信勝、サバフェスに出る



「姉上姉上! 僕、サバフェスに出ます!」
「はあ?」

 朝、食堂に行くと弟にいきなりそう言われた。信長はモーニングのAセットを頼みながら信勝がマシンガンのように話す言葉を流し聞きした。

「あれはお前が実装される大分前の夏イベじゃろ?」
「今回の夏ではまた開催されるらしいのです。姉上、僕は必ず姉上の素晴らしさを表現してみせます!」
「信勝、お前本とか作りたかったんか?」

 初耳だ。子供の頃から信勝は本が好きだったが読む方が専門で作る方に興味があるなど聞いたこともない。とりあえずご飯と味噌汁と焼き鮭の乗ったトレーを席に運ぶと勝手に信勝は隣に座ってくる。

「作りたいというか……うーん、姉上の凄さを表現することに興味があります。というか姉上の素晴らしさを広めるのは僕の使命だと思ってます!」

 本人の目の前でナマモノ同人を作ることを宣言される。信長は呆れたが肝心のところで弟に甘く、かつ自分のナマモノ同人は現代日本では一大ジャンルになっているので流した。

「まあ勝手にしろ。ていうか、お前、漫画とか描けたのか?」
「えっ?」

 どうやら情熱が先行して現実を深く考えていなかったらしい。信勝の頬に冷や汗が落ちる。正直絵は得意ではない。

「えっと、えっと……ま、漫画というものじゃないとサバフェスには出られないんでしょうか?」
「いや、根本的に素人が出す本がサバフェスのメインだし、内容も自由で別に小説でもイラストでもなんなら彫刻でもポエム集でもなんでもいいが……あんまり下手だと一冊も売れんぞ?」

 姉の頭には在庫の山に囲まれて落ち込む弟の姿が浮かぶ。そこでようやく弟は売れるとか売れないとかそういう現実が思い浮かぶ。

「で、でも、僕は自分の手で姉上の本を作りたいのです! チャンスがあるなら僕は……挑戦したいです! 一週間で上達してみせます。きっと姉上の素晴らしさを多くの人に伝える本を作ってみせます!」
「ま、記念参加じゃ、好きにすればええ……一応、サークルを見に行くから原稿を落とすなよ」

 情熱だけの素人の同人誌だ。在庫は余るだろうが、自分が買えばとりあえず一冊は売れた実績ができる。ならいいか、と思う程度には姉は弟に甘かった。

「き、きてくれるんですか!? 姉上、ありがとうございます! 僕、頑張ります!」
「ああ、あと本はあまり多く発注するのではないぞ」

 まさかそんなことを言われると思わなかった信勝は姉の本を作る一層情熱を燃やすのだった。その後も信勝はにこにこと姉の後ろをついていき、どうしても可愛く見えるその笑顔が自分を甘くさせるのだと信長はこっそり肩をすくめた。






 信勝は早朝に荷物をリュックに詰めて、金の茶室の誰より先に空港に到着して直行でホテルにチェックインをすませた。ちなみにマスターの助言で再臨は水着にしてある。現地は暑かったので本当によかった。

「いっぱい食べ物も買ったし、ずっとここで頑張るぞ! 姉上、待っててください!」

 空港でエネルギーバーのようなものを買い溜めしてきた。信勝はホテル缶詰を覚悟でさっそく原稿に取りかかった。

 机の上に白い原稿を何枚も置いて、それに書く前に白紙のノートブックにプロットを書いていく。色々考えて信勝はサバフェスで人気らしい漫画を描くつもりだった。

 来る前に色々リサーチして、どうやら原稿にはデジタルというものとアナログというものがあることを知った。刑部姫というサーヴァントに色々親切にしてもらい、どちらも少し試して自分にはデジタルは難しく、まだアナログの方が向いているという結論を出した。なので原稿用紙や複数のペンはすでに荷物に入っていた。

「はじめての同人誌って最高の思い出じゃん! ファイト〜!」

 最後に刑部姫は「初のサバフェス参加ならとりあえずこれ!」と「はじめての同人誌〜最後までやり抜くために〜」という本を貸してくれた。パラパラとみるとネームの作り方やコマ割りのコツが書いてある。これならやれそうだ。

 一気にプロットを半分書き上げると信勝はその素晴らしさ(主観)に打ち震えた。

「なんて面白い話なんだ……きっとこれなら姉上も喜んでくれる!」

 信勝はその後何日も部屋から出ず原稿に没頭した。







 外ではアルトリア縛りとか、リセットとか色々あったようだが、信勝は無視してホテルに籠って姉のための漫画を描き続けた。

「ふう、それにしても漫画を描くって大変だな」

 集中を維持するのも大変だ。エネルギーバーはすでに尽きて時々買い出しに行った。たくさんコーヒーとエナジードリンクを飲んだし、カレーもステーキもいっぱい食べた。最近は結構夜更かしをしてしまう。それでもなかなか完成しない。

「姉上が来てくれるんだ……頑張らないと」

 信勝は自分では否定しているが根本的に真面目な努力家だ。だから全てをコツコツと積み上げた。「はじめての同人誌」を何度も読んで効果的なコマ割りや台詞回しを学び、崩れがちなデッサンを何度も描き直した。
 だから絵の素人で、漫画などカルデアで数度見ただけの信勝でも一応見られるレベルの原稿が形になりつつあった。

「あはは、はは……すごい、面白い……実は僕は漫画の才能があったんじゃないか……むにゃ」

 夢うつつにそんなことを言いながら机で眠った。






 そうして信勝の原稿は完成した。あとは印刷所で製本するだけだ。最後に丁寧に最終チェックをする。

「……あれ?」

 そこで最悪の事態が起きてしまった。
 信勝は自分の原稿を全部見直して凍りつく。同人誌のよくある悲劇が信勝の心を直撃した。

「なんかこれ……つまらなくないか?」

 そう、信勝は正気に戻ってしまった。原稿が完成したことで我に帰ってしまったのだ。みるみる顔が青くなる。

「話は面白くない、そもそもストーリーの意味がわからない、第一絵が下手すぎる。姉上の素晴らしさなんてちっとも表現できてない……な、なんでこんなものを面白いと思っていたんだ、僕は……?」

 冷静になると夢中な時は見えないアラが一気に見えた。だから、夢中になっていた時は素晴らしく思えた漫画がただ素人が下手な絵をムリヤリ漫画の形にしているだけだと分かる。ストーリーは起承転結が無茶苦茶だし、絵はバランスがめちゃくちゃで見れたものではない。そもそも話の意味がわからない。これなら幼児のラクガキの方がマシだ。
 つまり素人のよくある同人誌だったのだが、信勝は初心者であるが故に「思い描いたもの」と「できたもの」の落差に打ちのめされてしまった。

「なんて……なんて酷い漫画なんだ……こんなもの、こんなの姉上に見せられない!」

 信勝はわなわなと震え原稿用紙をバサバサと床に落とした。そして膝から崩れ落ち、打ちのめされて床に四つ這いになる。

「というかこんな酷いラクガキなんて誰にも見せられない……そもそも僕はどうして本なんて作るなんて考えたんだ? ただの素人の僕がどうして姉上の素晴らしさなんて表現できると思ったんだ? ……僕はやっぱり馬鹿で無能だ。参加できるって有頂天になって何かできるって錯覚してたんだ。姉上にあんなこと言って、なんて……馬鹿だったんだ」

 信勝はボロボロと原稿用に涙をこぼした。必死で描いた線画のインクがその涙で滲む。一生懸命がんばった時間は全て無駄だったのだ。

「……参加はやめよう。本なんて出さない。こんなラクガキ存在しちゃいけないんだ」

 信勝は描いた原稿用紙を全て集めて胸に抱え、浜辺で焼くために外に出た。








 ざあと波の音が夜の浜辺に響く。その音を聞いて信勝はマッチに火をつけた。

「……」

 信勝は浜辺でしゃがんでいた。その前には五十センチほど掘った穴とその穴の底に置かれた茶封筒がある。その中には信勝が必死で書いた同人誌の原稿が全て入っていた。これから燃やすのだ。
 火をつけたマッチを穴に放る手が一度止まる。みっともなくて姉はもちろん他人にも見せられるものではない。それでも必死で描いた時間を思うと躊躇った。
 迷う内にマッチの一本目は海風で消え、次は燃え過ぎて使い物にならなくなり、ぐだぐだともう五本目だ。

「……うまく、描いてやれなくてごめんな」

 今度こそ信勝は意を決して、六本目のマッチに火をつけて穴の中に放った……とその時だった。

「ピピー! ピピー! そこのマッチ持ったやつ動くな〜!」
「バーベキューの許可を得ずに浜辺で火をつけるのはやめてください〜!」

 よく響く笛の音と共に背後から影が飛び出してマッチを蹴り飛ばす。信勝が目を丸くしているとヌッと巨大な蜘蛛の足が現れて信勝を拘束した。

「誰だ、お前たち……!? なんだこの蜘蛛、うわ、糸が絡まる……やめろぉっ!」

 信勝はそのまま巨大蜘蛛の吐いた糸でぐるぐる巻きになって砂浜に倒れた。

「おうおう! こんな夜更けに火遊び野郎は誰だ〜? ……ってよく見たらカッツじゃん。ノッブ抜きカッツなんて珍しい〜。それにしてもあたしちゃんの前で火遊びたあ、ふてぇヤロウだぜ⭐︎」
「あわわ……すみません、信勝さん。この子は私の宝具なので人は食べませんのでご容赦くださいませ。あと浜辺での無許可のキャンプファイアーは禁止されています」

 月光を浴びて立っていたのは清少納言と紫式部だった。二人とも水着で夜なのになぜかサングラスをかけている。

 信勝は巨大蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされたまま、手に持ったマッチ箱と予備のポケットのマッチ箱をそれぞれ二人に没収されてしまった。これでは原稿を燃やせないとじたばた叫ぶ。

「み、見逃してくれ! ここで火をつけていけないなんて知らなかった。でもこれはすぐに燃やさないといけないんだ!」
「カッツ……あたしちゃんはわかってるぜ。やりたかったことはキャンプファイアーじゃないんじゃないでしょ?」

 サングラスを外した清少納言の目は何もかも見透かすようで信勝は思わず目を逸らした。

「うっ……そ、それは、お前たちには関係ない」
「信勝様、私たちは今夜もう三人目なのです」
「三人目?」

 やたら神妙に紫式部は語る。

「今回の夏はサバフェス、そして明日サバフェスは始まる。すると毎回出てくるのです……直前で自信を失って原稿を燃やそうと浜辺に出るものが。なので私となぎこさんは今回のサバフェスではこうしてパトロールをすることにしたのです。想いのこもった物語が誰の目にも触れず灰になるのは避けたいですから」
「だからあたしちゃんとかおるっちはこうして三人目の原稿を回収するのだった……あ、これでしょ?」

 アクティブな清少納言は穴の底にある信勝の原稿に気づき、すぐに回収してしまった。清少納言が封筒を開けたので信勝は叫ぶ。

「やめろ、そんなの見るなー!」
「ほう、ほう、ほう……ほほう!」

 蜘蛛の下でじたばたする信勝の横で清少納言は高速で原稿を読み上げる。一度読み終わるとすぐに紫式部に原稿を渡したので信勝は余計に叫んだ。紫式部も同じく高速で原稿を読み上げる。

「ふむふむ、なるほど……こういう展開なのですね」
「やめてくれ、誰かに見せられるような代物じゃない!」
「カッツ、大丈夫だぜ!」

 いきなり清少納言にバァンと肩を叩かれる信勝はうっと動きが止まってしまった。

「この漫画は十分面白い、あたしちゃんが保証するぜ! 個人的にいきなりゴジラが全部ぶっ壊すとこテンションアゲぽよ! こんなとこにいないでサバフェス出ようぜ!」
「そうですね、拙い部分もありますがちゃんと物語として成立しています。これならサバフェスに出ても大丈夫ですから、これから一緒に印刷所に行きましょう。ドルセントさんに夜間割り増しを払えばいいそうです。個人的には富士山を破壊するところが好きでした、現実に破壊されると困りますが漫画だと面白いものですね」
「そ、そんな……面白い? 成立している?」

 二人の女性(しかも高名な作家)に囲まれて励まされる。人によっては羨ましいシチュエーションだ。しかし、心に闇を飼っている信勝は首を横に振った。

「嘘つけ、そんなの面白いはずはない。僕を慰めようとしてるならやめてくれ」
「本当だって、カッツの同人誌はいける! ゴジラ同人はいける! あたしちゃんの目を見よ、これが嘘をついてるやつの目か!?」
「信勝さん、誰しも作品の発表には恐怖を感じるものです。ましてサバフェスは初めてなら尚更でしょう。でもそれは誰でも同じなのですよ。あなたの原稿には確かに拙い部分はありますがそれを上回る情熱がちゃんと感じられます。大丈夫ですよ」

 これが清少納言と紫式部の「作戦」だった。夜な夜な自信を失って原稿を燃やしに浜辺に降りてくるサバフェス参加者がいる。それは物語を愛するものとして看過できない。なのでこうして二人で夜の浜辺をパトロールして、原稿の破壊を阻止する。そしてちょっと強引だが原稿を読ませてもらい、いいと思ったところをちゃんと伝える。ついでに大丈夫だと励ます。それだけで大抵は「やっぱりちゃんと本を出す」とホテルに戻っていくのだ。

「嘘だ……僕の本なんて誰も望んでない。そんなの本ですらない、ただのラクガキだ……そもそも」

 しかし信勝はその作戦が効かなかった。

「そもそも、お前たちはあの清少納言と紫式部じゃないか! 天才じゃないか……あんなすごいものが書けるやつにラクガキしか描けないに僕の気持ちが分かるもんか!」

 信勝にとって二人は「教科書を書いた人」だった。生前は大名家の子息だった信勝は教養として当然枕草子も源氏物語も全てではないがある程度は読み、それなりに書き写しもした。ある程度の格の家の出身なら必ず習うものだったのだ。

「い、いえ、信勝さん、私たちは天才とか、そういうのでは……えっと」

 思わぬ反応に紫式部は口元に手をあて、清少納言はサングラスを再びかけた。

「おう、カッツ。よーく聞きな……」
「それは姉上を描いたものなんだ! 姉上も見にくるって言ってた……大事な姉上を駄作にしか描けなかった。見せるわけにはいかないんだ……!」
「そりゃあたしちゃんは清少納言だけどさ……書いたもの、大事な人に見せて怖くなかったわけじゃないぜ?」
「え……?」

 清少納言の言葉に信勝が怯むと紫式部も意を決して前に出た。

「そ、そうです! 信勝さんの今の気持ちはおそらく創作者なら誰しも味わう「出来上がりが近くなると全部ダメに見える」というやつです。私も最初は身内で書いていた源氏物語を人前で発表することは怖かったものです。それでも発表したからこそ今があるのです」
「ノッブはサークルくるって言ってたんでしょ? じゃあカッツの本を待ってるってことじゃん。本当は出来上がってるのに「新刊落としました」のお知らせでがっかりさせちゃうの? そんなのノッブに嘘つくってことじゃん……大事な姉さんに嘘はよくないぜ、カッツ」
「それは……」

 醜い言葉が胸の中でぐるぐると回る。一緒にするな、お前たちみたいな選ばれた天才には分からない。一生懸命やったものでがっかりされるよりマシだ。姉が自分の全てなのに駄作なんて産み出せるわけがない。

「思い出してください、完成させたということは信勝さんは一度はこの物語を素晴らしいと思ったはずです」
「あたしたちはもしかしたら天才ってやつなのかもしれない。でもさ、やっぱり一度もいとをかしって思わなかったものは書けないもんだぜ。エモくないものに筆なんか動かないよ」

 二人の言葉で信勝は思い出してしまった。結果は酷いものだったけど作っている間はとても……楽しかったことを。どんなものが出来上がるか考えるだけで幸せだったことを。信長がサークルに来ると言ってくれたことが嬉しくて嬉しくて何度も夜明け近くまで頑張ったことを。

「信勝さん、物語を生み出したのに消してしまうなんて勿体無いですよ。まして書きかけではなく、完成しているではないですか。あとは勇気だけです」
「ノッブは待ってるぜ、カッツ! ていうかあたしちゃんも読みたい。一回読んだけど、本にしてゴジラのとこもっかい読みたい!」
「僕は……僕は……馬鹿だけど、書いてる間は楽しくて……」
「そうですね、富士山を根こそぎ破壊するというのは斬新でした。だから……」
「……僕は」

 信勝は俯き、顔を上げて清少納言と紫式部の顔を交互に見流。二人に「大丈夫だ」と微笑まれるとまた俯き、そして叫んだ。

「って、やっぱ無理ーーー!!」
「うおっ!?」

 信勝は蜘蛛の糸に縛られたまま渾身の力で清少納言の持つ原稿用紙が入った封筒を蹴り飛ばした。
 封筒が夜空を舞う。信勝はそのまま海に落ちてダメになることを願ったが封筒は遠い砂浜に落ちてしまう。

「かおるっち! カッツを捕まえてて!」
「了解しました!」

 結構距離がある。清少納言がそちらへ走り出すと誰かが通りかかった。

「海を見に来たのになんかうるさいなあ。明日はやばいってのに……なんだ、これ、ゴミ?」

 通りかかったのは黒いオベロンだった。夏なのに黒い長袖の上下を着ている。とりあえずオベロンは封筒を拾った。

「お、オベっち!?」

 清少納言の背中を冷や汗が伝う。詳細は知らないがオベロンは物語に複雑な、下手すると悪感情を持つと作家サーヴァントはカルデアから告知を受けている。

「変な名前で呼ぶな、なんなんだこれは?」
「そこの誰か! 暗くてよく見えないけど、その封筒を捨ててくれ! それは生まれちゃいけない漫画なんだ! 存在しなかった方がいい物語なんだ!」
「なんだと……?」

 必死の信勝の叫びはオベロンの地雷をかすった。距離が遠すぎると清少納言は足を止め、オベロンに向かって大声を出した。

「オベっち! お願い、その漫画捨てないで! 生まれちゃいけない物語なんてない! まして誰かへの想いのこもった物語なら尚更だとあたしちゃんが保証するぜ!」
「……ちっ」
「捨ててくれ! 僕はその物語を綺麗に描いてやることができなかった! 生み出されない方がそいつも幸せなんだ!」
「……うるさいな」

 オベロンは二人の叫びに挟まれて、封筒を小脇に抱えた。そして背中に透明な羽を生やすと夜空に浮かび上がった。

「俺が知るかよ」

 そう言い捨ててハワトリアの夜空に消えた。








 自分が言うと全てが嘘になる。だから封筒をじっと見つめたオベロンは口には出さず想う。三人はすでに遠く、ホテルのヤシの木の上に座っていた。

(お前、捨て子ってやつか)

 サバフェスだの、同人誌だの、漫画だの興味はない。興味はないが……これが作者に捨てられた物語だとは分かる。うまくできなかったと生まれる前に存在を否定されたのだ。
 物語は数多あるが生まれる前に消されてしまう物語に出会ったのは初めてだった。サバフェスとは奇妙な場所だ。
 オベロンは封筒を月明かりにかざす。そもそも明日はヤメルンノスとの最終決戦でサバフェスが開催できるのかも分からない。

(明日中止が決まったら、お前、死ぬのか?)

 封筒は何も答えない。無意識に手が封筒の口に伸びて咄嗟に止める。何をしているのだ。作者が言っていたのだ。こんなものその辺のゴミ箱に捨てればいい。勝手に生み出されて勝手に殺される物語なんて自分には関係ない。

……「生まれちゃいけない物語なんてない!」……
……「生み出されない方がそいつも幸せなんだ!」……

「ああもう……カルデアって本当最悪」

 そうしてオベロンは封筒から原稿を取り出し、一枚一枚読み始めた。









 水平線の向こうでは朝が始まろうとしてる。それを見て信勝は頭を下げた。

「僕のせいでごめんなさい……」

 信勝の謝罪に清少納言と紫式部は振り返った。一晩中、二人はオベロンが持ち去った信勝の原稿を探してくれたのだ。朝日が登り始めた砂浜で信勝は二人を止めた。

「もういいよ、僕が捨ててくれって言ったんだ。あいつはもう原稿を捨てたと思う。だからもう探さなくていいんだ……こんな僕のために悪かった」

 もう一度信勝は二人に頭を下げた。清少納言と紫式部、そんな天才に自分の気持ちがわかるはずがないと思っていた。けれどきっと違うのだ。会話もろくにしたことのない信勝の原稿を「必死に描いたものだから」と朝まで探してくれた。そんな風に物語にとても誠実だから二人は天才と呼ばれたのだ。
 流石に疲労の見える二人だったが、清少納言はまだ一歩踏み出した。

「でも、カッツ、サバフェスは」
「大丈夫、僕はちゃんとサバフェスに出る。本はないけど……なにもないサークルに座ってるだけだけど、それでも出る。姉上にはちゃんと「土壇場で自信をなくして原稿を捨ててしまいました。だから本はありません、ごめんなさい」って嘘をつかず本当のことを言うよ。大切な姉上に嘘はつけないもんな」
「信勝さん……」
「二人ともありがとう、僕は本を作れなかったけど……本を作るってことが少しわかったと思う。やっぱりお前たちってすごいんだな」

 信勝がもう一度二人に頭を下げるとちょうど朝日が三人を照らした。









 サバフェスに行く準備をする信長は迷っていた。くすんだ黒字に赤文字のボストンバッグと真っ赤な新品ピカピカキャリーバッグ。どちらを持っていくか二分ほど考え、キャリーバックを手にとる。

「ま、せっかく買ったからこっちにするか」

 基本的には信勝のサークルに顔を出すことが目的だが久々に買い物もいい。口には出さないが信長は割と面倒見のいい姉なのだ。荷物を詰めると口笛を吹いた。

「マスターが言うにはやっとサバフェスが開催されるというが本当かの……信勝もループにも気付かんで原稿三昧だったようじゃし」

 いつもの赤のスカジャンに帽子を被ろうとすると不意に髪をポニーテールにしてみた。モルガンのレースに出てわかったがハワトリアは暑い。自慢の漆黒ロングヘアだが暑いものは暑いのだ。

「ふっ、やっぱわし覇王系戦国美少女じゃな」

 うまく帽子に引っかからないようにポニーテールを作れて満足した信長はレイシフトのために管制室へ移動した。





 遠目でヤメルンノスが撃退される様子を見て信長は笑顔になる。

「おお、今度こそうまくいったようじゃな」

 信勝のサークルに顔を出すつもりがヌンノス騒ぎ続きでいつまでたってもサバフェス自体が開催されなかった。何度もループして随分待たされた。だが三つのヌンノスを超えてようやくループは終わったらしい。

「前もループのせいで終わらんかったし、サバフェスってループの呪いかかってない?」

 ぼやいて赤いキャリーバックを引きずって入り口をくぐる。

……「お待たせしました! サバフェス開場します!」……

 信長が会場に入ると同時にアナウンスが響き渡る。準備に追われるサークルと急足の来場者。その間をぬって信勝のサークルへ向かう。確か「魔王命」という捻りのないサークル名だった。

(さて……何冊買うべきか)

 実は信長はそこをずっと迷っていた。カラカラとキャリーバッグの音がやけに頭に響いた。

 おそらく信勝の本は売れない。実績のない素人の本の上に原稿ばかりして全く宣伝をしていない。一応決まりだからカタログにサークルカットは描いていたが他の情報は紙にも鯖ネットにも鯖SNSにもない。なんの本かさっぱり分からない。これでは売れるものも売れまい。
 最後までサークル名以外ずっと不明のままだったので信長は呆れた。

「やっほー、ノッブ!」
「おう、お主も出ていたのか。すまんが先に予定があってな、またあとで寄ろう」

 会場を歩いていると顔見知りのサーヴァントにサークル席から声をかけられた。手を振って会場を大股で歩いて行く(ちなみに裸足のままだ)。信勝と話したら挨拶に行くか。

(信勝の本、一冊買うか……それとも二冊買ってみるか)

 売れ残るに決まっている。だからとりあえず一冊は買うつもりだった。だが、もう一冊くらいは買ってやるべきだろうか。茶々が暇つぶしに見てみたいと言っていたとか言えば茶々は後から口裏を合わせてくれるだろう。

「あいつ、調子に乗って部数多めに刷ってないといいんじゃが……ん?」

 信長は信勝のサークルをようやく見つけた。しかし信勝は戸惑った様子で目の前の人物と大きな声で話している。
 黒いオベロンがなぜか信勝のテーブルの前に立っていた。






 宣言通り信勝は何もないサークルに静かに座っていた。しかし思わぬ来客に目を丸くして、思わず椅子を立った。

「……え?」
「別にたまたまだよ、偶然通りかかっただけ」

 黒いオベロンはそう言って、両肩に担いだ段ボール箱を信勝のテーブルに二つ置いた。するとミシッとテーブルが嫌な音を立てたのでオベロンはまたダンボール箱を持ち上げてテーブルの下に置き直した。そしてガムテープを剥ぐと中にはB5のピカピカの同人誌がみっしりと詰まっていた。
 信勝が手に取ると間違いなく自分の同人誌だった。拙いけれど一生懸命描いたカラーの表紙を見ると目端に涙が滲む。

「これは……お前が印刷所に持っていってくれたのか?」
「別に、ただの気まぐれだよ。通りすがりに荷物を置いただけだ」

 もちろん全ては嘘だ。口にすると全てが嘘になる体質は大変だ。
 オベロンは夜明け前にシヴァの女王の印刷所に赴き、ツケで割増料金を払った。よく分からないのでとりあえず「明日に間に合うように。一番良い紙とインクで」と言ったら女王はガッツポーズをしてくれた。

「よく知らないけど、とりあえず千部刷っておいたから足りるだろ? ああ、持ちきれなかったから残りは印刷所に置いてきた」
「せ、千って!」
「なんだよ、二千の方がよかったのか?」

 部数の相場は知らない。サバフェスの常識というのは分からない。物語を作るというのはやはり謎だ。

「じゃあな、俺は眠いから帰る」
「ま、待てよ、どうしてこんなことしてくれたんだ!? 僕は、捨てろって言ったのに」
「……」

 信勝の声いオベロンは去ろうとした足を止めた。……そんなの分からない。嘘つきにも分からない。ただ生まれる前に死んでしまう物語は可哀想だと思ってしまった。信勝ではなくその物語が哀れだった。だから存在したと証明するために印刷所の門を叩いたのだ。物語を作るとは難しい。生み出すだけでは足りず、本という形にして、こうして人に広めないと存在しなかったことになってしまうのだ。

……「生み出されない方がそいつも幸せなんだ!」……

(こいつがやなこというから意地になってしまった)

 その後、マスターたちとヤメルンノスを倒す方が大変だった。サバフェスが始まらないとあの本は生まれる前に死ぬのだと思うと色々力が入ってしまった。それもこれもつい信勝の原稿を読んでしまったせいだ。

「暇だったから。じゃあな」
「待てよ! せめて印刷代を払わせろ。千とかいくらかかったんだよ!?」
「別にツケだしいい。ツケ払いはいつものことだ。いい加減放せ、俺は眠い……ん?」
「おい、うちの弟になにか用事か?」

 二人の間にヌッとポニーテール姿の信長が現れる。弟と言い合いをしていた(ように見える)オベロンを姉は少し睨んだ。信長の見立てではオベロンは悪い男ではなさそうだが弟は時々ハイになって無用のトラブルを起こすことがある。

「あ、姉上、きてくれたのですか!?」
「信勝、オベロンとは知り合いだったのか?」
「え、えーっと、それはあの、話すと長くなるというか」
「なんじゃ、はっきりせんか」

 信勝がパッと顔を輝かせて手をバタバタさせると信長は追求した。混乱した様子にオベロンはため息をつくとダンボール箱に手を伸ばした。

「別に。ただ本を買っただけだ。箱がなかなか開かなくて面倒だった」

 ピカピカの新刊を一冊とるとオベロンは適当に財布の中のQPをテーブルに置いた。相場が分からないのでとりあえず有り金を全部。

「ちょっと待て! こんなにもらうわけには……」
「金なんてどうにかなる……ああ、俺ってゴジラ嫌いなんだよね。だから一冊欲しかっただけ」
「ゴジラって……だからお前には印刷代を!」

 ひらひらと手を振って、新刊を一冊持ったオベロンはサバフェス会場の雑踏に消えていった。








「なんじゃ、客だったのか。全然宣伝しとらんかったのに、分からんもんじゃな」
「ええと、ど、どうやらそのようです。こんなにもらう訳にはいかないのですが……というか、同人誌っていくらくらいで売るものなんですか?」
「決めとらんのかーい!」

 姉は痛くない程度に弟にチョップした。サバフェスはもう始まっているのに信勝ときたら本の値段すら決めていないようだ。

「そんなことだろうと思った。ほら、わしに任せてみよ」
「姉上?」

 信長はぐるっとテーブルを回って信勝のサークルの内側へ入った(信勝のサークルは一番端なので入るのが楽だった)。隣の椅子に座ると赤いキャリーバッグのチャックを外した。

「まずテーブルが剥き出しではないか。これをテーブルにかけよ。ああ、端はこのマステで留めよ」

 信長は赤いギンガムチェックのテーブルクロスでテーブルとその下のダンボールを覆う。髑髏を印刷した赤いマスキングテープを渡されて信勝は慌てて指示通りの位置に貼る。……実は信長は前回のサバフェスで気まぐれにサークルの手伝いをやったのだ。だからどれくらいものが必要なのかは知っていた。

「信勝、お前、本さえあればサークル活動ができると思っておったんじゃろ? 甘い。ものを売るには何かと準備が必要なんじゃ、これを機会に覚えろ」
「誠に不甲斐なく、申し訳ありません……あれ? 姉上、持ってきてくれたんですか?」
「さあ? 前のサバフェスの道具が残っていただけじゃったような」
「あ、姉上……ありがとうございます!」

 姉の贔屓目かもしれないがその時の信勝の笑顔はとても可愛いものだった。信長は少し頬を染めて目を逸らした。弟はこういうところがずるいのだ。そんな笑顔を向けられたらついつい手伝ってしまうではないか。

「本を売るって難しいんですね。そしてすみません……僕、描きさえすればいいと思い込んでて」
「ふん、次から気をつけろ」

 信勝が出ることが決まった翌日に用意したことは内緒だ。次々とキャリーバッグからものが出てきて信勝は圧倒されるばかりだった。信長は最後に透明な小物入れを取り出した。

「流石に小銭は持ってきてないが入れ物くらいは持ってきた……お前、いくらなんでも釣りくらいは用意したんじゃろな?」

 信勝は青くなる。同人誌は用意できなかったからなにも用意していていない。しかし本を売るなら釣りの小銭は必須だ。

 信長は立ち上がるとビシッとサバフェス会場の入り口を指差す。

「うつけ! 入り口に両替所がある。さっさと行ってこい! その間に本の値段も考えろ!」
「は、はい! 信勝ただいま行ってまいります! 姉上、申し訳ありませーん!」

 ダッシュで両替所に向かう弟を呆れて見送る姉だった。






(手間のかかる弟じゃ)

 サークルを留守にするのもなんなのでダンボールから信勝の同人誌を十冊ほど取り出してテーブルクロスの上に置く。それだけでは寂しいのでもう十冊取り出してその隣に置く。ダンボールの中身に呆れた。どう見ても部数が百以上ある。人気サークルでもないのに刷りすぎだ。

「まったく信勝のやつ……」

 ぶつぶつ言いつつも用意した値札に適当な値段をつけておく。相場感覚は掴めていないがこのページ数ならこの程度だろうか。ついでにスマホを取り出して写真を撮り、サークル番号をつけて写真を鯖SNSにあげる。
 宣伝までしてやる激甘な姉であった。

「あれ、ノッブじゃん!」
「なぜ信長さんがここに?」
「おや、清少納言に紫式部か。貴様たちもサークル参加か?」

 水着姿の清少納言と紫式部が足早に近づいてくる。一歩乗り出す清少納言の後ろで紫式部がキョロキョロとしている。信長は首を傾げた。二人とも目の下にクマがあるような。

「あの、信勝さんはいらっしゃいますか?」
「ああ、釣り銭がないから両替に行っておるが……なんじゃ、あいつに用事か?」
「ええ〜!? カッツの本、できてるじゃん! なんで!?」
「なんでってそれこそなんでじゃ?」

 信長は首を傾げた。清少納言が目を丸くして信勝の同人誌を一冊手にとる。
 と、その時信勝が帰ってきた。

「お前たち、来てくれたのか!?」
「カッツ、この本どうしたの!? まさか一晩で描き直したの!?」
「もしかしてオベロンさんが思い直してくれたのですか?」
「おい、信勝、こいつらなんじゃ。もしや客か?」

 姉は驚いた。売れるはずがないと思った弟の本が二冊以上売れている。

「ああ、えっと、この二人は……その本を描く時に色々助けてくれたんです。なにしろ清少納言と紫式部なので。だから心配して様子を見にきてくれたんです。だ、だよな?」

 信勝から縋るような眼差しを向けられて清少納言と紫式部は顔を見合わせた。状況は分からないが二人はしばらく考えるとニコッと笑う。

「なんか分からんけどカッツの言う通り! そしてあたしちゃんは一冊を所望するのであった!」
「理由は分からないですが良かったです。あ、私も一冊いただきます。おいくらですか?」
「そこまでしてもらわなくても……だって僕の本なんて」
「カッツ、自信を持て! 必死で描いたんでしょ?」
「う、でも、絵は下手くそで、話はめちゃくちゃで……」
「信勝さん、私たちは一度見せてもらっています。忖度ではありませんよ」
「う、う、う〜」
「信勝、なーに恥ずかしがっとる。ここはサバフェスじゃ。好きな本を作り、欲しいという客に売る。そんな所で突っ立ってないでさっさとこっちにきて二人に本を渡すがいい」

 姉の声に弟は覚悟を決めた。サークルに入ると小物入れに小銭を入れる。そして深呼吸をして、本の山から一冊取ると椅子から立ち上がった。一冊ずつ丁寧に清少納言と紫式部に手渡しする。

「あ、ありがとう……ございます」

 自然と頭が下がった。もちろん二人は笑顔で受け取ってくれた。信勝の同人誌が二人の手にある光景を見ると涙が出そうになった。涙がこぼれないように俯きがちにお釣りを渡すと信長に「背筋を伸ばせ」と背中を叩かれる。
 顔を上げると情けない顔になる。構想とは全然違う。どうしてもこんな本しか作れなかった。でも何週間も必死で描いた同人誌が誰かに受け取ってもらえたと思うと頬に涙が伝う。

「少しでも面白いといいんだけど」

 これが本が売れるということなのか。足が震えていた。

「カッツ泣くなよ〜、色々あったけど物語を作るっていいもんだったでしょ? それにあたしちゃん、結構ゴジラ好きでさ〜」
「信勝さん、意外と創作って楽しいでしょう? 富士山を根こそぎ破壊するというのは斬新でしたから是非買いたいと思っていたんですよ」
「ゴジラ、富士山、根こそぎ破壊……?」

 どういうことだ? と信長は首を傾けた。信勝は自分をテーマに漫画にしたのではないのか? 信長の脳内に巨大なハテナマークが浮かぶ。

「カッツ、ノッブ、バイバイ〜♩」
「無事に本ができて良かったです。流石に私たちも仮眠してきますね」

 手を振る二人に信勝も必死に手を振った。疑問は残ったが姉はその姿に弟の成長が見えたのでそっちに集中した。

(知らん間に知り合いを増やしおって、わしの後ろにくっついてばっかりの人見知りだったくせに。友達とかいなかったくせに……ちゃんと人と交わっておるではないか)

 少し大人になって気がする横顔に姉は遠くを見るフリをして柔らかく微笑んだ。姉上姉上とうるさい信勝が少しずつ世界を広げることはやはり嬉しい。ただ計算外にちょっと、ほんのちょっとだけ寂しい気がしたが……ただの気のせいだろう。






 その後、客は来なかった。必然、サークルは信勝と信長の二人きりになる。しばらくは客が来るかと二人で無言になっていたが三十分も経つとどちらともなく口を開いた。

「おい」
「姉上」
「なんじゃ」
「い、いえ……姉上がお先に。というかサークルはもう大丈夫なのでお買い物に行ってくださいね」
「別にここまで歩いて疲れたから休んどるだけでもう少ししたら行く。ああ、お前の本を一冊よこせ。元々そのために来たんじゃ。そうだ、茶々も興味があると言っていたからついでにもう一冊な」
「は、はい、ただいま」

 慌てて立ち上がり信勝は二冊とり、信長に渡す。これで五冊も売れたことになる。数は気にしていなかったが信勝はなんだか視界がクラクラとした。

「姉上がくるなら紙袋くらい用意していればよかったのですが……ありがとうございます」
「うむ、初めてなのに最後までよくやりきった。信勝なのにやるではないか」

 ピカピカの表紙にはキラキラした信長らしき人物が大胆不敵に笑っていた。受け取った時に信長はニヤッと笑って信勝を褒めた。赤いエコバックを取り出して大事そうに信勝の同人誌をキャリーバッグにしまう。その様子に信勝は言葉がこぼれた。

「すみません、姉上、これは全然僕の力なんかじゃないんです」

 上機嫌だった姉はムッと弟に振り返った。

「どう意味じゃ? 言いたいことははっきり言え、そんなもの言いたげな目をされてもわしも気になるではないか」
「僕は……」

 信勝は俯き、そして決意をして顔を上げた。

「姉上、本当は僕は逃げ出したのです」

 信勝は語った。ホテルにこもってずっと同人誌を必死で描いた。けれど完成すると素人の下手な落書きにしか見えず、原稿を捨てようとした。そこを清少納言と紫式部に止められ、説得された。それでも自信が持てず通りすがりのオベロンに原稿を「捨ててくれ」と押し付けた。

「まさかあの男が印刷所に行くなんて想定外でしたが……彼のおかげでこうして本を姉上に渡すことができました。
 姉上、僕は姉上の本を描くと言っておきならが土壇場で怖くなって逃げました。臆病者で卑怯者です。自分を信じることができなかったのです。
 この本だって、他人に助けられることでしか姉上に渡すことはできませんでした。情けない弟で……ごめんなさい」
「なぜ……それをわしに言う? 黙っておればバレなかったというのに」
「迷いましたが……大切な姉上に嘘はつきたくなかったのです」

 弟の表情に信長はじっとテーブルの同人誌を見下ろした。この本は一度作者に捨てられ、数多の幸運でこうしてここにいるらしい。

「……」

 信長は腕を組み、天井を見上げ、もう一度同人誌を一瞥すると俯いたままの信勝に手を伸ばした。

「このうつけ」
「あねう……あいたっ!?」

 信勝は信長の強めのデコピンを喰らった。額を抑えて涙目になっていると仁王立ちをした姉が見下ろしている。

「一度やると言ったことを投げ出すではないわ。しかもこの魔王の弟のくせに逃げ出すとは。たわけものが!」
「ご、ごめんなさい! ……だ、だから、そんな僕の本、いらないなら」
「もうしないと誓え」
「え?」
「なんじゃ、誓わんのか?」
「い、いえ! ……誓います、二度と自分の弱さに甘えて逃げたりしません」
「ならいい」
「え?」

 信勝がぽかんとしていると信長は少し拗ねた顔をした。

「ああ、あとな、この本は買ったんじゃから、もう返さんぞ」









「あ、一冊ください」
「は、はい!」

 しばらくしてサークルに現れたのは黒髭だった。信勝は慌てて立ち上がり、馬鹿丁寧に同人誌を渡す。黒髭はオタクイベントの時の彼らしく陽気に話した。

「いやー、拙者、初心者サークルには顔を出すようにしてるんですがここは見逃しておりましてな。正気を捨てて参戦した時点で同志ですぞ」
「あ、ありがとう……?」

 やっと売り買いに慣れてきた弟を見て信長はこっそり手を伸ばす。キャリーバックの中の信勝の同人誌を取り出す。

(さて……)

 自分を描くと言われてずっと内容が気になっていたのだ。さっきは「逃げ出した」なんて言われて横では読みづらかったがもういいだろう。
 クオリティは期待していない。弟は同人誌も漫画も初めてだ。だた……どんな風に姉を描いたのかは気になっていた。

(ヌンノスシリーズのせいでずっとお預けだったんじゃ。信勝、出来は期待せんが……よく完成させたな。逃げ出したようじゃがそれは褒めてやる)

 信長はパラパラと信勝の同人誌をめくった。二十四ページほどの薄い本。信長は暖かい笑みで最初のページをめくり……最後のページで手が止まった。

「は?」

 一分ほど完全に静止するともう一度最初のページに戻る。そしてまた最初に戻る。ループ現象に陥った信長の横で黒髭と信勝の会話はが聞こえた。

「それに清少納言殿の鯖SNSで見ましたぞ。なんかゴジラが最後に無茶苦茶ぶっ壊す本だとか! 富士山陵辱本、拙者そういうの大好き!」

 その単語に信長は今読んだものが幻覚ではないと確信する。最初の内容は大体予想通り、キラキラした信長らしき人物が無双する話だ。だがラストが……。
 信勝は本を買って去っていく黒髭に何やらまだ言っていた。

「買ってくれてありがたいけど……さっきから何を言ってるんだ? ゴジラって……何度かそう言われてるけど、これは姉上……姉上?」

「な……」
「姉上?」
「なんでわしがゴジラになっとるんじゃーーー!?」

 信勝の同人誌の内容は以下の通りである。
 まず絵は元々才能がなく、子供の落書きのようだったが一貫しているのでそれはそれで絵本のような味がなくはなかった。

 内容は日本で一番強い信長がキラキラした光をまとって、雑魚から軍隊から、内閣総理大臣や東京スカイツリーまで薙ぎ倒して無双していく。その辺りまでは姉の想定内だった。
 しかし、展開は姉の予想を超え、キラキラした信長はゴジラに変身する。そして「わしを差し置いて日の本の象徴とは片腹痛い!」と富士山に戦いを挑む。富士山も火山となりマグマを噴き出して戦うが、信長の吐く破壊光線に半分吹き飛ばされる。そして尻尾の一撃をくらい、最後の一踏みで富士山は根こそぎ破壊される。後に残ったのは荒野だけだった。

 そうして信長は唯一にして絶対の日本の象徴となり、世界に平和が訪れるのだ……。

「なに勝手にわしをゴジラにしとる! しかも富士山壊してるし、いくらわしでもせんわ!!
「だってあいつ許せませんよ! 姉上を差し置いて日本の象徴とがでかい顔して! 本を描くということでせっかくだから姉上の方が上だと「分からせ」てやったのです!!」
「やかましいわーーー!!」
「な、なんで怒るんですか? あいつ、ただの山のくせに生意気なのに……!」

 そう言って信長は怒ってサークルから帰ってしまった。信勝はわけがわからず泣いたが清少納言効果か、思わず客が来たので忙しくて泣くのを忘れた。ゴジラ、ゴジラと言われながらなんと五十冊も売ることができた。
 そして弟がクタクタになっていると「よく考えると荷物があるから」とサバフェス終了直前にむくれた顔で姉は戻ってきた。

「あ、姉上〜! 待ってください!」

 信勝があれこれいう横で信長は無言だったが、それでも姉弟は二人でカルデアに帰った。







 そうして信勝のサバフェスは終わった。なんだかんだ同人誌を作って良かったと。今でも読み返すと下手で恥ずかしいが頑張ったことや助けてもらったことは信勝の大切な一夏の思い出だ。

「姉上、まだ怒ってるかな……でもなにがいけなかったんだろう? 絵が下手だから? 月を破壊した方がよかったのかな」

 弟はまた姉のために姉の困ることを考えていた。




「だーれがゴジラじゃ……」

 と言いつつ信長は自室で時々その同人誌を読み返したのだった。ちなみにもう一つの一冊は茶々には渡さず、信長のクローゼットの中で未開封のまま保管されている。

「……バカ弟め」

 同人誌の最後のページでは日本の象徴となったゴジラ信長が世界中から祝福されている。その最後のコマのほんの隅の方で、幼い頃の信勝らしき子供が花束を持って笑顔で信長に走り寄っている。……そんなことをされると怖い魔王なのに甘い姉の気持ちが湧いてきてしまうのだった。







 姉弟の一夏の大切な思い出。







終わり












まとめあとがき


Twitterに書いていたものをまとめました。

カッツがサバフェスに出る話を書きたいと思っていたらこうなりました。
夏イベでサバフェス2がきて、このタイミングだ!と書き始めました。

せっかくだから同人あるあるな初心者がこれは傑作に違いない!とハイテンションで描き始めるが完成直前に「あれ、これつまらなくないか?」と全削除しようとしてしまう、というネタをやろうと思いました。
そしたらオチを考えていなかったことに気づき、これじゃノッブサークル来れないじゃん! と慌てて次の展開を考えました。

すると清少納言に紫式部、オベロンまで出てきて自分でもびっくりしました。
でもカッツは無事に発行できたし、ノッブに逃げ出そうとしたことも言えたし結果オーライかなあと思いました(^^♪

人生も同人誌も間違うから美しい、たぶん。



2023/11/15





Twitterの過去のあとがき1

ここでオチを考えてなかったことに気づいた。た、多分、完結します(多分)

書きながら「おい、こいつ正気に戻っちまったぞ! 誰か正気を奪うクスリ持ってこい!」って脳内で叫んでた。




あとがき2

 また続いちゃったー! 次でノッブがサークル来て終わりです!

 突然、脳内で「オベロン出そうよ! オベロン!」「いや、すでに清少納言と紫式部を出すって決めてるのに、これ以上キャラを増やすわけには……」「オベロン! オベロン! オベロン!」「あああ〜!」となってこうなりました。

 意外と清少納言より紫式部の方が口調が難しかったです。


 あとシールになった信勝のことは忘れてください。



あとがき3

 流石にまずいと思ったので信勝はオベロンの印刷代のツケを代わりにシバの女王に払うことになりました。女王は「正直に言うなんてよい子ですね〜」とよい子割引をしてくれたので信勝のローン返済は半年で済んだ。


 実は初心者の割に売れたのでアルトリア・アヴァロンが「初参加賞・シュールで賞」の小さなメダルをくれたので信勝は大事に飾ってます。