でも、そんなことを思っても遅い。
あの時ぼくに伸びてきた、コンラートの切り落とされた左腕の前でそんなことを思っても。
あのとき、彼は、どんな顔をしていたのだろう。
ドゥーガルド高速艇で天下一武闘会へと向かう船旅は激しい揺れが伴ってはいたが、一日もするとユーリはだいぶ慣れていた。走ることは無理でも、壁に張り付いていなくて歩けるようにはなった。
だから何とか「危ないから」と押し込まれた奥の船室からこっそり脱出するとユーリは甲板に出ることができた。
外をしばらく忘れていた目が激しい太陽の空と海からの光に眩ませられる。目を細めて、光を遮ろうと手をかざす。
と、背後から声をかけられた。
「しーぶや!」
「うわあ!?」
必要以上に驚いてユーリは甲板への最後の階段につまづいて転んだ。日と潮の香りの染みついた甲板に顔をぶつけて「いたた・・・」と顔を押さえて振り返ると、そこには金髪碧眼になった中学時代からの友人で実は眞魔国の大賢者だったと告白された村田が必要以上に堂々と立っていた。もっとも正確には大賢者の『魂』をもつ者というだけ、というのが村田の弁だったが。
腰に手を当てた村田は、鼻を押さえて恨めしそうに見上げてくるユーリにあまりすまなくはなさそうに口を開いた。
「なーに、その驚き方?大げさだなあ、ちょっと声かけただけじゃない。そんなんじゃ逆ナンしてもらえないよ?」
「・・・・・・いきなりはやめろよ、いきなりは」
「ふーん・・・・・・でも、こっそり抜け出すから、後ろめたくてちょっとしたことでも驚いたんじゃない?」
「・・・・・・う」
後ろめたいのは図星だったのでユーリは村田からぷいと目をそらした。それでもこの鼻の痛みは別だと目をそらしたまま口を尖らせる。
「・・・・・・結構痛かったんぞ」
「ごめんごめん・・・・・・でも、何でこっそり抜け出そうとしたわけ?」
ユーリに手を貸して起き上がらせながら村田は今度は皮肉ではなく、素直に疑問を口にした。
ユーリは眞魔国の国主であり、今はカロリアの領主ノーマン・ギルビットでもあるあらゆる意味でこの船で一番の重要人物だ。何があっても守られなければならない。この前も湾岸警備隊に接触したときは真っ先に隠された。村田もオレンジ色の護衛も金色の髪のユーリの婚約者も、そうしなければならないのだ。彼は魔王なのだから。
もっとも、彼は結局自分からでていって事態を解決してしまったが。なかなか臣下泣かせの主だと内心苦笑していたのだ。
しかし、行動派の彼のことだから非常事態でもない限り別に閉じこめられているわけではない。そんなことをすればかえってどこかへ行ってしまうだろうから。
「渋谷有利」は自分が蚊帳の外に置かれることをよしとしない性質なのだ。それが美点でもあり、臣下泣かせな面でもある。
だから、別にこそこそ抜け出す必要はないのだが・・・・・・
「別に、今は何事も起きてないんだから隠れなくてもいいんだよ?この前はちょっと物騒な雰囲気だったからとっさに渋谷を隠しただけで・・・・・・」
「いや・・・でも」
「?・・・・・・どうしたの?」
「いや、その・・・・・・」
珍しく歯切れの悪いユーリの様子に村田は首をかしげた。
「渋谷?」
「その・・・・・・ヴォルフが東ニルゾンに着くまで何があっても絶対に部屋から出るなっていうから」
「フォンビーレフェルト卿が?」
意外な名前に村田は珍しくきょとんとしてしまった。
また、あの夢を見た。繰り返し見る、今更どうしようもない夢。
「・・・・・・・・・」
ヴォルフラムは少し船酔いが落ち着いて気分がましになったにもかかわらず空っぽの目で静かに波が光を照り返しては消えるのを見ていた。
船酔いのひどいヴォルフラムは甲板の縁にこの航海中もずっと貼り付いていた。特にドゥーガルド艇は三倍早い分揺れも三倍ひどく船酔いの薬を飲んでもなかなか落ち着かなかった。おかげで、船酔いの薬を手放せない。
正直、あまり薬は好きじゃなかった。苦いし、飲む下すたびに喉の奥にたとえようない違和感が残る。それに・・・・・・
「・・・・・・っ!」
無意識のうちに手を強く握りしめていたらしい。食い込んだ爪の痛みに手のひらを見ると、かすかに血が滲んでいて赤く染まっていた。
・・・・・・最近のヴォルフラムの船旅はコンラートと一緒にいることばかりだった。
そのせいなのか薬を飲むたびに「そんなわがままを言わないで飲むんだ。ほら、こうして飲めば少しは苦くないから」と言う声が思い出されて、正直何も飲み下せない。
船酔いが治まっても、胸の奥の方で何かが引っかかるようで息がうまくできなくなってしまう。
夜になれば尚酷かった。毎夜ではないが頻繁にコンラートが尋ねてきた夜のこと、そしてその時言ってしまった自分自身の言葉をどこか遠い場所で別の自分が繰り返し聞いている悪夢をみた。
悪夢の終わりは決まっていた。そんなことは言いたくなかったとどこか遠くでそれを見て泣きじゃくる自分の前が急に開けて、その目の前には切り落とされたコンラートの変わり果てた左腕が現れる・・・・・。
「フォンビーレフェルト卿」
まだ聞き慣れない声に呼ばれて、はっとヴォルフラムは振り向いた。大賢者が人懐っこそうな笑顔を浮かべて後ろに立っていた。
「大丈夫?船酔いが酷いって聞いてたけどかなり酷いみたいだね、顔色がかなり悪い」
「あ、ああ・・・・・・」
振り向いた顔をさっと海面の方へと戻す。顔色が悪いのは確かだが、それは船酔いというよりよく眠れないせいだった。気づかれないとは思うけれど。
ヴォルフラムは大賢者が少し苦手だった。普段はふざけるような素振りをするけれど、たまにだがすべてを見透かせそうな目をしていてすこし畏怖のようなものを感じていた。
しかし、今はそんな素振りをみじんも見せずに「隣いいかな?」ともう隣に陣取っている。
「・・・・・・何か、用なのか?」
「うーん・・・・・・」
大賢者は珍しくためらいを見せると、縁に身を乗り出してやや強引にヴォルフラムの顔をのぞき込んだ。少し驚いて身を退けると尚ものぞき込んできた。
「・・・・・・あのさ、渋谷に聞いたんだけど」
「・・・・・・?」
「フォンビーレフェルト卿、君渋谷に外出禁止令出してるんだって?」
ユーリが言うには、ヴォルフラムがユーリにあれをするなこれをするなと言うことはいつもことらしく、たいていユーリも半分聞き流していたのだが今回はヴォルフラムの様子が常日頃の雰囲気ではなく、切羽詰まった様子だったのでユーリも聞き流すことができずにしばらくおとなしく船室にこもっていたとのことだった。
しかし、様子のおかしいヴォルフラムのことが気になってこっそり甲板に様子を伺いに来たらしい。
「それが、どうかしたのか?
これは魔族の船とはいえここは人間の土地だぞ。到着までそんなにかかるのでもないから、ユーリはできるだけ表に出ない方がいいから言っただけだ」
「確かに正論なんだけど・・・」
村田はヴォルフラムから海の彼方へと視線を移すとふっと脱力して、いつもの人懐っこいようでいて底知れない笑みではなく躊躇と確信を滲ませた表情を作った。
「でも、渋谷は珍しく君の言うことを聞いたよね。いつもはあんまり聞いてくれないらしいのに。それも困ったことだけどね」
「ふん、あいつはへなちょこだからな。この前の湾岸警備隊の件で少しはぼくたちの苦労がわかったのだろう」
「渋谷はね」
「・・・・・・大賢者?」
海風がごうと吹いて隠れた村田の顔はヴォルフラムには見えなかった。その代わり口元に人差し指を当てて「これは渋谷には内緒」と言った。
「君を心配しているんだ」
「・・・・・・そんなの、婚約者なら当たり前だろう」
「そういう意味じゃないんだ。渋谷は君にいつにない雰囲気で心配されているのが・・・」
「くどいぞ。ぼくは婚約者なのだから、ぼくがユーリを心配するのも当然・・・」
ヴォルフラムはなぜだか話を打ち切ろうと焦った。何か、聞きたくないことを詰問されているような・・・・・・。
「・・・・・・渋谷は君とウェラー卿に何かあったことが原因なんじゃないかと言っていた」
ヴォルフラムは体の底から凍り付いた。
...to
be continued...
危うく、村プになりかけて焦った・・・。(おい)
2007/09/09