せめて、同じものを見られればよかったのに
なくなった 7
ヴォルフラム。
母親にとてもよく似た、私の末の弟。
黄味がかかった金色と言うよりは黄金色という形容の髪は母と同じ癖毛で、短く切っていた末の弟は放っておくと好き勝手な方を向いてしまうとよく困った顔をしていた。
困った顔で振り返られれば、湖底の碧がこちらを見つめる。母に似た、そしてそれを除けば眞王陛下に瓜二つと言われたその碧色が黄金色にの睫毛が表情豊かに陰ったり見開かれたりと忙しかった。
母曰く父親似の性格は癇癪持ちで、感情的で、よく泣きよく笑う子だった。
年の離れた弟で、幼い頃にかまってやる機会が少なかった。そして、いつの間にかその役割はどう接すればいいまま疎遠となっていた上の弟の役割となっていた。
どこで覚えたのか幼子をあやすのが得意な上の弟はあっという間にヴォルフラムの一番の遊び相手となり、自身の学問や鍛錬が本格的になった時期も相まって血盟城で遊ぶ二人を窓から眺めるというのが私の立ち位置になっていった。
その二人が、目の前にいる。遠い窓越しではなく、手を伸ばせばすぐ掴める距離に。
上の弟、コンラートはいつものようにヴォルフラムを、まだまだ幼い、半分赤子のような弟を大切に抱き上げている。いつものように城の庭で遊んでいたのだろう。
(結局、私は二人と一緒に遊んだことはない)
本当に、そうか?
そんなはずはない、今目の前に二人はいる。 手の届く場所に。
「グウェンダル・・・なにしてたの?
その木にはおれとヴォルフの鳥の巣箱があるからあんまり揺らさないで?」
幼く、まだ抱かれていることの多いヴォルフラムを抱き上げるコンラートが不思議そうに私の名前を呼ぶ。
「どうしたの・・・勉強で忙しいんじゃないの?」
まだ成人したばかりで、その血筋ゆえの純血魔族には有り得ない成長速度で育った体を持つコンラートだったがまだまだ幼さが強く残る顔のなかで、薄茶の瞳が怯えと、しかしどこか弾んだ色で揺れていた。
「もしかして・・・おれたちと遊びに来たの?」
瞬間、私は確信した。コンラートが嬉しいと感じていることを。
「・・・・・・っ!」
私の頭に思念が浮かぶ前に、弾かれたように身体が動いていた。
何かを叫んだ気がする。分からない、ただの意味のないうわ言か、それとも彼らを呼んだのか・・・考えるより早くコンラートの抱くヴォルフラムに手を伸ばす。
(ヴォルフラム、コンラート・・・!)
私が彼らと遊んだことがないなんて嘘だ。今、二人ともここにいる。
今からは三人で・・・・・・。
のばせばすぐ届く、ほらこんなにもヴォルフラムはあたたくて、小さくて・・・・・・
・・・・・・・そして・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして?
「・・・・・・え?」
過去の幸福は、指先で触れたほんの刹那で冷たい現に消えた 。
伸ばした腕はヴォルフラムに触れた途端、泡がはぜるように幼いコンラートとヴォルフラムは消え去った。
「!?何するの、ヴォルフが起きちゃうよ・・・・・・」
さっきまで聞こえていた幼いコンラートの声とは全く異なる、大人になったコンラートの声さえ遠くに聞こえた。
「・・・・・・・・・なに、を?」
(どうして)
指先に感じたのは扱い慣れていた毛糸の感触。編み目がそろっていなくて、でこぼこで、編み物に不器用な者が作ったと一目で分かる、それは・・・・・・。
(あみぐるみ)
昔、作ったことがあった。
いつも、コンラートの旅立ちに泣いていたヴォルフラム。その弟をなだめるためにずっと笑顔のままでしかいられず、本当は自分も寂しいと言えなかったコンラートにこっそりと作って渡した、ヴォルフラムのあみぐるみ。
黄色の毛糸を黄色がかった金髪に見立てて、ビーレフェルトの紺碧の軍服を着始めたばかりの弟に会わせて青い毛糸であみぐるみの服を着せた、古い、拙いあみぐるみ。
光に包まれたようなさっきまでの幼いコンラートとヴォルフラムの情景は掻き消え、暗い色さえもくすんだ朝方の森でコンラートが抱いているのはたしかにそのあみぐるみだった。
「コ、ンラート・・・?」
「大丈夫?ヴォルフラム、びっくりしたでしょ?ああ、グウェンがいきなり触ったりするから・・・」
(コンラート)
これは、一体何なのだ?
私の前でとっくに成人したコンラートが、私がかつて作ったあみぐるみを抱きしめ、かつてヴォルフラムにそうしたように大切に抱いていた。その手はあみぐるみの小さな額をそっと撫で、幼子を起こさないように、慈しむように大切に大切に触れている。
「ああ、ヴォルフ、起きちゃった?しょうがないな、まだ夜が明けたばかりなのに・・・。
もう、グウェン、なんなんだよ・・・そんなにおれたちと遊びたかったの?」
コンラートは口をとがらせ、拗ねるようにそういった。同時にぎゅうっとヴォルフラムのあみぐるみを抱きしめる。
そこにグウェンダルはいつものコンラートのひょうひょうとした笑顔や、物腰の柔らかな態度、人当たりの良い口調を見つけ出すことは出来なかった。先の大戦時の思い詰めた表情も、最愛だったであろう彼女の死を知らせを来たときの絶望の表情も、どこにも見つけられない。ただ、幼子のようにあみぐるみを抱いている。
大人になったコンラートの面影を、大人の姿をしているコンラートの中に見いだすことが出来なかった。そこにいるのはとっくに大人になり、戦場で多くの偉業を成し遂げてきたコンラートであるのに、どこにもそんなコンラートの姿を見ることが出来ない。
確かにコンラートであるのに・・・・・・「現在の」コンラートではない。私は何も考えられず、今ではただ一人になった弟を見つめることしかできなかった。
「グウェンがこんな所に来るなんて、珍しいね。いつも鍛錬と勉強で忙しいのに・・・遊びに来てくれたの?」
「・・・・・・・コンラート?」
「そうなんだね、グウェンも遊びたかったんだ。よかった、ヴォルフもグウェンと遊びたいってよく言ってたんだ。
・・・・・・おれも、できれば兄弟そろって遊べたらなって思ってたんだ。でもグウェンは忙しそうだし・・・・・・」
はにかむようにコンラートは笑った。向けられたその笑顔はとても明るいものだったのに、私は頭を思いきり殴られたように目眩がした。
薄茶の瞳には、何も映っていない。あの日と変わらずに、虚ろだけが除いている。
(どうしていたんだ、今まで)
私があの日からのうのうと病室でただ一人の虚無に潜っていた時にコンラートはどうしていたんだ?
これでは、まるで・・・・・・。
「うん、そうなら早速遊ぼう!グウェンは忙しいから時間がもったいないよ、早く行こう!」
「コンラー・・・」
彼の名前をうわごとのように繰り返すことしかできない私に向かって、コンラートは何かを示すように私に背を向けた後振り返る。その笑顔が曇りのないあまり、棒立ちになってみる事しかできない。動けない、何も出来ない。
コンラートの側に駆け寄ることさえ。
しかし、コンラートは何かかがうまくいっていないのか、一向に側に行かない私を気にしていなかった。どうしたんだ・・・?コンラートは左手にヴォルフラムのあみぐるみを抱いている。大切そうに、しかしどこか違和感を覚える。
コンラートは私には体の右側を向けて、必死に何かをしていた・・・持ち上げようとしている?何を・・・?
(・・・・・・右手を?)
「あ・・・コンラート!良いから、すぐに行く!そのままで良い・・・!」
絶叫のように叫んだ。駆け寄る、すぐ傍らに立つ。そしてコンラートを見た・・・・・・包帯が解けた先の見えるコンラートの右腕の袖口を。
(動いていない)
目の前が赤く染まる。
赤、赤、鉄の匂いのする赤い世界。
そこで倒れているコンラート、その右腕は赤い世界で一番赤く染まっている。赤の中で赤黒く染まった刃だけが銀色に光っていた。
いやだ、やめてくれ。どうして、お前まで。
いやだ、いやだ、これを抜いてくれ、抜いてくれ・・・抜いてくれ!
その手を離してくれ!頼む、抜けないんだ、抜かないとコンラートが・・・・・・!
離してくれ、コンラート・・・・・・!
「グウェン?」
無垢な、虚ろの瞳で見つめられる。瞬間、朝焼けの色の薄い世界に引き戻される。不思議そうな表情。相変わらず右側だけ向けられた体。
(ああ、そうか)
右腕を差しだそうとしてくれていたんだ。こっちだよと、私を誘うために。しかし、動かない。あの日から、動くことはない。だから、ヴォルフラムを両手で抱くこともない。
(私が、あの日剣を抜くことが出来ていたら)
「いや・・・コンラート、何でもない」
「本当?」
首をかしげる。あまりの無防備さに、かつての、父親といくつもの旅をして、混血であるが故に母のいる血盟城では孤立しがちだった、あの頃のコンラートはこんなにも無防備だったろうかと・・・こんな風に年相応だったろうかと考え、虚しい考えだと一蹴した。こんな状況でそんなまともさはかえって不自然だ。コンラートは、
(狂っている)
しかし、それは何より正常なことのように思えた。
「何でもないんだ・・・これからはずっと一緒に遊ぼう。兄弟そろって」
「!!・・・え、いいの?だってグウェンはいつも忙しいって・・・」
間違いなく狂っているたった一人の弟はそんなところは昔のまま再現する。遠慮ばかりで、私に何かしてもらうことに慣れていない。私はそんなに彼らとの時間をないがしろにしていたのだろうか?こんな怯えと期待の混じった表情を向けられるほどに?
(つくづく、自分に失望する)
一体いくつ失望すれば、終わるのだろうかと呆れるほどに。
せめて、せめても罪滅ぼしにと、自分が一番苦手だと知っている笑顔を精一杯作ると大切な「弟たち」に、出来るだけ柔らかく、やさしく、そして泣きださないように声をかける。
「かまわない、私もずっと、ずっとお前達と遊びたかったんだ。兄弟みんなで」
もう届かなくなってから、そんな事ばかり願う。
「!?本当に・・・勉強は本当にいいの?」
「ああ、そんなものはいいさ。どうだっていい」
「でも・・・・・・」
「お前たちの方が大切だ」
「・・・・・・今日のグウェンはやさしいね、変なの」
とろんとした瞳が向けられる。まるで明け方の空の闇色のようだ。光が差そうとしているのに、闇に紛れて何も見えない暗闇。その瞳が左手で強く抱きしめている「ヴォルフラム」にも向けられる。幸せそうな表情だ、そこになにも映ってはいなくても。
・・・・・・何も映っていなくて良い。その暗闇の向こうにコンラートが幸せな世界が映っていれば良い。
「・・・・・・そんなに、私がいるのは変か・・・・・・それとも嫌か?」
「そ、そんなことないよ!いつもヴォルフと言ってたんだ、グウェンも一緒に遊べればいいのにって・・・・・・血盟城はあんまり小さな子がいないから二人じゃ出来ない遊びも沢山あるし・・・・・・ううん、あ、兄上と、遊べたらいいねっていつもヴォルフと、でも、グウェンは忙しいし、おれがいなければもっと良かったのかもしれないけど・・・どうしたの?」
「・・・・・・すまない、本当にすまなかった」
「泣いて、る?どうして?」
何にたいしてだろう・・・何もかもにだろうか。幼い頃のコンラートとヴォルフラムがこんなに自分と遊びたがっていることを知らなかった。コンラートを疎んじていると、先回りして自分から遠ざかっていることを知っているつもりで直接聞いたことがなかった。
純血魔族派を頑なにさせるような頑なさを自分は示すべきではなかった。もっと慎重に、あの双黒の魔王陛下のように何度も話し合いをするべきだった。ヴォルフラムを連れ去られることのないようにもっと厳重な警備を付けさせるべきだった。
あの時、自分がヴァルトラーナの言ったことを真剣に聞いてそちらへ自ら赴けば良かった。コンラートをたった一人で向かわせるなんてしなければ良かった。そして・・・・・・
(あの時、あんな場所で立っていなければ、あんな事は知らなくて良かったのに)
急に意識が遠のく。靄がかかったように、最後の後悔が思い出せない。なんだった、覚えていない。いや、きっと思い出さない方が良いことだ。
私の目の前にはコンラート「たち」がいる。それで充分だ。思い出すことなどない。
「いや・・・・・・本当にお前たちと遊びたかったんだ、ずっと三人で」
「そ、うなんだ・・・・・・嬉しいな」
「・・・・・・私だって嬉しいよ」
「・・・・・・うん!じゃあ、遊ぼう、三人で!」
せめて、せめて本当に「三人で遊ぶ」と信じられれば、どれだけよかっただろう。
「ああ、何をするんだ?」
「うーん、さっきまで何をしていたかは思い出せないけど・・・そうだ、グウェンがゆらしちゃったから鳥の巣箱の様子を見ないと」
「さっきはすまなかったな、どこだ?この木の上か?」
「あ、いいよ。おれが登るから、おれ木登りは得意だから・・・」
「!?いや、いい、やめろ。私が、私がするから・・・ほら位置をずらしてしまったのは私だから」
「そう、おれいつもやってるのに?・・・・・・確かに最近はうまくいかないけど」
「本当にいいから・・・お前が作ったのか?」
「うん、ここだけじゃなくてたくさんあるんだよ。おれ旅に出ることが多いから、ヴォルフラムが一人にならないように作ったんだ。そうだ、ルッテンベルクにもあるよ、おれが父上の側にいなきゃいけないときにヴォルフが寂しくないように・・・・・・」
「そうか、でも・・・これからは私が代わりに見るから、私も木登りが得意だから」
「グウェンが?・・・なんか変なの」
「そうか?・・・・・・とにかくお前はもう登らなくて良いから、分かってくれ」
「・・・・・・うん?」
かしげた小首。その仕草の幼さに、その暗闇の向こうにある世界を見た気がした。そこいければ、と強く願った。
それでもコンラートの右腕のことは忘れない。忘れられない。それこそが私の罰なのか・・・?
(そう、だから私は本当は忘れていない。誰がヴォルフラムを斬ったのか)
その日から、私はコンラートと「兄弟三人で」遊ぶことだけで一日を過ごすようになった。
遊びの内容は他愛のないもので、小さな池で水遊びをしたり、コンラートと「ヴォルフラム」の鳥の巣箱を眺めて鳥の声を聞いたり、小さな森の中でそこから出ることなく、しかしかつて弟たちがそうしたように知恵を尽くして「三人」で遊んだ。
それは、何故自分が今まで彼らと遊んでいなかったんだと強く後悔するほど楽しい日々だった。足下がひび割れだらけで、ふわふわとして確かなものなど何もなく、何の明日の保証もないものだったが、それは確かに幸せだった。
側に弟「たち」がいる・・・それだけで何よりも幸福だった、どこかでそれはもう取り返せないものと知っている自分がいたとしても。そんな自分がいることを、心から嫌悪していたとしても。
(狂っていたとしても、ずっとこのままでいればいい)
病室からは最初は抜け出していたものの、その内自然と病室のものたちは出してくれるようになった。
それを奇妙に思うこともなく、私はコンラート「たち」と小さな森のなかで遊び続けた。最初は私がいることを戸惑っていたコンラートもだんだんと「兄」がいることを自然に受け止めてくれるようになった。
ずっとずっとずっと、このままでいい。
もう二度とこれ以上の幸福なんて手に入らないと知っている。夢なら永遠にさめなければいい。
「グウェンダル」
白昼夢を歩くようにいつものコンラートとの待ち合わせ場所へ向かっていた私を呼び止める声を聞いたのは、コンラート「たち」と遊ぶようになってからどれくらいだったのか・・・・・・私は覚えていなかった。
ただ、その声が誰のものかは、自然と思い出された。幼い頃から聞き続けている、いつも毅然としていて、人の話など聞いてくれなくて、いつも正しかった彼女の声。
「・・・・・・アニシナ?」
どこまでも理知的な水色の瞳が自分を見つめていた。そこには侮蔑も、軽蔑も、哀れみも映っていない。ただ、知性のみがその瞳に浮かぶ・・・・・・現在のこの国宰相の瞳。場違いにも私はそれをとても美しいと思った。
「・・・・・・久しぶりですね、私が分かるのですか?」
言外に「狂っていないのか?」と訊かれる。視線と同じようにやはりそこには侮蔑も、軽蔑も、哀れみの感情も見つけられなかった。あの日と同じ、彼女が亡霊のようにしがみついていた自分を殴りつけ病室に引きずっていった日と同じようにただ知性と・・・・・・慈しみだけが込められている。
「・・・・・・ああ、分かる。当然だろう」
そんな風に、心から狂うことが出来れば良かったのにとどこかで囁く自分がいた。コンラート、ヴォルフラム。もっと側にいたい。あの赤い世界など二度思い出せないほど「三人」だけでいられれば、それだけで・・・・・・
「・・・・・・・・・何の用だ、私はいかなくてはならないんだ。コンラートが待っている」
「・・・・・・・・・お聞きなさい、グウェンダル。コンラートはその場所にいません」
びくりと肩が震えた。足下ががらがらと崩れていく予感に足が震えた。怖い、そのくせどこかで予測していた気がする。何を?今幸せだ。何を恐れることがある・・・・・・?
(嘘を付け、本当はいつまでも続かないと知っていただろう?)
(そんな、ことは、ない・・・・・・ずっとずっと)
(・・・・・・本当にか?)
(・・・・・・・・・やめてくれ!)
アニシナは何を言っているんだ?コンラートはいつもの場所で待っている、ヴォルフラムを抱いて「兄弟三人で」遊ぶために、いつものあの場所で・・・・・・。
「グウェンダル」
アニシナの声が響く。強くやさしいその声は何故か死神の鎌が振り上げられている様を連想させた。
「コンラートが自害しました・・・・・・未遂です。命に別状はありません。
あなたとの待ち合わせ場所でユーリ陛下と出会ってしまったのです・・・・・・その直後に」
本当は知っていた。
夢の檻は、最初から壊れていた。
to be
continued...
2009/11/21