• カミングアウト ユーリ編(前編)













           





          おれの名前は渋谷有利。原宿不利を後ろにつけないで。
          といっても俺はずっといつ終わるとも知れない書類にもう何回目かわからない「渋谷有利原宿不利」を何千回目とも知れぬ書きなぐっていた。


          これも公衆便所から異世界へゴー!の後に就任した新米魔王が装飾過剰な魔族語に気後れて、と言うか冗談でつい実際の名前より長いサインをしてしまいそれが公認になってしまったためだ。
          自分の名前の倍になる文字をサインにすることは過ちだということは百回書いてみればわかる。もし本名を書いていれば文字量からして二百枚は終わってたからだ。注意一瞬怪我一生。


          「口を動かす前に手を動かせ」


          グウェンダルが手を動かしたまま口を出してきた。
          内容のくだらなさに文句を言わないのは耳タコだからだろう。本来執務室には魔王のデスクしかないのだが最近は彼のデスクも常駐している。


          「グウェンダル、陛下はお疲れなのではないでしょうか?」


          何時でもおれにベタ甘のギュンターがはらはらした口調でフォローを入れる。しかし、三日間缶詰に近い形でキャッチボールどころか青い空も見ていない野球少年が疲れていないわけない。ちょっといまさら。


          「ていうかさー」


          疲労が積み重ねられたまま書かれたサインは漢字には慣れているはずの日本人のおれの目から見ても既に何が書いてあるのかよくわからない状態だ。休みがてらぶちぶち言うくらい許されるはずだ。


          「ヴォルフラムあんまり最近見ないなー。もしかして、血盟城にいない?」

          「いえ、そんなことは聞いていませんが。また、剣の稽古でもしているのでしょう」

          「あれはお前程時間を無駄にしない。大方ギュンターの言う通りだろう」

          「う・・・・・・そうかもしれないけどさ。でもさ、最近本気で見てない気がするんだ。あいつしばらく前から自室で寝てるし、執務も邪魔しないし」


          うわ、グウェンダルに睨まれた。
          あれは執務が遅いのはお前のせいだろうっていう弟バカの目だ。


          「確かに最近はあまり邪魔しにきませんね」

          「いや、別に邪魔ってわけじゃないけど。コンラッドに聞いてもさあとしか言わないし」

          「コンラートが、か?」


          グウェンの目から怒りが消えた。代わりに意外そうな光が覗いている。


          「ここ最近缶詰続きのグウェンダルはともかく、このブラコン兄弟がわがままプーのことを把握していないのは珍しいですね」

          「だよねー、さっきコンラッドに聞いても知らないって・・・」



          言ってる最中、執務室の重そうな扉がバターンどころか壊れたんじゃないってくらいの派手な音をたてて開いた。


          うわさのヴォルフラムがやたらと前投姿勢で突っ込んできた。


          うっわー今にも転びそう。
          どうしたんだと思ったが、久しぶりにフォンビーレフェルト卿に会えたのだから「まあ、いいか」とおれはいつもどうりのコミュニケーションを始めた。


          「よ、ヴォルフ!いや、なーんか久しぶりだよなー。久々に見るとまた一段と美少ね・・・」


          呑気に話しかけた俺に答えるように顔を上げたヴォルフラムを見て、おれは絶句した。


          目の下には濃い隈が出来ていて顔色は真っ青だった。やたら前かがみだと思ったら倒れかける寸前だから。翼をもがれた天使ってこんな感じかも・・・


          ってそーじゃない!


          明らかに寝てなきゃならない病人じゃないか!?


          「・・・・・ヴォルフ!?どーしたんだよ!大丈夫か!?」

          「大丈夫です、陛下」

           
          です?へーか?


          ヴォルフラムらしくない物言いにおれは混乱した。同じく、グウェンダルも動揺したらしくペンを止めている。
          いち早く動いたのは意外にもギュンターだった。つかつかとヴォルフラムに近寄ると詰問した。


          「ヴォルフラム!どうしたというのですか。陛下の御前でそのような状態で」


          わがままプーの奇行には慣れっこだといったふうに先生の口調だ。
          先生の態度らしく口調は厳しいが、ふらつくヴォルフを優しく支えてやり額に手を当てる。


          「熱っ!あなた熱があるじゃないですか!風邪ですか?陛下にうつったらどうするのですか!さっさと引っ込んで薬を飲んで寝てなさい。ギーゼラに苦ーい薬を処方させますよ」


          ああ、私の陛下にもしものことがあったらー、とか言いながらギュンターはヴォルフラムを脇に抱えようとした。強制退場させる気らしい。


          「ギュンター!ぼくは陛下にお話があるんだ、重大な」


          重大な、のくだりでギュンターの動きが止まった。


          重大?重大な話ってなんだ?
          ヴォルフラムがおれに重大な話ってなんだ?
          おれのことを陛下なんて呼んでさ。
          ヴォルフに陛下なんて呼ばれたことなんて片手で数えられるくらいないのに。


          「すぐに終わる話だ。離せ、ギュンター!」


          ヴォルフラムらしからぬ気迫にギュンターが怯んだ。
          その隙にヴォルフラムは俺に近づいて真っ正面から俺の目を見た。いつも俺を叱咤激励するときのまっすぐな目だ。


          「ユーリ、ぼくは」

          「な、何なんだよ!」


          おれは、何かいつものたわいのないことではない雰囲気に飲まれるのが怖くなって口を挟まずにはいられなかった。一方、ヴォルフラムは言葉をさえぎられたことで一瞬気が抜けたらしく足下をふらつかせた。


          そんなになってまで、何なんだ?
          何がそんなに重大なんだ?


          「お前らしくないよ、ヴォルフ。何だよ重大な話って!そんな病気みたいになっちゃってさ、寝てろよ!話なんて後でいいだろ!?」


          ひどい話だがおれはヴォルフラムが心配というより、ヴォルフラムの重大な話っていうのが恐くなってきた。
          舌の方ばかり動いて頭は全く動かない。
          なんだかとてもいやな予感がする。声を出すことで先延ばしをしようとしている。


          「別に今言う必要ないだろ!何も今・・・」

          「陛下、ぼく、いや私は・・・・!」

          「え、待てよ、ちょっと待ってくれ・・・・」


          いきなりすぎる。そんななってしまうほどの秘密を打ち明けられる準備はまだ出来ていない。
          おれは慌てて手を振ってストップのサインを送った。まだ心の準備が・・・・・・!


          「陛下・・・・!」

          「やめろ、ちょっと待って」

          「婚約を破棄してください」

          「だーーーちょっとちょっと、タンマって・・・・・は?」

          「何?」

          「ぬあんですって!?」


          三人全く同時だった。


          はき?
          ハキ?
          破棄って・・・、破棄!?


          おれとヴォルフラムの婚約を?


          「な、何だよいきなり。おれがそっちで断れって何度いっても解消しなかったくせに」

          「へ、へーかぁ。もともとあのような婚約など無効なのですから、せっかくヴォルフラムから言っているのですからさっさと無効にしたほうが・・・」


          ギュンターはこれぞ好機とばかりに俺に向き直った。
          ものすごく嬉しそう・・・、ていうかもう右手に書類を用意している。いつのまに!?


          「何だ、またくだらん痴話喧嘩か」


          グウェンダルが切って捨てた。ちょっと痴話は違うでしょ、痴話は!?
          しかもなんだよその「お前が原因の」が語尾に付きそうな目は!?


          「ヴォルフラム、痴話喧嘩なら執務の後にしろ。それとお前は今日は執務の手伝いはいい部屋で休んで・・・」

          「いいえ、兄上。今すぐでないと駄目です」


          ヴォルフラムはおれから目をそらさずにきっばりと言った。
          ぼろぼろなのにその瞳は強い光を持っている。何が彼をそこまでさせるのか。
          そんなに急にへなちょこ魔王の婚約者であることがいやで仕方なくなったのだろうか?


          しかしその強い意志とは裏腹に今にも倒れそうだ。慌てて駆け寄って彼を支える。近くで見ると余計にヴォルフラムが憔悴しているのがわかった。
          こんな状態ではここまでくるのも大変だったろうに。胸を突かれた。


          「ヴォルフ、わかったから。後で婚約解消でも何でもするから今は早く休んで」

          「陛下、解消ではなくて破棄です」

          「陛下っていうな!どっちでも一緒だろ!だいたい陛下っていうなって言われるのはお前じゃない、コンラッドだろ!」


          ヴォルフラムは一層顔色が青くなった。


          「お前に陛下なんて呼ばれたくねーよ。お前はヴォルフだろ!何なんだよ、一体・・・」

          「・・・・わかった。わかったから、そんな顔をするな」

          「うるせーよ、陛下なんて呼ぶななんてお前に言わせるなよ・・・・・・」


          自分でも、涙ぐんでるのがわかった。おれがこの世界で魔王になってからずっとおれをへなちょこだと叱咤したり元気づけてくれていた声が急に遠ざかっていく気がした。


          それでも、


          「わかった、ユーリ。すまなかった・・・・・・・」


          今にも倒れそうなのに瞳は強いままだった。口調は優しかった。
          余計にわからない。いつもと変わらないヴォルフなのに、胸を内がわからない。


          「悪かった・・・、混乱させた。すまない、ユーリ」

          「何なんだよ、一体・・・、言いたいことがあるなら言えよ。その代わり、ちゃんと休め」

          「ぼくがお前にいつも言っていることを、お前がぼくに言う番がきたということだ」


          なんだよ、尻軽とかへなちょことかおれがお前に言うのかよ。


          訳が分からないおれにヴォルフラムはまっすぐにおれを見て揺るぎない目と声で告げた。


          「ユーリ・・・、ぼくはお前の婚約者だか不貞を働いたんだ」

          「ふてー?」


          漢字変換が分からず音声だけそのまま返してしまった。
          時として高貴な育ちの人々の言葉は庶民派魔王が理解するには時間がかかる。おれはなんとかその言葉を脳内で漢字変換をしようとした。


          しかし、ヴォルフラムはそれより早くハッキリとおれに向かって叫ぶように告げた。






          「だから・・・・・・・・浮気者はぼくの方なんだ!!」











          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・










          「へ?」


          「何だとぉぉぉぉぉぉっっ!!!!???」


          「何ですってぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!???」










          血盟城を揺らしかねないグウェンダルとギュンターの絶叫が執務室に鳴り響いた。





















          やっと更新しました。

          このユーリ編ではユーリをかっこよく書くのが夢です。

          長いので分けましたが、多分あと中編と後編と続きます。