ひどいことをしている、その自覚はあった。
俺が差し出す我ながら歪な形にしか切れなかったりんごには目もくれずリーオは俺の方を見て睨みつけてくる、その表情が愛おしくて頬を撫でる手に少し力がこもる。
「・・・病人には、こんなことしてないでさっさと離せばいいだろ」
「そんな問題じゃない!きついとかそういうのじゃなくてこんなのおかしい!
「おかしいよ!エリオット、僕が何かしたの? 「謝るようなことでもしたのか?」 「・・・心当たりはないよ、でも知らないところで何か怒っているならこんなやり方やめて。 「別に怒ってはいない、強いて怒っているとしたら薬を飲んだ後何も食べていないことだ。
なら仕方ないと俺はりんごを差し出す手を引っ込めるとリーオは少しほっとした顔をした。 身動ぎするたびに拘束されている手首はどうしても傷つく可能性がある、だから俺は傷つかないようにその腕をベッドに押さえ込むと口移しのために唇を近づけるとリーオが声を上げた。
噛み付いても当然の状況だったし今でも舌を噛まれて文句が言えるとは思えないが、それでもリーオは動くのをやめてかすかに声を口移しの切れ間にだけ上げるようになった。
大きな声で泣き叫ぶのでもなく、すすり泣くでもなく、ただ泣いていた。「どうして・・・」と小さな声が聞こえた気がした。 長い前髪の間から涙がこぼれていて、それに胸が痛んでそっと指でぬぐった。頬に涙の跡が残らないように何度もぬぐった。 なんの慰めにならないと分かってはいたが、それでも拭わずにはいられなかった。絶対泣いて欲しくなんてなかったのし、誰にも泣かせたくなかったのに・・・泣かせているのは俺だった。
香りがしなくなるまで舐めると、もう一度「どうして」という声が聞こえて、せめても答えに背中に手を回して抱き寄せてると耳元で「好きだ」と囁いた。 昨日と同じ言葉だったけれど、リーオの返事は昨日と違ってもう一度「どうして」と返ってきた。
本音を言えば一瞬でも離れたくはなかったのだが、誰もいないこの館でリーオの額を冷ますための水を用意したり、汗をかいた体を拭いてやるには水場に移動せざるを得なかった。 病人の看病にはできれば冬場には湯があったほうがいいから湯を沸かしていれば尚更時間が掛かった。せめて最初にポットに火をかけて他の準備をして時間を短縮するしか、離れているいらだちを紛らわす方法がない。 できるだけ時間をかけなかったつもりだったが、さっき腕の中で泣きつかれて眠ったと思ったリーオは戻ったときには目を覚ましていた。余裕を持たせて縛ったからか、体をこちらに向けてじっと俺を見ていた。 本音を言えばできるだけ体に負担は掛けたくなかったので、もっと楽な拘束方法があればそうしたかったが思いつかなかった。せめて金属と鍵で拘束できればもっと両腕を伸ばせるのか、とふいに思いつきもしたがそんなものに心当たりはない。
「・・・・・・エリオットは何してた?」 「看病の用意だ、ここは寮と違って水場もないし湯も沸かせないからな。まあ、これくらい用意すれば今日の夜までここを離れる必要はないだろうけどな。できればもう明日まで離れたくはないが湯ばっかりはどうしても・・・」 「エリオット、火を使ったの?・・・家事なんてほとんどしたことないくせに」 「ああ、でも火の始末はちゃんとした。消えるまで確認したから心配しなくていい、まあ慣れないから少し手間取ったがなんとかなった」 「・・・・・・怪我した?」
「いいよ、看病なんて・・・離してくれれば自分でやるよ」
「そうだな、同じ刃物と思って剣と同じに考えたのはまずかった」 「・・・・・・包帯、ヘタな巻き方だ。ちゃんと消毒くらいはしたんだろうね?」 「看病するんだから、自分の傷の消毒くらいは・・・」 「っ!ちゃんと怪我の治療くらい!・・・これ解かなくていいから、手の怪我見せて」 「風邪が治ったらな」 「エリオット!」
一方でどこかそれはないと思っている自分もいる。さっきからずっと俺の手に巻かれた包帯を見ているリーオは本当に俺の小さな怪我を心配している。 罪悪感がないわけではない。しかし、今の俺には自分の手で拘束したリーオに感じる安心感のほうが強かった。
「・・・嘘だ、さっきキスしたし抱きついたじゃないか」 「・・・悪かった、もうしない。だから」 「だから!そんな問題じゃない・・・!」
襟元を拭こうとすると、首筋に鬱血の痕を見つけて自分が昨日つけたものだと言うことに驚いた。同じ寝台で同じ相手と一緒にいるのに昨日の今頃はそんな風に触れ合っていたことをとても遠くに感じる。
「・・・さっきからなんだよ」 「昨日馬車で俺に「手紙が来なかった」って聞いただろ、どうしてだ」 「それは・・・来たって聞いたから」 「それは、お前の見合いの話がか」
「それは知ってる、俺が主人として受け取った。そしてすぐ代理で断りの返事を書いた」
馬鹿馬鹿しい話だが孤児のリーオが同じ平民でも資産家の娘との縁談を断ると揉める可能性は高い、だからこういう場合は貴族の俺が主人として断る方が早い。学生だから従者として多忙だからと、理由付けをしてだから俺はリーオとは縁談をさせないと返事を書いた。
「手紙は来たよ・・・多分前は父親が書いたんだろうけど、今度は娘さんの名前で」
「なんで俺に一言も話さなかったんだ」 「別に理由なんて・・・ない、面倒だっただけだよ。エリオットだってだから言わなかったんじゃないの・・・?」 「・・・・・・ああ、そうだな。面倒だから言わなかっただけだ」 「でも、教えてくれても良かったじゃないか。おかげでこっちはいきなりこの前はお断りされてとか書かれた手紙をもらって驚いたんだよ」 「・・・・・・別に忘れてただけだ、驚いたなら悪かったな」
嘘だ、覚えていた。 それを見透かすように黒い虹彩の光が俺を違う色で捉えた。
「それでこれは・・・・・・まさか嫉妬だなんてないよね?」 「・・・・・・違う」
気がつかれないように俺は少しリーオから離れた、かすかに指先から感じていた心音が遠ざかるとリーオは逆に間合いを詰めようとした。腕は囚われて動けないが少しでも俺の方へと近づく、暴くために。
「・・・・・・そうだ」 「嘘だ、君は聞きたいことがあるって言った。僕に手紙のことを聞きたいって、そのためにこんな・・・馬鹿なことをして」 「馬鹿なことか、確かにこんな風にお前を捕まえておくなんてことがずっとできるわけはないな」 「こんな必要ない、別に僕は・・・君から離れようとしたわけじゃない。手紙の話はすぐ断ったし、君がこんなことする必要なんてどこにもないのに」
(――それは、嘘だ――)
黒髪がふわりと舞ってリーオを隠した。首を振って、今度は俺から離れようとする。世界を拒絶するために前髪は今は俺も拒絶していた。 それに逆らって髪を分けて額に触れると熱い。リーオは触れた手にこちらを睨んだが、かすかに笑って返すとすぐ外らされた。 気がつくと首に当てたタオルは冷えている、リーオの頬も熱が出てきたのかさっきよりも赤い。話しすぎたのだろう・・・もう寝かせた方がいい。もう今は聞きたいことは十分だ。
「だからっ・・・・・・そんなことどうでもいい!君がこんなことをする意味なんてない!僕をもう離して、誤解させたなら謝る!君らしくない、君のためにならない!エリオット!」 「頼む、寝てくれ。俺は早く治って欲しいんだ」 「治ったら、離してくれるっていうの!?」
触れないように俺は自分の影だけをリーオの上に重ねた。漆黒の瞳の上に俺の姿を貼り付けるように顔を近づけ、囁くように訊いた。感情をいっそ爆発させればよかったのかもしれない、しかしどうやって吐き出せばいいかも分からず何種類も混ざり合った感情が肺の奥からうまく出てきてくれなかった。多分感情の多くは、焦りと・・・怯えだった。
「・・・・・・なにを、僕はもう答えたよ」 「それは嘘だ、お前は見合いの相手に返事を書こうとしてただろう」 「・・・なんで、そんなこと・・・!?なに、ちょ、や、やめ・・・!」
さっきの清める動きと違って睦言の時のように撫でるように触れた胸が早い、今までの記憶を何度か頼りに撫でると拒絶の声に甘さが混じった。リーオがその声をいつも封じる時のように口を手で塞ぐことも、今は出来ない。 俺はお前が嘘をついたり、隠し事をするための要素を少しずつ剥ぎ取っていく。あらわになっていく姿はみだらだった。
「ああ、俺は何もしない。でもこの方が、嘘は付けないし隠し事もしづらいだろう?
初めてまっすぐに見るリーオはひどく危うげで弱々しかった。じっとのぞき込むと顔をそらせないように顎に手を当てると正面を向いたままに固定する。声がこらえようとすうる口をそっと指先でこじ開けると噛まれなかった。 それどころか指先を噛まないように口を開いた・・・まるで俺自身を人質にしているような妙な感覚と大切に思われているのだという罪悪感。とうとうあからさまになった嬌声に彼が欲しいと唇を触れさせたい衝動を抑える。絶対に自分の快楽を追ってはいけないというのはただの自己満足だったが、自分なりの最低限の抑制策だった。 早く・・・早く終わるようにもう一度腹の中央に指をなぞらせると今度は間際で一際大きな嬌声が上がった。その声に強く惹きつけられる感情を胸中に抑えて手早く片手で下肢の寝間着を脱がせていく。下着に手をかけると息を呑む気配がして、早く終わらせてやりたいと手を急いだ。 片手で見ないとなると少し難しかったが、着替えさせるつもりだったのだからちょうど良かったのかもしれない。このまま順調にいけば眠ってもらうことは難しくないかもしれない。眠ってもらえれば、少しの間この苦しみからリーオは開放される。逃げない姿には俺も安堵して、理性を失うことはないだろう。 早く済ませてしまいたい、だからリーオの隠していることを早く暴いてしまわないといけない。
「そうだな、お前が離れてるといつも一緒なのが当たり前になりすぎてるのに気がつかなくて、俺も寂しかった。だから昨日は喜んだよ、久しぶりに二人でただの・・・恋人に戻れて」
こじ開けたられた口は変わらず俺の指先を傷つけまいと開かれたままだったが、数秒も耐えられず部屋にリーオの声が響いた。声は初めて聞く綺麗な音だった・・・・・・誰にも、一欠片でもこの恋人を渡したくない。
「離してっ・・・もう、エリオット・・・気が変になる、手を離して」 「昨日俺が一緒に地下室の書庫に行くのを避けたのはなぜだ」 「それは・・・んんっ・・・なんでもな・・・っ!」
そこには思慮深そうな綺麗な字で自分もまだ子供で先のことはよくわからないが、このままでは父に叱られてしまうからまた手紙が欲しいという内容が書かれていた。
「それは・・・・・・エリオット、も、やめて、これならさっきの約束なんていいからちゃんとこのまま・・・・・・ちゃんと答えるから・・・ひっ・・・このままじゃ、気が、狂う・・・」 「俺はお前に上着を届けようとして・・・ポケットからお前が貰った、2通目の手紙があったんだよ。だから、俺はお前の荷物を勝手に開けて、らしくないデザインの便箋が何枚もあるのに気がついたんだ」
数枚の便箋には長すぎず、短すぎず感謝と自分の簡単な自己紹介、好きな本や音楽、そして友人でいいから手紙を続けてほしいいということだけが書いてあった。 俺は確かに嫉妬しただろう、その娘は俺よりもリーオのことを知るはずもないのに隠れることなく手を伸ばすことができるのだと。 できるだけ快楽だけを与えられるように、何度もそっと撫でた。その度にリーオから、キレやすくて凶暴なくせに、本心をなかなか見せない理性をできるだけ剥いでいく。剥き出しなったリーオは・・・ただ綺麗だった。震えていた唇がためらいがちに開かれて、言葉を紡いだ。
今度ははっきりと見えた、リーオは泣いているのか笑っているのかわからない顔で見上げていた。そして、嬌声の中に場違いな子供あやすような声を混ぜて俺の問いに答えていた。
だから替わりに果てていくリーオに最後まで触れていた。吐息が一瞬止まるとびくりと痙攣するように跳ねる体を確認するとそっと、そっと離したくない手を無理やり離す・・・・・・はなしたくなんかない、のに。 酷いことをしているのに、リーオの声も言葉も優しかった。視界の中でどんどん曖昧になるリーオに一層呼吸が苦しくなって、やはり名前呼ぶことができない、こんなに呼びたいと思ったことはなかったのに、どうして。
それでも疲労と絶頂から少しずつ意識が遠のいていく黒い瞳がいたわるように俺を見つめていた。その頬に何かが零れることに気がついて、ようやく自分が泣いていることをはっきりと自覚した。濡れている頬を慌てて拭おうと手を伸ばすと、意識を失う寸前のもう一度だけリーオの口が開いた。
「うそついて、ごめん・・・・・・すき、だよ・・・・・・エリオット」
どうしてリーオが謝るのか分からずに俺は何かを口に出そうとしたが、その頃ようやく自分が嗚咽を上げていることに気がついて口元に手をやるとその時にはリーオはすでに眠りに落ちていた。
「・・・・・・リーオ・・・・・・」
続く
・エリーはずっと賢者モードのターン(うわあ)。前回いちゃこらさせた最大の要因だったりする・・・。
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