オストと一緒~春の眠り~
遙か昔、ロシアの冬。
幼いドイツ騎士団はロシアという少年を嫌っていた。寂しがり、泣き虫、すばしっこい。そのくせ何一つ思い通りにならないのだ。
雪原での追いかけっこはまるでウサギたちのダンスのようだったが当人たちは激しく体力を使う。結局いつものように疲れ果てて二人して倒れた。ぜえはあと息をあらげるドイツ騎士団少年に影が差す。
ロシアだ。しまった、逆にやられてしまう。
「ねえ僕とお友達になってよ、ドイツ騎士団君」
はにかんだ笑顔と差し出された真っ白な手。夕方が近いせいで灰色も混じる彼の髪が黄金の麦の穂のように揺らめき、元々赤が濃い紫の瞳は熟れたブドウのようだ。まるで宗教画の救済のように永遠を感じた。
(きれえだ)
なんて美しい、そのままでいてほしい、壊したくない。そう思う前にその手をたたき落とした。
(コイツ敵のくせにバカじゃねーの?)
そして心を封じた。弱いモノを愛する心なんてくだらない。
「さわんな! お前みたいな弱そうなやつ友達にいらねーよ!」
「ひ、ひどいよ! 僕はただ寂しいだけなのに」
待ってよという泣き声を背景にドイツ騎士団は逃げ出した。友達なんて自分には必要ない。一人でも生きていける強さを持つのだと心に決めた。
(俺たちは人間とは違う。群れたら生きていけない。国の化身はみんな競争相手だ……あいつはそれを知らないからあんなことを言うのか?)
あんな無防備に相手をほしがる無垢さなど必要ない。必要としたら自分という存在が揺らぐ。だから少年はロシアを嫌った。肯定としてしまったら最後、自分のやってきたことをを否定してしまうしまう。
(ロシアの友達にならない。だからもう誰も友達にならなくていいや……くそ、あんなに泣きわめきやがって、うっせえ、うっせえ)
どうせ誰も友達にならないから泣きやめ、と帰り道でロシアの影にささやき続けた。
オストと一緒 ~春の眠り~
1953年三月。
プロイセンの朝は忙しい。日の出と共に起きてエプロンに着替える。ロシアの大きなおうちというふざけた名前のソビエト連邦で日がな雑用をやっているとなにしろ大人数だ。
「おら、お前等起きろー!」
今日も朝起きて屋敷の窓を開けて、寝起きの悪いメンバーをたたき起こす。なにしろプロイセンは早起きなので、朝にてきぱき動くのは適任だ。そして限られた材料で良質な朝食を作り、皿洗いが終わればはげた壁紙を張り直し割れた窓ガラスを掃除して、修理に使った資材を帳簿に書き込む。
月に一度、家主のロシアにそれを見せる日がある。
「おいロシア、今月の帳簿だ。家主として目を通せ」
「・・・・・・ぐー」
扉を開ければ急いでまとめた書類を捧げる相手は仕事机につっぷ夢の世界。ノックまでしたのに完全に寝入った顔に気が抜ける。
「寝てんのかよ……鬼上司が怒るぞ?」
ここのところ働きづめだ、分からないでもない。別に急ぎの用事ではないしとプロイセンも折りたたみ椅子を取り出して、ロシアの斜め前に腰掛けて寝顔を眺めた。もう一度帳簿をチェックするか。せっかくだから家主の居眠りに乗じてのんびり過ごしたい。
ふいに窓から風が流れ、カーテンがめくれる。開いていたのかと振り返ると白い蝶が部屋に入ってきた。レースのカーテンに似た蝶はまっすぐにロシアの方へ飛んで、顔のあたりをゆらゆらとただよった。つい見ていると白い羽はロシアの鼻に止まってしまった。
「まだ寝てんのかよ……また鬼上司に徹夜飲み会にでも参加させられたか?」
笑い声は漏れると蝶が白い羽を揺らした。長い鼻に蝶を乗せてもちっとも起きる気配がない。まあ今日は温かい。モスクワの冬の冷たさが抜けて、ぼうっと夢見心地な眠気にくるまれて気が抜けることは共感できる。
(俺もねみいよ……このまま時間が止まればいい)
穏やかな時間。何者でなくてもいい時間。……今はロシアもプロイセンも被害者でも加害者でも、敵でも味方でも、他人でも幼なじみでもない。ただ同じ場所で穏やかに呼吸している……今この瞬間に二人が何者でもないことが自由ならばなら永遠に何の関係もなくていい。
……『俺は本当はなんなんだ?』……
「どうでもいいことだ、哲学者に聞いてくれ」
……『王国も州もなくなった、なぜまだ生きている?』……
「生きモンが生きてるのに理由なんかねえよ、生物学者に聞け」
かつて我が王国で生まれたニーチェは言ったーー地位や世間という他人から与えられた価値などいつか化けの皮が剥がれて無価値に感じる。だから自分の生きているという個の実感だけが救いになると。
お前は人生ってどう思う? と蝶に小声で話しかけてもかすかに鱗粉を散らすだけ。そうだこの蝶もずっとここにいればいいのに。
しかし扉がばんという音をたてて乱暴な客人が入ってくる。さすがに蝶は驚いてロシアの顔から飛び去ってしまった。
「おい、ロシア! やっぱりここにいたのか、どうして……お前いたのか?」
「そりゃ、俺はこの家の住人だからな。お前と違って」
現れたのは紫の瞳のプロイセンに瓜二つの青年だった。東の制服を身にまといきらきらと若さが満ちあふれている。うっすらと老いた目で未来に希望を持ちすぎると落差が辛いぞと意地悪な想いが浮かぶが、若者は老兵に興味はない。
「軍国主義者め、昔からの知人だからって余計なことをロシアに吹き込むなよ。というかなに寛いでんだ、ベラルーシが二階の窓を割ったままだぜ」
「また割ったのかよ! いつも通りこの屋敷の管理と修理の費用を帳簿にまとめて提出してきただけだっての。知っての通り、今は間借りの管理人だからな」
「腹黒め、純粋なロシアに余計なことを吹き込むなよ」
むかと反論する。若造がロシアの何を知っているというんだ。
「何百年の付き合いだと思ってるんだ? お前こそなにも分かってねえ。
こいつは純粋なんかじゃねえ、十分腹黒い。今まで俺たちは何度でも手を結んで裏切ってきた。今更俺がコイツに吹き込むべき悪事なんてねえよ。この前の同盟だってどうせ先に裏切るつもりだったに決まってる」
「ロシアが老練なのは知っている、長生きだからな。でも純粋で苦しんでいるのだって分かる。腹黒であることも認めるが生きるために他を傷つけることを割り切っているお前みたいな乱暴者には分からない、人らしい苦しみだ。中世で止まっている頭には分からないだろうが」
「いいや! こいつは所詮俺と同じ、本能で動く腹黒で……」
「……腹黒って誰のこと?」
ロシアの声だ。プロイセンの心臓が二秒止まった。しかしもう一つの影が真っ先に駆け寄ってプロイセンはその影に隠れた。
「ロシア! 静かだと思ったら寝てたのかよ、まったく変なところで抜けてるんだから」
「ん……プロイセン君?」
青年が凍り付いた。まだ夢うつつのロシアははっとすると彼の服と瞳の色を確認した。
「オスト。寝ぼけて全然違う名前を呼んじゃった、ごめんね。どうしたの?」
「別にいい、不本意なことに俺はこのナルシストに似てないこともないし」
オスト。ドイツ民主共和国。それが青年の名前だった。なぜプロイセンに似ているかは分からないがそういうことになった。
そう、あれはまだ終戦から五年も経たない頃……。
終戦間際の頃、ベルリンの郊外でロシアとプロイセンは殴り合った。そしてプロイセンは負けた。その時に血を吐いてろくに立てなかったロシアの血の赤さを今でも覚えている。
そしてベルリンに作られた地下牢へ幽閉された。
(新聞はくれるくせに空も見えねえ、ドイツ語じゃねえし)
まあこの状況では発行している新聞社自体がないだろう。牢はマシだったが、なかなか食事は不味かった。弟の行方についてロシアは時々訪れて近況を伝えた。
「ドイツ君がどこにもいないんだ。アメリカ君たちもずっと探してる、でもどこにもいない。君を含めてドイツ君のお兄さんたちはこうやって僕たち連合国の管理下にあるのに……君は本当に何も知らないの?」
「言ったろ……ベルリンのすぐ傍で俺はあいつを見失った。俺が聞きたいくらいだ」
その後も進展はなかった。分かっていることは弟のドイツが行方不明であること。連合国も全員捜しているが兄たちやオーストリアは見つかってもドイツだけは見つからなかった。ロシアは淡々と話していたが、プロイセンの胸の内の絶望は濃くなっていった。
「僕たちも彼に用があるから引き続き探すよ」
「……ああ、拷問でも何でもうけてやるから教えろよ」
「そんな必要ないよ、君はもう国じゃないんだから。君の兄弟たちも同じ……ドイツ君が見つかれば用はない」
「……つれねえこって」
理不尽と痛みすら権利がないのか少し侘しさを感じた。……いつから国でない存在になったのだろう。ドイツ帝国建国時、ホーエンツェレルン家が革命で追われた時……ロシアのいう州という言葉は何だがふわふわしておぼつかない。
そしてある日、ロシアは無表情で牢屋の鍵を開けた。
「プロイセン君、もう帰っていいよ」
「……まじかよ、外はどうなったんだ」
「特に変化はない、ドイツ君は相変わらず行方不明。ここは今はドイツじゃなくて僕たち連合国の占領地だよーーいずれは戻すけどドイツは今はない」
「……そんなん知ってる」
勝てば同じことをするつもりだったのだ、負ければそちら側に移るだけ。プロイセンはある種冷静だった、ずっと長く生きてきた故の慣れもある。こんなことは戦争があればよくあることだ。弟の行方は気がかりだが一時的のはず……。
「どうして、今更俺を出す?」
「忙しいんだ、牢屋もあけなきゃ。外では時間がどんどん過ぎてるんだよ。通貨改革、お金のことでアメリカ君とイギリス君と揉めちゃってね。君に恨みはあるけどもう戦後だ……元々国の化身は政治には関係ない、州なら尚更だ」
「へえへえ、老兵はお払い箱ってか」
「君は文化と歴史という過去の一つ……ゲルマンの州たちのところに帰ればいい。ドイツ君だって君が探せば見つかるかもしれない。報告するとは思えないから、監視は付けるけどね」
いつも笑顔を張り付けているとは思えないほど、ロシアは淡々として事務的だった。プロイセンになんの執着もないーーいや、先の大戦を振り返れば憎んでいる方が自然だ。嫌いだと言われた方がずっとマシな冷めた対応に口が動いた。
「どこか痛いところはないか……ロシア」
プロイセンは痛みでつながりを探した。ようやくロシアは苦々しい顔で振り返った。
歩き方で分かる。左腕と右足にプロイセンの付けた裂傷がまだあるはずだ。プロイセンのわき腹と左腕がまだうまく動かないように。まだ癒えないのは大戦の消耗のせいか、純粋にあの時の殴り合いを引きずってるのか。
「あの時のぶん殴ったところは痛むか?」
「そりゃ君の上司が派手にやってくれたからね。君は最後になってムキになって殴りかかってくるし、まだ痛いよ……」
どうして自分たちには痛みという無駄な機能が備わっているのか……痛むなら国としてか、個人としてか。
「でも外はもう別の争いに向かっている。君は今は敵国じゃなくて、過去の敗戦国の一部だ」
「傷を見せてみろ、これでも昔は病院だったんだ」
牢屋に入ってきたロシアにぐいとにじりよった。マフラーの隙間の右手を、痛む左腕を右腿に回してーーまるで情事に誘うような仕草だ。
「いいよ、傷なんていくらでもあるんだから。そうだ、忘れモノしちゃった」
しかしするりと両腕からロシアは逃げていった。牢屋のドアを閉じて、鍵を閉めてしまった。
君の荷物をとってくると去っていく。その後ろ姿にプロイセンは揺れたーーロシアから離れるのか?
弟も行方不明なのになんのために? ……カエリタクナイ。
(それじゃ俺はロシアと一緒にいたいみたいじゃないか)
それこそ意味不明だ、支離滅裂だ、乱雑無章だ。恩を感じてるのかもしれない。国ではなく個人として外のことをたまに教えてくれたことを。
いや、違う。プロイセンがロシアを嫌っているからだ。小さい頃からそうだった、何一つ思い通りにならない想定外の固まり。
(あいつを好きになるとしたら、俺は……自分を否定するみたいだ)
全く違う価値観、自分と他者の違いの象徴ーーそれがロシア。全く逆の価値観は嫌わなければ自分を保てなかった……拒絶しなければ全部飲みこまれてしまいそうなほど美しかったあの夕暮れの微笑みのように。
「ーープロイセン君!」
そのロシアが突然戻ってきた。足音が二つ慌ただしく近寄ってくる。
「プロイセン君、いる!?」
「は? ……いるに、きまって」
にゅとロシアの背後から二本の腕が伸びてきて、肩を組む形でロシアに密着した見慣れぬ軍服を着た男、その男は銀髪でーー誰だ……それは?
「……俺?」
そこに立っていたのはプロイセンだった。背丈、顔、微笑みの形までうり二つだ。たった一つ、ロシアの瞳を移植したようなぶどう色の瞳を除いては。
謎の男はロシアと肩を組んだまま、牢屋を一別すると目を丸くして大笑いした。
「ホントに俺様にそっくりだ、すげえ! ははっ、お前が驚くのも当然だな!」
「僕は……プロイセン君が抜け出してからかってるのかと」
あくまでプロイセン主体で話すロシアに謎の男はむっとする。強引に視線の定まらないロシアの顔を自分にむき直させると顔をつきだした。
「でもほら目の色が違う……俺の目の色はお前と同じ。俺はお前の敵じゃなくて味方だ、この男ちがってな」
「僕とそっくり……確かに君が本当に……なら君の政府は僕のところにいたけど」
「細けえことは気にすんな! せっかく戦争が終わって新しい時代が始まったんだ。これから必要なのは友情と愛、そうだろ?」
謎の男はやたら陽気だった。プロイセンは全く事情はわからなかったが牢屋のドアをがんがんと蹴った……謎の男はなかば抱きしめるようにロシアと密着していた。おろおろとしたロシアはプラチナブロンドを撫でられてもされるがままでもはやキスができる距離だった。
「おい、ロシア! そいつが誰かは知らねえが離れろ、お前もべたべたしてんじゃねえ!」
「だってプロイセン君が二人で、でも目の色が違うし、ニンジャじゃないし、酔っぱらってるわけじゃないのに二重で、目が回る~」
「とりあえずここから出せ、そいつの正体つきとめてやる……いてっ!?」
「邪魔すんな」
謎の男はなんと格子越しにデコピンを放ってきた。首が真後ろにそれるほど痛い。そのくせちっともロシアを離していない……二人は直感した。こいつは忌々しい奴だと。
「正体なんて突き止めなくても名乗ってやる! 俺はオスト、ドイツ民主共和国。プロイセンじゃない……これで俺のことを味方だと信じてくれ」
「オスト……?」
「そうだ、できれば友達から始めよう。血まみれた歴史なんかあの老兵に渡して、俺の傍にいてくれ」
そういってオストドイツはロシアに国にふさわしい挨拶をした。深い口づけが交わされている光景……鉄格子がなければ殺していると心底思った。
まだ目を丸くしているロシアをようやく離すとオストはプロイセンに鉄格子の鍵を投げた。さっさと帰れと出口を指さす。
「こうして老兵は去り、戦争は終わった。まだ世界は色々あるが……二十世紀も後半だ。これからの未来は俺と生きてくれ、ロシア」
その直後牢屋を抜け出したプロイセンのパンチがオストの後頭部を直撃した。
[newpage]
どうしてオストが生まれたかはわからない。
もちろん国が生まれたなら同胞が生まれるのは自然な流れだが、なぜプロイセンと同じ外見をしているかは全くの不明だった。
とにかくプロイセンが解放される直前にオストは生まれた。オスト本人の証言だし、嘘をつく意味もないだろう。しかしそのタイミングは余計にオストとプロイセンの関連性を連想させた。
謎は今も解けていない。ドイツの行方不明と共に戦後の謎だ。
話は戻って三月のモスクワ。いつものプロイセンとオストのやりとりにロシアは目がさえてしまった。やっと眠れたのににぎやかなことだ、この二人は顔を合わせると喧嘩になる。
プロイセンはとりあえず一言付け加えておく。
「誰がナルシストだ、俺様がかっこいいのは客観的事実だろ」
「プロイセン君、家計簿の確認だね。うわあ、ベラルーシの破壊した窓の修理費用より酔っぱらった姉さんとラトビアの酒代の方が高い」
「家計簿じゃねえ、帳簿だ」
主婦ではないと主張する。家族でないのだから。似合わないのにまるで主婦のような生活をしている。
実際、ロシアたちはプロイセンの扱いに困っていた。ロシアたちの主張は用があるのはドイツ本人であり、兄の州たちはおまけだ。アメリカたちも州では話にならないと頭を捻っている。ドイツ帝国統一時点で一線から退いた老兵、西に帰れないなら雑用をさせるくらいしかない。
「こんなにかかったの!? ……ネコババしてない?」
「お前たち、家壊しすぎ。物は大事に使えよ、労働者の国なんだろう?」
「分かってるよ、うう、怒られる……上司に、おこられ……」
突然ロシアは涙をこぼした。ぶどう色の瞳から丸い涙が落ちていく。慌てたプロイセンは詰め寄ったがオストは対照的に冷静だった。
「上司が……怒る……上司が……じょうしが……」
「おいおいおい! お前なんかやらかしたのか!? 鬼上司にされたのか、いやこれからなにか……」
「ロシア……辛かったろ」
肩に腕を回して優しく言葉をかけるオストの首根っこをひっつかむ。
「住人として風紀の乱れは謹んでもらう、だいたいなんでお前がわかってんだよ」
「邪魔すんな、この館はラジオもないのか?」
「今は国の化身たちはここでじっとしてろって……未来の上司たちが情報を与えるなって」
ロシアは静かにうなづいた。やっと離れたオストは腕を組んで一人訳が分からないプロイセンに説明をした。
「ロシアの上司、書記長が死んだんだ。俺の上司は亡命時世話になってたから葬式がてらついてきた」
「死んだときは僕はいなかった……今は僕はなにもしちゃいけないんだ。書記長の椅子を巡ってみんな疑心暗鬼だよ。僕は何をしても誰についてるか分からないからってじっとしていなきゃいけないんだ」
「しょきちょーって……お前の鬼上司が?」
死んだ? あの鋼鉄の男が?
「彼が死んだことをまだちゃんと理解していないんだ。革命と成立からからほぼ三十年間ずっと一緒だった。でも葬式にもくるななんて……なんか余計実感がわかないや」
ロシアはまだ夢を見ているようにどこか虚ろだった。プロイセンは迷った。ロシアに生身で戦車を止めるよう命じた上司。ドイツ軍をソビエトから追い払った上司。
「僕はね……本当は彼が怖かった。そして支えだった。仕方ないこともそれではすまされないことも沢山あったけど……彼がいないこれからのソビエトが、僕がどうなるか分からない。だってあまりにも長いこと彼は僕たちの恐ろしくて強い柱だったから……」
よかったじゃないかという言葉も世話になったもんなという言葉もーープロイセンには無理だ、何も言えない。なにもかも過去は災いの棘を持って互いの傷を苛む。
「オスト、ありがとう……変だよね、怖い上司がいなくなったのに未来が怖いよ」
「ロシア、大丈夫だ。葬儀にでるななんてあんまりだ。そうだ、俺の車の後ろのトランクにこっそりーー」
オストは迷わなかった。新しいハンカチでロシアの涙を拭う……そんな地雷原を踏み抜くような行為ができるのは過去がまだあまりないからなのか、プロイセンとオストは違う存在だからなのか。
「気持ちは嬉しいけどそれは無理だよ、僕は上司に弱いんだ。新しい上司に嫌われたくない……オストも気を付けて、些細なことで疑われたら僕もかばえない」
「なんでだよ、今からは新しい未来がくるんだ。ただロシアが泣いてるんだ、力を貸す理由なんて十分だろ。俺が責任とるから……なんだ、プロイセン?」
まったく違う過去の選択があれば、その立ち位置に自分がいたこともあったのだろうか……くだらない連想だ。プロイセンはたった一人、だから可能性の話など意味はない。
ただ若者に一言言ってやりたくはあった。
「オスト、簡単に約束してロシアを巻き込むな。若造は国の事が分かってねえ、こういうときはいっそ嵐が過ぎ去るまでじっとしてる方がいいんだ」
「じいさんのご忠告どうも……ロシア、本当に心配するな、これからの未来はきっと」
若者は未来しか見ていないから行動できる。老兵は……過去があるから身を守れる。どちらが賢い?
「だれがじいさんだ、ロシアも真に受けるなよ」
そういってプロイセンは二人をおいて部屋を出ていった。ロシアのために好きな紅茶を淹れてやろうかとぼんやり階段を下りていった。
結局ロシアはオストの申し出を断った。あげくオストは自分の葬儀の出席すらキャンセルしてしまった。プロイセンは意地悪な目線を向けたがオストは顔を逸らしていた。
「ほら、ロシアだって分かってる。俺たちは人じゃないんだから自由じゃないんだ。その辺がまだ分かってないんだよ、オストの坊ちゃん」
「なんでだよ、俺たちは人じゃないから自由じゃないのか? ……勝手に自分たちでそう決めているだけじゃないか?」
プロイセンは回答に詰まった。この手の諦めはヨーロッパでは言わなくても通じたがオストにはそれがないーー国の化身だから仕方ないと諦めていない。
「ロシアだって……こっそりくればいいのに。人の役目は果たすのに、いざとなれば人ではないって、それじゃ俺たち国は……ただの人の奴隷じゃないか。俺はそんなこと認めない。もっと国ってのは自由でいいはずだ……じゃなきゃ俺はきっといつか人間を憎むことになる」
「国が……人を憎めるもんかね?」
いやなことを言ってくれる。その言葉を無謀と見るか、可能性と見るか……若者と仲の悪い老兵は無言でオストに指す澄み切った午後の日差しを見ていた。
「しかし、これから嵐だな」
鋼鉄の男は死んだ。大きな力の反動はまた新しい血を流すだろ、ロシアが自宅から動けないことに安堵する。余りに見てきた人間の営みにもはや感情など沸かないプロイセンの横でオストは「老眼か? 晴れてるだろ」とズレた指摘をしていた。
気が向くままつづく
あとがき
スターリンが死んだとき、その葬儀に向かうために何百万の市民がやってきて多すぎてトルブヤナ広場で圧死してしまった人は数十から数千と言われている。。それは畏怖や敬愛なのかな……とにかくソビエトで三十年大きく影響を保っていたことは間違いないということでしょう。
(分裂あらすじ)
オストを東ドイツらしく書くにはどうしたらいいだろう? しかもプロイセンのまま。
色んな二次作品を見るとどうも二つくらいのパターンでオストとしてのプロイセンは描かれているような気がした。
1、内心は反発しているが負けたから渋々従ってるパターン。
キタユメ。のブログ竹林でもこの解釈が示唆されている気がする(断言されてないので解釈するしかない)。
2、ソビエトサイドに心から心酔してしまうパターン。政府や前政権を嫌う民意の反映としてはこれが妥当かもしれない。ヘタリア風にすると「プロイセンの精神がある日別人になる」みたいな方が自然かもしれない。
1だと「前政権に激しく失望してソビエト側としてやり直そうとする東ドイツ」と離れる。
2だとキャラクターとしてのプロイセンじゃなくなる。
ヘタリアの難しいところである。東ドイツって地図で見ると別にプロイセン州だけじゃないし、深く考えると西ドイツだってドイツなのか分からない。
なにも決められていない。自由裁量は自己責任の裏表。納得できないものができてもそれは自分の行動の結果でしかない。
ならとりあえずやれそうなところから手を着けるしかない。作る過程で浮かぶアイデアや示唆はやはり強い味方だ。
どちらでも矛盾が生じる。しかし私はその矛盾を飲んでも1、2の設定で何か物語を作る気にはなれない。どんな二次創作でも作者のエゴがその矛盾をあえて飲み込んでいくのが面白いのだが。
いやいやソビエトに従っているプロイセン。もしかしたらボロボロに負けて、自分たちは「えらいひと」に騙されて大罪を犯し、これからその憎しみを受けるびくびくしたドイツの国民の心境としては妥当なのかもしれない。
ソビエトに心酔するプロイセン。これは前政権に絶望して、新しい政府がソビエトから送られて新しく生まれ変わろうとするドイツ民主共和国としては素直な書き方とも思える。
キャラクターとしてのプロイセンを優先するなら1。けれどそれだとあまりに東ドイツとは違う。文化としてのプロイセンならそもそも東ドイツなんてしなくていい。
2なら弟や過去をぼろくそ批判して新しく生まれ変わろうとするオスト。本来は短命で若い国で、プロイセンみたいな昔ながらの国キャラクターと一致させるほど矛盾する。新しい思想に夢中になり、現実とぶつかり、ソビエトとぶつかり、民衆とぶつかり、そして挫折して滅びる。そして東西の格差はまだ残る。
なら両方出せばいいか。
そう思ってできたのがこんな設定です。
2018/04/07
間違ってるかもしれない豆知識
スターリン(ヨシフ・ヴェッサリオノヴィジ・ジュガシヴィリ)
スターリンはペンネーム(ロシア帝国で革命関連行為は重罪なので当時から活動していた人はペンネームなのです、レーニンもペンネーム)。スターリンは鋼鉄の人という意味。
凄いところと悪いところが両方極端で歴史好きが説明に頭を痛める人。
粛正で色々いわれていますが、
・ナチスからの国土防衛に成功して戦勝国へ
・あれほどうまく行かなかったロシアの工業化になぜか成功
・ほぼ革命直後のカオスなソ連で三十年前後トップであり続ける
という点があるのでロシアで人気があるのはそりゃそうだよね……イギリス人だってチャーチル好きだし、みたいな気持ち(しかしイギリス市民はチャーチルが戦争向けと見抜いていたのか戦争が終わったら選挙に負けた)。
掲示板まとめによると「日本人だって粛正しまくったけど織田信長好きじゃん!そのノリと一緒!」みたいな意見を見てなんとなく腑に落ちました。たしかに信長、好きだよね。
1953年に死亡ということで戦後処理が終わって冷戦にうつった頃、死んじゃった感じなんでしょうかね。個人的には暗殺でなく、やはり脳溢血かと。
お母さんとの会話がなんか好き
「ヨシフ、お前は今どんな仕事をしているんだい?」
「母さん、僕はねツァーリみたいな仕事をしてるよ」
「お前には司祭になって欲しかったんだけどねえ」
(引用 ウィキより)
個人的にはスターリンの粛正はソ連宇宙の父コロリョフが早死にした原因の一つなので許しません。ソ連が月にいけなかったのはスターリンのせいだー(暴言)。粛正ダメ、ゼッタイ。