エピローグ カルデア最後の日、姉弟の選択







※この話には選択肢があり、二つのエンディングがあります


 カルデアが終わった。人理修復の旅は終わりを迎えた。
 カルデアのマスター・藤丸立香はマシュと多くの仲間たちと共に強大な困難と戦い、ついに地球人類を元に戻すことができたのだ。

 信長と信勝もその戦いで大いに活躍し、お互いをよく助けた。マスターの困難を見てきたからこそ、目標の達成が嬉しかった。それに世界を肩に背負わされたマスターがやっとその荷を下ろして家族の元へ帰れることに安堵した。

 旅は終わった。人理は回復した。世界は救われたのだ。
 だからこそ始まりの前に終わりが来る。

 数多のサーヴァントを抱えたカルデアはあと一週間で終わりを告げる。
 信長と信勝も別れの時を迎えねばならない。





 カルデア最後の日が来た。

 その日、信長は朝早く目が覚めると縁側に向かった。シミュレーターに過ぎないが空を見上げ、白いものがちらついていることに気付いた。

「雪か……」

 手を伸ばして一粒の雪を手の平に乗せる。シミュレーターなので触れた瞬間消える。信長はため息をついた。冬はあまり好きではないからいつもシミュレーターは春にしているのに気がつくと冬に戻っている。このシミュレーターは欠陥品だ。

「まあ寒さまで再現しているわけではないし……ん?」

「姉上」

 信勝だ。窓辺の姉を弟は後ろから抱きしめた。それもかなり強い力で首を絞めかねない力だ。信勝の腕が信長の肩をかんぬきのように締める。

「よかった、姉上。朝起きたらいなくて……もしかしてって思って」

 信勝の首に首輪はすでにない。首輪をしていたのは一年ほどだったろうか。

「痛い痛い。お前な、手加減を覚えろ……すまんすまん、少し早く目が覚めたんじゃ」

「ご、ごめんなさい。姉上がいなくなってしまったのかと、お、思って……ぼ、僕」

 信勝は慌てて姉を解放する。別れが弟は怖いのだ。姉だってそうだ。

 信長はシミュレーターの雪を一粒、もう一度手のひらに乗せた。これは高度な幻。けれど自分たちと何が違うのだろう。同じだというならこの痛みはなんだろう。

「マスターが言っておったじゃろ。今日の午後から残りの魔力量によって自然と消えていくと……完全に同時というわけにはいかんが、どちらが先でもそんなに取り残されずに済む。ダ・ヴィンチの話ではほんの数分の差しかないらしいぞ」

「姉上、姉上……この一週間、お側で信勝は幸せでした」

 カルデアの宣告は一週間前。世界の危機が去ったので大量のサーヴァントを維持する理由も無くなった。この時間で心残りを整理してほしいと言われた。

 だから信長と信勝は最後の日以外は、ほぼこの部屋で二人で過ごした。たまにマスターやマシュと話したり、茶室に行ったがそれでもほぼ二人で過ごした。

(最後、じゃからな……最後)

 信長は胸の奥の魔力の塊を意識した。……結局ずっと信勝には言えなかった。

「ほら、泣いてないで顔を洗え。約束したじゃろ。最後の日は縁のあった者たちに別れを言いに行くと。そんな顔ではさよならどころではなかろう」

「はい……洗います。でも姉上はともかく、僕なんかは友達なんて」

「なんか言うな!」

「はうう、すみません、この口癖治らなくて」

「誰がおらんくても卑弥呼がおるじゃろ。弟の話を最後にしてこい」

「そ、そうだ卑弥呼がいた……あ、あと、ゴルゴーンにも別れを言わないと……あ、あいつにも」

「なんじゃ、たくさんおるではないか……ほら、最後くらいシャキッとせんか」

 その後、姉弟は仲良く顔を洗いに行った。シミュレーターは冬のままだった。







 約束の時間を決めると信長と信勝は玄関で別れた。

 しかし、なかなかお互いに友人を見つけることができなかった。信勝は卑弥呼をうまく見つけられず、信長は沖田のいそうな場所を探すがどうにもいない。

 二人の心には同じ気持ちが住んでいた。
 こんなことをしている場合だろうか。姉弟で、夫婦で、二人で最後まで離れず過ごすべきではないか。次の瞬間にも消えてしまうかもしれないのに、友人との別れなど言っている場合だろうか。

 特に信長の迷いは深かった。食堂を見渡すが沖田はいなかった。先に茶々を探すべきだったろうか。

(信勝はここで本当に消えてしまう。二度と信勝が英霊として召喚されることはない。わしはどこぞの聖杯戦争でアーチャーとして呼ばれることはあるかもしれん。……無論、それは「このカルデアのわし」ではない。限りなく近い別の存在だ。だが、他の連中はともかく、信勝だけはその「別のわし」にも会えないのだ。本当に二度と機会はなく、最後なのじゃ)

 あまりに例外の多いカルデア。その例外の一人が信勝だ。英霊の座は決して信勝単体で名前を刻みはしない。

 廊下を一人歩きながら信長は考えた。
 考え過ぎかもしれない。今の「カルデアの信長」は特別すぎる。あまりに長い時間をカルデアで経験して、召喚されたばかりの頃とはかけ離れている。変わったのだ……今のように笑うことなど考えられなかった。
 帝都の自分を思い出す。帝都ではほとんど笑ったりしなかった。それが自分の生前の姿だ。沖田とやり合って変わった面はあるが、とにかく生前でも召喚後でもサル以外に笑うことなどなかった。……信勝はたくさん話しかけてくれたのにどうしてもサル以外には笑えなかった。必死に話す弟を見てすまないと思うことが精一杯だった。

 そんな風にカルデアで変わった自分だから、また別の場所で召喚されても二度と会えない信勝のことなど考えても仕方ない。また召喚された自分は心が凍ったままの別人なのだ。……もちろん凍った心でも信勝は大切な存在だったが、とにかく再会に意味はない。もう会えないのだと思うことは無駄だ。

(それでも……聖杯を使えば、あるいは……)

 信長は立ち止まり、自分の胸を見下ろした。そして魔力を込めて胸から腹に右手を突き刺した。そこには聖杯のカケラがある。なんとかカルデアの最後の戦いまで霊基に中に魔力の塊を隠しきることができた。何度もバレるかヒヤヒヤした。

 人がいないことを確認して胸に腕を突き刺して聖杯のカケラを取り出す。キラキラした光を見下ろす。淡く虹色に光り、小さくとも奇跡の力が宿っていた。

(ずっとどうにもできんかった。手放してマスターに渡すことも、信勝に使おうと言うことも。ただ未練のように持ち続けてしまった……らしくない。信勝が絡むとわしはらしくない)

 何に使えると言うのだ。信勝の名を英霊の座に刻む? 流石にこの小ささでは無理だろう。むしろそれができるならすぐに信勝に打ち明けていた。

 だが捨てることもできなかった。英霊の座に名を刻み、別人として再会することはできない。でも、何かはできるのではないか。その希望が信長を苦しめ続けた。

(どうする……使うなら、わしの英霊の座を少しだけいじるくらい。それが精一杯だ。そんなことに意味があるのか?)

「姉上?」

 気がつくと信勝が目の前にいた。カルデアの廊下の椅子に俯いて腰かけている。なぜかその手に分厚くなった封筒を持っていた。よく考えると夫婦の部屋の近くの廊下だ。どうやらカルデアを一周してきてしまったらしい。

「なんじゃ、もう卑弥呼には会えたのか?」

「いいえ。なんだかみんな同じことを考えているみたいで、どこもごちゃごちゃしていて見つけられませんでした。これを渡さないといけないのに……姉上は?」

「……わしも似たようなものじゃ。沖田のやつも茶々もどうにも見つからん。他の連中もカルデアを走りまわっておる。皆、英霊とはいえ考えは同じじゃな。マスターのところなんて行列ができているのではないかのう」

「みんな、最後の時を過ごすから、会おうと思って入れ違いになっているのかもしれませんね……僕は、少し、みんなに会うことが怖いです。
 その、僕は、本来は幻霊だから、本当に最後なんだと思うと身体が竦んでしまって、せっかくのチャンスなのにおかしいですよね? 僕がみんなと違うことは最初から知っていたのに、本来の意味でここで終わりなのはみんなと同じなのに」

 そこで信勝は顔を上げて、秋の夕暮れみたいに寂しく笑った。信長は目を見開いた。同じことを考えていたのだ。

「ごめんなさい。昨日まで姉上と一緒にいてもらったのに僕は臆病なまま。なんだか、まだ最後なんて信じられなくて……僕は本当にここで終わりなんだなあ」

「……っ!」

 信長は自分の胸にまた右手を差し込んだ。ドロリと聖杯のカケラを信勝の前に差し出す。

「姉上? ……これは?」

「ずっと……どうすればいいのか分からんかった。何が正解か、捨てて仕舞えばいいのか」

 これは希望だったのだ。だから苦しくても捨てられなかった。カルデアが終わったあとに永遠に会えない信勝を想うと抱え込んだ。

「これはいつぞやの聖杯のカケラじゃ。かすかじゃが奇跡の力を持っておる……じゃが、信勝を英霊の座に刻むほどの力はない。できるのはせいぜい……今のお前の面影をわしの座に刻む程度。それさえも確実にできるか保証はない」

「聖杯の力……僕の面影だけを?」

「ああ、わしも考えた。このわしではないとは知っていても……どこかに召喚された未来のわしに永遠にお前に会う可能性がないことを。
 じゃが……話した通り、わしの座をいじる可能性ぐらいの程度。中途半端で根本的解決にはならない」

 信勝は内心姉の言葉に苦笑した。例え本当の聖杯の力があっても信勝の歴史では英霊の座など無理だ。カルデアが無茶苦茶なことと姉は弟を愛するかなり無茶を言っていることに気付いていない。

「……姉上が何かを隠しているのは気付いていました。それは聖杯のことだったんですね。こんな風に体の中に隠して……お辛かったのでは?」

「本当に辛いのはそんなことではない……結局、わしは決められなかった。だから……信勝が決めてくれ」

 信長は信勝に右手を差し出した。

「僕が……この聖杯を?」

「ああ……自分がこんなに臆病とは知らなかった……希望とは恐ろしい。数多のサーヴァントが数多の特異点を作ってきた理由がいやというほど分かった。
 わし一人が決める傲慢さも、捨ててしまえる潔さも持つことができなかった……お前が決めるがいい。その決断をわしは尊重する……」

 信長は聖杯のカケラを信勝の手のひらに置いた。淡く虹色に光っているが、どこか歪さも感じた。カルデアでいやというほど見てきた。大きすぎる願いは反作用が大きすぎる。

 信勝はもう一度条件を確認した。英霊の座に名を刻むことはできない。できるのは別の場所に召喚された信長に今の自分の面影を残すだけ。それにどんな意味があるのか、かえって姉には辛いことではないか。答えはない。だから、姉は今まで決めることができなかった。


 それでも――


「姉上、僕は――」



【選択肢】

聖杯を使わない

聖杯を使う






 2025年1月14日