なくなった 8















暗い、何も瞳に写らない闇の中で澄んだ光が跳ねた。


「・・・・・・ん」


微睡みと覚醒の狭間で揺れていたグウェンダルの意識がそれで覚醒側へと傾いた。眠っていた?



「・・・また病室を抜け出してしまったのか」



以前はせめて自分の意思で抜け出していたのだが、最近は気が付くと抜け出すようになっていた。そして、気が付くといつもあの森だった。

コンラートと「ヴォルフラム」と遊んだ森。

三人で・・・・・・本当に「三人で」ではないと知りながら過ごした場所。



(あの日から「二人」はこの森に来ない。会ってすらいない)



会いに行ったわけでもない。アニシナの言葉を聞いて、彼女にコンラートの病室を聞くことも出来ただろうにそれもせず、それどころか嫌っているはずの病室に何日も何日も籠った。

コンラートのことは一切聞かなかった。アニシナが病室に無理矢理入ってきて、教えていなかったらコンラートは快方に向かっていて例の件による後遺症はないということも知らなかったろう。あくまで身体の、だとも付け加えたが。

その後からグウェンダルは再び病室から抜け出すようになった。行き先はいつもこの森だった。



「もう、誰もいないというのに・・・・・・」



無論、あの「二人」も。


ぼんやりと寄りかかっていた木を見上げる・・・大きな木だ。木登りができそうなほど枝振りがよく、その枝の根
本にすこしだけ歪な手作りの鳥の巣箱を見つけて、すぐに視線を離す。もう、私には関係にない、関係させてもくれないものだ。




ほんの一週間前までこの森で響いていた声。



「ここにはたくさん鳥の巣箱を作ったんだ」



他愛もない話をするその瞳は空虚で底のない空洞のようだったが、表情はまぎれもなく幸福なものだった。



「ヴォルフはいつもおれが遠くに行ってしまって帰ってこないんじゃないかって心配してたから・・・だから、待っている間でも寂しくないよう、鳥が巣箱に帰ってくるようにおれも必ず帰ってくるって言いたくて、たくさん・・・作りすぎたかな?」



照れたような幼いあどけない眼はグウェンダルから逸れて、胸元の・・・「ヴォルフラム」に、あのへたくそなあみぐるみに向けられた。そして、コンラートは微笑んだ、そしてグウェンダルもぎこちなく笑った。本当はそれがヴォルフラムでないことなど知っていた。でも知りたくないから、コンラートの目線に合わせて「ヴォルフラム」に笑いかけた。黒いボタンで作られた瞳にはどこにもあの湖底の碧の面影などなかったけれど。



「グウェンと一緒にここで、遊べるなんて思わなかった。鳥の巣箱を見てもらえるなんて思わなかった。いつも大切な勉強や剣の稽古が忙しそうだったから・・・・・・きょ、兄弟三人で遊べるなんて考えたこともなかった」



空っぽな眼だけしか向けてくれない。そのくせ、その言葉は過去の自分がいかに彼らを顧みなったか気付かせるもので・・・・・・そして、今はその声も聞こえない。コンラートの空虚な幸せの言葉も、声などするはずもないコンラートにだけ聞こえて、グウェンダルはコンラートの様子を見て「聞いて」いた「ヴォルフラム」の笑い声も。




(もう、ここには私しかいない)




もう、誰もいない。誰にでもなく置いて行かれたと感じるばかりの森の奥。周囲には木々しか見えないというのに、脳裏に浮かぶ光景は全く異なるものだった。

窓の向こうで小さな森で遊ぶ幼い弟たち

新しい魔王を囲んで、騒がしく賑やかに、わだかまりが解けていく弟たちの声をどこか安堵して聞いていた執務机の上の書類とペン

ヴォルフラムが捕らえられたと聞いた時の真っ暗になった視界

氷のように冷たくなった弟の横で暗い眼をしてその手を握る魔王

その弟に少しずつ土をかけさせた細いのに強いあの指と水色の瞳




そして、あの、赤い世界





瞳の裏の非色を振り払う。何か別の光景をよみがえらせようとする・・・・・・浮かんだのはアニシナの姿とその声だった。コンラートが自害をしたという話、その瞬間の感情。




(置いていかれた)


(どうしてお前まで私を置いていく、夢の檻で傍にいることもできたんじゃなかったのか)


(逝ってしまうなら、いっそ一緒に連れていってくればよかっただろう!!)




がん、と木に額を打ち付ける。上の枝で巣箱が揺れる気配がしたが構うものか。自分には関係のないものだ。どうせ、もうここにはコンラートは来ない・・・!




(私が、あの赤い世界からコンラートを連れ出したから・・・!)




だからこんなにも苦しくて、コンラートをまた苦しめて、ヴォルフラムは苦しみさえ感じることもできなくて。




(・・・・・・だから、私だけここに置いて行かれた)




その時少し離れた場所から、期待していない呼び声がした。






「・・・・・・グウェンダル様ー?」


「こちらにはいらっしゃらないのかしら・・・でもいつもはこの森の中に」


「どうしよう、アニシナ様・・・宰相閣下のご命令なのに」


「閣下ー!どこにいるんですかー!?」


「どうしよう、時間もあるのに・・・」






(・・・・・・またか)




病室から抜け出しているのは自分。非は自分にある。それでもかつてのようにそれを改めたりはしなかったが、彼女たちに嫌悪は抱かない。ただ、こっそりと、なんとか自分の巨体を森の陰に隠す。


この森にも随分詳しくなってしまった、否、詳しくさせられた。あそこの茂みはね、あの木の陰にはくぼみがあってね・・・・・・ずいぶんと年数のたった記憶だろうに植物たちにとっては長くない時間だったのかコンラートのこの森の知識にはほとんど狂いがなかった。だから、こうして巨木のくぼみと繁みの蔭で彼女たちの死角を取ることができる。

こうして身を潜めていると、彼女たちのおしゃべりが一層聞こえてくる。他愛もない話がほとんどだったが、稀にユーリ陛下の様子は大変だ、アニシナ様は陛下に厳しい、大賢者さまはいつもお疲れのようだ・・・という話を聞くと耳が勝手におしゃべりを聞いた。

グウェンダルは誰かに会いに行くことはない。かつては叱ったり呆れたりした主にも、底知れないものを感じさせる大賢者にも、旅行をやめて城の一室に籠っているという母にも、ヴォルフラムの・・・墓碑の周囲の花の世話を続ける主の養女にも。



誰にも会いには行かなかった

ここ数週間の間に弟「たち」会いに通ったことと赤毛の幼馴染がコンラートのことを告げた時以外は



(誰にも会いに行きたくない)



なぜなら、会いたい人に・・・・・・会えないから。

会っても自分には何もできないから、会いに行けない。ただ、空っぽのまま死んだふりをして生きている。感情など捨てたようなふりをして、コンラートとあみぐるみと一緒にいる世界もあっけなく崩れた。



(本当に「ヴォルフラム」と一緒にコンラートと過ごせたなら、置いて行かれなかったのか)



でも、どうしてもそれが末の弟には見えなかったのだ。
おしゃべりなメイドたちは遠ざかる気配がする。彼女たちにも置いて行かれるのか・・・でも、悲しくない。



(会いたい二人に置いて行かれたなら、すべて同じか・・・)




「どうしましょう・・・・・・コンラート様がルッテンベルクに送られるのはもうすぐなのに」




その声はグウェンダルの心臓を鷲掴みにして、ひやりとしたものを感じさせるには十分な言葉だった。



(本当に、置いて行かれる)



会いに行かないのではなく、自分の無力さへの恐怖から会えないのではなく、会えなくなる。

だからどうしたというのか、今さらできることなど自分には何もない。
でも・・・・・・



(でも、あと少しだけでも)



気が付けば、メイドの一人の手を掴んでいた。
















ウェラー卿コンラートを彼の故郷であるルッテンベルクに送る旅団。それはとても質素なものだった。

1台の馬車、供が数名。精鋭ぞろいだったが、まるで隠れるような団体だった。この旅団を編成したユーリの心境を表しているのだろうか・・・・・・とぼんやりと馬車の中でグウェンダルは向かいに座っているコンラートを見つめた。

その傍らにはこの一団の中でも一番であろう手練れの男がいた。彼は傍らに剣こそ置いていたが、たいして武装はしていなかった。ただ、彼の眼光は鋭く隣に意識を集中させていた。その先にはいつも虚ろな目をしたコンラートがいた・・・・・・告げられていなかったがコンラートが自殺しないように見張るように手配されたものなのだろう。


コンラートはあの小さな森の中で遊んでいた時の様子はすでになかった。瞳は空ろなままだったが、そこに幸せな表情はなかったし、グウェンダルを見ても何も反応を返すことはなかった、そして何より・・・コンラートの手にはヴォルフラムのあみぐるみが握られていない。どこにいってしまったのだろう。捨てた?あんなに大切にしていたのに、どうして?


がたんと馬車が揺れるとコンラートの体は少しだけ前のめりになった・・・途端傍らの男がコンラートににじり寄った。グウェンダルはぎょっとしたがコンラートはただ振動で前のめりになっただけと察知すると、彼はコンラートを支えて場所の席に丁寧に戻した。

コンラートは席に戻された、その際少し身じろぎしたが、その時も男は隙を見せることなくコンラートから離れずそっとコンラートの襟を正した・・・・・・その隙間からグウェンダルには見えた。爪でひっかいたような傷跡がコンラートの首元に見えた。数瞬程度ではあったがそれは危険な血管に到達するほど深いものであると分かった。

グウェンダルがコンラートと森で会っているときはコンラートの右腕には深い傷口があったが、首元にそんな傷はなかった。ユーリに会ったことによるコンラートの自害・・・その際に出来たものだろう。おそらくコンラートが自分自身の、まだ動く左腕で死のうとして喉をかきむしったのだろう。

くらりと前が暗くなる。太陽が陰ったのかと思ったが、自分自身の視界の問題だったようで外には晴天の太陽が広がっている。血盟城にも、ルッテンベルクにもつながっている広い空が狭い場所の窓越しに見える。



(私は、どこまで行くのだろうな)



なにも考えずただ着いてきてしまった。傍らの彼のように何かする役割を持っているわけでもないのに、ただコンラートが遠くに行ってしまうからという理由で着いてきてしまった。そのくせ数週間会っていなかったコンラートに見知らぬ人のように見てすらもらえず、近づくことに憶病になってしまった。もっともコンラートは誰も何も見えておらずただ空虚な目で地面を見て、うつむいているだけだった。

数週間ぶりに出会った幼馴染は出発する寸前の旅団に勝手に後から加わろうとして、他の同行者を混乱させているグウェンダルに一瞥をすると何も告げず、ぽんと旅の者に配られていた荷物を放ると元々行くはずだった旅団の供を一人外して自分をその位置に座らせた。


臆病者の兄と何も見ていない弟。世界でたった二人になってしまった兄弟は言葉を交わすことなくただ馬車の中で向かい合いながら、数日だけが過ぎた。













ルッテンベルクまで後三日。旅がそこまで進み、緊張した表情が多い同行者の中に少し安堵の表情が見えてきた中で野営を行っているときだった。

ほんのわずかな時間の隙にコンラートの姿が消えた。



「・・・・・・コンラートが?」

「はい、フォンヴォルテール卿はご存じありませんか!?」



いつもコンラートの傍らで彼を見張っていた男が、グウェンダルの前で初めて動揺の表情を見せてグウェンダルの天幕に押し入ってきた。

コンラートの天幕にはグウェンダル以外の魔族たちが基本的にこの男と誰かが交代制で泊まることになっていた。グウェンダル自身、思考・身体能力が著しく低下していたし、何よりコンラートの精神にどういう影響があるから分からないからと彼らには遠慮がちに言われていたが、グウェンダル自身コンラートと馬車の中で無言で向き合う以外にどうすればよいかわからなかったのであっさりと頷いていた。

同じ旅団にいるだけでどうしていいかもわからなかったが、手を伸ばせば届くことで安心していたので旅の間には少し安心していられたのだ。頷くグウェンダルに驚く彼らを目にして、他人事のように彼らがコンラートを守ってくれるならと安心したことを覚えているほどだ。

その彼らの中で最も冷静だった彼が血相を変えている。



「コンラート?コンラートがいないのか?」

「は、はい・・・・・・気が付いたらあっという間に。現在捜索しおります」

「・・・・・・この野営地のどこにも?もしかして森の中に・・・・・・」

「っ!申し訳ありませんでした!!・・・・・・?」




激昂されると覚悟しての申し立てだったのだろう、彼は頭を下げ・・・そして沈黙に不思議そうな顔をした。しかし、グウェンダルは呆然としていただけだった。コンラートがいない。この旅団に、コンラートを送るためのこの場所に。



「・・・・・・閣下?」

「・・・・・・探しに行く」



表情一つ変えずそう言う姿に唖然とする彼の横をすり抜けて、グウェンダルは野営地を抜け夜の森に駈け出した。


























...... to be continued ......














2009/12/31