踊る前に
「イヤです」
「もうヴォルフラムったら、わがままさんねー」
幼いヴォルフラムは椅子の上で足をばたつかせていた。日頃はそんなみっともないマネは(本人としては)あまりしていないのだが今日は別だ。抗議したくてもまだまだ幼く、母の腰ほどしかない背なので足を踏みならすこともできないのだから、せめて行儀を悪くして抗議を認めてもらうしかない。
頬に手を当てて「困ったわねー」とツェリはかわいい末の息子を見下ろした。母に似て天使のように愛らしい息子は、まだ剣ももてないくらい幼い。ツェリとしてはこの小さな愛らしさを早くみんなに見せたいのだが、当の本人は「舞踏会には出ない!ここを動かない!」ともう3時間も粘っている。
ふいっとヴォルフラムは困った様子の母から目を逸らす。無言の抗議としてより激しく足をばたつかせてこれ見よがしに頬を膨らませる。
「なんでぶとうかいで、はじめてぼくがおどるのがギュンターなんかのむすめなんですか」
「あら、会ったことない女の子を「なんか」なんていうのと、もてなくなるわよぉ?」
母は口元に指を当ててちょっとすねるように言ったが、そういう問題ではない。ここは絶対に譲れなかった。
フォンクライスト・ギュンターはまだ若いが文武両道、才色兼備、冷静沈着の眞魔国では知らぬもののいない男だった。軍の教鞭をとっていて、その教えは厳しくも的確。どんな難問にも瞬時に答え、決しておごることはなく誰からも尊敬されていた。最近はヴォルフラムの2番目の兄(とはヴォルフラムは認めていないつもりだったが)のコンラートがその教えを受けていて、もともと抜きんででいた剣技を眞魔国有数の腕にまで上げている。
そのギュンターに可愛いが、わかままで、自分の気に入らない事なら教師の言うことをろくに聞かない三男に学問を教えてほしいと母が頼むのも自然の成り行きだった。ギュンターは多忙の身にもかかわらず快く引き受けたらしい。
他人から聞けば美談だがヴォルフラムは冗談ではなかった。
(あんなやつ!)
ヴォルフラムはギュンターのことが嫌いだった。
勉強に厳しいのはまあ仕方ないのかもしれないが、ギュンターときたらやれペンの持ち方がどうだの姿勢が悪いだの勉強に関係ないことでもヴォルフラムを叱った。
さらには立ち聞きをするなとか(たまたま聞こえたからちょっと立ち止まっただけだ!)、朝いつもでも寝てないでさっさと起きろと部屋に踏み込んでくるし、朝食の席では食べ物の好き嫌いをするな食器の持ち方が正しくないとヴォルフラムの生活態度の矯正を謀り、厳しくしつけた。宿題を忘れたことで王子であるヴォルフラムを廊下に立たせたりしたこともあった。
挙げ句の果てには、ヴォルフラムに日頃から甘いものたちが「厳しすぎる」とギュンターを咎めれば、
「そんなことだからこのわがままプーがつけ上がるのです!」
と一蹴した。
(だれがわがままプーだ!)
それ以来ヴォルフラムをギュンターとは口をきかなくなった。
相変わらずギュンターはせっせと無視を決め込んだヴォルフラムを気にせず、生活矯正をあれやこれやと仕掛けてはいる。その態度から、余計に断固としてヴォルフラムは口をきかなかった。そのことでもさんざん怒られたが目に涙をんじませても口だけは断固として聞くまいとしていた。もはや意地だ。
(それなのに、ギュンターのむすめとおどるなんて!)
それではこっちから負けを認めたようなものだ。ヴォルフラムは断固として譲る気はなかった。多分、ダンスの授業がここのところ多かったから、その本番ということなのだろう。
もともとギュンターの授業の成果など見せる気にはならなれず誰が相手であろうと踊るつもりはなかったが、その舞台におそらくはギュンターの味方であろう彼の娘と一緒に出向けば「負け」を認めたようなものだ。養女であるらしいことは知っていたが、同じことだ。
「ぜったい、ぜったい、ぜーったいいやです!!」
「そんなこといっていると、ギュンターが泣くわよ?」
「あいつがなくわけないでしょう!ギュンターはごうじょうでしつこいんですから、ないたりしません」
「そんなことないわよ、もう」
自分が一番「強情でしつこい」ことを棚にあげるヴォルフラムにツェリは意外なことを教えた。
「だって、今回のことはギュンターのたってのお願いなのよ。自分の娘と踊ってくれそうなのはヴォルフラムぐらいだって、半泣きで」
「・・・・・・うそをついてもむだです。むすめなんだから、そいつはギュンターのみかたにきまってます」
「うーん、どうかしら?
なんでもとっても可愛らしい子だそうだけど、同じくらい気の強いお嬢さんらしくてギュンターと口げんかをしたらギュンターが根負けして涙目になってたって、もっぱらの噂よ」
「ぎゅ、ギュンターが・・・?」
聞く耳持つまいとしていたヴォルフラムだが根が素直であるため、思わず聞き入ってしまう。ツェリは先日一番上の兄が赤い悪魔に実験台にされたことをのんびりと報告するときと同じ口調で、ギュンターの悲劇について語り続けた。
「ええ、「もともと気が強かったけど、反抗期になってからますます・・・・」って投げつけられたインクのシミが髪からなかなか取れないって涙目になって、困っていたわねぇ・・・」
「・・・な、なげつけ?」
「ええ、なんでもダンスの練習をさせようとしたら、クライスト家に代々伝わる壺を投げつけられたとか」
「・・・つぼを?」
「割れてしまって、先祖に申し訳が立たないってちょっと涙目だったわ。ダンスの練習よりも魔術の勉強がしたいって言って、ギュンターを困らせているみたいよ。何とかダンスのレッスンはしたけれど、本番が来ると脱走したりギュンターに決闘を挑んだりで、一向に練習の成果を試すことが出来ないってちょっと泣いてたわ。
それに・・・下手な相手と無理矢理踊らせれば、それこそ彼女の怒りで相手が何をされるか分からないって」
「・・・そ、そんなあいてとぼくが?」
まだ見ぬギュンターの娘がヴォルフラムの中で恐ろしい少女になっていく。角があったり、目が赤く光ったりするのだろうか・・・?そして・・・そんな相手を怒らせでもしたら・・・。
だんだんと青ざめていく末の息子の様子は気にせずにツェリは話に集中していた。
「だから、第三王子であるヴォルフラムが相手なら滅多なことは出来ないだろうからってギュンターにお願いされたのよ〜。とっても楽しみだと思わない?」
「ははうえ、そんなこわいむすねとぼくを!?」
「躍らせるつもりなんですか」と必死な息子をよそに、ツェリはもうすでに今日の舞踏会で踊る息子の晴れ姿を思い浮かべてうっとりとしていた。
「うふふ・・・ヴォルフがその可愛い娘さんと踊ったらさぞかし可愛らしいでしょうねぇ。
お嬢さんも勉強熱心なのは関心だけれど、ダンスなんて素敵なひとときを知らないで勉強ばかりしていてはきっと将来後悔してよ。でも、ギュンターを言い負かすくらいとっても激しい情熱を持った娘さんなんですから、強情屋さんのヴォルフにはぴったりかもねえ・・・・・・」
ついに真っ白になるまで青ざめたヴォルフラムはさっきとは違う理由で、今夜の舞踏会で絶対に踊らない決意をかたくかたくした。
・・・・はあ・・・・はあ・・・・はあ。
舞踏会の夜にヴォルフラムは・・・・・・
「こ、ここまで来れば・・・」
全力疾走に次ぐ、全力疾走を繰り返して血盟城の裏側にある中庭に面した廊下で肩でぜいぜいと息をしていた。「ここまで来れば安心」と何回も周囲を確認してようやく安心するとよろけて壁に背を預ける。と、もうすでに日は沈み、空には淡い黄色の月が昇っていた。
今頃は舞踏会が始まっているころだろう・・・もともと踊る気などなかったが、ギュンターの娘とやらの踊ることはもはやヴォルフラムにとって「ギュンターに屈服するなんて」という屈辱ではなく「どんな目にあわされるか」という恐怖だった。いつもは気にいらないことでも母からの「お願い」に押されてつい従ってしまうが、今回の恐怖はそれを上回っていた。
でも、ここまで来れば大丈夫だろう。何せここは血盟城の裏庭にあたる場所だ、華やかな社交場の会場とは正反対の魔王の私的な空間となっている。ヴォルフラムにとってはいつも生活している場所だが、ここまであまり兵たちも無断では入ってこない。母はまた素敵な殿方とやらに(ヴォルフラムにとっては単なる恐れ知らずの気に入らない輩だったが、母にとってはそうらしい)囲まれてギュンターはその母をたしなめることに忙しそうだった。
だから、探しに来る輩はいない。大丈夫なはず。
「はあ・・・・・・ここにいればしばらくはたいじょうぶ」
ほうっと息をつくとヴォルフラムは両足を伸ばした。それにしてもいつごろまで隠れていよう?今頃舞踏会はどうなっているのだろう・・・ギュンターの娘は怒っているだろうか?怖そうな子らしいけど、すっぽかしたりして少し悪気がする。今度手紙で謝ったほうがいいだろうか・・・・・・。
「あら、先客?」
「!?」
安全圏だと思っていた場所でぐるぐる考えている横で急に見知らぬ者の声を聞かされて、ヴォルフラムは飛び上がった。飛び上がった様子にひるむことなく声をかけたものはヴォルフラムに近づく。
ヴォルフラムは壁際に張り付いてじりじりと後退した。誰だ誰だ、と見上げるが月明かりが逆光となっていてそいつが若い女だということしかわからない。女性というより、ほんの少しだけ年上の少女かもしれない。
「・・・子供なの?ここは魔王陛下の私的な場所よ。無断で入っちゃダメでしょう?」
「お、おお、お前こそ・・・」
「わたし?わたしは大丈夫よ、ばれるようなヘマはしないから」
あんまりの発言に口をポカンと開いているヴォルフラムを気にすることなくその女は「まあ、いいわ」と離れた。逆光が薄くなると彼女の様子がさっきより見えた。暗闇の中月明かりだけで薄墨色になっているが、ふわりと裾が軽やかな淡い色のドレスを着ている。
舞踏会の客なのだろうか・・・?母やギュンターが追手を出したことを想定していなかったヴォルフラムは青くなった。しかし、そうではないらしく彼女は「なぜ、こんなところにいるの?」と隣の壁に背を預けて不思議そうに尋ねてきた。
「べ、べつに・・・ただちょっとおどりたくないあいてがいるからかくれてるだけだ」
「わたしもよ、父がダンスのレッスンだとどうしても躍らせれれそうになって」
「なに!?おまえもなのか!?」
ヴォルフラムは俄然食いついた。
「ぼくだけそんなめにあっているとおもっていたんだが・・・おまえもたいへんだったんだな」
「ええ、まったく父上ったら・・・しかも踊る相手がとんでもなくわがままで手がつけられないらしくて」
「そんな・・・おまえのちちはそんなひどいことをむすめにするのか!?」
「本当よ、しかも行儀は悪いし勉強中によそ見をするし好き嫌いは多いんですって」
ヴォルフラムは「ガーン」という音を聞いた。世の中は広い聞いていたがそんなひどい父親がいるなんて知らなかった。そんなどうしようもない悪ガキと踊れだなんて、そいつは娘を愛していないのだろうか?
「・・・・・・るな」
「え?何か言った?」
「しんぱいするな!そんなあいてとおどることなんてない!ずっとここにかくれているんだ」
「え?」
「もしだれかおいかけてきてもぼくがおまえをわたしたりなんてしないから!だいじょうぶだ!」
びっくりした表情の少女にヴォルフラムはぶんぶんと両手を振って声を上げた。彼女は驚いた表情のまま固く決意を燃やしているヴォルフラムの顔を覗き込むと何かに気づいたように、そのまま見入った。しげしげと顔を覗き込んでいるその顔がとてもきれいだったのでヴォルフラムはすこしどきりとした。
とても近い距離に硬直するヴォルフラムの前で彼女は一瞬だけ目を見開くと、今度は一瞬でふっと表情を緩めた。首をかしげているヴォルフラムにくすくすと笑って「それじゃあ、お願いしようかしら」と言ってヴォルフラムの頭をなでた。子供みたいに触るなと抗議すると、今度は急に彼女が笑い転げ始めた。
もう一度ヴォルフラムが抗議しようとしたその頃に足音が聞こえてきた。とても小さな足音だったが、日ごろギュンターに監視されっぱなしのヴォルフラムにはギュンターの足音だとすぐにわかった。
「たいへんだ!あいつがくる!」
「・・・もうきちゃったの、父上も素早いわね」
「おまえのちちもきているのか!だったらもっとたいへんだ、にげないと!」
ヴォルフラムは少女の腕をつかむと「こっちだ」と庭のほうを示した。一見単なる美しい魔王の私的な庭だが、物心がついた時からいるだけあって死角のようなものに気づいて隠れる場所はたくさん知っている。ちっちゃいあにうえがおしえてあそこなら・・・じゃなくて!とにかく誰から教えてもらったかも忘れたが二人で隠れられそうなら知っている。急がないと!
「はやく!いそがないとおいつかれる!」
「はいはい、わかりました。こっちはドレスが邪魔でこっちが動きにくいんです」
「だいじょうぶだ!こっちだ!」
ヴォルフラムは手すりを超えた庭の芝生の上で両手をドレスをたくしあげて手すりを乗り超えている彼女のほうへと精一杯伸ばした。受け止めるからここに降りろということらしい。
どう考えても、それは無理だったが少女はヴォルフラムを笑わなかった。うれしそうに、静かにつぶやく。
「はい、殿下」
必死に手を伸ばす金髪の幼い少年に少女はふわりと笑って、その傍らに降りた。
その夜見事逃げおおせたヴォルフラムが、60年後に婚約者を捜してのシマロン行きの船でようやく少女の正体を知ることになるのはまた別の話。
終わり
初ヴォルギーです。結構前から書いてるのにやっと出せました。本当は拍手の方のダンス編にしようと思って字数オーバーで断念したやつです(サラユでもそんなこと言ってたな・・・)。
この後きっとヴォルフはギーゼラに別の場所で会うんでしょうが、きっとその時は軍曹モードじゃなかったので噂は噂でギーゼラは怖くないと誤った認識をします。そして、その少女のことは「誰だったんだろう」とか天然なことを考えてるんでしょう。で、軍曹モードを見て初めて気づく、と(笑)。
2008/03/05