「 な く し た 」 (2)
夜眠って、朝起きて。夜夢見て、朝夢から目を覚まして。
命がある限りの果てしない繰り返し。その中でユーリは出来るだけ足踏みをしようとしていた。夜は眠らない、だから朝に目覚めることもない。夜には夢見ない、だから朝夢から覚めることはない。悪夢を見ることもない。
目の覚めるような蜂蜜色の髪が鮮血に染まる光景など、見なくていい。
いや、違う。あれは悪夢じゃない。現実、過去に起こったこと。悪夢をみてもあり得なかったような、酷い風景。
湖底の碧が在らぬ宙を見て、何も映さなくなった。泣きわめく自分の後ろでは彼が音もなく立っていた。。どんな顔をしていたのだろう・・・?
どれも悪夢じゃない。悪夢でなら彼がどんな顔をしていたか見ることができるのかと思ったが、そんな夢は見たことがない。結局、夢ではないものを見ているのだろう。
そうだったと確信している自分にユーリはいささか失望していた。確信できるということは、結局思い出しているということだ。いや、思い出しているんじゃない、片時も忘れていないのだ。常はできるだけその事実を意識しないようにしているだけ。
どうしようもないことだと理解しているつもりだったのに。自分にはするべきことがいくらでもあるのに、それでも。
忘れられない、美しい思い出だけ覚えてなどいられない。どうしても。
なら、目を覚ましても同じだろうとユーリは目を覚ました。いつもの天蓋のついた一人には広すぎる寝台。身を起こせば、長い間の閉ざされたままのカーテンから漏れる光で寝台の上や床にガラスの丸みを帯びたラインが浮かび上がっていた。
数えることも馬鹿馬鹿しいほどの量の酒瓶を見て、ユーリは今回はどれぐらい眠っていたのかを推し量った。三日、いや五日ほどだろうか。一日倒れれば身の内の空洞から逆流してくる感情が去ってくれると思っていたのだが。
アルコールに手を出したのはヴォルフラムの葬儀が終わってからだったろうか・・・はっきりは覚えていない。ただ、ある誘惑がどうしても背を後押しした。背が伸びるかどうとかとかそんなことはもうどうでもよかったし、一瞬でも酒ですべてを忘れられる、その言葉は抗いがたい魅力を持っていた。
最初は大成功だった、二杯も三杯も一気に空けたあっという間にユーリは嘔吐感で倒れ頭痛はどうしようもなく痛かった。一晩中苦しんで数日間頭痛と昏倒の繰り返しが止まらなかったユーリは心では拍手喝采していた、何も考えられないとはこんなにも幸せなことだったのなんて知らなかった。
しかし、それも最初のうちだけだった。体が慣れたのか次第に全てを忘れるどころか酩酊して倒れている最中には悪夢を見るようになった。悪夢ではなくある2つの光景の果てしないリピートだったがユーリはまた同じ場所に戻ってきたことを悟った。結局は逃げられない。
それでも、死ぬんじゃないかというほど飲めば少しは忘れられる気がして、それの繰り返しから最近抜けられない。酒の量が以前の倍に、倍に、倍にと増え続けていた。アルコール中毒者ってこういう気持ちなのかな、とも思った。酒を飲めば飲むほど辛くなって、また酒に手を出し続ける。
(おふくろが見たら泣くかな・・・)
家族ともずいぶん会っていない。向こうで時間はそんなにたっていないだろうが、心配しているだろうか。
しかし、だとしても抱きしめられる手のある場所に戻る自分には資格はないように思えた。
コンコンコン。
ノックの音に振り替えると遠慮なく開くドアから黒髪黒目の少年が黒衣を纏って現れた。地球の日本ならともかく、この国にはそんな存在はもう一人だけだ。
むらた、とユーリが呼ぶと枯れて音などほとんどないのに彼は足下に転がる酒瓶を慣れた様子で避けてユーリの隣に腰かけた。
村田はユーリの顔をじっと見つめるとほぅと安心したように溜め息をつくとか眼鏡の位置を直した。
「おはよう、渋谷」
「村田、おはよう。また、ごめん」
「いいさ・・・今回は結構早かったね。フォンクライスト卿も今回は倒れずにすんだみたいだ」
「・・・・・・また、ギュンターに心配かけちゃったな。アニシナさんは怒ってた?」
「怒ってないよ、ただ君の署名の必要な書類が執務室に山積みだ。
今度の摂政殿は君に遠慮は無用みたいだよ」
「当たり前だろ・・・何日くらいたった?」
村田は寝台から立つと魔王の寝室で一番大きな窓の前に歩いていった。ユーリはその背中を見て彼の隠しているけれど滲み出る疲労の色を知って、後ろめたさを感じた。今回はどれだけ代筆させたのだろう。代わりを務めさせたのだろう。心を痛めさせ、それを見せまいとしているのだろう。
村田はカーテンを開いた。明るい日差しがまだ日が明けて間もないことを示した。ユーリは眩しいと目を閉じると村田の声だけが聞こえた。
「一週間だよ」
「そんなに!?・・・うっ!」
「いきなり、起き上がっちゃだめだよ。どれだけ飲んだと思ってるんだい」
「別にへい・・・・・・う、ううっ、げ、げほ・・・」
吐き気を堪えるために手を口に当てるとユーリはそのまま床に崩れ落ちた。村田の足音がして背中に暖かな手が当てられると「吐いちゃいなよ」と必要以上に冷静な声がした。冷静にばかりさせているのは自分だとユーリは知っていたからそのまま吐いた。酒以外ものなんて一週間食べていないのに胃液ばかりが体内で暴れている。苦しい、でもその苦しみが思考を止めてくれて嬉しい。堂々巡りだ、それでも抜け出せない。
嘔吐後には涙が止まらないことも知っていたので差し出されたタオルを顔に押し当てる。村田に支えられながらベッドに戻って、そのまま倒れる。天蓋は朝日が差しているせいかずいぶん広く見えた。
「・・・・・一週間、か。長いな、おれ一日やそこらにしようと思っていたのに」
「・・・・・・しかたないさ」
「しかたなくないさ・・・・・・そういえば、なにか重要なことがなかったっけ」
「・・・そんなたいしたことはないよ」
嘘だと、すぐに分かる嘘をつくのは彼らしくない。それでも、彼らしくさせなくているのはユーリ自身だと分かっていたのでユーリは自分で思い出そうとぐちゃぐちゃになった記憶から有益な情報を引き出そうとあがいた。一週間前は何日だった?そして、今日という日は重要といえる案件は何が該当する・・・?
村田はユーリが考え込んでいる様子に視線を伏すと 村田は胸元のポケットに手を伸ばすとそこから小さな紙切れを取り出した。
「ところでこれなんだけど・・・」
「・・・?・・・・・・それ!?」
「君宛に届いてて・・・・・・」
「返せ!!」
その瞬間、ユーリは村田につかみかかっていた。
有り体に言えば酔っぱらいの動きなど覚束無いふらつきでしかなかった。
それでも自分が野球少年だった頃の力が何処かに残っていたのか、ユーリは村田が驚きに目を見開いている隙に折れた一枚の便箋を奪った。羊皮紙を命綱のように胸元に抱き寄せると己以外の誰にも触れさせないように両手で隠す。
誰にも渡さない、渡すわけにはいかない。強くつかんだ羊皮紙が歪むのを感じてもユーリは力を更に強めるばかりだった。
しかし、ユーリはそこで力尽きてしまった。ひどい頭痛と吐くものもないのに強い嘔吐感に押されて便箋を隠すように体の下に置くとベッドに倒れこんだ。苦しい、涙で視界がぼやけて村田の顔もよく見えなかった。でも、彼が驚いてこっちに手を差し伸べるのが見えた。
それでも、ユーリは最後の力を振り絞って村田を睨み上げる。
「・・・・・・何で!何で、知って」
「・・・・・・ごめん。でも、隠していたつもりとは知らなかった。君が」
「読んだのか・・・!?」
「・・・・・・」
一瞬躊躇の気配。もう一度ユーリが獰猛とも言っていいような光を瞳の奥に浮かべると村田は静かに目を閉じて、言葉を繰り出した。
「・・・・・・君に渡そうと骨飛族が三日ぐらい城の回りを飛んでいたらしいんだ。魔王陛下への手紙だから他の誰にも渡せないけど、でも手紙がボロボロになりそうだからって消去法で僕にこっそり渡してきて」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・うん、読んだよ。
何の手紙か分からなかったし、正直今の君には滅多のものは見せられないと思っていた」
「・・・・・・・・・」
「でも、悪かったと思ってる。僕が気付いて、君の代わりにやるべきだったんだ。
でも・・・・・・君がウェラー卿を監禁していたとは思わなかった」
「違う!違う、そんな・・・監禁してるわけじゃ」
「・・・・・・ごめん、言葉が悪かったね。
でも正直、一時期を思うと彼を安心できるところに隔離しておく必要はあったと思うよ。もちろん、監禁なんて君はしていない。ただ、ウェラー卿を少しでも心安らげるところに置いておきたかっただけだ。ただ、彼のことを思うと・・・・・・一人で放って置くことができなかっただけだ。彼のためだ。
ただ、そこに、それに、フォンヴォルテール卿がついて行くとは僕は思っていなかったけど」
「そう、かな・・・グウェンはそうするとおれは思ってたよ」
村田が「そっか」とつぶやいて遠い目をしている。ユーリはその中にまた隠しきれない疲労を見て、自分の愚かしさはどこまで人を傷つけるのかと恐ろしくなった・・・・・・コンラッドと同じように。
ふと、ふわりとした手のひらを感じてユーリは震えた。子供をあやすような手は村田のものだった。
「・・・・・・ごめん!ほんと、ごめん・・・おれが勝手にやって、隠してただけだ。村田は悪くない」
「いいんだよ、君は間違ったことなんてしていないよ。
・・・・・・その手紙はいつからだい、ウェラー卿をルッテンベルクに送ったとき?」
「いつからだっけ・・・でも、その辺だと思う。ごめん、読んでもいい?」
村田がうなずくのを確認するとユーリは便箋に目を落とした。遠い場所から運ばれてきた羊皮紙は少し分厚くて風の匂いがした。
ずいぶん遠ざかってしまった世界の気配にユーリはほんの少しだけ安らぐと、便箋を開いた。
内容は極めて簡素なものだった。
コンラッドを遠巻きに見た様子を書き記しただけのもの。食事はほとんど食べない、一睡もできない時もあれば死んだように眠る時もある。気が付くとどこかに行ってしまう。そして、いつでもグウェンダルが彼の側にいる・・・・・・。
それは以前と同じようだったが、ここ数ヶ月でコンラッドは森へ、特に近くの幼少期に親しんでいた森深くへ行くことが多いとのことだった。それに最初はひやりとしたものの、大きな行動の変化は見られず、グウェンダルがずっと付き添っているので心配はいらないとのこと。
そして、精神や体調の変化の波はあるものの、いつでも金色の髪の男の子の人形に話しかけて、子供のように笑っていることは変わらないこと・・・・・・。
「・・・・・・どうだった?」
「・・・・・・ん、コンラッドは変わりないみたい」
安心したような、拍子抜けしたような。ユーリはもう一度羊皮紙に目を走らせたが、内容は同じだった。コンラッドが自分を傷つけているような内容がないことに安堵すると同時に、あのままなのかという感情もある。
それを機に、ユーリはコンラッドのことを考えるのをやめた。彼のことを考えてしまえば、またこの部屋中が新しい酒瓶で埋まってしまうだろう・・・・・・考えても無駄なことは考えることをやめようとする。
なにも考えずに、何かにだけ集中する。それがここ最近のユーリの感情の処理方法だった。そうだ、村田がなにか重要な案件があるというようなことを言いかけていなかったっけ・・・・・・でも隠している。
思い出さないと、一週間。それだけの時間自分はまた壊れていた。一週間前の自分を思い出せ、なにがあった?一週間前自分が気がかりで仕方なかったことはないか?なにを気にしていた?重要書類にサイン?それとも何かの交渉や外交
・・・・・・あ。
「・・・・・・村田、おれはもう大丈夫だから。だから、もう行くよ」
「・・・・・・え?」
「今日だろ・・・思い出したよ。まずいな、昼からといえどぎりぎりだ」
「ちょ、渋谷、なに言って・・・君は動けるような状態じゃないんだ!」
ユーリはたまらない頭痛になにも思考できない自分の体に感謝した。こんなにも心が暴れないならきっと大丈夫だ。
「今日はサラ、小シマロン王が
来るんだろう・・・おれと対談するために」
......to be continued......
長くなってきて、終わりそうにないので続きます。
ユーリ、アル中になってます。たぶん、長男次男と同じくこんなことを繰り返しています。
ほんとはここでもうちょっとごちゃごちゃいれて陛下編は終わる予定だったのですが、マニメを見たらサラの対談シーンも書きたくなったので、もうちょっと陛下編です。
|