金色の糸に被われた薄い肌からは、昔とは少し違う香りがした













バスローブ 6















ヨザックが去って、ユーリとヴォルフラムが眠っている船室はとても静かだった。

コンラートは誰も語る者のいないしぃんとした空気、破ることを封じるような沈黙に逆らうことがないようにじっと膝建ちに座っていた。眼前の壁にはかすかな寝息のユーリと「ぐぐぴーぐぐぴー」とすっかり安心してぐっすり眠っているヴォルフラムのいびきはしていたが広い部屋では意外に響かない。遠くで波の音がざわめいていることも、余計に静寂を際だたせている。



「・・・・・・・・・・・・・・・」



コンラートは微動だにしないようにじっと部屋の沈黙を守り続けていた。守り続けるしかなかった。
それでも、コンラートの耳にはざわざわと身の内からの音が聞こえていた。それらは何かの意味を持った言葉のようだったが、聞くことは今更なことを言っている気がして出来るだけ自分の意外なほど穏やかな心臓と呼吸の音だけを耳が聞いていた。
そして、眼はヴォルフラムの寝顔を見ることにだけに集中させた。



(こんな風にヴォルフの寝顔を見るのも久しぶりだな。
小さい頃はしょっちゅうだったけど、俺が混血と知ってしまった日からほとんどなかった。数年前に、偶然血盟城でうたた寝をしているのを見かけたくらいか。
相変わらずぐっすり寝ているし、相変わらず変わったいびきだな・・・・・・・・・・・・・・でも、何か)



初めて会ったひとみたいだ、と思った。

勿論ヴォルフラムにあったことは初めてなわけはなく、母と数人の医者や女官を除けばヴォルフラムがこの世に生を受けて初めて出会ったのがコンラートともいえる。
その後もコンラートは幼いヴォルフラムを慈しみ教え育ててきた。絵本を読み聞かせ、剣の持ち方を教え、初めての乗馬も一緒だった。寝食も当たり前のように一緒で、幼い頃に一緒の寝台で眠った回数はもしかしたら母よりも多かったかもしれない。

混血と知れるまではずっと一緒で、知れてからは一気に疎遠になった。
知った時期とヴォルフラムの父が亡くなった時期が重なったこともある。当時のヴォルフラムが住み慣れた血盟城ではなくビーレフェルトの領地に住むことになったのは家督を継いだ叔父がヴォルフラムをやや強引に呼び戻したことが大きい。もしかしたら、ヴォルフラムがコンラートのいる血盟城を厭って叔父に何か言ったのかも知れない。

コンラートも混血であることを告げてヴォルフラムに大粒の涙と一緒に「もう二度と兄とは呼ばない」と言われたことをきっかけに積極的にヴォルフラムと直接接することはなくなった。あまり、顔を会わすことのないように気を遣ったのはどちらかといえばヴォルフラムよりむしろコンラートといえる。
代わりに病気になれば大量の見舞いの品を匿名で贈ったり、軍の士官学校に入ればそれとなくどうしているかを母や兄から聞き出してはいたのだが。

離れてからも、一方的にだけは絆を手放すことはなかった。いや、離れて向こうからは不要とされてしまうからこそ、遠くからのだけ一方通行の行為を寄る辺に彼の1つ1つを焼き付けるように、繰り返し遠くから想っていた。

だから、初めて会ったひとのように感じる理由はないはずなのだが。



「ヴォルフ・・・・・・何か変わったことでもあったのか?」



眠る相手が答えるはずもなく、「ぐぐぴぐぐぴ」が返ってくるだけだった。
コンラートはその様子を元に以前とのヴォルフラムとの差異をそこに探してみる。ユーリと婚約したことは彼を別人にするほど大きく変えてしまったのだろうか?
しかし、ヴォルフラムは当然のようにユーリの肩にもたれかかって「ぐぐぴぐぐぴ」と熟睡している様子に変わりはなかった。



(違うな・・・・・・変わったのは俺の方か)



苦笑して先ほどまでの自分の感情との変化を自覚せずに入られなかった。正確にはさっきまでは自覚していなかっただけなのだが。

自覚して過去を振り返れば、気付かないほどかすかに「弟」への感情に甘いものが混じって育っていったことが否応もなく分かる。
幼いヴォルフラムを抱きしめて眠ったこと、涙をためて「もう兄とは思っていない」と手を弾かれたこと、拒絶するくせに小さな怪我を拙い治癒魔術で癒そうと躍起になっていたこと、その癒しの手が触れた場所に当たり前のように唇で触れたこと・・・・・・・・・その全てを吸って彼への想いは俺の心の一部と言ってもいいほど大きい根を張っていた。


コンラートにとってヴォルフラムを「弟」か「想い人」かに完全に分けることは不可能だった。


手放しで今の「兄弟」という強い結びつきを捨てられることは出来ない。しかし、それとは別の感情は無視できないほどに大きい。ヴォルフラムのその感情をユーリがさらってしまうかも知れないことに焦りばかりが募る。

コンラートは小さく笑った。
ユーリに冗談めかして「手でも、胸でも、命でも差し出す」と言ったあの言葉はコンラートにとってはこれ以上ない本気の誓いの言葉だった。ユーリはコンラートにとって何を渡しても惜しくないひと。稚い頃の彼をその手に抱いたときからそう思い、眞魔国で成長したユーリと再会したときからますますその誓いは硬くなった。

それなのにヴォルフラムだけはと心の奥深くの自分がそれを裏切るように唆す。呆れた誓いだ。



「不忠な臣下で、不誠実な名付け親で、ごめんなさい・・・・・・ユーリ」



勿論返事はない。もし万が一聞こえていたとしてもユーリはきっと「なにいってんだよ」と笑って返すのだろう。
その事実に少し頬と感情が緩むと自然と顔が微笑んだ。さっきより気持ちが楽になり、かすかに気持ちに余裕が生まれる。眠っているときでも間違いなくユーリはユーリだった。

余裕ついでに気付く。「ぐぐぴぐぐぴ」という音に少し先ほどよりうなされ気味のユーリにコンラートは苦笑した。
立ち上がって肩寄せ合っていた2人を離す。船室の少しささくれた壁に丁寧にユーリをもたれさせると聞き慣れない音から解放されたせいか少し深い眠りに戻ったように見えた。

今度はヴォルフラムに向き直ると同じように壁にもたれさせるとさっきまでの騒ぎの元のコンラートのスカーフと上着を整えてやる。元々サイズが違う上に寝相の悪さは誰にも負けないヴォルフラムのことだから案の定ぐちゃぐちゃだった。やれやれとバスローブの裾をピンと膝が隠れるほどに貼って整える。



「うーん・・・・・・」



ヴォルフラムがうなった。起こしてしまったかと思って顔を上げたが、そうではないらしく何かに不快そうに眉をひそめている。
どうしたのだろうと「これかな?」目元にかかっている幾筋かの髪を払ってやる。不快感が消えたのかほっとして表情を緩めたので笑ったように見えた。その表情と柔らかな肌に、少し心臓が跳ねるのを落ち着けねばならなくなった。



「・・・?」



その時、気付く。ヴォルフラムの体温は元々高めだったがそれにしても熱い。熱があるのか?
人間の領域での慣れない船旅と海賊騒動などで疲れがたまってしまったのだろうか。そうかと思って手を取るがほんのりと暖かいだけでおかしい様子はない。風邪を引いたわけではないらしい。

少し考えると自分がさっき無理矢理巻いたスカーフのことが思い当たる。元々ここは暖流で眞魔国での春くらいの気温だ、バスローブでは心許ない寒さだがその上に上着だけならともかくスカーフまで首に巻かれるとさすがに熱いのかも知れない。



(ムキになりすぎたな。さっきはあの男が「雪のようだ」なんて言ったとはいえ・・・)



不愉快な出来事を思い出して少し不機嫌になるが、今度は落ち着いてスカーフを外そうとする。きっちり結ばれた結び目をゆっくり解いてヴォルフラムの首は解放された。

やはり苦しかったのか、外してやると心なしほっとしたように寝返りを打った。
結び目が解かれて首から下がっているだけになったスカーフを取ろうとした時にコンラートは動きを止めた。



その口が小さな寝言をこぼした。

口元にはっきりと笑みまで浮かべて。



「・・・・・・・・ユーリ・・・・・・・・・」



何で、今、そんなことを言う。

そんなことを、俺が目の前にいるときに。

違うんだ、もう、弟としてだけ想っているわけじゃないんだ。



コンラートはスカーフをヴォルフラムの首から取り去ると、むき出しになった雪のように白い首筋に自らの唇を触れさせた。


「兄」だけであることには戻れない。コンラートは、もはやヴォルフラムをユーリにでさえ絶対に渡したくないのだ。


そのまま微動だにしなかった。ほとんど触れるか触れないの状態を維持する。柔らかな肌の下に流れる血の暖かさとかすかに香る潮の香りを感じた。
もっと深く触れて、その白い肌に淡い跡を付けてやりたい衝動に駆られたがそれは押しとどめてなめらかな肌からそっと唇を離した。


コンラートは手をヴォルフラムの頭の両側にそれぞれついた。さっきより顔との距離が近い。かすかにヴォルフラムの息づかいが鼻先をくすぐった。金色のまつげがかすかに震えたことすら伝わってくるほど顔を接近させる。



(俺は、何をしたいんだろう・・・・・・?)



ヴォルフラムが、ユーリを呼んだからといって、どうするつもりなのか。
このまま眠っているヴォルフラムに何かしたいのか?
そのことには、あまり惹かれなかった。彼の心に触れられないのに、意味がない。


せめて、彼が起きてから思い切り罵倒でもされながらやらないと意味がないだろう。どんなに厭われても彼の心の内に存在できるのなら、全くなにも感じないよりずっと好ましいと感じる。


無防備なヴォルフラムに、触れることで満足したいわけではない。



(じゃあ、どうしたいんだ?)



分からない。


ただ、この距離はなかなかいいものだと思った。ヴォルフラムの息づかいとまぶたのかすかな動き。呼吸の度に動く皮膚の動きすら手の平1つ分の距離の空気を通して伝わってくる。


やはり、いくら聞き伝えには彼のことを聞いていたとはいえ成長期のヴォルフラムは少しの間に成長してしまう。
以前うたた寝していうるヴォルフラムに毛布を掛けてその時に風邪を引いていないか触れたときとは、少し変わったヴォルフラムの頬の線をゆっくりとなぞる。



「ん・・・・・・」



ぴくと小さな反応。この状態でヴォルフラムが起きたら、どうなるだろう。
驚くだろうか?罵倒でもするだろうか?それとも、何も言わないで立ち去っていくのか。

コンラートは起こす気はさらさらなかったのだが、少し好奇心を持って今度はまつげを指先でくすぐった。再び小さな反応が返ってきて、さすがに手を引くとヴォルフラムの口がほんの少しだけ開いた。




「・・・・・・・・・・・・・コンラート・・・・・・・・・・・・?」




自分でも、目を見開いてヴォルフラムを凝視して硬直しているのが分かった。









ああ、そうやって彼は俺を見抜いてしまう



だから俺は












「・・・・・・・・・・・・・・ヴォルフ」



例えユーリの婚約者でも、例えいつかユーリや他の誰かとヴォルフラムが結ばれることがあっても、兄弟でも、彼が今俺のことを罵倒してそのくせ本心では「兄」としか想っていないとしても、コンラートはヴォルフラムが好きなのだろう。
彼が彼、コンラートがコンラートであるが故に。予定調和のように明白な事実だった。



「ヴォルフ」



だから、決めた。コンラートにも譲る気はない。

いつか、最後の一瞬でもいい、ヴォルフラムがコンラートをコンラートと同じように想ってくれる、そのことを願うことを決して止めたりはしない。

諦めたりはしない。



「ヴォルフラム」

「・・・・・・・・・・・・・ん」



眠っているのに、律儀に反応を返してくる。それが、可愛くて前言撤回する。やっぱり、お前が可愛いからいけないんだよ、と胸中でからかうように囁く。




「・・・・・・好きだよ」




いつか、伝えるよ。

今はまだでも、必ず。

お前にもそういってもらえるように。




コンラートはヴォルフラムのまぶたにいつかの未来を果たすように、誓いのキスをした。
























FIN








 



アトガキ



お、終わりました・・・・・・会話がない話は結構大変でした。次男がひたすら一人で悩んでいるのも。
最初と最後の一文は繋げてお読みください・・・・・ここで説明することでもないですが。(汗)

やーっと、完結です。書き始めてからは半年以上、公表してからも半年近くたってしまいました。

最初は「三男のバスローブ姿がASUKAで可愛かった」くらいの理由で書き始めたのに、いつのまにやらコンプの悩みどころである「仲良し兄弟」でいくか「潔く一線超えさせる」でいくかの後半をとってしまい「兄弟なのにいいのかーいいのかー」と言う自分の脳内の攻撃のせいでえらく長くなりました。ああ。
でも、割と自分では気に入った感じで終われてよかったです。


我ながら悩み次男を書きすぎて「これからどうやってあの「けろっとした次男」に戻れるのか」と悩みましたが最後に次男が決意をしてくれてこれでいいかと思います。自分では、ですが。



以前日記に書いた名言↓。今回でちょっと果たしました。



手なら尊敬
額なら友情
頬なら厚意
唇なら愛情
瞼なら憧れ
掌なら懇願
腕と首は欲望

『其れ以外はみな狂気の沙汰』
フランツ・グリルパルツァー



今回は首と瞼です。
コンラートの現状での感情と決意を表す意味でもまぶたで、弟としてじゃない気持ちで想ってますの意で首。 



もし、このお話が少しでも面白く思っていただけたらのならこれ以上なく幸いです。お付き合いいただきありがとうございました。








2007/08/05








ちょっとオマケを追加・・・→その@



2007/08/07