あの晩からある感情が胸を焼いて焼いて、夜もろくに眠れない。俺たちは人ならざるものでありながらどこまでも人間そのもの。けれどどこかで本当の人の感情など知らないのだろう、人間と同じように己の全てを理解できなどしない。
だからこれは中途半端な存在がその半端さに出口がなくて困った物語。妙な隣人のせいで、妙な迷路に迷った可哀想なお隣さんの物語。ね、可哀想でしょ?
両の手のひら、大して広いモノではない。でも幼い頃よりはずいぶん大きくなった大切な自分の身体だ。
生まれながらの隣人がいる時はイギリスはいつもこの手と腕を広げていた気がする。それみたかと彼よりも自分を大きく見せようとしてきた。両腕両足を伸ばして、ちょっとだけ大きいフランスより大きく見えるように、決して小さくは見えないように。
しかし今日ばっかりはそうはいかなかった。何しろ急にフランスにパリへ呼び出されたイギリスは会うや否や買い物に付き合えと引っ張られて五分後には荷物で両腕がいっぱいだった。欧州一の文化の都は今日は春風と青空が美しく、それだけで愉快に過ごせると思っていたのだがーー現実は腕が痛いし重い。会って三十分ずっと購入品が落ちてくるのを受け止めるだけって信じられるか!?
パリの化身である美しく整えられたブロンドの伊達男は今日はベージュもスーツに紺のカットソーというラフとカジュアルの中間の出で立ちをしていた。まるで高級カフェに行くかごとき真っ赤なポケットハンカチが鮮やかだ。対するイギリスはスーツを適当に着崩しただけで、気が引けてもいたのだがそんなのは出会って三分の間だけだ。
そしてカートに野菜を積むがごとく流行の菓子と老舗ブランドの箱をイギリスの手に次から次へ運んでいる。
イギリスは当然フランスに苦情を申し立てた。荷物は落とさないようにバランスをはかって、フランスをいつも言葉で罵る。
「ちょっと待ちやがれ髭野郎!ざけんなてめえ荷物くらい自分で持て!もしくは預けてこい!」
「あー今日もパリの空は美しい、どっかの北西にある島国の雨ばっかりと違ってトピアリーの映える彩度の抜けるような青空だわ~」
「天気の事はいうなばかあ!しかもそれは冬だけだ!うちのトピアリーなめんな!」
「・・・・・・」
「な、なんで黙るんだよ?」
いつもは気楽に言葉の応酬ができるのに、できていたのにーー黙っているとはなんの作戦なんだ。
さして広くない両腕に荷物を持たされたから、前方もろくに見えない。その状態で急に無言になられると対応に困る。なんとか高級ブランドの帽子の丸箱の隙間からフランスを除き見る。
するとこちらをじーっと見ていて驚く。荷物が落ちてないか気がかりなら自分で持て!とずれ落ちかけるネイビーの箱とミントブルーのストライプの箱を支える。なにしろさっきからカードで払っているので分かりにくいがこの両腕のお買い上げ商品の合計金額を考えると・・・・・・空恐ろしく落とせない。
「そうしるてとお前イギリスっていうより荷物だな。顔が見えない、つかそういやお前ってどんな顔だったっけ?お前の童顔思い出せなくなってきた」
「てめーが持たせたんだろ!こんなに買うなら車で来い!
・・・お前な、俺はお前が最近変だから来てやったんだ。用件があるならさっさと言え。お前が妙だとこっちも対応に困る」
「・・・・・・何の話?」
「お前がガキみてーに俺をムシしてるって話だよぼけ!何人にまた喧嘩したとかさっさとしろとか言われてんだと思ってんだ!」
「ムシねえ・・・・・・なんのことだか」
空とぼけた声はイギリスを逆に緊張させた、彼はこっちの疑問に答えようとしているのだ。フランスの方ではっきり用件を言ってくれる方が楽だ。けれど理由が全くわからないことは得体が知れず、今更緊張する。
フランスはここ三ヶ月ほどおかしい、しかもイギリス限定で。気にするなという方が酷だ。
世界会議で会えばイギリス限定で徹底的に顔を背けられ、おかしいなと声をかけようにも会議が終われば逃げるようにいなくなる。
会わざるを得ないビジネスでの付き合いは代行をたてられ、それさえ三ヶ月間の間電子社会万歳でメールへの移行がどんどん進み、今や書面とメールでしか会わない。たまたまパリやロンドン、他の国の町で顔を会わせば無言で逃げられた。
この状態でプライベートの連絡などあるはずもない、もともとそんなに連絡しあう方ではないつもりだが私用の携帯電話の着信拒否と受信拒否までするとは異常だ。単に嫌われただけとはとても思えない。不気味だ、いっそ諜報活動の一環かと言われた方が納得する。
地理的に自分たちは縁が深すぎる、私用回線とは言え連絡が取れないと困ることも多いのだ。
歴史的に険悪な期間が長かったのは確かだが、今は比較的穏やかな隣人関係を維持している。貿易も人の行き来も多い。時代としては共存共栄の時期だ、いざこざも争うほどのことはない。
それなのになぜ理屈のわからない子供のような、頑なで拙い拒絶をされるのかわからない。
「フランス、お前がこの国自体に関わることで俺と距離と取ろうとしているとは思わない。政治やら経済やらではな」
「・・・・・・お前さあ」
「つまりお前の個人的な俺への感情だ、それが過去の恨みか他の何かは知らない。お前が黙れば俺に知る由もない、テレパシーは使えないからな。つまり言いたいことがあるならはっきり言え」
「そんだけ持っててよくそれだけ喋れるな」
「お前が持たせてんだろうが!てめ誤魔化すんじゃね・・・あっ」
ぐらり、と六つ積み重なった箱の山が揺らいだ。まずい崩れる、これ全部で何ユーロだっけ、たしか5000ユーロは越えてたと顔から血の気が引いていく音が聞こえる。
「イギリス!」
(なんか懐かしいな)
そういえば久しぶりに名前を呼ばれた。
カラフルな箱がいつくも自分へ向けて一斉に落下する。その中で転んだので覚悟して目を閉じた。が、箱のぶつかる痛みがない、見上げるとフランスが寸前で脇からイギリスを支えていた。
「おい、イギリス・・・・・・怪我してないよな?」
「地面にぶつかってはないから無傷だ、ありが・・・・・・いや!あのな、そもそもお前がだな」
「無事ならいい、もう帰れ。付き合わせて悪かった」
「俺の話はまだ」
「タクシー呼んだからユーロスターで送ってもらえ、あとその荷物はもって帰れ」
「は?」
なにいってるんだこいつは?
「あ、知ってるタクシーだ。へい!」
「お、おいふざけんな!まだ俺は話を」
「このイケてないイギリス人を海峡まで送ってくれ、俺が払っとくから適当に粗雑かつ丁重にね」
「何言ってんだ、俺は買い物に来たんじゃなくてお前と話をしに来たつってんだろ!」
シャンゼリゼ通りの石畳に落ちた箱からフランスは中身を取り出した。そして濃いグリーンのフェルト帽を取り出してイギリスの顔にかぶせた。そのせいで見上げたイギリスも顔が見えない、もっともフランスは彼の顔を見ないために被せたのだが。
止まったタクシーの運転手に挨拶をしながら、荷物で動けないイギリスはタクシーへ押しこめられた。
「つーか元々全部お前にやるつもりっで買ったんだよ。ちったぁ垢抜けるぞ、喜べ」
「おい、話を聞け!何がしたかったんだ、どうして俺を呼んだ!?」
「もともと垢抜けないお前のために俺直々に全身一式選んでやったんだよ、ありがたく涙を流しながらロンドンへ帰れ」
「待てよ!フランス、おいって!話は終わってない・・・・・・」
(俺は話なんかしたくないんだよ)
フランスはタクシーが大通りから見送ることもない。さっさと待ち合わせへと向かった。
イギリスと顔を合わせず三十分間持ちこたえられた喜びと痛みを抱えたままだったが、待ち合わせを思い浮かべると気楽になった。
「いっそおまえに惚れてりゃもっと簡単だったろうな」
しかしそうではない、残念と言うべきかはしらないが。
久しくプロイセンと馬鹿話をしよう、全ては忘れてしましたい。いやいやそれでは堂々巡りだ、このやっかいな感情を彼がすぱっと切ってくれることを期待してこの道を急ごう。
きっかけはつまらないことだ。
けれどあの晩からそれが胸を焼いて焼いて、夜もろくに眠れない。俺たちは人ならざるものでありながらどこまでも人間そのもの。けれどどこかで本当の人の感情など知らないのだろう、人間と同じように己の全てを理解できなどしない。
(ね、可哀想でしょ?お兄さんに同情してもいいとは思わない?・・・・・・ごめん、言ってみただけなんだ。どうしようもないから、愚痴ってしまっただけなんだ)
だからこれは中途半端な存在がその半端さに出口がなくて困った物語。妙な隣人のせいで、妙な迷路に迷った可哀想なお隣さんの物語。
つづく
2015/02/11