一人きりで十分だったリーオはエリオットに出会って変化した。
人と話すことが「楽しい」と知った、演奏をすると会話とは別の形で気持ちが伝わることに胸躍った。
エリオットが天使の家にやってくる馬車を見るだけで楽しかった、帰るとつまないなと肘を突いて馬車を見送った。
気がつけば、食事の味や景色の色すら鮮やかになった。
自分の心が変化する。それに気がついて驚いた、リーオは自分にそんな感情が残っているなんて考えてもいなかった。心くらい死んでいると思っていたのに。
(これが僕の心。ああ、感情って心地よいものだったんだな)
そして心を掘り出したエリオットに感謝した。
『なんで今更自殺なんて志す? 馬鹿馬鹿しいからやめようぜ』
軽い声をぎろりと睨むとレヴィの顔が曇り空に透けていた。レベイユの昼下がり、人の少ない道でリーオは花屋で買い物をしていた。
思念だけの声とはいえ、人前で話されると調子が狂う。無視して店員へと視線を戻せば、完成寸前の花束。白い花をメインに……少しだけ別の花添えるかしばし考える。
「すみません、この青い……スターチスも花束に入れてもらえますか?」
「えっ……はあ、包み直しに時間がかかるけどいいかい?」
「ええ、急いでませんから」
場末の割に美しい女性がざっくばらんな口調で丁寧に花束を解いていく。厚めの紙から大小の白い花が溢れ、小さな青い花が追加されていく。雲の切れ間に青空が透かして見えるようだ。
(今日の空みたい)
見上げれば似た様な空。立ち止まっていれば、リーオに生まれながらに付き纏うグレンたちが喚きだす。突然何を勝手なことをするんだ、世界の秩序が、イレギュラーが恐ろしい云々。
(うっさい)
所詮幽霊なので心で拒絶すればすぐ消滅する。
『リーオ、話聞けよー』
けれど、この先々代だけは何度か会話したせいかなかなか消えない。軽薄な口調が鬱陶しい。
『あんたこそ自殺みたいなもんだろ』
『えー、どうせオズワルドにグレン譲ったらすぐ死んだし。こうしてすぐ幽霊になるし……話をそらすなよ、リーオ』
『馴れ馴れしく呼ぶな、百年前に死んだ知らないおっさんのくせに』
花屋の仕事は丁寧で時間の流れは緩やか。ヴィンセントはあと三週間は眠っているだろうし、アンノウンは方が他のバスカヴィルに会う事は難しい。下手に接触すると相手が精神崩壊してしまう。だから大丈夫だろうと仕方なく隣の幽霊に時間を使ってやる。
『エリオットくんの死に罪悪感があるから死ぬのか? それとも彼のいない世界は寂しいから?』
『どっちでもいいでしょ』
そもそもなんだ、エリオットくんて。
『いいや……もし罪悪感なら、リーオが死ぬより楽しい贖罪のネタがあるんだ』
レヴィがふわふわとリーオの周りを飛ぶのを止め、目の前でピタリと止まった。紫の目線はふざけているふりをして真剣な光を持っていたので驚く。
『俺を消滅させて、エリオットくんの死の復讐をすっきり終わらせるってはどう? 俺はいたぶりがいがあると思うぞー』
『なんであんたを消滅させる事が贖罪や復讐になるんだよ?』
『だって俺の身体からハンプティダンプティは生まれた、サブリエでエリオットくんを殺したのはあいつだろ』
一瞬呼吸が止まる。レヴィはにやりと獲物を喰らう虎の目をした。
『ハンプティの特性上エリオットくんとその家族は悲劇に見舞われた、あと君の義理の家族に当たる白き天使の家の兄弟もたくさん死んだ。ついでに世界を滅ぼす変化を促した。・・・・・・どうだ、俺のせいっぽいぞ? 今更自殺するより俺をいたぶって殺した方が楽しそうじゃないか?』
『助けろって提案したのもあんただろう……そのエリオットくんっての止めろ、馴れ馴れしい』
『呼び捨てたらもっと怒るくせに』
強く念じるとレヴィの姿は消滅した。またすぐ出てくるだろうが、花束の完成までは大丈夫だろう。
均等にスターチスの青が混ぜられた花たちが纏められていく。リーオはその花言葉とハンプティダンプティに貫かれて死んでいたエリオットの姿を思い出した。
「にゃー」
「シロ、もう少しだから我慢しててね」
「可愛い猫だね」
「ええ、とても賢い猫なんですよ」
肉声でリーオは籠越しに水色の瞳に微笑んだ。白い猫は一週間前にヴィンセントと別れてからとても静かになった。最低限しか鳴かず、たまに顔を舐め、後は食事をしひたすら眠る。まるで来るべき日を待つ預言者のようにじっとリーオの一挙一動を見つめている。
「出来たよ、リボンは何色にする?」
「え、いらないですよ」
綺麗な円を描く花束を前に花屋の女性は自信満々の笑みを呆れ顔に変えた。
「あんたね、彼女へのプレゼントが素っ気なくちゃふられちまうよ。花の種類に悩むくらい惚れてるならね」
「ああ、違うんです。僕の行く先はあそこなんですよ」
花屋の一ブロック先、そこを指差すと彼女は顔色を白くした。休日に遊びに出かけてうかれた帰り道に雨に遭遇したみたいだ。
「……変な勘違いして悪かった」
「いえ、本当は白だけがいいんでしょうが彼が好きな花だったんです」
「家族かい?」
「いえ、僕と同い年の友達でした……随分昔に死んでしまったんですが、初めてくるんです。仲が良いつもりだったのに薄情な話ですよね」
店員は何も言わず、花束に黒いリボンを巻いてくれた。
目的地まであと少し、細いけど人の耐えない通りを猫の籠と花束に両手を塞がれ進む。
『あんたを殺しても、僕はすっきりしないから殺さない』
もう死んでいるけど。どうせ時間をかけたら出てくるだろうと呼び出したレヴィは珍しく感情剥き出しでうざったそうな顔をした。
『それにさ、僕はどうせ長くないよ』
『何言ってんの、若者』
『僕が風邪をひくわけないじゃん、剣で刺されても銃で撃たれても死なないんだよ……風邪で死にかける時点でおかしいのさ』
『……やはりお前の体調不良の原因はそれか』
目線を横にやると黒い闇がリーオの肩に乗って、じっと見ていた。リーオがちゃんと死ぬか監視しているのだ。暗闇の体は以前より大きくなっていて、その一部がリーオの心臓につながっている。脈を打てばそれもどくんと脈打った。
『体調不良ってほどじゃないさ、たまに血を吐くくらいだ』
『その変なのがリーオの命を狙ってるってことか? 確かに力は感じるけど、アンノウンの言った通りお前が拒絶すれば死ぬぞ、それ』
『僕が風邪で倒れてた時からちらちら現れてね。治って療養生活している間に何度も悪夢で接触してきて、あれは風邪なんかじゃない、こいつが僕を殺しに来たって分かったのさ』
『それはやはりお前なのか? 罪悪感や寂しさの化身とか? どちらにせよ、根本はお前だからリーオなら殺せるぞ』
『こいつは僕の宝物だよ』
よしよしと撫でると小さい口でがじりと噛まれた。・・・・・・それにしても意外だ。
『あんたが僕が死ぬのをそんなに止めるとは思わなかった』
『はあ? そりゃ止めるだろう、グレンとして世界の秩序を守るために』
これくらい説得力のない台詞も珍しい。
『世界崩壊から五年……これでも俺はお前に一目置いてた。ジーリィたちのことをバスカヴィル幹部にバラすわ、バスカヴィルを人間社会に溶け込ませようとするわ、面白いことをたくさんしてくれた……なるほど大した奴だよ、君は。世界はまだ見るべき価値のある作品だった』
『この世界を本みたいに言うな』
『そんなに世界の価値を知ってる君が、なぜ世界から消えようとするんだ?』
目的地のブロックに入った、右側に高い塀が現れる。けれど道には多くの人々が歩いていた。男、女、老人・・・・・・娘を連れた父親とすれ違い、レヴィにしたかった質問が頭から掘り起こされる。
『ねえ、レヴィ。あんたはレイシーが好きだったの?』
『なんでそう思う』
『子供を作ったから、利用したい気持ちはあっても……あんたみたいな人間は心底嫌いな存在とそういう事しないかと』
『それはなかなか純情な発想だね、少年、いやもう青年か』
『レイシーが口を滑らせればパァになる計画だ、彼女を信用してなければ共謀しようってならないでしょ』
『なるほど、レイシーとはそれぞれ別の目的もあったから彼女の事は信用してた……と言って差し支えはないのかな?』
若い夫婦とすれ違う。ミス・シャロンとミスター・レイムはこんな風になるのだろうか。
着飾った女性とすれ違う。シャルロット、ダグ、リリィ。彼らはどうしているのだろう。
未来のことなら彼らの決意の固さを考えればこれからもリーオ以上に新しいバスカヴィルを固めていくのだろう、けれど今彼らがどんな食事をして話をしているのかは想像もつかない。未来よりも現在が分からないなんて、意外だな。
『レヴィ、なんでアヴィスの意思を産み出したの?』
『昔言ったろう? 変化が欲しかった、それだけだ』
『あんたはオズワルドとレイシーのこと、好きだったんだろう。だからあの兄妹に妹をその手で殺させる運命を背負わせる世界なんて滅んでも良いと思ったんじゃないのか?』
『……どうして、そう思う?』
『記憶を見せてもらった時のあんたの二人への視線が、ヴィンセントのアンノウンへのものと似てたから』
小さな兄弟とすれ違う。ギルバートとヴィンセント。ぎこちない兄弟仲がうまくいく日はくるだろうか……最後のヴィンセントの叫びが心臓の裏で反響した。幸運を祈るしかない。
『その前にこそ色々あったんだろうけどさ。でもあんたが何もしなければオズワルドとレイシーが平和に暮らせるなら、やめたんじゃない?』
『それは俺を善人と思いすぎ』
『あんたは好奇心が主で是が非でもという動機はなかったんだ。グレンとして生きて死ぬ、それ自体は受け入れてたのに寿命縮めてまで成功するかわかんないこと始めた。その最後のきっかけがあの兄妹の運命なんじゃない?』
根拠の薄い推理だったが、レヴィは表情が硬くなる。どうせこんな悲惨な世界ならどうなってもいいだろう・・・・・・そんな感情が最後のきっかけ。ありがちな想いも時には世界を滅ぼす。
『あんたには最高傑作見せてやるって言っただろう。だから僕はあれからそういう悲惨さとはできるだけ真逆の方向性を目指した・・・・・・なに、それともあの二人に不幸になって欲しかった?』
『まさか。でもな、青いよ青年。俺はあいつらを不幸とは思ってない、何せ本当に仲の良い兄妹だった。最後がどうあれそれは幸福な運命だ』
『じゃあなんでジャックに色んな特権を許した? レイシーがいれば計画は十分だったのに』
『リーオは善人なんだよ、本さえ読んで質素に暮らせればそれでいい人畜無害タイプだ。俺は違う、どうせ破滅をまくなら派手になるほうがいいって油をまけるだけまく愉快犯なのさ』
『二人、いやあの三人が好きだった?』
『当然、飽きさせない連中だからな……俺の友人たちを可哀想に思うな。あいつらは自分の信じた道を生きたからそれでいいんだよ』
リーオは足を止めた。遠い昔の死者たちの話ばかりしてると気がつけば目的地だ。
レベイユの古くからある墓地。貴族の墓地も奥にある。
(エリオットはあの時からここにいる)
あの時、目が醒めるとエリオットがズタズタになって死んでいた。遺体は血塗られていない場所を探すことのほうが大変で、激痛の中死んだのが明白で、それは全部リーオのせいで……それなのにそれ以来彼に会っていない。こんなにすぐ来れる場所だったのに、今まで気がつかなかった。
パンドラに連行されてそれきりだから、本当にそれが最後。
(ここは、その続き?)
あの悪夢の? 歩いたつもりが足はもつれた。がしゃんと墓地の入り口の鉄の扉にぶつかる。怪訝な門番の顔になんでもないと手を振ると今度は猫の籠から苦情。
「にゃー!」
「ごめんって」
もう一度だけリーオは生者の世界を振り返った。遠ざかる通りでは子供が遊んでいた。
白き天使の家の子供達、金や人は送っているがこれからも元気だろうか。新しいバスカヴィルの子供達、彼らは特殊な運命に打ちのめされてしまわないだろうか。ーー生きていると未来のことはいつも未定で、どんな世界でも待っている。
(生きてるって眩いな)
もう過去しかない死んだエリオットとは違う。
この世界にいる仲間、友人、従者、彼らのこれからにより良き未来があるように祈り、墓地の道を歩む。
そして十メートルで異変が起きた。
『もう一度言う、リーオ死ぬな』
そしてレヴィが実体化した。驚く間もなく、レヴィはリーオの力に強制的に割り込んでドードー鳥をアヴィスから呼ぶ。
鮮やかな手並みにびっくりしたリーオに、巨大な鳥がその爪を突きつける。浮かんだ
『言って聞かないなら、腸をぶちまけて静かにしてもらう。一週間動けなけりゃ、あの従者くんが追いつくだろ』
宣言通り、胴体を狙って巨大な爪が迫る。黒翼の力で直撃すればぶち撒けるどころか胴体が真っ二つだろう。痛いどころか激痛でショック死する、バスカヴィルなら確かに一週間動けなくなる。
酷く冷めた目でリーオは梟を読んで、闇でチェインとレヴィの姿を隠した。
『墓場に人がいなくて良かった……亡霊のくせにチェインをかすめ取るなんて、オズワルドみたいに消滅するぞ』
『俺は停滞に興味はない! プラン邪魔されて冷静ぶってるなんてな、お前らしくないんだよ!』
グレンの亡霊は知識としての存在、チェインなんて操れば消耗する。レヴィがそこまでしてリーオを生かそうとする理由が不思議でたまらない。
『俺は変化を望む! お前はそれを果たした、そしてこれからもな! 最後まで俺は変化を』
『梟』
白き梟を盾にする。巨体と比較すると余りに小さい梟はドードー鳥に立ち塞がって、リーオの代わりにその翼をもがれた。
梟の鮮血を浴びると人肌より少し冷たかった。リーオの命令で梟は相手をくちばしを触れさせる。その接触を通じてドードー鳥に主人が誰か認識させ、動きを止める。
『……肉体もないくせに、無駄なんだよ。囁くことしかできないくせに』
どさりと梟の片翼が足元に血を撒き散らして落ちる……独りぼっちだったリーオを今はたくさんの手が引き留めている。
『お前が作った世界は面白かった、俺はこんなのを想像してなかった。これからもお前なら作れる』
『ドードー鳥、主人を誤認識させた存在を引き剥がせ。レヴィ、あんたはそんな自分はらしくないと思うだろうけど、そんな変化は僕はいいことだと思うよ』
『……親友がお前の死を望むと思うか!?』
ドードー鳥のくちばしが亡霊を砕く。数日は話もできまい。レヴィの消滅とともに細かい金色の粒がまき散らされる。
返り血をぬぐうと苦い顔をしたリーオは一歩知り退く。時間は流れ、レヴィすら変わってしまった。
(たった五年なのに、何もかも変わった)
全く時間は万能だ。彼に啖呵を切った時と同じで、この世界は変わらず尊く傑作だ。だから胸が痛い。
(だから僕は自分の時間を止めないと)
チェインの血液はすぐに黄金の粒となって消滅していく。足元の千切れた梟の片翼が一番大きな光を発して消えたので、梟の闇を消した。
そして纏う暗闇がべたりと首に巻きついた。心配するなよーー暗闇に手を伸ばしたリーオをばりんという音が止めた。
「・・・・・・あれ?」
シロの籠がない。ドードー鳥の接触時かと足下を見ると木製の籠が砕けていた。いや、木製の籠で陶器の割れたような音なんてするか?
白いしっぽを探すと失った腕の方向から、つむじ風が吹く。
そこにシロはいなかった・・・・・・代わりに少年が一人いた。
「・・・・・・っ!」
プラチナブロンドは短く、服は白いラトウィッジの制服。幼さと鋭さを持つ顔は目を閉じている。ーーあの日の頃のままのエリオットだった。
「・・・・・・えり、おっと?」
彼は若く、透けてもいない。ちゃんと地面に立っている・・・・・・すがりつこうとしたリーオはびくりと揺れた。ーー影はない。
そして水彩絵の具のように墓場の中でその姿に波が走る。生きた人間ではない、そのはずも無い……がくがくと強ばる身体をなんとか支えているとエリオットは目を開き、水色の瞳を向けてきた。そこには怒りも悲しみもなく、ただ強い意志を感じた。
「・・・・・・エリ、オット?」
「・・・・・・!」
なにかを怒鳴ったみたいだった。けれど声はなく、話す度に彼は透けていった。思った以上に冷静な自分にリーオは失望していると尋ねた。
「やっぱり・・・・・・シロは君?」
「・・・・・・」
白い愛猫の姿はない。首を縦にも横にも振らず、エリオットはリーオを指さした。
ーー「ついてこい」ーー
唇の動きだけで告げられる。また姿が薄くなり、その姿をもう一度確認するために目をこする……目を開けるとエリオットは消えていた。
「エリオット!?」
「にゃー!」
代わりにシロが十メートル程度先の墓石の上にいた。そして墓場を草原の白馬のように駆けていった。
リーオは首に生えた暗闇の一部を握った・・・・・・それもまた呆然としている。落とした花束を拾うとリーオはシロを追いかけた。
あとがき
ヴァニタス発売記念に書き出したら止まらなかったでござる。
ので、長くなり、いったん切ります。あと二話+エピローグ、早めにかければいいのですが。
ところで私はヴァニタスが好きです。
2016/04/23