夜の暗闇がキライだった。
暗くて何も見えないし、いつも慣れしたんだ場所も夜の闇は別の何か不気味な場所にかえてしまう。
だから満月の夜が好きだった。暗闇を和らげてくれるやわらかな満月の光が大好きだった。
満月の光は恐ろしいものから守ってくれた彼の腕のなかに似ていたから。
あなたへの月 T
ずっとずっと待っていた。ずっとずっと会いたかった。
いるはずない。会えるのはもっと先のはずなのに。
三日に一度は彼の夢を見て泣きながら目を覚まして現実に落胆しているのに。
それでも、見間違えるわけ、ない。
「・・・ちっちゃいあにうえ?」
父のダンヒーリーに連れられて血盟城にいないはずの、ありえない背中だった。
月明かりの明るい夜にヴォルフラムは眠い目を擦りながら寝室へ向かう途中、ふと気配を感じて何気なく振り返った先に彼の背中を見た。
そして、廊下の角を曲がって消えた彼の背中を見たら最後、胸がいっぱいになって何も考えられなくなった。
気がつくと我を忘れて走り出していた。
いつもは魔王の息子として立ち振る舞いに幼いなりに気を遣っていたヴォルフラムだったが、今はなりふりかまっていられない。ネグリジェのまま構わず彼の背中を追い掛けた。
何人ものお付きの女官を振り切って、呼び止める声を後ろにしてがむしゃらに走った。
周りの景色が見慣れないものになっても構わなかった。
どれだけ走っただろう。何度角を曲がって、転んでは立ち上がっただろう。
心臓がうるさく音をたてて、額から汗の粒がこぼれて床で弾けた。
最後にこんなに必死に走ったのはいつだったろう。
決まってる。最後に彼を追い、駈けたときだ。
見えた!間違いない!
「ちっちゃいあにうえ!」
「ヴォルフラム?」
ヴォルフラムは前のめりになりがら驚いたように振り返ったコンラートの胸に飛び付いた。
(やっぱり、ちっちゃいあにうえだった!)
コンラートの暖かい胸に安心してヴォルフラムはきゃあきゃあ喜んで騒いだ。
「どうしてここに・・・」
飛び込んできた幼い弟をしっかりと抱き締めながらコンラートは困惑したように呟いた。
その声に浮かれていたヴォルフラムはびくりと少しだけ傷ついた。
ちっちゃいあにうえはぼくに会えてうれしくないの?
ぼくはずっとずっと待っていたのに。ぼくはずっとずっと会いたかったのに。
会えない日々の寂しさがぶり返してきたヴォルフラムはコンラートが合わせようとしていた目を反射的に反らした。代わりに再び彼の胸に顔を寄せる。そして不安を振り払うようにいやいやと首を振りながら、疑問をぶつけた。
「ちっちゃいあにうえー、いつかえってきたの?どうしてぼくにあいにきてくれなかったの?
いつもはすぐにぼくにあいにきてくれるのに、どうしてー?」
「ヴォルフラム・・・その、ごめんな」
コンラートは離れようとしないヴォルフラムのやわらかな金髪をゆっくり撫でながら遠慮がちに謝った。
しかし、ヴォルフラムはコンラートの声にいつもの彼と違うものを感じた。ほんの微かにだったが。
「本当にごめんな・・・俺はすぐに行かないといけないんだ。
本当に今晩だけ血盟城に立ち寄っただけだから明日の朝にはもう行かないといけないから。
すぐにお別れしないといけないからヴォルフラムには会わないでいこうと思って」
ヴォルフラムは目の前が真っ暗になったと錯覚した。
しかし、それは幻想で目の前のあんまりな事実の呆然としただけのことだった。
「なにそれ!せっかくかえってきたのに!いかないで!いかないでよ!!
ちっちゃいあにうえいか、いっ、いかないでよぉぉー・・・」
もう、その先は言葉にならなかった。コンラートの胸にすがって彼を引き留めようと泣いた。
しかし、コンラートの次の台詞はヴォルフラムの望み通りにはならなかった。
「ごめんよ・・・ヴォルフ」
やさしい声と言葉の、しかし明白な拒絶の言葉だった。
それをきっかけにヴォルフラムは火が付いたように泣き喚き続けた。
考え直して。行かないで。ぼくのこときらいになったの?後から、後から言葉が止まらなかった。その間コンラートはヴォルフラムをやさしく抱き締めたままなだめ続けてた。
しかし、コンラートは決して「うん」とは言わなかった。
「っく、ひっく・・・、ううっく」
「ヴォルフ・・・大丈夫か?息が苦しくないか?」
一時間近く泣き喚き続けたヴォルフラムを今晩一緒に眠る約束をすることでようやくなだめたコンラートは泣き疲れたヴォルフラムをおんぶしながら歩いていた。
「ヴォルフ、ホントごめん・・・」
「っく、もういいよ!謝らなくても、もういいよ!どうせ行っちゃうくせに!」
「うん・・・そうだね」
「分かってるから!何度も、何度も言わないでも分かってるから!」
ヴォルフラムはコンラートの服を絶対に離さないようにしっかりと握り締めていた。
約束したから明日には行ってしまうのだろうけれどそれまでは何があっても離すものか。
「・・・・・・?」
少し気が抜けたのかヴォルフラムは周囲が見覚えがない場所であることに気が付いた。
父親の故郷であるビーレフェルトにはほとんど帰らず血盟城で育ったに等しいヴォルフラムにも知らない場所だった。誰もいない。しかも、照明は何もなく窓の外の月だけが場を照らしていた。
「っく、ち、ちっちゃいあにうえー、ここどこ?だれもいないよー」
しゃくり上げながらも声はなんとか震えなかった。
こわいとは言わない。いつものヴォルフラムなら泣き叫んだかもしれないが今は意地でも泣くものか。
「ああ、ここはほとんど使われていないから」
「へんなの」
ヴォルフラムはぷいとそっぽを向きながらも奇妙に思った。
普段は現魔王の次男であるコンラートは滅多に使わないようなはずれの小さな回廊に来ることはない。
それに自分は勝手に飛び出してきてかなりの間泣き続けていたはずなのに誰も自分を探しに来ていない。誰にも何かを言う暇もなく勝手に出てきたというのに。
ここは、どこなんだろう?
「ちっちゃいあにうえ、どうしてこんなとこにいたの?なにかごようがあったの?」
「・・・・・・」
コンラートは返事をせずに曖昧に微笑んだ。
少し哀しげなその微笑は何となくヴォルフラムの「教えて」攻撃を封じ込めてしまった。
口では訪ねずに肩を揺さぶって「ねえ、ねえ」と訪ねてみたが無反応。
結果、お互い黙り込むことになり黙々とした足だけがその場を動いていた。
しばらく沈黙のまま時間が過ぎた。
ヴォルフラムとしては残りわずかな時間なのだからコンラートと沢山、何かを話したかった。
しかし、自分から沈黙を破ることはためらわれた。この沈黙は自分には重い気がする。
(ちっちゃいあにうえは今日はお話ししてくれないのかな・・・?)
いつもコンラートの話を心待ちにしていたヴォルフラムにはそれはとても残念なことだった。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
ヴォルフラムの思いとは裏腹に沈黙は続いた。コンラートの足音だけが薄寒い廊下に響いている。
仕方が無く何か話のきっかけになるものはないかなとコンラートの肩越しに周りを伺った。すると右手に並ぶ窓の夜空に美しい満月が浮かんでいることに気が付いた。
「ちっちゃいあにうえ!」
泣いたカラスがなんとやらでヴォルフラムは泣くのも早いが乾くのも早い。窓の外を懸命に指さしながらコンラートの首に強く抱きついた。コンラートも元気になったヴォルフラムに安心したのか笑顔で答えた。
「どうしたんだ、ヴォルフ?」
「みて、みて、まどのおそと!おつきさまがきれいだよ!」
言われて初めて気がついたようにコンラートは窓の月を見た。
まるで、今までここには光など無いはずだとでもいうように窓の月明かりに驚いていた。
「きょうはおつきさまがまんまるだね、ちっちゃいあにうえ!」
「・・・・・・・・・ああ、そうだな」
いまいちのの反応だったが、ヴォルフラムはなんだかコンラートがかわいそうになってきた。
まるで彼の所だけ光が素通りして、暗闇の中にいるような声だった。
(ちっちゃいあにうえ、どうしたのかな)
疲れているのだろうか。長旅で帰ってきたばかりならばそうである可能性は高い。それとも、長い旅の間母上に会えなくて寂しかったのだろうか・・・きっとそうだ。
だって、とても寂しそうな声だった。
ヴォルフラムはしばし黙り込み、うーんうーんと考え込んだ。
「どうしたの?」というコンラートの声にも「ちょっと待ってて」としか返事をしない。
しばらくたつと「これは名案だ!」と考えつく。首に抱きついてヴォルフラムは精一杯コンラートがさみしくないように強く言った。
「あのね、ぼくね、まんまるなおつきさまがいちばんすきなんだよ!なんでだとおもう?」
「・・・・・・うーん、何でだろう?」
首をかしげるコンラートに満足してヴォルフラムは正解を言った。
「あのね、まんまるなおつきさまはちっちゃいあにうえににてるから!!」
「え」
理解できないコンラートにまくし立てるように言った。
「あのね、あのね!まんまるなおつきさまがでているよるはね、よるがこわくないんだよ。おつきさまはとってもあかるいからこわいのをけしてくれるんだよ!あにうえといっしょ!」
「・・・・・・おれと一緒?」
「だって、まんまるなおつきさまもちっちゃいあにうえもぼくがいちばんだいすきだから!
だからいっしょ!おんなじなんだよ!くらいよるでもちっともこわくないんだよ!!」
「・・・・・・・」
「ちっちゃいあにうえもおつきさまがいっしょならよるだってこわくならないし、さびくないよ!
だって、おつきさまはいつでもおそらに・・・・」
そのときのコンラートの表情をヴォルフラムはどう見ればいいか分からなかった。
この先七十年たってもずっと。だって、笑っているのか、泣いているのか、分からない。
「・・・・・・ちっちゃいあにうえ?」
「・・・・・・ヴォルフ」
でも、すぐにその表情は見えなくなった。
気がつけばヴォルフラムはコンラートの肩越しに満月を見ていた。コンラートの暖かさが全身に伝わってくる。
コンラートはヴォルフラムを抱きしめていた。強く、息ができないくらいに。
びっくりしてコンラートの顔をのぞき込もうとしたが強く抱きしめられていて動けない。
代わりにヴォルフラムはコンラートの肩がかすかに震えていることに気がついた。
「ち、ちっちゃいあにうえ。くるしいよぉー」
「・・・ごめ、ごめん、ヴォルフ」
ヴォルフラムはコンラートが泣いているのかと思った。しかし、頬には涙で濡れた様子は無かった。ヴォルフラムは首をかしげた。
じゃあ何で震えていたんだろう。どうして?
しばし考える。そして、他の可能性に思い当たっていった。
「さむいの?ちっちゃいあにうえ?」
そういえば「もうすぐ冬が始まるわね」と母が言っていた。
「寒い?そうだな・・・・・・」
ヴォルフラムの頬に自分の頬をくっけるとコンラートは少し考え込んだ。
(やっぱり、さむいのかな?)
コンラートの頬はヴォルフラムのそれより、冷たかった。
もっとも、それはいつものことで夏にコンラートと一緒に眞魔国でも暖かい気候のカーベルニコフに行けば、なれない気温を暑いと感じて、体温の低いコンラートにヴォルフラムはいつもより余計にくっつきたがった。今日は逆なのだろうか。
「そうだな、寒いな。うん、寒い、よ。・・・・・・・・・ねえ、ヴォルフ」
「?なあに、ちっちゃいあにうえ?」
コンラートはヴォルフラムの顔をじっとのぞき込むと右手で指さしをした。
「今日はここの部屋で一緒に眠ってしまわない?」
「え、ここで?」
コンラートが示した先には外れにふさわしく何年も使っていないであろう部屋の扉があった。
「なんで?そんなにさむいの?」
「うん、凍えそうなくらいにね」
いつもコンラートに大切にされてきたヴォルフラムだったが、コンラートを探して勝手にいなくなった場合は「使用人に何を言わずにいなくなってはダメだよ」と怒られることが多かった。
だから、てっきり今日もちゃんと自分の部屋に部屋に帰って、そこで一緒に眠るのだと思っていたのだが。
コンラートはいつにない強引さで、有無を言わせずにヴォルフラムをその部屋へと誘った。
「だから、行こう。さ、ヴォルフ」
「ほんとうに、いいの?」
「勿論だよ」
「・・・・・・うん!いく!」
何となく違和感はあったが、部屋に帰れば女官たちにあれこれ言われてその分コンラートと一緒にいられる時間が減ってしまうのはいやだった。
全く知らない部屋だがコンラートと一緒に一晩中過ごせるのだから怖いはずがない。特に今日は満月とコンラートが両方一緒なのだから。怖いことなどあるはずがない。
嬉しさ一杯のヴォルフラムはコンラートの手を引っぱって駆け込むように部屋に飛び込んでいった。
「・・・・・・・・・・・・ん、ちっちゃいあにうえ?」
「あ、ごめん起こしちゃったか」
目覚めたばかりの眠い目をこすって、ヴォルフラム一瞬自分がいる場所がどこだか分からなかった。
(・・・・・・・・・えと、きのう、ちっちゃいあにうえが・・・・・・)
しばらくして、見慣れた廊下の景色が上下していることに気がつく。
そのときになってヴォルフラムはきのうコンラートを追いかけたこと、今自分がおぶわれて運ばれていることに気づいた。
「珍しいな、ヴォルフがこんな早くに目が覚めるなんて」
「・・・・・・あれ、あさ・・・?」
「うん、きのうはヴォルフはすぐに寝ちゃって・・・」
そんな!
きのうは一晩中寝ないでちっちゃいあにうえとお話するつもりだったのに!
「うそ!!なんでおこしてくれなかったの!!?ちっちゃいあにうえもういっちゃうの!?」
「うん、もう時間だからね」
「・・・う、うー」
きのう約束した手前、行かないで攻撃は使えない。となると、
「ちっちゃいあにうえ、つぎはいつかえってくるの?」
「そうだな、ちょっと分からないかな」
「えー」
なんだかんだでまだまだ二人の時間を楽しんでいる二人だった。
しかし、二人の会話に一つの声が進入してその時間は一気に終わりを迎えた。
「・・・・・・ヴォルフラム殿下ー・・・・・・!!」
「「あ」」
二人の声が重なった。
ヴォルフラムのお付きの女官たちの声だった。まだ見つかってはいないが、そう遠くはない距離からの声だった。ヴォルフラムは肩越しに「みつかっちゃうね」といたずらが見つかったようにコンラートに同意を求める。
しかし、コンラートは何も答えずにおぶっているヴォルフラムを床に降ろした。
「ヴォルフ、ここから一人で女官たちの所までいけるね?」
「え、なんで!!ちっちゃいあにうえもいてよ!!」
予想外に突然の別離に、ヴォルフラムはショックを受けた。
ヴォルフラムは必死に訴えた。涙を浮かべてコンラートの胸を小さな拳でたたく。
「もういっちゃうんでしょ!?もうすこしだけでもいいから・・・・・・」
「ヴォルフが俺と一緒にいるところを見られたら、みんなが心配するよ」
「なんで!?ぼくたちきょうだいじゃない!!いっしょにいてあたりまえでしょ!!?」
すっかり朝の、太陽の光がさす冴え渡る空ではコンラートの表情ははっきり見えた。
「だって、俺は人間だから」
涙が出ていないことが不思議なほど寂しそうな、笑顔だった。
「なんで・・・そんなこというの・・・?そんなわけ・・・・」
「本当のことだからだよ」
「あにうえの、ははうえはまおうだよ・・・・・・?」
「そうだな、俺の、俺の父親が人間なんだ。・・・・・・俺の血は半分人間のものなんだ」
泣いている、と感じた。
コンラートの瞳は乾いているのにその頬に涙が流れているのをヴォルフラムは確かに見た。
「昨日は女官たちが俺を人間の血を引く俺をあまりヴォルフラムの側においてはいけないから、彼女たちはヴォルフを早く寝かしつけるように寝室に連れて行ってたんだ。俺たちが顔を合わせないように。
・・・・・・だから、俺はお前に会いに行ったけど、それを聞いて引き返したんだ」
ついて来ちゃったけど、と少し嬉しそうに言う。
ヴォルフラムは何も言えなかった。
ただ、平静なコンラートの声が泣き声に聞こえる気がしてならなかった。
「・・・・・・・・・・・」
沈黙を続けるヴォルフラムに、コンラートは泣いているのか、笑っているのか、わからない表情のまま告げた。
「俺は魔族として生きることを決めたけど・・・やっぱり半分は人間なんだ
だから、ヴォルフラム」
だから、これでさよならだよ。
コンラートは何も言わずに立ち去っていった。
ぼんやりとヴォルフラムはコンラートの背中を見つめていた。
その背中が見えなくなっても、見つめていた。
背後から聞き慣れた女官の必死の声に抱き留められるまで、ただ見つめていた。
続き物ばっかりです、このサイト。
コンラートが何故こんな所にいたかは次で説明します。
ちっちゃいヴォルフ、初めて書きました。
しかしちっちゃいヴォルフは書いてくうちにどんどんコンラートが大好きになっていきます。
こんなに、大好き大好きにするつもりなかったのに・・・・・・。
コンラートも現在ほど(当たり前ですが)大人の対応は無理みたいです。
というか、ユーリやジュリアが傍にいないコンラートを書くといつも「俺がいなくてもいいんだ!!」とすねて、逃げてしまいます。そんなコンも好きです。
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