夫婦ごっこ 5 ~離ればなれ~







【嫉妬心その①】



 倒れた信勝を見て思い出したのはソフトクリームのことだった。ポイントカードは次で全て埋まる。そうして手に入れた景品は確かに二人で過ごした日々を証明してくれる……はずだった。

(そんな……あと少しだったのに)

 血に濡れていたせいか信勝の顔はよく見えなかった。けれど信長に似せた帽子とマントは間違いなく信勝のものだった。そしてその胸には間違いなく日本刀が突き刺さっていた。よく見れば全身に刀傷がいくつもある。

「信勝……おい?」

 信長はふらと数歩信勝に近づいた。広場には信長と牛若丸、そして血塗れの信勝が倒れている。三人以外は見あたらない。

 いや、もう一人いる。柱の影だ。

「信長殿、そのまま進むのは危険です! 誰かいます!」
「……気付いたか」

 ふらつく足取りの信長を牛若丸が右手で遮った。信勝が倒れているすぐ傍の柱からぬっと影が現れる。仮面に和風の装束。信長と同じアヴェンジャーの平景清だった。

 信長の様子がおかしいと牛若丸はあえて身を乗り出した。それに不本意だが景清なら自分の方が縁が深い。

「貴様、平景清か! なぜここにいる? まさかそこに倒れている信勝殿はお前がやったのか!?」
「さて、どこから説明したものか」

 ばんと銃声が響く。景清が一歩左に退いくとさっきまでいた場所を鉛玉がえぐる。信長が火縄銃を宙に顕現させ、撃ったのだ。

「信長殿! もう少し話を……」
「話なんぞ必要あるか、どけ。まだ息があるかもしれん」

 信長は顔色が一層白くなっていた。声色は酷く静かで逆に激情を感じさせた。牛若丸は迷った。景清を庇う理由は自分にはない。けれどなんだか妙な予感がした。

「そこな女、お前はもしやこの少年の姉か?」
「そうだと言ったらどうする?」

 身体に貯めた魔力をいつでも攻撃に使えるよう信長は構えた。けれど景清はすっと軽く頭を下げて、信長への道をあけた。

「……どういうつもりじゃ?」
「いや、この状況でわしが下手人と思うのはいた仕方ない……見て貰った方が早いと思ってな」

 信長は戸惑った。信勝を刺したのは景清ではなかったのか? こちらの油断を誘っている? 牛若丸は刀を抜いて景清から信長を庇う位置で構えた。

「信長殿、どうぞ弟君の方へ。背中は私は守りますから、景清の好きにはさせません」
「……ちゃんと守れよ」

 なんにせよ信勝の身の安全が一番だ。信長は警戒を解かず、背中を牛若丸に預け駆け足で信勝の方へ近づいた。

「信勝……信勝! 返事をしろ!」

 現場は凄惨なものだった。見慣れたマントと帽子が血で赤黒く汚れている。全身の切り傷を見ただけで全身の血が凍る思いだった。胸に刺さった刀は貫通して背中に刃先が見えている。

 信勝に息があるか震える指先で体をまさぐった。信勝は本来カルデアに召還される英霊の器ではない。もし霊核まで壊されていたら、二度と召還されない可能性が高い。

(そんなあとたった一回だったのに)

 絶望が身体からわき上がるほどソフトクリームの景品のことばかり脳裏に浮かぶ。

 すぐに医療室へ……そんな気持ちで信勝の傷口を確かめる。そしてその手応えに違和感を覚えた。寝所を共にするようになって何度も触れた信勝の身体。それはこんなに軽かったか? こんなにふわふわしていたか?

「これは……人形?」
「否、我が痣丸の幻術なり」

 景清は流れるような動作で信勝の胸から刀を抜いた。その刀、痣丸を用いて霧の妖術を操る。それが景清のスキルの一つだった。

 刀が抜けた瞬間、血塗れの信勝は紫がかった黒い霧となり散った。身体はもちろん血の一滴も残らない。残ったのは信勝の帽子とマントだけだ。

「これは幻だ。お前の弟は無事だ」
「……なんじゃこれは。わしを惑わすのが目的か?」
「すまなかった、わしの落ち度だ。願いに目が眩んでしまった……本物は今自室へ送り届けられている」

 安堵で崩れ落ちそうな膝を何とか留めつつ信長はなんとか景清を睨みつけた。横にいる牛若丸は目を丸くしていた。下手すると殺人事件だと思っていたのだがどういうことなのだ。

「景清、これはどういうことですか? 例え信勝殿を刺していなくてもこういうことはカルデアのルールに反します」
「……お前たちはあの女には会っていないのか?」
「おい、平景清とか言ったな。信勝は無事でその後送り届けたと……誰が送り届けたというのじゃ?」

 ぎらりと信長の目が光った。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 信勝は首を傾げて歩いていた。横にいる人物は静かに微笑んでいた。

「なんであの人、僕のマントと帽子なんか欲しがったんだろう。別にいいけど、僕から離れていれば数時間で消えちゃうのに」
「さあ? いかにも和風な方ですし洋服が珍しかったんじゃないんですか?」

 隣を歩くのは長尾景虎だった。酔っぱらった信勝は酩酊が深すぎたのか離れた廊下で景清に介抱された。水を与えられて話をしている内に長くなってしまった。

 景清とは随分変な話をした。


……「慕う理由がない? 自分は死んだというのに? ……やはり分からぬ」……
……「別に分からなくていい。ただお前が僕の考えたことが気になるなら言っただけさ……ほとんど出会った頃から決めていたんだ。姉上の為なら何も惜しくはないって、まあ運命みたいなものさ。源義経もそうだったんじゃないかな」……
……「運命だと、本当にそれでいいのか? 命を失い、相手から気持ち一つ帰ってこなくても運命の一言ですますのか?」……
……「ただ運命と受け入れたんじゃない、僕は望んでそう『なった』んだ。姉上が僕をどう思おうと僕は命を懸けてもいいことに出会えて幸せだった……ま、これはあくまで僕の話で源義経がそう思っていたのか本当のことは分からないけど」……


 本当に変な話だった。姉に尽くすのは自分にはあまりにも当然で、改めて説明するとあまりうまく言葉にできなかった。源義経のことだって、そんな真の英雄の気持ちを分かるなんて図々しい。けれど……例え他人のことでも見返りがなくとも全てを尽くしたい、我が身など惜しくはないという気持ちは同じではないかと思ったのだ。

(……それに姉上を一番理解できているのは僕だし)

 例えかつて必要とない存在だったとしても自分が尽くしたことは彼女の小さな力になれたはず。だって信長を理解しているのは自分なのだから……。

 そんな長話をしている内に景虎がやってきた。景虎の「姉が探しているから来い」という言葉に素直に信勝はあとをついてきた。

「お前たち、親しいのか?」
「平景清ですか? いいえ、戦闘で会うことはありますが、話すのはここ最近だけですよ」
「ふぅん」

 信勝が帰ろうとしている時、二人はなにやら話し込んでいたように見えた。信勝が声をかけると景虎はあっさり振り返ったので大した話ではなかったのだろうが、振り返った景虎の顔は少し冷たかった。

「私たちのことが気になりますか?」
「別に。ただなんというか……喧嘩でもしたのかと思って」
「喧嘩? なぜですか」
「……だって」

 今のお前、いつもより少し怖い。そう言うことがはばかられて信勝は歩くスピードを上げた。そうして進むと姉と住む自室の扉が見えてきた。

(姉上)

 いつもより遅れて怒っているだろうか。無意識に口元が笑う。そして姉の声がした。

 ただし二人の部屋からではなく、逆の方向から。

「動くな」
「おやおや、これは穏やかではありませんね」

 がちゃりと火縄銃の音がする。信長が景虎の後ろに立っていた。その手に火縄銃を構え、引き金に手をかけている。

「姉上! ど、どうしたのですか!?」
「無事か……全くお前は、肝を冷やしおって」

 信勝の安否を確認した信長にはさっきまで失われていた余裕が戻ってきた。にやりと笑い、景虎の様子を探る。銃を突きつけられた景虎はただ静かに笑っていた。

「その様子では景清殿から全てバレてしまったようですね」
「あやつの方が利口だった、愚かなのはお前じゃな……さっきの言葉は嘘か? わしの気持ちも分かった気がする、とか抜かしておったが」
「もちろん敵を欺くにはなんとやらですよ。私にあなたに同情する理由は一つもない。……それでどうしますか? やりあうならここでやりますか?」

 がん! と景虎は腕で火縄銃の銃身をずらし、槍を顕現させて信長へ向ける。ピリと殺意がひりつく感覚が心地いい。戦闘は生き甲斐の一つである景虎にとって避けるものではない。まして信長ほどの腕の持ち主ならば。

「姉上!? これはどういうことですか」
「信勝、少々じっとしておれ……こやつと平景清が共謀したんじゃ。お前が死んだ幻をわしに見せるというな。なあ、そうだろう?」
「正確には死んだではなく瀕死という設定でしたが、まああなたが最終的に私に矛を向けるのは変わらなかったでしょうね」

 景虎とてこの計画がどう転ぼうと信長との戦いが避けられないことは分かっている。うまくいってもいかなくても信長は激怒する。

「僕の幻……?」

 信長は信勝に視線をやった。そこから動くなと。幸い景虎の意識は信長の方を向いている。

「さて、信長、どうしますか? この場で戦うもよし。マスターたちに配慮してシュミレーターに移動してもよし……戦う場所くらいはあなたが決めていいですよ」
「それが目的か? 今回のお前の目的はさっぱり分からん。分かりたくもないが……戦闘狂のお前らしくこうすればわしと戦うことができると思ったか?」
「ええ、あなたには分からないでしょうね。分かるなら最初からこんな計画立てていません。……それにこうして全力のあなたと戦うのは悪くはありません」

 信長はなぜか満足そうに笑った。

「そうか、そうか。それはそれは悪いことをしたな」
「……?」

 景虎が怪訝に思うと後ろに回り込まれた。信長にではない。彼女は目の前にいる。それは背後に現れた牛若丸だった。愛刀の薄緑を抜いて景虎の首筋に突きつける。

「神妙にしなさい! あなたのしたことはカルデアにバレています!」

 流石に景虎の目が丸くなっているとぞろぞろと信長の後ろからサーヴァントたちがやってくる。

「これは……マスター?」
「景虎さん……どうして?」

 そこにはマスターの立香もいる。通知音がなって景虎の前にダ・ヴィンチちゃんの映像が立ち上がった。

……「長尾景虎、君の行動はすでに織田信長から伝えられている。カルデアのルールに抵触する行為だ。反省のために対サーヴァント用の謹慎部屋にしばらく入って貰うよ」……

 淡々とした言葉にくくっと信長は笑った。

「お前のことだ。事実を知ればわしが斬りかかるとでも思っていたのだろう。そうしたいのはやまやまだが戦好きのお前にそれでは褒美になってしまう」
「……あなた、チクりましたね」
「チクるとは人聞きの悪い。これでもわしは品行方正なサーヴァントでな。カルデアのルール違反は真っ先に上に報告させて貰ったまでよ……なあ景清?」

 信長の後ろから景清がぬっと現れる。むっと景虎の口が尖る。

「すまんな」
「ほんと、言行一致してほしかったものです。私がバレてあなたがバレていないとは思っていませんでしたが先に自首していたとは。まああなたの言葉を考えれば早いか遅いかだけだったでしょうが」
「そもそもわしがお前の話を受けなければよかった……わしと同じく大人しく謹慎部屋にいってくれ」

 すっと立香が一歩歩みでた。その目には怒りではなくただ悲しみがあった。

「ダ・ヴィンチちゃんは自首した景清さんは景虎さんより短い期間でいいって言ってたんだけど、景清さんは景虎さんと同じ期間の謹慎を望んでる……景虎さんなら分かるでしょ、この状況は詰めだよ。大人しくして欲しい」

 確かに詰めだ。悔しいのはこの詰めの状況を作ったのは信長ということ。後ろの牛若丸を含め、五名のサーヴァントが景虎を用心深く見ている。

 景虎は考えた。目の前のマスターは令呪をきることさえ考えているようだ。……十秒考え、大人しく両手をあげた。ダ・ヴィンチちゃんの顔が微笑む。

「分かりました、降参します」

……「理解してくれて助かるよ、量刑は少し短くしておくね」……

 あまりにダ・ヴィンチちゃんがケロっとしているので景虎は少し面食らった。反乱とまでいかなくても規律違反だ。けれど同時に善悪秩序混沌が闊歩するカルデアを束ねる一人としてはこれくらい慣れっこなのかもしれない。

 大人しく景虎が両手を前に出すと不可視の力場が手錠を形作った。景清にないのは自首したからか。実際大人しい。景虎も今更抵抗する気もない。

 信長が嫌みの一つでも言ってくるかと視線で探すと信勝の所にいた。未だ戸惑っている弟に姉はなにやら言葉を交わしている。信長の顔は分かりにくいが心底安堵していた。

(彼にも悪いことをしましたかね)

 むしろ信勝に対しては親切心くらいの気持ちだったのだが。

「あの、姉上、僕の幻って一体?」
「お前の死んだ幻をわしに見せるという計画だったらしい」
「そんな、そんな幻見せてどういう……」
「さあな、わしを挑発して本気で戦いたかったのやもしれん」

 結局、元の鞘に収まる。最初からそういう二人だったのだろう。景虎には最初からそういう存在はいなかった。

 納得できない信勝は景虎に近づいた。

「おい、本当なのか? 僕の死体を姉上に見せるつもりだったのか?」
「おやおや、気になりますか?」
「当たり前だろ! どうしてそんなこと……」
「あははははははは! ……そうですね、あなたへの親切心ですかもしれません」
「そんなわけないだろ! ほんの数回酒を飲んだだけの僕にお前が親切なんてするもんか」
「もしくは信長への親切心ですかね……あなたたち二人とも目障りだったんですよ。姉が好きとか、自分は嫌われているとか。言いながら行動は仲良しこよしでうっとうしい……弟殿、あなた以外知ってる信長の秘密を教えましょうか?」

 景虎は手の平一つ分だけ信勝に近づくと大きな声で耳打ちした。

「信長はね、あなたが好きなんですよ。必要としているんです。そんなの私だって分かる。……それなのに好きなのは自分だけでいいとかあなたはうっとうしい。だから見せてあげるつもりだったんですよ、あなたの死体を目の前に信長が泣いてすがるところを。それくらいしないとあなた分からないでしょう」
「……は?」

 信勝は一瞬目を丸くして、そしてすぐ顔に怒りをにじませた。

「失礼なことを言うな! 姉上が僕なんか好きな訳ないだろう! 僕のことを一度だって必要としたことなんてない! 強い姉上がどうでもいい僕が死んだって睫毛一つ動かすもんか!」

 ぱぁんと平手打ちの音が炸裂する。とっさに目を閉じた信勝が目を開くとそこには怒りを滲ませた信長が立っていた。

「お前はどうして……どうしてわからんのじゃ!」
「……姉上?」

 彼女が傷ついた表情を他人に見せるなんて初めてのことだった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


【長尾景虎の証言】


 数日後の謹慎部屋となりの取調室で行われた会話。


 ……動機ですか? 嫉妬ですよ。誰へのって信長へのです。

 私がそんな風にいうのは意外ですか、マスター? けれど実際そうなのです。

 ならどうしてこんなことをした? 実は自分でもよく分かっていないですよ。なにしろ嫉妬なんて生まれてはじめてですからね。さて、どこから話したものですか……。

 私は信長が羨ましかった。私と同類のくせに理解しようとする弟がいる。当たり前に理解しようとする家族がいる信長が妬ましかった。父も兄も姉も弟殿の十分の一だって私を理解しようとせず、ただ畏れ、崇め、遠ざけた。理解が及ばずとも理解しようと努力すること最初から諦めてしないのでは随分違うのだと私は弟殿との会話で知ってしまった。

 だから許せなかったのです……のだと思います。戸惑わせてすみません、なにぶん何もかも初めてなもので。

 家族には疎まれました。父にお前は人間でないと寺に追い出されました。寺でも人のことは理解できないと思い知らされましたが、師匠だけは理解しようとしてくれた。

 ……おや、私にも理解しようとしてくれた者がいたのですね。なぜか今になって分かります。弟殿の語り口を聴いたせいでしょうか。だから私は師匠の教えを長く守っていたのでしょうか。

 まあ師匠は家族じゃありませんが。

 戦ばかりの世なので家に危機があると私も戦にでました。負け知らずでしたよ。どうしてあんなに人が弱いのか未だに理解できません。

 時が経つと兄が病弱なため、私には当主のお鉢が回ってきました。兄は私を立てるようなことを言って、影では私は人ではないと怯えていました。姉も優しいのに、影では震えていた。死んだ父も兄弟たちもただ怯えていた。私は傷つけようと思ったことなどないのに。

 そうだ、信長に嫉妬した理由の一つはそれです。弟殿は信長をちっとも恐れていないのです。力の差は知っているのに平気で近づく。

 父も兄も姉も、私に平気で近づいたことなどありません。

 理解できないことと理解を放棄していることには大きく差があるとは思いませんか? 理解しようと無理であることとどうせできないと最初から遠ざけることは違うと思いませんか?

 ああ、どうしてこんなことをしたのでしたっけ?

 私は弟殿の話を聴く内に思ったのです。どうしてこの人は信長は自分を好きでない、嫌われていると思っているのだろう。どうしてそれは自分の非才のせいだと自分を責めるのだと。

 私はだんだん悪いのは信長の方のように思えました。弟殿はしょっちゅう好意を示しているのだから時々は同じように示せばいいのに。食事の時に別の席に座ろうとしなければいいのに。もっと笑えば弟殿にも気持ちが伝わるのに。私だったら兄上や姉上がそうしてくれたら喜んで気持ちを返したはずなのに……。

 信勝殿の話を聴くほど、今まで何とも感じなかった日頃の信長の態度が憎らしく思われました。なぜ自分から傍に来てくれるのにうっとうしいなどと言うのか。なぜあっちへいけなどというのか。そのくせまた傍に来て当たり前の顔をしているのか。

 憎く思うほど私は考えました。信長は堕落した贅沢者なのではないか。理解しようとする特別な家族がいることが当たり前になって怠惰になっているのでは。

 だからあんなに私が与えられなかったモノを与えられても気軽にそっぽを向くのではと。

 え……? 信長は反省して夫婦生活を始めた? いやですね、主殿。私をからかっているのですか? 姉弟は夫婦になれませんよ。あれは単に二人の部屋が同じなだけでしょう。え? ここではそういうのは気にしない方向? なんですそれ?

 そして私は悩みました。もしくは信長は弟を嫌っているのではと。親しげにしているけれど、図書館の本によると弟殿は謀反を二度起こしている。そうでなければ私が欲しかったモノをああも悪し様に扱わないのでは。

 そうか……私は欲しいものが悪し様に扱われていると信長を憎く思ったのですね。失礼、今気付きました。

 そんな風に思っている内に平景清と話をすることがありました。私が弟殿と何度か飲んでいたら向こうから興味を持たれたようです。弟殿がいつものように酒を飲んで帰った時に酒場で話しかけられました。

 景清殿も信勝殿に興味を持っていたようでした。なぜ殺されたのに姉を慕うのか。自分の肉体である源義経の感情を理解できないことに悩んでいました。なぜ殺されたのに兄や姉を慕うのかと。

 その時私はこの計画を思いついてしまったのです。

 私は景清殿にこう囁きました。弟殿は姉にいつも好意を示すのに冷たく扱われている。けれど私の見立てでは信長は弟を態度にしめさないだけで可愛がっている。だからその痣丸の妖術で姉弟仲良くできるよう一芝居うってみないかと。

 景清殿は戸惑いました。姉弟仲良させることに自分に何の利があるのかと。けれどどうしても肉体の宿主を理解したい故に「もしそれで少しでも義経が理解できるなら」と最終的には承諾しました。

 カルデアのルールには抵触するとは理解していました。

 けれど私は悪いことをしたとは思っていません。だって弟殿は眠っただけ。信長はひやりとしただけ。誰も傷つけていません。毘沙門天の化身として恥じる行いはしていません。

 だってやるのは信長の気持ちを少し正直にしてやることだけです。怪我をして倒れた弟を見て、信長がどんな反応をするか弟殿にこっそり見せるだけ。本来は歴史に名を残さなかった弟殿が退去する、なんてことが起きたら再召還の見込みは薄い。最悪泣いて遺体にすがると予想していました。いくらへそ曲がりの信長でも本音を見せるはず……もし謀反のことで嫌っているならけろりと冷静、もし好いているなら動揺するはず。

 おそらく動揺すると踏んだ私は自信満々でこっそり弟殿の酒にサーヴァントにも効く眠り薬を混ぜました。

 信長の心はどうなる? そんなことを言い出したら、日頃の態度だって褒められたものではないのですか? 弟殿と話した私の心だって……。

 しかし計画は失敗しました。土壇場で景清殿が心変わりしたのです。

 わずかな時間、信勝殿と話してやはり止めようと。一体何を話したのやら。本当に他人の心は分からない……マントと帽子の魔力の残りから信勝殿の幻まで作っておいてぎりぎりでやめると言い出すなんて。

 とにかく景清殿のスキルがなければ計画は実行できません。私は数度彼を詰りましたが、彼の協力がなければ計画は失敗です。最後は諦めて弟殿を部屋に送り届けることにしました。そしてもう少しという所で信長に銃を突きつけられたわけです。

 景清殿からバレて、信長があなたにバラし、こうして謹慎部屋にいるわけです。信長らしいやりかたです。戦いという私の楽しみを与えない。

 話というのはこれが全部ですよ。私が愚かだったというだけです。……マスター、どうして泣くのですか?



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



【知っていたのに目を反らしていたこと】



 信勝は腫れた頬に手もやらずぼうっと立っていた。その手を信長が握り、部屋へ進む。景清も景虎ももう謹慎部屋へ移動していた。

「ノッブ……二人だけで大丈夫?」
「マスター……すまんが今は二人だけで話をしたい。頼む」
「うん……」

 そんな会話を傍らで信勝はぼうっと聞いていた。そして姉の傷ついた顔を思い出す。叩かれた痛みなんてどうでもいいことだった。

(やっぱり……そうなんだ)

 こんな無能な自分でも家族だから。
 死んだことで姉を傷つけたのだ。

(だったら僕はどうすればよかったんだろう……僕の人生は無意味だった?)

 馬鹿で間抜けな頭はなにも思いつかない。ただ自分が姉を傷つけたという事実だけが心臓に針を刺されるようだった。

「……痛いか?」

 気がつくと信勝は夫婦の部屋にいた。リビングのテーブルに備え付けの椅子に座らされている。信長は真新しいキッチンペーパーに水を含ませて赤くなった信勝の頬を冷やしていた。

「疲れた顔をしておる。一度休め、話は明日起きたら……」

 痛くないですと返事をしようとして、別の言葉がこぼれ落ちた。

「僕たちが再会したからいけなかったのでしょうか」
「……なんじゃと?」
「あの日、明治維新で再会しなければ姉上は悲しまなかったのですか? ……こんな僕なんかでも家族だから」

 これほどの時間をかけても。
 信勝は自分の死だから姉を悲しませたとは考えなかった。ただ家族というカテゴリだから死を悲しんだと考えた。
 ただ血縁というつながりが彼女を苦しめたと決めつけた。

「それ、は……」

 正直、また顔を見たとき胸が痛んだ。

 信長は口ごもる。頭から最適な言葉を探すが見つからない。
 その様子にすっと全身の血が冷え、信勝はずっと言えないことをやっと口にできた。

「僕が死んだことで姉上は悲しまれたのでしょうか?」

 迷子の子供のように信勝は目に大粒の涙を浮かべた。

「お前を殺したわしに……悲しむ資格など、ない」

 姉らしくなく目を逸らして零れた声は小さかった。
 姉の言葉に弟は今いる場所が全て崩れた気がした。

 ゴルゴーンは言っていた。姉たちを殺して辛いのは当たり前だと。
 だったら姉だって……。

……「だがな、再会しない方がマシだったと私は思ったことはない」……

 しかしゴルゴーンはそう言っていた。けれど、けれど……。

「違う……僕らは再会しない方がよかったっ……僕が現れたことは姉上を苦しめただけだった!」
「違う! 信勝、わしは……わしはただっ」

 理解できないゴルゴーンの言葉を頭から振り払う。

 自分の死はたった一つ姉の役に立ったことのはずだったのに。
 それは彼女を傷つけることだったなんて。

「僕はずっとあなたの足手まといだったのに。どうすれば姉上を悲しませず死ねたのでしょう。姉上の一番理解者は僕なのに……死ぬのが駄目ならいっそ僕なんか生まれてこなければ!」

 ぶちりと。
 信長は頭の内側で何かが切れる音を聞いた。

「ああ、信勝。わしはお前のことを分かっていなかった。どうせ自分には何も聞こえないと一人きりのお前を傷つけた。……だがな!」

 ばちんと信長は信勝の頬を平手で打った。無意識に姉の目端に涙が滲む……二度と手を挙げないために夫婦など始めたのにさっきに続いて二度目だ。

「なにがわしの理解者だ! お前はわしのことをなにも分かっていない!」
「僕が……姉上のことなにも分かってない?」
「そうだ、お前はわしの理解者なんかじゃない」

 信勝の胸から内側にひびが入った。

 信長の必要な存在になれないと信じる信勝にとってそれは致命的な言葉だった。必要でないからせめて理解につとめた。特別な才はなくとも見つめた時間だけは一番だとそれを支えにしていた。

「理解など……お前に求めていない」

 信長には分からなかった。どうして一番分かって欲しいことを分かってくれないのか。下手な言葉だが好きだと何度も伝えた。それさえ理解してくれれば他などどうでもいいのに。

「わしはただお前が……っ!」

 好きだという言葉が喉に引っかかって出てこない。すうと信勝の隣に母の幻が見えた。憎々しげな瞳に睨まれると言葉が出てこない。

……「なにを今更、お前が殺したくせに」……

 それは母の言葉であり、信長の内心の言葉だった。今更何を図々しい。そんな女々しい姿、姉の才を信じて死んだ弟に聞かせるというのか。

(……景虎のやつ、いやなことをいいおって)

 信長が信勝を大切に思っているなんて信勝以外みんな知ってることだ。知らないのはお前だけだと弟に言った。そう、外から見れば明らかなのだ。それでも……信長には信勝に好きだと言うことは罪を無視しているようで苦しかった。この夫婦の部屋で戯れのように告げることだってその度母の幻が浮かんで責めた。全部今更、何度後悔しても帰ってこなかった、死んだからといって今更……。

 声がでない。そう諦めると信長は刀を抜いた。空っぽになった信勝は斬られるのかとぼんやり思った。けれど信長は刀を自分に向け、右の手の平で刃を握った。

「あ、姉上? やめてください!」

 当然信長の右手の平はざっくりと斬れた。人差し指と中指が動かない。サーヴァントといえど痛くないわけはない。

「は、早く、手当を……」
「よい、聞け……この傷は痛い。ただな、信勝。お前が死んだ時の方が痛かった」
「……え?」
「ああ、痛かった。苦しかった……お前の死はこの手、いやこの腕を切り落とすより痛かったよ」

 そう言って抱き寄せた。血だらけの手で弟に触れるほど弟は血塗れになっていった。

「懺悔しよう。わしはお前を殺しておいて……ずっと後にわしが死んだ方がマシだと思ったのじゃ」
「……ごめん、なさい。全部僕のせいだ。いっそ、いっそ血が繋がっていなければ……僕はあなたのことをちっとも理解できていなかった」
「……」

 やはり。
 弟に愛は伝わらない。
 姉としての愛も、個人としても愛も、もしかしたらこの生活で芽生え始めたかもしれない男女の愛も。

 今、好きだとまっすぐに言えたらなにか変わったのだろうか。

 弟は泣きながら姉の傷に綺麗なハンカチを巻いて血を止めた。

「姉上、僕は馬鹿でした。僕なんかがあなたの理解できるはずがないのに、一番の理解者だって勘違いしてて……こんなに愚鈍で間抜けなのにどうしてそんな勘違いをしたのか」
「……信勝」
「馬鹿だ、馬鹿だ。こんな僕が……僕は大嫌いです。お側にいることもできない僕をずっと、ずっと憎んできました」

 ああやっぱり。
 弟は自分のせいで自分が嫌いなのだ。

(気付いていたくせ……見ない振りをしておった)

 この生活を初めて弟のことを新しく知った。

 姉の為の謀反のために子を作らず、妻にも指一本触れなかった。
 女として求めているのかと触れても嫌われてしまうと拒む。
 一緒にソフトクリームを食べる程度のことを世界一幸せのように言った。
 こんな自分に好かれて可哀想だと姉の身代わりに百人の遊女を抱いた。

 いつでもこんな自分には価値がないとその目が言っていた。

 姉の信長だからわかる。最初からそうではなかった。子供の頃の弟は自分自身を好きだった。

 そうだ、知っていた。

……「元々思っていたのですよ、あなたの弟、壊れているなって。一度、彼の宝具を見れば大抵の者は思うのでは?」……

 景虎に言われる前から知っていた。
 信長を好きで、理解しようとした故に弟の人生は滅茶苦茶になったのだ。

(わしなんかを好いた故にいくつ捨てたんじゃ、お前は。わしの側にいられないと……思って自分を憎んだのか)

 ヒトは自分の願いを叶えられない自分を嫌う。
 そう学んだのはいくつ年をとった頃だろう。

 いっそ自分を憎んですらいたのだろうか。
 お家騒動にやっと居場所を見つけたとばかりに弟は死んだ。
 まるで楽になれたとでも言いたげに。

「ごめんなさい、ごめんなさい、姉上……あなたのことをなにも分かってないくせに、一番の理解者だなんて言って……僕は馬鹿だ」
「……もう言うな」

 一番理解して欲しい愛情を受け取るには弟は壊れすぎていたのだろうか。

「なにも分かってないから……再会した時にあなたを悲しませたことにすら気付かなかった。明治維新からこんなに長い間あなたを苦しませて気付かなかった。そのくせに理解者面して僕は本当に愚かです」
「……いいや」

 信長はそっと、怪我をしていない方の左手で信勝の頬に触れた。その頬は涙で濡れていた。

「再会して辛い気持ちもあった……けれどわしはまた会えて、うれ、しかった」

 母の幻が胸を苦しめたがなんとか「嬉しかった」と伝えられた。

 信勝は目を皿のように丸くした。

「……姉上?」
「どうした……?」
「今、何か言いましたか……?」

 信勝は耳に右手を当てて頭を振った。まるで本当に聞こえなかったように次は両手を耳に当てる。そんな、こんな近い距離で聞こえないはずがない。

「どうした? 今、言ったであろう……どんな形でもお前に再会できて、うれし、かった」

 また胸は痛んだがなんとか言葉にする。けれど信勝には姉の唇だけが動いて、なんの音も聞こえなかった。不自然な静寂とわずかなノイズ音だけが認識できた。

「姉上の声が……聞こえない?」
「聞こえない……じゃと?」

 ああ、どうしよう。
 いつのまに弟はこんなに壊れてしまったのか。

 かつて聞こえないと自分に言われた人々はこんな気持ちだったのだろうか。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 どちらもベッドには入らず。
 信長はソファで眠り、信勝は窓の見える部屋の床で寝た。視界の端でシュミレーターが夏の蛍だけを映していた。

(蛍って交尾の時にだけ光るんだっけ……)

 そしてすぐ死ぬはずだ。ならば自分たちの夫婦ごっこも夏の夜の蛍のようなわずかな光だったのだろうか。

 二時間しか眠れず、目覚めた信勝は自然と思った。

(……出て行こう)

 もう姉とは一緒に暮らせない。
 理解者面して傍にいれば傷つけるだけだ。
 どこへいけばいいかは分からないけれどもう傍にはいられない。

 視界の端に姉弟で育てていたトマトがよぎってずきりと胸が痛んだ。

(荷物は……いいか、ほとんどないし、僕がいなくなれば姉上が捨ててくれるだろう)

 人魚姫の絵本が少し心残りだったが見ると足が鈍るだろう。
 早く行かなくちゃとマントと帽子を探すがそういえば渡してしまったことを思い出した。

 ソファで眠っている姉を起こさないように足音を消して玄関へ……けれど姉はソファにはいなかった。

「姉上?」

 寝室も空だった。シャワールームやもう一度リビングを探したがいなかった。

 そして信勝はそれを見つけた。リビングのテーブルの上に二枚の白い便せんが並んで置いてある。姉の手紙だった。


……『

信勝へ

 出て行こうとしているのだろう。
 だがお前が出て行くことはない、わしが出て行く。

 信勝はこれまでと同じようにその部屋で暮らしてくれ。
 お前には分からないだろうが帰ってきたらお前がいる部屋はわしが生涯かけても取り戻せなかったものなのだ。
 失うまで分からなかったが本当に大切だったのだ、心から。

 諦めるな。
 時が解決してくれるかもしれない。
 何か妙案を思いつくかもしれない。

 とにかくまた二人で暮らすことをまだ諦めないでくれ。
 わしの荷物は預ける。お前のことだ、ちゃんと管理してくれるだろう。
 すまぬがわしの代わりにトマトの世話をしてやってくれ。あれは放っておくと枯れてしまう。

 身勝手なことばかり言ってすまんが、どうかそこを離れないでおくれ。

 必ず帰ってくる。
 わしの帰る場所を守っていて欲しい。


      姉より

』……


「姉上、どうしてあなたの方が……」

 信勝はテーブルの手紙の前で何度も泣いた。




【ひび割れた心】


 それから信勝は一人でその部屋で暮らした。

 トマトの水やりを朝晩一人でやり、毎日部屋を綺麗に掃除した。
 いつ姉が帰ってきてもいいように収穫したトマトは園芸鋏で切って冷蔵庫にしまった。
 姉の私物は少なかったが一つ一つ丁寧に磨いた。

「……信勝君、大丈夫?」

 三日目の昼。そう言ってお人好しのマスターがやってきた。信勝は昔のように笑顔の仮面を付けた。

「ノッブ、急に私の部屋に押し掛けてもしかしてと思って。問いつめる霊体化して逃げるし……一人で辛くない?」
「なにいってるんですか、マスター? 僕はここで姉上を待っているんです。辛いはずありませんよ」

 もし辛いとしたら姉の方だ。

「……ノッブ、連れてきてもいい?」
「いいえ。お願いです、マスター。僕たちは今……会わない方がいいんです」
「……そう」

 マスターは悲しそうな目をして「また来る」と去っていった。

 部屋の外のカルデアで姉に遭うことはなかった。サーヴァントは霊体化できる。避けようと思えばあうことは不可能だろう。まして信長と信勝には大きな力の差があるのだ。

 あんなことをいったくせに何度も姉が恋しくて一人で泣いた。

 ようやく涙が止まり、手ぬぐいで頬を拭うと花が散っていることに気がついた。姉が活けていた椿と山茶花だった。姉が言っていたように椿は花の根本から花ごとぼとんと落ちていた。山茶花もまた花びらを散らして花が終わっていた。いや、違う。山茶花は一枚花びらが残っている。

 あの時、椿の方が潔くていいと言った自分を思い出す。何かを間違えた、そんな気がした。散った花を片づけるが捨てることはできず、茎は花瓶から水を抜いてそのまま、花びらは本に挟んで押し花にした。

 信勝は残した山茶花の花びら一枚にすがるような気持ちで一秒だけでいいから椿と山茶花の話をしていた頃に帰りたいと願った。

 そんな生活の中でトマトの世話は一番心が安らぐ時だった。トマトは数日で結構姿が変わるし、実を付けると思わず笑みがこぼれた。

 綺麗な赤になったトマトを収穫したときは嬉しくて、いないのに「姉上へ」と書いたメモを真っ赤に熟したトマトの傍に置いた。来るはずないと諦めながらも目立つリビングのテーブルの真ん中に。

 すると翌朝、トマトもメモもなくなっていた。
 代わりにメモが一枚増えていた。姉の文字でこう書かれていた……「美味かった、また来る」。

 信勝はメモを握りしめて泣いた。

 どうしてこうなってしまったんだろう。
 どうすればよかったんだろう。
 これ以上傷つけないために離れるだけでは駄目だったのか。

(姉上はどうして僕が死んで悲しんだんだろう。僕には何も価値がないのに。どうして価値があるみたいにいうんだろう……あれ?)

 自分の方がおかしいのでは? と頭のどこかが囁いた。
 どこがおかしいのか考えたが囁いた自分は見つからない。
 二度と姉を傷つけたくないから必死に考えるが「やはり、価値がなくても家族だから」としか浮かばない。

 もしかして自分にはなにかが欠けているのでは?



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 信勝にはどうしても分からなかった。
 自分が愛されているという感覚が、必要とされている関係が、頼られている実感が。


……「姉上! 僕も一緒に行きます!」……


 生まれつきではない。
 幼き日は姉を愛し、愛されていると理解していた。
 大切な人に必要とされていると信じていた。


……「姉上、姉上。僕は姉上といる時が一番楽しいです」……


 母の偏愛だって、重臣の献身だって感じ取っていた。


……「母上はどうして姉上をあんな風に……あの姉上、いつかお役に立てるように僕、もっともっと頑張りますね。権六に今度兵法を学ぶんです」……


 少しずつ姉は特別な才能があり、そう簡単に力にはなれないと知った。
 でも頑張れば大丈夫。
 きっと未来には自分は姉に必要な存在になり、愛され、きっと頼りにされると疑わなかった。


……「どうして……僕はいつになったら……?」……


 それがある日壊れた。
 大した出来事ではなかった。ただ姉に「わからんなら無理に聞こうとせんでいい」と立ち去られただけだ。
 そんなの何度もあったこと。その日のことはなんでもない。ただその日までの積み重ねで胸に穴が空いた。

 どれだけ努力しても。
 どうしても弟は姉を心から笑わせることができない。
 当たり前の人の限界を超えることができないと知った。


……「大丈夫……もっと頑張れば大丈夫……苦手なことももっとやってみよう……そうすればきっと……僕は姉上にいらない人間じゃない」……


 すぐ諦めた訳ではない。
 元々信勝は努力を出し惜しみする性分ではない。
 ただ不可能だったのだ。

 何度も何度も姉と話し、その内容を紙に書き出して読み返した。
 勉学に励み、苦手な剣の稽古も精一杯やった。
 姉がまとめる荒くれ者たちに混じって斬新な戦の真似事もした。
 寝食を惜しんで努力した。


……「姉上、姉上……どうして同じ血を引いているのに僕は」……


 でも駄目だった。
 何度何度繰り返しても。何年何年願っても。
 何粒も涙をこらえ、歯を食いしばっても。
 信勝は姉を理解することも、笑わせることもできなかった。

 誰のせいでもない。
 異能と凡人は精神性そのものが違う。
 ただの運命だった。

 それを理解した時、もう涙はでなかった。涙がでる内は努力で自分を誤魔化すことができた。けれど悟ってしまったのだ。例え生涯をかけても姉が望んでいる理解者にはなれないのだと。

 そして全ては当然の運命だったとしても。
 信勝はそれを仕方ないと思えなかった。

……(だったら僕は、なんのために、生まれたの……?)……

 仕方ないと思う代わりに信勝は自分を呪った。

 姉は神のごとき天才だとしても。
 それを理解できない自分は特別に能なしだと自分を責めた。
 必死に努力してもその背中さえ追い続けられない織田信勝はなんて馬鹿で間抜けなんだと自分を蔑んだ。


……(僕は愚鈍で間抜け、ひとかけらだって姉上の力になんてなれない。家臣になんてなれない。馬鹿な夢を見た)……


 運命だと受け入れる代わりに己は特別に劣った存在だと呪うことで心の帳尻を合わせた。

……(僕はなんて馬鹿で無能なんだろう。僕は僕が嫌い、大っ嫌いだ。こんな僕を好きになる存在なんているわけない)……

 その内、信勝は自分への愛を捨てた。ぽいと虫の死骸を捨てるように。
 ずっと大好きな姉に好きになって欲しかった自分を殺した。

……(だって姉上が僕みたいな無能を好きになる訳ないし)……

 これまで積み上げたものをゴミのように蔑んだ。
 努力したからなんなんだ、身の程知らず。

 自分が大嫌いである時間が長引くと己の命そのものを軽んじるようになった。
 だってこんな無能な自分が生きている意味なんてないのだ。

 だから死ぬ機会があれば進んで身を捧げた。
 姉を悪く言う家臣たちを激しく憎みながらも。
 自分が死ぬ時をいっそ待ちわびていた。

(こんな僕がなにかになるなら喜んで死ぬ。やっと意味があることができるんだ)

 だって一番好きな人のなんの力にもなれなかったのだ。そんな自分、自分自身が一番嫌っている。何度も何度も自分の無能さを呪った。

 どうしてあの人に何一つできなかったのか。その願いのためなら命だって惜しくなかったのに。

 それが信勝の限界であり、信長の天才性だった。
 そうして自分を憎むようになった。

 だから信勝は自分に向けられた愛情を受け止める機能を失った。母の偏愛も、柴田勝家の忠信も、もちろん表現が下手な姉の愛もすべて分からなくなった。

 だって自分自身が愛せないような自分でしかないのだ。憎んでいるのだ。そんな自分をどうして他人が愛するだろう? 愛するなんていう人はなにか勘違いしているに違いない……。

 あらかじめそういうものを理解する精神の機能が壊れなければ最愛の姉を憎むフリをする計画など立てられなかった。少し利発なだけの平凡な信勝の精神ではそれが限界だった。

(僕がこんなに僕が嫌いなのに他人が好意を抱くはずがない)

 だから愛を渡されても気がつくことはない。
 そういう言葉はだんだんと「聞こえなくなった」。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


【嫉妬心その②】


(……まるで公家の真似事じゃな、男女が逆じゃが)

 信長は夜、信勝が眠っている時を狙って様子を見に来ていた。毎夜ではないが三日と空けたことはない。まるで公家が毎夜妻の家に通う真似事のようだ。

「……」

 信勝はソファで眠っていた。少しやつれた気がするが深く眠っている。二人で寝間着にしていた甚平を着ている。

 霊体化は解いていない。だから目覚めてもすぐには気付かれることはない。ただ……眠るその頬を撫でることもできない。

(なんでソファなんじゃ)

 誰もいないのだから寝室で寝ればいい。気になって寝室の方にいくとベッドは綺麗に整えられていた。そして信長が寝間着に着ていた赤い甚平が綺麗に折り畳まれて眠るようにベッドの上に置かれていた。

(別にお前が寝たっていいのに……律儀なやつ)

 リビングにいくと目当てのものを見つけた。姉上へというメモと赤く熟したトマトが二つ。……信長はそっと霊体化を解くとそれを懐に入れた。

 こんな生活を続けてもう一ヶ月になる。

(いつまでもこうしておれん。ただ……どうすればいいか分からぬ)
 二人は傍にいたいと願いながら、自分の存在が相手を傷つけることを知った。そしてまた傍にいることで傷つけることに怯えていた。理屈では分かっているのだが信長の足はいざとなるとすくんでしまった。

(カルデアはまた異聞帯を切除した……こうしていられる時間はどんどん残り少なくなっていくのに)

 弟にはなにか肝心なことが「聞こえない」。そうしたのはおそらく自分だ。
 それでも傍にいていい理由。
 それをもう一度見つけられれば。

「……姉上」

 声にびくりとするが寝言だった。安堵してもう一度弟の顔をのぞき込む。

「僕は好きになってもらえなくて……いいんです」

 また寝言。しかし目端に涙が滲んでいる。どうしてこんなに弟は自分に好かれていると信じられないのだろう。

(好きでなかったら……こんなに苦しまぬのにな)

 好きという気持ちを受け取ってもらえないことが弟を殺した罰なのだろうか。

 結局、いつものように信長は「うまかった」というメモを残し、慰めのように柿味のキャンディーの三つを残していくことしかできなかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 それから一週間後のこと。

 信勝は廊下の隅で泣いていた。
 全部全部なくしてしまったのだ。とても幸せだったままごとの日々全て。

「……うっ……うっ」

 三日前のこと。

 異星の神の攻撃によってノウム・カルデアは消滅した。あの部屋も、信長と信勝が夫婦ごっこをした部屋もまとめて塵となった。そろそろ実を刈り取ろうとしたいたトマトの鉢も根こそぎ失ってしまった。そろって着ていた甚平ももうない。人魚姫の本も押し花もワインセラーも全て消えた。たまたま鍵をおいていたので姉から貰った柿のキーホルダーも灰になった。

(ごめんなさい、姉上。僕、あの場所を守れなかった)

 姉は無事だ。信勝自身、霊基トランクの中に吸い込まれて今ここにいる。けれど心はバラバラのまま帰る場所をなくしてしまった。

 信長は現れることはなかったし、信勝も姉の無事を確かめると会おうとはしなかった。帰る場所を守れなかった。どんな顔をして会えるというのだ。

「……これからどうしよう」

 カルデアは優しい場所だ。ずっと泣いてばかりの信勝をそっとしておいてくれる。決戦に向けて戦艦となったあわただしいカルデアで信勝はただじっと過去ばかり見ていた。

(……残ったのはこれだけか)

 信勝はポケットからそれを取り出した。それはソフトクリームのポイントカードだった。身につけていたからだろうか、これだけは残った。スタンプは後一つで景品がもらえるところで止まっている。同じく燃えてしまったタマモキャットのソフトクリーム屋がもうないから景品も何もないが。

 これさえあればと思いかけてまた俯く。

(こんなものがあったからなんだっていうんだ。僕は姉上のことなに一つ分かってない能なしなのに)

 それでも捨てられないのは。
 週に一度、隣でおいしいと言い合ったあの日々が眩しかったから。
 だから信勝はそっとポイントカードをポケットの奥にしまい込んでまた泣きはじめ……ようとした。

「そんなところでなにをしているのですか?」

 すると声をかけられた。びっくりした信勝が顔を上げるとそこには牛若丸がいた。怒ったような顔で両手を腰に当てている。

「な、なんだよ?」
「それはこちらの台詞です。あなたには新しい特異点の出撃命令がでているでしょう。それなのに時間になっても来ないからメンバーでもない私が呼びに来たんじゃないですか」

 しまったと思い出す。そうだ、出撃命令の通知が来ていた。ただそのメンバーには姉がいて、あわせる顔がないと隠れていたのだ。どうせ自分など数合わせかなにかで行かなければ忘れられると踏んでいたのだが。

 信勝は逃げようとするが牛若丸の方が早い。逃げ場のない方に追いこまれてしまう。わしっと腕を捕まれて信勝は思わず叫んだ。

「は、離せ! メンバーには姉上がいるんだ。大事な部屋を守れなかったのに会わせる顔がない!」
「……織田信勝」
「どうせ僕なんか、ただの数合わせでなんの役にも立たない。ほうっておいてくれ!」
「いい加減にしなさい!」

 雷のような声が廊下に響きわたった。思わず真っ白になってしまった信勝に牛若丸は弾丸のように喋り始めた。

「いいですか、あなたの姉上はカルデアにいます。私の兄上はいません」
「……?」
「そして私は戯れでも兄上と一緒に暮らしたことなどありません。なにしろ挙兵した時に初めてお会いしたくらいなので」
「な、なんの話……」
「私は誰よりも頼朝兄上お慕いしています。けれど兄上はここにおらず、あなたの姉上はいる。それなのに会わないとは何事ですか!」

 牛若丸は信勝を米俵のように持ち上げた。そのまま走ると信勝の絶叫が響き渡った。そのままどたどたと走り出すとますます信勝は叫んだ。

「ちょ、やめ、怖い! お、降ろしてくれ!」
「あなた何か勘違いしてませんか!? 私から見ればとんだ贅沢者です! ……カルデアのような優しい場所で一度でも再会できる奇跡を当たり前だと思っていませんか!?」
「……それ、は」
「サーヴァントとして呼び出されることは例え英霊であってもある種の奇跡です。決して当たり前ではない。しかもここはカルデア。みな共に戦う仲間で争う必要もない。もし聖杯戦争という場所に呼ばれたなら敵同士としてしか再会できないのですよ」
「……」
「そーんな甘い環境でなぜ自ら離れるのです! しかもあなたは姉に拒絶されているわけでもないのに……贅沢はいい加減にしなさーい!!」
「う、うわああああああああああああ!!!??」

 そう言って、管制室前にたどり着いた牛若丸は。
 ドアを開くとえいやと信勝を投げ込んだ。
 ドアの向こうの出撃メンバーも思わず目が点になる。

「……信勝?」
「……姉上?」

 思い切り鼻をぶつけて涙目になっている信勝の傍に信長が立っていた。

「牛若丸! なにも投げ込まなくても!」
「失礼、主殿……少々嫉妬の虫が騒いで」

 後ろでは牛若丸とマスターがなにやら話している。けれど信勝の耳には入ってこなかった。姉の赤い目が光る光景に思わず見惚れた。

「……いつまで座り込んでいる、立て」
「あ……は、はい」

 信長の手が伸ばされて、咄嗟に信勝はその手を取って立った。手袋越しの温もりも、久しぶりに近くで見る姉の姿も、かけられた言葉もあまりに眩しくて信勝はくらくらした。

「……久しぶりじゃな、元気か?」
「は、はい」
「ならばなぜ出撃の時間になっても来なかった? ……まさか仮病か?」
「ご、ごめんなさい! ……あ、僕、あっちの方に」
「いいからここにいろ」
「……あの、姉上」
「なんじゃ」
「ごめんなさい……あなたの部屋を守れなくて」

 涙をためた弟の目に信長は目を丸くすると呆れた顔をした。

「アホか、あんな圧縮ブラックホールお前にもわしにもどうにもなるか。……お前が無事でよかった」

 信長は柔らかく笑ったが。
 最後の声は信勝の耳にはノイズが邪魔をして聞こえなかった。

「でも……姉上が大切な部屋だったって」
「あのなあ、部屋自体が大切なんじゃなくて……いや」

 あんなことがあったのに。
 こんなにも歪めてしまったという罪悪感で会いにいけなかったのは信長も同じだ。
 本当ならお互いに生きているだけでも感謝せねばならないのに。

 いや違う。
 本当はちゃんと話をしなければ。
 伝えたいことは言葉にしないと伝わらない。

「……信勝」
「はい、姉上」

 信勝の「おかえりなさい、姉上」と呼ぶ声がすればそれが信長が一番帰りたい場所だ。再会した頃は今更として思えなかったことを……今更伝わらなくていいとは夫婦ごっこの日々を過ごした信長にはもう思えなかった。

 信長はポケットの中のポイントカードにそっと触れた。スタンプは後一つで満つる。信勝はまだ持っているだろうか、異星の神の騒ぎで灰になってないだろうか。

「……姉上?」
「その……そのな、キャットのやつがまた冷たい菓子の店をやりたいといっておったから、また」

 信長の手が信勝の手に触れる直前、


……「レイシフト、開始します」……


 随分話し込んでいた間も時間は進み。
 レイシフトの開始に信長の言葉はかき消えた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



その昔あったこと



 やっと死ねる。

「信勝様、どうかこの部屋でお待ちを」
「ああ、権六、そうするさ……今まで世話になったな」

 障子の閉まる音を聞いて信勝は静かに笑って姉を待った。稲生の戦いは信長の勝利に終わった。予想通り、馬鹿どもは多く死んだ。母のことを考えて白旗を上げ、姉の沙汰を待った。

(母上は助けてもらえるだろう。一人なら無害だし、親を殺すと世間体もわるい。権六はどうかな……実力があるから惜しまれればあるいは、でも力があるからこそ殺すかもしれない)

 なんにしろ。
 謀反の張本人である信勝は死を免れない。

(ここまで一年、いやもっと前からだったかな。最初は姉上に泣きつきたいのを耐えるので精一杯だったっけ)

 あとは無能な自分が死ぬだけだ。馬鹿で間抜けな自分もやっと役に立つことができる。

 何もない部屋に両腕を後ろに手を縛られた信勝だけがいた。

「信勝」
「姉上」

 姉は無防備にも一人でやってきた。腰には短刀と刀を差しており、信勝は縛られているので安全かもしれないが襖の向こうでは部下たちは気をもんでいるだろう。

 姉は無表情で立っていた。白い着物に袴姿の姉は戦の後らしく髪を簡素にくくっている。それが幼い日に遊んでくれた彼女に似ていた。

 これが人生の最後にみる彼女の姿だろう。だから五秒だけその姿を目に焼き付けると頭を下げた。

「兄上、いえ姉上。此度はお力感服しました……覚悟はできています」

 なんとか額を畳につけた。姉の姿は見えなくなった。

(やっと終わる)

 死を言い渡されるのだろう。
 信勝は恐怖より安堵が強かった。やっとこの一人きりの戦いが終わる。

 姉は自分を憎むか、軽蔑するだろう。それでいい、彼女が自分の全てであることは自分だけが知っていればいい。心をそうしなければできなかったことだ。

(あなたに好かれずともよいのです、僕だけがあなたを好きならいい)

 しかし、いつまでも姉の死の宣告は訪れなかった。

「顔を上げよ……此度の謀反、お前を許す」
「……は?」

 自分の耳が信じられなかった。

「今なんと仰ったのですか?」
「お前を許す、二度はないと思え」
「いつものお戯れ……ですよね?」
「こんな場で戯れるか」

 嘘だ。ここが自分の終わりのはず。

「なぜですか? 僕はあなたを殺そうとしたのに……!」
「どうせわしの反対派の家臣どもに言いくるめられたのだろう。母上にも権六にも、お前だけは助けてくれとああも泣きつかれてはな」

 信勝は顔をあげることができなかった。今、自分はどんな顔をしているだろう。

「信勝、わしはこれでもお前の姉じゃ。お前の戦嫌いを知らぬと思ったか……家臣どもに乗せられねばしなくていい争いをするとは思えぬ。今度の謀反は周囲にそそのかされただけ。一度きりだろう」
「それは子供の頃の話です。僕は……姉上が妬ましくて自分で全部やりました」
「理由なんぞどうでもいい、とにかく今回の件はこれで終わりだ」

 床から頭を上げた。信勝の目端には涙が浮かんでいた。それをこぼさないだけで精一杯だった。

「なぜです! 僕はそんなに弱いですか、無能ですか!? 一度刃を向けて放置されるほどに!?」
「信勝、もう決めたことだ」

 どうして終わらせてくれない。世界は、姉はおかしくなってしまった。信勝はありったけの挑発の言葉を探した。

「情けをかけられるなんて……武士にとってとんだ恥だ。こんな侮辱を受けるくらいならここで殺された方がずっとマシです。僕を哀れと思うならここで殺してください」
「……信勝」
「きっと僕はまた謀反を起こします! ここで死なせて下さい! 戦って死なせて下さい!」
「もう決めた」
「なんでもできる姉上が妬ましい! あなたがいる限り僕は無能なんです! この戦が僕の最初で最後の意地だったんです!」
「これ以上話す気はない」
「なぜ僕をお許しになるのですか、どうして僕を死なせてくれないんですか!!」

 ばしんと姉は弟の頬を平手で打った。信勝は子供の頃、川に無理に入って姉に叩かれた時のことを思い出した。

「勝ったのはわしじゃ、お前を生かすも殺すもこちらの勝手」

 何度信勝が死を願っても、信長はうんと言わなかった。





 謀反が許されて信勝は空っぽになった。母と権六がなにか言っていた気がするが記憶にない。役目を果たしたのにどうして生きているのか分からなかった。

(……)

 自室に布団を敷いて、ただ空を見て一日を過ごした。

 そんな時を数ヶ月も過ごしていると一通の手紙が来た。秘密裏に届いた斉藤義龍の手紙だった。彼は斉藤道三の件から信長とは敵対関係になる。

 そこには信長への罵詈雑言と信勝への再度の謀反の誘いが記されていた。滅茶苦茶な信長に振り回されて気の毒な弟殿。あの忌まわしい女を抹殺する際には必ず力になるまする……。

(ほら、姉上。やっぱり僕は死ぬべきなんです)

 こうして生きてるだけで邪魔になるじゃないか。






つづく






あとがき


 それが運命(フェイト)なんだよ! って言いながら書いた(嘘)。

 信勝の絆5で「これほど僕を気にかける人間なんて初めてだ」と言われてそんなわけねーだろと思って、なぜそう思うようになったのか考えたのがこちらになります。

 昔の話、プロフ6の「なぜ僕をお許しになるのですか、なぜ僕を死なせてくれないのですか!」を私なりに引き延ばして想像するとこうなる。

 斉藤義龍くんの件はウィキとかネットとかで信勝が謀反失敗したら「諦めんなよ!」みたいなお手紙(下心)だしたらしいよと見かけた気がするので「よし!(?) これで信勝はもう死ぬしかない! まあ義龍くんの立場なら共倒れが一番ラッキーだよね☆!」と採用しました(真偽不明)(まあ出しててもおかしくないと思う)。


 物語も大分佳境に入ってきました。
 次回は聖杯編となり、それが終わったら終わりです。

 あと2、3話で終わるはずです。
 次回は春頃に……できたらいいなあ。



2022/02/10



信長

弟にシリアスに接すると優しくてアンニュイなお姉ちゃんになってしまう。キャラ崩壊ではと書いてて悩むが、優しいはともかく生前を考えるとアンニュイになるのは仕方ないのでは?

弟に愛や幸福を与えたいのだが、そもそもそれがなにか分からない。なんかいいものなんだろうということだけ分かる(実感はない、知識でしかない)


信勝

弟にとって自分が一番嫌いな存在だった。だからそんな汚らわしいもの、一番大切な人の傍に置きたくない。姉からどんどん距離ができる日々は弟の苦しみをそのように歪めた。

もっとクレイジーに書いてこそ信勝ではと思うこともあるが、姉が傍にいるとクレイジーになりようがない側面がある。幸せだと狂えないので……。



長尾景虎

景虎は秩序善なので「あくまで本人が善いと思っていること」しかできないので今回やったことは景虎にとっては善いことです。贅沢な身の上なのに素直になれない信長にお灸を据えたし、最終的に仲良くなるなら善いことじゃないですか。多少の嘘は方便ってものです。

景虎からすれば信長は贅沢者です。


牛若丸

牛若丸からすれば信勝は贅沢者です。


平景清

景清のバレンタイン見たときに「この人に悪いことなんて無理だ……たとえ混沌悪でも無理なものは無理……」ってなった。

なんか勝手に「これがイシュタルは秩序善でエレシュキガルは混沌悪ってことか……」みたいな納得をしている。