こんな地獄のような世界なのに、二人でいれたことが時々奇跡のように惜しく思えた
「 ふしぎの国で、なんどでも 」
カチカチ……コチコチ……
チクタクチクタク……チクタクチクタク……
とても遠い場所で時計の針の音が聞こえた。
……どこでこの音はなってるんだろう?
「…………?」
オズはゆっくりと眼をひらいた。世界は……暗い。
……頬に冷たい感触。なんだろう水のような、石のような……?
でも何かはわからないなんて、まるでこの世ではないような不思議な感触。
視界がモヤが掛かったように曖昧で、霧の中にいるように暗く灰色に濁っている。
まるで霧の夕方みたいだと思って眺めていると視界の灰色に金色の光が舞踊り砕けちって消える……とそこがアヴィスだと理解できた。
アヴィスはいつから黄金の輝きを失い暗闇に落ちてしまったのか。
(悲しい……悲しい?……どうしてこんなことを知っている?)
手の平に硬い感触を感じてオズが手元に命を落とすと頭に稲妻を受けたように痛みと共に思い出す。その手のひらにあった金属のような生物のような不可思議な感触は初めから手のひらにあったようにひどくオズの手のひらに馴染んでいた。
(俺は黒ウサギのオズ)
(黒ウサギのオズは世界をアヴィスに落とすためにジャックとアリスが作ったチェイン)
(俺は人間じゃない、魂はチェイン、肉体は百の廻りから外されたジャックの肉体)
(俺のせいでアリスが死んだ……!)
(死んだ死んだ死んだ!ギルも、アリスも、エイダも、オスカーおじさんも、父さんも!
みんな死んでしまった!全部俺の存在のせいで!)
「っあ、ああああああああぁ…!」
手のひらにあったのは人をひと振りで切り裂いてしまうほど大きな、黒うさぎの鎌だった。
失ってしまったやさしいレイシーの手、黄金に輝くアヴィスが真っ黒に翳りゆく姿をあの子と一緒に見た。
地上に落ちた可愛らしい姿でジャックにレイシーの最後の記憶を届け、そのことが原因でサブリエが血に染まりアヴィスに堕ちて、そしてアリスはそれを止めるために自分を……!
ジャックの体ですべてを忘れて新しい家族を得て。もう一度アリスと、グレンになるはずだったギルに出会った。
そして、他にもいくつもの幸福な出会いと不幸な出会いがあって……その全てを自分で滅ぼした。
(そんな権利、俺にはなかったのに!)
……全てを思い出し、オズは叫び、泣いた。ここにはジャックと黒うさぎが狂わせてしまった「意思」と呼ばれたアリスすらもういない。全て、消えた。
アヴィスの底には「闇」が蔓延していた。アヴィスの核だった頃の記憶がそれがじわじわとアヴィスに落ちた世界とアヴィス自体を侵食して、滅ぼしていく。アヴィスもいずれなくなるのだ。
そして、オズは一人でこの滅び行く姿を見届けなければならないのだ。
もう一度、呻き…そしてゆらゆらと立ち上がった。……何かが、聞こえる?
ここにはもう一人ではないのか?
「あれ…?」
何か忘れてる気がする、その先が思い出せない。
ボロボロと涙をこぼしながら何かを思い出しそうになるがそのまま思い出せない。
何とか思い出せないかとそのまま立ち尽くしていると耳の端に泣き声が聞こえた。
「誰だ…?」
誰でもいい、一人しないでくれるなら誰でもいい。
何も思い出せず、声のする方に歩く 。
どうせこれ以上思い出せないなら、誰かに会いたい。
オズは鎌を手にしたままふらふらと歩を進めた。グスングスンと子供のような泣き声だ。
灰色と金色が混ざり合った霧をかき分けてそちらに進む。足元には黒水がバシャバシャと跳ねる、その度その声のもとへと近づいた。
するとかすかにしかし聞こえなかった時計の音がだんだんと大きくなった。
カチカチ…コチコチ…
チクタク…チクタク…
その音がいつかの墓碑に掲げられた金色の懐中時計のものだということに気がつく。
ジャックが「レイシー」のオルゴールを入れた、すべての始まりを刻んだ時計…それが泣いて蹲っている人物の手に握られていた。
跳ねた黒髪に黒い服、顔は伏せているが瞳も真っ黒だ。もうその瞳に金色の光はないかもしれないが。
(リーオだ)
アヴィスの底でリーオがうずくまって泣いている。その手に金色の懐中時計が握られていた。
アヴィスに最も近く遠い人物であるグレン=バスカヴィルがアヴィスのそこで泣いているというのはとてもふさわしいような一番さわしくないような奇妙な光景だった。
「……誰だ!?」
こちらの気配に気付いたのだろう、リーオは泣くのをやめてはっと顔をこちらに向けた。
その手に持った漆黒の剣を振り上げようとして、オズの顔を見た。アヴィスは暗闇に満ちているのに、リーオの瞳に浮かぶ光は金色のままだった。
彼の瞳にだけかつてのアヴィスの黄金が残っている、そう思ってオズはリーオを見つめ返す。そして目があった、リーオは険しい目つきにまた涙を浮かべ、振り上げた剣と一緒に膝から崩れ落ちた。
ばしゃんとさっきよりも深くなったアヴィスの黒い海にまともにつっこみ姿に慌ててオズはリーオのそばに寄った。横に起こすとさっきの威嚇が最後だったかのように生気のない、瞳を見返してくる……その瞳にもう黄金の輝きは残っていない。
「大丈夫か、リーオ?」
「ジャック=ベザリウスじゃなくてオズ君か……そうだね、君なら、まあいいか」
きっと許してくれるよ、と目まで閉じてしまう。何がいいのか分からないが、リーオは剣から手を離した。ナイトレイの漆黒の剣がざぶんと立てて落ちる。さっきより海が上がってきた。
「なにがいいんだ…?」
リーオはオズが知らない何かを知っているのかと、彼の顔を見た。笑っていた。酷く、歪んだ顔で。
「なにそれ、まさか何も覚えていないの?……そっか、君は前は僕に殺されたもんね」
「え?」
何を言われているのか分からないが、言葉はさらに続いた。
「今度は、君が僕を殺してみる?…ふふ、今は抵抗する気になれないなあ…もう一度は嫌だ…な」
そして再び泣き始める。わけがわからない。
わからないと伝えるとすぐに嫌でも思い出すよと返される。それじゃわからないよと話しかけてみるとだんだん色々なことを思い出す。
(そうだ、リーオは前もこんなふうに俺の前で倒れたんだっけ)
視界が切り替わる、エリオットを失って壊れそうで見ていられないと手を伸ばしたリーオオズの目の前では黒うさぎの鎖に貫かれた。
そして倒れて次に出会った時は既にリーオではなくなっていた。グレン=バスカヴィル、オズの名前の元の持ち主、オズワルド=バスカヴィルだった。
「そして、俺は……ジャックに……」
そして、オズは自分の真実にたどり着いた。
ソレカラ・・・・・・?
(そして、オズワルドは結局ジャックを止められないで、世界はアヴィスに堕ちた。でもオズワルドはせめて時間を巻戻した)
(そして、オズワルドはジャックを止めて世界は一から生まれ直した)
(そして、オズワルドもジャックも結局は願いは叶えられないまま、世界はアヴィスに堕ちた。アヴィスのアリスはジャックを失って絶望を止められず、アヴィスの核のチカラで世界を作り直した)
(それで、次はリーオが……?)
オズはリーオから少し身を離すと、口に手を当ててうめいた。なんだこの記憶――!?
何重にも思い出せる「過去」があるはずもない。
でもその記憶は夢やデタラメにしてはあまりに生々しかった。どの記憶でも流される血と悲痛な感情は胸を掻き毟られるように痛い。
(痛い痛い痛い……!早くこの苦しみから解放してくれ!!)
「思い出した?」
そのまま狂乱状態にならなかったのはリーオの指がひんやりとオズの頬に伸びていたからだった。冷たい、でも暖かい指だった。
「思い出した?ここがアヴィスの底だって?……思い出した?君や僕がどういう存在か」
どんどん暗い水の嵩は増していく、倒れているリーオの腰のあたりまで水に浸かっている。
早く水から出してやらないと、そう思うのにオズはぼんやりと彼を見返して涙をこぼし、こくりと頷くことしかできなかった。
リーオは静かに笑うと、言葉を続けた。欠けてしまった微笑みで。
「思い出した?……何度も何度も繰り返して、この前は君が僕に殺されたこと……?」
「……ああ、思い出したよ、リーオ」
何度も何度もジャックとオズワルドは繰り返した。レイシーの願いを叶えること、レイシーを殺して世界をやり直すこと。
でも何度繰り返しても、レイシーが愛したアヴィスは世界を飲み込んでは壊れた。何度繰り返してもオズワルドは世界を元の形には戻せずジャックとの相克を繰り返した。
そして、オズとリーオはいつも最後にアヴィスの底でふたりぼっちで世界とアヴィスが死ぬのを見てきた……。
そして、この一つ前、直前の世界が終わる時、ジャックもオズワルドもいないここでリーオは黒うさぎに残っている力をオズを殺して奪い、グレンの力を使って世界をもう一度「ある時間」からやり直したのだ。
「ふふ、嫌だよねえ…思い出すなら最初から覚えていればいいのに……なーんにも覚えてなくてさ。せっかくエリオットが僕に出会わない世界を作ったのに」
オズワルドは馬鹿だと、リーオは思っていた。結局、あの男はジャックもレイシーも自分から失うことなどできないのだ。だから何度も失敗した。レイシーを殺してさえ、最後は壊れ、別の形でジャックに出会った。
それに何回か繰り返した世界でエリオットが存在していないとここで思い出したときは本当に彼を憎んだ。
だから、リーオは考えた。例えばリーオが生まれない世界を作ることも考えたが、それでは結局グレンはどこかに生まれるし、存在したらどこがオズワルドのようにエリオットを探してすべてを壊してしまうだろうと。
だから、偶然に干渉して「偶然」リーオがずっと幼い頃から、ジャック=べザリウスの目が届かないようにバスカヴィル、そしてザイ=ベザリウスの元で育つように仕向けた。そして、そのままバスカヴィルの長として育った。
その世界には百年前からやり直していないので、同じ年のエリオットもいた。リーオと出会うことはなかったがちゃんと彼らしく育っていた……と思う。リーオはバスカヴィルの長として育ち、前の世界ではエリオットには最後まで出会っていない。会えば自分が何をするかわからないと、それは自分で厳しく偶然に干渉して「世界を再生した」……オズワルドの二の舞にはなりなくなかった。
「オズ君は「前」ではエリオットに出会った?友達になった……?」
「……なりたかったけど、間に合わなかった」
エリオットは母親に殺されていた……ユラの屋敷で「オズの友人」と見なされて、アヴィスに行けばまたみんなで暮らせると殺されてしまった。
ラトウィッジでオズはエリオットには会えていたけれど、気になってたいたけれど。
何を話せばいいか分からず、結局彼が死ぬまで友達になりたかったと自覚することもできなかった。
「なんで、なんだろうね……僕はエリオットに幸せになって欲しいだけなのに、それがそんなに大それた願いなのかな。エリオットに従者はいた……?」
「いたよ、でもエリオットは義務とか護衛とかとしてしか付き合ってなかった。やっぱりエリオットの従者はリーオじゃないとしっくりこないんだよ……リーオはエリオットの大事な友達だろ?」
「エリオットは馬鹿だなあ、意地っ張りで性格いいくせに自分で人を遠ざけて。オズくんと友達になってくれてたらよかったのに、友達少ないくせに」
「あんまりいなかったかなあ、「前」はギルとは結構仲良くしてた気もするけど……寂しそうだった」
「そっか……」
オズから見て今までで一番エリオットは孤独に見えたこと、それは伝えなかったがリーオは気がついている気がした。
ここに堕ちると今まで痛みを全て思い出してしまう、このままこの暗い海に、アヴィスの闇に飲まれてしまいたいと、何度も何度も願う位に。
(でも、俺もリーオも一度もこのまま最後まで飲まれようとしなかった)
何度でも……あの黄金のような日々をもう一度、と何度も繰り返した。
リーオの瞳に金色の光は戻らない。真っ黒な漆黒のまままたリーオは泣いた。エリオットのことがうまく思い出せないと。何度も繰り返した、ジャックやオズワルドや自分の意思によって……そうしていくうちにだんだんリーオは一番最初にエリオットに出会ったのはいつだったのか、どんな人だったのか、だんだんと思い出せなくなっていく。
思い出だけでは、どんな人だったのかだんだんを薄れて、なぜリーオが繰り返しているのか全くわからなくなっていく。
それがひどく辛く、苦しく、自分がなぜこんなことをしているのか思い出せないと、エリオットを忘れたくないと泣いた。もう闇はリーオの胸にまで、オズの腰にまで浸っている。もう消滅まで、時間がない。
オズはリーオを抱き寄せて少し闇から離した。暖かい血の流れを手のひらに感じた、さっきまでの黒うさぎの鎌と違って確かにここで生きている人間の感触だった。
「大丈夫、リーオは精一杯エリオットのために頑張ったよ。俺は知ってる」
「嘘言わないでよ、エリオットは、は、母親に殺されたって!……僕は「前」の世界で知ってるんだよ」
オズはまだ記憶がはっきりしていた、それが16年しか生きていなかったリーオと100年の時と15年の人生を繰り返したオズの時間の違いからのもとかはわからないが、オズは覚えていた。アリスや、ギルバート、そしてアヴィスのアリスやレイシーのこと、他にも全部覚えていた。
闇から離すためではなく、涙を止めるためにもう一度オズはリーオを抱き寄せた。
「次こそ、次こそ大丈夫だよ。きっと次はエリオットも、アリスもギルも、ジャックもオズワルドも……幸せに終われるよ」
「もう無理だよ、きっと次も僕のせいでエリオットは死んで、世界も滅びるんだ……もう嫌だ」
リーオの言葉は聞かずに、オズは次こそ大丈夫と抱きしめて撫でる。泣き顔を撫でているとなんだか泣いているリーオが子供の頃のエイダの泣き顔に見えて、頬に顔を寄せて舌で涙を掬った。
何するんだよというリーオに、これじゃキスをしたみたいだなとごめんと謝った。
「オズ君って、変だね。何度あっても変な奴だ……でもありがとう。君がいてくれてよかった、僕ひとりでなんども世界が滅ぶところを見ていたらもっと早く壊れて、耐え切れないで何度も繰り返すところだったと思うよ。ずっとひとりで平気だと思ったけど、今は心底に君がいて本当によかった」
「俺は……何度あってももう少しリーオと話す時間が欲しかったよ。どうせわからないって言われても、バスカヴィルとしてしか出会ってなくても……もう少し話せば友達になれるのにって何度も思った」
こんなふうなことを知っているのはお互いだけだということをどこかで知っていのだろうか。
それとも、リーオには言っていないが、オズは少しだけリーオと自分が似ているからかなと思った。大丈夫じゃないことを大丈夫だといってしまう性格が似ていると、何度も繰り返した世界を思い出すと今はわかる。
「リーオは、もう疲れちゃった……?」
しばらくの沈黙、また闇が嵩を増した。リーオの胸にまでまた暗い水が浸る。
リーオの黒い瞳をオズに向ける、その瞳には金色の光が戻っていた。懐かしい、輝きにあふれていた頃のアヴィスの光だ。
「もうやめるよ」
「そっか」
答えた瞬間、リーオの体が宙に浮いた。
「え……?」
「ごめん、リーオ。俺はまだ諦めきれないんだ」
黒うさぎの鎌をもう一度リーオの心臓に突き立てる……黒うさぎの力だけではダメなのだ。グレンの力も合わせて初めて世界をもう一度巻き戻せる。
黒い海に浮かんだリーオの体からグレンの力が去ってしまう前に、と伸ばした手を握られた。苦しまないように心臓を二回切ったのに、バスカヴィルの不死の肉体は持ち主を苦しめてばかりだ。
「オズ君、また繰り返すの……?」
「……うん、俺はアリスやギルや、エリオットやリーオといや世界がこんなふうに終わってしまうことは嫌だよ。どうしても……いやだ」
もう一度、リーオの体を傷つけることは嫌だったが苦しませたくない。鎌を握ろうとすると、また声をかけられる。
「僕は、もう無理だ。エリオットがこれ以上死ぬのは、いやだ。母さんも、フィアナの家のみんなも、お義兄さんやヴィンセントも、オズ君もこれ以上死ぬことは耐えられない」
「そんなこと言うなよ、前は俺を真顔で何度も刺したくせに。泣きながらさ」
「……君だって頼んだくせに」
「はは、怒ってないよ?俺がリーオに俺を殺して世界をやり直してくれって頼んだんだ、覚えているよ」
次の繰り返しは白紙からスタートするとオズは瀕死のリーオに言う。レイシーと核が出会った頃からやり直し、全てに干渉しないと。
「それで、元に戻ると思ってるの?」
「……どちらかというと、信じたい、かな。
もうみんなが二度といないなんて、俺は信じたくない。だからまた俺もリーオもここで会わないはずだよ。次こそ……幸せに終わるんじゃなくて、幸せに世界とアヴィスが続くように」
だから、またねというとリーオをもう一度切り裂いた。これで今回の彼の苦しみが終わる。
今度こそ目を、生を閉じたリーオに次こそはエリオットとであることを祈り、奪ったグレンの力を使おうとすると……オズはこの事を忘れてしまうのが少し寂しいと思う。
(望んでこうなった世界じゃない、でも俺も、この場所で一人じゃなくて、いつでもリーオに会えて嬉しかったよ)
それを忘れてしまうことはなんだかとてもさびい気がしたが、それがオズと、リーオの願いだと信じて……暗い闇の世界を消して、時間を巻戻した。
反転する世界で、今度は彼を抱きしめられればいいのにと、謝罪のようにオズは思い、そして全ては始まりに帰り、消えた。
終わり
あとがき
やばい、オズリオどうこうというよりパラレル地獄に萌えてきた・・・(病気)
エリオットの死因は、ヴィンセントがクロード・アーネストとまとめて口封じに殺してた、サブリエで普通に事故死した、ユラの屋敷の火災に巻き込まれた、世界崩壊と一緒に死んだといろいろ考えたのですが、なぜか書いている最中に一番悲惨なIFを思いついてしまい採用しました。
オズとリーオは縁薄そうで実は濃いですよね、二人とも乗っ取られ仲間で(え)。