弟の初めての人殺し



 信長が廊下を歩いているとすすり泣きが聞こえた。泣き声が聞こえる方に歩くと人気の無い廊下の縁側まできた。見覚えのある誰かが座っている。



「何をやっとるんじゃ、お前は」

「……姉上?」



 そこで泣いていたのは信勝だった。俯いて肩を落として小さくなっている。十三になったばかりだろうか? まだ元服はしていない弟。



 夜空には雲はなく、細い三日月だけが姉弟を照らしていた。



「す、すみません……別に何でも無いんです! 僕は大丈夫ですので、姉上を煩わせるようなことは」

「何が大丈夫じゃ、ぴいぴい泣いとるではないか」



 姉はどかと弟の隣に座った。屋敷の外れで久しぶりの姉弟二人きりだった。



 さっきまで宴にいた。みんなよく食べ、よく飲み、中心にいる信勝を褒めていた。ようやく寝静まったころ弟は消えた。



 信長は信勝が泣いている理由に心当たりがあった。



「初めての戦は怖かったか?」



 今日は信勝の初陣だったのだ。信長は少し心配していたのだが信勝は無傷で帰ってきた。勝利を祝う宴で弟は周りに気を遣って必死に愛想笑いをしていたが、怖かったのだろう。だからこうして陰で泣いている。



「そ、そんなんじゃありません! 僕は武士でもう十三にもなるのに、戦が怖いなんて言ってられません。姉上は十三の頃はとっくに戦に慣れて……あっ、すみません、兄上なのにまた姉上って言っちゃった!」

「別にわしはなんと呼ばれようがかまわん。今は父上もおらんし好きに呼べばいい。……わしに嘘をつくな、怖がりのお前が戦が怖くなかったとは思えん」



 信勝は俯いて必死に袖で目元を拭った。



「本当に怖くはなかったんです。僕は父上の息子だから、戦といっても本当に後方で権六だってそばにいてくれた。長い間鎧を着て馬に乗るのは少し疲れたけど、そんなの戦なら当たり前です。敵と向かい合ったのだってほんの短い間で……ほんの短い時間で」



 弟は喉元を押さえた。何かが詰まったようにうまく息ができないようだ。肩と細い腕がガタガタと震えている。姉は昔のように背中に手で触れるか迷い、結局触れずただ隣で月を見た。



「その短い時間に何があった?」

「……人を」



 初めて殺しました。

 その言葉を吐くと信勝はまたつうと一筋の涙を流した。



「なぜ殺したのかよく覚えてません。多分、僕に向かってきたんだと思います。僕は怖がりなのにその時は、稽古で何度も練習したように、あっさり首を切ることができました。僕の力が弱いせいで首は半分しか切れず苦しませてしまいました……いえ、敵なのですからそんなこと、気にかけずともいいのですが」

「……続けよ」

「僕がおかしいんです。父上はよくやったと褒めてくれました。権六や他の家臣たちだって、やっと一人前の男になったって祝福してくれて……やっと僕は初陣でうまく敵を倒すことができた。さっきまで宴でみんな僕に初めてなのによくやったって祝ってくれた……なのに僕はうまく喜べなくて。殺した人がどんなに苦しかったかばかりを考えてしまって」

「ふん、周りなどどうでもよいではないか、しょうもないことを気にしおって」



 妙に苛立つ。信長は持ってきた酒をぐいっと飲んだ。気まぐれで酒瓶ごと持ってきたので中身がまだまだある。



「お前は人を殺しても楽しくないんじゃろ。それなのに喜ぼうとせんでいいわ」

「で、でも、僕は武士なのに、織田の男として姉上をこれからも支えないといけないのに……こ、殺しくらいで泣くなんて」



 弟は幼い頃は虫すら殺せなかった。捕まえた蝶が動かなくなった時は夕方まで泣いた。拾った子猫が死んだ時は三日三晩泣いた。自分の乗った馬の足が折れて、使い物にならないと安楽死させられる時はその最後を看取りながら泣いていた。



……「ううっ、ううっ……どうして死んじゃうんだろう? もう大事な人に会えないなんて可哀想です。神様は、仏様はどうして助けてくれないんですか?」……



 割と大きくなるまで姉の前でそんな風によく泣いていた。だからそんな弟が多少大きくなっても動物どころか、同じ人を殺すのは相当の葛藤があるのは当然だと姉は思っていた。



「あのなあ、別にわしだって人を殺して楽しいわけじゃないぞ」

「……そうなんですか?」

「そういう趣味はない。まあ、お前と違って殺してもなんとも思わんが、別に殺すのが好きなわけじゃない。父上や権六だってそうじゃと思うぞ」

「ええ? でも武士なら、武家の男なら……殺しは当たり前じゃないですか」



 信勝は人を殺せる周りの大人はそれが平気、いやむしろ好むのだと信じ込んでいた。それこそが武家の男の心のあり方だと思い、命を重んじる自分は情けないと自分を責めていた。



「例えば、あの権六がその辺の百姓を斬って喜ぶと思うか?」

「それは意味が全然違いますよ! それは当然です、弱いものを虐殺するなんてあの権六が喜ぶわけない……でもそれと戦は違うでしょう? 戦で戦って敵を殺すのは……武士にとって誇らしく、嬉しいものなのでしょう?」

「わしは別に誇らしくも嬉しくもないが」

「だ、だって姉上は……い、いや、そうなのか?」

「時代が時代じゃから殺しが好きなやつもいるが、大抵は殺しそのものが好きなわけじゃない。まあ……お前ほど苦しむものは今の時代珍しいが」



 その言葉に信勝はまたしゅんとしおれてしまった。その姿になぜか信長はイラついた。しかしなぜイラつくのか自分の心を省みることはなかった。



「情けないところばかり見せてすみません、姉上。大丈夫です……確かに僕はまだ戦に慣れていませんがちゃんと変わっていけます。ちゃんと戦に慣れれば人を殺すことだって平気になって……」

「飲め」

「え?」



 信長は立ち上がった。その後に一つ酒の入った盃が置かれていた。月光を受けて酒は白く光っていた。



「辛いんじゃろ、飲め。飲んで寝て忘れろ」

「そんな、酒に逃げるなんて」

「確かに信勝は武家の男だ。これからも戦に出て人を殺さねばならん。だがお前の性格で殺しに全く苦しまないことは難しいじゃろ。なら酒で誤魔化しながらこれからやっていくしかあるまい」

「酒で……忘れるなんて」



 それでも信勝がその盃を両手でとり、揺れる酒をじっと見つめた。その姿を見て信長はその場から離れた。どうせ自分にはヒトの気持ちは分からないし、殺しで苦しむ弟の気持ちだってさっぱり分からない。この頃ますますヒトの声が聞こえなくなってきた。弟の声はなんとか聞こえるがどうせ近々……。



 信長はボソっと呟いた。



「お前はわしの弟になのに、どうしてヒトより余計にヒトっぽいんじゃろうな」

「姉上? すみません、よく聞こえなくて……」



 信長は弟のそばから立ち去った。信勝は追うように立ち上がったが信長は手で遮った。一人で考えればいい。



 ああと信長は一度だけ信勝を振り返った。



「ああ、信勝……初めての戦、よく無事に帰った」



 姉にとってはそれだけで十分だった。













 そんな夢を見た。カルデアの自室で信長は目を覚まし、色々を思い出して頭に手を当てた。当時はなぜ苛立つのか分からなかった理由が今更わかってしまった。



「あ、姉上、おはようございます!」

「……おはよう」



 食堂に行くと入り口でいつものように弟は姉を待っていた。その顔を見て、また思い出す。



(ああ、そうじゃ、わしは苛立った。ヒトを殺して平気になりたいなど信勝に言って欲しくなかった。いつまでも子猫が死んで泣いてる信勝のままでいてほしかった。……こうして振り返ると残酷なことを願ったもんじゃ)



 信勝は乱世の武家の男。直系の男子として大切にされているものの、一切殺しに関わらないなんて不可能だ。それなのにいつまでも命を慈しむ弟を姉は願ってしまった。



 どうしてそのままでいてはいけないのだと苛立ち、酒を押し付けた。あの時は自分の気持ちすら分かっていなかった。



「姉上は今日はパンですか、それともお米ですか? 僕も同じものを頼みます」

「勝手に隣に座ろうとするな。同じにするな、好きなものを食え」



 朝の食堂は人もまばらで、茶室のメンバーも見当たらない。仕方なく(そう、仕方なく)信長は信勝を隣に座らせて朝食をとった。コーヒーにジャムトーストにハムエッグ。ありふれた洋風朝食を前に姉弟はトーストをかじる。



「なあ、信勝、昨日シュミレーターでやらかしたというのは本当か?」

「ギクッ! な、なんで知ってるんですか?」

「マスターが心配して、わしに夜通信をよこしてな」

「……僕が悪いんです。その、相手が人型だったから咄嗟に身体が動かなくて、敵なのに僕、変ですよね?」

「……」



 あの後、信勝は一年も経たず、人を殺しても泣かなくなった。好きにはなれなかっただろうが、殺人に慣れていった。その姿を見た姉は少し時代を恨んだ。



 信長はヒトは分からなかった。声すら聞こえなかった。けれども、信勝のどんな死にも泣く性質は……ヒトの美しい部分ではないかと感じていた。それが乱世で邪魔な性質だとしても自分から捨てるなどと言うから苛立った。



 思い出す。あの時、信長は、分からないなりに信勝の肩を抱いて「泣きたいなら泣け」というか迷ったのだ。虫も猫も人も死ぬと泣く信勝のままでいいのだと言いたかった。



「別にいいじゃろ。お前は怪我しなかったんじゃろ?」

「え? そうですけど」

「じゃあ、次から気をつければいいではないか」

「姉上?」



 弟は驚愕した。本当に珍しいことに姉はただ優しく微笑んでいた。



 その日、姉はやたらと弟に優しかったので信勝は戸惑いと有難さで爆発した。





おわり














あとがき

 酷い作者なので「武士なんだから人殺しくらいで泣くなよ〜」とか言いながら書いてました。まあ、武士の武は(大体)殺人の武ですから。でもそんな信勝のぴいぴい泣くところを意外と信長は好きだったんじゃないかなと妄想しました。

 とある長編を書いていて、この部分別にいらないな……でも話として悪いわけじゃないしな……みたいな経緯? で単体として書き直してみました。まあカッツの性格で人殺しは最初は慣れないよね、みたいなノリで作成。



 信勝は姉のいう通り、酒で自分を誤魔化して戦に慣れていったという裏設定。