会えても時には苦い想いもするでしょう。でも、さっき言ったことはあまり理解できません」
「ほう?」
「私は仲間を斬ったことも失ったこともありますが、それでも誉れある死だからよかったなんて思ったことはないですよ」
「……三百年も先の考えは分からん」
他に色々な反論が脳裏をよぎるが、言の葉としては出てこなかった。
「でもノッブはノッブだから、きっとこれからもイライラしても信勝くんをかまうと思いますよ」
「なんでじゃ、かまいとうないというておる」
「我慢強い方じゃないから、痛い目を見てもやっちゃうでしょ」
信長は一度身内になったものにはとても甘い。それは帝都で殺し合い、カルデアで戦っただけの間柄でも分かる。臣下であれなら家族ならとても放置できまい。沖田は決して口には出さないが、性分であり、器の大きさなのだろう……信長は人間を愛せる量がとても多い。だから誰も手放すこともできず、愛されたものたちは器の大きさを量りきれず溺れる。
「ノッブなんだから大物ぶってないで、ダーオカみたいにしてればいいんですよ」
「日本史の大物だっつーに、元よりわしはわしらしくしか生きれん性分だ」
「今のノッブがらしくないから言ってあげてるのに。分かってないうつけですねえ、我慢なんて織田信長に一番似合いませんよ」
にやにやした沖田が頬をつついてくるので、耳を引っ張ってやる。
「とにかくただの姉弟喧嘩ならマスターを巻き込むと可哀想ですし、なにより私が三段で突きますよ」
「ワープはヤメロ、ワープは! ああくそ。そうだな……わしがわしらしくないのはわしが一番いやじゃ」
ようやく信長はいつもの不遜な笑顔に戻った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから三日、信勝の前に信長は姿を現さなかった。
マスターや茶々たち、新撰組のメンツに聞いても「周回が」「知らない」「是非もない」と逃げられる。集団ぐるみで避けられていると絶望したの昨夜だった。
そんな信勝の部屋に一通の手紙が置いてあった。信長の字で「わしが来るまで待て」と場所と時間が示されている。
今度こそ役立たずは近づくなと言われるのだろうか。
「亀くん……どうしよう」
最近持ち歩いてる亀のぬいぐるみをぎゅっと腹に抱いて、廊下の壁にもたれる。やはり菓子の失敗がまずかったのだろうか、いやそもそも自分が無能で役立たずだ。仕方がないけれど正面切っていわれるのは辛い……どんどん俯いて腰が九十度曲がった頃に声をかけられた。
「信勝くんじゃん、なにしてるの?」
「いてっ! 誰だよ、姉上じゃないのに気安く僕の名前を……なんだ卑弥呼か」
ばしっと腰に一撃を食らったので、振り返ると邪馬台国の女王がラフな姿で立っていた。
「女王卑弥呼であるぞ、ひかえおろー。ところでやつれてない、お米食べてる?」
「いつの時代の人物なんだよ。別に……なんでもない」
信長以外には厳しめの信勝だが卑弥呼には少し弱い。彼女の弟がいなければこうしてカルデアに安定して存在していない。もしかしたらどこかに名無しとなった彼の気持ちが残っているのだろうか。
「元気ならいいけど。ねえねえ、このぬいぐるみ、私の弟くんだったりする? 話せる?」
「話せない。ただの人形だ」
卑弥呼は信勝の亀のぬいぐるみをぷにぷにと突っついた。触るなといえないのはやはり彼の心が残っているからだろうか。
「いっがーい、信勝くん、こういうの好きなの?」
「そうじゃない、僕なりに……その彼を忘れないように」
「そっかー、話せないか……」
卑弥呼の横顔に寂しさが横切ったので慌てて信勝は説明した。このぬいぐるみはただの物体だが、時々彼女の名無しの弟は夢に出る。信勝自身が望んだときに会えるわけではないがなにかの拍子にチャンネルがつながるらしい。
「夢だから話の内容は半分も覚えてない。だからこの人形は少しでも話の内容を思い出せるように持っている」
姉に避けられてからぬいぐるみには「終わりだ……終わりだ」と泣き言ばかりいっていたのは隠した。
「ほほう、さすが我が弟、夢でアドバイスとはやるわねー。私も昔は時々夢をとばしっこして」
「……いいな、あなたたちは」
「へ?」
「最後まで姉弟で助け合えて……羨ましいよ」
女王である卑弥呼を名前をなくしても最後まで支えられた彼を、時折恨めしく感じる。恩知らずだと思うが、そのあり方は自分がそうだったらと何度も願ったものだ。
支えたくても自分には何もない、馬鹿で無能だ。死ぬことくらいしかできることがなかった。
「羨ましがられるようなものかしら、だって私たちほとんど姉弟として過ごせなかったし」
「なんだよ、それ。彼はあなたを思ってだな」
「いやー、私も色々思うことはあるけど……もう少し普通の姉弟でいたかったなあって思ったことは結構あるわよ」
「そりゃ……彼と僕は違うから」
邪馬台国の政権を支えられた有能な彼とは違うし、卑弥呼自体弟を好いていた。足りないところを数えようとする前に卑弥呼は不思議なことをいった。
「きっとあなたの姉上だって私と同じ気持ちだと思うなー」
「は?」
「もっと君と子供の頃みたいに過ごしたかったって思ってるよ」
「そんなわけない、初めて現界した時に姉上にははっきり言われたさ。永遠の子供時代なんていらないって……」
「姉の心、弟知らずって時代を越えるのね~」
ぽんと頭に手が置かれる。
「姉弟だもの、いてくれるだけでいいのよ」
「人の話をちゃんと聞け、いいか姉上はな……!」
「……なんじゃ、騒々しい」
「あ、姉上!?」
信長が腕を組んで立っていた。なぜか不機嫌に見えるがすでに信勝はなにかやらかしたのか。
「お久しゅうございます、姉上! この六十八時間、お会いできず信勝は、信勝は~!」
「ええい、いきなりくっつくな! ……ふん、たった三日で随分カルデアに馴染んだようじゃな。人見知りだった子供の頃のお前と違って今のお前は物怖じせん」
「なんの話ですか? 卑弥呼とは亀くんの話で……あっ!?」
「信勝くん、弟借りてくね!」
亀のぬいぐるみを持ち逃げする卑弥呼を信勝は追いかける。しかし信長に首根っこを強めにひっつかまれて立ち止まる。
「信長ちゃん、私の弟も混じってるから手加減してあげてね!」
「返せ~! あと姉上を馴れ馴れしい名前で呼ぶんじゃない!」
卑弥呼に逃げられた信勝が戻るとなぜか信長は不機嫌だった。
「なんじゃお前……たった三日で姉が増えたか」
「そんなわけありませんよ、僕の姉上はただ一人です。さっきのは僕の霊基が……」
かがんで説明する弟がいまいましい。昔は肩の下の頭があったのに。
「しっとる、もうよい。いうてみただけじゃ……用がある、ついてこい」
「は、はいっ……えっ、これいいんですか?」
「なんじゃ、昔はようしとったろう」
姉弟で手を繋いで歩いている。子供の頃のように信長の早足に信勝がひっぱられている。今は身長差があるので少し信勝がかがんで歩く形になっている。
「この手はずっと洗いません! いや切り落として冷凍保存します!」
「気色悪いことをいうな! そんな必要はない! ああもう……いつからお前はこんなに突拍子がなく、予想がつかんくなったのか」
ぱっと手が離れてしまった。何を失言したのか分からない信勝があー! と手のひらを見て泣いている。下ばかり見ていたらふわっと赤いマントが鼻をかすめた。
あたたかくて、やわらかい。
「あね、うえ?」
「……黙ってかがめ」
信勝は信長に抱きしめられていた。幼子にするようによしよしと後頭部を撫でられる。
「……どうせお前は幻だとどこかで避けていた」
「えっ、えっ、これは……夢?」
キャパシティーオーバーで夢と幻を疑っている弟から一度身を離すと姉は両肩に両手をおいた。なぜか信勝は怯えた目をした。
「ようこそ信勝、カルデアへ。世界が救われるまで、今度はわしの元で頼むぞ」
生前は叶わなかったことを口にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あそこで鼻血を吹く奴があるか! やっぱ近寄るな!」
「僕にあれで流血しないなんてそれこそ無理です~!」
「まず血を止めろ、血を!!」
「しゅびばせん……自分でやるのでもう一箱くだしゃい」
弟の鼻にティッシュを詰めると三箱目を投げる。歓迎の抱擁から十秒後、帽子に血が飛んたと思ったら流血沙汰になった。一瞬怪我をしたと慌てたら、泣いて鼻から血をこぼしていた。第二派流血でマントがぐっしょり汚れた信長の拳が弟の鳩尾に突き刺さったことを誰が責められようか(ナイチンゲールに怒られた)。
「帽子とマントが台無しじゃ……というかもう着たくない」
ばさっと畳に帽子とマントを放る……ここはこの三日で信長が作った和風の部屋だ。一応茶室風にしてあるが、細かいところは趣味だ。窓から見える竹林はスクリーンに映された映像、吹く風はシュミレーターの応用だ。リソースを稼ぐのに時間を食ってしまった。
中央にある茶釜の湯加減を確認していると貧血で横になった信勝の泣き声が聞こえる。子供じゃあるまいしいつまでめそめそしているのか。
「いつまで泣いておる、そんなに力を入れたつもりはなかったんじゃが」
「だって……姉上が僕にようこそって、うう~」
「こら、また興奮して血を出すなよ、せっかく用意した畳が台無しじゃ」
「が、がんばります……ここはいつもの金の茶室ではないんですね? 用意したということはこの三日はここを作っていらしたんですか」
「……まあ、そうだ」
なぜか気まずげに目を反らされる。侘び数寄趣味の姉だからこういう部屋の方が好きなのは自然なのだが、信勝が鼻を押さえて不思議がっていると信長が隣の壁にもたれて、横であぐらをかいた。
「鼻血は置いといて、さっきはなんで泣いた?」
「いやその……安心したんです。役立たずは失せろと言われるかと。サーヴァントといっても僕弱いですし、馬鹿で無能ですから。姉上の役に立ったのは本当に邪馬台国の最後くらいで、あとは死んだことくらいしか僕の意味は……もが」
なぜか口を塞がれる。頬を引っ張られてすごく痛いですと見上げるとわしもなと謎の言葉をつげられた。姉は不思議だ、いつも信勝には理解できない。
そのまま頬をつつかれていると姉は深い緑の茶碗を信勝の顔の前に置いた。ほのかな抹茶の香りが鼻先をかすめる。
「ほら、わしの茶じゃ、国宝級らしいぞ」
「そんな、飲めません……冷凍保存します!」
「いらん! ……来週はこの前の菓子を焼いてこい」
「来週?」
「時々は茶を点ててやるから、お前は菓子でも焼いてこい……これからがあるから保存なんぞ必要ない」
「これから???」
やはりこれは夢では。いや最初から最後まで妄想では。ほらその証拠に姉は「血が止まったか」と足を崩して弟の頭を膝に乗せた。膝枕という単語に血が飛ばないようにとっさに鼻を押さえる。
呆れた顔をしたが姉は猫を撫でるように頭を撫でた。
「カルデアは永遠ではないが、それなり時間がある。茶の時間くらいつき合え、菓子はこれから上手くなる。きっとお前が上手い菓子を作れるくらいまでの時間はある。そうだ、それまではわしに茶のいろはくらい学べ」
「これは夢だ……これは夢だ……」
「そういうのええから!」
べしんと額を叩かれると痛い、夢じゃないのかもしれない。
「いいから、はいといえ」
「……はい、姉上の元で勉強します」
「よいぞ、精進する奴は好きだ」
「姉上、わざと鼻血を誘発してません?」
思い切り鼻をつままれた。叱られて励まされる、十にも届かない頃の兵法の勉強をしていた頃のようだ。
(姉上、なんだか子供の頃みたいだ)
唇から漏れた歌は幼い頃に手を引かれて聞いた気がする。
「あの、姉上、完全に僕の妄想だと思うので聞き捨ててほしいのですが……」
「お前の妄想は今に始まったことじゃなかろう」
「その……生前に子供の頃に帰りたいと願ったことはありますか?」
そんなことあるわけない。戻らぬ時を駆けるから生は尊い、永遠の過去などいらないと明治維新の時に言われた。弱い弟とは違いあの時をもう一度なんて強い姉が思うはずがない……しかし信長は黙っていた。
「……生きていた頃、こうして茶を立てると時々思い出した。子供の頃に見た尾張の夕暮れを」
頭を撫でるのをやめ、信長は掛け軸の前に飾った花菖蒲を見た。
「その空の色を思い出すと柿を食ったり、夕暮れを二人で歩いたことを思い出した……願ったことはない、だが思ったことは何度もあったよ」
願ったことはなくても思ったことはある。黒い瞳に悲しみと懐かしさがよぎる。
「姉上にもそんな時があったんですね。あの、その光景の中に僕の姿は一度くらいは……いたのでしょうか」
「……侘び寂びのわからんやつだな」
ごんと拳で軽く叩かれた。どういう意味だろう、やはり信勝のことは一度も思い出さなかったのか。
「時々お前が怖いよ、まことにわしの予想もつかんことをやるからな」
「姉上が……僕が怖い?」
「姉の心、弟知らずじゃ」
卑弥呼と同じことを言う。強い姉の考えることは信勝には難しい。
「これからはともに戦え、ここは世界の終わりのようなものじゃが……今はカルデアの仲間だ」
「僕なんかが……仲間でおいやではないですか?」
「そんなことを考える暇があったら精進せよ。此度の生はわしのために死すのではなく、ともに戦え……いいか、軽々と散るでない」
「ですが、僕は……なんの役に立つのかまだ分からなくて」
かかと信長は豪快に笑った。
「邪馬台国でわしを復活させておいてよくいうわ」
「でも、あれは僕の力ではなく、姉上の」
「大げさなんじゃお前は……いいか、お前はいるだけでこの第六天魔王を呼ぶことができたんじゃ。一生自慢していいと思わんか、生意気め」
卑弥呼と同じことを言われたが信勝はうまく飲み込めなかった。
「でも、いるだけでいいなんて、そんな都合のいいことありえない」
「それが大げさというとる。そんなもんじゃぞ、英霊なんぞ。たった一度の奇跡が人の歴史になる……死後も引っ張り回されて難儀でもあるがな」
「……なんだか子供の頃に泣いていると姉上が助けに来てくれた頃に戻ったみたいです」
「わしだってその時とそこまで変わっておらんさ」
嘘だと見上げると微笑まれる。姉は魔王になったのではなく、生まれつき魔王だったのだろうか。
「正直大変なんじゃぞ、ここは。歴史が焼け落ちずにすんだと思えば世界は白紙化してるし、これといった勝ち筋はまだ見えん」
「姉上でも?」
「悔しいがのう……だが歴史の焼却も地球の白紙化もわしがやってきたことそのもとを無にすると聞いては無視できん」
「焼却、白紙化……サーヴァントになったことで知識としては理解しているのですが正直また実感がわかないのです。ただ……僕も姉上のしたことがなくなることは許せません」
「はいはい、お前はわしわしわしじゃな」
「はい、あなたの為なら僕は何度でも死ねます」
「……」
弟と分かりあえないことは分かっている。
生きていてほしいだけだった姉と死んでも懸けたいものを見つけた弟。妥協点がないことは生前に痛感している。
「それに……」
信勝は無意識に願望がこぼれた。
「僕なんかどうでもいいけど、姉上と僕が過ごした子供の頃がなかったことになるのはいやです」
「……そうか。いや、お前は再会した頃からいっておったか」
信勝には二つの望みがある。姉の邪魔になるものを全て消し去りたい望みと姉弟で子供の頃のように過ごす望みだ。かつて否定したが、今は後者の方が望ましい。
「焼却に、白紙化、異聞帯に異星の神。随分前からここに出入りしていたけど、馬鹿な僕に理解できるか心配です」
「わしもすべては分からん、ほうってくとまずいことだけ理解しておれ。マスターたちの勝算はさすがの魔王も気の毒になる有様、これから現実を見て泣くなよ」
「そんな世界で、元々無力な僕が姉上を助けられるのでしょうか? あの亀くんが言ったように助け合うなんて……」
助け合う、そうありたいと望め。邪馬台国の亀はなるほど信長には思いつかない言葉を刷り込んでくれた。今の信勝はかつての無邪気な時代の真似事を無意識に望み、一足飛びに自己犠牲をすることを迷うようになった。カルデアの仲間という立場も丁度いい。
「役立たずと嘆くよりこれからはわしを生きて助けよ……カルデアにきたのじゃから仲間として行動せよ」
「はい、姉上。なにもかも夢みたいですがこれからはお側にいて……精一杯お助けします……」
そのまま膝の上で寝てしまった信勝にさすがに呆れた。寝顔が完全に幼子。窓の風景は子供の頃の記憶を元に作ったが弟も子供に返ってしまったのか。
(こんな部屋を作ってしまうとはわしもブラコンってやつなのか)
だがこれでいつものどつきあいに戻れる。こうした時間を持てば自分は再び安定する。
(ようはわしは二度と傷つけられたくないのじゃ、お前にだけはな)
どんなに優しくしても、いるだけでいいといっても、信勝は決してそれを心から受け入れまい。命を平気で捨てることだけが姉に劣る弟にできる唯一の武器だと信じている。たった一つの武器なら絶対に奪われまいとするし、そういう風に死んだなら今更変われまい。
そして沖田の言葉も正しい、信長は傷つくと恐れても側にいたら弟を無視などできない。
(なら手綱を付ければいい)
この部屋で子供の頃のように姉弟水入らずで過ごしてやろう。「仲間だ」「助けろ」「死ぬことに意味はない」と自己犠牲の刃物を抜く選択肢を頭から薄れさせていく。手の込んだ暗示だが、子供の頃のように過ごしたい信勝にとっても悪い話ではあるまい。
結局人間は自分の望みのためにしか生きられない。だから相手の望みを読めば、誘導はできる。戦乱の頃にはそうして臣下や敵とやりあったのだからできるはず。
「信勝……今回は読みちがえぬ、好きにはさせん」
弟の心はまだ半分子供時代にいる。優しくして、特別な態度をとり、奮い立つ言葉をかければ……戦乱の世を渡り歩いた自分に敵うはずがない。
「あねうえ」
びくりと身を硬くしたがただの寝言らしい。寝顔は無垢で幼く、時間が巻き戻った錯覚に一瞬だけこの時間が止まればいいと思ってしまった。……再会したときにいらないと弟に突っ返したものなのにあほらしい。
「人によってはこんなリスクは犯さんものなのだろうが、わしは魔王じゃからな……戯れに危険と知ってても遊ぶもんじゃ」
少し卑弥呼が羨ましい。死ぬまで助け合う姉弟、そんなものになれなかった。時代もあったのだろうが、己たちの有り様と思うと時代だけでもあるまい。最初からどこか歪んでいる。
「……ま、是非もないよね」
第六天魔王は一度愛したものを手放せないたちなのだから。
おわり
おまけ1
「ところで先ほどの姉上の帽子とマントなんですが、もし不要なら記念に僕に……」
「やらん!! こんなもんこうじゃ!(床に叩きると金の光になって消滅)」
「そんなあ~!(床に張り付く)」
「なりたてサーヴァントは己の身体をしらん。わしらは切り離されればこうなる定めよ。これに懲りて保存とか言わないように……こら、いつまでも床で泣くな!
わしがなんのためにあの部屋を……え、部屋を作った理由? ……知らん、忘れた。知らんもんは知らん、しら~ん!」
おまけ2
「姉上、茶に合うものを作ってきました~!」
「うむ……なにこれ味薄っ」
>
姉上は濃い味派(が、茶道的な菓子を作ると薄くなるイメージ)
あとがき
信勝くんが「混沌・善」でノッブ(弓)が「秩序・中庸」なんでなんか色々腑に落ちた。好きなように生きてるというより、好きなようにしか生きれない属性だよね、それ(偏見)。
茶室には最初彼岸花飾ってたんですがよく考えるとあんまりだなと思って、花菖蒲にしました。花言葉は「うれしい知らせ」。
邪馬台国姉弟が圧倒的光なんで色々安心してます。この二人、光と闇と血だから……。
2020/10/25