「 な く な っ た 」 1



















ここか





コンラートは剣の柄を握り直した。愛用の剣を握る手が硬い。

戦いに備えて余計に張り詰めない方がいい、無用な力が入ることで戦場では命取りになる、それは自分の命でもあり、そして・・・・・・。

しかし、知ってはいても感情が付いていかないこともある。なにせ・・・・・・自分の急所を握られている。平静ではいられない、むしろ時間が経つごとに理性が崩れていく。精神をギリギリのところでせき止めているだけだ。


動揺、不安、恐怖、それらを抑えることには慣れていても、できれば抑えること自体を避けたい。これから失敗は1つたりとも許されない。何よりも自分のために。


一呼吸置いて、余計な力を抜く。成功させるためには平常であること、今までの生でそのことは学んできたはずだ。

もう一度、木の陰からその場所を覗き込んだ。寂れた廃屋。長く用いられていないその場所は、汚れているというよりはもうすでに自然の一部と化しているようで、所々崩れ、植物がはびこり、隙間から内側の様子を少しだけうかがうことができる。

人の、魔族の気配が離れてずいぶん経つというたたずまいはコンラートの胸に疑念を芽吹かせた。



(・・・・・・本当にここにいるのか?)



疑念はすり切れる寸前の精神を余計に張り詰めさせた。ここでは、ここでも、ないのか。じゃあ、俺はどこに行けばいい?



ここを教えてくれた彼が嘘をついたとは思わない。彼にはずっと嫌われていた、疎まれていた、正面切ってののしられたこともある。



そして、それはこっちも同じだった。嫌いで、疎んで、彼をできるだけヴォルフラムから引き離すようにしていた。無邪気に次兄を慕う幼い弟を嫌いな人物からそれとなく離れるようにし向けるのはコンラートの何食わぬ顔の常套手段だった。

流れる血のことでこっち側とあっち側に線を引くものへの軽蔑でもあったし、また弟に真実を知られたくないという恐怖が自分自身もこっちがとあっち側に線を引いていることを突きつけてくる故の回避でもあった。

とにかく顔をできるだけ会わせていたくない、見たくもない、同じ空気を吸っているのもいやだ、そう思うことだけはお互い一致しているような関係だった。


その彼が自分にすがった。
頼むから甥と、甥が忠誠を誓う主を助けて欲しいと懇願した。いまだ血盟城の奥の囚われの身で、誰からも会話を禁じられていた蒼白の彼を前にコンラートはただ頷いた。ヴァルトラーナの言葉に耳を貸したのはコンラートだけだった。彼がヴォルフラムのことで嘘をつくはずがない、信頼ではなく経験でコンラートは確信していた。


ヴァルトラーナがヴォルフラムの安全のために嘘をつくわけがない。そうだ、彼とその点でも気は合っていた。しかし、彼のもたらした情報が常に正解とは限らない。実際グウェンダルとギュンターはほかの場所に捜索隊を送った。だが、コンラートはヴァルトラーナの言葉に賭けた。一向に見つからない二人が無事であるかもしれないならと単身で動いていた。


状況は正解以外の選択肢を選べば取り返しの付かないほうに転ぶ可能性が高い。だが、どれが正解かなどわからない。だから、賭けるしかない。



(取り返しが付かない・・・・・・)



自分の連想にぐらりと風景が揺れた。コンラートにとっても、いやコンラートにとってこそこの状況は悪夢のようなものだった。ユーリとヴォルフラム。その二人を見ることもできずに、いつ何が彼らにあるか分からない。


二人が凶刃を前にして、それをかばうことの方がコンラートにとってずっとたやすかった。絶望の中で出会った名付け子と、暗い諦観が身を蝕んでいたときに生まれた半分だけ血がつながった弟、コンラートにとって二人を守るために傷つくことは自明だった。急所をかばうようなものだ。

転んだ拍子に、石が顔に飛んできたときに、とっさに身体をかばうように、コンラートは二人をかばった。無意識にそれを損なう方が自分にとってもっともっと痛いと知っていた。


彼らを失うことは決してあってはならない。




(失敗はできない、絶対に)




なによりも自分のために。何を犠牲にしても。



瞳の銀の星を暗く光らせてコンラートはもう一度廃屋の気配を伺った。十人以上、それも最低は二人の囚人を連れた場所にしてはやはり静かすぎる。


・・・・・・ここではないのか。ここにもいないのか。


ヴァルトラーナは彼らにとっては裏切り者だ。彼が知っている場所など、とうに見切りをつけて移っているほうが自然だろう。過剰な期待は禁物だと言い聞かせていたが、そう感じれば自然と気落ちする。ここでないならどこへいけばいい。

探すあてもなく、右往左往しているよりは有益といっても正解でなければ意味がない。ユーリとヴォルフラムがいないならば何の意味もない。時間をいたずらに消費することは危険すぎる。

諦めたのか?と冷静な自分が聞いてくる。どんなときでも冷酷な視点を失わない自分自身が時に疎ましいが、誰よりも頼りにしていることも紛れもなく事実だった。そう、諦められるはずがない。そう、冷たい声が心に響くとコンラートは自然と安心した。心はできるだけ冷えている方がいい・・・・・・・・・


その時、がさりと地を覆う葉にを踏む音がした。とっさにコンラートは音を立てないように身を小さくした。

心臓の鼓動すら疎ましいほど、物音を立てずに茂みに身を潜める。小さすぎる葉と葉の隙間から音の方向を視界に映す。廃屋は自然へと帰る過程で、木々の中埋もれてしまいそうで、そしてその前に小さな影があった。



(・・・・・・いた?)



確かに歓喜をもってコンラートは剣を握り替えした。視線の先には辺りをうかがう若い女が食料を持って、明らかに兵士と分かる男たちに廃屋へと手招きをされていた。コンラートは音を立てずに剣を柄から抜きはなった。

まず気づいたのは女だった。小さな食料の袋を抱えた女は近くで見れば、まだ少女と言っていい風貌だった。首を手刀で打って、気絶させた。静かに崩れ落ちる彼女の気配を敏感に察知した兵は剣の柄に手をかけた。

その剣が抜き放たれる前にコンラートは彼を斬った。 斬った彼の向こうに複数の足音が響いた。


その先は手加減などできなかった。


























ヴォルフラムが捕らわれたことを知ったのは、コンラートが眞魔国に帰還してからわずかな時間が経過し、ユーリが眞魔国に再び呼び出されたときだった。


ヴォルフラムを捕らえたのは純血魔族でも特に人間という存在を排除する動きの強い一派だった。


彼らは常日頃から人間との戦争よりも融和を図る異世界の魔王を倦厭していた。それどころか本音ではユーリを魔王とは認めていないとでも言いたげな言動も多々あった。そして、彼らは純血魔族で十貴族で、何より眞王陛下に映し身のヴォルフラムを真に魔王にふさわしい人物と見なしていた。

彼らの先頭に立っていたのがフォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナだった。人間との戦争で命を落とした兄からビーレフェルトを受け継いだ彼は徹底的な人間排除派だった。眞魔国に人間が存在していることすら許せない、と考えていたこともあったらしい。

しかし、同時に彼は甥を溺愛していた。兄の忘れ形見を宝物のように心から愛してきた。だからこそ、眞王の意図に疑念を挟んでまで甥こそが真の魔王にふさわしいとまで考えていた。


それゆえに彼は折れた。ヴォルフラムのために、甥が忠誠を誓う魔王を認めた。


グウェンダルをはじめとした眞魔国上層部の面々はこれを最初喜んだ。これで国内に不穏な気配がなくなると国民も胸をなでおろした。しかし、ヴァルトラーナの決意は彼を中心としていた純血魔族派の面々を大きく動揺させた。

その直後、追い詰められた彼らはヴォルトラーナへ友好の使者として送られたヴォルフラムを捕らえ、行方をくらませた。安堵から一転して緊迫しきった情勢の中、内戦も避けられないとの声が上がった。実際、コンラートとグウェンダルはそのつもりだった。嫌疑をかけられたヴァルトラーナは捕らえられ血盟城の奥深くに封じられた。

日に日に内戦の声が高まった。その中でユーリは密かに一人で彼らの元に赴き、捕らえられた。そして国内の緊張は頂点に達した。






















血、血、血。



平和な時代にしばらくそれに久しくまみれたことはない。鉄の匂い、鮮血の色、動かないまだあたたかい体たち。自分が作り出した光景。久しいが見慣れたものだ、少しだけ忘れていただけで。


斬った、また斬った。手加減をする余地は時間はない、ただ確実に相手の息の根を止める。そうすればそれだけユーリたちの安全が約束される。それだけを思考の中に残し、ただ斬り、突き、踏み越えた。


何人斬った?十人は越えているが・・・・・・。息が切れていることを自覚すると焦りは増した。持ちこたえてみせる。しかし、その隙にユーリたちに何かがあったら。


刺し貫いた手が血の滑りで柄を滑ることに舌打ちすることなく逆手に持ち代えて対処する。冷酷とは思わない、ただきっとこの姿はユーリの心、もしかしたらヴォルフラムの心をも傷つけるだろうと冷静な自分が忠告した。



かまわないと答える。無事なら、生きていてくれるなら、それでいい。



コンラートは膝をつく男の胸から剣を引き抜くと、再び剣を持ち代えた。誰一人逃がしてはいないはずた。コンラートが侵入していることが知られていなければ、二人には危害をくわえられてはいるまい。

しかし、見つけ出さねばならない。コンラートはひとつ策を思い付くと周囲を確認する。



(いた)



都合良く、廊下の角で一人の兵が呆然とコンラートを見ていた。


コンラートと目が会うとはっとしたようにその兵は表情を凍らせた。コンラートが剣をかまえると弾かれたように、突然の侵入者に逃げた。一太刀で簡単に斬れるその背中を数瞬だけ見逃すと、すぐに追った。

追跡は建物の奥へ、奥へと向かった。3つ目の角を曲がった時にその兵の止まった気配がした。



(・・・・・・あそこか!)



深い歓喜を持ってコンラートはその場所を見つけた。

廃墟となった建物は大きさだけは十分でその中心に鍵のかけられた大きな扉があった。二人の大柄な兵たちの間で先程の兵が真っ青になって鍵を開けようと震える手をがちゃつかせている。

二人が捕らえられているなら、追い詰められた彼らは二人を閉じ込めて籠城するしかないとの推測が確信に変わることを感じるとコンラートは動揺した同志を宥めようと扉に向き直った二人の兵の内手前の兵の背中を斬りつけ、返す刃でもう一人の喉を突く。

血を流して倒れる二人の仲間にポカンとした、よく見ればまだ若い兵はすでに頑丈そうな鍵を解いていた。ありがとうと内心で礼を言うと、コンラートはその兵を斬った。















扉の先にはコンラートの予想通り首謀者たちがずらりと並んでいた。皆、深く真っ黒なマントのフードを被って、剣を手にしている。どこかへ移動でもしようとしていたのか。しかし、彼らは遅すぎた。間に合ったと喜ぶ自分に冷静な自分が待て、と囁いた。部屋の奥をよく見てみろ、と。


コンラートは視線の先に見つけたものに一瞬硬直した。部屋の奥にはユーリがいた。両手両足を縛られ、口元をきつく布で覆われている。顔色が悪い、しかし命に別状はない様子だった。万一を想定していたコンラートは胸を撫で下ろそうとした。

しかし、できなかった。

ヴォルフラムがいない。ユーリの隣にいると思っていたヴォルフラムがいない。
ただ、ヴォルフラムが最後に身に付けていたマントが脱け殻のようにユーリの側に横たわっていた。






(・・・・・・どこに?)














もしかしたら、もう。
















その可能性を連想した瞬間コンラートの中の冷静な自分が消え去った。



相手が剣を抜くより早く、コンラートは剣を振り上げた。



斬った、斬った、斬った。ぬぐったばかりの血はあっという間に元に緋色にコンラートを染めた。



剣を振り上げたもの、剣の柄に手をかけたもの、盾にされ突き飛ばされて立ちふさがったもの、人質にしようとしたのかユーリに近づこうとしたもの、魔術を用いようとしたもの、すべて斬った。



容赦という言葉は今に自分にもっともふさわしくないだろう。きっと鬼神のように血の色で全身を染めている。



気がつけば血の海となった部屋で生きているのはコンラートとユーリを除いて一人だけになっていた。その残った男は剣こそ握っていたが、呆然とした表情でコンラートを見ていた。彼の目には悪魔が映っているのだろう。魔族にとっても、人間にとってもの恐怖そのもののような姿が。

コンラートは彼の足を斬った。膝を突いた彼は気丈にも悲鳴を上げなかった。




「ヴォルフラムはどこだ」




彼は答えなかった。ただ蒼白な顔で「私も殺せ」とだけ震える声で言った。コンラートは舌打ちすると視界の端に映っているものに気がついた。



ユーリが泣いていた。コンラートを見て、首を振り、身をよじり、何かを叫ぼうとして押し当てられた布にさえぎられている。その漆黒の瞳は確かにコンラートを映している。



泣いているよ、と冷静な自分が帰ってきた。コンラートは目の前の男の剣を取り上げ、柄で打って気絶させるとユーリに近づいた。ユーリの周囲にはいくつかに大きな法石が配置されていた・・・・・・ユーリの顔色が悪かった原因はこれか。

涙に濡れた黒い瞳で見上げられている。さぞ恐ろしい姿をしているのだろう、自分は。手にした剣でユーリの縄を切りながら、その手がどうしようもないほど血まみれであることを静かにコンラートは認めた。食い込むように念入りに拘束している縄をユーリを傷つけないようにゆっくりと断ち切る。拘束が解かれるたびにユーリは身をよじって前に進もうとした・・・・・・どこに?


すべての拘束が解かれ、口元の布を取り払われたユーリはコンラートを見上げた。





「ユーリ、大丈夫ですか。どこか痛い所は・・・・・・」

「・・・・・・そだ」

「・・・・・・え?ユーリ、なんて・・・・・・」

「うそ、うそだ・・・・・・・・・・うそだああああああああああ!!」





コンラートを振り払って、ユーリは走った。ユーリが向かった先はコンラートが斬った、この部屋のさっきまでの主たちだった。コンラートが制止するまもなくそのひとりひとりに手を伸ばした。魔力のないコンラートにもはっきりと魔力の、治癒の光の奔流が見えた。



「・・・・・・ユーリ」



コンラートはその光景から目をそらした。わかっていた、自分がしたことはユーリにとってはとても受け入れられないことだろう。目の前で何人もの命を一瞬で奪った事実など。


わかっていた・・・・・・それでもやらなければならなかった。


それだけだ、ユーリに受け入れてもらう必要も、受け入れてほしくもない。


しかし、それでも聞かなくてはならないことがあった。




「・・・・・・ユーリ、俺を許してほしいとは思いません。あなたには受け入れられないことでしょう。
でも、これだけは教えてくださいヴォルフラムはどうしたんですか・・・・・・一緒ではなかったのですか?」




まさか、まさか、そんなことはあってはならない。最悪の想像を振り払おうとコンラートはユーリに言葉を投げた。答えてくれるように。



すがるようなコンラートの言葉はユーリには届かなかった。折り重なったまだ暖かいか体たちの中でユーリはただ治癒の術を使い、泣き、叫んでいた。










「うそだっ・・・・・・うそだろ!!なあ、何とか言えよ!!」









コンラートは首を振ると再び部屋を見回した。やはりヴォルフラムの気配はない。










「いやだ、そんな、そんなはず・・・・・・うそだ、こんなのうそだ!うそだって返事しろよ!!」












どこか別の場所に捕らえられているのか?コンラートは再び暗い不安がくすぶるのを感じると、ユーリに向き直ろうとした。しかし、できない。どうして自分がこの血まみれの手をユーリに伸ばせる?









「そんなはずないだろ・・・・・・なあ、頼むよ。
目を開けてくれ、何でもするから、何でもいいから・・・・・・頼む」









ユーリの叫びはもう、泣き声と大差がない状態だった。一際大きな声が上がる。何かを、確信したように頭を振って、なにかを終わらせるように。


















「・・・・・・・・・・・・ヴォルフラム!」




































今、なんて?














































......to be continued......












2008/10/31