彼のものではない方ではない、確かに彼のものである右側が好きだった


















「 な く な っ た 」 3


















あれから何日がたったのだろう?

時間の感覚はとうに失せていた、あれから何日たったのかまるで見当が付かない。昨日の出来事だったのか、何日も前の出来事だったのか全く理解できなかった。

かすかに覚えているのは、いつも白い天井とベッド。決して、魔王の寝室のものではない白紙のような部屋。そこで何度か受けたギーゼラの治癒術、やさしいかった。けれどもおれの心はどこか遠い、ここではない場所にあるせいかそのやさしさは空虚におれを体の上を通り過ぎていった。

村田はおれに食事のたびに現れて、おれに薄いスープを口に運ぶという動作を繰り返していた。食べたのか、そうでないのか、それは記憶になかったけれどいつもそれは村田だった。彼は何も言わなかった、おれのことも、彼のことも、彼らのことも。


まるですべてがなかったみたいだ、とおれはこの部屋の一部になった心境に陥りかけていた。何もなかった、何も起こらなかった。ただ「白」に染まっているだけの微睡みにずぶずぶと沈んでいくことを望んだ。


でも、色彩のある世界はおれを再びその世界に引き戻す。きっかけはいつもは全くの無言である村田の言葉だった。






『ごめんね、もう限界なんだ。

いろいろな方法を試して君たちを待っていたんだ、立ち上がらなくてもいい。それでももう一度自分の目で確かめられるまでではと思っていたんだ。

間違いだった、時間だけではどうにもできない、時間が解決してくれるんじゃないこともあるって知ってたのに。記憶に刻まれたものは時間が解決できるものだけではないって、ぼくが一番知っていたのに。

・・・・・・・・・決まったんだ、葬儀の日取りが』




色のなかったおれの世界に飛び込んできた色彩は白だった。白紙の白ではない、誰もの心を勇気づけてくれるような強い白。ヴォルフラムの心のような、鮮烈な色。





おれはそれを聞いているときは身動き1つしなかった。ただ、村田の言葉だけが耳に沁みていった。もう、時間の限界だと。時が彼の肉体を痛めることを、誰もが彼を葬らないことを遅すぎると進言し、それをことを止めることができないことを静かに告げた。

おれは何も言葉が浮かばない。村田はしばし無言でいると最後に「・・・・・・フォンビーレフェルト卿は、君の部屋にいるよ」という言葉を投げた。


去っていく彼の背中を追うこともせずに、おれは村田の言葉を頭にしみこませるのに必死だった。
























(葬儀?・・・・・・誰の?)


・・・・・・ヴォルフラムの?
























がたん!とおれは弾かれたようにベッドから飛び降りた。

実際には落ちたようなものだったが、とにかく白紙の世界から一歩はみ出した。その世界は見直すと、ただの広い客室を病室としてあてがっているだけだった。白紙なんかじゃない、白紙にだったのは白紙にしたがってたのはおれだ。

天上には星が輝いていた、村田が話していたときは朱い色だった気がするのにおれは彼の言葉を理解するだけでどれだけの時間を浪費していたのだろう?




「・・・・・・行かないと」




久しぶり喉から出る言葉は、かすれたものだった。うめきだったのかもしれない。胸にあいた空洞にかすかに残る痛みからの。



行かないと、彼の元に。這ってでも、どれだけの力を使っても彼の元へ。



おれはベッドから立ち上がったとたん、無様に床に崩れ落ちた。弱り切った体をベッドにしがみついて立て直す。行かないと、ヴォルフラムのところへ。ずっと会いたかった、でも会いたくなかった。



(・・・・・・でも、もうすぐ会えなくなる?)




いやだ。


おれは立ち上がり、数度息を吸うと歩いた。扉は部屋が広い分遠い、少しずつ息を吸うペースと同じに慎重に歩を進めた。足先に床を踏む感触を思い出させる。一歩、一歩、もう少し。

ようやく扉に手が届く。やった!体力があればそう叫んでいたかもしれない。おれは扉に手をかけた。ここを出る、そしてヴォルフラムのところへ・・・!




「・・・・・・ユーリ?」



扉の向こうには、扉の横でしゃがみ込んだコンラッドがいた。





















「ユーリ、今、今なんて言いました?」


「ヴォルフ!返事しろ。やめろ、やめろよ、こんなの悪趣味だ!たちの悪すぎる冗談だよ、笑えない、ちっとも笑えない。目を開けてみろよ!冗談だって言ってみろよ!」


「ユーリ、何を言ってるんです?ヴォルフラムが、どうしたんです?何を言ってるんですか、ユーリ・・・・・・」


「ヴォルフ、ヴォルフ、ヴォルフ・・・・・・やめろよ、嘘だ」


「ねえ、ユーリ、何を言っているんですか?ヴォルフはどこですか、ヴォルフラムは・・・・・・」


「いやだ、いやだ!だれか、だれか助けてくれ、お願いだ・・・!」























「・・・・・・」

「ユーリ、どうしたんですか、ユーリ?」




突然の再会におれは再び頭が白紙になるのを感じた。コンラッド。どうしてここにいるのだろう、ずっとそこに座っていたのか?何のために?



「ユーリ、だめです。危険です、外は危険です、そこからでないでください。あなたを守らないと・・・・・・」



感情の抜け落ちた目、薄茶に散る銀色も今は何も映していない。立ち上がる動作によどみはなかったが、こちらにより、手を伸ばす動作は人形のようにぎこちない。いけないとたしなめる声は不思議とそのままだった。

コンラッドはいつものようにおれへと手を伸ばした、おれはその動きにぎくりとして一歩退く。そうすると、もう一度手を伸ばされる。そう、彼は一度決めたことを滅多なことでは諦めない。




「あなたを、あなただけは守らないとならないんです」




伸ばされた右腕には、確かにコンラッド自身のものである右腕には、腕全体を包むように包帯が巻かれていた。そこからかすかに未だ血が滲みでている。腕全体にわたる傷のようだが、動かせる程度には浅く癒えているらしかった。癒えて・・・?




「・・・・・・・!」




おれはその右腕を全力で振り払った。持てる力のすべてを持って、コンラッドの右腕を払いのけた。




「ユーリ・・・・・・?」




あっけなく、人形を倒すように床に倒れたコンラッドは薄茶の瞳だけをおれに向けた。それすら振り払うがごとく、おれは走った。コンラッドから逃げるために。ヴォルフラムの元へと行くために。




(行かないと、行かないと、行かないと・・・・・・)





ヴォルフラム。頭に浮かぶのはそれだけだった。

どこをどう走ったのか、自分に走るだけの力が残っていたのか、それすら分からないでおれは気が付けば肩どころか全身を上下させながらその部屋の前に立っていた。おれの、魔王の寝室。部屋の前には兵が一人いたが、おれを見たとたん顔色を変えてどこかへと走り去った。おれは気にとめることなく、扉に手をかけた。会いたかった、会いたかった・・・・・・・・・・・・

でも、会いたくなかった



ヴォルフラムはいつものようにおれのベッド眠っていた。でも、いつもの彼らしくなく仰向けのきれいな体勢で眠っていた。童話の眠り姫のように両手を胸の前に組んで、静かに目を閉じていた。

おれは彼の側に駆け寄ると、彼を起こそうと彼の手に触れた・・・・・・そして、氷に心臓を捕まれた。

氷のような温度だった、眠っているはずのヴォルフラムは凍り付いていた。いつも高めのはずの体温はなく、いつものいびきも聞こえない。ただ、冷たい。彼のものだったはずのものがすべて失われて、ただ冷たさだけがヴォルフラムに居座っていた。

おれは手を離すことができなかった。ただそれ以上触れることもできなかった。



「・・・・・・どうして」



つぶやく声に、後ろから返事があった。




「ユーリ」

「・・・・・・・?コ、ンラッド?」



おれの背後にはいつの間にかコンラッドが立っていた。感情を宿さない声で、おれにかつてのように忠告する。




「ユーリ、危険です。早く、部屋に戻ってください」

「・・・・・・コンラッド」

「あなたを、守らなければならないんです、あなたを・・・・・・」

「・・・・・・コンラッド!」




おれは彼の名を叫んでいた。ヴォルフラムの冷たい手を握りしめて、その冷たさが彼にも伝わればいいとコンラッドを呼んでいた。ここにいる。ヴォルフラムはここにいるんだ、コンラッド。

コンラッドは数瞬動きを止めていた。そして、その目線をおれのヴォルフラムを握りしめている手の先へと持っていった。胸の前で組まれた腕から、最後は伏せられたヴォルフラムの瞳と再会した。




その時コンラッドが言った言葉を、おれは一生忘れないだろう。





「・・・・・・誰?」



























「ユーリ、ヴォルフラムは・・・・・・」


「・・・・・・触るな」


「ユー・・・・・・」


「触るな、触るな!お前がやったくせに」


「ユー・・・・・・リ?」


「その手でヴォルフラムに触るな!」





































「お前が」




おれは床に崩れ落ちたコンラッドを見下ろしていた。いつかのように魔力で打ち据えたコンラッドは呆然とおれを見上げている。何も映っていなかった彼の瞳に初めて、かすかな感情が浮かんだ。戸惑いと畏れが。

おれに白紙はもう戻ってこなかった。もう二度とないだろう、どす黒い黒が胸を満たしている。その黒でおれはコンラッドにめがけて鎌を振り上げた。





「お前がヴォルフラムを殺したくせに」





おれが発した言葉が確かにコンラッドに突き刺さることを確認すると、彼を振り返りもせずにおれはコンラッドの横を通り過ぎた。


右側をよぎったせいか、彼の腕が見えた。右腕に確かな傷がある。奪われた方ではない、確かに彼のものであるほうのそれは包帯がほどけてどす黒い血の塊がのぞいていた。塞ぎかかったそれは、再び血を流そうとしていた。


それを見ておれは笑った。嘲笑った。二度と忘れなければいい。一生血を流せばいい。



いつか、ヴォルフラムに差し伸べられたコンラッドの右腕を、ヴォルフラムを殺した右腕を己の魔力でズタズタに切り裂いた時のようにおれは黒い感情が全身を満たすのを感じると扉を閉めた。








































...to be continued...

















2008/12/28