夫婦ごっこ2~知らぬが仏といえど~




※独自の歴史解釈があります





「なんじゃこりゃあ!?」

 目覚めるとベッドが血塗れになっている。二人で眠ったはずなのに一人きりで、真っ白なシーツが赤く染まっていた。

「おい信勝、どこだ!?」

 もしや敵の襲撃かと探すと信勝はキッチンにいた。ずぶ濡れになってキッチンマットレスの上に立っていた。……しかもその手に包丁を持って。

「姉上? ……こ、こないでください!」

 がたがたと震えながら信勝は自分に刃先をに向ける。あまりのカオスに数秒頭が白紙化するが、包丁の刃が弟の身体に近づくと声がでた。

「なんじゃこりゃ! お、おい滅多なことを考えるなよ!?」
「お、起きたらなんか暗いし柔らかくて、なんだろうって触ったら姉上の乳で……ごめんなさい! 割としっかり触ってしまいました!」
「いや、あれはわしが自分で挟んだまま寝たんじゃが……ではなく! なぜわしの乳が包丁振り回すことに繋がる!?」
「頭に血が上ったら鼻から血が出るし、僕の身体が……頭を冷やそうと思ってシンクの水を浴びてたけど身体が……姉上にわるいことを……」

 隙をついてテーブルの上の醤油差しを包丁を持つ手に投げたが信勝はこんな時ばかりうまくかわす。醤油一つ浴びない。

「あほかお前は! 妻子もいたくせにカマトトぶるのもいい加減にしろ、ちっともセックスする気もないのに寝台に男を引っ張りこむわけあるか!」
「あ、姉上はセックスなんて言わない……」
「普通に言うわ! なぜ泣く!? とにかく包丁を床におけ。落ち着いて話し合おう、なにか誤解がある。そもそも自分を傷つけることになんの意味がある?」

 まさかうっかり乳を揉んだから自害する気では……こんな形で弟の最後を再現されてはたまらない。トラウマの再現として最低最悪のケースだ。

「僕なんかに同情しないでください。僕は……姉上には本当に好きな人とだけそういうことしてほしんです」
「セックスを?」
「また言う! ……それなのに僕は浅ましくて、冷やしても戻らないし……こんな身体があるからいけないんだ」
「なーんじゃ、わるいことってただの勃起ではないか。何が起きたかと思えば、それくらい発情しなくても男子は朝には生理現象で……」
「勃起とか言わないでください! ……とにかく、同情で姉上の貞操を脅かされるくらいなら」

 信勝の目がすっと冷静になり、包丁を持つ手に力がこもる。

「……自分で切り落とします!」
「ちょ、はやまるなぁぁぁぁっ!」

 信長が全力で蹴飛ばしたダイニングテーブルが直撃し、失神した信勝の手からからんとキッチンのフローリングに包丁が落ちた。




 他に刃物を持っていないことを確認した上で信勝は両手両足を縛り上げられ、リビングのソファに転がった。部屋中の刃物を段ボールに入れてクローゼットの奥に封印するとようやく冷や汗が引いた信長はぐったりと尋問を始めた。

「ぐすっ……よく考えたらサーヴァントだから去勢しても無駄だった……」
「去勢とかいうな! なぜこんな真似をした?」

 大体叫んでいたが問いつめないわけにもいかない。いくら再生するからと弟が生器を切断する光景など見たくない。マスターにもダ・ヴィンチにもなんて説明すればいいのだ。

「だって……姉上の身は本当に愛する人にだけ捧げられるべきです」
「あのなあ、お前がどんな幻想を抱いてるかしらんが現実と混同するな。わしは割と愛とかの前に試しにセックスする方で……」
「だからセックスとか言わないでください~」
「泣くな! 泣きたいのはこっちじゃ! お前こそ二度と去勢とかいうな! というかもう考えるな、マジで!」

 心臓がいくつあっても足りやしない。ようやく泣きやんだ信勝が両手を縛られたままもじもじしだす。

「その……気まぐれでとんでもないことしないでください、姉上はもっと自分を大切にするべきです!」
「大切~? 隙を見てわしの茶碗でむせてるやつに言われたくないんじゃが、ストーカーは犯罪って知ってるか?」

 半眼でストーカー行為を指摘する。マスターにさえバレバレだったのだが信勝は蒼白になった。

「嘘っ……バレてた? ……すみません、そうです、僕はストーカーです。申し開きの余地のない犯罪行為でした」
「そうじゃ、ストーカーは犯罪じゃ。犯罪は反省しろ。ドクロの茶碗が三つもなくなったから窃盗罪も追加じゃ。……ところで昨日わしのコップを洗う前に顔近づけてじゃろ」
「げぇっ!? そこまでバレていたなんて……き、昨日はしてません!」
「どーじゃかのぅ」

 なぜ直接接吻した日に使用済みの食器に関心を持つのか謎だ。唾液か? 唾液フェチなのか?

「あ、姉上、なんか顔が近いんですが……?」
「わしの唾液が欲しいなら直接やるから口を開けろ、ストーカーから足を洗え」
「だ、だから、そういうのは好きな人と……ごめんなさい! もうストーカー行為はしません! 全部僕が悪いから唇をもっと大事にしてください!」
「これ以上説得力のない言葉も珍しいの」

 ため息をつくと目線を会わせるために縛った弟をソファの背もたれにもたれさせる。

「自分とわしを混同するな」
「……?」
「お前はそう思っとるんじゃろ、本当に好きと思える相手とだけセ……情交するべきだと。だかわしはそうではない、寝てから好きかどうか考える。その前に愛とかわからん」

 セックスと情交という単語に差があるとは思えないが今度は信勝はそんなこと言わないでとわめかず、代わりに目を丸くした。

「え? ……冗談ですよね?」
「一応寝所に招く前に相手は選んでおる。誰でもいいわけではない、別に色情狂ではないからな。しかしな、やはりわしは寝てみないと「こいつならいいな」というのは確信が持てん」

 好きな人は触れなくてもわかる、そういう自分の性質を誰もが持っていると思っていた信勝は目を丸くした。その顔を見て信長は目を伏せた。弟はヒトらしい感情が過多でそういうものが薄い身には時々目に痛い。

「お前とわしじゃやり方が違う。違う人間、違う感性を持つんじゃからな。とりあえすさっきの処女幻想みたいなのはわしに持つな」
「姉上が処女じゃないのは流石に知ってます……その、すぐには理解できませんが心に留めます。でもそれなら尚更姉上と情交なんてできません」
「なんで?」
「だって、寝たら僕が好きじゃないってはっきり分かっちゃうじゃないですか」

 自分の言葉に傷ついて涙ぐむ信勝。なぜか弟は姉の未来まで勝手に決めている。エスパー? 未来予知能力スキル? あとなんで情交はセーフ?

「わしの未来を決めつけるな、まずわしが部屋まで用意して同衾したという事実を誇れ」
「一度して嫌われるなら絶対いやです」
「話聞いてる? 一度はこのわしが選んだんじゃぞ? 大体まだ寝てないのに分かるわけあるか」
「そんなの寝てなくても分かりますよ。僕は貧相だし、そういうの得意な方じゃないし、性格が暗いし、うじうじうっとうしいし」
「自分で言うか。後半関係ないし……のう、お前はわしを姉としてだけでなく女として好いておったのではないのか?」

 八割がたそうだろうと部屋まで用意して意気揚々と初日から同衾した信長は内心大分ダメージを受けていた(一晩で弟が去勢騒ぎまでおこしたのだ)。少し自信過剰な発言とも思うが茶碗盗難や日頃のあれこれを肉親への許されない故に抑圧され歪んだ性愛の発露以外にどう解釈すればよかったのか。

 それに。

……「姉上、その、大きくなったらぼく姉上に嫁ぎたいです!」……

 生前に数多くの果たせなかったことはあれど。
 幼き日の他愛ない願い事は唯一、死後でも、今からでも叶えてやれるのではと。

「僕が姉上に恋……」

 女としてという言葉に信勝は真面目な顔になった。

「美濃の濃姫が嫁いだ頃までは姉上をそういう風にお慕いしておりました。でもそれはわるいことだから……すぐ忘れました」
「……それはお前が十二の頃か」

 信長が十五の頃に濃姫と結婚したなら三つ下の信勝はそれくらいになる。まだあどけない子供でそんな葛藤を持っているようには全く見えなかった。

「惚れた腫れたをわるいことまでいうことないじゃろ」
「わるいことです。知られたら最後、姉上と一緒にいられなくなるじゃないですか。姉上だって今は英霊となっているから感覚が薄くなっているのかもしれませんが、当時知ったら嫌悪したでしょう」

 確かに英霊となってその辺の倫理観は緩くなっている。父や母は激怒したはずだ。生前からそういう規範がぴんとこない性質だが当時知れば「一時の気の迷い」とお互いの為に離れたはずだ。

「だから今は姉上のことはただ姉としてお慕いし、尊い才を持つ方として尊敬しているだけです」

 濃姫が嫁ぐと女同士の政略結婚とはいえ信長には家族は二つとなった。弟との距離は開いた。その頃信勝がどう思っていたのか知る機会は少なくなっていった。

「……綺麗さっぱり、忘れた過去だと?」
「はい、あんなもの、姉上の側にいることを邪魔をするわるいものです」

 初恋を汚らわしいもののように吐き捨てる。記憶の中の十をすぎたばかりの弟はそんな風に自分を切り捨てているそぶりは見せずただ無邪気だった。

(……お前の側が安らぐと思い出せたのに)

 過去の弟が思いこみの見せた幻想だと知ってしまう。一度近寄ってしまうと信勝にも信長の知らない過去があることを思い知らされる。帰る場所? 初恋を汚く吐き捨てるようになったことさえ知らなかったのに。

「ふん、信じられんの」
「そ、そんな……」
「隠れてわしの茶碗に口つけてる限り説得力ないな」
「それは……そうですが……本当に……僕のクズ……」

 思い通りにはちっとも進んでいない。弟は相変わらず進んで自分を粗末にするし、女の自分を避けている。欲しいものを渡せばもう自分からいなくならないと思っていた過去の自分が阿呆に見えた。

(どうする……意味がないならやめるか? しかし……まだ一日しか経っていないし)

 とりあえず唾液フェチでないか確信できるまで夫婦ごっこは続けようと信長は決意した。





 しかしである。

「この有様でもお前の嫁と子供も大変だったじゃろうな」

 朝食がまだだったのでインスタントコーヒーを二つ入れて牛乳で割る。自分がやると信勝は言ったが両手首と両足首を縛られたままではマグカップを受け取ることしかできない。

「……妻ですか?」

 妻という単語に信勝は首を傾げた。

「妻だけじゃないじゃろ、お前には子がいたではないか」

 二度謀反を起こした信勝の家族を信長は許した。妻は当初夫を殺した信長を時々にらんでいたが、最終的には息子を育て、その子は織田家で頭角を現した。当時は謀反人の家族は皆殺しもやむなしだったのでかなり甘い措置だった。

「長男の信澄はなかなか有能であったぞ、多少は父として誇ってやれ」

 信勝は何度も首をひねって不思議そうにした。

「いえ、信澄は僕の子じゃないです。というか僕に子はいないです」
「……は?」

 信長はマグカップを落としかけた。

「ど、どういう意味だ?」
「どうもこうも……あれ、妻は姉上に手紙を渡していないのですか?」
「手紙? そんなものは知らぬ……さっぱりわからん、詳しく聞かせろ」

 パジャマの襟首を掴んで、がくがくゆさぶるとと信勝はおろおろと視線を下げた。

「いえ、その……僕は妻には指一本触れてないのです。産んだ子は僕の血が混じらぬと子だいう手紙を渡したはずで……それで見逃してくださったのではないのですか?」
「……指一本触れていない?」
「ええ、ほぼ顔もあわせてません。だから子ができるはずないんですよ」

 成長して信勝に似ていく姿を見て、安堵した過去の色彩が遠ざかる。

「妻には気の毒なことをしました。婚姻から逃げ回ってた僕に母上が腹に据えかねていつのまにか結婚の日取りが決まってしまった。このままでは巻き添えにする、せめて僕たちはとても不仲という噂を流し、ほぼ顔も会わせず過ごしていたのですが」
「……なぜそこまで妻を拒否した?」
「だって僕はすぐに……いえ、やっぱりこの話はやめましょう」
「ふざけるな、最後まで言え」
「言いたくありません」

 つい話してしまったが結論を告げれば姉に不快な話かもしれない。信勝は沈黙で一時間姉の追撃を堪えた。けれど信長は執念深く問いつめた。

「……もう勘弁してください」
「観念して、全部話せ。今は死後だ、生前のことをとやかくいわん」
「……」
「わしはあの時代を戦い抜いた、今更秘密一つで揺らいだりせん。ただお前の子だと思っていた男がそうでないなら本当のことを知りたいだけだ」

 ようやく信勝は口を開いた。

「その、僕は……すぐ死ぬ予定でしたから巻き添えで死ぬ子など作るなんて考えられませんでした」
「……それは謀反の話か」

 信勝は頷いた。戦国の世では謀反を起こしたものの家族、特に男児は全て殺されるのが習いだった。信長が生かしたことも慈悲だ、酔狂だと言われた。つまりは当時の常識で考えれば子を作れば謀反の道連れになる。たまたま信長は子を生かしたがそれは結果論にすぎない。

「……多少不審に思われても、すぐ死ぬ赤子は作りたくありませんでした」

 つまり信勝は結婚した頃すでに謀殺されるつもりだった。信長の反発する輩を焚き付け謀反を起こして、不穏分子を自分ごと皆殺しすることを計画していたということか。

(……いつから計画していた?)

 記憶の中で一度目の謀反の頃の信勝を思い出すがぼやけてしまってわからない。十八になったばかりだったか? そういえばいつ結婚したのだっけ……そうだ、たしか遅い結婚だった。たしか信長は祝言には出ていない。

 二度目の謀反は一度目の二年以上前だから、結婚がその前後なら十七、八の頃か? 準備を含めるともっと前か?

「それで……お前の妻は納得したのか、そんな話をしたのか?」
「まさか、謀反の話などしませんよ。僕は病気であと数年もしないうちに死ぬから、子を作るなど不憫だ、あなたは嫁いだ時のままでお返ししますと伝えました。それからほとんど会ったことはありません」


……「どうしても夫を殺すしかなかったのですか」……


 清洲城で信勝を切腹させた数ヶ月後、一度だけ信澄を抱えた妻に鋭いまなざしを向けられたことがある。幸い周囲の目はなく信長は咎めずにすみ、彼女もそれ以降なにも言うことはなかった。長男の信澄が成長し、頭角をあらわす頃には寂しげだが穏やかな母親になっていた。

「離縁できれば一番安全だったんですがそうすると母上は次の妻を連れてきてしまう可能性が高い。巻き込まれる人間を増やすのはいやだったので色々考えて、謀反の前に理由を付けて実家に里帰りさせました。僕から縁遠いほど姉上なら目こぼししてくれるのではと」
「……だが子は産まれたではないか」
「それには僕も慌てました。僕の子ではなくても僕の子と思われればいずれ殺されても文句は言えない。だから手紙を書いて、その時に僕は長くないから好きな時に使えばいいと渡しました」
「手紙には……なんと書いた?」
「僕の血の混じらぬ子を産んだから別れようという離縁の手紙です。不仲の噂と併せてそれを見せればあの子は死なないですむかと……まさか見せていなかったなんて」
「……」
「以前に身分が違う想い人がいると噂を聞いたので多分その人でしょう、もう数年待ってくれればよかったんですが色恋はなかなかそうはいかないものですね」
「……さあ、どうだかな」

 あくまで信長の見立てだが信勝の妻は夫を想っていた。息子も信勝の面影があったからこそ、信長も信じてしまった。つまり似た男を選んだのだ。

「気の毒な人でした、僕なんかと結婚させられた上に死ぬところだったんですから。姉上が慈悲をかけてくださったことだけが不幸中の幸いです。あれから幸せに暮らしたならいいのですが」

 信勝の口調はよく言えば責任感があり、冷たく言えば他人事だった。妻の命に関心はあっても心のことは考えたことがない。

「……お前、酷い男だな」
「え?」

 自分は誰からも必要とされていないと信じる信勝はいつものように自分の落ち度を探した。

「そうですね……僕の流されやすい性格のせいで母上の話を退けられず、最後まで独り身でいられませんでした。他人を巻き込んで僕は本当に馬鹿で……」
「……もう喋るな」

 自己否定する弟の口を片手でふさぐ。その場から去る衝動も沸き上がったが、信長は信勝を抱きしめた。幼き日に泣いた弟をあやすように。

「あの……姉上、僕はなにを間違ったのですか? 教えてください、謝ります」
「……いいから、今はこうさせろ」
「妻とその子の話が不快でしたか?」

 妻とその子。やはり完全に他人なのだと信長は目を閉じた。姉の抱擁に弟は頬を染めたが、とても悲しそうに見えたので別の意味で慌てる。

「あの……改めてありがとうございます、手紙を見なかったのに彼女たちを殺さないでくれて」

 心底感謝した弟の笑顔に姉は傷ついた。弟はいったいいくつのものを捨ててきたのだろう。そのうち自分が捨てさせたものはいくつあったのだろう。

「あのお礼をさせてください、なにか欲しいものはありませんか?」
「……今日は先に帰っておかえりを言え」

 弟は戸惑ったが姉の曇ってしまった心の本心だった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 面影があるのに弟の苦手な戦が得意なあの子は弟の忘れ形見ではなかった。

「……」

 にぎやかな食堂で信長は一人だった。ぼうっとしていると声をかけられた。

「おい、カエルじゃないとは言え残すはもったいないぞ」

 にゅっと白い手が伸びて皿の上の冷め切ったハンバーグをフォークで刺して奪っていく。お竜だった、珍しく龍馬は一緒ではないようだ。

「お竜さんの遺憾の意、イゾー風情に龍馬を取られてしまった。お竜さんがいるから訓練なんかリョーマには必要ないのに」
「こら、お竜。返さぬか、坂本にいいつけるぞ」
「なんだ、食うつもりだったのか? 食欲ゼロ・冷え切り一時間の味がするぞ」

 実際頼んだものの一口食べてから完全に上の空だった。今お竜が食べているから「そうか、ハンバーグ定食を頼んだのか」と思い出したくらいだ。

「ところでお前、結婚したのか?」
「は? なぜ知って……」

 そういえばマスターに近親相姦がバレたのはお竜と龍馬のせいだった。

「常日頃お竜さんと龍馬を見ていたら羨ましくても仕方ない。自然の摂理だ。それとも違うのか、実は巣穴にエサをため込んだのか? 人間を食べるとリョーマが怒るぞ」
「それこそお前のカエルじゃあるまいし……まあ結婚ごっこみたいなもんじゃ」
「そうか、あいつ食うところ少なそうだもんな」
「あまり言いふらすなよ、面倒が増える。というかどうして知っている?」

 隠しもしてないが積極的にも知らせていない。お竜にいうよりあとで龍馬に言って黙らせる方がいいだろうと判断して、バレた謎の方を追求する。

「恋するお竜さんの勘だ」
「マジか」
「別にお前が新しい寝床を作ったところみて「リョーマ、あいつ人間を食う気だぞ。まず弱そうな奴から巣穴に備蓄してる。お竜さんはわかるぞ、あいつカエルが足りないんだ」「いやいやそんなはずないって、ちょっと調べてみるよ」みたいないきさつじゃないぞ」
「……大体分かった」

 龍馬のような鋭いタイプが調べればすぐにバレただろう。信長が文句を言わないのでお竜はハンバーグの付け合わせのフライドポテトに手を伸ばす。

「やっぱりカエルの方がうまいな。ところで新婚生活がうまくいってないのか?」
「どうしてそうなる」
「だってお前いつもより暗い、食事も頼んだくせに食べてない。お竜さんも龍馬と出会ったばかりの頃、時々そういう時があったからわかる。夫婦道はしあわせ茨道だからな」

 そういえば龍馬とお竜は夫婦である。人と竜だが自分たちをそういっている。ごっことはいえ夫婦になったばかりの信長は興味がわいた。

「のう、お前たちは夫婦になって長いのか?」
「むう、いつからかは実はお竜さんにも分からない。最初はリョーマを食べるつもりだったが、最後は食べるなんて考えられなかった。ずっと一緒だったがシューゲンってやつをあげてないからいつからかわからん」
「ふむ、人間と竜では色々困ったことはあったのではないか?」

 竜じゃないぞオロチだぞとフォークを横に揺らすとお竜は少し顔を曇らせた。

「人間を食べようとした怒られた」
「そりゃそうじゃろうな、あいつの性格じゃ」
「その辺の子供を誘拐した訳じゃないぞ。三日過ごせばあいつがそれを許さないのは分かる。……リョーマは狙われていたんだ。十人以上で囲んで刺すつもりで。だからお竜さんが全員叩きのめして、リョーマに見せたんだ。助けてやったぞ、動いたら腹が減ったから敵だし食ってもいいよなって縛って連れて行った。今思い返すと多分喜んでほしかったんだな。でもリョーマは笑わなかった」
「……」

 喜ばせるつもりが喜ばなかった。自分も似たものかもしれない。

「青くなって全員が生きているか確認すると「助けてくれてありがとう、でも一緒にいられなくなるから人間を食べるのはやめてほしい」ってみんな眠らせて、その間に逃げた……お竜さんはリョーマが分からなかった。あいつら卑怯な敵だったのに。でも一緒にいられなくなるのはいやだ、それから人間は食べなくなった」
「……坂本も大概なお人好しじゃな」

 正直お竜の気持ちの方が理解できる。まあだから抑止力などやっているのだろうが命がいくらあっても足りないだろう。

「もっと仲良くなっていくと不思議とリョーマのことはわからないことが増えた。いや、なんとなくそうだと思っていたことが思い違いだとわかっただけなんだが」

 思い違い。それは自分と甥のことだろうか。

(そうじゃな、わしは身贔屓だった。あの子が信勝の血を持たぬとしったら命は取らなくともとりあげなかったかもしれぬ)

 身分を問わぬ実力主義者の顔をして、その実過去の後悔の身代わりにしていた。あの子は殺してしまったけれどこの子は血を継いでいるからと自分を慰めていた。……今更自分の弱さを思い知らされた。


……「叔母上、今お時間は……あ、いえ、お館様」……
……「よい、今は二人しかおらぬ。叔母と呼べ」……


 あの時かわした言葉も親愛も変わらないのに「信勝の子ではなかった」という事実だけでなぜ色あせてしまうのか。そんな風に思われて一番可哀想なのはあの子ではないか。

「……ん? なんの話をしてたっけ? 京都でイゾーが生意気だった話だっけ?」
「夫婦のいろはみたいなもんじゃったか。のう、坂本の思わぬ秘密を知って驚いたことなどあったか?」
「リョーマはあまり話さないから秘密の方が元々多いぞ、時々お竜さんでも驚いてひっくり返ったけどな……でも、それはいいんだ。なにもかも知っていなくても」

 内心を言い当てられたかと固まるがお竜はあくまでマイペースに話を進める。

「必要なことが分かっていればいいんだ。お竜さんはリョーマが好きで、リョーマもお竜さんが好きだから他のことは分からないことがあってもいい」

 必要なことさえ知っていればいい。なら自分たちにはなにが必要なのか。

「今度こそあいつを守れて、一緒にいられればそれでいい……元々お竜さんは人間じゃないから人間のリョーマを丸ごと分かるのは難しいからな」
「さあの……人間同士だからってわかるもんでもないが」

 むしろ同じだと勝手に期待して、想像と違うと失望してしまった。巻き込んで死ぬ子を作らなかった信勝に罪はないし、自分だって罪があるわけでもない。ただ……ままならぬ現実に胸が痛むだけだ。

「そういう風に暗いのは新婚生活がうまくいってないからか? そういう時は聞けばいいんだ」
「暗いって……なにを?」
「してほしいことかしてほしくないことを聞くんだ。今でもリョーマがなんで敵を食べちゃいけないといったのか分からない、それでもしてほしくないことは分かった。だからお竜さんはそれだけ分かれば十分だ」

 その晩、迷ったが信長はしてほしいことを信勝に尋ねた。してほしくないことは今度にしよう。





「……お前、こんなんでいいのか?」
「姉上、本当にありがとうございます!」

 キラキラした瞳で心底感謝されても信長はまだ納得がいかなかった。

 信勝が願ったこと、それは一緒に食堂近くの屋台で新販売したソフトクリームを食べることだった。屋台のタマモキャットに二つのバニラのソフトクリームを受け取り、近くのベンチでぺろぺろ食べる。

「……確かにうまいが」
「はい、おいしいです! ……ううっ、夫婦っていいですね。姉上と一緒に菓子がまた食べられるなんて、夢みたいです」

 並んで食べているだけで信勝はうきうきと喜んだり、ハイになって泣いたりした。そういえば夫婦になって嬉しいという発言は初めてだ。なんでも叶えるつもりはなかったが相当譲歩するつもりだった信長はまだ納得していない。

「こんな普通のことで嬉しいのか?」
「普通じゃないです! だって姉上と一緒に菓子を食べられるんですよ!」
「新婚生活の方がよっぽど夢みたいじゃと思うんじゃが」
「子供の頃は当たり前に思ってましたけど、そういうのって二度と戻ってこないものですから……カルデアに来て本当によかった!」

 本気の感謝をぶつけられるほど信長は戸惑った。

(……こんなことがなぜ嬉しい?)

 それともこんな普通のことをしなくなったからあんな風に死んだのだろうか。

 今思い返すと子供時代を過ぎた信長は乾いた人間だった。なにしろ「聞こえなかった」、否、誰の言葉も心に響かなかった。言葉の意味は分かっても周囲が価値があると思うモノに価値を感じられなかった。
 幼い頃はもっと広い世界を知れば価値を感じられると学ぶことや遊ぶことにがむしゃらだった。しかし歳月とともに「そんな日はこない」という予感に空しさの方が増していった。幼き日は弟に語った天下の話も「治めるもの達の欲するものの価値が分からなくて治めても空しい」と跡目を弟に押しつけようとした。

「おいしいなあ、死んだ後にいうものじゃないですが生きててよかったです」
「……もひとつ食べるか?」

 そうだ、思い出した。あの頃、自分の限界を感じて弟をそれとなく距離を取った。「お前はそっちの人間だろう」と隣で菓子を食べることもなくなった。信勝は人一倍人の言葉が内側に響く信長と正反対の存在だった。

「いいんですか!? ……あ、でも、もう一度食べに来てくれると嬉しいな……なーんて」
「じゃあまた来よう」
「嘘でしょう!?」
「こんなしょーもない嘘つくか。来週の同じ時間、また来くぞ」

 あまりに疑われるのでソフトクリームの出店の横のポスターを指さして言う。

「ほら、スタンプを集めると景品がもらえるんじゃ。二人で通えば集まるのも早かろう。あれをもらえるように一緒に通おう」

 言って後悔した。しまった、これでは景品がもらえたらもう来ないと言ったようなものだ。

「本当ですか!? そんな先まで姉上が僕と一緒にいてくれるなんて……信じられません!」
「……いや、別に景品のためにくるわけでは」

 ポスターを見る限りスタンプカードは十マスしかない。二人で集めれば二倍集まるから、今日を入れると四週間で集め終わってしまう。残り一ヶ月しかない。

「姉上と約束するの久しぶりですね。本当にもらえたらいいな、僕、ずっと宝物にします」

 たった四週間後の未来さえ信じていない。こちらはカルデアが終わるまでの生を渡したつもりなのに向こうはいつでも返すつもりでいる。そう、弟は姉の言葉をちっとも信じていないのだ。簡単に約束を反故にされる未来の方を信じている。

「ていうかお前、わしをポイ捨てクズ男かなんかだと思っとるじゃろ」
「いたたたたっ! 姉上、痛いです!」
「そういうやつはこうじゃ」
「!!!?????」

 言って信勝が半分ほど食べたソフトクリームにかじる。少し溶けている。甘い。

「なんじゃ、すごい顔をして。そんなに食べたいならべらべらし喋っとらんでさっさと……」
「か、間接キスです! ダメです!」
「……は?」

 この前直接唇にしたばかりなのに……やはり弟は頭がおかしいのでは。

(いや、もしや間接じゃないと興奮しないとかそういう? そうすれば茶碗に執着するのも説明が付く……唾液ではなく間接接吻フェチ……逆に直接だとダメなタイプか?)

「姉上?」

 姉が歪な性癖認定を弟につけつつあるなど知らない信勝は繰り返し間接キス禁止令の話をしていた。

 結局スタンプカードは二人別々に作り、信長は胸をなで下ろした。よかった、これで四週間でなく九週間の猶予ができた(なんの?)。もらったチラシによると景品はソフトクリームの安っぽいキーホルダーでバニラ・チョコ・ミックス・夕張メロンの四種類らしい。これは都合がいい、四種コンプリートを目指せば九週間+三十週間の猶予がある(だからなんの?)。

「もらえるまで九週間なんて……姉上、絶対ソフトクリームに飽きてるじゃないですか~。せっかく思い出の品がもらえると思ったのに」

 弟はだーと涙と流す。スタンプカードがばらばらなことにかなり不満があるらしい。

「わしは好きなものには一途な方じゃ、必ずやこのキーホルダーを手に入れてみせる。最初はバニラがいい」
「そんなこといって姉上飽きっぽいんですから……いいです、いざとなれば途中からでも一人で通ってキーホルダーを手に入れて見せますから、あいた!?」
「貴様、わしに隠れて通ったらどうなるか分かっておるな? 隠しても無駄じゃ、信勝のスタンプカードはこれより毎日わしが確認する」
「そ、それは姉上がもういいってなった時の話ですって! 頬がちぎれます~!」

 引っ張るとよく延びる頬だ。手を離して少し信勝の頬をなでる……信澄もこんな顔をしていた。きっと夫婦生活ごっこなど始めなければその思い出はただ懐かしいだけだった。近づいたせいで見たくないものまで見えてしまう。

 きっとこのままごとを続ける限り、これからも見たくないものまで見える。

(しかし……知らんでよかったとも思えん。知らぬままの方がいいなど思えぬ)

 お竜は言った。全て分かってなくても、夫婦は必要なことが分かっていればいいと。必要なこと。自惚れでなく信勝には必要とされていると思う。信長だって形と温度は違えどそうだ。それ以外になにが必要なのだろう。……知りたくないことまで知ってしまう覚悟だろうか。

「姉上」
「ん? ……おい、近い」

 ついてますと信勝はハンカチで信長の口元を拭った。丁寧に一つ一つ汚れを拭う目はいかがわしさはなくただ真剣だった。

「近い、そうですか? でもちゃんと綺麗にしないと……全く僕の分をかじったりするからですよ」
「自分で拭くからその距離は部屋でやれ……?」

 綺麗になった口元に十センチ程度まで近づいた信勝の顔が離れていく。信長は左胸を押さえた。ずきりと妙な痛みがはしる。

「姉上、せめて来週はまた食べに来ましょうね!」
「ああ……ん?」

 並んで歩くと胸の痛みは続いた。弟が心配そうにのぞき込む度にちくちくする痛みは知らない痛みだった。心臓に異常があるのだろうか、明日医務室にいってみるべきか。

「おい、信勝、好きじゃ」
「な、なんですか、急に!? ……う、嘘ですよね?」
「嫌いじゃ」
「……そうですよね、知ってました。僕なんかじゃ仕方のないことです」
「嘘じゃ」
「さっきからなんなんですか姉上!?」
「ええい、お前こそ、好きは即刻嘘認定しおって……ええい、泣くな!」

 とりあえず。
 好きという言葉を信じさせることが必要なことかもしれない。





つづく











あとがき





 信勝の遺伝子断絶させてすみませぬ。
 でもカッツになりきると「謀反で死ぬ気満々のくせにとばっちり死する子作りなんてできねえ! 他の世界線の信勝は謀反に勝って生きるつもりだったかもしれないけどFGOカッツはほぼ謀反で死ぬ気じゃん!」と判定がかえってくるのでこうなった。あと長男の信澄の生誕年がかなり謀反の年に重なってるから「謀反の決意をするまでに出来てたよ」もやっぱり無理ってなった。

 ウィキによると長男の信澄の誕生年が1555年か1558年じゃないの? ってなってるので「1558年って冬には信勝謀殺されてんじゃん。1555年だって1556年には一度目の謀反してるし、一年くらいは謀反の下地計画してる気もするし……そもそも1558年に色々起きすぎなんだよ」みたいなノリで作った設定です(1558年は信勝が死んだ年で森くんが生まれた年です)。


 結婚は遅めで十七才。まあ遅いといっても高校生くらいですがおうちの事情によってはやくなったり遅くなったりするのが権力者の結婚ってやつです。
 姉が忘れない+自分は無価値だから相手が気の毒+そもそも自分が継ぐ訳じゃないし……というのが信勝の頭の中なので世間体はあれだけど十代後半までのらくらかわしてた(実は嫁の選り好みして十代後半まで婚期ズレさせてた土田御前の方が慌てて、いつまでも逃げ回る愛息子にキレて結婚させた……がその頃もう死ぬ気満々だったという裏設定)。

 今回は信勝は二十一才死亡、最初の謀反が十八才くらい、信長の三つ下みたいな年齢設定です。


今回は実はもっと長かったのですが、区切りがいいのでここで分けて三話は1~2週間後に更新します。


今回の設定

ノッブ

 使用済みの食器に執着するくらいなら、チューしてやっちまえばもう不快なことは言わないと思ってた発想が割とおっさん系女子(女子?)。ハンバーグ食べたそうにしてるから松坂牛を直接胃につっこめば喜ぶはずだと思ってる。あまり手加減の感覚が分からない。

 信長は「肉親だからアウトだったが、サーヴァントの今はともすればそういうことだってありうる」程度には親密な間柄と思っているけれど、信勝は自分は山のようにいるどうでもいい取り巻きの一人くらいに思うからこういうことになる。

 信勝の子にそんなに贔屓してないつもりだったし、実際実力主義だったけど、それなりに気を遣っていたし、それで自分を慰めていた面がある。

 信勝が唾液フェチでも間接フェチでも心の整理はついた。


カッツ

 絆五ボイスの「これほど僕を気にかける人間なんて初めてだ」が色んな人間を傷つける。そんなわけねーだろ姉上と土田御前と柴田殿に謝れと思うけど、カッツの主観はそうなんだねマスターだけなんだね……。

 信勝は自分を無価値だと思ってるのでろくに会ったことにない妻が自分を憎からず想っていたとか一秒も考えたことはないです。もちろん姉が自分の息子たち(偽装)に自分の代わりに気をかけていたとかそれが嘘と分かってダメージを与えたとか想像できません。

 妻のことは「よく知らないけど、できれば死なないですませたい」と絆0のまま終わる(でも絆1になっても言われるの「あっちへいってください」なんだよ)。

 唾液フェチ、間接接吻にしか興奮できないなどの性癖はない。


信勝の妻

 嫁いできて不安だったけど、わりと優しそうな人でよかったのかな? と思ってたらまさかの放置プレイだった。


 一応史実信勝には三人は息子と他にも一人二人妻がいたはずなんですが、この話では妻は一人か、他の妻(側室)にも似たような放置プレイして謀反の直前に手紙渡して里帰りさせてたってことにしてください。




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