夫婦ごっこ3 弟と人魚姫の罪と罰
……「……なんですか、せっかく僕が子供の時みたいに楽しく暮らせる世界を作ろうとしているのに……」……
……「短い人生、一瞬でも輝くから人間はかっこいいんじゃ! とくと目に焼き付けよ!」……
あの時、僕は姉上の心が分からなかった。なぜ幸せな時代を拒絶するのか。あの頃はあんなに楽しかったのになぜ永遠を否定するのか。
けれど理由はすぐ分かった。奇跡の再会を果たした帝都で。奇妙な戦国の世で。他の様々な特異点で。
そこで姉上は「本当に」笑っていた。
ある時期から決して心から笑わなくなった尾張の頃と違って……子供の頃が一番幸せだったのは僕で姉上じゃない。
(あれは僕の押しつけだった。二度と子供の頃に帰りたいなんて願わない)
僕だけの一番の思い出なら一人で胸にしまっておけばいい。
本来サーヴァントは夢を見ないが信勝は夢を見る。
(霊基をもらったからなのかな)
夢の内容は卑弥呼の弟との会話だ。内容はいつも他愛ない雑談でしかない。原因はともあれ、心を開くのが不得手な信勝にとってそれは一番気兼ねなく話せる時間だった。
「というわけで姉上と夫婦になったんだがどうすればいいと思う!?」
「……は?」
とんでもないことを言い出した友人(と亀は信勝を思っていた)に思考が止まる。相当心細いのか今信勝は亀の甲羅を腹に抱いて話している。多分重いからしばらくすると足がしびれるだろう。
「姉上って……私の姉上ですかな?」
「そんなわけないだろ。お前の姉は仮にも邪馬台国の女王だろ、僕なんかと夫婦になるもんか。常識で考えてくれ」
「常識的には実の姉の方が余程……いやつまり、信勝殿はご自分の姉上と夫婦になったのですか?」
信勝は頬を染めて指をもじもじと合わせる。
「その、姉上が急に言い出したんだ。当世風の夫婦になってみようって……ただの気まぐれだと思う。姉上は新しいことが好きだから、僕は飽きられるまでお付き合いする。ただ余計なことをして嫌われないか不安で……」
「よかったじゃないですか、だって信勝殿は姉上が大好きじゃないですか?」
「な、なぜ知っているんだ!?」
なにを隠していたつもりだったのかと亀はバレないように呆れた。
「いつも姉君のご友人に嫉妬されていたでしょう。血縁と言ってもサーヴァントですし、夫婦なら今より姉君を独占できるから信勝殿にとってもいいと思ったのですが」
「べ、別に僕はあの田舎侍の女に嫉妬なんかしていない!」
ただ沖田は信勝が絶対に手には入らないものを持っているだけだ。
「なにがご不満なので? やはり実の姉君だからですか?」
「それは……関係ない。ただ姉上に嫌われるかもしれないから」
「なぜですか?」
「そんなの見れば分かるだろ……近くで見ると余計バレる。僕なんか嫌われて当たり前だからだよ」
なにを見れば分かるのか分からなかったが、日頃の言動から「馬鹿で無能でなんの役にも立たない」から嫌われると怯えているのだろう。
「私は信勝殿のこと好きですよ、微笑ましくて」
「な、ななな、なんだよ急に!? 僕を今更おだててもなんの得にもならないぞ! あいたっ!?」
ぽかぽか甲羅を叩く手が逆に痛そうでその辺が微笑ましい。
「あなたを好きな人もいるんですよ、信勝殿の姉上もそうなんじゃないですか?」
亀には夢で大分情けないところ(泣きつく、愚痴る、沖田への嫉妬を叫ぶなど)を見せているので好意を示されると戸惑った。
「やっぱり変なやつだなお前……嫌いじゃないとは言っていた。でもだからって好きなわけじゃないだろ」
「好きかどうか聞いてみればいいじゃないですか……あ」
「そ、そんな怖いことできるわけ……なんだよ?」
「そろそろお目覚めのようです」
周囲が明るくなっていくのは夢の終わりの予兆。まだ亀の助言を聴いていない信勝は慌てた。
「もし悩まれるなら、私の姉上に占ってもらうといいでしょう。冗談のようですが姉上の占いは本当に当たりますから。あれで何人も夫婦の縁組みをしてるんですよ」
ただし本人の恋愛経験はゼロなので卑弥呼自身のアドバイスは聞かないように。そう微笑むと亀は消えた。
信勝が目覚めるとそこは寝室の布団の上だった。
(しまった……最近変な夢を見るって相談するつもりだったのに)
寝ぼやけた視界の上にベッドが横切る。そうだ、確か三日前から信勝は床で寝ることにしたのだ。信長は不満そうだったが「もう切らないと約束しろ」と同じ部屋にいることを条件にした。
本当はリビングのソファで寝るつもりだったがこれならなんとか……と胸から声がする。
「……なんじゃ、起きたのか」
「げぇっ、姉上っ!?!?」
「げぇってなんじゃ、げぇって」
信長はすぐ左下にいた。腕の下に潜り込む形で信勝の腹を抱いて寝ている。
「ダメです! わるい僕がやってきます! なんのために床で寝てる思ってるんですか!?」
「朝からうるさいのう……夜中に目が冴えてもうてな。試しに抱いてみたらよう寝れたわ……お前、香でも焚いておるのか?」
「香? いいえ、特に何もつけてないです」
「そうなのか? 妙に落ち着く香りがしたが」
たまたま姉の不眠に貢献できたなら嬉しい。しかし首に鼻を近づけて嗅ぐのは勘弁して欲しい。大分慣れたとはいえ邪な自分はすぐやってくるのだ。
姉弟夫婦生活は一週間目に突入していた。そしてスキンシップは増えている。わるい自分を脳内で殴り倒すのにも慣れてきた。
もう起きようと上体を起こすとそれ以上追ってこない。立ち上がってほっとすると不意に心の内がこぼれた。
「あの、姉上、僕と初めて会った時のこと覚えていますか?」
「お前のことは赤子の頃から知っとる」
「あ、いえ、そうではなく……英霊になってからです。初めて僕が幻霊として呼び出された時」
「ああ、魔神柱のやつな。思えば不思議な縁よな、やつが土方と茶々に袖にされねばお前はここにいなかった」
何気ない言葉に落ち込む。自分は本当に姉の近くにいる資格がないのだ。
「その……あの時、仰いましたよね永遠なんて無意味だって。それは姉上の勝ちで終わりました。それで……その」
「ああ、終わりがあるから生には意味があるとお前の願いを壊した……なんだ、今更恨み言か?」
「ち、違います! そうじゃなくて……その、あの……えっとぉ、三日、いや一日……二時間だけ……」
姉が永遠をいらないのはわかっている。ただ永遠ではなく数日だけ幻霊の信勝と過ごすだけの再会なら許してもらえたのか。最近、亀以外の夢をみるせいか気になってしまった。
「……なんじゃ、いうてみよ?」
「い、いいえ、やっぱりなんでもないです。顔洗ってきますね」
「おい?」
逃げるように洗面室へ足を早める。
(そんなくだらないことに時間を使えるかと言われたら、流石にしばらく笑えなくなる)
当然だとは思うけれど聞かずにすむなら言いたくなかった。
本当の気持ちは口に出さなければ本当に傷つかないですむ。
大人になって覚えたことだ。
その日の午後、信勝は卑弥呼を尋ねた。
「というのが昨日の亀くんの話したことだ。というわけで占ってくれ、卑弥呼」
「占いくらいいつでもいいわよ。ところでうちの弟なんかあたしの悪口的なこと言ってなかった?」
「ぼ、僕はなにも聞いてないぞ……ほんとだ」
必死で話を逸らすがじーっと見られる。恋愛経験ゼロの話は一言も話していないのに卑弥呼の目は「見えずとも見える」らしい。
「それより占いだ、占い。報酬はきちんと払うから……」
「報酬なんかいらないわよ。そもそも信勝くんだって報酬なしにうちの弟のこと教えてくれるじゃない」
亀の弟の夢をみた日、信長に関する用事がない限り信勝は卑弥呼の元を訪れた。ほとんど他愛ない内容だったが亀の様子を伝えると嬉しそうだったのでできるだけ報告した。まあ「腹を出して寝ないように」「貝類には火を通すように」「尋ねられていないのに未来を言わないように」と小言じみた伝言には口うるさいと唇を尖らせていたが。
「ちゃんと持ってきたんだから受け取れ……その、夢では亀くんには時々話を聞いてもらってるからいつものはおあいこだ」
「そんな硬いこと言わないで座った座った~」
差し出した食券の束が宙に舞う。強引に筋力B++に木の椅子に押し込まれると結構痛い筋力D。机の上には巨大な水晶玉や文字の掘られた木簡、杭を突き刺されたハニワなど占い屋には所狭しとそれらしいアイテムが並んでいる。
カルデアに来て以来、卑弥呼はわずかな報酬で占いをしていた。当初は繁盛していたが「当たりすぎる」「真実なんて知りたくなった」「知らなかった頃に戻りたい」などの評判で最近は客もいない。
「それでなにを占うの?」
「そ、そのどうやったら姉上との……ふ、夫婦生活がうまくいくのかを」
「夫婦?」
「いやそれは言葉の綾というか、姉上の新しい遊びというか……僕が嫌われない方法だけ分かればいいというか」
うっかり近親相姦をばらしてしまった。だが卑弥呼は「だから急に二人とも引っ越したんだ」と大らかだった。
「あたしの時代は実の家族でもまあ時々そんなこともありますよね~的な感じだったから」
「そ、そうなのか……とにかく姉上に嫌われない方法を頼む」
弥生時代っていったい。人の頭ほどの水晶に両手をかざしながら卑弥呼の眉が困惑したように下がる。
「え~? それは占いようがないよ、今だって嫌われてないじゃない。ていうか信長ちゃんは信勝くんのこと大好きだと思うけど」
「どこを見て言ってるんだ……いいから占ってくれ」
「曖昧な目的だと占いの結果も曖昧になっちゃうのよね。そうだ、もっと好かれる方法なんてどう?」
「高望みはしない、嫌われなければそれでいいんだ」
「信勝くん……そのへんが嫌われる要因だと思う。お姉ちゃんはいつもそういう弟に傷つく」
「わ、わけのわからないことをいうな……いいから早くしてくれ」
卑弥呼本人のアドバイスは受けないように。友人の言葉を思い出し、占い結果をせっついた。卑弥呼は納得いかないようだったが頭蓋骨ほどある水晶玉を両手で持ち上げる。
「じゃあ急ぐわね、じゃあ夫婦円満かなあ……きえええええええええ!!」
「うわああああああああああ!?」
急に水晶玉を両手で挟み込んで粉々に破壊する。驚いてテーブルの下へ逃げ込んむと破片を踏み砕く音が聞こえた。テーブルクロスの中でものが壊れる音に震えているとふっと静寂が訪れた。
そっと外を伺うと半壊した部屋で卑弥呼が立ったまま寝ていた。
「ぐー、ぐー……」
テーブルから這い出て卑弥呼に近づくとよだれを垂らしていた。前は呆れていたが今はこれが彼女の「託宣」だと知っている。
「はっ……来た!」
卑弥呼は目覚めると目の前にいた信勝に「紙とペン!」と言った。
夫婦円満占いの結果は「図書館東館・B18・上から三段目・左から十三~十五冊目」とでた。
「というかあんなに壊す必要はあったのか?」
「倍速にすると時々そうなっちゃうの」
「そ、そうなのか……今後は気をつける」
カルデアの地下図書館の入り口をくぐる。卑弥呼は一切迷わず「ここだよ、さっき見えたし」と進み、ある本棚の本を指さした。
「……人魚姫?」
知らないタイトルに二人は首を傾げた。なぜか近くにいた青い髪の子供が「げっ」と立ち去っていく。
「子供向けの絵本じゃないか。この本がなんの役に立つっていうんだ」
まさか邪馬台国の女王に占ってもらって絵本が出てくると思わなかった。青い表紙の本を手に卑弥呼を疑念の目で見るが彼女はマイペースだった。
「うーん、でもなんか読んだ方がいい気がする……ここに信勝くんの破局がかかっているような予感が」
「不吉なこと言うな! 別に……短い本みたいだからいいけど」
人気の本らしく三冊ある。人魚姫を二冊とって閲覧室で二人で並んだ。なになに、むかしむかし……。
人魚姫 あらすじ
人魚姫は人間の王子様に恋をしました。けれど二人は住む世界が違ったのです。
だから人魚姫は魔女と契約して魔法の薬を手に入れました。引き替えに美しい声を奪われ、王子様に愛しているとは言えなくなりました。ヒレを裂いてできた二本の足は歩く度に短剣で刺されるように痛みます。
けれども人魚姫は後悔しません。だって王子様を愛しているから……。
ようは悲恋の話だった。結局人魚姫は王子に忘れられ、助けようとする姉を振り払い、海の泡になって消えてしまう。
子供向けの絵本だったので予想以上の速度で読み終わる。卑弥呼は少し涙ぐんでいた。
「なんか……」
「うっそ、ここで終わり? なにこれ~、これじゃ悲しいだけじゃない……こんなのあんまり」
「すごく普通の話だな」
とても自然な気持ちを口にすると怪訝な目を向けられる。
「だって……好きなら自分の方を犠牲にすることは当然だろ?」
かなり異端な感想を言った自覚がない信勝に卑弥呼は眼差しを曇らせた。
「当然じゃないよ、これは悲しいお話だよ」
「そんなに悲しい話なのか、これ?」
よくわからない。確かに魔女にはハメられた気はするが……自分がなれないものに無理になろうとして自滅しただけでは?
「悲しいお話だよ。だって人魚姫死んじゃうじゃない、それを普通っていうのは違う気がする」
「お前の好きなエンディングじゃないだけだろ」
「うー、なんか信勝くんが破局する気がしてきた……なんか天から聞こえる、ああもうだめだこりゃって」
「おいっ!?」
卑弥呼は表紙に描かれた美しい人魚をなでるとどうしたものかと目線を横に流す。
「だってさあ、このお話だれも幸せになってないじゃない。それを当然っていってるとあんまり幸せになれないよ。人魚姫はもちろん、王子様だってきっと彼女が突然いなくなって悲しかったと思う」
「そんなこと書いてないだろ。王子は彼女のことなんかすぐ忘れたさ、そこに罪はないだろ」
「誰かが悪いって話じゃなくて……人魚姫だって死にたくて海の泡になったわけじゃない。好きな人に会いたくて声が潰れる薬を飲んだ。だから死んだ時は悲しかったと思わない?」
「思わない、大事な人が傷つくよりずっといい」
「マシなだけで最初に叶えたい夢が叶ったわけじゃないでしょ」
「……そりゃそうだけど」
そう言われると人魚姫の泡が物悲しく見えてくる。確かに人魚姫は最初から泡になることを望んだのではない。王子と幸せになりたかったから魔女の薬を飲んだのだ。
「信勝くん、もうちょっと王子様の気持ちを考えた方がいいわよ。残されるのって辛いことだもん。それが占いの意味だと思う」
それにしてもである。
「なんで信長ちゃんに嫌われていると思ってるの?」
二人で図書館をでると購買へ向かった。幸い人魚姫は有名な本なので売っていた。まだ半信半疑だが託宣の結果を忘れないなら持って損はないだろう。
「特別に嫌われているとは思わない……ただ、僕と姉上は住む世界が違うんだ。些細なことで嫌われてもおかしくない……そもそも日頃から僕のことはうっとうしいと言ってるじゃないか」
「あれは照れ隠しでしょ、あと急に抱きつくから。今風に言うと……ツンドラ?」
「妙な言葉を姉上につけるな」
信勝がレジで会計をすませると卑弥呼は妙に考え込んでいた
「住む世界が違うって特別な力を持つか持たないかみたいな話?」
「そうだ、姉上は特別だ。姉上には劣るがお前だってそうだろう……でも僕はそうじゃない」
幻霊の身から霊基を得てカルデアにくるとより違うと痛感する。姉はカルデアに召還されて「当然」で自分は「特例としてかろうじて」存在しているのだと。
「違わないよ、姉弟じゃない」
「違うんだ。僕が生きていた頃、姉上はああじゃなかった」
部屋に帰る足を止めて、廊下の壁に背を預けて昔話をする。
「故郷にいた頃、子供時代が終わると姉上は笑わなくなった。なにも楽しそうじゃなくなってしまった」
信長も子供の頃は無邪気な部分があったが十二もすぎると笑わなくなった。場に合わせて形だけ笑ったりもしたが「本当」に笑うことはなくなった。だって「心から」楽しいと思える人がいなかったから。
「今は本当に笑ってる……多分、姉上は今が一番幸せなんだ。それが生きている間に本当に楽しく思える相手に会えたからか、カルデアに英霊がたくさんいるからかはわからないけど」
「それでも……そばにいたい気持ちが一緒ならそれが一番大切でしょ?」
「違いすぎると一緒にいること自体が負担になってしまう。姉上と僕は笑ったり楽しいことも怒ったり悲しいことも全然違った。
昔は僕も無理に笑わせようとしたけど、かえって姉上は申し訳なさそうだった……だから特別な力を持つ者だけが負担にならず側にいられるんだ」
信勝は暗い気持ちで沖田という女を思いだした。信じられない早さで動く、信長の一番側にいる存在。姉はああいう人の枠からズレた存在が一番気兼ねなくつき合える。どうがんばっても自分ではダメ、それが生前の信勝が変えられなかった現実だった。
「だから僕は……な、何でお前が泣く!?」
「だって、そんな言われると……うちの弟もそんな風に思ってたのかなあって」
卑弥呼が涙ぐむので信勝は慌てた。信勝が姉を別世界の存在のよう言うほど、卑弥呼はもう呼ぶ名前さえ失ってしまった弟の本音はこんな風だったろうかと心揺らいだ。
「なんだよ、あいつは今は関係ないだろ!」
「だって……特別な力があるとどんなに好きでも一緒じゃ負担なんでしょ? じゃあ、あの子もあたしが負担だったかもしれないじゃない」
「いや、それはその……あいつは名前までなくして形もなくなったんだ。その時からお前と同じ特別な存在になったんだ、だから僕とは違う」
「あの子も……信勝くんが言うようにあたしは違う世界の人間だって思ってたのかしら。実は後悔とかしてたのかな」
唯一の友人の気持ちを疑われて信勝はむきになった。
「弟の気持ちが分からないやつだな、後悔するくらいなら最初からヒトの形を捨てたりしない。あいつはお前と一緒に国を守って幸せだったんだ。負担なんて思ってる訳ない」
「……あたしはいずれなにかの地位についたと思う。けど弟はちょっと夢を当てるくらいでほとんど普通のヒトだった。それなのに今は名前さえない……へらっとしてたけどあの子だって普通に生きたかったって後悔したこともあったんじゃないかな。あたしの弟に生まれなければこんなことにならなかったのにって」
「あいつは今でも僕の夢に出てお前を気にかけてる、それが答えだ」
「そうかしら……あたしは嬉しかった、女王になっても弟が側にいてくれて。でも生きている時は目まぐるしくて本当に後悔してないかじっくり話すヒマもなかった。そもそも……生きてるときにありがとうも大好きもそんなに言ってなかった気がする。伝えなかったからあたしの気持ちなんて弟は知らないかも……」
「馬鹿言うな、姉の愛が分からない弟がいるもんか!」
「……」
慰めていることは分かっていたのだが。
全ての弟を持つ姉の気持ちを代弁するように卑弥呼のチョップが信勝の額に直撃した。
巨大なこぶができた信勝はなぜか卑弥呼と二人まとめて医務室で怒られた。信勝を自室まで送る卑弥呼は手加減を忘れたことにしょんぼりしていた。
「なんかさ~、信勝くんこのままでいいの? 生きてる時、信長ちゃんに色々言えないままだったんでしょ。今チャンスじゃん、もっと好きにやってみなよ」
「……僕から言わせれば、今は十分夢みたいな状況だ」
本来は謀反人の弟で終わっていた。きっと姉は憎んだか軽蔑したはずだ。それが「姉を助けたかった」という本当の気持ちを知ってもらえた。挙げ句、霊基を得てカルデアにいる。
「卑弥呼といい英霊って不思議だな……本当は死んでるんだぞ。しかも自分で蘇ったわけじゃない。カルデアの都合でしか存在できない。それでこれ以上の欲なんか持てるか」
なにもかも……全部胸にしまって死ぬだけだった頃から見ると夢のようなのに。
「え、なんで? あたし、死んだ今からやりたいことあるんだけど。死んだ後でもやれることがあるなら、どうして生きてる時にしたかったことしちゃいけないの?」
「……別に好きにすればいいけど、お前がそんなだからあいつは苦労したんだと思う」
「え~、そんなことないわよ……はあ、信勝くん、たまには信長ちゃんにわがままの一つも言ってみた方がいいよ」
「そんな図々しいことしない」
「そういう弟にどんなお姉ちゃんも悲しい。このままじゃ信勝くんいつか信長ちゃん泣かせちゃうよ。これ巫女の託宣ね、託宣。いやなら弟らしいわがままくらいいってみなさい」
「嘘つけ、やるもんか」
「いいからやりなさ~い、災いが起きるわよ!」
「やめろ、お前がいうと洒落にならない!」
丁度部屋にたどり着くと卑弥呼の足が止まった。信勝がじゃあここでと逃げようとすると巫女の力を侮るなと散々言われる。わかったわかったというとようやく手を振って去っていく。
「……あの強い姉上が馬鹿で弱い僕のせいで泣くなけないだろ」
廊下の向こうに卑弥呼の姿が消えると口からこぼれた。まあ卑弥呼はいい人なのであとで適当に誤魔化して……いや千里眼があるなら即座に看破される? そもそもカルデアで卑弥呼ほど嘘をつくのが不可能な相手はいないのでは?
頭を抱えたまま信勝は玄関の引き戸を開いた。
「おかえり、信勝。遅かったな」
「た、ただいま戻りました、姉上!」
信長は先に帰っていた。赤いソファでクッションを抱いて寝ころんでいる。帰ってきた信勝の姿を見ると起きあがったので止める。
「いいです、いいですから」
「いいから横に座れ」
玄関で帽子とマントを外して全身の埃を払う。手招きされるのでおろおろと横に座る。
すると姉は肩に頭を乗せてくるので心臓が破裂した(してない)。体温が伝わってきて脳が爆散した(してない)。「どこにいっていた」という言葉の吐息で肺が破れた(破れてない)。
いやしてないけどとにかくどこかの臓器が爆発するレベルの衝撃だった。
(……思い上がらないようにしないと)
これは今夜終わっても仕方ないままごとだ。今日の夜「もう飽きた、明日出て行け」と言われてもおかしくない。ちゃんと笑顔で「はい、楽しかったです」という心構えをしておかないと。
(いいんだ、だって僕、十分幸せだから)
あの時撃ってよかった信勝を撃たないでくれた
……「……姉上?」……
……「やれやれ、わしもほとほと身内に甘いわ。ま、これも性というやつかの」……
他の特異点でなんども笑顔を向けてくれた。裏切り者の弟で死んだのに甘すぎる現実だった。
(全て死者の夢だとしても十分。このままごとが続いてほしいなんて願わない……本当の英霊でもない死人のくせに)
否。本当はこれ以上傷つきたくないだけ。
拒絶される前に逃げてしまいたいだけ……黙って消えた人魚の泡が脳裏をかすめる。
違うと思い切り頭を横に振る。すると勢いで姉の頭が肩から膝へ落ちた。
「ご、ごめんなさい!」
「なんじゃいきなり、まあ膝でもええか……なんぞ悩みでもあるのか?」
信長はそのまま膝枕の体勢で信勝の顔を見上げる。
「そ、その、姉上のし……し」
「し?」
してほしいことを聞いてくれた。だから信勝もしてほしいことを聞かねばと機会をうかがっていた。けれど万能の姉にたいして何ができるというのだ? と質問を先送りにしていた。
「姉上のし、ししし、し……幸せって何ですか!?」
しまった。かえって壮大になってしまった。信長は目を見開くと笑い声をあげ始めた。
「わははは! 幸せとな、それはあまり考えたこともなかった」
「そうなんですか? 意外です、姉上は日の本の全てを手に入れたのに」
「わしの生は確かに刺激的で愉快であったが、なにが幸せと言われるとあまり分からんな」
「幸せという言葉が漠然としすぎですね。それでは一番落ち着く時とか、安らぐ時とか……ぼ、僕でもなにかお役に立てることがあればなんでも仰ってください!」
「それは……気がついた時は手遅れだった」
信長は起きあがると酷く遠い目をした。その瞳はとても乾いていて、尾張の若き日に感情を隠している時と同じだった。
「その、手遅れとは?」
「……空気のようにあって当たり前だと油断した。あんな時代だったのにいつまでも帰ればいると勘違いをしていた」
信長は信勝の首に両腕を回すと体重を預けた。
「それはなにかを失ったというお話で……?」
「……わしのためになにかしたいといったな。なら帰ったらおかえりと言え、あとに帰ったらただいまといえ。他に余計なことは考えるな」
「……」
いいなと思ってしまった。そんな風に信長を悲しませることは自分にはできない。
「ひゃっ!?」
姉の柔らかな唇が頬に触れる感触に妙な声が出る。そういえば昨日から「南蛮式夫婦の儀式じゃ」と出かける時と帰ってきた時に軽く接吻と抱擁をすることになった。
例によって「唇は好きな人としてください!」「だからお前が好きだと言っておろうがこの×××が!」「そんなインスタントなライクだめです!」「めんどいんじゃお前は!」と言い合いになった末に頬で妥協することになった。
だからといって平気になれる信勝ではない。両手で顔を隠す弟に姉はカマトトぶりおってと半眼になる。
「もう二度と顔は洗いません」
「毎日洗え、ハンドソープぶっかけるぞ……ええい、お前もさっさとせんか」
出かける時にも騒動を起こしたのでさっさとする。信長の肩に手を回してがたがた震えながら抱擁する。不思議なことに姉は清潔にしていてもかすかに血と硝煙の匂いがする。
「ただいま帰りました、姉上」
「ああ、よく帰ったな……はよしろ」
信長は珍しく安らいだ目をした。姉に本当の安らぎ与えた人物はもっと安らいだ顔を見たのだろうと胸が黒くなる。
今十分幸せなのに嫉妬なんて……馬鹿馬鹿しい、そして柔らかい。
「……ん?」
閉じた目の向こうで唇に柔らかい感触。戸惑った信長の声がそれこそ口のあたりから……あれ? と閉じていた目を開くと姉の顔があった。
信勝はようやく信長の頬ではなく唇にキスをしていることに気がついた。
「す、すみません……!」
慌てて信長から離れると我が身の犯した罪の重さに震えた。
「……なんじゃ、お前もできるではないか」
信長が唇に手を当てるとわずかに温もりが残っている。
「僕はなんて、なんてことを……管制室に自首してきます!」
「馬鹿たれ! なんの罪状じゃ!?」
「だって姉上の同意もなく……これ性犯罪ですよ!」
「永遠に違うわ! またマスターに呼び出されるわしの身になれ!」
「離してください、僕は逮捕されないと……!」
走りだそうとする信勝の腕をひねってソファに押さえつける信長。弟のトンチンカンな行動を止めることにこの一週間で慣れつつある自分が複雑だ。
「そんなに裁かれたいならわしが裁いてやる、今の接吻の感想を言え」
「そ、そんなの……もう死んでもいいかなって」
「抽象的すぎる、マイナス五点」
「温かくてやわらかかったです。お疲れなのか少し荒れていた気がします。あと少しコーヒーの香りがしました。少し唇に酸味があったので昨日貰ったばかりのモカブレンドを飲んだのでは?」
「具体的すぎる、気持ち悪い、マイナス五点。合計マイナス十点だから罰を与える」
今度は信長から唇のキスが振ってくる。信勝は慌てて目を閉じ、暖かい感触が触れると少しだけ目を開けた。姉の顔は目の前で開いた目がにいと笑う。
「これで共犯じゃ」
「これじゃ……罰になりません!」
「そういう罰じゃ。だから管制室はやめろ、いいな?」
自首どころでなくなった。信勝はあーうーと呻いてソファの上をごろごろ転がっている。眺める信長は不適に笑うふりをしてわずかの上気した顔を隠す。
また妙な胸の痛み走って、また医務室にいくかと信長はため息をついた。
今朝にした落ち着く匂いと違って弟の身体からは本の匂いがした。
「というか、ちょっと出かけるといって随分時間が……ん?」
信勝がソファに放り出していた本を手に取る。真新しい人魚姫の絵本だった。青い表紙が気を引く。
「なんだこれは……南蛮の物か」
「それは……えっと図書館で読んで、興味が出たので買ってみました」
卑弥呼の占いのことは伏せる、正直恥ずかしい。ふーんと信長はそのまま人魚姫のページをめくった。速読の姉は五分で読み終える。
「なんじゃ、ここで終わりか?」
「子供向けの絵本ですから……その面白かったですか?」
最後のページを戻ってはめくりを繰り返すと信長はこめかみに指を当てた。
「人魚姫の姉も泡になったかわからんではないか」
「え……な、なんで?」
「だってそうじゃろ。人魚姫は王子と結ばれなかったから泡になって消える。なら妹を救えなかった姉も同様に泡になるはずじゃろ、同じ魔女の契約なら尚更な」
思わす視点に視界がぐらつく。人魚姫は自分の命を捨てればそれで終わりでなく姉を巻き込んでしまったのか? でも確かに人魚姫だって声を失った上に泡になって消えたのだ。
「そ、そんな酷いことになるんでしょうか? 人魚姫の姉まで泡になるなんて」
ただの感想だが共感した存在のせいで姉が死ぬという解釈に動揺する。目を反らす弟に姉はそんなに好きな本だったのかともう一度ページをめくった。
「元々そういう話じゃろ。まあ主人公が人魚姫じゃからここで終わるは是非もなしか……姉も泡になって本望だったろうさ」
「本望って……死んでしまうんですよ? そんなの悲しすぎます」
さっきの卑弥呼と同じことをいっている。彼女はこんな気持ちだったのだろうか。
「人魚姫は王子のために死んでよかった。人魚姫の姉も妹の為に死んでよかった。お互いに好きに生きただけじゃ」
「……でも人魚姫の姉は最初からそれを望んでいたわけじゃないです」
「誰も悪いことをしていないのに悲劇は起こる。そして誰のせいにもできない。最初からお互い納得ずくの話じゃろ?」
絵本を返されると最後のページの人魚姫の泡が酷く罪深く見えた。おそらく彼女は姉を巻き込んだ自覚のないまま死んだのだ。罪の自覚もなく。
「案外、姉もその方が幸せかもしれんな。残される痛みを味あわないですむんじゃから」
「……姉上も、そういうご経験が?」
一瞬だけ信長は鬼のような目をした。けれどすぐに元に戻ったので信勝は目の錯覚だと思った。
「あの時代を長く生きればそれなりにな。お前は……早かったから逆に知らんのかもな」
そうか早すぎたからかと信長はじっと弟を見つめた。
「いただきます」
夕食は食堂のテイクアウトだった。ハンバーグの乗ったカレーをダイニングテーブルを挟んで食べる。科学とやらは凄いものでデンシレンジという箱にいれるだけで出来立てに戻る。
「信勝、お前は無理に辛口を頼むな。辛いなら中辛にしろと前に言っただろう」
「ぼ、僕は姉上と一緒がいいんです」
言いながら混ぜている米の量が信長の倍以上ある。
「カレーの辛さとか一緒にしてどうする、うっとうしい」
「どうせ僕はうっとうしいですよ」
なんとか半分を食べたところで三杯目の水を注ぎに浄水器へ向かう。
「今日卑弥呼が変なことを言ったんです。弟なら時々は姉にわがままを言った方がいいとか……もちろん姉上はおいやですよね?」
「卑弥呼か、お前たちたまに会っとるようじゃがあれはなんじゃ? 弟のわがまま……お前、そんなわがまま言ったことあったっけ?」
「亀くんの夢、というか睡眠時の会話ですね。そういう日は報告だけはしてるんです。僕って子供の頃は結構わがままだった気がするんですが……たまにだと嬉しいんですか?」
幼い頃は姉の袖にしがみついて話をねだってばかりだった。
「お前たちまだ会話できとったんかい、霊基が融合してるからってそういうもんかのう。
わがままのう。お前は明治で再会してから傍若無人のような顔しておいて、自分の気持ちを口にせんから、わがまま言われた方がまだ分かりやすいとも言えるが……そういえば今朝はなんじゃったんじゃ? 急に魔神柱の話などして聞きたいことがあったのではないか?」
信勝はとっさに忘れたと言おうとした。嘘をつけば本当の気持ちは傷つかないですむ。今幸せなのに波風なんていらない。
けれど人魚姫の泡が「自分のことしか考えていないのではないか」と囁く。横で卑弥呼が「今死んでるから諦めるなんてしたくない」と言った気がした。
「その……あの時……もしも」
嘘をつけばいいだけの口が勝手に動く。舌がもつれてうまくしゃべれない。けれどなかなか口を開かない弟を信長はじっと待ってくれた。
「もしも……あの時、魔神柱や永遠と関係なく三日、いえ一日だけでも……ただ幻霊の僕と再会するだけなら叶えてくれましたか?」
言ってしまった。お前との時間なんかいらないという否定の言葉を予測して身体が固まる。
「なにをいうかと思えば……そりゃ再会するだけなら願いを叶えるじゃろ」
「本当ですか!?」
目端に涙がにじんだ。よかった。永遠がいけなかっただけで自分そのものを二度と見たくないのではないのだ。
(ありがとうございます、報われました)
本当の気持ちは口に出しても大丈夫なこともある。きっと大丈夫、これからきっと亀が言ったように自分は姉の助けになれるはず。
「そうじゃ、ただ再会するならそれは受けた。だた……」
「だた、なんですか?」
信長はらしくなく弱々しく見えた。目の錯覚だろう。姉はすごい人だ。強く聡明で勇敢。自分のようなくだらない弱さなど一欠片も持つはずがない。
「今は……三日は少し、短い」
夜中キッチンのシンクに水滴が弾けるような小さな声だった。
「すみません、よく聞こえなくて……なんて言いました?」
「いや、なんでもない。とにかくただ再会するだけなら喜んださ」
「……喜んだ、ですか?」
「また会いたいと思ったもんに会えるんじゃ、そりゃ喜ぶじゃろ」
「……?」
どうしても姉が何を言っているか分からなかった。
そのまま食事を終えた。シャワーを浴びて、布団を敷くと枕元の私物を並べる。彼を忘れないための亀のぬいぐるみの横に人魚姫の絵本を置く。
「どうして人魚姫の姉たちはリスクを犯してまで彼女を助けようとしたんでしょうか?」
ベッドの上の信長はまたその話かと苦笑した。
「これただのわしの感想じゃから、解釈を深堀りされてもなにもでんぞ。
まあ、両方助かるか、両方死ぬか。極限の選択に正解もない。その上で妹だけ死ぬより一緒に死んだ方がマシじゃから好きな方を選んだだけじゃ」
「だって……人魚姫の勝手な願いの結果ですよ」
ベッドの上から見下ろす信長はほのかに悲しみを滲ませて諭す。
「さっきも言ったがお前は死ぬのが早すぎた。死なれるというのはな、時にはこっちが死んだ方がマシなもんじゃ」
強い姉らしくない弱々しい目。
自分には価値がないはずだから除外していた可能性。
だから今までの信勝ではあり得ないことが脳裏に浮かんだ。
「……どうした?」
「いえ……ぼうっとしてしまって。疲れているのかもしれません、妙なことを考えてしまって……」
もしかして。
自分が死ぬことで姉は悲しんだのではないか。
そんな馬鹿げたことを思い浮かべた。
(ありえない)
信勝は二度も裏切った弟だ。二度殺そうとした相手を憎んだり軽蔑すれど悲しむはずがない。
「ああ、そうじゃ……こういえばいいか。人魚姫の姉は人魚姫が好きじゃったんじゃ。だから残される痛みを味わいたくなかった」
「……好き?」
自分の話じゃない。ただの絵本の感想だ。人魚姫と姉の話で関係ない。姉は自分のことなど好きなはずがない……生前一度も彼女を本当に笑わせることができないくせにつきまとっていた無能で足手まといの弟のことなんて。
「……ふふ、懐かしいのう。おとぎ話を読んでお前と話す日がまたくるとはな」
昔を大切なもののように語られてまた頭が白く停止する。子供の頃が一番大切なのは信勝だけ。信長は二度も謀反を起こした弟との思い出などすぐ捨てたに決まっている。
でも、もし……万が一。
信勝が死ぬことで信長が悲しんだり、辛い想いをさせたなら。
「せっかくなら童のように共にお伽噺でも読むか。ほら、灯りを持ってこい。読み聞かせてやる、昔のように」
信長が信勝の布団にもぐりこむ。信勝が慌てて飛び出るとそれでも信長は愉快そうに笑う。
「ははは、昔は喜んでひっついてきたのに逃げおって。お前は子供の頃のようでそうでない。それなのに……なぜ昔と同じ匂いがするのか」
そんな風に大切そうに思い出を語るのはただの気まぐれのはず。
(嘘だ、僕のことなんかすぐに忘れたはず。馬鹿で無能で生まれなかった方がいい僕がいなくなって、姉上が悲しんだはず……辛かったはず……ないだろ)
彼女を悲しませたとしたら。
自分の人生は一体なんだったのか。
その昔あったこと
その晩、信勝は悪夢をみた。いや、夢ではないのかもしれない。だってそれは全てかつてあってことなのだから。
それはこんな出来事だった。
尾張の外れにある城の大広間で秘密の宴会が開かれている。信勝は当初この宴会は半分以上が当日になって欠席を言い出すと思っていた。
だが予測は外れた。
(想像以上に数が多い)
影から信長への謀反の計画を囁いてから三ヶ月ほどのこと。陰謀の酒宴の席に集まった数は想像よりずっと多かった。
(……なんで僕に期待するんだか)
愛想笑いの裏で信勝は戸惑っていた。演技は得意な方ではないから集中しなければ。姉を侮る弟のフリをしないと根こそぎ彼らを殺せない。
「信勝様、あなたがいてよかった。信長様は駄目じゃ、慣例というものをわかっていない」
「……あはは」
宴の中心はちゃんと笑っていなければ。こんなに馬鹿がいるなんて姉は気の毒だと思った。けれど同時に恐れた。
信長は神になれる才を持つ。でも一人の人間だ。大量の矢を受ければ死ぬし、それは大量の刀や火縄銃でも同じ事だ。どんなに才能があっても数の力で肉体ごと殺してしまえば死ぬのだ。
この酒宴に集まった人間の数だけ信長は刃を向けられている。
(僕は馬鹿で姉上はすごい。こんなに当たり前のことが見えていないのか? ああ、だからこいつらは馬鹿なんだ)
問題は馬鹿でも集まれば力を持つことだ。姉は現状に固執する連中には目障りだと思われている。そして女だ。父が遺言で後継者に指名しても、前例に固執する連中からは強い反発はあった。
(僕はなんて呑気だったんだろう)
思えば自分は恵まれていた。
戦乱の時代に大名の子息に産まれ、母から愛され、愛する姉がいて満たされていた。食に困る人が大半の時代に衣食に不足したことはなく、高度な教育を受けたのに世間というものを知らなかった。
結果、信勝が人の悪意に気づくのは父の死後となる。
その結果がこれ、馬鹿たちは調子に乗って男子だとか御しやすいとか寄ってきた。あなたがいてくれてよかったと言われる度にいっそ生まれなければよかったと思った。
「あなた様がいなければ我々はあのうつけの言いなりだった」
「やはり跡継ぎは男子に限る」
「どうかあの目障りな女を討ち取ってください」
そう言われる度に知った。
(知らなかったんです、姉上。僕がいるだけであなたが悪く言われていたなんて)
信勝にとって信長は世界の全てに等しく。
己の非才が彼女に相応しくないことに泣くことはあっても。
自分のせいで彼女が貶められるなんて想像したこともなかった。
(だから殺す、馬鹿のお前等も足手まといの僕も)
案の定、謀反の計画を匂わせると菓子の匂いにつられた蟻のようにわらわらと寄ってきた。
「信勝様?」
「……ええ、この信勝、みなと同じ気持ちです」
わぁと歓声が上がる。……この部屋の人間全ての両目を抉って、心臓を抉り、痛めつけて殺してやりたい。
自分が姉への反旗になる? 姉の敵は自分の敵だ。なんて馬鹿な連中。馬鹿は死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……お前等も自分も死ね。
(大丈夫です、僕だけはずっと姉上の味方ですから)
心は鬼、顔は穏やか。そのまま信勝は微笑んで宴を続けた。
……「本当にいいのか?」……
もう一人の自分が耳元に小さく囁く。無視する、耳を塞ぐ、心を閉ざす。それでも囁きは続いた。
……「謀反を起こしたら姉上にこいつらと同じ、姉上を女と馬鹿にしたやつと同じだと思われて死ぬんだぞ? きっと昔の思い出だってあんなやつの思い出と捨てられてしまう、死んでしまえば本当は味方だってことも伝えられない。きっと憎まれるんだ」……
うるさい。
うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。うるさい!
見返りなんていらない。
裏切り者、恩知らずと思われても平気だ。
(僕だけ、僕だけ姉上を好きならいいんだ。好きになってほしいなんて望まない。僕が好きでいられればそれだけいい。ありもしない姉上の気持ちはいらない! どうせ笑わせること一つできなかった、なんて思われたって構うものか!)
……「うそつき」……
嘲笑して夢は消えた。
つづく
あとがき
六章とドラクエやってたら三週間経ってた。
卑弥呼と信勝のノリが普通の姉弟だろうなって思った(これは割と仲良し)。二つの姉弟、どちらも普通とは縁遠いからこれが普通とはお互いに気がつかないだろな。
人魚姫だけの話だったのですが「そうだ魔神柱の話も足そう」と長くなってしまいましたがお話的に動いたのでまあいいか。「愛は最初からそこにある、君が気づくだけ」という話をやるならこれは遅いか早いかだけなので。
3話といえばマミさんなら死んでしまう話数だからいいや(?)。
信勝は沖田にもサルにもなれない話。「頑張っても一番なりたいものになれなかった者が自分に心底がっかりしたあとどう生きていくか」という話は好きですが、信勝レベルで「なれないなら死んだ方がマシ」くらい激しい想いだとどうしたもんかなと思ったり。
子供の頃は「自分はいつか姉に相応しい弟になれる」と信じていたんだと思います。絆礼装のテキスト真ん中あたり見ると「姉を馬鹿にする奴らを皆殺しにする」前に「姉に相応しい才能がないと自分に絶望」しているんだろなとぼんやり思ったり。
余談ですが亀くんの呼び名はなんか悩みました。恩人に一般名詞的な呼び捨てはちょっと、亀殿もなんか違和感、ならくんづけくらいが丁度いいかなと……。
次はなんかお話を大きく動かそうと思います。
書いてて「掘り下げが足りないのでは……?」と思ったので次回更新はちょっと先になります。単発の織田姉弟のお話とか書いて自分を見つめ直してきます。
2021/06/26
どうでもいい設定とか徒然とか
ノッブ
カリスマでうつけって矛盾した性格? をしているのでいつも書くときバランスが気にしてます。
「ノッブはうつけでカリスマでメタギャグキャラなんだよ。全てはメタ、コハエースは考えるな感じろ」
VS
「信長はカリスマ系戦国大名だからいつでもすごいし、失敗なんてしないし、くだらないことで心動かしたりしない」
VS
「そういうカッツとミッチーのダメな所を抽出したのはダメだよ。沖田さんのように「ノッブなんて大した大名じゃないんだからつまらないことで泣いたり笑ったりするでしょ」くらいで~」
みたいな脳内戦争の中でノッブを書いてます。
カッツ
人魚姫に共感しちゃう系男子。
本編でもっと病んだキャラ路線になったら亀が頻繁にカウンセリングしてるので割と情緒が安定しているということにしてください。
姉が好きと自分が嫌いという気持ちが脳内の大半を占めています。マスターと亀くんは普通に好きで卑弥呼は亀くんの代わりに気にかけ「唯一の友人の姉」のように接してる。
信勝のせいで検索履歴が「愛を信じられない ノウハウ」「人を信じられない 心理」「自分が嫌い 解決方法」「心の防衛機制」みたいになっちゃうんだぞ。
卑弥呼
占い屋は大分力を押さえてやってるので四回に一回だけ外れます(75%的中)。
顔見知りはみんな友達タイプなので信勝のことは友人だと思っている。同時に「そうか……弟って生き物はこういうことを考えて日々生きているのか」みたいな目で見てもいる。
信勝とはぐだぐだメンバーの属性・混沌善仲間でもある(お竜さんもそう)。
人魚姫
アンデルセンはバドエンの天才。マッチ売りの少女も鬱くしきバドエンだけど、ある母親の物話もなかなか。もみの木は身につまされる。
絵本だと泡になって消えるところで終わっちゃうことが多いのですが、原作? だと風の精になって人間の魂を得るとこまでやってる。そっちだと王子は結婚した王妃と行方不明になった人魚姫を必死に探してました。姉のその後は特に書いてません。
人魚姫としっかりもののスズの兵隊はどっちにするかちょっと悩んだ。