エピローグ 永遠に





 信勝は冬の終わりに雪が溶けるように泣いた。

「そんなの……僕はどんな形でもいいから、姉上と一緒がいいに決まってるじゃないですか」

「……信勝」

 信長は躊躇った。信勝に差し出していた聖杯のカケラを持ったまま一歩退く。しかし弟はその分姉に手を伸ばしてきた。まだ信勝は泣いていた。

「姉上、お願いします。聖杯を、使ってください!」

「……」

 それでも信長は迷ってきたのはこれが歪んでいると知っているからだ。それを知った上で信勝は姉にしがみつくように抱きついた。

「これで全部終わりなんていやです! 僕は、ずっとずっと、姉上のそばにいたい! 永遠に!」

 信勝はまだ泣いていた。しがみつく弟の背中を姉は軽く左腕で抱いた。弟の泣き顔には弱い。

 信長は信勝の願いが本物だと理解した。

「……ああ、お前の願いを叶えるとも。そのためにずっと隠してきた聖杯じゃ、心配無用じゃ」

「姉上」

 信長は聖杯を右側の空間に置いて浮かべる。やっと右手で弟の頭を撫でることができた。姉は春の日差しのように微笑んだ。

「今のお前そのものを連れていくことはできない。それでもいいか?」

「もちろんです。僕は無名ですから、本来ここにいることすらたった一度の奇跡です。でも、どうしても、ここで終わりはいやなんです。やっとまた会えたのに、夫婦として愛し会えたのに……全てなくなってしまうのはいやです!」

「……信勝はこれより、わしの座にその名を刻む。これまでカルデアで過ごしたことを全て記録する。それはあくまで記録であり、お前ではない。高度なアルバムのようなものじゃ」

「かまいません」

 弟は夏の日差しのように鮮烈な目で姉を見た。

「ある種、永遠ではあるかもしれないが、そこにお前の意思はない。アルバムに過ぎない……本当の聖杯であればお前を英霊の座に刻めたかもしれんが、これではそれは無理だ。しかもこれは歪んでいる。そのまま願いが叶うことは難しい」

「分かっております」

 弟の意思は変わらない。姉は驚いた。いつもと逆で怯えているのは姉ではないか。

「それでも、僕は、もう僕じゃなくてただの記録になってしまうとしても……永遠に姉上のそばにいたい」

「そうか……そうじゃな、わしが言い始めたのじゃ。我ながら何を弱気な……これ、いい加減、泣き止まんか。わしらはこれで永遠に一緒、じゃ。結婚指輪の通りになったな」

 姉は弟の涙を拭うとにっと笑った。

「信勝、愛しておる」

 そして信長は聖杯を起動した。巨大な魔力が歪む。信勝の周囲に金色の粒子が浮かび始める。

「姉上、信勝も姉上を愛しております。ずっとずっと……あなただけを」

 カルデアのアラームの音が鳴り響く。当然だ。小さいとはいえ歪んだ聖杯を使ったのだから異常に気づくだろう。カルデアに迷惑はかけないつもりだが、この辺りの廊下くらいは壊れるかもしれない。

 ああ、ここは夫婦の部屋の前だから今まで暮らした形跡も一緒に壊してしまうだろう。
 いいのだ。これからも姉と弟はずっと一緒なのだから。
 永遠に。

「姉上、信勝はとても幸せです。今、強く感じます。あなたに愛されていると強く」

 信長と信勝は抱き合うと金色の光を纏った闇の前に立っていた。アラーム音が大きくなった。マスターが来てしまう前に急がなければ。

「ああ、信勝、わしはいつだってお前が一緒なら嬉しいよ。分かるぞ、これがお前の愛なのじゃな」

 姉と弟は抱き合い、寄り添って願いの成就を急いだ。カルデアとは争いたくない。早く早く。

 ふと姉がポツリとこぼした。

「ああ……沖田には別れは言えんかったか」

 弟もポツリとこぼした。

「僕も卑弥呼に亀くんの手紙を渡せなかった……最後まで彼には申し訳ないです。でも彼になら分かってもらえると甘えている僕もいます」

「ふむ、わしの弟らしく図々しいではないか、愛い奴め」

 信長は信勝の頭をウリウリと撫でる。まるで子供の頃から何も変わらないように。……そうだ、信勝は最初から言っていたではないか。永遠の子供時代が欲しいと。

「心残りがないわけじゃないです。卑弥呼やゴルゴーンにさよならは言いたかった。でも仕方ないですね。だって姉上のそばにいるためですから……永遠に」

「ああ、わしも口惜しい気持ちもあるさ。じゃが、それより大事なものがある。お前と永遠に……」

「姉上、ありがとうございま……」

 その言葉を最後まで言う前に。
 二人は金色の粒子と闇の飲み込まれて消えた。

 遠くでマスターの声が聞こえた気がする。











 遠い遠い、どこか。
 遥か遠くの未来。

……「と、言うことがあったんです!!」……

「なんじゃそれ、意味分からん。もういい、貴様の話は聞かん」

……「がーん! あ、姉上〜!」……

 とある聖杯戦争の片隅でその姉と弟はそんな話をしていた。

 信長はアーチャーとしてその聖杯戦争に召喚されていた。キャスターの攻撃に遭い、宝具を使い撃退したものの「この空間」に入ってしまった。マスターとはあまりうまくいかずほとんど会っていない。アーチャーの単独行動のスキルで動いている。

 炎上空間という自分の宝具の副作用。ゆらめく炎のように短時間だけ出現するものだが中に入っていると意外と時間は長い。そこで休んでいると忘れられない顔に話しかけられた。

……「姉上、お久しぶりです。僕のこと、覚えていますか?」……

「……のぶ、かつ?」

 死んだ弟に話しかけられて息が止まった。その男は確かに信勝だった。随分白っぽくて、半透明で、ノイズがかかっていたが十五の頃の弟そのままだった。服装だけ何故か今の信長にそっくりだが。

 そして信長は撃った。キャスターに記憶を盗まれて攻撃されているに違いない。そう信じて火縄銃をいくつも召喚して何発も撃った。

 すぐに情けない泣き声が上がった。

……「あ、姉上〜、いじめないでください〜」……

 めそめそとみっともない顔で信勝は無傷だった。どうやら攻撃は効かないらしい。精神攻撃だ、と信長が距離を取ろうとすると手をバタバタさせて弟(らしき存在)は止めた。

……「英霊の座に確認してください」……

「は?」

 信勝は両手をあげて降参のポーズを取る。

……「いきなり現れた僕のことなんて信じられませんよね。ただでさえ僕は姉上を裏切ったのに……でも僕のことは姉上の座に記録されているはずです。調べればすぐ出てきますよ、姉上が奇跡の力を使って「僕」を記録してくれたので」……






 半信半疑で座を調べると信勝のことはすぐに分かった。なんと取り扱い説明書まで付いている。それは読まずに最低限のことだけを調べた。

 数代前に召喚された「織田信長」はカルデアという場所で奇跡のように幻霊の「織田信勝」に何度も出会い、そして別れた。その自分はその別れに耐えきれず、聖杯を使い、カルデアの信勝の記録を自分の英霊の座に全て刻んだ。

 説明書を読む気になれず、とりあえず無害に見える「弟」に話しかけた。

「ちゅーか、信じられんのじゃが。貴様がわしの座に刻まれてるとか……なぜそんなことを?」

 当然の話だが「この聖杯戦争の信長」は「カルデアの信長」ではないので「カルデアの信勝」になんの記憶もなかった。生前の信勝の記憶だけがある。

……「あ! 僕が話していいですか!?」……

 そして説明を始めて冒頭に戻る。信勝の話はよく言えば丁寧、悪くいえば省略しないので要点がわかりにくく「なんじゃそれ、意味がわからん」となった。

 信長が諦めて説明書を読んでいるとまた信勝は話しかけてくる。あまりそちらを見ないようにする。信勝は幽霊のようで、全体的に白っぽく、半分透けている。まともな状態ではない。どうして自分ともあろうものが弟をこんな状態でそばにおこうと思ったのか。

(まるで幽霊ではないか。これではこいつも苦しいのではないか? どうしてわしはこんな状態で信勝をそばに……そばにいたかったから? まさか、わしともあろうものが)

……「姉上」……

 幽霊の信勝は囁いた。

……「読みながらでいいので聞いてください。あの、僕は苦しくないですからね?」……

 心を読まれたと咄嗟に振り返ると弟は秋の夕暮れのような困った笑みを浮かべていた。

……「この僕はただの記録なので痛みなど新しい情報はもう記録できないのです。僕はかつての僕たちが守りたかった過去の幻、それだけなのです。それでも姉上に会えたらこれだけは伝えたいことがあって」……

「な、なんじゃ?」

 本当に信勝なのだろうか? ようやくその事実を受け入れ始める。聖杯戦争でこんな場面に出くわすとは想像もしなかった。

(信勝に、また会えるなんて)

 正直、まだ実感がない。

……「姉上、僕は姉上を騙して僕を殺させました。だから……僕を殺してしまったなどと思わなくていいんですよ」……

 信長は硬直した。それは可愛い弟の裏切りと死。若い日の後悔の全否定だった。

「何を……言っている?」

……「僕は姉上の愛が分からなかった。だから、大切な姉上に酷い事をしたと長い間気付かなかった。お話しします、どうして僕が死んだのか……」……

 それから信勝は語った。信勝の死の真相を。どういう風に計画を立てたか、どんなに歪んで姉を愛していたか。話終わる頃は視界の端の蝋燭が一つ溶けていた。

……「……これが真相です。姉上は何一つ落ち度はない。ただ僕は自分を見限って、あなたの手で死んだだけなのです」……

「……なんじゃそれ?」

……「許されようとは思わない。ただ、姉上にはこの真相を知って欲しくて」……

「なんだ、それは?」

……「姉上」……

「つまり……わしのためと思って死んだ、のか……?」

……「そんな美しいものではありません。僕は僕のエゴで」……

「何故じゃ!」

 信長は信勝の襟首を掴んで、その手ごとすり抜けた。それでも諦めきれず、魔力を込めて体をぶつけた。魔力の力で信勝は転び、その上に信長が跨った。その瞳は怒りの炎が込められていた。

「どうしてそんな事をした!?」

……「過去の僕はそれが一番いいと信じていました」……

「そんなはずはなかろう! お前は死ぬんじゃぞ!?」

……「愚かにも死んでもいいと思っておりました。姉上はきっと喜んでくれると思い込んでいた」……

「そんなはずはない! くそ!」

 信勝を殴ろうとしたが弟の顔を殴ることは姉にはできなかった。代わりに両肩を掴むと気付いた。信勝の腕はおもちゃのように外れていた。

……「姉上、僕は……僕……僕ってなんだっけ? …………再起動します、パラメーターを入力…………再、起動」……

 弟は本当に幽霊だった。どこか不具合が出たのだろうか、急に目がトロンとしたぶつぶつとうわ言を言っていた。転がっている尖った石も弟の身体を通り抜けている。よく見ると弟の手足がおもちゃのようにちぎれていた。

 弟は起き上がる。手足がマグネットのようにくっつく。頭を振ると記憶を取り戻したようだ。

……「ううっ……ボク、は、僕は愚かでした。それをカルデアで知りました。僕はただ姉上のそばにいればよかったのだと」……

 信長は立ち上がって過去の自分、「カルデアの織田信長」を責めた。こんな形で信勝を留めるなんて正気ではない。奇跡の力で再会したというなら、奇跡が終わった時点で終わらせるのが慈悲では無いか。

 信長は信勝に背を向けて結界の外へ歩いていった。

「もういい、戦争に戻る」

……「姉上? そんな、お疲れでしょう。ここでなら休めるのに……僕がご不快でしたら消えますから」……

「いや、いい……信勝はここにしかいないのか?」

……「僕? ええ、姉上の魔力の中でなら不安定ですが存在できます。炎上空間だけですが」……

「お前はいたいならここにいればいい、わしは戦いに戻る」








 説明書を全部読んだ。惚気だった。

 最初の一割は「幽霊の信勝」の説明書だったがそれからはカルデアの織田姉弟の鮮明な記録だった。夫婦ってなんなんだ。何故姉弟が結婚しているのか。しかも自分から。

(恋ってなんじゃ、恋って? そんな感情わしにあったのか?)

 しかしカルデアの記録はバカな女が夢中で恋の話をしているようにしか見えなかった。こんなものを座に刻まないでほしい……奇跡で会えた信勝を大切に思うのは分かるのだが。

……「姉上、またいらしてくれたんですね」……

「……まあな」

 そっぽを向こうとするが春のような笑顔から目が離せない。信勝は相変わらず幽霊で図々しい。姉に抱きつこうとするがその腕自体がすり抜けてしまう。

……「姉上〜」……

「ええい、くっつくな。どうせ何にも触れんくせに」

……「それはそうですが、僕といえばこれ! なので!」……

「意味わからん」

 信勝は近付いた拍子に姉の顔に傷を見つけた。擦り傷程度だろうが一筋の血が流れている。信勝は触れられないままでその傷に手を当てた。

……「また、戦いに赴かれたんですね。強敵でしたか?」……

「これは聖杯戦争、戦いしかないさ。ああ、あのランサー結構しぶとくてな」

……「僕としては姉上に傷をつけること自体許せないのですが」……

「鬱陶しいことを言うな。ランサーは代わりに座に帰してやったわ」

 信勝は困ったように笑いかけた。一つの岩を指差して座るように勧める。姉も疲れていたので素直に身を預けた。

……「やっぱりカルデアとは全然違うんですね。あそこは変な話、ずっと僕にとっては平和だった。長い間、落ち着いて暮らしていたから、今回の姉上が休む暇もなく戦い続けていると現実の過酷さが分かります。まあ、世界が滅んでいたのに平和っていうのも変な話ですが」……

「カルデアか。座の記録を読んだ。本当に妙な状態が続いておったんじゃな。数多のサーヴァントが共に暮らし、わいわいお祭り騒ぎをしておったとは」

……「カルデアの姉上も楽しんでおりました。お祭り騒ぎは好きでしょう?」……

「そうじゃな、楽器でも持って歌い踊っていたかもしれん」

……「それはやってましたよ」……

「マジで?」

 不思議だ。前回はあんなだったのに信勝と普通に話している。自分で姉に殺される謀略を企てた。信長はまだその件に関しては整理がついていない。しかし、それを避ければ話すことはできた。

 カルデアの自分を思う。随分、平和で長い世界にいたのだろう。浮かれて弟と夫婦になるなど戯言を言い出すほどに。

「信勝、お前にとってカルデアはどんな場所だった?」

……「カルデアですか? そうですね……とても温かい不思議な場所でした。数多のサーヴァントが共に暮らして、聖杯戦争と違って争わなくていい、ただ一緒にいられる場所でした。だからこそ、僕も存在できたのです」……

「最初は敵だったくせに」

……「ぐは! そこを言われると痛いです……僕は願ってしまったのです。姉上の気持ちを無視して永遠の子供時代なんて。僕はいつも姉上の気持ちを無視してしまうんです、わざとじゃないんですが」……

 永遠の子供時代。そんなものを願っていたなんてちっとも知らなかった。弟はいつも後ろにくっついていて、それでいて話は聞こえなかった。だから、弟と過ごすと後ろめたかったし弟もつまらない時間を過ごしているのだと思っていた。それが永遠に続いてほしいほど大事に思っていたなんて。

「お前、子供の頃、そんなに楽しかったのか?」

……「そりゃそうですよ。僕の一番の願いは姉上と子供の頃みたいに遊ぶことでしたから」……

「はあ? そんなのカルデアでいくらでも遊べばよかろう?」

……「それができないと思い込んでいたんですよね〜、僕ってやつは」……

 言葉は軽いが信勝は多少自罰的になっているようだ。信長は説明書を思い起こす。信勝はずっと自分を無価値と信じていたから、信長のそばにいる資格がないと思い込んでいたという話。

「……寂しかったのか?」

……「姉上?」……

 信長は信勝を抱きしめた。幽霊の弟は当然身体がすり抜けてしまう。子供の頃は泣いていればこうしていた。聞こえなくても体温は通じるから。

 記録を思い出す。信勝が死んだのは結局、信長の必要とされていないと信じていたからだ。自分の気持ちと真逆だ。

「遊びたいと一言言えばわしは都合くらいつけたのに、なんで言わんのじゃお前は」

……「すみません、僕はそれを言う資格がないと思い込んでいたんです」……

「……やっぱり意味不明じゃ」

 それでもそれをおかしいと思える信勝は「カルデアの信勝」だからなのだろう。死んだ時はそれが姉のためだと信じて死んだはずだ。ただ生き返らせたなら弟はそれが正しいと信じたままのはずだ。それをおかしいとこの信勝は思っている。だからこうして話すことができる。

……「ごめんなさい、姉上。僕はどこかで僧侶になって姉上の話し相手になればよかったのに、どうしても生前はそれが分からなかった」……

 不思議だと姉は思った。
 信勝にとっては人生の全てを賭けた計画を「この信勝」は間違いだったと思っている。いや、これは信勝がカルデアという場所で経験を積んだからだ。

(ああ、そうか、わし、だから残したのか)

 中途半端な幽霊のようにして残酷なことをすると思った。
 
 それでも信長にとって信勝が大切なだけではなかったのだ。
 カルデアで死後の経験を積んだ信勝だけが自分の死が姉を苦しめたことを知っている。
 それがたった一度の奇跡だと知っているから、座に深く刻まねば気が済まなかったのだ。説明書までつけて自分の死を誤りと受け入れた弟を消したくなかった。

(そうじゃな、わし……そんなの奇跡じゃ)

 そのことを話すと幽霊の信勝は秋の夕暮れのように困った笑みを浮かべた。

……「そうでもないのですよ。姉上は最後に僕に聖杯のカケラを見せて、どうすると選択肢をくれたのです。僕がどうするか決めていいと。そんな一方的なものではありませんでした」……

「さて、どうだか」

 カルデアが産んだ奇跡の一つで信勝は顕現していた。それを惜しまないことを自分には難しいだろう。こんな信勝だ、言えば「はい」というのは分かりきっていたのでは。

……「姉上はそう言われると否定しますが本当に優しい人なのですよ」……

「信勝は姉贔屓が過ぎる」

 そうして話すと信長はまた聖杯戦争へ戻っていった。








……「姉上! ……姉上!」……

「……のぶ、かつ?」

 ぼやけた視界で手を伸ばすがうまくいかない。ここは炎上空間ではない。現実だ。どうして信勝がいるのか。

 幻の信勝はボロボロと幻の涙をこぼした。

……「姉上、こんなに血が……ずっとお一人で戦っていたのですね」……

 そうだ。聖杯戦争は終盤に近づいていた。もはや残るのはアーチャーの信長とキャスターのみ。信長は作戦を立てて、キャスターに襲撃をして、負けた。キャスターが陣地内に溜めていた魔力は想像を超えていた量だった。

 聖杯戦争でサーヴァントの敗北は死だ。マスターはどうしたっけ。終盤では多少作戦を立てることに協力していたが、この有様では死んだのだろう。一つ一つ、信長は敗北を認めた。

(ああ、ならこの信勝は走馬灯か? こんなこと説明書に書いてなかった)

……「姉上、お話します。僕には最後だけ姉上とお話しする機能があります。それは姉上の敗北を意味することだから実現してほしくなかった……」……

「……そう、か、負けたからか」

 これは死出の旅路の迎えか。信長は笑った。随分と懐かしい顔の天使が降りてきたものだ。

 姉と違って弟は諦めきれないようだった。

……「姉上、もう本当に動けませんか? すごい姉上が負けるなんて信じられません」……

「ああ……負けた。キャスターの魔力の量が想像を超えていた。うっかりしたのう、少し焦ったかもしれん。油断した方が悪い、是非もない」

 信勝は大地に横たわった信長の右手に触れようとしてすり抜けてしまう。信長も信勝の顔に手を伸ばすがすり抜ける。

……「姉上……姉上」……

 信勝はずっと子供の頃のようにベソをかいていた。

 信長は苦笑した。この弟をどうにかできないか。そんな想いが聖杯への想いと重なり、焦った。そんな気持ちを完全には否定できない。

 大体どうしたかったのか。幽霊状態が気の毒で座から記録を消滅させたかったのか。それとも自分もカルデアという場所で信勝と過ごしてみたかったのか。もう分からない。

 信長の傷は深く、また額から血が流れる。どちらにせよ負けたのだから聖杯は手に入らない。もういいのだ。

 金色の粒子が信長の指先からこぼれ始める。死に、座に、帰る時間だ。

「信勝……ゴホッ」

……「姉上! 僕、僕は……」……

 姉が喀血した姿に信勝は動揺した。信長は袖で血を拭うと右手そのものが消滅寸前と気づく。時間がない。

「信勝……お前が死んだ時の話じゃが」

 信勝の表情が冬の氷柱のように凍った。

……「はい」……

「やっぱり、許せん。どうして死ぬのか、なぜよりによってわしの手で死ぬことを望んだのか、お前を許せない」

……「……はい」……

「信勝はわしにとって……いるのが当たり前だった。死んでわしの人生は変わってしまった。じゃから……わしからお前の存在を奪った信勝を許せぬ」

……「はい、存分に恨んでください。きっとそのために僕はいるのです」……

「調子が狂う。恨むと言ってはいと言われるとは妙な気持ちじゃ……恨むさ、恨む。お前が好きじゃからな」

 信勝の周囲を金色の粒子が舞う。幽霊の信勝は元々、信長が存在しないと成り立たない。信長が消えた瞬間に消える。

……「僕も変な気持ちです。真相を話せば姉上には憎まれて当然だと思っているのに、好きだとまた言ってもらえるなんて」……

「是非もない、わしがどうしてお前を恨むのかといえば好きだからじゃからな。好きな存在を奪われて恨まぬものなどおらん」

……「本当に……どうして僕、分からなかったんだろうなあ……あんなにそばにいたかったのに」……

 信長が消えていく。もはや手足はない。金色の粒子に包まれて全ては終わっていく。
 アーチャー信長の聖杯戦争はここで終わりだ。

(口惜しや。聖杯が手に入ればもっとこうしていられたかもしれないのに……その焦りを見抜かれたのかもしれんのう)

 聖杯に関心のないものはサーヴァントとして召喚されない。願いなどない人生だと思っていたが、意外と自分は欲深だった。

……「姉上、あの」……

「なんじゃ、信勝」

……「僕、幸せでした。姉上の弟に生まれて、とても幸せでした」……

 その言葉で信長は目を見開き、そして温かい笑みを浮かべた。

「恨みにくいったらありゃしないのう……嘘つきめ。言ったではないか、故郷のために死ぬのだと。ここで逃しても崖から飛び降りて死ぬと言われたから腹を切らせたのに。お前の口振りでは一緒に逃げようといえば普通に生き延びでおるではないか」

……「ええ、姉上。たくさん恨み言を言ってください。僕は罪人です」……

「そんな風に生きた人生もあったのかのう。お前と共に手に手をとって逃げて、乱世を駆け抜け、野党か行商でもしていた。そんな天下とは関係ないが面白おかしい人生がわしにも……あったのか」

 己の人生に悔いはない。けれどぽっかりと弟のピースが欠けていた。その空洞を持たぬ人生の可能性は胸に浮かべるとキラキラと春の陽光のようにきらめいて見えた。

「さらばじゃ、会えてよかった、我が弟よ」

 その言葉を最後に信長は金色の粒子になって消えた。最後の光は存外穏やかな光だった。

 こうしてアーチャーは敗北してキャスターが勝利した。そして消えかけの弟だけが残った。

……「僕はいつもおそばにおります」……

 姉上、と言いかけた信勝は言い終わる前に金色の粒子になって消えた。





終わり


【エンディングB 永遠に一緒】







あとがき

 2025年1月14日