夫婦ごっこ~知らないことを知らない




※一応前書いたバレンタインの話と繋がっているのですが、読まなくても分かると思います。
※コンプティークのぐだぐだエースRE最新話を参考にしています。ネタバレにはならない程度にしたつもりです。



「信勝、お前、わしと夫婦になれ」
「はい、姉上! この信勝、姉上の命とあればなんであれ! ……え、め、めおと……?」

 その後信勝は熱を出して三日ほど寝込んだ。




夫婦ごっこ 1



 信勝が寝込んでいる間も信長はちゃくちゃくと計画を進めた。

「さすがわしの交渉術じゃな」

 ダ・ヴィンチちゃんから勝ち取った部屋は二十一世紀風に言うと2LDKだった。キッチンに広いダイニング・リビング、二つの畳の部屋。扉は全て襖。シュミレーターだが四季の風景の見える庭もある。

「す、すごい、いつも狭いボイラー室横だったのに……こんな広い部屋」

 その部屋の和風の出入り口の前に信長と荷物を包んで風呂敷を担いだ信勝が立っていた。

「今日からお前はここでわしと暮らすんじゃ、うれしかろ?」
「ゆ、夢だ、これは夢……あれ、痛い!?」
「そういうのええから、さっさと入れ」

 頬を引っ張る弟の腕を引っ張って、真新しい木枠の引き戸を開ける。玄関をくぐりキッチンから部屋にはいると真新しい木材の匂いがする。木製の家具が多いので落ち着いた雰囲気だがリビングの真ん中に置かれた真っ赤なソファが信長らしい。

「お……お邪魔します」
「ただいまじゃろ、ここはお前の家だぞ……おかえり」

 この時代にまだ慣れない信勝でも慢性リソース不足のノウム・カルデアでは豪華な部屋だと分かり、汚していないか気になった。

「は、はい、姉上! ……ただいまです、汚さないよう気をつけますね」
「……そういうのええいうとるじゃろ」

 信勝は「一緒に暮らそう」と言ってから万事この調子だ。いつもの図々しさが消え、ビクビクするようになった。その度に信長のイライラメーターが上がっていく。

(なぜ素直に喜ばん、いつも望んでいることを叶えてやったのに)

 ダイニングのテーブルに風呂敷をおろして、中から木彫りの置物を取り出すと信勝は自然に口が開いた。

「あの、姉上、僕、大丈夫ですから」
「なんだ、割れ物でもあったか?」

 振り返った顔は困った笑顔だった。

「いえ、荷物じゃなくて……僕、今幸せなんです。あなたの傍にいられて、カルデアの仲間になれて、生きている頃を考えると夢みたいです。だから飽きたらいつでも言ってくださいね」
「……なぜだ」
「いえ、だから僕勘違いしてご迷惑なんかぜったいに……」
「どうして、笑わない?」

 信勝は首を傾げた。自分は今、笑っていたはずと口元に手をやったがその時は信長は背を向けていた。

 いつも一足飛びに進む姉と追いつくだけで精一杯の弟はこうして久しぶりに同じ部屋で暮らし始めた。



 そもそもどうしてこんなことになったのか。


……「僕が姉上にとっていなくていい、どうでもいい存在だって分かっています」……


 バレンタインの騒動でそう言われ、かっとした信長は勢いで信勝を「自分のものなれ、だから勝手にいなくなるな」と言ってしまった。信勝は彼らしく二つ返事で承諾したが姉の所有物になったからといってなにが変わるわけではない。

 とりあえず自室に住まわせていたが、いつもよりおどおどしてあまり楽しそうな顔をしない。金の茶室にいつものメンツでいる時は誰にでも対抗して自分こそが姉の一番傍にいるのだと言い張るのにどうして二人だとこちらの顔色ばかり伺っているのか。

(もう二度とあんなことを言わせるものか)

 頭にあったのはそれだけだった。言われる度に最悪の気分になる。日頃どんなに抱きつかれても押しのけるだけの手がそれを言われる度に本気の力で打ってしまう。打った後はさらに最悪の気分だ。そのくせ信長は本気で弟を遠ざけることもできず、むしろ姿が見えないと探してしまうので救えない。

 なら弟を変えるしかない。姉に自分をいらないと言い続ける弟はどうしたら言うことをやめる? ……結論として必要だと分かる関係になればいいと判断した。

 姉弟では駄目だ、今だって姉弟だが本人は自分をいらないと言いはっている。それゆえの夫婦。自分たちの生きた時代では夫婦関係は家の関係より軽視され、なにより結婚相手は家の判断で決まることだった。家の利害で仲睦まじい夫婦が離縁することだってよくあった。

 しかし現在、二十一世紀では事情が異なる。この時代は結婚相手は自分の意志で決め、相手も自分の意志で受け入れるか決めるのだ。当世風の夫婦だと理解すれば必要だとわかるだろう。

(さすればあんなことも言わなくなるし、子供の頃のように笑うはず)

 信長は赤いソファの白いクッションを膝におくと一冊の本を懐から取り出し、荷物を片づけている信勝を呼び止めた。

「これを読んでおけ、ほら隣に座れ」
「これはなんですか?」
「二十一世紀の夫婦のいろはじゃ」

 適当な結婚系の雑誌だったが、五百年のタイムラグを埋めるには丁度いい記事だった。

「当世では夫婦とは家ではなくお互いがお互いを選ぶんじゃ、お前とはそういう夫婦になりたい」
「めおと……めおと……うっ」
「おい!?」

 ふらつく弟の二の腕をつかんで支えると「大丈夫です」とすっと遠ざかる。こんな調子で困る、もっと喜ぶと想ったのに、なぜか遠い。いつものべたべたはどうした。

(おかしい、こんなつもりではなかった)

 望みを叶えたはずなのに賑やかで図々しい弟はいなくなり、幼い頃に人見知りで自分の袖を離さない弟に戻ってしまったようだ。

 リビングのソファで並んで座り、信勝は雑誌を閉じた。

「現代では大分結婚というものが変わったのですね。でも、もしお互いを選ぶのが当世風の夫婦なら……姉上が僕を選ぶわけないじゃないですか、あいたっ!?」

 思い切り頬をつねる。平手打ちにしないだけ信長も余裕が出てきた。

「お前はムカつくし、イラだつ、それも一興だといったじゃろう」
「それはその、僕が姉上のものになったってだけで、元々姉上のものだったっていうか、妾や遊び女と同じ話だと、あいたっ!?」
「何度言わせる……お前を一夜の遊びにする気はない」

 自分のものにして以来、弟は自分を粗末にする方向にそれを解釈するのでいちいちブレーキをかけねばならない。

「どうして怒っているのかさっぱり分かりませんがごめんなさい! ……その、僕は経験は未熟ですし貧相だし、それでも非才なこの身が少しでもわずかな間でも姉上の楽しみやお慰めになればさいわい……姉上、本気で痛いです!」
「当世風の夫婦じゃというとるじゃろ! 自分の脳内で勝手な展開にするな!」

 はあとため息がでる。どうすればわかるのか……子供の頃は姉弟でよく遊んだ。かけっこ、鬼ごっこ、川遊び……しかし一つしていなかった遊びがある。

「ようはままごとじゃ、昔のように遊ぶつもりで気楽にやれ」
「ままごとってそれだけはしなかったですよ、姉上がつまらんって」
「今更、家族の真似事に興味が出た」
「真似事って僕たちは元々……」
「細かいことをしつこい、なんだ、いやなのか?」
 二人で暮らすことも夫婦になることも、とても喜ぶと思っていたのに。信勝の顔をじっと見るとすぐに首を横に振った。

「夫婦はおいといて。姉上と一緒に二人きりで暮らせるなんて嬉しいです」
「肝心なところおくな」
「ただ、その……姉上にはご負担ではないかと。知っての通り僕は……つまらない人間ですから」

 信勝は本当に二人きりになると怖かった。
 よくみれば非才な自分が無用な存在か見抜かれるかもしれない。
 なにか余計なことをして嫌われるかもしれない。

(生きていた頃だって、一度だって僕は姉上を心から笑わせたことなんてない……)

 それでも自分なんかに関心を持ってくれるのは嬉しい。一時的なものでも一番側にいれることは幸せだ。ただそれを永遠だと自分が勘違いしないかだけが心配だった。

「つまるか、つまらぬか決めるのはお前ではなくわしじゃ。お前はつまらぬ者ではない」
「はい……姉上の望むとき信勝はいつでもお側におります」

 嫌われることが怖い弟は喜びよりおそれが大きく、嫌うことは頭にない姉はいつもズレた視界でお互いを見ていた。

「とにかくわしはお前と夫婦ごっこをする。お前が本気で拒絶しない限り、やり続けるからな」
「めおと……めお」
「おい!?」

 そのまま信勝は熱を出して、二時間ほど寝込んだ。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 相談用の個室にマスターに呼び出されると二人きりだった。なにごとかと信長は少女の顔を見ていると開口一番に尋ねられた。

「ノッブ……信勝君と近親相姦してるって本当?」

 ぶはっと出されたコーヒーを吹き出す。げほげほむせる信長にハンカチを差し出す余裕もなく藤丸立香は思い詰めた顔をしていた。

「だ、誰が……いくらなんでも早バレしすぎじゃろ!?」
「その……坂本さんとお竜さんが話してるの立ち聞きしちゃって」

 人のいい立香は立ち聞きに後ろめく顔を伏せた。あの夫婦いつのまに……しかしマスターの口から近親相姦という単語を聞くと流石の信長もいけないことをしている心境になる。

「まあ近親相姦とか言ってもわしらサーヴァントじゃから……アウトよりのセーフっていうか、時代地域によっては血縁は問題じゃないやつも多いじゃろ、カルデアは」
「ノッブ、本気なの? 信勝君が好きなの?」

 立香が本気で心配していると感じ、さすがに信長は慌てた。

「待て待て、マスター、誤解しておる。これは方便じゃ、わしはただあいつがいなくていいとかいうから……」
「本気じゃないなら今すぐやめて。あのね、信勝君はあれですごくノッブに対して踏みとどまってるんだよ」
「踏みとどまってるって……あいつがぁ?」

 日頃の信勝に自制心など感じられない。会えば抱きついてくる、毎朝「今日も姉上に魅了されております」と頼まれてもいない報告をする、手作りのふんどしを贈り物にする……セーフではなくアウトだ。

「わし、いつも遠慮なくセクハラ受けてると思うんじゃが」
「た、確かに信勝君の行動は大分ギリギリでフォローしづらいけど……そういうのも含めて、ノッブのことをギリギリ好きにならないようにしてるよ。二人を横から見てるとなんとなく分かるんだ」

 納得いかない、何一つ踏みとどまっていない。マスターは何を見てそう言ってるのか。踏みとどまっているとしたら……は喜ぶはずだった夫婦ごっこに信勝があまり嬉しそうでないことと関係あるのか。

「多分信勝君は昔からノッブが好きなんだと思う、お姉さんだけとしてじゃなくて、女の人として」
「……」
「でも姉弟だから、ずっと踏みとどまってるんだと思う……たぶん昔から。すごくギリギリのバランスで今の二人の関係は保たれてる気がする。もしそれを崩したら今みたいに二人が戻れなくなるかも」

 立香の声が小さくなる。二人の悲劇は知っている、一緒にいたかったのに殺し合うことになった姉弟だ。死後誤解が解けて二人で笑っていることが立香も嬉しかった。

「信勝君の気持ちはは多分ノッブが思ってるより、かなり重くて、深刻で、本気で……だから」
「……なんじゃ、わしがあいつを弄んで捨てると?」
「そ、そこまでじゃ……でも今の関係に戻れなくなるんじゃないか心配だよ」

 せっかく生のしがらみをなくして姉弟仲睦まじくなれたのにどうして壊すような真似をするのか。立香から視線を離して信長はじっと手元のコーヒーを眺める。

「……信勝が七つの頃に言われた、夫婦になりたいと。よく遊ぶ姉弟で子供にありがちな話だ、まあわしの方に嫁ぎたいとか言った時は流石に少し笑ってしまったがな」
「の、信勝君が嫁ぐんだ……でもなんだか子供らしくてかわいいね」
「そう、他愛ない子供の願いだった。それを死後再会したから今更叶えたくなった……といったらどうする?」
「それはノッブが本気かどうかだよ、その、夫婦になりたいように好きなの?」

 からかいたかったのに真面目にきっぱり言われると面白くない。

「ぶっちゃけわからん、なにせわしはあまりヒトの気持ちが分からぬ。まして家族と夫婦の愛情の違いなど尚更、なぜその違いにみながこだわるか今でも分からん」
「なら……やっぱりただの姉弟のままでいたほうが」
「……あのバカはこの前言った、わしにあいつはいなくていい、どうでもいい存在だとよく分かっていると。自分は不要なことはさぞ弁えているような顔をして……のう、マスター、ただの姉はただの弟にこんなことを言われるのが当然なのか? 姉弟のままなら万事解決なのか?」

 信勝の言動には心当たりがある立香は押し黙った。

「わしは死ぬまであいつを忘れたことはなかった。だがあいつはわかっておらん、それを教えようとしたらこうなったまで」
「それは順番を間違えてる、まず今言ったことを信勝君に伝えるべきだよ。死ぬまで忘れたことはなかった、今でも大切だって」

 その言葉は言えない。だから話を逸らした。

「……なぜ伝わらぬ? わしがこれほど近い距離を許しておるのがなぜわからん? 茶々より勝蔵より、誰よりも許しているのに」
「口で言わないと伝わらないこともあるよ」

 立香は少し迷うと一つの置物とテーブルにおいた。不器用だが丁寧な小鳥の彫り物だった。

「去年のバレンタインにね、信勝君に貰ったんだ。バレンタインだからノッブに言い寄る輩を退治するんだ! みたいに張り切ってるときはいつもの信勝君だったんだけど、最後は自分がノッブの傍にいる隙間はないって自分から離れていって……私は分からなかった。どうして食堂で話しかけちゃいけないのか、きっと話しかけたらノッブは普通に返事をしていたのに。でもチョコレートをあげて慰めることしかできなかった」
「……あやつに、チョコレート?」
「い、いや、あれはみんなにあげるやつで深い意味は! ……そしたらお礼にこれを貰ったんだ。昔、鷹狩りで百舌鳥を使ったら、その時だけはノッブに褒められたってとっても嬉しそうで……ねえノッブ」

 本当に大切なら伝えることを惜しまないでほしい。
 順番を間違えないでほしいとお人好しのマスターは言った。

「まるで希代の悪女のような言われようじゃな」
「……ノッブ」
「だが本気で心配しているのは分かったよ、マスター。約束しよう、遊んで捨てるような真似はせん。確かにわしもあいつの気持ちを軽くみすぎていたかもしれん、なら今とは比べようもないくらいわしに執着しても今の関係を続けよう。それが責任というものだろう」
「……やめる気はないんだね」
「今マスターが言ったであろう、カルデアに来てからもあいつは勝手に完結して、一人でわしから離れていこうとしていたと」
「そうだね……でもノッブの気持ちが違うなら」
「令呪をもって命じられればやめさせらんくもないぞ?」
「そんなことできるわけないでしょ……ならこれだけ約束して」

 どの形でもいいから好きだと一言でいいから伝えてほしい。きっとそれを彼は知らないからと。
 立香が願ったのはそれだけだった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 好き。そんな言葉なんの意味があるだろう。
 言葉なんていくらでも嘘をつけるのに不可解だ。好きという言葉より二人で暮らし始めるという行動の方が好意を伝えるには雄弁なはずだ。

(それはこいつもわかってるはず、だがマスターとの約束じゃからの)

 好きくらいはいってやろう。それに夫婦っぽい言葉だ。ごっこには丁度いい。……そういえばごっこという言葉はマズいだろうか、弄ばれていると誤解されていた。

「ただいま」
「あ、おかえりなさい、姉上」
「あ……ああ」

 信勝はちゃんと部屋で待っていた。さっきより落ち着いたらしく笑顔だった。すぐに信長が好きな炭酸飲料を冷蔵庫から取り出す……一瞬目眩がした。帰ったら弟が待っている、それは遠い昔の話。昔、都から尾張へ帰った時に目覚めると弟のおかえりなさいが聞こえず不思議に思い、夜の屋敷を歩いた。廊下を二つ曲がった時に思い出した、そうだ、弟はとっくの昔に死んだじゃないか……。

「姉上? コーラの方がよかったですか?」
「……なんでもない、お前も飲め」

 もう一つコップを取り出して、赤いソファに信勝の手を引いた。隣に座らせると信勝は少したじろいだが、すぐに笑ってオレンジ色の飲み物を飲んで笑った。

「ぴゃっ!?」

 信勝の肩に頭を乗せるとそんな声を出した。信長はそのまま腕を組んで軽く胸を押しつけるとまた声を出した。

「信勝、なにを遠慮している? いつもの図々しさはどうした?」

 理解不能だ。弟は姉の自分だけでなく、女の自分も欲しいのだと思っていた。その違いはよく分からないがいつも物欲しそうにしているから与えたのに逃げていく。せっかく笑った顔が曇っていく。

「……僕なんかが恐れ多いです、いたぁ!?」
「それ、耳障りだから言うな」

 耳を引っ張るとその耳が真っ赤になっていた。行動で必要だと伝えているのに本人が否定し続ける。
(好きだと言うとなにか変わるのか?)

 マスターの言葉に初めて義務感より興味が勝った。顎に手をかけて一応確認をとる。

「夫婦だから接吻するぞ、いいか?」
「ぴゃっ!? ……も、もちろん、姉上がよろしければ」

 なんで受け身なのだ。ソファの肘掛けに背中が触れるほど身を引かれると流石に傷つく。緊張しているのか? いつもは自分から接吻できそうなほど近くまで抱きついてくるくせに。

「情緒がない……目を閉じろ」
「は……はい」

 そういって弟にキスをした。唇へのキスは初めてだ。信勝はがちがちに口を閉じていて触れるだけの接吻になった。五歳の頃は戯れに頬にしたりしていたっけ。

「信勝、お前が好きじゃ」

 言った瞬間母の幻影が「お前が殺したくせに」と囁いた。しかしすぐに立香の「好きだって伝えて、約束だよ?」という声がかき消す。

「姉上が……僕を好き?」

 ようやく伝えたのに信じられないという目で見られる。

「そうだ、お前はここにいていいんじゃ、おどおどするな」

 そのまま背中を抱きしめる。おずおずと背中に手が回ってきたのでほっとした。嫌がっているわけではない。

(どうして楽しそうにせんのだ)

 あんなに求められているから、こちらから与えればあっさり喜ぶと思っていた。回した腕を離すと信勝の手も離れた。

 するとぎょっとした。信勝は泣いていた。どうして……どうしてだ?

「なんじゃ……やはり姉弟ではいやか?」
「いいえ、いいえ……ただ嬉しくて、もったいなくて、僕なんかにあなたが……ごめんなさい、顔洗ってきます!」

 ばたばたと洗面所に走っていく弟の足音を聞きながら姉は必死で記憶を探っていた。

 五歳の頃は抱き上げてやればすぐ泣きやんだ。七歳の時には頭を撫でればすぐ泣きやんだ。十歳の時は話をするだけですぐ笑った。

 そして今、求められていると触れたら泣かせた。
(あれ……?)

 もしかして自分は今の信勝のことを何も知らないのではないか。

 信長は一人取り残されたリビングで炭酸飲料の泡の音だけを聞いていた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「……マジで寝てんのか」

 部屋に来て初めての夜、寝室のダブルベッドに二人で寝た。信長が上半身を起こして信勝の頬をつつくが反応なし。信長の隣きっかり50センチ横で本当に眠っている。

(なにを考えているかわからん)

 寝たふりをしていたのだがいつまでも指先一つ触れない。襲うどころか指先一つ触れないとは。リビングの時計がぽーんと音を立てて一時間の経過を知らせると狸寝入りも限界がきた。

(日頃のあれはあくまで危ない姉弟のあれだったのか?)

 日頃の言動から察するに二人きりになったら即座に獣と化し、逆に押し倒して色々教育する予定だった。それがまさか爆睡とは……。

(荷物の片づけで疲れたか? それとも……やはり姉弟じゃからか?)

 分からない。本当はヒトがなぜ血縁と婚姻することを厭うのか実感もないのでそれがどれくらい抵抗があるのかも分からない。

 喜ぶ顔がたくさん見れると思っていた信長はかなり落胆した。

「信勝のくせに生意気じゃ」

 腹いせに爆睡する弟の顔を胸に挟んで抱きしめる。乳に挟んだ顔は脳天気に寝息をたてている。色事めいたことをしているのに子供に戻ったようだ。

 ふいにお節介な家臣の声を思い出す。

……「もうあれから……年です、せめて花だけでも添えられてはいかがでしょうか」……

 どうやら昔遊んでいた池に時々花を投げ入れていたことがバレたらしい。死んでまで殺した相手の顔など見たくないだろうというと「殺したのは我々であなたではない」という。

……「あんなものただの石ではないか、本人ではない。生者の慰めだ」……
……「墓は生きている者のためにあります、信長様は苦しんでいるように見えます」……

 なら尚更自分は行く必要がないと話を打ち切った。苦しむほどヒトならこんなことにはなっていない。ただその夜は妙に目が冴えて、幼き頃から馴染んでいるはずの尾張の屋敷が見知らぬ家のように感じた。

……「おかえりなさい、姉上」……

(ああ、そうか)

 自分は尾張ではなく、あの声の場所に帰ってきていたのだ。それから尾張に戻る回数が減っていった。


「……姉上」


 はっと信勝の寝言に現実に引き戻される。記憶でなくした弟は今は腕の中にいる。もう少し強く抱きしめると生者の匂いがした。……やっと帰ってきたのだと思った。

(どうして……今になって気がつくのか)

 信勝は自分の帰る場所だったのだ。例え生ある時に理解し合えなくても……信勝のいる場所しか帰る場所と思えなかった。

「……ただいま」

 一筋の涙を流し、そのまま深く眠りについた。





【信勝サイド】


 最愛の姉と大きな寝台で並んで眠る。とても眠れるような状態ではないが、緊張と疲労で信勝は意外とあっさり眠った。

(とにかく姉上の邪魔にならないようにしないと……大丈夫、昔だって捨てることができたんだから)

 そう思っていたのに、いやな夢を見た。サーヴァントは夢を見ないはずなのに、信勝は時折夢を見る。

 幼くて愚かで、純粋だった頃の夢だった。




……「僕は幼い頃からずっと姉上をお慕いしております」……

 満面の笑顔の子供が夢見るように両手を君で笑っている。一切の邪気がなく、成長するとつきまとう忌々しい気持ちもなく、ただ純粋に彼女を慕っていることだけが伝わってくる。

……「僕はずっと姉上の側にいたい。側にいられるのなら父上と母上に会えなくなってもいい。姉上が新しい世の形を話しているのをずっと横で見ていたい」……

 ……だから?

……「その……僕は姉上と夫婦になりたいのです。それならずっと側にいられる。誰にも姉上をとられないから!」……

 だめだ。

 短刀を鞘から抜いて幼い自分に突きつける。目を丸くした子供を突き飛ばし、立ち上がる前に腹に刃を突き刺した。いたいと泣き声がして、今度は心臓を刺した。ざくざくと幼い恋心は穴だらけになっていった。

「僕と姉上は姉弟なんだ。異母ですらない、夫婦なんかなれない」

……「いたい、いたい。どうして僕を殺すの? 想っているだけで幸せなのに、姉上は僕の全部なのに」……

「姉弟だからだ、想っているということを知られただけでまた姉上が悪くいわれる。父上と母上に引き離されるかもしれない。そもそも姉上だって……僕がそう思ってるとしたら離れていくかもしれない。実の弟に劣情を向けられているなんて嫌悪されても仕方ない。よくて避けられるだけだ」

……「やめて、僕を殺さないで。もう夫婦になりたいなんて、独り占めしたいなんて言わないから。心の中で想っているだけでいいから……僕は想っているだけで十分幸せだから……いたい、いたいいたいいたい! しにたくない!」……

「無理なんだ……僕は弱いから、このままじゃ隠しきれない。お前が生きていると迷惑なんだ」

……「ぼく、うまれてこないほうがよかった?」……

「……そうだ……好きにならなければよかったんだ」

 両目を潰して、肺をえぐると反応がなくなった。死んだのだろう、信勝の胸の痛みも随分マシになった。

 母が赤子を抱くように胸に子供の遺体を抱くと暗い道を歩いた。進むと人より大きな岩が並ぶ谷へたどり着く。岩が折り重なって洞窟のようになってる穴へ入る。

 暗い穴の深部へたどり着くと、そこに未練の死体をそっと横たえた。ゴミのように放り捨てるつもりだったのに、無意識に両手をあわせた。

「ごめんな……」

 存在しない方がいいとはいえ自分の大切な気持ちだった。最後にもう一度死んだ自分の心を見返すと背を向ける。……すると死んだはずの子供の声がした。

……「ありがとう」……

「……なんで?」

……「僕が死んだら、姉上とずっと側にいられるんでしょ? だったら僕は死んでよかったんだ、とっても痛かったけど姉上と一緒にいられない方がずっとずっと辛いもの。……僕を殺して君だって苦しかったでしょ、君も血だらけだから分かるよ」……

 身体を見下ろすと子供と同じだけの傷があった。

……「殺してくれて、ありがとう。僕の分も君は絶対、姉上の側にいてね」……

「お前を隠せるほど僕が強くなくて……本当にごめんな」

 ごめん、ごめんなさいと泣きながら暗い道を帰った。その姿が消えるまで子供はえぐられた目でじっと見つめていた。自分の死が幸せに繋がるように祈りながら冷たくなっていった。



 いやな夢だ。実際はもっと長い時間くだらないことをして恋を殺した。そして可哀想な夢だった。

(結局、僕は姉上と一緒にいることなんかできなかった。殺した上に嘘をついたんだ)

 まだうっすらと夢をみているせいか、哀れな死体に手を伸ばした。……うん、ちゃんと死んでる。これからも絶対に姉を煩わせたりしない。奇跡の確率で再会できたのだ、絶対に余計なことをさせるものか。

 死体の指先のぴくりと動いたがその前に信勝の意識は夢の外に消えた。





つづく










あとがき


「こいつのことは知っているに決まっている(故に知ろうともしなかった)」ってやつです。

バレンタインの後日談を書くつもりが長くなりそうなのでバレンタインの話はなしでもよめるように。
目的地は秋葉原デートの話の関係(喧嘩できる、仲直りができる、お互いが必要だとお互いに理解している)なのでそこまでいけたらなあ。