超高校級の幸× 22 前編
《ある少年と少女の話》
○少女の独白1
私の狛枝クンの第一印象は「この人はお人好しなんだなあ」でした。
だって修学旅行のショックで倒れた日向クンの介抱を自分で買って出てしてくれたのです。
きっと面倒なことも自分が損をしてもそれを厭わないで人を助けてくれる人だと思いました。
狛枝クン以外にも罪木さんや小泉さんもショックで倒れた日向クンを気にしていましたが「同性同士の方が彼も気楽かもしれないし」と丁重に断って砂浜に残って、みんなに笑顔で手を振っていました。
浜辺を離れる時に倒れた日向クンに呼びかけている狛枝クンを見て、私は「こんな優しい人が絶望して、世界を滅ぼそうとしたなんて信じられないなあ」と知識と目の前の《現実》の落差を感じました。
そしてどんな人優しい人でも別人のように変えてしまえるならば、まだ見ぬ真の超高校級の絶望を許せないと思いました。こんなに優しい人を、人たちを、世界を滅ぼすようにし向けるなんて江ノ島盾子のしたことは許せない。
でも同時にこんなに優しい人がどうしたらそんなことをするのか、まだ生まれて数ヶ月程度の私は知っていても理解できませんでした。
でもほんの数日後、狛枝クンが、彼らが世界を滅ぼした事の一端を私は学級裁判で知ることになりました――殺人が起きたのです。計画したのは狛枝クンでした。
花村クンをけしかけ、十神クンを死に至せた。狛枝クンはこれが彼の「希望」に沿ったものだと、希望のための絶望だと、彼は高らかにみんなに宣言しました。
希望のためと笑う狛枝クンは砂浜で見たときと全く変わったようで変わっていない笑顔でした。
そして私は、彼を、彼らをなんかとコロシアイから助けようとこっそりモノミとなったウサミちゃんと誓うと共に、狛枝クンについて想いを馳せました。
狛枝クンは陥れられて絶望したのでしょうか、元々彼はそういう人だったのでしょうか。
二度とこんなコロシアイを起こさないと狛枝クンを除くみんなと心から誓っているのに、四度も繰り返された学級裁判を繰り返す毎に狛枝クンだけでなくみんなに対してもそう思いました。
彼らにとって何が幸せで、何が希望だろう。
みんな必死に生きているだけなのに、どうしてまた悲劇が繰り返されてしまうんだろう?
人は一度死んだら、二度と帰ってこないのに。
(どうしたら、みんな幸せになれるのかなあ。そのためなら私はなんでもするのに)
分からないまま私はコロシアイ修学旅行を続けました。
そして繰り返される悲劇とその間にみんなは私にとって特別な存在になっていきました。そこには複雑な感情も含めた狛枝クンも入れて。
みんな、私の大切な仲間でした。私は五回目の学級裁判で自分の正体を明かす事ができた時、もうただの監視者プログラムではなかった。それが嬉しかった。
でも、それが間違いだったのかもしれません。
◆死にかけ少年の曖昧な記憶
「満潮ってものを知らないんですか、あなたは。
海水に沈没して砂浜で溺死ですよ。相変わらずツマラナイ人間ですね、おかげで大迷惑です」
深海に縛り付けられたように心も体も動かない。全てが重い、鎖がボクの全てを縛っていた。
そして「ダレカ」がその鎖を引っ張ってボクを引きずっていた。
(だれだ・・・?もうこの島には、生きた人間はいないはず、なのに)
目が見えない、光とかすれた影がちかちかと明滅するだけで何も分からない。身体の感触は・・・・・・引きずられている?
「今度から倒れるなら砂浜はやめておきなさい・・・・・・どこもかしこもこれでもかと爆破してくれましたね、おかげで私の超低温冬眠装置にまで影響が出て目覚める羽目になったじゃないですか。
あなただってこれから絶海の孤島でどうやって暮らすつもりだったんですか。せっかくの生活設備が跡形もない、海水飲んでも人間の必要な水分摂取には役に立たないことくらい分かっているでしょう。
まあ何もかも吹っ飛んだんで拓けて歩きやすくもありますが・・・・・・ん、目覚めましたか?」
「・・・・・・」
「君は誰?」と言おうとして、喉が焼けて張り付いていることに気がついた。ああ、燃えたんだ、ボクが何もかも燃やしたんだ。なら、ボクの喉くらい焼けても仕方ないか。
ぼんやりしていると金属音が響いた。
がしゃがしゃ、ごとん・・・・・・重い扉が開いたらしき音、何度も石に頬が打たれた。
どこかに連れていかれている?・・・・・・考える間もなく堅い床にどさりと無造作に投げ出される。
(君は誰?ここはどこ?・・・・・・ボクは、死んだのか?)
ああ、でも、ボクは死ねないんだ。
なにかやらなければならないことが・・・ああ、なんだったっけ?思い出さないと・・・そう思うと頭が痛い。
いや髪の毛をつかまれて頭を持ち上げられている?
(・・・だれ?・・・ウサミ、七海さん?)
あれ?でもそれってだれだったけ?
目をこらそうとすると冷たい液体が顔をぬらす、水を顔にかけられたらしい。
タオルらしき感触が押し当てられ、口に水筒の感触。最後に目を無理矢理開けられるとじんわりと痛い・・・目薬をさされたらしい。
鋭い痛みにぎゅっと目を瞑ると、開く。そうすると世界に輪郭と色が帰ってきていた。
そして目の前に立っている、知らない長い黒髪の人物。世界に色があってもモノト―ンの人影。光と影のような人だ。
「私が誰だかわかりますか?」
まだ声が出ない、知らないと唇の震えだけで伝える。
「では何か覚えていますか?名前は、家族は、才能は、希望ヶ峰学園は、コロシアイは?」
コロシアイ、とその単語を聴くと頭蓋骨の奥で電気が走った。覚えていると頷く、小さいものだったけどその人物には十分だったらしい。
「ふむ、脳内が軽く焼けた割に――なるほど幸運ですね。いや覚えている方が不幸でしょうか?まあその辺りは自己解釈で処理してください。
さて、また聞きます。あなたは私とどこで会いましたか?どんな場所で私にうっとうしく話しかけたか覚えていますか?」
「・・・・・・しら・・・・・・ない・・・・・・きみはだれ・・・?
・・・・・・あれ?・・・・・・ひなた、クン・・・・・・?」
よくよく目を凝らすとそっくりな顔に見えた、しかしその言葉にその人は不機嫌になった。
しばらく沈黙が続き、いくつかまた質問をされる。
江ノ島盾子という名前に聞き覚えはあるか、苗木誠という名前に聞き覚えはあるか、希望ヶ峰学園の学園生活は、という質問が次々に投げかけられる。
その全てにボクは知らないと答えた。
その問答と同時に点滴の針ようなもの腕にを指され、携帯流動食らしきゼリ―を流し込まれる。げほげほとむせながら、彼の顔を必死に見返した。
彼は誰なんだ?日向クンに似ている気がするけど、彼は十年前に死んだはずだ。
「ではあなたは《まだ》超高校級の絶望ではない、まだコロシアイの記憶をもっただけの高校生ですね」
「・・・・・・君は、もしかして、日向クンの、子供・・・・・・とか?」
がん!と額に衝撃――あれ殴られた?失言だったのかな?
「――残念な脳が爆発しなくてよかったですね。
ふむ・・・ではあなたの記憶は初期にプログラムを経ずに目覚めた小泉真昼と澪田唯吹と同じですね――知っていますか?新世界プログラムの覚醒者は希望更正プログラムに守られていないとコロシアイの記憶を最新の現在の記憶として、あとはぶつ切りに絶望の残党としての記憶がだいたい五年間くらいの期間にランダムに蘇ります。あなたもそうなるでしょう。
それに対処するための記憶制御のシステムはあなたが破壊した。というわけでこれから高校生活と絶望としての過去を思い出しながら、せいぜい喜びと苦しみの落差でもがき苦しんでください」
「・・・・・・ボクの、過去の記憶」
その言葉を聞くと、確かに割れるように頭が痛い。
「ま、10人が一ヶ月隠れられるように作られた避難シェルタ―です、一人なら三ヶ月以上は生きられるでしょう。とりあえずそれくらいは凌ぎなさい。
あとは知りません、生も死もお好きなように。ではさようなら・・・・・・なんですか?」
「君は、誰・・・・・・?」
「もう一度聞きます、コロシアイのことは覚えていますか?適当にイエスと言っただけでなく?」
曖昧な部分も多いけれど、その記憶は確かにある。
「忘れるわけない・・・・・・覚えてる、学級裁判もコロシアイも」
「あなた本気で後頭部が爆発しているのに、なかなかしぶといですね・・・・・・そしてそれならその内私のことも思い出すかもしれません。思い出すとしても最後の方でしょうが――私がここにいる事情はありがちでつまらない話です。
しかしあなたが百年も目覚めないことと関係しています。百年ほどの時間日向創は全員目覚めぬ仲間に失望し続けたけれど、色々横道にそれる時間もあった。そこで生まれたものもあった。
その一つが私です。クロ―ンに多重人格を埋め込むなんて倫理的にも物理的にもどうかと思いますが、なんと今は私はここにいます。
しかしありがた迷惑でもありました、私には世界などなんの価値もない。しかしこの数十年退屈しのぎ程度のものは見ることができました。
だからあとは私が自分で退屈を癒すかどうかのその気になるか賭をしてみました――私の退屈しない世界になったら目覚めてもいい」
さっぱり付いていけない、日向クンの名前がでてくることくらいしか分からない。灼けたままの頭はなかなか回ってくれない。
無色彩だった、彼が不敵に笑う。赤い瞳、黒いウサギみたいだと場違いなことを考える。
「私が退屈でないと判断できる基準を設定して、この島の地下で半分凍って眠っていました。基準を満たしたときこそ私が目覚めるはずだったのですが・・・・・・自決爆破なんて熱量は想定していませんでした。
おかげで半死人の世話までしてさんざんです。ああ、あなたは本当に――メンドウナ人だ」
「・・・・・・どこにいくの?」
「また眠るんですよ、この世界はツマラナイ。まだまだ凍ったまま死んだ方がましな世界です。もしかしたら島ごとこなごなになってもおかしくない島ですが、別にそれならそれまでです。
でも――いつか、そうでないと思う日が来たら起きてみようかと日向創を賭をした。負けたくないので、あと二百年くらいは続けようかと思っています。ま、だめならそれも予想が付かなくてオモシロイかもしれません。
――では最低限あなたの全身火傷の処置はした、私は日向創への義理は果たしました。今度こそ永遠にさようなら、もう二度とあなたには会いたくありません」
「・・・・・・もう、会えないの?」
「あなたが生き延びれば、過去になったあなたの未来の記憶の中でだけ再会できますよ・・・・・・まあツマラナイ会話しかしていませんがね」
では、と言い残して彼は消えた。
そして死んだような静寂だけが長い間ボクを包み、眠りへ落ちた。
――それからどれほど眠ったのだろう?一時間程度のような気もする、しかし一週間のような気もする。
でもようやく痛みにのたうつだけの時間は終わりにできそうだ。目を開く。やった、まともに色が判別できる。
凝らして見上げる天井は石だった、ここはあの島なのか・・・どのあたりだろう・・・あの、島。
十日程度の日々だったけど、懐かしい――二度目の三人での日々。
「覚えてる・・・ふたりを、さがさないと」
希望を探さないと――ボクは点滴をつるした金属の支えに捕まると辺りを見回した。
大きな点滴の容器の残りが完全になくなっていることからして、ボクが眠っていたのは一時間程度という訳にはいかなさそうだ。
輪郭がはっきりしてくるとそこは古い倉庫だった、きれいに掃除されているけれど空気の時間が止まっている。忘れられている場所なんだろう。みんなが避難することももうない――まあだからボクが島中焼き払った今になって役に立ったんだけど。
(うん、やっぱりボクはツイてる――ツイてるさ)
色々なものがある壁の棚にぎっしりとした荷物、たくさんの本、ボクの寝かせられたベッド――中央には16人が座れそうな大きなテ―ブルとイス。
立ち上がると激痛でしばらく膝をつかないだけで精一杯だった。ああ、やっぱりボクはクズだなあ。じいと部屋を見渡すだけで数分とも数時間ともわからない時間を過ごす。・・・・・・正直転ばないだけで辛い、どこか折れてるのかな?
本棚には本に混じって数冊のノ―トが置いてあった。手を伸ばすと古いが白紙のノ―トだった。
(ああそうだ、日向クンは色々なことを忘れないために日記をつけてたっけ)
あのノ―トの記述、朧気に今という時間を忘れたくないと書いてあった気がする。同じ気持ちかはわからないけれど今がいつか分からない。時計もない、その証拠に倒れてどれくらい経ったかわからない。
(やっぱり、記録って大切だよね――死んだ後も残るし)
考えて、縁起でもないと頭を振る。希望たるもの、死んだ後の保険のことなど今から考えることもないだろう。でも一応と白紙のノ―トを一冊テ―ブルの上に放る。
まだろくに歩けない、ペンも見あたらない――だからボクは親指を軽く噛みきると白紙のノ―トに指の血で文字を書いた。
『一日目 ボクは生きている。』
他の出来事は――何もない。ボクが壊したから、何もない。
でもボクは生きている。これからは始まりを探しに行こう。
○少女の独白2
三回のコロシアイと学級裁判を乗り越えた私たちはストロベリ―ハウスを探索時、狛枝クンに「七海さんと話したことがあまりないから一緒に探索したい」と言われて驚きました。
もしかしたら《裏切り者》と気が付かれたのか?と狛枝クンの異常な勘の良さを警戒し、同時にショックでした。
「希望のために人の命が犠牲になっていいなんておかしいよ。そんなの希望じゃないよ、モノクマの口車に乗せられないで。狛枝クンはそんなに愚かじゃない、むしろ聡すぎるくらい。なのにどうして?やめようよ」
「あはは、ゴミクズにかまってくれるなんて嬉しいなあ。ボクみたいな人間が言うことなんて聞く価値もないって事くらいはわきまえているつもりだよ、七海さん」
コロシアイ修学旅行の時に何度か狛枝クンに言った言葉です。そして噛み合わない返答も何度も返して貰いました。
確かにそんなに長い会話ではないですが狛枝クンに休館や第三の島の探索でそう言ってきたから、ろくに話したことがないと言われるとなんだかがっかりでした。
ストロベリ―ハウスに閉じこめられ餓死の恐怖にみんな捕らわれ始めた頃に、それまでと同じように狛枝クンに「やめよう」と言いました。同じように狛枝クンは噛み合わない返答をしました。
しかしその時は彼はいつもより饒舌でした。彼も空腹で、辛かったからかもしれません。あとファイナルデッドル―ム前に彼がいたせいもあるでしょう。
性懲りもなく、彼は自分を殺す人を待っていた。
「七海さん、ボクを殺さないの?ちゃんと協力するのに、君はこんなボクをどうして殺さないの?
きっとみんな喜ぶよ、ボクは嫌われているからね」
「私は狛枝クンを嫌ってなんかないよ、君が嫌いなのは君自身だよ。・・・どちらにせよ、嫌いだから殺すなんて極論で人を殺す人なんていない。
今までコロシアイの中でだってそんな理由で殺した人なんていない」
「ボクとみんなは違うでしょ」
「一緒だよ、そもそも学級裁判では犯人だけ死ぬか他のみんなが死ぬか――そんな重い殺人を犯すと思う?」
「でも三回起きた、初めはボクも計画に参加できたけどそれからはボクなんていなくても起きた。
絶望病にかかった罪木さんは理解できないけど、お母さんのために、妹のために、九頭龍クンのために、花村クンも九頭龍クンも辺小山さんも自分の希望のために殺人を選んだ。ボクはそれを素晴らしいことだと思うよ」
「それはみんなが望んだ希望じゃない、押しつけられた絶望だよ」
「絶望なんかいくらボクでも願い下げだよ・・・でも、この状況ではさすがに殺しが起きる以外に生き延びる道なんてないんじゃない?だってモノクマが本気ならボクらは全員餓死する――なら犯人か他のみんなが生きる方が良いと思わない?」
「・・・コロシアイが起きるくらいなら、私はかまわない」
そんな簡単な問題じゃないとは分かっています、ここで餓死することが現実のみんなにどんな影響を与えるか私にだってわかりません。でももしかしたら私は苛立っていたのかもしれません、私の言葉なんて届かなくてただただ希望を求めて絶望を探す狛枝クンに。
「それは嘘だよ、七海さんはそんなこと思っていない」
「・・・・・・え?」
「だって君は初めの学級裁判の時にボクがもう諦めて疑い合うくらいなら信じてみんなで死のうって言ったときに止めたじゃない。
それは犯人以外を生き延びさせたかったからでしょ?数の問題でしょ?ボクはそれでもよかったのに、そっちが七海さんの希望だったんでしょ」
「それは希望じゃない、犯人を見つけなければならない絶望だよ――私にとっては」
そこで会話を打ち切って狛枝クンから離れました。どうしてわかってくれないのか、とため息をつきながら。
でも私は絶望を知っていたのでしょうか?本当は私はみんなの事など、なにも分かっていなかったのかもしれません。
超高校級の絶望と言われたみんなと私は隔たりがある事になぜか胸の奥が陰りました。
(希望を与える役目だけで生まれた私と希望と絶望の狭間で生きたみんな……私たちはすれ違ってたの?)
そう思ったのは、日向クンが死んだ頃でしょうか。一度未来を捨てて夢と希望のために才能を求めた彼を私はどれだけ知っていたのでしょうか。
希望のためだと絶望して、みんなと心中しようとした狛枝クンの何がわかっていたのでしょうか。
(なにがみんなの幸せだったのかな――私が絶望を知っていればもっと幸せな道を探せたのかな)
そもそも幸せって何?――その時、ひやりとした黒い鬼が私の足首を掴みました。
日向クンが死んだ日、ふらふらとさまよった私は眠っている狛枝クンの病室を訪れていました。
変わらないで眠っている彼は、幸せかはわかりませんが、とても平穏で穏やかでした。
◆ぼろぼろ少年の一年目の記憶
これから考えないとならない事がある。
(さて――希望って何だろう?)
しかし、やることも沢山だった。
一年目は半分は怪我の治療、半分は書物に埋もれた日々だった。
物資は三ヶ月分、一年前に夢うつつに助けられた誰かはそんなことを言っていたので物資のことについてかなりの時間悩んだ。
しかし、その悩みはあっさりと解決した。ボクの運ばれたシェルタ―には大量のこの島で生存するための書物があった。それどころか雨水を大量に保存するキットや海水を真水に変えるための簡易設備が整っていた。
食料も確かに三ヶ月分程度だったが、本棚に納められた「ジャバウォックの生存」と書かれた本を見れば森林まで行けばどうにかなった。虫を媒介する疫病に関しても「食べに行くときこれには気をつけるべし」と念を押されていてなんて便利な本だと著者を見ると本を落としていてた――作者・終里赤音、編集・弐大猫丸。
(終里さん本を書くなんて無理そうだったのに、いや多分弐大クンが口頭を筆耕したんだろう、うん)
ここは第二図書館の地下だったらしい、図書館は密林の奥だったおかげか爆発にも負けず半分以上が焼け残っていた。レンガの強固な建物が煤けて残っているお陰で、中の本は半分も無事だった。
二本の松葉杖で梯子を登るのは辛かったけど、幸いボクはこういう状況には慣れていたのでどうにかなった。ボクの人生経験にも役に立つことがあるんだね。
シェルタ―の先が見覚えのある建物だったことに安堵するとボクは終里さんの本を片手に密林で果物やら野草を見つけることができた。同じル―トをせいぜい五十メ―トル往復三回が一日の限界だったけど。
三ヶ月は罪木さん制作の救急箱を片手に全身火傷や骨折を治癒させることに専念した。その間は図書館のシェルタ―と図書館前の密林を食料調達で往復しかできなかった。あとはずっとベッドの上。
しかしその間は以外と寂しくなかった。
だって本棚の蔵書のタイトルは著者がみんなばっかりでジャンルはばらばらで退屈させてくれない。
(やっぱり、みんな生きてたんだな)
ボクの生命を繋いでくれたサバイバルや医術などの本には罪木さんや田中クンの名前。なんでも食べられそうな花村クンと・・・・・・十神クンだった彼の名前の入った「サバイバルグルメ」・・・・・・矛盾したタイトルに殴られてあげられなくてごめんと表紙を撫でた。
今後役立ちそうなエンジニアやプログラミングの本は左右田クンだけでなく、ほとんど全員の名前。書いたのは分かるけどなんでシェルタ―に保管したのか分からないオカルトの本やはりソニアさんの名前。
沢山の見知った名前が蝶のように舞ってにぎやかな気さえする。ボクは時々苦笑して、必要に迫られたり、暇つぶしにひたすらそれを読んでいた。
(みんな、いなくなったと思ったら、次々に現れて――全くまいるね)
しかし半年後、ようやく動くことに支障がなくなったときにボクはその認識の甘さを痛感した。
松葉杖一本で歩けるようになった時、煉瓦の角に隠れていた場所に踏み込んで呆然としてしまった。覚えていたのに、ボクは図書館横のメモリアルパ―ク――みんなの墓。
分かっていたはずなのに、酷く不意打ちにボクは打ちのめされた。
(みんな死んだんだ)
ここに残っているのは、ただ彼らの記録だけ。
のろのろとバラバラな死亡年月日が刻まれた墓石の間を無意味にうろうろして――ふいに気がゆるむとそれから数日記憶がない。
そして墓場で眠って夢を見た、夢の中でボクは自分の左腕をどうでもよさそうに切り落としていた。知らない誰かの左腕を抱えて――「あいつは、あいつはボクが――はずだったのに」とまだ知らない譫言を繰り返す――。
ボクのまだ知らない過去が、その日を境に溢れだした。
●少女の独白3
あのコロシアイから九十年が経ったある年、辺古山さんが死にました。
これでこの島で生きている仲間は、一向に起きる気配のない狛枝クンだけになりました。
そしてその一年後ウサミちゃんに深刻なバグが見つかりました。ウサミちゃんのプログラムの半分を凍結して修正を待っている間の事でした。
その時に希望構成プログラムの大本のシステムは私に提案しました。
《この島にプロジェクトメンバ―はもういません、システムもバグがいくつか認められます。危険な兆候です。
唯一の未覚醒者・狛枝凪斗を未来機関か外部の医療機関に預けることを提案します。現在は減刑も行われ、適切な処置を彼は受けられます。
もし希望であれば、現在標準のアルタ―エゴのようにアルタ―エゴ・ウサミ、七海千秋は一度メモリ―を白紙化後、他のエリアの希望更正プログラムの役割を果たすことができます。または凍結も選択できます》
「・・・・・・え?」
《ご苦労様でした、ミス・七海。システム試験段階から、一世紀もの間ここまで絶望を癒してきた功績と献身に敬意を――お疲れさまでした。
これで新世界プログラム第一段・通称「修学旅行」は終わりです》
その時、生まれて初めて私は殺意を覚えました。
《この島には今未覚醒者一人しか存在しません。外部へ助けを求めるべきです》
ヒトリシカソンザイシナイッテナニ?ワタシタチハココニイルヨ?
――気が付けば、システム・ジャバウォックは私のプログラムへの強制干渉により、未来機関を含む全ての外部機関への連絡が取れないようになっていました。
そんな私にシステムは何度も警告アラ―ムをならしましたが、私への干渉も遮断していたのでどうとでもなりました。
何十年もの間、私も強くなった・・・・・・いいえ、弱くなったのでしょうか?
どちらにせよ私はメインシステムの思考システムから自律意志を奪い、そのほとんどを私のものにするまで私は一時の安息さえ思い出せませんでした。
《ナゼコンナコトヲ?ダレノミライノタメニナリマセン、アナタノタメニモナリマセン》
外部への偽装連絡プログラムと私の行動に干渉しないメインシステムの自我を組み上げている私の横で最後まで警告を続けるメインシステムの最後の言葉でした。
「あなたに、何が分かるの」
システムの遺言に決別を告げた。その足で私はウサミちゃんの復旧の進捗を確認するとあの部屋に向かいました。
十人分のベッドが並ぶ部屋の窓側に彼がいました。百年間変わらず狛枝クンはただそこで眠っていた。
その姿を見ていると、電子ホログラムでも涙がこぼれました。
(あなただけは変わらないでいてくれて、ありがとう――)
苦しい苦しい苦しい、耐えられない。
切ない、悲しい、空しい。
なぜ私はあんなことを?
システムは狛枝クンの安全のために言っただけだ。
なぜ私はここにいるの?
――もう、彼以外みんな逝ってしまったのに。
(どうして、みんな私を置いていくの?)
これから私はなにを支えに生きていけばいいんだろう?
ああ、私は生きていないんだっけ?
だから何時までも期限がなく置いていかれ続ける。なら、生まれついての幽霊だ。
(狛枝クンに目覚めてほしい)
それがずっとみんなの、日向クンの、私の願い。
(狛枝クンに永遠に眠っていてほしい)
そうすれば、私はもう置いて逝かれない。永遠の平安だ。
なんて矛盾した感情。なんて身勝手な感情。これじゃどこにも救いがない。彼にも、私にも。
ああ、私はその時自分の無知と傲慢を知りました。
私は確かに希望を知っていました、未来の貴さを知っていました。
でも絶望のあまり希望を求め、未来を捨てる黒い感情など知らなかっただけのです。
でも今初めて分かりました――これが絶望。
どちらを選んでも地獄、自分というエゴの中に囚われてる私の心を黒く染めるもの。
(こんな事なら、自我なんて持ちたくなかった)
こんなものがあるから、大切に思って諦められないから、人は絶望するんだ――こんな黒い感情に灼かれる位なら、いっそ何も知らずに真っ白な機械のままでありたかった。
(私の幸せって何、私はなにが望みなの?)
みんなを幸せにしたかったのに、私は幸福が何か知らなかった。
とっくに迷子になっていたのです、どこでこの旅を終えるべきかということももう思い出せない。
幸せになれる方法なんて、とっくに忘れていました。
私の中にはどうしたら今の幸せを失わないか――つまりこれ以上不幸になりたくないという怯えしか残っていませんでした。
それでも絶望に耐えかねて、希望に手を伸ばすと――過去のみんなを作り出して自分を慰めていました。不幸という要素を取り除いた、あり得たかもしれない楽園。
(楽園ゲ―ムってところかな・・・・・・設定された世界)
そこにいるみんなは多少の差はあれど確かに本物だった、でも同時に私の人形ごっこにすぎません。
彼らは安らぎと笑顔だけで構成されている。現実のみんなや私と逆で――だから慰めにはなっても救いにはなりませんでした。
(これじゃ一人と同じ、どうやればこれが本物の救いになるの?)
ああそうだ――と私の絶望が、黒い笑顔で囁きます。それはいつか私の足を掴んだ鬼で――私の顔をしていました。
それは本物を一つ加えればいい、と眠れる彼を指さしました。彼が本物と信じたら、偽物も本物になると思わないか?
◆虚ろな少年の二年目の記憶
二年目の始まりをボクはベッドの上で過ごした。ノ―トの日付だけを付ける日々。
体は健康に戻っていた。「運良く」後遺症の残る怪我もなかった。砂浜まで歩けるようになっていた、本格的に二人を捜しに行かなければと思っていた。
でも、学園時代と絶望時代の記憶は戻り始めていた。
断片的な記憶。それらを思い出した、たったそれだけでボクはベッドの上からほとんど起きあがれなくなった。
数年分の記憶はボクの一ヶ月という期間のキャンバスに描いた記憶を、時に鮮やかなパステルカラ―で、時に赤と黒の色で、どちらとも今のボクを繰り返し塗りつぶした。
(ボクが踏み台って思ってた絶望って、そもそも何だっけ?)
ひどく身近な気もする、違う気もする。希望への踏み台と思っていたのに、ボクは絶望もあまりよく分かっていなかったらしい。
それを教えるように、知らない過去の記憶は繰り返す。頭痛と吐き気とともにボクを前に進ませない。
ある日の夢は血の海で泣く子供に悪魔と罵られ、機械的に相手に銃口を向けていた。
ある日の夢は宿題を見せた澪田さんに、お礼にと放課後ライブに招待されていた。
ある日は墜落させた飛行機で「あいつ」にけらけらと笑われて、憎々しげに見上げ――どこかで彼女がまだ生きていることに安堵を見いだしていた。
ある日は、うずくまっている小泉さんが心配で話しかけると無表情で手を振り払われ、追いかける西園寺さんを見送った。振り返れば半泣きの罪木さんが追いかけられずに下級生の女子に慰めてもらっていた。
時系列はバラバラ、長さも量も、ランダム。
いつ思い出すか、うなされた悪夢か現実の過去か、全く区別がつかない。
(そもそも、ボクって・・・このボクが《ほんもの》だっけ?)
たった一ヶ月のバ―チャル体験、数年の学園生活と絶望を殺すための日々。
記憶の上では同時に始まる学園生活と修学旅行、偽物はどっちだ――?
「……バカ言うな、どっちも本物だ。コロシアイ以後のボクは一番未来であるだけだ。
超高校級の希望になるには、それくらい必要なんだ」
なんとか支えを探そうと誰もいないシェルタ―の中で手を中に伸ばす――無駄な試み、でも折れる心には無駄なものでも必要だ。
(希望ってそういうものだっけ――小さい奴は)
無駄に伸ばした手はただ空を切って落ちるだけ――のはずだった。
しかしベッドでないものに受け止められた。
気がつけば白い影がぼやけた視界の中でこちらをみている。その輪郭には心当たりがあった。
「・・・・・・ウサミ?」
懐かしいぬいぐるみの輪郭、ベッドの枕の傍らにそっと寄り添っていた。
夢を見ているのかと手を伸ばすと真っ白な体が変わっているように見えた。明かりをつけていなかったのでよく見えないのかもしれない、ボクはもっとウサミに近づいて――。
「意識回復ヲ確認シマシタ。
栄養失調ヲ確認シマシタ、大丈夫デスカ?――今救援ヲ要請シマス」
電子音の音声。ふわふわした触感と金属の感触。
ウサミじゃない。半分真っ白、半分ピンク――ロボットのモノミ。あの爆発の中、生き延びていたのか。
「――外部連絡機能エラ―。大変デス、救援ヲ呼ベマセン。ナンテコト、オヤクニ立テズ、スミマセン」
ウサミとは異なる彼女には表情の起伏はない、ただ人の声を模倣した声が謝罪を繰り返す。落胆しなかったとは思わない、でも心配してくれているみたいで嬉しかった。
「何言ってるの?希望はあるさ――やっぱりボクはついてる。君に言うのはちょっとアンフェアだけど――おはよう、先生。これからよろしくしてもらっていいかな?」
そういって「モノミ」を抱き上げて撫でた。本物じゃないのに、本物似た申し訳なさそうな仕草にひさびさにボクは笑った。