それはひどく当たり前のことなのに
伝えられた瞬間胸が詰まって立つことすらできなくなっていた。

 




「 それでも悪夢だったわけじゃない 」


 

 

暗い水の底で、僕は溺れていた。肺から空気なくなって黒い水が入って、呼吸がまっくろになっていく。

苦しいとは思わなかった、その暇もなく僕は黒に染まる。
母さんから言いつけられたのに切ってしまった髪とエリオットに貰ったメガネを無くした忌まわしいこの両目を以外にも指先からもまっくろに、醜く変わる。


「・・・・・・!・・・・・・ター・・・・・・!」


黒い水に一つの波紋が走った、まっくろになる僕の邪魔をする・・・うるさい、邪魔をするな。

苦しい、とその頃には感じ始めていた。でも同時に安心していた。僕には罰が必要だから。
肺からまっくろになる苦しみなんて彼に比べたらなんでもない。むしろ軽すぎて申し訳ないくらいだった。


「・・・・・・マスター!・・・・・・」


また邪魔をする声が響く、なんで邪魔をする?
僕はまっくろになったまま水に溶けるのに・・・それでも足りないのだろうか?僕の罪には?

苦しい、苦しい、息ができない。

ああでも安心する、重すぎる罪を持つ僕は罰されている時だけは少しは君のことを考えても・・・許されるのかもしれない・・・。


「・・・ター!・・・マスター!マスター!目を覚ましてください!」


マスター、僕を許さないで。100回この身を焼いてもいい、だからせめて、せめて。

 

 

 

額が汗に濡れている、浅い呼吸をしていたのかひどく息が荒い。まだボヤけた視界には、金と紅のオッドアイが映る。


「・・・・・・ヴィン、セント?」


いつも飄々としているのに何を慌てているのか、と思ったら肩をつかまれて体を揺らされた。その時ベッドに眠っていることを思い出した。

ヴィンセントは取り乱した顔を、不意に緩めて僕から身を離した。着替えた覚えのない寝巻きに変わっている、目の前の仮りそめの従者が替えたのだろうか・・・僕は眠っていたのか?


「・・・・・・大丈夫ですか?昨日のジャバウォックの契約からすぐに倒れられましたよ、覚えていますか?」


いいやと目配せすると、ヴィンセントはいつもの僕が使用人をしていた頃のように底の知れない笑みに戻った。


「うなされていましたから、契約で何か身体に異変があったのかと思いましたよ。ご無事で何よりです。
今エコーを世話にやりますから、お休みになってください」


エコー、と口元で繰り返す。もともとは同僚だった、でも話すこともなかった無口な同じ年の少女。
時にその強さを羨ましく思った、僕には彼を守ることはできないも同然だった・・・・・・否、守る以前に僕は彼には害だった。


「元同僚に看病なんかされても気詰まりだ・・・僕は一人で寝てればもう大丈夫だからも、ヴィンセントも下がってて」

「・・・・・・かしこましました」


その笑みにドアの外にエコーをつけるともりだと確信したが、言ってもはぐらかされるだけだと分かっているので無視してもう一度ベッドに深く身を沈めた。


「ヴィンセント、聞いてもいい?」

「なんですか?」

「・・・・・・エリオットは、最後に僕になんて言ったんだっけ」


すでに知っている答えをもう一度尋ねる。ヴィンセントは少し沈黙すると、


「「わるい、リーオ」だよ」


と従者でない口調で静かに告げると、僕は頷いた。


(その言葉にしがみついたら、いけないのに)


コップの水を差し出されて、重い体を持ち上げてなんとか手に取る。水は透明で、黒さのかけらもない。当たり前だ、ただの水なのだから。

水ではなく、僕はすでに醜くまっくろだ。ジャバウィック。昨日契約した黒い翼のチェインは意外にも美しく黒い龍だった。

同じ黒でも醜い僕とは大違いだったで、あっさりと契約できたのが不思議に感じた。


「・・・・・・夢を見ていたのですか?」

「別に」


一言で切って、水を口に含む。飲むと不意に水ではない味を感じて、ヴィンセントを睨みつけた。


「・・・・・・何入れた?」

「・・・・・・何も、ただゆっくり眠っていただきたいだけです」


嘘を付けと、僕はヴィンセントに睡眠薬の入った水のコップを投げつけた。ガシャン!とガラスが割れた音が部屋に響いた。

 

 

体がうまく動かない、違和感も大きい。柔らかなベッドとあっさりガラスをかわしたヴィンセントに盛られた睡眠薬は僕の意識は再び現実と夢が混ざり始めた。

あれだけの力を得るのには代償としては軽いほうなのだろうが、体は鉛のように重く混濁した意識はさっきまでの夢に沈んでいく。

さっきまで見ていた夢の海に、もう一度溺れる。

 



 


夢の中では、暗い水中で僕は光を見上げていた。

水面の向こうの光の中には家族に囲まれているエリオットが幸せそうに笑っていた。
幸せな風景、僕はそこにいなくてもそれまで通り一人で幸せでも不幸でもなく暮らしていたのになぜ手を伸ばした。

水面のむこうと違って光の一欠片もないこの水の中には闇が侵食している。闇は僕を喰らおうと近づくとエリオットの姿。
ユラの屋敷で最後に僕のせいでくだらない喧嘩をしてそのまま逝ってしまったエリオットの姿を取って静かに佇んだ。

何も感情の浮かばない顔をして、エリオットは酷薄な声で告げた。


「お前に出会いしさえしなかったら、俺は死なずにすんだ」

(謝ることもできない)


怒りでもない恨みでもない断罪の声に、当たり前のことを言われているはずなのに僕は心臓のあたりに痛みが走って何も言えなくなった。


「俺は大事な自分の家族を殺したくなかった」

(僕がいなくても君は幸せだったのに、君の幸せを僕が壊したんだ)


当然だ。彼が僕に出会ったことで彼が死に彼が大切な家族を殺させるなんて残酷すぎることなんてありえなかった。 

エリオットにとって恨んでも恨みきれない相手が、僕だ。

でもエリオットに、その「当然のこと」を告げられると足元から闇に溶けて、自分が消えていってしまうような感覚に彼を直視さえできなくなる。


「大事な家族だったのに、もっとやり残したことがあったのに」

(ごめん、ごめん、ごめんなさい)


僕が死んだほうがずっとよかった、僕が殺されたほうがマシだった。

僕が「グレン」の世界を拒絶したから、君は・・・・・・。


「お前なんか従者にするんじゃなかった・・・友達になんてなるんじゃなかった」

(どうしてあのことを夢なんて思ったんだ、君を助けられる機会はたくさんあったのに。
 君を助けらたのに、償えたのに、守れたのに、僕は全てから逃げた。エリオットを見殺しにした)


そう僕に出会わなければ、僕が君の手を取りさえしなければ、君は今でも平穏に暮らせていた。

断罪の声は僕を黒い水と同じものに変えていた。
あと一声で僕はこの醜い闇と同じになり、エリオットとは永遠に切り離される。


「まだ俺は・・・死にたくなかった」

(僕だって誰が死んでもいい!君が生きていればなんでもいい!死んでだけは欲しくなかった!)


「お前が俺を殺したんだ」


エリオットは死んだ。憎まれて当たり前だ。
許されないことは、わかってる。でも、一言だけ・・・謝りたかった。

夢の中で馬鹿げていると知りながら、闇に溶けて消えるエリオットに僕は口を開いた。


「ごめん、エリオット・・・僕が君の手を取らなければ、きっと」

 


『 わるい リーオ 』



 

僕を溶かす寸前の病みをかき消して、光の向こうから僕に手を伸ばしたエリオットは水面で僕にそう言った。
呆然としている僕の目元に手を伸ばして、頬に触れられると初めて泣いていることに気がついた。


その夢も睡眠薬が遠ざける。頬にふれたエリオットの手も、流れることに気がついた僕の涙も遠くにいく。


(・・・・・・都合のいい夢だ・・・・・・)

 

それでも、ヴィンセントが嘘をついたとは思わない。彼の考えていることにはわからない部分が大きいが、エリオットのことに関しては利益関係にあたる僕に都合のいい言葉を言ったとは思わなかった。ヴィンセントはエリオットの死に本気で怒りを感じていた。


「あの男は最悪だ。ただのクズだ」そう言ってカーテンを鋏で切り裂いたヴィンセント。僕のエリオットの父親を憎んだ、あんたが息子を助けることを最優先していればエリオットは・・・!

そして、ナイトレイ公爵が僕をフィアナの家に連れてきたからエリオットは僕に出会ってしまった。僕が危険な存在だと知っていながら・・・憎悪を考えるときりがないがナイトレイ公爵はヴィンセントが既に抹殺している。ユラも既に死亡している。


残されたモノで一番憎むべきは・・・僕だった。


「わるい、リーオ」・・・エリオットらしい言葉だ。あの喧嘩のことなのか・・・先に逝ってしまうことだったのか、ほかの意味だったのかもうすでに知るすべはない。

でもその言葉は死の直前に僕に告げられた、ヴィンセントを通じて伝えられたその言葉はエリオットが僕を憎んでいないことを思い出させ・・・自分を憎みきることもできない。エリオットは死の直前に、僕を憎んでいないと告げたのだ。


だから、どんなに涙が溢れても・・・もう一度会えたこと夢は悪夢じゃない、悪夢ではないのだ。


(……だから、夢の中でも会えて嬉しかった……)

 

例え、その先に待っているのが限りない後悔と自分の憎悪だとしても。