ずっとずっと、そばにいるつもりだった。


たとえ俺が混血だと分かっても、俺を見つけると避けて、昔のように髪に触れるだけで触れるだけで手をはじかれるようになっても、決して本気で混血忌み嫌う純血魔族至上主義の目で俺を見たことはなかった。


それどころか、俺を嫌う素振りに自分で自分を傷つけたり、誰かが俺を蔑むと苦しそうな表情を見せて耐えられずにその場を立ち去ったりたまにはその相手に噛みつくこともあった。


それが嬉しかった。
不器用で相手だけではなく時には自分を深く傷つける激しさがもどかしく、一方眩しかった。
感情をいつでも精一杯動かすことのできる弟が羨ましく、愛おしかった。


弟でよかったと、そう思ってきた。途切れることのない血の絆に心から感謝してきた。
何があってもヴォルフラムは俺が守ると決めていた。












バスローブ 2

















コンラートは舌打ちした。剣は取り上げられている。
もっとも、持っていたら敵陣のど真ん中で抜いてしまったかもしれない。取り上げられいたので右手は宙を彷徨っただけだったが。
仕方なく代わりに背中にありもしない目でその声の主を睨み付けた。
何を言ってる。面倒は覚悟してたが忌々しい話になってきたな。

どっちに目を付けたか知らないがどっちにせよ指一本でも触れてみろ、その手、いや腕ごと切り落としてやる。


「何を言っている!こんな退屈な巡回に愛人も連れ込めないんだぞ!?
せっかくの海賊騒ぎも魔族の毒気にやられてあっさり囚われてしまったし娯楽も何もあったものではない」


いっそ首からでもいいかもしれない。

コンラートは舌打ちした。まわりを固めている兵士が動揺するのを感じる。
どうやら騒いでいるのはかなりの高官らしく命令を遂行し続けることにためらいが生じたのだろう。
どこにでも一つくらいは階級の生む邪魔者がいるものだ。

コンラートはユーリを胸に寄せ、ヴォルフラムの背後に回って後ろからの視線を遮断した。
見続けられて余計に執着されたら問題だ。それに、何より・・・今だって腹の奥から沸き上がる黒いものを押さえることが難しい。


「あんな上物はまず二度とお目にかかれないぞ!どうしてもというならあの金髪のほうだけでも」

「ま、魔族ですよ?」

「だからどうした!」


どうやら二人同時に目を付けたらしい。しかもどちらかというとヴォルフラムに目を付けたらしい。


(冗談じゃない!!)


「見ろ、あの色の白さ!首なんか雪のようじゃないか。本当に一晩だけでいいから」

「なんてことを!危機感を持ってください」


全くだ。そっちの首こそいつまでも胴体についていないかもしれないというのに。

コンラートは目を一番近い兵の腰の剣に向けた。
いざとなればこれを奪って逃げるという、かなり無茶な案が頭をよぎる。
いくら何でも無理だ。四方を兵に囲まれて連行されている事態で下手に魔族が逆らえば殺されるかもしれない。殺されないまでも、動けなくなる程度の怪我ぐらいはさせられるだろう。
コンラートは自分の剣の腕に自負はあったが過信はしていない。この場の兵たち全てを倒すことができるわけがない・・・・・・とまではいわないが巡視船に残っているシマロン兵たちを呼ばれれば万事休すだろう。
できるとしたら逃げることだけだ。が、四方を海に囲まれている。つまりは逃げられない。


(逃げるとしたらヨザックに船を用意してもらうしか・・・しかし、間に合うのか?)


かなり、難しいだろう。しばらくは兵たちを攪乱して逃げ回ることもできるだろうが、ヨザックがどこまで素早く脱出路を確保できるかは分からない。

最善策としては背後の男に諦めてもらうことなのだがそれも微妙だ。

しかし、背後て諫められている要求が通りでもしたらどんな無茶をしても二人を、ヴォルフラムを守らなくてはならない。どんな無茶でもやらなくてはならない。
が、やはり無茶すぎる。成功確率が低い上に失敗したときのリスクが高すぎる。このままでは実行できない。

コンラートはいらいらと舌打ちした。
せめて、海賊に襲われたのが舞踏会で慣れない正装をしていなければいつでも短剣の一つや二ついつでも隠し持っているのに。


「何を馬鹿なことを!?あれは人間の領域で魔術を使ったとんでもない魔族ですよ!」

「人間の領域で魔術を使った魔族など聞いたことがないぞ。海賊の襲撃に動揺した御夫人方の目の錯覚だ」

「馬鹿な・・・じゃあ海賊はどうやって戦闘不能に」

「まさか襲撃した船に魔族がいるとは知らずに恐怖で腰を抜かしていたのだろう」


おいおい。言ってる当人も言ってて苦し紛れだと自覚しているらしい。理屈が無茶苦茶である事への動揺をがなりたてることで要求を押し通そうとしている。
周りを気にせずに思い切って後ろを振り向くと、軍人にしては貧弱な壮年の上官をずいぶんと恰幅のいい中年の兵士が諫めている、というか引きずられていた。
もうもちそうにない。
絶対に二人、ヴォルフラムには指一本触れさせない。しかし、ここでは向かうのは危険すぎる。


(どうすれば・・・)


葛藤している間にも背後の押し問答は白熱している。うるさくて、考えに集中できない。
うるさい、静かにしていろ。集中できやしないじゃないか。思いとは裏腹に背後の声は大きくなっていく。



「危険すぎます!」

「何が危険だというのだ!まさか魔族に触れると呪われると思っているわけでもあるまい!」

「そ、そういうわけでは・・・しかし、魔族を下手に怒らせると何が起こるか」

「あんな裸同然の格好をしているんだ。大方そのために連れてこられたんだろう。あっちの茶髪の魔族にでもな。
 魔族の相手ができて私の相手ができないわけはない!」















心を見透かされた気がした。


な、にをいって。














コンラートは背筋が凍った。


そんなはずはない。縁を一方的に切られたとはいえ俺たちは血の繋がった兄弟だ。
そんな風に俺が、ヴォルフラムを、見ているなんて。
そんな馬鹿な。


本当か?
本当に馬鹿なことか?


彼と新婚用の部屋を使うことになっていたユーリに強く念を押しそうにならなかったか?
船酔いで弱った寝台の上のヴォルフを見て自分の中で何かを制していなかったか?


違う!
俺は違う、俺はただヴォルフが-----


なんだって言うんだ。
兄弟で、純血魔族でさえないこの俺がヴォルフラムになんだって?


ユーリにまだその気がないとはいえ、ヴォルフラムは今はユーリの婚約者だというのに。


どうして、俺は








「コンラート!」


ヴォルフラムの怒鳴り声がコンラートの意識を引き戻した。


「何をぼーっとしている!足が止まってるぞ!」


かなり怒り心頭といった風体だった。思わずコンラートはヴォルフラムの顔に見入ってしまった。真っ直ぐで激しい、まだ幼さの残る湖底の色の碧の瞳が怒りに染まっている。


「しっかりしろ!おまえはユーリの護衛なんだからな!」




ーーーーその碧色が一本の腕で遮られた。





「ほら、何が魔族に触ると呪われるだ!何も起こらんではないか!」

「な、何をす・・・もが」


コンラートが足を止めている間に背後の問答は押し切られていたらしい。
いつの間にか近づいてきた壮年の上官が背後からヴォルフラムの両目を塞いだ。すぐに口をも塞がれる。


「何をしている、お前ら!早くこいつを取り押さえろ!」

「し、しかし・・・」

「さっさとしろ!」


怒鳴り散らす男。戸惑う兵たち。
その中でヴォルフラムは訳も分からずもがいていた。しかし、振り切れない。
ヴォルフラムのなめらかな白い首に、骨張った手が伸びて今にも触れられそうだった。










その瞬間、コンラートの中で何かが切れた。

ーーーーー次の瞬間、壮年の上官は床に叩き付けられていた。













「ぐえっ・・・な、なにをする!!」

「何のまねだ貴様!」

「刃向かう気か!?」



見た目の反してなかなか頑丈だったのか、気絶はしなかったらしい。
兵たちも今度は大人しかったの捕虜の反意に戸惑い始めている。何人か剣の柄に手がかかっていた。
さっき危惧していた絶対的危機的状況というやつだ。
いや、ヨザックに何かするように合図を送る間すらなかったのだから危惧していたより最悪だった。



その全てを見渡して、コンラートはいやに平静だった。

たいした問題ではない。



「な、何が起きたんだ・・・何をしているコンラート!?」


一人状況を理解していないヴォルフラムは、床に叩き付けられて頭から血を流している男とその前に立つコンラートを見比べて一人混乱していた。


「ヴォルフラム、どこか痛いところはないか?」

「いやべつないが・・・そうじゃなくて!何が起きたんだ、お前は何をしているんだ!?」


湖底のような、碧の瞳。

感情をそのままに映す瞳をのぞき込むと、コンラートはどうしても掴めなかった自分の感情が急に解けていくのが分かった。

ああ、そうだ。
もう彼は俺にとって、弟じゃない。
いやとっくの昔からそうだったかもしれない。気付かなかったけれども。気づかない振りをしてきたけれど。
小さい頃は彼にとっては俺が一番だった。それでは満足できない。
いつまでも一番でいたい。それが本音だ。とうの昔に叶わぬものになったけれど。


「よかった、怪我はないんだな」

「人の話を聞け!コンラート、お前今の状況が分かっているのか!!?」


もちろんわかっているよ。俺が何をすればいいかも。
ありがとう、ヴォルフ。何をすればいいか、ようやく分かったよ。
彼を何があっても守り抜くことだけは決めている。
彼が生まれたとき、彼を真っ先に腕に抱いたその時から。


「にやついてないで返事をしろ、コンラート!」


返事の代わりに俺は「何を考えている」とか「にやつくな!」とかいわれている笑みを返した。
でも、そうはならずにヴォルフラムはよくわからないといった顔をした。失敗したかな。

苦笑したのもつかの間に、懐に抱えていたユーリをヴォルフラムにちょっと寄りかかるように渡す。
人一人をいきなり渡されたヴォルフラムは転びかけるが、大切な婚約者を落とすわけにはいかず何とか踏みとどまった。
お前には重いかもしれないけど、ちょっと俺の代わりにユーリを守っててくれ。

すぐに終わるから。





ヴォルフラムに盛大に苦情を言われるまもなくコンラートは一番手近にいた兵たちの中で一番隙の多いシマロン兵の懐に入っていた。相手が気付くより、遥かに早く兵の剣を、鞘ごと奪う。

軽く兵を突き飛ばして、その反動でもとの立っていた位置に剣を持って立つ。

周囲がざわつくのを感じた。ヴォルフラムを見るとユーリをちゃんと抱えながら文句も忘れて目を丸くしている。
コンラートはヴォルフラムに微笑みかけた。






心配するな。お前は俺が必ず守るから。




















コンラートいっぱいいいっぱい。

ヴォルフは後ろより傍らにいるおにーちゃんを警戒した方がいいです。

どうせ他の連中はおにーちゃんが撃退してしまうでしょうから。

ヴォルフの湯上がりマダムはこんな風に目をつけられなかったことが不思議なくらい可愛かったです。






2007/2