よく考えてみれば
とっくの昔に手遅れだったのかもしれない。
バスローブ 4
かなり昔の、ヴォルフラムが成人してまだ間もない頃の話だった。
見慣れた金髪にいくつかのピンクのものが混じっていて手が伸びた。
特に何か意図があったのではなく「ああ、とってあげないと」というただ反射的な行動だった。
しかし、
「ちっちゃいあにう・・・コ、コンラート!きやすくぼくにさわるな!」
舌っ足らずの口調で拒絶の言葉を放たれた。湖底の瞳の放つ光を覗き込む間もなく顔を背けられた。
「にんげんがぼくにちかづくな!けがれる!」
「・・・・・・」
コンラートはヴォルフラムの髪に伸びた手をぴたりと止めた。
しかたない。
人間の血を引くということを告げたのはコンラート自身だ。弟が好きだった。だからこそ弟が一途に自分に向ける慕情がいつか誰かに、コンラートの知らない間に嫌悪と軽蔑に変えられると思うと、せめて自分で決着をつけて幕引きを早めることは止められなかった。
今までのようにヴォルフラムの髪についた花びらをとることは許されない。
「花びらがついているよ・・・誰かにとってもらいなさい」
極力感情を排して告げるとそのまま立ち去ろうとする。
しかし、
「お、おいまて!」
当の本人に呼び止められた。
驚いて振り向くとりんごみたいに真っ赤になった顔があった。
「こっちへこい!」
「・・・・・・どうして?」
「いいから、はやくこい!」
判らないまま、しかしまた以前のようにヴォルフラムに「お願い」されるとは思っていなかったので素直に近寄る。
「や、やいにんげん!それはどうしたんだ!?」
そんな大声出すと声が枯れるよ。なんのことだろう?判らないので首を傾げているとヴォルフラムは余計に大きな声で喚いた。
「だ、たから!その・・・だなぁ!あ、あたま・・・に」
言われて気付いた。
コンラートの左耳の辺りから血が流れていた。軽く切っただけなのだが出血は結構派手だ。
魔王である母上のいるこの血盟城では滅多にないことだったが、人間の血を引くコンラートは純血魔族の一派から嫌がらせめいた仕打ちを受けることがあった。
陰口や蔑んだ目で見られることには慣れれば心を硬くすればどうということはない。嫌がらせには慣れていた。
しかし、母の目のある血盟城で石を投げられたことはなかった。当てるというよりはからかいくらいの気持ちで投げられた石はスピードが遅い分かえって避け損ってしまい、小さな石が一つ当たってしまった。
おかげでこの有様ということか。
コンラートは苦笑して答えた。
「別にたいした怪我じゃないよ」
「だって、ち、ちが、そんなにたくさん・・・・・・」
ああ、そうか。この子は血が流れているなんて場面には不慣れなのだ。だから動揺させてしまったのだろう。
「ちょっと切っただけだよ、放っておけば治る」
「なにをいってるんだ!ほおっておいてなおるわけ・・・」
「平気だよ」
コンラートは話をここで切ろうとした。心配してくれるのは嬉しいが余計な期待はしたくない。
もう今までとは違うのだから。
足早に立ち去ろうとする。少々何か言われてもここは立ち去るべきだ。未練は早く捨てた方がいい。
が、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・てをだせ」
「・・・?」
あまりに予想外の台詞。思わずコンラートが振り向くとヴォルフラムがコンラートに手を伸ばしている。その瞳はコンラートにその意志をはっきりと伝えていた。
(・・・・・・・・・・・・・手を握れって?)
さっきまで触れることすら厭っていたのに。
「どうして?」と疑問を返す間もなく、ヴォルフラムはコンラートの手を取るとその額に押し当てた。
あったかい。ヴォルフラムから温かいものがコンラートに流れ込んでくる。
ヴォルフラムの耳は真っ赤になっていた。顔は額に押し当てられたコンラートの手に隠れて見えないが流れ込む暖かさとは違う熱を帯びている。
「・・・・・・何、を・・・・・?」
「・・・・・・」
ヴォルフラムの治癒の術がコンラートを癒していた。
「・・・・・・ヴォルフ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
コンラートはこめかみの小さな痛みが引いていくこと、それとは別のヴォルフラムに人間の血を引いていることを告げたときから胸の奥にあった重さが消えていくことを感じた。
ほんのわずかな治癒の時間が終わるとばっとヴォルフラムはコンラートの手を振り払った。
「かんちがいするなよ!あまえがけがをすると、は、ははうえがかなしむからな!にんげんのけがごときでまおうへいかのおこころをみだすわけにはいかないから、だから」
「・・・・・・・・・・だから?」
今度は顔がリンゴより真っ赤になった。
「っ!・・・・・・・・・・・おまえも、もう、もうけがなんてするな!いいな!」
言うだけ言うとヴォルフラムは思いっきりアカンベーをした。しかし、その仕草はコンラートにさっきまであった弟を失ったという痛みを与えることはなかった。代わりにさっきまで失っていた暖かいものと別の何か甘いものが胸の中に返ってくる。そんな感覚を体験した。
くるりと身体の向きを変えると駆けていく。今度こそ、ヴォルフラムはコンラートから離れた。
転びそうな足取りで騒がしく走り去っていく。
そんなに日が差しているわけでもないのに、まぶしく見えるその姿を見送るとコンラートはふと気がついたようにさっきまで触れ合っていた自分の手のひらを見つめた。
そして、かすかに残るぬくもりにそれが当たり前であるかのようにそっと唇を寄せた。
恐怖に引きつった兵たちにに連れてこられた虜囚用の船室には特に会話もなく、波音だけが響いていた。
コンラートの迫力に上半身だけ着込まされてしまったヴォルフラムはしばらくおとなしくなっていた。もちろんその首にはきっちりスカーフが巻かれている。
しかし、時間が経つにつれてだんだんと恐怖が薄れて怒りが首をもたげてきたらしくヴォルフラムはスカーフを取りはしないものの鬱陶しそうにしている。指先で摘んでは引っ張ったり弾いたりしている。だんだん顔に怒りで赤みが差してきている。
(スカーフを放り出すのも時間の問題かな)
幼い頃からヴォルフラムはすぐに顔が真っ赤になる性質だった。
怒った時、泣く時、喜ぶときもヴォルフラムはすぐに雪のような真っ白な頬に感情をそのまま表す。
(昔からそうだった。人間への嫌悪も怪我をしたことも、心配することも隠せたためしがない。矛盾した気持ちがあってもそれを曲げるようなことは決してしなかった)
俺はそれが昔から羨ましかった。感情をそのままに表すこと、それは俺には出来ない事だ。
彼は時々感情のままに傷つくことあるけれど、決して自分の感情を偽らない。時々歯がゆい気がするけれど、自分の望みを間違わずに知っている。
(そんなお前が好きだった・・・・・・・・・・・・弟として、家族としてのつもりで)
だが、それは間違いだった。
いや、違う。今だって弟として思っていないわけじゃない。ただ、その関係を壊しかねない感情をも持ってしまったというだけだ。彼をなかば育てるように慈しんだことは嘘でも何でもない。自分が望んでそうしてたことだ。幼い頃のヴォルフラムはそれに心からの慕情で応えてくれた。大好きな弟だった。
それでも、今更元には戻れない。
「コンラート、何をのんきににやついているんだ!だいたい、ユーリにあんまりべたべたするな!!」
コンラートはシャツとベストだけになった胸にしっかりとユーリの頭を抱き抱えていた。ぐっすり眠っている。起きる気配は欠片もない。魔力を使い果たし、今はただ眠っているだけだ。
海賊が退治されたことも魔族とばれてシマロンの巡視船に連行されたことも、彼が今知るところではない。
ましてやユーリが眠っている間にコンラートがヴォルフラムへの見方が変わったなど知るはずもない。
(あなたにどうしたらいいのかと聞けたらどんなにいいでしょうね・・・)
コンラートはかつて今胸の中に眠る人に救われた。誰かがこの世に生きている。それだけでこんなに世界が違うものなのかと思うことが出来た。
しかし、今回はそうはいかない。
聞けるわけがない。そもそも男同士である上に弟であるものを愛しているなんてユーリが聞いたら、決して軽蔑はしないだろうが、混乱して話どころではなくなるだろう。
それに、コンラートにはわかっていた。なぜ今になってヴォルフラムへの想いが意識に表れたのか。
結局はユーリにヴォルフラムを奪われるのではないのかと恐れているのだ。
些細な誤解から婚約者となってしまった二人だが、二人ともまっすぐで自分を偽らないからすぐに友人にはなるだろう。きっとうち解けあってお互いの感情を共有する機会も増えるはずだ。
地球の日本育ちのユーリにとっては男同士という制約があるが彼らの友情が恋愛感情に発展しないという保証はない。
馬鹿馬鹿しい発想だ。ヴォルフラムがコンラートを一番と思ってくれていたのは遠い昔の話で、それも人間の血を引いているという事実一つであっけなく崩れた脆い絆だったというのに。
第一、昔と同じように帰ってきてほしいのではない。
「・・・それにしても他にもひそかにユーリの護衛はついていたのだろう!?そいつは何をしているんだ、まさかはぐれたんじゃないだろうな!本当にこの船に乗っているのか!?」
おや、スカーフにあたるのは止めたらしい。
標的をかえたヴォルフラムは堰を切ったようにコンラートに喚きたてた。耳まで真っ赤。
「さっき姿をこの船で見かけたよ。心配しなくてもあのグウェンダルが直々に付けた護衛だ、心配はいらない」
「む・・・・・・兄上が選んだなら間違いないだろう」
あっさり納得したようにヴォルフラムは怒りを鎮火させた。こっちが望んだ結果なのにあっさりヴォルフラムを納得させられるグウェンダルに形容しがたい感情を感じる。
コンラートはいらいらと指先を床に這わせ始めた。どうした俺、しっかりしろ。
「そいつがこの船にいるならなぜ合流して脱出しないんだ?僕は早く着替えたい、こんな格好はもうイヤだ」
「脱出はもう少しヴァンダーヴィーア島に近づいてからだ。服ならもうそろそろ俺たちの荷物からいくつか見繕ってくるはずだ、それまでの辛抱だ」
「我慢できるか、お前の服なんかこれ以上着ていられるか!やっぱり、スカーフはいらない!取るからな!」
そういってヴォルフラムは首のスカーフに解こうと手を伸ばした。
しかし、コンラート頭の中にあったのはさっき耳にした言葉だった。
『見てみろ、あの首の白さ!まるで雪のようじゃないか』
がっ・・・・・・・!
スカーフにヴォルフラムの右手が触れる直前にコンラートの手がヴォルフラムの手を掴んで壁に押しあてた。
手をつかむ力の強さに思わずヴォルフラムは軽く悲鳴が漏れる。
「っ・・・・・・痛い!」
「ヴォルフラム!」
「な、なんなんだお前は・・・さっきから変だぞコンラート?」
いつもならヴォルフラムが何を言ってものれんに手押しのコンラートがさっきの騒ぎから異様に威圧的でヴォルフラムは混乱した。いつもと違いすぎて、とっさの対応がとれない。
そんないつもと違い少し弱気なヴォルフラムを見ているとコンラートは余計に余裕をなくしてしまう。スカーフを外してはいけないという衝動にさっきとは違う理由が混じってくる。
「別に、いつもと同じだ。何が違うっていうんだ」
「何がだって!さっきもいきなり兵の剣を奪って、あんな・・・・・・!」
ああ、そのことかと生返事をしてコンラートはうっすらと先の出来事を思い出すと結び目のゆるんだスカーフの端をつかんだ。
さっきの恐ろし光景の発端になったコンラートにうまく文句を言えないのかコンラートの剣幕にひいているのかヴォルフラムはいつもより弱気だった。
その隙を逃さずにコンラートは畳み掛けた。少し声のトーンを落とす。ヴォルフラムの陥落率100%だった小さい頃に培った「言うこときかないと怒るよ」のトーン。
「とにかく、風邪を引かないようにスカーフは外さないで」
「べ、別に風邪なんかひかない!!手を離せっ!!」
「そんなことを言っていつも風邪をひくじゃないか」
「いつの話をしている、ぼくはもうそんな子供じゃない!」
「もう、子供じゃないから言っているんだ!!」
怒鳴る一方で、コンラートの頭のいやに冷静な部分が告げていた。
「一番子供じゃないと思っているのはお前だろう?」、「できれば、こんな風に近くでもう少しでも長く」、「いや、できればもっと近くに」・・・・・・・・・・・うるさい、黙れ。
コンラートはもう何も考えまいと声を荒げた。
「お前が自分で勝手に付いてきたんだろう、自分のことはちゃんとしろ!」
「・・・・・・っだったら放っておけばいいだろう!ぼくはもう子供じゃないから自分の面倒は自分で・・・」
「ヴォルフラム!」
「コンラート、はな・・・」
ヴォルフラムを押さえつけてコンラートが力づくでスカーフを巻き付けようとし始めた、その時。
がちゃ。
「なーにやってるんですか・・・・・」
珍しく一方的ではない口げんかを始めた二人を止めるようにドアの開く音が響いた。
呑気な足取りで入ってきたのは密かについていたユーリの護衛、ヨザックだった。
ヨザックは修羅場の雰囲気といっていいの部屋の空気にも全く物怖じせずに足を踏み入れる。
中程まで入ってきて部屋の中を一瞥したヨザックが、かつての上司に呆れたような声を上げた。
「隊長・・・・なに閣下を襲ってるんですか?」
「「え?」」
気がつけば、
もみ合いになったせいで半裸になったヴォルフラムがコンラートに押し倒されているという図になっていた。
続く
こっちはあんまり修正せず。
コンプは好きになるきっかけは「兄弟だから」という理由から始まることがほとんどなので書くとき悩みます。
後、私の中ではコンラートの絶対優先順位はユーリが一番なのでそこでも悩みます。
じゃあ、コンユを書けと言われそうですがでもそれはそれというか。
どっちかちゅーとユコンの方が好きですし。(そういう問題か?)