カミングアウト プロローグ
昨晩の晩餐には好物のネグロマヤキシーが出た。入浴剤は一番好きな母上手製の物を使った。
考え事をしたいといって、久しぶりに帰った自室では嘘みたいに落ち着くことができた。
つまり、英気は十分に養ったと言うことだ。昨日、というかここ数日一睡もしていないことなど問題でも何でもない。気力体力十分だ。これからやることになど何の差し支えがあるはずもない。
以上の論理を持って、ぼく、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは血盟城を堂々と闊歩していた。
少し、調子が悪い気もするが問題ない。
足下がふらついてまっすぐに歩けないのは、気合いのせいだろう。
いつもはすぐの辿り着く距離が距離感がつかめずかれこれ半刻以上かけて移動中なのは、気分が落ち着いているからだ。いつもに比べて視界がやけに暗い気がするが、ここ最近は雨が多いせいだろう。
それにしても・・・今日は何か特別な日なのだろうか?
特に何かの催しはなかったと思ったのだが、城のみんなの様子がおかしい。
僕と目を合わせると、目をそらされるのはいい方で、顔どころか全身を背ける、悲鳴を上げる、天を仰いで眞王に祈りをささげる、もっとわかりやすく逃げ出すという奇行を見せた。
逃げ出すやつには「ご乱心――!」という台詞が着いていた。
誰が乱心したというのだろう?
ギュンターにはもうみんな慣れっこのはずだが。
まあ、いい。
ぼくにはやるべきことがある。ぼくは魔王の執務室へ向けて足を速めた。
ぼくは何を持ってしても、ユーリに伝えないとならないことがある。
これ以上隠すことはできない、否、してはいけないことだ。絶対に、絶対に・・・
と、そこで視界に赤い絨毯が広がった。
体が宙に浮く感じがした。
考え事に集中しすぎていた!転ぶ衝撃に身を固くする。
しかし、代わりに柔らかな腕がぼくを抱き留めた。
ほっとして、親しいものの空気を感じてぼくは振り返る前に名前を呼んだ。
「ギーゼラ・・・」
「閣下、大丈夫ですか?」
どうやらギーゼラが受け止めてくれたらしい。「ありがとう」と笑顔で礼を言う。
しかし、ギーゼラは表情を曇らせて、というより歪ませた。何だろう?
「閣下、大丈夫ですか?お顔の色か優れませんが・・・」
「いや・・・?今日は気分のいい日だな、ギーゼラ」
また、ギーゼラの顔は引きつった。調子でも悪いのだろうか。
そのまま立ち去ろうとしたぼくの方を必要以上に強い力でつかんで引き留めた。強い口調で諭される。
「閣下、医務室で休まれた方がよろしいかと」
「すまないが、大事と取っている暇はないんだ。今は急ぎの用事があって執務室に急がないと」
ギーゼラの顔がこの世の終わりみたいに歪んで真っ青になった。彼女こそ大丈夫なのだろうか?
「ま、まままさかと思いますが・・・お仕事ではないですよね?」
「いや、ユーリに大事な用事があるんだ」
いって、足がすくんだ。何度も決意したことなのに。
ぼくはいつの間にかとんだ臆病者になっていた。以前はこんな不安を感じることはなかったのに。
(あいつのせいだ・・・、全部)
それは、間違いなかった。とても、恨むことはできそうにないが。
「ヴォルフラム、やはり・・・」
昔なじみの彼女はたまに、というか自分の聞き分けがないときぼくを呼び捨てにする。姉のようにぼくを心配する彼女に、ぼくは心配ないと笑みを返した。ギーゼラは納得してくれたらしく、それ以上は追ってこなかった。
ぼくは遅れを取り戻すように歩を早めた、というか駆けだしていた。
時間に追われているわけではなかった、ただ不安と恐怖に追いつかれたくなかった。
(こわい、いやだ、どうかもう少しだけでもこのままで・・・・・・)
ぼくは走って、その言葉をすべて振り払った。
今日こそははっきりさせる、絶対に。このままではいけない。手先足先がふるえることなんかどうでもいい。
彼の主君だってきっと、いや絶対にこの事態が続くことは望まない。彼はまだ何も知らないけど。
罪悪感が鎌首をもたげた。裏切っているからか、騙しているからか、それとも。
血盟城で最も大きな扉が見えた。魔王の、いやユーリのいる執務室だ。魔王の執務室の扉に乱れた呼吸と心音を整える間もなく手を伸ばし触れる。奥歯の歯の根が合わなくなるのを感じずにはいられなかった。
ぼくが扉に手を触れようとした時、タイミングをみはかったように扉が開いた。
あわてて退くと、ヴォルフラムより頭一つ近く高い位置に見慣れた顔が現れた。
優しい茶色の目と髪。正装ではない軍服。ぼくの二番目の兄、ウェラー卿コンラート。
ぼくは何かを言おうと言葉を探した。
しかし、言うべき言葉は見当たらなかった。おかげで数秒間睨み付けるはめになる。
伝えないといけないことはいくらでもある。それにこの告白は彼だって当事者だ。それなのにぼくは彼には何もいっていない。否、いえなかった。
しかし、コンラートはその様子で気付いてしまったらしい。
何も言わずに固まっている僕に向かっていつものように・・・いや少し苦しそうに微笑んだ。
それ以上何かとがめる様子もなくぼくの横をすり抜けた。いつものコンラートらしく「休んだ方がいい」と気遣うことも忘れずに。
何か言わなくては!
小さく、遠くなっていく靴音と一緒に振り返ることのできないぼくの頭のなかでは早く、早くと声がした。しかし、胸の辺りで何かがつっかえて胸につかえた言葉が喉まで上がってこない。
そして、靴音は聞こえなくなった。
目の奥が熱くなって涙がこぼれそうになる。
しかし幸いというべきか、扉の両脇を固める兵達が不思議そうに扉の前で固まっている元王太子を伺っていたので何とか涙を飲み込む。ぼくは取り繕うことだけがうまくなってしまった。
頭に不安というより苦痛に近い考えが広がった。
あいつはこれからどうする気なんだろう。
ユーリはどんな侮辱を受けても極刑や追放を命じない、やさしい王だ。正直、ぼくの中にも彼ならばという甘えがあった。しかし、誰より王に忠実な彼はどうするのか。あの自己犠牲の固まりみたいな男が。
あとから、あとから湧いてくる不安は扉に触れた手を硬直させた。
動けない。何で。なんでだ、ここまで来たのに。
動け。
動け。動け。うごけ。
頼む、動かないとどんどん遠ざかってしまう。
下唇を思いっきり噛む。鉄の味が広がった。
かなり深く切れたらしく、顎の下に血が滴った。
でも、動かない。もう一回。口を浅く開く。
その時、声が聞こえた。
執務室から、一番上の兄と王佐と王の声がする。
いつものように、王を持ち上げまくる王佐とわざとではないのに必要以上に王を落ち込ませる一番上の兄。二人を気にする暇もなくサインを続ける王。
すぐに頭にうかんだ光景が氷を解かすように手の硬直を解いた。
大丈夫とユーリに言われた気がした。
隠すという裏切りはもう無理だと思った。
ぼくは扉を開いて、執務室に駆け込んでいった。
あとがき
やたらと長い予定です。気が向いていればお付き合い下さい・・・。
しかし、ヴォルフがなんかぐるぐるしてますね・・・。
ヴォルフはきっぱりしていて直情型のところが魅力だと思っているんですが、この文章だと全然ですね・・・。
まあ、彼らしくあー、とか、うー、とか言いながらも行動はやめないのがヴォルフらしいかな・・・・と。